2009年12月31日木曜日

Por fin

何か忘れていると思ったら、年賀状を書くのを忘れていた。慌てて書いて投函。書くべき人のうち、緊急性の高い人から10人ほど。

学生たちの卒論を読み、チェックし、送付。そして……

スティーヴン・ソダーバーグ『チェ 28歳の革命』(スペイン、フランス、アメリカ、2008)。かつ、これについてさらさらと書き、原稿送付。

終わった! 脱稿だ。

以前からほのめかしている仕事。スペイン語圏の映画37本(当初35本を予定していたが、最終的な打ち合わせで2本増えた)を選び、その紹介をし、1カ所セリフを選んで解説し、訳と文法解説までつけるというもの。シリーズもので、既にロシア語や英語圏のものについては出ている。第3段としてスペイン語圏のものがでるはず。

1本につき4ページで構成されるので、本文だけで148ページになる。それを、今日、書き上げたという次第。選んだ37本のほとんどはいちど見たことのある映画なのだけど、当然、今回改めてじっくり見ることになった。当初の印象より面白かったものもあればそうでなかったものもあり、改めて面白いと思ったものもあり、改めて面白くないと思ったものもあり……

日本でDVDソフト化されているものの中から選んだ。必ずしも映画の映画としての面白みのみが選定基準ではない。だから『ダックシーズン』とか『ある日、突然。』なんてのが選ばれていなかったりする。いろいろな思惑があって選んだ37本。

たぶん、先日脱稿した翻訳と同じ時期か、それに前後する時期に出るはず。少なくともそのつもりだと、編集者はおっしゃる。……いいよ。何月でも。何度でも。

年末を無理矢理まとめてみる

28日には元教え子たちと忘年会。その後、同期のもっと大きな集まりに合流。呼んでいただけるうちが花なので、こうした集まりには可能ならば行こうと思う。

ん? 君は鳩山由紀夫の後ろをとことことついて歩いていなかったか? TVニュースの映像に一瞬、君が映ったような気がするぞ? そうなんです~ などという会話を交わしたり、いつ辞表を書くかとか、辞表の書式は決まったものはないとか、そんな話をしていた。

それからセバスティアン・コルデロ『タブロイド』(メキシコ、エクアドル、2004)、フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール『ウィスキー』(ウルグアイ他、2004)、マヌエル・ウエルガ『サルバドールの朝』(スペイン、2006)などを見て、さて、残りは1本だ! 今年中にこの仕事は終えることができそう。

ちなみに、『サルバドールの朝』でサルバドール(ダニエル・ブリュール)の最後の恋人を演じるのはイングリッド・ルビオ。カルロス・サウラの『タクシー』でデビューした女優だ。それを上映したスペイン映画祭に招待されて来日し、ぼくがその映画を見たときには、舞台挨拶していた。ということを実に久しぶりに思い出した。

そうこうする間も、卒論の学生たちが原稿を送ってくる。ぼくの1年がまた暮れていく。

そういえば去年の年末は、ある翻訳の仕上げにかかっていたのだが、その翻訳は、出版社の人とのコミュニケーション不足から、まだ本になりそうにはない。おかげで今年は目に見える業績らしきものはなかった。

2009年12月27日日曜日

大学は終わらない

国際理解のための高校生講座、とかなんとかいうやつに協力しなければならず、大学に行った。このように、業務は続くのだ。こんなことをやっているということを、それにかかわらない人たちがどれだけ知っているだろう? 大学はまだ終わらないのだ。

ま、ぼくはちょっとした協力だけなので、大した労力も要らなかったのだが。

ニコラ・トゥオッツォ『今夜、列車は走る』(アルゼンチン、2003)なんてものを見て、それについて書き、原稿送付。

そして引き続き、ビセンテ・アランダ『carmen.カルメン』(スペイン、イタリア、イギリス、2003)など。

『カルメン』は版が多いので、こんなへんてこりんな邦題をつけて差異化しなければならないのね、とため息。ぼくはアランダは3作ばかり見てどれも辟易した記憶があるけれども、そんな彼の作品にあっては、これは良いと思う。

冒頭、カルメンの働く葉巻工場で、女たちに本を読んで聞かせる係の人物が出てくる。キューバの葉巻工場ではこうした読書係の者がいたことは、アルベルト・マンゲルが書いていたし、当時の絵などに明らか。スペインでも事情は同じだったのか、この細部が描かれていることに、ぼくは改めて気づいた。

単純労働者たちはこうして耳を楽しませながら仕事していた。ぼくの母は大島紬を織っている。ぼくが子供のころ、集落内に2つほどある「工場(こうば)」で仕事していた。その後「工場」は解体し、各自がそれぞれの家で織るようになった。母とて例外ではない。工場で働いている時からの習慣として、家に移ってからも、母はずっとラジオを聞きながら仕事をしていた。後に、テレビを見ながら仕事をするようになった。母や周囲の人間にとってのラジオは19世紀たばこ工場における読書人のひとつの変形なのだろう。

以前ここに購入したことを記した菊地成孔、大谷能生『アフロ・ディズニー』は、聴覚と視覚が独立に発達し、やがてそれが統合されることによって人間は世界観を得る、つまり大人になる、しかし、その統合には常にずれが含まれるのであり、視覚と聴覚とのこのずれによって成り立つ大人の社交の場が19世紀的・演劇的スペクタクルなのであり、そのずれが消失して子供的十全感に回帰した瞬間は映画におけるトーキーの到来なのだ、というような説を展開している。けっこう面白い。で、菊地が取り上げなかったひとつの「ずれ」の事実として、こうした、工場における読書人がいるのだろうな、などと考えながら見ていた。

で、ともかくアランダのこの『カルメン』は、メリメのドン・ホセやカルメンとの出会いも描かれていて、それだけに「原作に忠実」だとされるもの。ついでに原作など読んでみた。新潮文庫版はいまだに堀口大學訳だった。この堀口訳、なかなかいい。ここにも大學の永続性が確認される。

2009年12月26日土曜日

クリスマスに夏のガリシアを思う

ぼくの車にはGPS、いわゆるカーナビがついている。あまり使うこともないのだが、つけっぱなしにしてあることが多い。エンジンをかけると、だから、立ち上がる。立ち上がると挨拶を送ってくる。挨拶は時に、季節ものとなる。「今日は節分です」とか。

24日、前にぼやいたように会議があるので、大学に向かうべくエンジンをかけた。

メリー・クリスマス

カーナビが語りかけてきた。クリスマスは明日だぞ。気が早くないか? よせばいいのにぼくは独り言を言う。スクリーンを見ると、若い女の子がサンタクロースの格好をしたイラストが現れた。

頼むよ。

というのが、ぼくの反応。何を頼んだのかは定かではない。たぶん、頼むからやめてくれ、とでも言いたかったのだろう。まったく、安っぽい風俗店じゃあるまいし。サンタのコスプレをした女の子が、こちらを振り返る姿勢で立っているなんて。事故でも起こしたらどうするんだ。

白ひげのじいさんの衣装を若い女の子が着るのだから、これはもう定義として服装倒錯travestiだよな。「安っぽい風俗店じゃあるまいし」という感想はたぶん、そこから来るんだよな。

イマノル・ウリベ『キャロルの初恋』(スペイン、2002)では、主人公のキャロルは、誕生日を除き、男性のような格好をしている。髪も短くカットして、ボーイッシュだ。キャロルを演じた女優クララ・ラゴは、映画製作から3年後(だったか?)、プロモーションで日本にやってきたときには、だいぶ成長していたし、髪も伸びていたけれども。

スペイン内戦の時代を背景にしたこの映画、クララ……キャロルのアメリカ人の父ロバートは共和国支持者として国際旅団に参加している。母が死んでキャロルが預けられた先の叔母とその夫はフランコ支持者だ。門限を破ったキャロルに対して叔母は、「そんな民兵milicianaみたいな服装はやめろ」と怒鳴る。キャロルは祖父(こちらは、やはり共和国支持)に直談判して、彼の家に暮らすことになる。それでも、田舎町の雰囲気に鑑みて、初聖体拝領を受けろと迫る神父にあっさりと折れたキャロルは、ただし1つだけ条件を提示する。水兵の服を着るというのだ。

キャロルは父がアメリカ人なので、プロテスタント。初聖体拝領というのは、カトリックの子供にとって最も重要な儀式のひとつ。キャロルはプロテスタントだからそれに参加する義理はないのだが、なにしろスペインの田舎町(ガリシアかカンタブリア、あるいはカスティーリャ北部)。みんながカトリックみたいなところだ。ましてやフランコ優勢の時勢下、守旧派のカトリックは強い。で、妥協してその儀式に参加するのだけど、衣装だけは別のものを着るという。初聖体拝領では女の子は花嫁衣装のような白装束に身を包む。男の子は水兵の服。つまりキャロルは男の格好をすると言っているのだ。この映画、『キャロルの初恋』などと邦題をつけているが、こうした設定がなかなかに倒錯的でよい。

でも、ところで、キャロルが着ることを選択する(ラストの別れのシーンでも着ている)「水兵の服」って、早い話がセーラー服だ。セーラー服といえば、この国では中学や高校の女子生徒の制服としてすっかり定着しているのだった。うーむ……やはりぼくらは服装倒錯の社会に生きているのだなあ、などと考えながら6時までの会議をやり過ごした。そして、その映画についての原稿を仕上げた(それとも、それはその前日だったか?)。

2009年12月22日火曜日

終わった(2)

非常勤で出講している法政の授業、年内が終わり。これで授業は終わった。法政は年明けは1回だけなので、ラストスパートだ。

今回の翻訳は共訳なので、チェックの作業をやっている。こういう仕事は案外、時間がかかる。法政の授業でだいぶ多数のレポートが提出されたので、これも採点せねばならず、やれやれ、冬休みは来ないな。

2009年12月20日日曜日

妖異!

こういうのはすばらしい。M・A・アストゥリアス『グアテマラ伝説集』牛島信明訳(岩波文庫、2009)。

岩波文庫はボルヘスも新たに文庫化し、今度はこれ。初版から30年を経て文庫化された。昨日亡き訳者に線香をあげに行ってご恵贈いただいた。亡くなって7年経ってなお文庫化される訳書があることの幸せを思った。

「フランシス・ド・ミオマンドル宛のポール・ヴァレリーの手紙」というのが序文として付されている。「これらの物語=夢=詩ほどわたしに妖異と思われる――わたしの精神に、思いがけないものを感じとるわたしの能力に、いかにも妖異に思われるという意味ですが――ものはまたとありませんでした」(5ページ)と評している。

ボルヘス、アストゥリアスと来たのだから、次はカルペンティエールにしてほしいな。

2009年12月18日金曜日

終わった(1)

外語の授業は今日が年内最後。ほっと胸をなで下ろす。まだ火曜日の法政が残っているけれども。そしてなにより、24日には1時から6時までの会議が待っているけれども。そもそもその他の仕事はたくさん残っているけれども。

文科省からの授業週を半期15回確保しろとのお達しは厳しく、来年以降は年内は24日とか25日まで授業があるらしいぜ、と言ったら、1年生のクラスは大パニック(実際には、来年度は24日が土曜なので、そんなことはない)。えっ、君たちは何か12月24日とか25日とかに特別な意味を置いているのかな? 当然じゃないですか! ふふふ、そんなこと言ってられるのも学生のうちだけだぜ、だから大いに言ってくれ。

というやりとりをやったせいか、授業が終わっても、24日でも、ぼくは仕事がある。1時から6時まで。

ここには書き記すことのできない理由でしばらく落ち込んでいた。落ち込むのも学生の贅沢。ぼくは学生ではない。そんなわけで日々の仕事に戻ってきた次第。

2009年12月13日日曜日

やっぱりのどが痛い

昨日示唆した『ルシアとSEX』については、今日で仕上げた。だんだん調子づいてきた。あと9項目、36ページ。いや、その後さらに2ページ書いたから、34ページ。

この間の翻訳のときもそうだったのだけど、ある時点まで来ると、スイスイと筆が進むようになることがある。かならずそうなるわけではないだろうけど。ペースがつかめるということだろうか? それにしてはもう後半にさしかかっている。ラストスパートの時期だ。むしろ最後のまくりというやつだろうな。このまま1週飛ばして冬休みに突入すれば、あっという間に仕上げられるのだけどな。でもこの局面に突入すると、大学の雑事を放置しがちなので人に迷惑をかける。寛恕を請う。

明日は卒論の連中と忘年会。……ところで、果たして彼らはそんな余裕あるのか? 

でも余裕なんて、なくても作るものだ。忙しいときこそ余裕を見せなければならない。さすがはぼくの教え子たち、心得ているじゃないか。

2009年12月12日土曜日

のどが痛いような……

今日届いたのは『NHKラジオ まいにちスペイン語』2010年1月号。つまり、「愉悦の小説案内10」。今回は『ナインス・ゲート』。アルトゥーロ・ペレス=レベルテの『デュマ倶楽部』のことだ。もう最終回の原稿を出したことも既に書いたが、これが形になった最後から3番目の回。

サウラの『ブニュエル』には晩年のブニュエルが滞在先のマドリードのアパートでメイドに名前を尋ねるシーンがある。あれ? これは確か、あれだよな、と思って確認したら、案の定、『欲望のあいまいな対象』だった。

それを確認してから原稿を仕上げ、送付。

で、さっそくフリオ・メデム『ルシアとSEX』(2001)を見ながらこれを書いてるが、この映画ってこんなに性描写があったっけかな、と思う。記憶ではそれほどでもなかったように思ったのだけどな。

たいしてセックスシーンのない『アナとオットー』はVHSがあるのみでDVDソフトにはなっていない。日本で公開されなかったはずのこれはDVDになっている。うーむ。エロは強いということか? 劇中でハビエル・カマラが言っていた。「セックスを盛り込め。読者は喜ぶ」。

2009年12月11日金曜日

再会

卒業生が自分の会社の学内での説明会とかでやってきたので、ちょっと顔を覗かせて挨拶。元気そうで何よりであった。

そもそもぼくはこんなことが行われているなどと知らなかったのだ。時々、研究講義等入り口に企業の名前を書いた紙が貼ってあることがある(時々というより、この時期はほぼ毎日か?)。それは企業の側が大学まで出張ってきて、我が社はこういう社でござい、これこれな人を募集します、というプレゼンテーションをやるのだそうだ。たとえば昨日は集英社が来ていた。こんな大手でも大学に向けて自己アピールをするのだな。

さすがに教え子の会社は集英社のように大きな教室ではなかったが、それでも教室には40人くらいは入っていたかな。いずれも将来に希望を膨らませた大学生たちだった。

ふうん。

昨日まで追い込みで忙しくてしかたがなかったと笑顔で話す教え子が、少し痩せたか? さすがに学生たちより大人びて見えるのは、就職活動向けのお仕着せのスーツではないながらも、仕事モードでパリッと決めているからなのだろう。

あと1週授業をつとめれば、もう冬休みだ。

今日は、これ: カルロス・サウラ『ブニュエル:ソロモン王の秘宝』(2001)

ブニュエルへのオマージュ。ブニュエルやダリから借りたイメージ、ロルカの詩からの引用など。ストーリーなど付け足しでしかない、そんな映画。ぼくは最初これをカラカスで見た。

2009年12月10日木曜日

陽気に誘われ

で、その「映画の仕事」、今日は2本仕上げて送付。これで残りは11回になった。ひと月1本だとまだ1年近くかかる。1日1本だと年内に終わる。

陽気に誘われ、散歩。遠出して昼食。帰りに発見した、森の中に浮かぶボート。

2009年12月9日水曜日

打ち止め!

指定された締め切りにはまだ一週間あったが、授業と会議のあいまに仕上げて送付したのが、「愉悦の小説案内」の原稿。第12回、連載最終回だ。最終回はぼくの人生を変えたのかもしれない1冊。

わずか見開き2ページ、400字詰めに換算して5、6枚。たった12回の連載だけど、連載ってそれだけでなんだか神経を使うのだと実感。週刊誌や日刊紙に連載する人ってすごいなと思う。

フエンテスは出しそびれたなとか、ハビエル・マリーアスだって扱いたかったな、せっかくだからリャマサーレスだって、……などという思いもあるが、まあしかたがない。当初、色々と計画していたけれども、現実には書けそうなものから順番に書いていったという感じか? ただ最終回の題材だけは決めて。現在読まれている小説(読まれているなら古典でもかまわない)、必ず1カ所原文(とその訳)を引用・紹介する、というのが条件だった。ぼくはそこに邦訳の存在するものという第3の条件を自分自身で課して書いた。

1カ所原文を引用というのが、何よりも頭を痛めたところ。ちなみに、以前からほのめかしている映画の仕事も、必ずセリフを1カ所引用するというもの。そういう体裁ってわりと好きだが、書く方としては悩む。2カ所も3カ所もというなら、何も問題ないのだが。

担当の方からの折り返しの報告に、単行本化しないのかとの問い合わせもあったが云々と書いてあった。本当のことかリップサービスかは知らない。いずれにしろ、お調子者のぼくとしてはそんな言葉にはニンマリしてしまう。ただし、1項目につき2ページのものを単行本にしようとしたら50、60、あるいは100項目ほども書かねばならない。ちょっときつい話。

さ、その「映画の仕事」もやらなきゃね。これは35回。

2009年12月7日月曜日

散文とは!

先日告知の図書館主催、堀江敏幸講演会。「散文について――読むことと書くこと」

なかなかの入りであった。「散文とは木村拓也(巨人)である」とか「ネズミは温泉が好き」といった話を。

……などと書いたら、なんだか思い切り話の内容をゆがめているように思われかねない。要するに、書き出すまでの心構えの柔軟さをいかに保つかという話。

図書館長には、彼の短編「送り火」がかつて、センター試験に採用され、受験生たちは大いに感動したという話を吹き込んでおいたら、最初の挨拶でそのことを紹介された。すると堀江さんはそのことから語り起こされた。あまり快くは思っておられないようではあったが。でも会場には、少なくともぼくの知り合いの学生で、まさにその試験問題で彼に興味を持ったという者がひとりふたり来ていた。

2009年12月6日日曜日

25

寝耳に水の話で、近々ある博士論文の審査をつとめねばならないことになっていると知り、そのために履歴書と業績表を提出しなければならなくなった。それで、改めて数えてみたら、外語に移ってから、ぼくが業績表に書き込んだ「業績」が25。NHKの連載なんかはすべてで1項目、3枚のDVDの解説であるビクトル・エリセDVD-BOXも1項目としての話。

うーむ。6年目の後半にして25か。……これが多いのか少ないのかはわからないが、少なくとも言えることがひとつある。いわゆる学術論文がひとつしかないということ。そしてまた外見的に大変そうでない割に大変に苦労した仕事があるということ。「監訳」とか「共編著書」ってやつだ。仕上げたけど形になっていないものもある。それからまた、口頭で話したっきり活字化していないものも5つくらいある。

われわれの世界にはわれわれなりの価値基準というのがあって、ぼくは必ずしもそれに同調するものではないが、その価値基準に照らすと、労多くして得るところの少ない仕事をたくさんしているような気がする。あくまでもその「得る」べきものを得たいとは思わないのだけど。

そんなわけで、26番目か27番目になるはずの仕事のために、

アレハンドロ・ゴサレス・イニャリトゥ『アモーレス・ペロス』(メキシコ、1999)を。ガエル・ガルシアが坊主頭にしても似合うのは、頭の形がいいからだろうな、というのが唯一の感想では、あまりにも悲しい。

いや、もちろん、それが唯一の感想ではないのだけどね。あの事故のシーンはやはりなんと言ってもすごいな、とか、色々と……

2009年12月5日土曜日

忘れ物

ミック・ジャガーが何の脈絡もなしに「シュガー」とささやいてから歌い始める曲がローリング・ストーンズにはあった。たしか「ホンキ―・トンク・ウーマン」だ。「ケーキ♪」と意味不明に書き付けて始まるブログの記事は、それ以来の衝撃である、というのが前回の書き込みの評判。ふふふ。

本当は自己評価。大学だって自己評価を迫られるのだ、ぼくだって自己評価ぐらいしなきゃね。

留学から帰ってきた学生を歓迎しての、同期の連中の飲み会。これがそのときいただいたお土産のしおり。ガウディのデザインで有名なバッリョ家をかたどったもの。

卒業生と飲みに行ったとか、友人と飲みに行ったとかは書くのに、わたしたちと飲みに行ったことはブログには書いてくれない、というのが、昨日の主役がぼくに投げかけた難詰。「難詰」というほど強いものではないのだけと、まあともかく、そんなわけで、記す。

なぜか2次会でカラオケに行くことになり(何年ぶりだろう?)、君たち、ぼくの歌声がどれだけ貴重なものだかわかっているのかね、何千円出しても惜しくないと、全国から聴きに来る人が訪れる。それを君たちはただ同然で聴こうというのかね、と念を押してから「わたしがあなたに惚れたのは/ちょうど19の春でした♪」などとがなっていた。(記憶が定かではないので、本当にこの歌を歌ったかどうかは不明)

明けて今日、車を取りに大学に。駅に着いたところで、車のキーを持ってくるのを忘れたと気づく。もう1往復だ。

あーあ、昨日はその学生たちと、落とし物をしない派と落とし物してばかり派の話をして、光栄にも前者であることが確認されたばかりのこのぼくが、忘れ物だもんな。でもおかけで、たっぷり本が読めた。これからそれをもとに一仕事。

そうそう、大学ではこんなことこんなことをやっていた。

2009年12月3日木曜日

告知など

ケーキ♪

そして5時限「表象文化とグローバリゼーション」は『苺とチョコレート』を見た。

ウンプテンプ・カンパニーがシアターΧ(カイ)で『血の婚礼』を上演する。外語祭期間中、スペイン語劇の日に現れてチラシなどを置いていってくださったそうだ。

別の日には劇団四季『エビータ』の広報活動だと言って、飛び込みでチラシを持ち込んできた。劇団四季ほどのところでも、こんな地道なことをやっているんだなと、涙が出そうになった。

『エビータ』も『血の婚礼』もぼくの思い出の一作。

と思ったら、今度は梅田国立劇場が東京芸術劇場中ホールで『蜘蛛女のキス』ミュージカル版をやるのだと。『蜘蛛女のキス』に取り立てて思い出はないが(エクトール・バベンコによる映画版をすてきな女性と見に行ったことくらいだ)、原作は言わずと知れたマヌエル・プイグ、ぼくも好きな小説だ。ストレート・プレイ版も、実は、ぼくは見たことがないのだが、ミュージカルかあ……

来週月曜、12月7日(月)18:00からは図書館主催の堀江敏幸さんの講演会、開きます。@115。こちらもぜひ。

2009年12月2日水曜日

そば祭り

今日は授業の後、とある委員会がひとつあるだけで、しかもそれは2時からだったので、少し足を伸ばして深大寺までそばを食べに行った。

混んでいた。いつになく混んでいた。休日でもない、彼岸でもない。何かの季節でもない。……はずだ。でも混んでいた。入ろうとした店ことごとくに行列ができていた。

どうにか空いた店に入り、おいしく山菜そばなどをいただき、支払いの際に聞いたところでは、なにやらそば祭りなんてのが明日まで開催中とのこと。

明日までです!

これはそぱとも深大寺とも無関係。到着したばかりの大学のドアから見た風景にふと心奪われたので。

2009年11月29日日曜日

自分へのご褒美、0円


昨日翻訳を脱稿して自分へのご褒美というわけではない。時間ができずにいたから延びただけのことだ。携帯電話の機種変更をした。機種代だの変更代だので5万円は超すはずなのに、何とか割引に何とか割引き、さらに何とかと何とかの割引で、最終的に2千円台、ポイントカードで支払って、ただ。ご褒美が0円ってのはちょっとばかりさびしい。

で、機種変更しました。これはウェブ接続できるやつで、逆に言うと、i-modeは使えない。したがって、どうか皆さん、携帯メールのアドレス変更、お願いします。@から前は以前の携帯メールと同じ、@から後は、gmailのアドレスだ。


これがもらったドコモだけ。

翻訳にかかりっきりで放っておいた仕事のうち、1回分を仕上げて送付。

2009年11月28日土曜日

脱稿!

脱肛、ではない、なんてくだらない冗談、前にも書いた。そのせいか、きょうは「脱稿」と打とうとしたら「脱肛」と出た。自らの愚かさに苦しめられている。

さて、脱稿だ。全26章、414ページ。3月から始めたので、9ヶ月。我ながらよくやったものだと思う。

今回は共訳なので(上の分量はぼくの担当分だけのこと)、これからゲラの段階で色々と調整をしなければならない。少し時間がかかる。ただでさえ600ページの大部なのだから。で、出版は4月になるとのこと。逆にいうと、訳を脱稿したからといって、仕事が終わったわけではない。これからも大変。でもまあ、ともかく、一番大変な訳が終わったのだ。嬉しい話じゃないか。最後はアンゴラやらルワンダやらリベリアにまで話が行っちゃうんだものな。苦労しましたよ。

さあ、この1ヶ月放っておいたあの仕事や、その他の雑事、日々の授業の後片付けなどが待っているのだった。

ちなみに、26日(木)5時限「表象文化とグローバリゼーション」はイタリアから吉本ばななや村上春樹の翻訳者ジョルジョ・アミトラーノさんをお招きしてお話しいただいた。ふむふむ。やっぱり翻訳者ってそうなのよね、と首肯されることばかり。

2009年11月25日水曜日

会議は……



グリコのポッキーの裏の表記。

ありがとうをかたちに11% 増量
平成11年11月11日、数字の"1"にポッキー・プリッツが似ていることから、スタートしたポッキー&プリッツの日(日本記念日協会認定)。
平成21年、おかげさまで記念すべき第11回目の年を迎え、ありがとうをかたちに11%増量いたしました!


これのすごいところは、「日本記念日協会認定」であるところ。すごいな! 認定されてるんだ。しかも「日本記念日協会」から!

などと考えながら会議をやり過ごす……

2009年11月24日火曜日

授業があるってすばらしい!

昨日は人に会うために外語祭最終日の大学へ。懐かしい知り合いや元教え子などにも会う。5月に原美術館内ですれ違った教え子が、「結婚しました!」と指輪をみせひらかす。あの時一緒にいた人がお相手? そうです。そりゃよかった。なにしろあの後売店の窓から中庭のカフェテラスが見えて、そこに座った君が、彼を前に浮かない顔してテーブルに突っ伏したりしていた姿が見えたものだから、別れ話でもしてるのじゃないかと心配してたんだよ、とお祝いの言葉を言った。

ことのついでに見たドイツ語劇。なんと! 『魔笛』。

もちろん、あの『魔笛』だ。モーツァルトのオペラだ。楽曲はピアノ伴奏のみにとどめ(つまり、ピアニストが一番大変だ)、こぢんまりと縮めつつも、聞かせ所のアリアはちゃんと残して作った。だいぶカットしたはずなのに、どうしたわけか前奏曲は残して、不思議。パパゲーノ役が声も通り、そこに表情があり、なかなか
よかった。

あ、そうそう、何かのコンテスト(料理店の、だけなのか?)でスペイン語専攻1年のスペイン料理店が優勝したそうで、めでたい。

今日は後片付け日だが、ぼくは法政に出講する日。法政と外語祭は無関係。授業に行ってきた。

2009年11月22日日曜日

授業がないってすばらしい!

「授業がないってすばらしい!」なんてタイトルをつけると、何か後ろめたさを感じる。ええ、そりゃあ、大学の中心は授業ですから、それがないことを言祝いでいた日にゃあ、職務怠慢をなじられてもしかたありません。でもね、追い込みにかかっている翻訳を1章仕上げて送ったのだから、こう叫びたくもなります。

前回の「翻訳を1章仕上げて送付」の書き込みと比べて欲しい。金曜日になってすぐ、というか、木曜日の夜のことだった。3日後にもう1章仕上げて送っているのだ。

この章は28枚だった。1枚につき40字×30行でフォーマットしているので、つまり、1枚につき400字詰め3枚分になる。ということは、この3日間で訳した量は400字詰め84枚分だ! ほら、授業がないってすばらしいでしょ? こんなに仕事ができる。

追い込まれているから、訳したあとのチェックは少しだけおろそかになっているかもしれない。でもそれでも、3日で84枚はさすがに我ながら驚く。

3月にとりかかり始めたこの仕事、これまでに優に400字×1,000枚は超えているはず。薄い本なら2冊、いや3冊分にはなっているかも。それなのにまだ終わらないんだものな……たまには薄い本の翻訳、したいな……

2009年11月20日金曜日

旧友再会

スペイン語専攻の劇『サルサ!』を見に大学に。ついでに、フラメンコのショウを1回。それから韓国からの留学生有志の出す店でトッポギを食す。

同期の友人が来ていて、20年ぶりくらいに旧交を温める。でも、開口一番「おじさん!」はないぜ。そっちこそ、おば……なんてことは口が裂けても言えなかった。元気のいい愛娘を連れていた。

帰宅後、目に不調が出て、どうにもやり切れない。

ときおりあるのだが、視界の一部に、まず盲点ができる。それが盲点であると気づくころにはそこは白濁しているか、透明の穴になっている。やがてそのスポットが拡散して、コイルのようなぎざぎざの帯状になる。帯とその存在地点はだんだん周縁に追いやられて、それにつれて細く長くなっていき、やがてそれ自体が消える。こうした段階的変化をとげる症状が数十分くらいの間に起こる。風呂にでも入って目をこすると、少しはこの過程が速まる。

これもパニック障害をやったころから始まった症状で、それからさんざんに眼圧だの眼底検査だのというものをして、ことごとく異常はないと言われてきたのだが、やはり一抹の不安は拭い去れない。

これは何の症状だろう? 

Nulla dies sine linea

昨日書いた手前、行ってきた、朝鮮舞踊の公演。明日はどうせ語劇を見に行くのだから、明日でもよかったのだが、研究室にある本が必要になったので、取りに行くついでに。初日だし、雨だし、寒いし、始まって間もない午後1時だし、客などいないのではないか、ここは顧問としては行って盛り上げて桜を務めなければならないのではないか、などと考えて。

……立ち見がでるほど盛況だった。外語祭は雨で寒い初日の正午でも賑わっていた。

ぼくは朝鮮舞踊というものがどんなものかというイメージもなければ、事前の知識もなかったのだが、いろいろと考えさせられるパフォーマンスであった。扇を使った感情表現は日舞などにも通じるのかな、でもつま先だって飛び上がろうとする運動性は、バレエのようでもあるな、……

できたばかりのサークルで、メンバーも少なく、レパートリーもまだ多くはないのだろうから、なんとかという太鼓のサークルとの合同のステージ。他大学からのゲストを呼んでの30分だった。

フラメンコやベリーダンスなどは200円か300円取るから、そのつもりで行ったら、無料だった。得した気分。

帰って、翻訳を1章仕上げて送付。

作家マルコ・アントニオ・パラシオス(架空)は17歳で作家を志し、自らに訓練を課した。

訓練というのは、毎朝、最低でも六時間書くことだ。毎朝書き、午後は推敲し、夜は取り憑かれたように読むこと。(ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』)

なるほど、ここにも書くことのヒントが。書く。ひたすら書くのだな。朝六時間か……この朝は昼食までの時間。だから2時くらいまでであってもいいはず。でも六時間はきついな。

明日は朝六時間、翻訳してみよう。

2009年11月18日水曜日

風に舞うテント


会議のために大学に行ったら、外語祭の準備をしていた。ちょっと心配になるくらいゆったりと準備していた。そしてこれは設営途中で強風に吹き飛ばされるテント。シャッターチャンスを逃した。飛ばされる瞬間を写したかったところ。

今年から大学には朝鮮舞踊同好会というのができた。実はぼく、競技ダンス部と並んでこの同好会の顧問でもある。スペイン語の学生で子供のころから朝鮮舞踊を習っていた学生が、周囲に呼びかけて作ったもので、その学生が最初に相談した相手がぼくだったので、行きがかり上、顧問になった。まだ5人くらい、しかもいずれもスペイン語専攻1年生ばかりの小所帯。日に2度ばかりしか演舞できないそうだが、是非、……なかなか激しいらしい。太鼓の音が小気味よかった。

ちなみに、スペイン語専攻の語劇は金曜日最終回。18:20くらいから。

さ、この連休にどれだけ残った仕事を終えることができるか、それが勝負。

2009年11月17日火曜日

面接

法政で代講しているゼミは、今日が選考日。希望票を出したのに面接会場に現れない人物が何人かいた。ぼくが法政に勤めていたころには、そんな経験、記憶がない。

夜、ぼくの勤める大学の学長が、ぼくも行ったことのある新宿のロシア料理のレストランで、爆笑問題のふたりからインタビューを受ける(他の客も見覚えあるひとびとだったぞ?)という30分ばかりのTV番組を暇に飽かして見た。

本当は暇なんかないのだけど、TV番組を見たと書こうとすると、「暇に飽かして」と書かずにはいられないのはどうしたわけだ? これもひとつの紋切り型なのか?

あと2年、4章、60ページ。

2009年11月16日月曜日

事後報告

14日(土)は学部編入試験の監督。明らかにぼくより年上とわかる受験生も少なからずいた。そのうちの何人が合格するかは知らないが、こうした光景を見ていると、ある確証を得られる気がする。大学は18歳から22歳までの若い連中のためだけの特権的な場ではないということ。

それから、その日のうちに懐かしい人に会ったりしたが、仕事を辞めて留学していたなどと言っていて、やはり、大学とは多様な年代の人のための場であるのだと確認。

ま、自分より年上の学生がいると、ぼくのように学生相手にぞんざいな態度を取っている人間は戸惑うのだが。

本務校は水曜日から学祭の準備に入る。

2009年11月13日金曜日

2009年が終わった……?

今日届いた。『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年12月号。つまり、「愉悦の小説案内9」。2009年分の最後。残りは3回だが、そのうち2回まではもう原稿は出してある。穴を開けることなく連載を終えることができそうだ。

今回はマリオ・バルガス=リョサ『フリアとシナリオライター』のご紹介。「自伝と小説の違いを味わう」。

昨日、12日(木)は、新しく作る大学広報誌 GLOBE Voice の「研究者紹介」のページに取り上げられるというので、その取材を受けた。疲れた。ぼくはこの広報誌の委員で、出ろと言われて断ることはできずに昨日に至ったという次第。どうも自分のやっていることを語るのは苦手だな。やっていることの成果を見てくれ、以上、と言いたくなる。

その後、スペインの協定校からの交換留学生らの歓迎会。

やれやれ。明日は朝から編入学試験の監督だ。週末、自由にならない週が続く。

2009年11月11日水曜日

雨だ。本格的な雨だ。そのせいか2時限の出席者は少なかった。雨が降ったら自主休講か? かつてのぼくのようじゃないか。


明日、大学広報誌の取材を受けるために古い写真を見ていたら、こんなのが出てきた。BELLA EPOCA映画館。

かつて、3月に書いた。この建物はそのままにFCE直営書店に変わっていたという話。こうしてみれば建物が同じであることがわかるはず。

さて、では明日の朝5時台に録画セットして、今日はもう寝よう。

2009年11月8日日曜日

ブチッというよりビシッ!

大学院の2次面接。5件。

最後はフランス語の文学文化学コース志望の学生の面接。終わってフランス語の先生たちに色々と彼らの入試問題などのお話を伺う。うーん、難しすぎるから敬遠されるのかなあ、などと。ふむふむ。難しさではスペイン語も遅れを取りません。こちらも敬遠されているのかもね。

フランス語の場合、作文の問題が自由論題(たとえば「文学におけるエクリチュールの役割を論ぜよ」)で最低でもB4の解答用紙1枚を使用するというもの。

かっこいい! 

と思わず唸ってしまった。さすがは哲学を必修として思考力を問う、名だたるバカロレアの国の言語を専攻しようとする場だけはある。バカロレアもともかく、さらに上に行くとますます難しくなるもので、サルトルがまいにち何ページも書く習慣をつけたのは、厳しいアグレガシオン(教授資格試験)の論述試験に備えてのことだといっていたものな。"Nulla dies sine linea"(1行たりとて書かざりし日なし)というプリニウスのアレだな。

ぼくもいつかこんなかっこいい問題を作りたいものだ。どこかに書いただろうか? ぼくの学生時代、「スペイン語学概論」という授業の学年末試験は、決まって試験最終日、9時から5時までの時間が割り当てられ、その間、何をしてもいいからたったひとつの論述問題に答えるというものであった。この先生に対しては色々と言いたいことがあるし、その授業に熱心に通ったわけではないが、それでもこうした試験は好きだったな。何というか、ぼくの知的体力が試されているような気がして、嬉しくなった。わくわくした。試験が祝祭であることの証左だと思った。

ま、受験する方としてはきつくもあるけどね。でも、なあに、それくらいものともしない気概がなければ大学院では生き残って行けない。君たち! 東京外国語大学大学院 言語文化専攻 フランス語を目指せ! 気概を示すのだ! 

あ、もちろん、フランス語をやるなら、ということ。フランス語よりスペイン語を目指せ、というのが、ぼくの立場……とりあえず……表向きは……

2009年11月7日土曜日

ベーンとダーンとブチッ……

大萩康司ギター・リサイタル。東京文化会館小ホール。N先生やらKさんやらYさんやらNさんやらに囲まれて。

ブローウェルの寵愛を一身に集める大萩が、これから違う方面にも飛び立ちたいのだけど、と語りながらも、その締め(?)に、ブローウェルずくしを。目玉は、というか、少なくともぼくをここまで運んできたのは、「円柱の都市」。いわずとしれたカルペンティエールのハバナを巡るエッセイ。これに想を得た変奏曲集。2004年のこの作品の、ほぼ初演。ブローウェルのカルペンティエール・シリーズの中でも一番の作品だ。

前半はブローウェル編曲になるサウメル、スカルラッティ、ル・コックの数々。古い曲ということで、19世紀のルネ=フランソワ・ラコートを使用。この楽器、ぼくははじめて聴くのだが、いい。

帰りの電車の中で、ある原稿の下書きを作るも、字が汚くて、果たして何を書いたのだったか……そして、あと1時間ばかりで翻訳の1つの章が終わるはず。それまで踏ん張るつもり。

明日は大学院の2次試験。面接。5件ほど抱えている。

2009年11月5日木曜日

ぼろぼろ

2時限「アメリカ文化論II」の授業、今日はぼろぼろだった。用意した教材はうまく提示できない、用意していたはずの教材を忘れてしまっていることに気づいて立ち往生するし、おかげで話がまとまらなくなるし……泣きたくなったな。

5時限「表象文化とグローバリゼーション」は担当の先生が出張のため、彼女の話を補足するための映像を流した。そのためにちょっと説明と、授業の計画変更の説明。

あいまにいろいろな打ち合わせや問い合わせや。

クロード・レヴィ=ストロースの死を悼んでいる暇もない。もうすぐ101歳になろうとするところで死んだ人の死を悼むべきかどうかもわからない。言祝ぐべきかもしれない。松井秀喜のワールドシリーズMVPを言祝ぐべきかもわからない。ヤンキーズもジャイアンツも星陵高校もさして興味のない身としては。

2009年11月3日火曜日

勘違いなのか?

昨日の話。昨日は日曜日と休日の間の月曜日。そういう日は休みになるものだとばかり思っていた。数日前から念のためにカレンダーを確かめたら、どのカレンダーにも2日が休みだとは書いていない!

おかしいなあ、と思いながら授業をするが(月曜日は大学院の授業だけだ)、誰に訊いてもそんな制度があったためしがないと答える。

おかしいなあ。

夢を見ていたのかな? 

何かと勘違いしているのか? 

まあいい。でも今日は本当のお休み。文化の日。起きてからぶっ続けで翻訳作業。一息ついて散歩に出ようとした時には、もう暗かった。

……やれやれ。でもおかげで、だいぶ進んだ。

でもまだ終わらない。この小説、もう薄めのものならだいぶ前に終わってるくらいの分量なのだけれどもな。でもこのペースなら、これから先の授業をすべて休講にすれば、あと一週間で終わりそうだ。そんな剛胆なこと、ぼくにはできないけれども。

2009年11月1日日曜日

肖像を正三だと思ってた。

呂律が回らなかったことが気になったか、早すぎる晩年を思い、

ルキーノ・ヴィスコンティ『家族の肖像』(イタリア、フランス、1974)を。

本当は晩年を思ったわけではない。授業に備えての話。

ぼくたちにとって『家族の肖像』というと、中島みゆきが「オールナイトニッポン」か何か、ともかくラジオの深夜番組で、「か~ぞくのしょーぞー!」と声張り上げて始めていた聴取者からのはがきのコーナーの名として認識された。その後、それがそのちょっと前に撮られたヴィスコンティの映画だと知ることになり、その映画を実際に見ることになるのだが、うーむ、……とうなったのはぼくばかりではないはずだ。とても惹きつけられる。だがいったい何に惹きつけられているのか自分でもわからない、そんな感じ。16、7のころの話だ。

ヘルムート・バーガー演じるコンラッドが、実は68年のごたごたに紛れて大学での美術史の勉強を断念したなんて細部は、実はまってく覚えていなかった。彼が爆弾でやられるその論理すらも、すっかり忘れていたということだ。

そして、ついに出来:

ガブリエル・ガルシア=マルケス『生きて、語り伝える』旦敬介訳(新潮社、2009)

新潮社のこのシリーズは巻末解説に訳者とは別の人を充てるというのがしきたりになっているのか? 旦さんではなく久野量一による解説がついている。

 母は私に、家を売りにいくので一緒に来てくれ、と頼んだ。その朝、彼女は、一家が暮らしている遠くの町から遠路はるばるバランキーヤに出てきたのだが、どうすれば私が見つかるのか、まったく目星もついていなかった。あちらこちらで知り合いに尋ねてまわると、私のことはムンド書店か、その近所のカフェで捜すといい、と指示された。私が日に二回は、知り合いの物書きたちとおしゃべりするために立ち寄るところだった。母にそう教えた知りあいは、こう忠告した――「気をつけてお行きなさいよ、頭のおかしい連中ばかりだから」。(12ページ)


ほら、読みたくなるでしょう?

2009年10月31日土曜日

パーティー三昧、呂律を怪しむ

28日(水)、会議に次ぐ会議の後、大学の総合文化研究所に新たに加わった2人の新任教員を歓迎するパーティー。これまでその種の催しは研究所の応接室で行ってきたのだが、今回は特別食堂で。

捌けて後、5、6人で多磨駅前プロペラキッチンで飲み直し。

昨日30日(金)、授業の空き時間はあるものの、相次ぐ学生たちの相談にのり、必要な調べ物(ラテン語だ! Alter remus aquas,... だ!)も慌ただしく、授業を終えると、大学院1次試験を通過した学生を祝って一献。多磨駅前プロペラキッチン。まただ……2日前と同じ席に座った。

昨日は授業中もそうだったが、ワインが入るとあっという間に呂律が回らなくなった。何か悪い脳関係の病気の兆候でなければいいが、と懸念しつつ、どこかでお土産を買う夢を見ながら目覚め、今日は朝から脳を酷使。

2009年10月25日日曜日

昨夜、というよりも今朝なのだろう、ぼくは夢を見たんだと思う。「思う」というのは忘れていたから。

朝から仕事をして夢みたいな小説を訳しているうちに、夢を思い出した。新たに見ただけなのかもしれないが、だとしたら、まるで夢の記憶を思い出したように見た。夢の中でぼくは再び喫煙するようになっていたのにそれを忘れていて、何かの拍子に思い出すという役回りを演じていた。

あーあ、この間誰かに得意げにたばこをやめて数年が経つなどと吹聴していたのに、ぼくはそういえば、折りに触れて喫煙するようになっていたのだな、と……

……いや、つまり、だから、夢の話。でもいつもの喫煙の夢同様、たばこの味はリアルに口中に残っていた。ぼくは夢を見たのか、見たことを忘れていた夢を思い出したのか?

何かの書類をプリントアウトしようとして、本当にウインドウズ・マシンではプリンタが作動しなくなっていることに気づいた。ディスクからドライバをインストールしようとしてもできない。できたのはスキャナソフトだけだ。しかたがないからビスタ向けアップグレードをメーカーのサイトからインストールしてみて、どうにか作動するようになった。

ちなみに、マックでは難なく作動。

翻訳中の小説では、語り手の女性が、ある男との関係が壊れていることを、バルセローナの街の、サッカーの勝利に酔う群衆の喧噪の中で気づいた。彼女がまた壊れてしまった。

夕食後、ぼくも久々に壊れてしまった。1時間ばかりも肘掛け椅子にへばりついていた。

さ、もう少し仕事をして、今日は30枚ばかりも仕上げよう。

2009年10月24日土曜日

セブン!

大学院の入試。出題者として待機せねばならず(質問などに備えて)、1時から4時まで研究室にこもる。

その間、なのかなあ? ウィンドウズ・マシンに新型セブンを導入。ダウンロード版でしゃきしゃきと済ませた。いまだによくそのメリットを確かめるに至っていないが、ともかく、確かに軽く速くなったように思うのは気のせいか?

プリンタと相性が合わないかもと言われた……やれやれ、スノウレパードといい、セブンといい、ハイテクは信頼性に欠けるぜ。

2009年10月21日水曜日

時代に追いつく

昨夜やっと80年代を終え、今日、90年代に入った。今日は13枚。

こんなことを書くと、なんだかぼくの生活が狂っているようだ。ま、大差ない。わかる人にはわかる話。このまま96年まで行ければいい。そこから先は、ない。

そして5時頃に大学を出た。既に薄暗く、ライトをつけて走った。これは車の話。泣きたくなるなあ。

2009年10月20日火曜日

お仕事

昨日のこと。図書館主宰の連続講演会「読書への誘い」第1回。沓掛良彦氏。

ぼくはこれの係だし、何より沓掛先生はぼくの先生でもある。拝聴し、一献傾け、ふらふらになって起床。今日は法政で非常勤のお仕事。

2009年10月17日土曜日

落とし物ばかり

ジョイス・シャルマン・ブニュエル『サルサ!』(フランス、スペイン、1999)

なんてのを見たのは外語祭が近づいてきたからだ。今年のスペイン語劇は、このフランス映画の舞台をマドリードに移し替えて、脚色して作るとのこと。パンフレットに何か書いてくれと言われ、劇場公開以来ほぼ10年ぶりに見たという次第。

2つほどの名前の邂逅について書いた……いや、まだ書き終わっていない。書く。書けるかなあ? 書きたいなあ。

忘れ物を取りに大学に行ったら(こんなことばかりだ)、就職相談会とかで、1階のフロアをパーティションで切っていろいろな企業が専用ブースを立てていた。こんなことやるんだな。

探していたものが見つかる前に、なくしたと思ったものが見つかった。本来の目的は、あきらめかけたところで、目の端に、あってはならぬ場所にそれがあるのが見えた。何かが狂い始めている……

2009年10月16日金曜日

本に「冊」という単位はない

今朝、いつも通る東八道路が、この数年ではじめてのことだが、殺人的渋滞に見舞われていて、途中で道を変えて大学まで行った。

帰宅してポストに見いだしたのが、

管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』(左右社、2009)

ご恵贈いただいたのだ。こんなまるで救いのようなタイトルの本を! そしてすぐに見いだしたのが、表題の1文。「本に「冊」という単位はない」。もちろん、優れているのは、この後。「あらゆる本はあらゆる本へと、あるゆるページはあらゆるページへと、瞬時のうちに連結されてはまた離れることをくりかえしている」(8-9ページ)

これを導く渡辺一夫やヴァルター・ベンヤミン、クロード・レヴィ=ストロースらのエピソードが楽しい。ちなみに、ここに引用されているベンヤミンの読書録の通し番号の話、ぼくはスーザン・ソンタグのベンヤミン論で読んだ。もちろん、この本にこうした情報の後に「(ということをどこかで読んだ)」と書いてあったとしても、それは戦略的レトリックだ。と思う。

2009年10月13日火曜日

第8回

先日、第10回分を送付したと書いたが、入れ替わりに届きました。

『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年11月号。「愉悦の小説案内08」

今回は2回続けて翻訳されたばかりの作品を取り上げた。ロベルト・ボラーニョ『通話』「短編集だけと長編小説のように読む」

『通話』で一番人気は「ジョアンナ・シルヴェストリ」じゃないかと思うのだけど、ぼくは最後の「アン・ムーアの人生」に焦点を当ててみた。

2009年10月12日月曜日

今日も今日とて仕事ずくめ

翻訳を1章、仕上げて送付。NHKの連載の稿を仕上げて送付。第10回を送ったわけで、つまり残りはあと2回。明日の授業の準備もせねばならぬが、もうひとつの仕事のひと区切り、今日中につけられるだろうか?

そんな状況下にいながらも、ちょっとあることのついでにロマン・ポランスキー『ナインスゲート』(1999)なんてのを見て、うむ、やはり原作で火に包まれないところも映画ならば火に包まれなければならないのかと、確信を新たにする。

加藤幹郎はどこかで、映画には水が使われるものだというような趣旨のことを言っていたと思うが(うろ覚え)、水と同時に映画につきものなのは火だ。火に包まれる建物と人を写すことが映画の目的のひとつだ(だから逆に言うと、安易に火で終わらせる小説は映画に媚びを売っているだけの怠惰な作品だ)。

水と火。

うむ。何かを思わせる。何を思わせるかは、また今度。さ、仕事仕事……

帰宅

10日の劇、『ドン・フアン』はコメディア・デラルテ風というのか? の仮面劇。モリエール『ドン・ジュアン』なども盛り込んでいる。アフター・トークで古屋雄一郎さんも言っていたように、ドン・フアンの地獄落ちの処理が鮮やかな作品。モリエール風にスガナレルと名乗った道化役、つまりドン・フアンの付き人が「おれの給料」とつぶやく点も、モリエール。

懇親会。2次会。3次会。何やら不当な非難を受ける激しい集まり。寝たのは3時だった。

近年には珍しく、翌日の研究発表もフルで参加した。静岡県大はすてきな大学だった。UCLAをモデルにしていると見た。規模ははるかに小さいけど。

2009年10月10日土曜日

静岡

9日(金)は、以前書いた、NHKのアナウンサーになったという教え子が、全国版のニュース番組に出ると知らせてきたので、朝も早くからチェック、時間切れで見られないパートはHDDに録画、1限からの授業に出た。ぼたん鍋が食べたくなった。

2限の時間に車を置きに家に戻り、3限の時間は会議(やれやれ)、4限3年ゼミ、5限4年の卒論ゼミ。議論が沸騰した(やれやれー!)。

で、静岡にいる。学会なのだ。日本イスパニヤ学会第55回大会@静岡県大。今回の目玉は静岡県立芸術劇場でのオマール・ポーラス演出『ドン・フアン』の観劇。楽しみ♪

2009年10月4日日曜日

螺旋は人生のようだ

カルロス・サウラ『ゴヤ』(1999)

「螺旋は人生のようだ」というのは、この映画の最初のセリフ。「最もセクシーな画家」(オルテガ)ゴヤを撮った映画はいくつかある。それを全部は見ていないと思うが、それでもやはりサウラのこの映画は特異だろうということはわかる。ゴヤの絵を描こうという意図だけが常に何よりも前にある、そんな映画だ。

ちょっとあるシーンを確認したいだけだったのだけど、結局全編見てしまった。

明日からはフルで授業のある週が始まるというわけだ。まだその覚悟はできていない。

2009年10月3日土曜日

渋谷では落とし物ばかり

2日(金)は渋谷のペルー料理屋《ミラフローレス》。今月末から2年間ボゴタに日本語を教えに行くことになった卒業生を祝って。

落とし物をした。

今日はキューバ映画祭でトマス・グティエレス=アレア『ある官僚の死』(1966)。官僚仕事に対するコミカルな皮肉の効いた作品。スラップスティックの要素も取り入れ、楽しい映画だ。

昨夜の落とし物は無事回収。しかし、代わりに(?)傘を落とした。お気に入りの折りたたみ傘をバッグの横にさしておいたのをいつの間にか雑踏の中で落としてしまったようなのだ。

そろそろ折りたたみ部分の布がくたびれてきていたことは間違いないが、それでもまだなくしたくはなかった。

2009年10月1日木曜日

初日

授業初日。本来、レギュラーの授業はひとコマだけだが、リレー講義のとりまとめ役などで大わらわ。それになんといっても怒濤の訪問客! 休みの間、あるいは留学の間、人に、少なくとも日本語でしゃべれる人に飢えていた人々(?)や将来のことについていろいろな不安や疑問や悩みを抱えた人々など。

明日は3コマ。そして飲み。

2009年9月30日水曜日

断られ上手

仕事があって大学に行ったら、何やら人がたくさんいた。皆もう夏休みに飽きたのか? ぼくはまだひと月ほど欲しいぞ。

人にものを頼むのが苦手だ。基本的に人を信用していないからなのか、基本的に自分自身を高く評価しすぎるからなのか、自分でやれる仕事は自分でやってしまう。このことに起因するのかどうかはわからないが、少なくともこうした自分自身の性格に関係づけられる傾向が、ぼくには認められるようだ。断られ上手で頼まれ上手ということ。ろくなことはない。

誰かに何かの仕事を頼んでも、断られることが多い。ぼくだけがことさら断られることが多いのではないのかもしれないが、ぼくは何しろ食い下がることをせずにすぐにあきらめる。あきらめて自分でやってしまう。ただでさえ苦手な頼むという行為を、もうそれ以上したくないからだ。断った人のことは一生忘れない……というのは嘘。でも断った人は少なくともチャンスをひとつ減らしているのだと思ってくれないものかな? 

人にものを頼まれるのは、頼む側がまったくのところぼくを誤解しているからではないかという気がしないでもない。ここでいう「頼まれる」というのはやりたくない仕事を頼まれるということ。やりたい仕事を頼まれるのは大歓迎だ、もちろん。

このところ、頼んだ仕事を断られたことと断られなかったことが交互にあった。頼まれた仕事を忘れていて慌てた。

明日から本務校での授業が始まる。そのことに関して、やらねばならないことを忘れていて、大慌てしている。明日は1、2、5限、5限外。あいまに面談。なんだこのスケジュールは?

2009年9月26日土曜日

しゅうりょー

キューバ学校でお話ししてきました。だいぶ久しぶりの代官山。

お題は「文学を通して見るキューバ革命」。デスノエス『いやし難い記憶』が、ぼくの記憶の中にあるよりもはるかに面白い小説だという発見など、話してきた。

で、『ラテンアメリカ主義のレトリック』を数冊置いていたら、売れた! どうもありがとうございます。いやあ、置いてみるものだな、と関心。

2009年9月24日木曜日

連休が明けたと誰が言った?

まだ本務校は授業が始まらない。やれやれだ。にもかかわらず、いろいろな面倒な仕事を片付けねばならず、大学に。卒業できなかった学生のこととか、研究生として来たい学生のこととか、加えてぼく自身の先生ではない先生の教え子たちの同窓会のためのはがき出しとか……やれやれ。なんでこんなことまでしなきゃいけないんだろう?

明後日の準備もあるし。

明後日はキューバ学校「文学を通して見るキューバ革命」。資料作りしてます。

昨日はやはり2時間前に思い立ってラテンビート映画祭最終日、ちょうどキューバからの、

エルネスト・ダラナス『壊れた神々』(2008)。

キューバの映画も現代的なある映画の一方向をしっかりと示しているのだということがわかる作品。冒頭、カルペンティエールが引用されて、はっとなる。引用というか、まあ、傍証として引かれたということ。

大物売春斡旋人の遺品を巡るストーリーを確かめようとした歴史学者が、現在の晩春宿の世界の切った貼ったの話に巻き込まれるという話。その歴史的売春斡旋人を巡ってカルペンティエールの名が出されたということ。

明後日の話のマクラに使えそうな話。

2009年9月22日火曜日

5連休だと誰が言った?

非常勤先の法政は今日から授業。誰だよ、シルバーウィークなんて言ったのは?

初日で、本来は休日で午前中なのに、だいぶ学生が来ていた。長い夏休みにそろそろ飽きたのだろうか?

法政は5月の連休を埋めるべくいろいろな休日に振り替えるので、ここでは逆に振り替えられて、休日返上の登校日となる。文科省が推進する授業15週確保のための努力のひとつだ。

だいたい、1.5時間を2時間と読み替えてそれを15回(週1回)やることですべての授業を4単位とするという均一授業のあり方が問題なのだ。週数を増やさなくても、1時間の授業を週に2回やるとか、そうした時間割にすればいいだけの話ではないのか? 

昨日はラテンビート映画祭。ロベルト・スネイデル『命を燃やして』。贅沢に金を使ったことがわかる作品。

2009年9月20日日曜日

ローテクが常にハイファイ

Eモバイルの情報端末を持っていることはいつか書いたとおり。昨日出先で使おうとしたら、接続できなかった。夏休みで外に出ることも多くはなかったので、久しぶりに使おうとしたことになるのだが。前回使ってから今回までの間に、そういえば、OSが替わっている、少し不安があった。

今日、試しに家でも使ってみた。やはり接続できなかった。サービスセンターに連絡してみたら、案の定、現時点でスノーレパードでの動作は確認できていないとのこと。近似の機種のサポートソフトで代用して、しばらくはだましだまし使えるらしい。

スノーレパードになって最初に確認された変化がこれというのも、なんだかわびしい。

ま、実際にはタイムマシンの動作が軽く速くなったように思えることも変化だが。

『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』沓掛良彦・横山安由美訳(岩波文庫、2009)

アベラールとエロイーズの書簡集の新訳。去年の夏、渋谷でばったりお会いした際に、訳者はこれにかかっているのだとおっしゃっていた。それがこうしてできあがった次第。

2009年9月15日火曜日

少女は、だから、父を待つ

「愉悦の小説案内07」掲載の『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年10月号が郵送されてきた。今回は『エル・スール』。今年翻訳が出たばかりの旬を紹介してみました。

ちなみに、昨日、第9回の原稿も送付済み。連載もあと3回分書けば終わりだ。

ところで、「まいにちスペイン語」、10月から講師交代。福嶌教隆さんから下田幸男さんに。2008年4月-9月の再放送だとか。

今日はスペイン留学から帰ってきた学生の訪問を受け、(スペイン?)土産のうなぎパイをいただいた。うまし。ぼくが顧問を務める朝鮮舞踊同好会の学生に請われて顧問らしきことをし、しかる後に、会議。

そして今日も1本

火曜日に書き込んでいるが、月曜の話。イチローが9年連続200本安打を打ったのを見てから、これ。

ヘラルド・ベラ『情熱の処女(おとめ) スペインの宝石』(スペイン、1996)ペネロペ・クルス他

まったく、ジェラルド・ヴェラ監督だと。ろくに確かめもせずにこんな表記を公にして毫も恥じないDVDソフト会社の担当者には猛省を促したいな。パイオニアLDCだ。

まあそれはいい。『ラ・セレスティーナ』の映画化であるこの作品の脚色にはダイアローグ監修としてスペイン古典文化研究の泰斗フランシスコ・リコがかかわっていたことにはじめて気づいた。脚本はラファエル・アスコーナ。気合いが入っていることはわかる。

午後は会議。明日も会議。その前に学生と面接。明後日は1時から無制限3本勝負+外食。木曜日は元教え子に会う。今週は人負けがしそうだ。

2009年9月14日月曜日

今日の2本

フェルナンド・ソラナス『ラテンアメリカ 光と影の詩』
アレハンドロ・アメナーバル『テシス 次に私が殺される』

この「次に私が殺される」という日本語副題、なかなかいいな、と思ったのであった。

2009年9月13日日曜日

はじめて買ったCDは?

生まれてはじめて買ったCDは、『ザ・ビートルズ』。いわゆる『ホワイト・アルバム』だ。

もちろん、ぼくたちの世代は二十歳も超えてからCDに出会っている。そんなにはじめてに感慨があるわけではない。その前には「はじめてのレコード」があるのであって、それとは意味合いが違う。

親元を離れて以来、結局はどんなに小型化してもある程度かさばるターンテーブルは持ったことがない。けれども、レコードは買って、ターンテーブルを持っている友人たちにテープに入れてもらったりして聴いていた。だから、10歳のころから10数年かけて何十枚だか何百枚だかのレコードはあったわけだ。ひどく貧乏だったので、「何百枚」はあやしいものだと思う。百枚だってあったかどうか。でもまあ、友人のレコードをテープにダビングしてもらうなどしてもいたから、気分は何百枚ものレコードを持った。

大学の何年生のころだったか、そろそろCDの普及もかなりなものになったと思われたころ、まだ決して安くなかった小型CDプレーヤーをローンで買い、ラジカセにつないで聴き始めた。

ハードを買ったらソフトも必要だ。プレーヤーを買った足でレコード屋に向かい、CDを買うことにした。CDソフトだって安くはない。そんなにたくさん買えるわけではない。何か飽きの来ないものを1、2枚と思っていた。そこで目についたのが2枚組の『ホワイト・アルバム』。小学生のころ(中学生だったか?)、近所の年上の友人の家で聴かせてもらって以来、レコードも持っていなければその複製も持っていないビートルズのアルバムの何枚かのうちのひとつだった。だから買った。

別にビートルズ・マニアではない。もちろん、嫌いではない。だからかつてレコードで持っていたけれどもCDに買い換えたというアルバムもある。でもレコードとしてもCDとしてもダビングされたテープとしても所有したことがないというアルバムだって2枚はある。まあその程度の愛好の度合いだ。レコードで持っていたけれどもCD化されたやつを買っていないというアルバムだって何枚もある。でもともかく、ぼくの中でビートルズというのは、はじめて買ったCDのアーティストだ。

何日か前にビートルズのアルバムがディジタル・リマスター版として発売された。だから、レコードでは持っていたけれどもCDでは持っていなかったアルバムのうちから、(『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バント』と悩んだ末に)『アビイ・ロード』を買ってみた。紙ジャケットと特典映像が嬉しい1枚。

……うーん、聞き比べないことには「ディジタル・リマスター版」であることの意義など、わからないな。ぼくはそんなに耳がいいわけでもないし、そもそもこのアルバム、ずいぶん久しぶりに聴くのだし。レコードはメキシコに行く前にもうすべて売り払った。レコードからダビングしたカセットテープの数々も、テープレコーダーのない現在のステレオに買い換えるときに捨ててしまった。聞き比べようがないのだ。

聞き比べたとしてもわかったかどうか、……それはまた別次元の問題だ。

さらに何日か前の話、ミゲル・デリーベス『ネズミ』喜多延鷹訳(彩流社、2009)購入。

仕事に行き詰まった時にプリンタのインクが残り少ないとの表示が出たので、インク購入のついでに気晴らしに散歩に出たのだった。そのとき立ち寄った吉祥寺の啓文堂で見つけた次第。帰宅したら訳者から買ってくれとの案内の葉書が来てた。

デリーベスは『マリオとの五時間』と『好色六十路の恋文』なんてのを学部の授業で読んだものだが、その後この2つはいずれも翻訳が出た(後者は同じ喜多訳で、前者は同じ彩流社から)。振り返ってみると、デリーベスは翻訳された作品は多い。

2009年9月6日日曜日

2人のフェルナンド

フェルナンド・ソラナス『スール その先は……愛』(アルゼンチン、フランス、1989)
フェルナンド・トゥルエバ『ベルエポック』(スペイン、フランス、ポルトガル、1992)


タイトルに「2人のフェルナンド」などと書いたが、ここにはもうひとりフェルナンドがいた。『ベルエポック』にはフェルナンド・フェルナン=ゴメスが出演しているのだった。

金曜日にはアルモドバルのことを話題に出したが、このように過去のスペイン語圏の映画を、それもこれまで何度も何度も見たはずの映画を集中して見ることになっている。ちょっとした仕事だ。最近少しリズムをつかんできたので、この調子が途切れなければ、今年中にはものになるだろうと思う。

『ベルエポック』は、しかし、公開時に見たきり、ずいぶん久しぶりだと思う。記憶の中にあるよりもだいぶ軽妙な印象を受けた。

明日は会議。

8月の最後の会議と9月の最初の会議の間に2週間も間はなかった。そしてその間も何やら仕事関係のメール対応に追われていた。

2009年9月4日金曜日

自己満足とリアリティ

ペドロ・アルモドバル『神経衰弱ぎりぎりの女たち』(スペイン、1987)を久しぶりに見ていたら、俄然ガスパチョが飲みたくなった。睡眠薬を入れたガスパチョをロッシ・デ・パルマが間違って飲んでしまうことからいろいろとドタバタが起こる映画なのだ。あれを見てガスパチョを飲みたくならないでいるのは難しい。ピーマンはなかったけれども、トマトはあったのでトマトとタマネギだけで作った。もちろん、睡眠薬は入れなかった。おいしい。分量を考えてニンニクを少なめに入れたつもりが、逆にニンニクが存在感を示していた。

でもおいしかった。残りは明日のために取っておこう。

昨日はそういえば同じアルモドバルの『マタドール』(1986)を見た。それもこれもある仕事のためだ。『マタドール』では、冒頭近く、ナチョ・マルティネス演じるディエゴが闘牛のスウィートスポットについて講義するシーンがある。「針の穴」と字幕では訳されていたその場所(El hoyo de las agujas つまり字幕は直訳だ)に絶妙の角度で剣を突き刺すことによって牛は簡単に仕留められるのだという話。それとのクロス・カットで、女弁護士マリア(アスンタ・セルナ)の犯罪が展開される。彼女はまさにその「針の穴」の場所に髪留めを突き立てて人を殺す。この対応がわかりやすい。

このシークエンスにおける講義内容、これは映画内での主題を示唆するだけでなく、ストーリーにリアリティを付与する。こうした細部をうまく作らなければ脚本は生きない。この箇所を書くに当たって、アルモドバルは闘牛術の本の一冊も読んだのかもしれない。勉強したのかもしれない。「勉強したのかもしれない」と思わせる箇所があることがストーリーテラーの成熟を保証する。……こんなことを書くのは別のある仕事が念頭にあるから。

練習だ。

2009年9月3日木曜日

横から遮られるエクリチュール

昨日のうちに翻訳のある区切りまで終えてしまおうと思ったら、別件で校正の話が入り、元教え子から趣旨のよくわからない質問が入り、ついでに翻訳の仕事も元の文章の意味がわからなくなって数時間思い悩み、夜中の2時頃にやっと予定の場所まで終わらせたと思ったら、今日も今日とてある原稿を3項目×4ページの12ページ分仕上げ、それですら見込んだ時間よりも長引いてしまい、肩が凝ってしまい、文章がどんどんわからなくなっていく。やれやれ。書くことは読むことと同じくらい外的要素に遮られるものなのだな。

ところで、はじめてTVで観月ありさを(そのたたずまいを)見た時には、この人は誰かは特定できないけれどもある種の少女漫画家(たとえば吉田まゆみ)が生み出した人間だと分析して、友人たちから「?」「?」「?」と言われたことがある。たとえば和久井映見を見た時にこの人は『夏子の酒』を演じるために生まれてきた人だとつぶやいては、実際、後にその漫画作品がTVドラマ化されたときに主役を演じたというのに、その時点でそんなことを予見するはずのない友人たちから同様に疑問符を突きつけられたことがある。

菊地 (……)『愛と誠』のいちばん最初の映画化とか、『ドカベン』の映画化を考えると、人間というのはマンガに似せられるわけがない。人間のほうが線が複雑で、描線が少ないマンガの輪郭線ということを考えたときに、人間がマンガに似るわけがないから、マンガを映画化すると必ず生々しく気持ち悪くなる時代があった。だけど、いま『ヤッターマン』の実写と『ヤッターマン』のアニメはまったく同じで、人間がやっているにもかかわらず、同じ輪郭線で動いている。あるいは少なくともそう見える。あと、ほしのあきみたいに、フィギュアを逆に人間化したみたいな人も出てきて、実物とリアルが、少なくともオブジェクト・レベルで逆転してるという話になって。
大谷 で、自分はそこに参加できないと認識しちゃうと、圧倒的な屈辱感と敗北感が生まれるんじゃないか、という説だったんだ。格差があるとしたら賃金の格差じゃないんだと。(菊地成孔、大谷能生『アフロ・ディズニー――エイゼンシュテインから「オタク=黒人」まで』文藝春秋、2009、270-271)


なんて一節を読むと、ぽんと膝を叩かずにゃいられない。ぼくと同い年の菊地などぼくよりはるかにマンガに描ける人間であるのだから、ぼくとしてはその「格差」に歯ぎしりせずにはいられない、と思いつつも、膝を叩いているわけだ。映画における映像と音のずれなどを扱った慶応での講義の活字化。後期の授業の準備のためにもとめくった次第。

2009年9月1日火曜日

雪豹導入!

Mac OS X Snow Leopard導入。頼んでいたアップグレード版が届いたので。

「スノウ」のココロは何なのか、まだ確認できていない。確認するためにいろいろといじっている暇は、今はない。ま、ただし、「レパード」のココロだって、その前の「タイガー」やらなんやらのココロだってわかってはいないのだが。少なくとも言えることは、ディスクケースには雪をかぶったヒョウが映っていたということ。なんだかかわいい。

機材を使いたい、ついては名前を貸して欲しい、いやそのためには教室使用許可が必要だ、そこまでとは思わなかった、じゃあもういい、などという学生とのやりとりで摩耗した。摩耗する一方で、「すべての狂人は南か西を向くものだが、おれは北向きで見知らぬ男を迎え入れた」などという文章を訳しながらひとりで笑っている。

もう9月だ。

2009年8月30日日曜日

政権の末期を見、仕事の限界を見る

投票に行くと、小雨が降っていたというのに、いつもよりは明らかに投票者の数が多く、巷間伝えられているとおりの結果が出来しようとしているのだろうなと実感。

投票に行く前にちょうどいい区切りがついた翻訳原稿を送付。5日ちょっとで四百字詰め原稿用紙に換算して60枚弱。この調子で行くとぼく自身の書く原稿と併せて月三百枚ちょっとのペースになるのだな、と感慨深い。もっとも、このペースがコンスタントに続くという保証はないのだが。しかも、今やっている仕事は、このペースで行ってもなお追いつかないかもしれないのだが。

現実的な話はともかくとして、数字の話。月三百枚の話。福田和也には『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』という本があり、ぼくは不覚にもそれを読んでしまったことがあるのだけど、まあ中身はともかく、この時期福田は月に三百枚ばかりの原稿を書いていたのだそうだ。ただしこの本は、まさに「三百枚」くらいの分量の本ではあるが、改行も多い。彼の仕事がそんなものばかりだとはいわないが、文章の質によっては、そのように水増しされたものもあるだろう。それでも三百枚は驚異的な数字だ。

その後新聞で読んだのだったか、重松清が月六百枚くらいの原稿をこなしていると紹介されているのを目にしたことがある。六百枚。上には上がいるものだ。重松の場合、小説の占める割合も多いだろう。小説だろうがその他のものであろうが、何百というのはすごいなと思う。ずっと前、筒井康隆が1日小説2枚くらい書いて過ごしたいものだと書いたのを読んだ記憶がある。それならば月60枚。重松の十分の一だ。筒井は1日2枚より多く書かざるをえなかったから、仕事はそれくらいで済ませたいと書いたのだろうが、60枚でも充分多いと思うな。

以前、一週間で百枚強の分量を書いたことがある。その時の原稿はしかるべき場所に渡されたまま活字になっていない。昨年は後期授業中に五百枚ばかりの翻訳を終わらせた。それはいろいろな行き違いから本になっていない。ぼくの場合、こういう例があるから、働いてもそれに見合うだけの(そう自覚されるだけの)業績に結びついていないのだろう。「三百枚」だ「六百枚」だは、そのうちの何パーセントが実際の活字になるかも考慮に入れなければ話せない数字だ。

月三百枚。――授業のない時期だから可能な数字には違いないが、でもここ数週間、ぼくは仕事しながら、まだ自分が生産性をフルに発揮していないと感じていることも事実。限界はもっと上にあるのかもしれない。でも一方で、そんなに仕事をしていると体が保たないだろうなという気持ちもある。ぼくは生来、怠惰な人間だ。加えて目もしょぼしょぼだし、肩や背中は鉄板を入れたようにカチカチだ。

2009年8月27日木曜日

スペイン小説二題

やっぱり都会には出てみるものだなあ、と思ったのは次の2つの収穫のため。

R・S・フェルロシオ『アルファンウイ』渡辺マキ訳、スズキコージ絵(未知谷、2009)
エミーリ・ロサーレス『まぼろしの王都』木村裕美訳(河出書房新社、2009)


しかしなあ、ぼくはスペイン人(カスティーリャ語圏スペイン人)の名前をセルヴァンテスなどと表記する人間がまともにスペイン語の訓練を受けたと認めたくはないのだよな。たとえその人が上智大学外国語学部の卒業という経歴を持っていても(外語の学生にだってこうした手合いはいる)。ましてやその人がラファエル・サンチェス=フェルロシオのことをR・S・フェルロシオなんて表記していたらますます。

スペインのカスティーリャ語ではb/vの区別はない。他の国では区別を教えられたりするからともかくとして、だからスペイン人の名に「ヴァ」なんて書いていた日にゃ脱力する。あるいは日本語の表記を知らないだけなのだろうか? 

もっとも、ぼくだって掲載先があらかじめ決定し、パブリシティも済ませていた関係で「ヴォス」という表記をあたかもぼくが意図して使ったかのように使わざるを得なかったことがあるわけだから、大きなことは言えないのだけど、でもともかく、訳者の手になる後書きでサンチェス=フェルロシオが「セルヴァンテス賞」の受賞者だなんて書いてあると、ため息が出るのだよ。

ましてや、「R・S・フェルロシオ」だ。

サンチェス=フェルロシオなのだ。この際、「サンチェス」と「フェルロシオ」の間がナカグロ(・)か二重ハイフン(=)かはどうでもいい。なんならナカグロにしてもいい。でもこの人は「サンチェス」からが苗字なのだ。「ガルシア=マルケス」とか「ペレス=ガルドス」「ガルシア=ロルカ」、「バルガス=リョサ」と同じく、この人は「サンチェス=フェルロシオ」であるべき。

ぼくが大学時代に教わった、ある頑固な先生は「スペインでは誰もロルカなんて言わない。ガルシア=ロルカでなければならない」と主張していたらしいが、これはいかにも原理主義者的な勇み足。実際に「ロルカ」で済ませられることも多い。現在のスペインの首相など「ロドリゲス=サパテロ」と呼ばれることの方が少ないのじゃないか? だから上に挙げた名の人々が「マルケス」、「ガルドス」、「ロルカ」、「リョサ」と呼ばれることがあったとしても、そこに目くじら立てるつもりはない。でも少なくとも表紙の正式な著者名と認知されるべきものが入る場所に、「S・フェルシロオ」はないと思う。これではお父さん(サンチェス=マサス)がかわいそうだ。

スペイン語圏の多くの国々の人間には必ず姓が2つある。ふだん律儀に2つとも表記するかどうかは慣習の問題なのでどうでもいいが、正式書類には2つの姓の併記を求められる。ぼくだってメキシコに滞在中の許可書やカラカスでのアパートの契約書には「ヤナギハラ=オオノ」と表記していた。最初が父方の姓、ふたつ目が母方の姓。で、習慣上、面倒だから父姓だけを名乗る人はいくらでもいるが、とりわけ「ガルシア」だの「サンチェス」だの掃いて捨てるほどいる姓の人などは母姓も併記する人が多い。すると、確かに母姓だけで呼ばれる人も多い。でも、やはりいくらなんでも「R・S・フェルロシオ」はいただけない。

サンチェス=フェルロシオはハビエル・セルカス『サラミスの兵士たち』(これの紹介は閉鎖されたかつてのブログに書いた)に登場して、父親サンチェス=マサスの内戦中の体験を語り手=主人公に教えて物語を起動させる重要人物。

ちなみに、木村裕美はイベル・アジェンデの『天使の運命』を翻訳したことになっている。これはおそらく、出版社側の不注意。イベル・アジェンデだ。

2009年8月26日水曜日

何回目かの記念日が……♪

今日は誕生日。このブログのプロフィール詳細の欄、いつの間にか年齢が自動的に加算されている。そりゃそうだ。

今日は誕生日だというのに、朝から会議。当然、気を利かしてくれた同僚や事務職員のサプライズパーティなどではない。そんなものであっても困っただろうけど。勤務先が誕生日を祝うなど、管理の一形態じゃないか。

大学からほど遠からぬところに深大寺がある。深大寺の前には数十件のそば屋が軒を連ねる。これをして深大寺そばというのだ。そんなそば屋のひとつで昼食。

で、今日はこれから、今日がぼくの誕生日であることなど知らない人々と会う予定。

2009年8月24日月曜日

お台場参り


前回、屋形船で野崎参り、と書いたのは、もちろん、事実ではない。東海林太郎の歌った「野崎小唄」(野崎参りは/屋形船で参ろう♪)のこと。実際には屋形船で行ったのはお台場。ガンダムは見えたとか見えないとか……

とある酒場が得意客サービスとして行った納涼屋形船遊びに便乗した別のバーがあり、その辺から話が回ってきてぼくも夕涼みに行ったという次第。台場沖には大小様々な屋形船が浮かんでいた。飲み放題、刺身やら天麩羅やらの食事つき、2時間。

二日酔いはしていないはずなのだが、本当は昨日までに終わらせると予告した仕事を一日遅れで仕上げ、送付したときにはすっかり薄暮に包まれていた。風がだいぶ涼しくなっている。もう秋だということか? 

2009年8月22日土曜日

もうすぐ……

「もうすぐ夏休みが終わる」などとラジオか何かで言っていたが、冗談じゃない。ぼくはまだ夏休みにすらなっていない。信じられないかもしれないが、木曜日には会議があり、成績は期限内にどうにか提出を済ませ、今日も今日とて日本イスパニヤ学会理事会というやつで名古屋まで出張。

これが終わったら屋形船(で野崎参り?)とか、遅れを取り戻すかのような計画が待っているが、……

ここに既にぼくの仕事の予告が出ているのを見たりすると、ここからが書き入れ時と励むしかないのかと観念するのみ。

……名古屋に行ってきます。

2009年8月18日火曜日

これも代理PR

キューバ映画祭2009@ユーロスペース

初日はぼくは他のイベントに出なければならない。「キューバ学校」というやつ。そこでちょっとばかりお話しすることになっている。

ところで、信じてくれないかもしれないが、いまだに採点が終わっていない。まあ締め切りはまだなのだから、それでもかまわないといえば言えるのだが。

決して怠けているわけではない。そればかりにかかり切りになっているわけでもないから、こうなのだが、何しろ、読まなければならないレポートやら授業中の課題やらが多いし、ぼくはそれにいちいち感情的に反応してしまうしで、エネルギーを要する。

2009年8月14日金曜日

勝手に身代わりPR

相変わらずパブリシティが遅れがちなこれ、今年もやります。もう「ラテンビート・フィルムフェスティバル」とは名乗らないのかなあ? 第6回LATIN BEAT FILM FESTIVAL(ラテンビート映画祭)

今年の売りはゴヤ賞を総なめにした『カミーノ』か? アンへレス・マストレッタの同名の大作を映画化した『命を奪って』なんかもポイントか?

去年の12月にグワダラハラのブックフェアに行ったら、マストレッタのこの映画化作品を巡る討論会があって、覗いたのだった。アンへレスおばさん、客席から舞台に向かう途上で既に四方八方に大げさに手を振ってスター気取り、1984年の原作発表当時から映画化の話があったものの、それが運命に翻弄され、やっと今になってできあがったと、苦労話をしていた。「あなたの小説には勝ち組の人しか出てこない」とのある批評家の指摘にはすっかりご機嫌をななめにしちゃって、そっぽを向いていた。絵に描いたようなオカマっぽい別の批評家が取りなしたりして、あれはなかなか面白い討論会であった。

映画のできは、見てないのでわからない。見ておこう。

ブレヒト『母アンナの子連れ従軍記』谷川道子訳(光文社古典新訳文庫、2009)は、長く『肝っ玉おっ母とその子供たち』として知られたブレヒトの代表作。2005年に新国立劇場で大竹しのぶ主演で舞台に架ける際、『母肝っ玉』として新訳を使った。その新訳をやったのが谷川さんで、それをもとに出版されたのが、これ。めでたい。

2005年のものが今、本になるのだから、今年の1月に仕上げた訳がまだゲラにもならないことにじりじりしていてもしょうがないのだな。

2009年8月12日水曜日

まだ青

今日は運転免許証の更新に行ってきた。警察の陰謀により一時停止場所不停止で罰金を食らっているので、まだ青だ。いつまで経ってもゴールドにはなれない。青だ。

きっと今日あたり試験場は混んでいて駐車場に入れるには待たなければならないだろうと予想したので、武蔵小金井の駅からタクシーで行った。案の定、いっぱいだった。

何を血迷ったか、帰りは徒歩で帰宅した。

武蔵小金井まで歩こうと思ったのだ。タクシーでワンメーターだし、ゆっくり行こうと。そしたら途中で、このレストランはまだあるかなと確かめたくなったのだ。まだあった。でも、ここまで来たら、右に行っても左に行っても同じだと思い、左に歩いているうちに、このまま家まで歩いてしまおうと思った次第。

2時間ばかりもかかった。とは言え、昼食を摂ったり、今度のイスパニヤ学会理事会のために駅に寄って(どういうわけか、会うはずもない教え子に会った。ばったりと)新幹線のチケットを買ったりしていたので、正味、1時間半というところか? 

灼熱、とまではいかなくても、そこそこ熱い太陽に照らされ、よせばいいのに熱吸収率の高い黒のポロシャツを着ていたぼくは、ふらふらになり、途中、何度もシャツを脱いで上半身裸になりたい衝動に駆られた。

南海の孤島(本当は「孤島」ではないのだけど。群島のひとつだ)で育った人生最初の15年間、夏にはこうして汗をかき、シャツを脱ぎ捨て、上半身裸で過ごすことも珍しくはなかった。夏とはこうしたものだった。日差しと汗、上半身裸、くたくたに疲れての帰宅、扇風機、大量の水、昼寝。

来るべき筋肉痛。

免許証の顔写真は更新するたびに情けなくなる。

2009年8月8日土曜日

早めの到着

いつもより何日か早めに届いたのは、お盆の関係だろう。『NHKラジオ まいにちスペイン語』9月号

今月の「愉悦の小説案内」はボルヘス。『伝奇集』。

これが来たということは、そろそろ2ヶ月後の原稿を出さねばいけないということ。出さねば。

2009年8月7日金曜日

マンモスびっくり!

不良上がりのチャラ男が二人、立て続けに薬物関係で逮捕され、いずれも妻が美しくけなげ、なんでこんな男にだまされたのか……というイメージだったため、悲劇のヒロインになりかけていた、というと語弊はあるが、少なくとも彼女たちに同情的な報道がなされていた、と思ったら一転、二人目の人物の妻は覚醒剤所持で逮捕状が出たというから、大騒ぎ。逮捕されたチャラ男ではなく、泣き崩れ、悲しんでさまよい、行方知れずになったはずの妻こそが実は覚醒剤の常用者か? という話になっている。

でもなあ、NHKの7時のニュースを見ながら食事していたぼくは、トップにそのニュースが来て、10分もその話題に費やしたのを見ながら不思議に思う、それほどのニュースヴァリューがあるのかな? 薬物で逮捕される人間が何百人、何千人いるのかはしらないが、少なくともひとりや二人でないはず。そんな数ある罪人……いや、容疑者のひとりが女優・歌手であるということはそんなに大事なのかなあ?

あ、でもぼくだって時々、年甲斐もなくうれピー! なんて言っているんだから、彼女の影響下にあるということか? それだけ絶大な影響力を持った人物ということか?

昨日は元教え子たちと食事、酔っぱらって帰宅、今日は秘密の会議。2年連続で2つも秘密を抱えることになっている。

2009年8月5日水曜日

尹(ユン)とペン

採点がいつまで経っても終わらない。


手前はラミーのサファリ。赤がかわいいペン。

向こうはご恵贈をいただいた。

尹慧瑛『暴力と和解のあいだ――北アイルランド紛争を生きる人びと』(法政大学出版局、2007)

北アイルランドの連合維持派、いわゆるユニオニストを扱ったもの。うむ。「拡大型ナショナリズム」なんてものをかつて扱ったぼくには斜めから光を射すような書。夏休みの課題図書だ。

まだ夏休みには入りきれないのだけどね……。

2009年8月3日月曜日

昨日のこと

昨日は世田谷美術館に『メキシコ20世紀絵画展』というものを見に行き、帰りはメキシコ料理。ひと言で言って、メキシコ三昧の1日……なのか?

「メキシコ20世紀」というと、どうしても壁画の印象が拭えないけれども、その壁画で有名な巨匠たち(リベラ、オロスコ、シケイロス、ということ)のタブローのいくつかに加え、ロベルト・モンテネグロだとかガブリエル・フェルナンデス・レデスマといった人々の作品群を展示している。今回の売りは本邦初展示のフリーダ・カーロ「メダリオンをつけた自画像」で、チケット、チラシなどもそれを全面に押し出し、この作品だけ特別に贅沢に展示している。だけどカーロはこれひとつ。ちょっと前に見に行った教え子がそのことを嘆いていたけれども、まあメキシコ20世紀はフリーダのためだけにあるのじゃない、ということか?

名古屋市美術館蔵のホセ・グワダルーペ・ポサーダ版画展を併設、「利根山光人とマヤ・アステカの拓本」も楽しい拓本実践コーナーつき。

2009年8月1日土曜日

祝!

ぼくにも先生と呼べる人がいる。

そのうちのお一方が3月で慶応大学を定年退職されたので、その祝賀会を弟子筋で執り行った。それが昨日(7月31日)のこと。

清水透先生というその方は、ぼくが大学に入学した年、メキシコ民俗学史上重要な本であるリカルド・ポサス『フワン・ペレス・ホローテ』を翻訳し、かつ、この本でインタビューされているフワン・ペレスの息子にご自身がおこなったインタビューを編纂して続編として付し、『コーラを聖なる水に変えた人々』というタイトルで出版された。現代企画室インディアス群書の第1回か2回の配本だったはず。大学1年だったぼくは当時まだガリ版刷りだったサークルの機関誌にこの本の書評を書いた。サークルに協力してくれていた大学院生たちが先生にその機関誌を持って行って見せたようで、書評は著者の知るところとなった。

ぼくは彼のいわゆる教え子ではないけれども、やはり喜んでくださったのだろう。その後、初対面の人にぼくを紹介するたびにこの話をする。たいして面白い書評でもなかったと思うので、こちらとしては照れるばかりだが。

『コーラ……』を出したころ、先生は今のぼくよりも若かった。

宴は恵比寿のメキシコ料理店《エル・リンコン・デ・サム》で行われた。タクシーで帰宅し、ベッドに潜り込んだときには3時近かったと思う。

2009年7月27日月曜日

33

25日はオープン・キャンパスで、盛況であった。その後、杉浦勉さんの一周忌兼出版記念パーティ。2次会、3次会とハシゴして帰り着いたのは3時であった。

(翌日、杉浦さんのカルペンティエールの翻訳の担当だった編集者、津田新吾さんの訃報を受け取った。ぼくは一度しかお会いしたことがなかったが、『春の祭典』を訳していると言うと、余勢を駆ってホセ・レサマ=リマ『パラディソ』も行きませんか、と誘いをかけてくださった。結局、その仕事はしていないが。死ぬ年齢じゃない人物の訃報に触れるのは、常につらいものだ)

日曜日は元教え子たちと食事。昼食のつもりが夕食まで。

今日はこれから講演会。

表題、「33」の意味はこういうこと。「ああ忙しい」とかなんとか打とうとして、半角アルファベット出力になっていることに気づかず、「33」を打った。カナ入力だと変換せずにひらがなのままにするために楽なしかたはすぐにenterキーを押すこと。だから押した。そしたら表示されてしまった。誤入力(出力)に気づいてタイトルを書き換えようとも思ったけど、意味不明な「33」が掲げてあるのも悪くはないのではないかと思い直し、そのままにした。説明してりゃ世話ないのだが。

2009年7月24日金曜日

その続き

杉浦さんに関連して、こんな引用記事があります。

ちょっとPCの不具合で、もらったメールをいくつか紛失している。大切な用でメールしたのにぼくから返事をもらってない方、もういちどメールください。

明日はオープン・キャンパス。専攻語別説明会に立ち会います。

2009年7月23日木曜日

出来!


ぼくが校閲に協力した、亡き同僚杉浦勉さんの本ができてきました。

杉浦勉『霊と女たち』(インスクリプト、2009)

ほぼ3年周期で本を出してきた杉浦さん(そのことをかつて『水声通信』に書いた)のジンクスを守るかのように、『ブニュエル著作集』から3年目の今年、出版。杉浦さん初の単著だ。

2009年7月21日火曜日

重い

法政の最終日。最終日なので無理せず、むしろ早めに終わったのだが、さすがに疲れが出たのか? 家に帰ると体がグンと重くなり、椅子に縛りつけられたようになる。

まだ終わりではない。明日もある。金曜日まである。土曜日はさらにオープンキャンパスだ。

2009年7月20日月曜日

3作目

岩波文庫にボルヘスが入るのはこれで3冊目だ。

ボルヘス『続審問』中村健二訳(岩波文庫、2009)

それから、なんと!

サルトル『自由への道 1』海老坂武、澤田直訳(岩波文庫、2009)

6分冊になるのだそうで、つまりは『ドン・キホーテ』なみの長さじゃないか。これは新訳だ。サルトルがこうして岩波文庫に入るなんて……

フローベール『ホヴァリー夫人』山田𣝣訳(河出文庫、2009)

は、かつての中公の世界文学全集の一冊を文庫化したものらしい。自社のでなく、中公の。

もうすぐ日食が見られるのだという。実家の近辺は大わらわだと。日本で見られるのはぼくが生まれた年以来だとのこと。

ぼくは1991年、メキシコ在住時に皆既日食に立ち会っている。大学のキャンパスにいたら誰かがやってきて、日食を見るための眼鏡を買わないかと言ってきたので、それで見た。太陽が隠れた瞬間、そこらへんの人間たちが遠吠えをしているように思われた。自動車は一斉にクラクションを鳴らした。3分ばかりも暗くなっていると、少し寒くなった。

2009年7月17日金曜日

終わった!

地域基礎が今日、終わった。やれやれ。

ただし、膨大な量のレポート採点が待っているが。

いつからか知らないが、1年生たちはそれを「チキソ」と呼んでいる。なんだか悪態をつかれているみたいだ。チキソ。

2009年7月15日水曜日

今月は水色

届きました。『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年8月号。

今月の「愉悦の小説案内」はカルメン・マルティン・ガイテ『マンハッタンの赤ずきんちゃん』。最初「です・ます」調で書いたら違和感があると言われたので、書き直した。

つい最近、その2ヶ月先の原稿を出したばかり。そんな風に時間は進んでいく。

2009年7月14日火曜日

もう20年以上前のこと

法政の演習の授業ではスティーヴン・フリアーズ『マイ・ビューティフル・ランドレット』(イギリス、1985)を見た。

この映画あたりからなのだ、原題(?)のカタカナ表記が映画の邦題として使われて気持ち悪いな、と感じ始めたのは。少なくともぼくは。

サッチャー政権下の新自由主義経済政策下で仕事がなく暴徒化し、移民排斥に動く白人下層階級と移民、その愛憎とホモセクシュアルな関係、そういったものを扱っていまだに有効な映画。ダニエル・デイ・ルイスに注目したのもこれが最初だった。

1985年。近頃何かと話題の村上春樹の小説の設定より1年後の映画。ぼくは大学生だった。

2009年7月12日日曜日

リベンジ!

今日こそは間違いなく都議選の日で、投票に行ってきた。

でもなあ……こんなわかりやすい二大政党戦なんて、いつからこんな状態になったのだろうな……。ぼくたちの向かう先はそこで良いのか? と思う。自民の没落とか民主の躍進なんてことは問題ではないのだよ。生活者ネットとか社民党とか共産党といった少数政党がますます生きづらくなることが問題なのだよ。あれかこれか。una de dos.

一方、ここ数日で買った本。

セイバイン・ベアリング=グールド『人狼伝説――変身と人食いの迷信について』ウェルズ恵子、清水千香子訳(人文書院、2009)
J. L. ボルヘス『創造者』鼓直訳(岩波文庫、2009)
ヴァレリー・ラルボー『恋人たち、幸せな恋人たち』石井啓子訳(ちくま文庫、2009)


あ、そうそう

ドストエフスキー『罪と罰 3』亀山郁夫(光文社古典新訳文庫、2009)

で、『罪と罰』が完結した。めでたい。

ぼくの訳はなかなか終わらないな……

2009年7月5日日曜日

間一髪

昨日のこと、ちょっとした所用で車で出かけた。帰路、アパートの駐車場までもう数メートルというところで信号が赤に変わった。直前の車が駐車場入り口をふさいでいる。ぎりぎりのところで待ちぼうけを食らったというわけだ。

そのこと自体は珍しいことではない。よくある話だ。目の前で入り口をふさいでいる車に枯葉マーク(というのか? まさかね。高齢者マーク)がついていたことも、まあよくある話。軽トラックで黄色ナンバーだから、何か自営業でも営んでいるのだろう。これもまたいつもの風景。

が、しかし、……信号待ちで停まっているはずの直前の車が少しずつこちらに向かってバックしてくるのだ。

わずかに傾斜がついているので、軽トラだし、ということはマニュアル・トランスミッションだろうから、ブレーキをちゃんと踏んでいなかったりハンドブレーキを上げていなかったりすると、後ずさることもあるだろう、そんな地形だ。この車もそうなのだろう。

ぼくはクラクションを鳴らした。軽く、2度ほど。

気づかない。軽トラはまだ後退を続けている。

少し強めに鳴らした。

……まだ気づかない。

「この☆※*★◎!」と叫びながら(なんと叫んだかは、まあ、秘密だ)力強く、長く鳴らし続けた。事故直後のように。

それでやっと気づいたらしく、慌てて前進し、さらに前にいる車との距離を縮めた。

ふう。助かった。すんでのところで、こちらに何の過失もないのにちんけな事故を起こすところだった。

今日の話、あ、投票日だっけ、都議選? と思って、確認もせずに投票用紙を手に家を飛び出した。

投票所になっている中学の少し手前で、犬ならぬ猫を散歩させていたらしい中年女性が驚いたような顔をしてぼくを見た。ぼくと投票用紙の封筒を見た。彼女はすれ違いざまじろじろと見つめて目を離さない。彼女の連れている太った猫のように胡乱な目だった。

  !

彼女とすれ違い、だいぶ経ってから気づいた。今日は投票日ではなく投票日1週間前なのだ。

やれやれ。子供のころから早とちりで困る。

2009年7月4日土曜日

満身創痍

怪我をしたのはぼくばかりでない。ぼくの愛するマックも何やら気分が悪そうだ。

しかたがないから夕食後は、カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(1928)などを見ていた。アントナン・アルトーが告解を聴いてやる時の姿勢が忘れられない。

2009年7月3日金曜日

あっという間に忘れてしまう

もう7月だなんて信じたくないものだから、7月に入ってもブログを更新せずじまい。

ちょっとした怪我をして、もう死んでやると言わんばかりの大騒ぎ。一段落仕事を終え、やっと山を乗り切ったというところか? まだまだ山はあるのか? 

マリオ・メンドーサやホルヘ・フランコの映画化作品のDVDをいただき、最近導入のHDD-DVDプレーヤーでも観れるので大喜び。

さて、ところで、今日、1年生の授業が終わった後、学生が質問に来た。教材に関しての質問。

探偵がいる。その探偵に相談に来たジャーナリストがいる。ジャーナリストはある友人から紹介されてその事務所にいる。その友人からジャーナリストに電話だと、探偵の秘書が告げに来る。その場面の意味がわからないのだそうだ。

幾度か質疑応答があって、それでもどうにも話がかみ合わない。

あはん。なるほど。電気がついた。

「君、ひょっとして、なぜ友人がジャーナリストに電話するのに取り次ぎが必要かと思ってない?」
「思ってます。本人の携帯にかければいいでしょ」
「つまり、秘書は携帯を持ってこの場に現れたと思っているわけね?」
「違うんですか?」
「君は固定電話というものを知ってるかな?」
「知ってますけど……」
「で、この話が携帯以前の話だということに気づいてないのかな?」
「?」
「友人は探偵事務所の固定電話にかけてきたのだよ。ジャーナリストがここにいることを知っていたから。で、秘書が取り次いだ。探偵の事務所で、それを内線で取った。この関係、わかる?」
「ああ、そういうことだったんですね!……」

そういえば村上春樹『1Q84』。1984年を扱っているから、時々携帯も(場合によっては留守電も)ないコミュニケーションが描かれていて、瞬時、戸惑うことがあった。

テクノロジーがもたらす生活の限界なんて、あっという間に忘れてしまう。

2009年6月28日日曜日

壊す、怒鳴る、発砲するペ

昨日はウディ・アレン『それでも恋するバルセロナ』、ハビエル・バルデム、スカーレット・ヨハンソン他を、新宿ピカデリーで見た。

冒頭、ジウリア・イ・ロス・テラリーニというバンドの「バルセロナ」という曲が流れて、これがまたすばらしい。バルセロナの駅の外壁とタクシーの色彩のバランスはウディ・アレンというよりもアルモドバルを思わせる。途中、野外での親密な人々のみに取り囲まれた小音楽会のシーンが出てくるのだから、これはもう本当にアルモドバル。

そういえば、ペネロペ・クルスも出ていた。

ペがアカデミー助演女優賞をもらった作品だった。誰かが言っていた、英語で話すときのペネロペってわざとらしく舌足らずな感じなのよね、と。で、今回はスペイン語になったり英語になったりだが、破滅型の芸術家を演じて、なるほど、きっとアメリカ合衆国の観客にはこんなペネロペは新鮮なのだろう、という印象。

その後、本屋を冷やかしていると、こんな一冊を見つけた。

佐竹謙一『概説 スペイン文学史』(研究社、2009)

主に演劇を扱ってきた佐竹氏が詩や小説にも目配りして、20世紀までを概観した一冊。

夜は大学時代の友人たちと飲む。

2009年6月23日火曜日

トンチンとはなんぞやととんちんかんに質問する

法政には比較経済研究所というのがある。専任教員が任期付きでそこの所員を兼ねる。現在所長をしている人が、ぼくが3時限の授業を終え、4時限の演習の授業に向かおうとしていると、大教室の前で手招きしていた。

これから比較研の講演だから学生つれて聴きに来てくれよ。

というわけで、急遽、今日の授業は講演を拝聴することとなった。坂本優一郎さん(大阪経済大学)の「軍事・財政国家と投資社会の起源」

イギリスの18世紀を、従来の弱い国家と見るのでなく、「軍事・財政国家」として見直すジョン・ブリュア(『財政=軍事国家の衝撃』)の議論を受け、その時代のイギリスに「投資社会」の成立を見ようとする試み。「トンチン式年金」というものの導入による財政の作り方など。なかなかに面白かった。

何かに追い立てられている

東海地方ではロラン・バルトがよく読まれている。とりわけ静岡県GLI市と同GLE市では、バルトを知らなければ中学に入れない、というほどの勢いだ。

統計資料を示されながらそんな説明を受ける。ちなみに、GLI市GLE市というのは、頭文字や略語でなく、こんな名の市が存在する。

……という夢を見て目覚めた。

いったいぼくは何を抑圧しながら生きているのだろう? 

授業でバルトの話をしようと思っていたわけではない。不思議だ。

2009年6月22日月曜日

雨が降る、イワシが降る


雨のしたたるあじさい。こんなものに涙を落とす日々。

……なんちゃって。

なにやら忙しかった。ぼくらの仕事にも秘密にしなければならないものがいくつかあって、そんなものにかかずらわっていた日にゃ、がんじがらめになる。

そうこうする間も、何の因果か、「ヨーロッパを考える」などという授業の担当回が差し迫ってきて、さて、どのように授業を組み立てたものかと思案に暮れる。

6月の5日、ペルーの軍隊がアマソニーア地方の住民と衝突して犠牲者が出た事件に関連して、所属する学会の所属するグループが声明などを出し、その賛同を得ようとしてMLで呼びかけ、みんながそれに返答する形で賛意を表明するものだから、たまりかねて、頼むよ、こうしたことは差出人だけに返答しようよ、と訴える者があり、いや、その気持ちはわかるのだけど、こうした場合だからMLメンバー全員に知らせることが必要なのだとの反論も寄せられ、メールボックスにメールがあふれた。

ぼくたちはこうした厄介さとつきあわなければならない。

今日、大学に着いたら、ちょうど行き交った2年の学生から、「先生は学生時代、どんな学生でしたか?」「なんで今の職業に就こうと思ったんですか?」との本質的な質問。彼らは彼らなりに人生の厄介さに思い悩んでいるらしい。

『1Q84』は暴力と可能世界、オウム真理教に取材した成果であろうある種のコミューンのあり方などが展開されていて、気に入っている。実は、たとえば『ねじまき鳥クロニクル』や『海辺のカフカ』は今ひとつ気に入らなかったのだが、これは久々に良いと思っている。

でも最近、ある学生の出身高校にオタマジャクシが降ったなどというニュースが流れ、イワシの降ったところすらあるらしいと聞き、ああ、これは村上春樹だな、と『海辺のカフカ』を思い出した。

2009年6月14日日曜日

お買い物♪

結局、同じくシャープのアクオス、少しだけ大きい26型を買ったのだった。テレヴィジョン受像器の話。ディジタル・ハイヴィジョン用のHDMI端子でつないだら、なるほど、美しい。松井秀喜の鼻毛まで見えそうな勢い。


原稿をひとつ仕上げる。そして明日の授業の予習など。やれやれ。できればこの新規導入のディジタル・ハイヴィジョンTVでも眺めて生きていたいことだ。

2009年6月13日土曜日

ボーナス商戦?

非常勤で行っている法政大学経済学部演習の授業。正式の担当者の意をくみ、エクストラで学生たちの研究発表会というものをやった。市ヶ谷キャンパス内の外濠校舎という新しい校舎。なかなかすてきだった。そして、その後、懇親会。

朝のうちに、あるDVDをチェックしようとTVをつけたら、どうやら壊れた模様。つかなかった。

やれやれ、ボーナスを当て込んでの戦略か?

出始めのころの液晶テレビ、シャープのアクオオス20型で、だいぶ張り込んで買ったのだが、同じ商品、同じサイズなら、今では4分の1ほどしかしないことを知って少し安心。

うーむ。それだけに、あまり長時間TVを見る方ではないぼくとしては、まだ元を取っていないとの意識があるぞ。

市ヶ谷に出かけていく途中、寄った本屋で買ったのが、以下のもの。

チャトウィン、フエンテス『パタゴニア/老いぼれグリンゴ』芹沢真理子/安藤哲行訳(河出書房新社、2009)

池澤夏樹個人編集世界文学全集のII-08。チャトウィンは読んでいないので。

それから、鴨下信一『日本語の学校――声に出して読む〈言葉の豊かさ〉』(平凡社新書、2009)

いとうせいこうが絶賛していた一冊。

2009年6月12日金曜日

いろんなものがやってきた

鹿島茂はいつものごとく黒ずくめでやってきて、原稿も用意せずに1時間と20分ばかり、歴史の表象としての文学の研究について話した。

懇親会。

明けて今日は朝から4コマの授業。疲れた。

帰ったらいろんなものが届いていた。注文していた『チェ』1、2章パック(日活)。

次に、『NHKラジオ まいにちスペイン語』7月号。今回の「愉悦の小説案内」は『ペドロ・パラモ』。まだまだ王道だろうか? 次回あたりは大きく旋回します。おお、そういえば次々回の原稿を入れねば。

しかし、なんといっても特筆すべきはこれ。ロベルト・ボラーニョ『通話』松本健二訳(白水社、2009)


刊行が遅れていたボラーニョ初の翻訳。「通話」「刑事たち」「アン・ムーアの人生」の3部、14編からなる短編集。ああ、今日のうちに読み終えることができないのが残念!

次は『野生の探偵たち』だ。ボラーニョは続々出る。

2009年6月10日水曜日

昔は良かった?

ラテンアメリカ学会は無事終わった。無事かどうかはわからないが、終わった。事前の予想より出席者が多く、コピーなどに思いのほかかけずり回った。

翌日からもう授業だ。休んでいる暇がない。

昔は……昔というのは、大学院の学生や非常勤暮らしをしているころの話、そのころには日曜日に学会に出たら翌日は休んでいたような記憶がある。いや、そもそも月曜日に仕事なんかなかったからだが。ともかく、そのせいか、イベントがあると翌日休まなければ落ち着けない。なんだか失われた日々を生きている気分。

あ、そうそう。明日、大学院多分野交流という授業の一環として、鹿島茂の講演、あります。受講者でなくても出席可。18:15- 422で。

2009年6月5日金曜日

いよいよ大わらわ

明日から2日間、東京外国語大学で開きます。日本ラテンアメリカ学会第30回大会

今日は6時まで授業で、その後、会場の設営やら何やらとたっぷり汗をかいた。あいにくの雨。明日も雨。たぶん。

研究発表、講演など以外に、記録フィルムの上映やら劇団によるパフォーマンスやらと、何やら楽しげだ。非会員でも参加は可。

2009年6月4日木曜日

今さら……か?

今日、10:40から、ジェフ・レッサーの講演会を行います。@107教室。以前、ダウンロードできるようにしたチラシをどうぞ。

ラテンアメリカ学会の講演に招聘した社会学者。今日はその後、学会関係の準備をいろいろとして、それから、留学から帰った学生を迎えての飲み会。まったく、いちばん忙しいはずの金曜日を前に、決まってこんなことがある。

ところで、学会の葉書を整理していて気づいたこと。意外にも2日目午後、締めのシンポジウムだけを聴きに来る(予定)の人が多いということ。ぼくは実はこのシンポ、滅多に出たためしがない。

いろいろなところにいろいろな欲望がある。

2009年6月1日月曜日

気もそぞろ

そういえば、報告を忘れていた。ご恵贈いただいた本。

竹沢泰子編『人種の表象と社会的リアリティ』(岩波書店、2009)

もう6月になった。今週末にはラテンアメリカ学会第30回大会が外語で開催される。その準備に大わらわ……というわけでもないが、気もそぞろ。以前この大学でラテンアメリカ学会が開催されたのは、もう四半世紀ばかりも前のことだとか。意外なことだ。ぼくが学生のころの話だ。当然のことながら、そんなものがあったなどと知らなかった。

今日になってもまだ出欠確認の葉書が届いていた。やれやれ。

焼き肉を食べたり、酒を飲んだり。

2009年5月31日日曜日

文章修行

ぼくは文章についての多くを村上春樹から学んだ。

なんちゃって。

……これは村上春樹のデビュー作の真似。確かに村上春樹はぼくがそろそろと小説などを読み始めた頃にデビューした作家で、彼のデビュー当時からぼくは読んでいるし、ぼくの読者デビューから彼はぼくの前にあるわけだが、「多くを学んだ」というほどの存在かどうかはわからない。

でもまあ、今回は天吾というゴーストライターが「ふかえり」という高校生の書いた小説をリライトするという話が2大プロットのひとつを形成しているので、書くことについての記述がある。昨年、大学院の授業で読んだホルヘ・ボルピの『狂気の終焉』という小説でも主人公が作家になっていく過程で書くという作業についての示唆的な記述があった。こうした記述を読むと、ふむふむ、参考になるなあ、などと感心してしまう。

さて、今回の村上春樹。というか、天吾青年、「ふかえり」の小説『空気さなぎ』をリライトしながら、こう説明される。

 書き直しの結果、原稿量はおよそ二倍半に膨らんだ。(略)
 次におこなうのは、その膨らんだ原稿から「なくてもいいところ」を省く作業だ。余分な贅肉を片端からふるい落としていく。削る作業は付け加える作業よりはずっと簡単だ。(『1Q84』BOOK 1 129ページ)

最初に書く作業より推敲の作業、書き直しの作業ははるかに大切だ。それにはずっと時間がかけられるべき。それは大江健三郎だってガルシア=マルケスだって言っている。しかし、今回ぼくがびっくりしたのは、引用の最後の1文だ。「削る作業は付け加える作業よりはずっと簡単だ」というくだり。

もちろん、これは天吾青年のことであって、それが必ずしも村上春樹のこととは限らない。でも、ともかく、誰かが書き直しの作業において付け加えるよりも簡単に削ることができるというのは、新鮮な驚き。ぼくはまったくその逆なのだ。

まだまだ修行が足りないな。きっとぼくは、ろくに書かないものだから、たまに書いた文章に固執してしまうあまり、削ることができないのだろうな。道理で推敲に時間がかかり過ぎるわけだ。

ところで、あの村上春樹すら「「なくてもいいところ」」と強調・テーマ化の「 」を使っている。どうしたものかね……

ぼくは文章についての多くを村上春樹から学んだ。

2009年5月30日土曜日

ぼくたちはどこへ向かっているのか?

村上春樹新作、発売初日に68万部との見出しがヤフーのトピックに躍っていた。そういえば、昨夜、既になかったなと思い出す。

諏訪湖



へのオリエンテーション旅行に出かけ、金曜日に戻ってきた。大学に戻っていろいろと用務をこなしていると4年の学生と行き交い、質問を受け、ついでに食事へ。吉祥寺でワインを2本ばかりも空けて駅に向かう途中、ブックファースト(ここは昔違う名前の本屋だったのだが、いつの間にかブックファーストに回収されたようだ)がまだ開いていた。寄ってみたら、既に第一巻はなくなっていた。

翌日、つまり今日、近所の本屋で買ってきた。あるところにはあるのだよ。

村上春樹『1Q84』全2巻(新潮社、2009)。

「全2巻」と書いたが、Book 1 とBook 2と書かれている。文字通り(?)、1984年の話で、Book 1が4月―6月、Book 2が7月―9月。「青豆」という姓の30歳の女性(殺し屋)と「天吾」という名の29歳の男性(予備校教師、ゴーストライター)の話が交互に語られていく。

「初日に68万部」というのは、消費者の手に渡った数ではない。もちろん。書店に流通した数のことだ。村上春樹なら売れるだろうというので、各書店が大量に注文する。もちろん、各書店もただ頼むのでなく、予約状況などから売れそうな数を読んで注文する。それが積もり積もって68万部。でも、書店の読みが正確だとは限らない。上方下方を問わず、読み違いもあるだろう。でも68万部という数は何か変だと思う。すぐに買ってしまったぼくが言うのも説得力のない話だが。

でもともかく、そんなわけで、吉祥寺ブックファーストでは売り切れても、地方の駅前の町の本屋さんではまだ買える。それが流通というものだ。

2009年5月27日水曜日

一週間を終える

今日、法政の授業を終え、これで今週は一週間の授業が終わった。明日(もう今日か? 27日水曜)はボート大会のため休講。翌日からは新入生オリエンテーションで諏訪湖に。

もちろん、明日は会議などがあるのであり、仕事がないわけではない。でも、なんだかほっと一息。

2009年5月23日土曜日

親心に目覚めるの巻

教え子でNHKのアナウンサーになった人物がいる。研修を終えて地方局に赴任する(それがNHKのしきたり)前に今日、生放送のトーク番組「土スタ」でデビューする(というのか、この場合も?)というメールが今朝、入っていたので、見た。

以前、声優デビューの教え子の声をチェックしようとしたらTVがつかなくなったということがあったが、今日はそういうこともなく、鮮明で美しい画像。ちゃんと映っていた。そして教え子は落ち着いて立派に役割を果たした。

ゲストの山本耕史に対して質問をするフロアの子供にマイクを向ける、ただそれだけの役割。その前の自己紹介を含めても20秒ばかりの画面占有。たったそれだけのことなのに、ぼくは――本人ではなく一視聴者としてのぼくは――、はらはらドキドキ。何をやってるんだか。

まあつまり、これをして親心というのだろうな、見終えてコーヒーなどいれながら、そう考えた次第。新人15人の中では最も華のある存在だった、などと、ついでに考えているのだから、これはもう立派な親馬鹿。これから大学時代の友人たちと恵比寿で会うのだが、そこで吹聴などしようものなら、手もつけられないな。

2009年5月21日木曜日

外国語のように日本語を読む

大学院博士後期課程の課外授業、多分野交流の一環として、柴田勝二さん(『中上健次と村上春樹』)のお話「村上春樹と現代世界――エルサレム・中国・歴史」を伺う。

中田+田村=甲村だから、『海辺のカフカ』の中田さんと田村カフカは甲村図書館で交差するのだということなど。こうした名前の解読は外国語(たとえばスペイン語)で小説を読んでいるとよく気づくのだけど、なまじ日本語だと見過ごしがち。日本語を外国語のように読むことのできるひとならではの読解。

夜も8時頃になると1階のゴミ箱はこんなになっていた。なんだか面白かったので、一枚。

2009年5月20日水曜日

ひとつの時代が終わったのか?

ある授業で、この流れから行くと、あんな話をしたいから、そのためにはナニの映像があれば説得力が増すのだけどな、などと考えていたら、そういえばあの映画のあのシーンにあんな映像があって、あれが助けになりそうだ、と思いついた。DVD化されていないのだが、VHSならあるはずだ。なにしろ最近HDD-DVDを導入したのだ。これを機にHDに入れてしまえ。というので近所のレンタルVショップ(GEOだ)に行ってみた。

なかった。

お目当てのソフトがなかったのではない。VHSのソフトがすべてなくなっていたのだ。店内は改装され、、配置がかわり、古いVHSのソフトが一掃され、その代わり、ぼくなど死んでも見ないだろうなと思われる、パッケージを見ただけでストーリーが透けて見えそうな長いだけのTVシリーズや、「韓流」を謳った東アジア発のソフトなどが存在感を増し、当たり障りのないハリウッド新作ものは相変わらず複数取りそろえられ、……まったく、ぼくにとっては売り場面積は4分の1くらいに縮小されたようなものだ。

VHSではソフト化されたけれども、DVDにはなっていないものというのはまだまだたくさんあると思うのだけどな。ソフト会社の意向はともかくとして、そうした現状を知りつつ、もう近所のGEOではVHSに見切りをつけたということなのだ。

そりゃあね、学生たちと話していると、彼らの大半はビデオデッキなど持っていない。だからVHSソフトは彼らには無用だ。そろそろ危ないなと、ぼくも思っていたのだよ。でもまさか、このタイミングでこんなことになるとは。

ぼくはつくづく時代の変化に一歩遅れる。が、ともかく、これでひとつの時代が終わったということなのだろう。

2009年5月19日火曜日

カチッ

7時頃、枕元でカチッと音がして目が覚める。アナログの目覚まし時計が、鳴るように設定していなくても、7時にかけたときのままになっているので、鳴る準備をするのだ。短針とアラーム用の針が重なった証拠だ。アラームをかけているとき、このカチッの直後から鳴り出す。ぼくはアラームをかけているときでもこれで目覚めるときがある。眠りが浅いのだな。

カチッと起きて、法政で授業。ドン・フワン劇の展開その2。帰ってあるメールに気づかされたことは、ぼくは、何というか、蟻地獄のような罠にかかり、昨年度で終わったと思っていた仕事から逃れられない事態に陥れられているのだということ。

こんなのばっかりだ。いつの日かカチッと音がして、目覚めるどころか、コンセントが抜けてしまうのではないか。そのときの音はカチッではなく、むしろブチッ、か? 

ゲラをチェックしたり論文を読んだり翻訳をしたり……こんなこと準備したり

2009年5月17日日曜日

1週間(後半)

金曜日に吉祥寺ドス・ガトスでウサギのパエーリャを食べ(うまかった)、土曜日には研究会で他者の研究の成果を拝聴し、日曜日には定額給付金の申請書類を郵送して(ええ、いただけるものなら何でもいただきますとも)から、最近導入のHDD-DVDリコーダーにVHSソフトのいくつかを録画して過ごし、書き直すようにと突き返された原稿があるというのに、もう1週間が終わろうとしている。

土曜日に出かけた先で買ったのが、ピオ・バローハ『知恵の木』前田明美訳(水声社、2009)。グラシアン基金を得ての出版。

スペインのいわゆる98年の世代と言われる一群の作家たちの代表格バローハの代表作。カルペンティエールが彼に「行動の人」という概念を学んだと言っていたので、ぼくも学生時代この小説をめくったことはあったのだった。めでたい。

2009年5月14日木曜日

第3回

到着。『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年6月号

「愉悦の小説案内」第3回はホルヘ・イサークス『マリーア』を取り上げた。「読むなら恋愛小説だ」。「小説『マリーア』はマリーアその人のように美しい。マリーアを愛するエフラインの心のように美しい」なんて書いちまったぜ。ふっ。

2009年5月12日火曜日

文体練習?

今日、午前中にしあげて送った原稿は、こんな風にですます調で書いて見ました。例のNHKのあれです。だって今回は10歳の女の子と200歳くらいのおばあちゃんの浮浪者とが血のちぎりを交わすという話なのですから、どうしたってこんな文体になってしまいます。第5回の原稿です。

今日は法政大学の学生さんたちとバーベキューをする約束です。

2009年5月11日月曜日

午後はずっと

日曜日に日本イスパニヤ学会理事会のために名古屋に行き、今日は3、4、5時限と授業。5時限はリレー講義、《舞台芸術に触れる》。ドン・フワン劇のバリエーションを見た。モリエールの『ドン・ジュアン』が実に面白いのだな。明日は非常勤先でほぼ同じ内容の話をする予定。

2009年5月9日土曜日

酒を飲め、悲しむな

学生もたいへんだなあ、などと考えながら愚痴を聞き、酒を飲み(《百年の孤独》)、魚を食べ(肴としての魚)、遅く帰った。朝からある会議。そして車を取りに大学に行き、さて、これから卒業生たちと会うのだが(恵比寿だ!)、その前に池本さやかさんの写真展に行ってこようかと思う。海中写真に癒される。つもり。

明日は名古屋。

2009年5月7日木曜日

まだ連休は終わってない!

「まだ連休は終わってない!」同僚とエレベーターの中でそんな話をしたせいで、2時限目の授業はぐだぐだだった。言葉が脳に命令したんだな。やすめよ、と。

昼、打ち合わせの後、夜まで作業。ラテンアメリカ学会のプログラム等の袋詰めだ。ぼくが所属するもう1つの学会ではこうした作業は事務局任せなのだが、この学会は520人分の袋詰めをてづからやらねばならない。

意外に時間がかかった。

2009年5月6日水曜日

記憶の展開Desarrollo de las memorias

ある本を書いている。35個の項目について4ページずつ書いて、本文合計が140ページの本になるというもの。今年中に出すつもりだ。今日、10個目の項目を書いて送信した。

そのために、もう何度目になるだろう? トマス・グティエレス=アレア『低開発の記憶――メモリアス』Memorias del subdesarrollo(キューバ、1968、Action / UPLINK)を見る必要があった。

見るたびに何か発見があるから面白い。今日楽しんだのはフィルムの早送り。少なくとも音声の早送り。そして繰り返し。繰り返しといっても、セルヒオが女優を目指すエレナに対して、女優なんて同じシーン、同じセリフのくり返しだと言うときに挿入され、何度も反復される他の映画からの引用のことではない。

そしてまた改めて感づかされることは、この映画を統率するイメージは、主人公セルヒオの住む高層アパートからハバナの街を見下ろす眺めなのだということ。

この映画から26年後にグティエレス=アレアが撮った『苺とチョコレート』で、ディエゴの住むアパートから街を見下ろしながら、崩壊するハバナの街の美しさを説くシーンがあるけれども、あれと対をなすイメージだということがはっきりわかる。

2009年5月4日月曜日

連休の1日

3日のこと。忌野清志郎の訃報を知り、翻訳を1章仕上げ、都心の人の多さにめまいを感じ、原美術館で元教え子とすれ違い、またしても恵比寿、ふわとろ本舗でお好み焼きを食べ、新宿の夜景を見ながらワインを飲み、また恵比寿での食事に誘われて了解のメールを出し、ぐでんぐでんに酔っぱらって郊外の自宅に帰り着き、リヴィングで寝入ってしまい、ベッドで目覚めた。

酔いを覚まして洗濯をし、ウィーンの地図を探しに近所の本屋に行き、同僚とすれ違った。今日は翻訳、あいまに執筆、あいまに論文読み。

忙しいな♪

2009年5月2日土曜日

豚の災難

昨日、1日(金)は授業が終わってから恵比寿 黒ぶたや で豚しゃぶなどを堪能しながら高校時代の友人たち+1で集う。ビジネスマン2人に大学教員2人。

東工大では海外渡航禁止令が出、渡航した場合は10日間は出講するなと言われているとか。うーむ、外国恐怖もきわまったものだ。

そういえば昼間、学生が尋ねるには、「先生は3月にメキシコに行っていたけど、大丈夫ですか?」――まあこれは「休講にしましょ」という提案の前提で、半分冗談みたいなものだったから、ぼくだって「今さら手遅れだ」と悠然と答えればよかったのだけど、……

メディアに踊らされているのか、それともパンデミック恐怖のあまり全人類が平静を失ってしまったのか? 豚インフルエンザ改め新型インフルエンザH1N1に対する警戒心は、なんだか薄気味悪い。メキシコ政府が30日(木)に発表した感染者は260人、死者12人。この数字はそれまでわれわれの聞かされていた数字とだいぶかけ離れていて、果たして嘘をついているのは誰なのだといぶかしく思う。

USA資本の大規模養豚場のあるベラクルス州のある村では、そこが発生源だと主張したがっている住民がいるというのは、これを機に養豚場を摘発しようとの意図からだろうけれども、その種の養豚場の遺伝子組み換え豚などが怪しいのではないかといぶかしむ人までいて、デマゴーグ合戦だ。

マスクに装飾を施して楽しんでいるメキシコ人たちだけがまともに思える。もう20年近くも前、グワダラハラあたりの名物、豚の臓物の煮込みメヌードを食べた日にひどい食あたりを起こして(メヌードとの因果関係はあくまでもわからない。その日はまた脳みそのタコスも食べた)1週間ほど寝込み、死ぬかと思った身としては、君たち騒ぎすぎじゃないか、と言いたい。

そんなことを友人と話しながら帰りの電車に乗り、友人とも別れ、中央線に乗り継ぎ、自宅近くの駅で降りると、満員電車の中で汗をかいたせいか、悪寒が。10年ほど前、満員電車に揺られて汗をかき、降りた瞬間、悪寒を感じた時には、インフルエンザにかかり、5日間昏睡を続け、そのままウィルスが神経に回ってギラン・バレー症候群を発して、やはり死ぬかと思ったのだったな。

今朝起きると……

2009年5月1日金曜日

あらら、日が替わった

もう日が替わったが昨日(感覚としては今日)、ペンクラブにアルゼンチンの詩人フワン・ヘルマンの講演会を聴きに行く。同僚でペン会員の方が誘ってくださったので。

ヘルマンはメキシコ在住のアルゼンチン人詩人。軍政期間中(1976-83)に息子夫婦が行方不明者となり、拷問を受け、殺されている。その話などと詩の朗読を。

セルバンテス・センターの招聘で来たのだが、現在、同センターはスペイン政府の助成金を得て、セルバンテス賞受賞作家の翻訳シリーズを刊行中。その1冊でヘルマンの詩集も出るとか。

そして、……なんと! 来年にはあの人が来て、あの人の本が出る(それ自体は珍しいことではない)とか。

2009年4月29日水曜日

問題

テル=アヴィヴの地図が欲しいと思った。そんなに遠くないところの本屋に行ってみたが売っていなかった。もうひとつふたつ回ってみた。あるところで、やはりそんなものはないことを確認して、ふと後ろをみたら、見つけたのが、クリスティアン・ビエ、クリスフ・トリオ―『演劇学の教科書』佐伯隆幸監修(国書刊行会、2009)。ひと月ほど早く見つけたかった。

さて、問題です。ぼくはどこのなんという本屋にいたのでしょう?

数日前からどうも皮膚表面が痛いと思った。外傷らしきものがないのに、表面が痛い。不思議な痛みだが、なんだか懐かしい痛みでもある。これは何の痛みか?

神経痛だ。参っているのだ。

2009年4月27日月曜日

人生を語る映画を語る困難

ちょっと前に書いたような課題で卒論の学生がそれについて書いてきたことだし、法政のゼミにも関係してくるので、久しぶりにグレゴリー・ナバ『セレナ』ジェニファー・ロペス、エドワード・ジェイムス・オルモス他(1997)なんてのを見てみた。DVDはワーナーから。

テキサスのメキシコ系住民の生み出したクレオール的音楽テハーノのスターになりながら、ファンクラブ会長に銃殺されたセレーナ・キンタニーリャの話。コッポラの製作総指揮という売り込みでその2年前に公開された『ミ・ファミリア』に続いてナバがJ.Loを今度は主役に据え、『ズート・スーツ』のオルモスを父親役に配して撮ったフィルム。

こうした実在の人物の伝記物をどう論じるかは難しいところ。映画として楽しめればそれでいいとは思うのだが、……情報を求めてウェブ上をさまよっていたら、なんだか典型的なだめだめ評に出くわしてしまい、こうした伝記物をどう論じるかは本当に本当に難しいのだなとの思いを新たにして昨夜は明けた。

下手なドラマティズムに頼って銃殺のシーンを事細かに描写していないところなどは良い点。決定的瞬間を知り得ないところが現実のもどかしさなのだ。

2009年4月26日日曜日

悲愴なる運命

昨日、25日(土)は雨の降りしきる中、東京外国語大学管弦楽団第77回定期演奏会というものを聴きに杉並公会堂(荻窪)まで行ってきた。

朝、その曲をかけたのだった。学生から定演のチケットをいただき、演目のCDを探したらカラヤン指揮、ベルリン・フィルのものがあったので買った、それを、その日の朝、かけたのだった。その日、その定演があることなどすっかり忘れていたというのに、かけたのだった。第3楽章の盛り上がりのあたりで、ふと気になってチケットを見たら、その日が当日だと書いてあった。

運命を感じた。

運命には身をゆだねるタイプだ。だから、雨だというのに、荻窪まで出かけていったというわけ。

運命といっても、曲目は悲愴。悲愴といってもチャイコフスキーの6番、「悲愴」のことだ。「パテティカヤ」というロシア語をそのまま他のヨーロッパ語の「パテティカ」(スペイン語の場合)に訳したので、「悲愴」と伝わっているが、実はこれは誤訳で、「情熱」という程度の意味だという、あの「悲愴」。

そして同じくチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。この曲、ぼくは意外に好きだ。さらにリムスキー=コルサコフ「ロシアの主題による序曲」。列挙したのとは逆の順に演奏。

カラヤン、ベルリン・フィルのアルバムはチャイコフスキーの2曲を挙げた順に収録したもの。名演奏の誉れ高い。聞き比べた。

1,000人ばかり入る杉並公会堂大ホールは、あの雨だというのに、ほぼ満員だった。見上げたものだ。演奏も見上げたものだった。

同僚が来ていて、その彼と食事。

2009年4月24日金曜日

鬱々と希望を抱いて

人を鬱病にしないではいられないタイプの人間がいる。そんな人物から、なんでこんな時期にこんなことでこんなところに書留郵便で送ってくるかな、という郵便物を1時限後の、金曜唯一の空き時間に受け取り、事務室を出た瞬間、しゃがみ込みたいようなめまいに襲われた。ぼくは自分を哀れんで涙を流す者は愚か者だと思っているが、愚かな涙を自分のために流したくなった。人前で。衆人環視の中で。そうしたらどれだけ楽だったことか。

話はそれるが、昨日のこと、ある学生が研究室にやってきて、泣き言を言った。ある国に留学に行くつもりで準備していたのだが、出発を翌々日に控えているというのに、1ヶ月半ほど前に申請したビザがまだ発行されていないのだとか。

やれやれ。本当にこの国の在日大使館領事部の仕事ぶりと来たら、毎度のこととはいえ、悪名高い。押しかけていって発行するまではテコでも動かないと粘ればいいのだとアドバイスした。もちろん、学生はそれで納得するはずはない。でもなあ、他にしようがないじゃないか。

で、今日、その学生は出かけていって1時間粘り、ビザを出してもらったのだそうだ。メールが届いていた。

当然だ。書類がそろっているのだから、出るものなのだ。本当は3日もあれば充分なのだ。でもでかした! タフにゴネてネゴる。それしかない。それがこんな国で生きていく唯一の方策。

1年講読、空き時間、昼休み、地域基礎、3年ゼミ、卒論ゼミ。

卒論ゼミは参加者に1パラグラフずつ(あるいはそれ以上)を提出していただいてみんなで読み、質問やアドバイスを交わすという形式を、今年、実験的に採用している。なるほど、道筋が見えてきそうだと、希望を見いだしたらしい学生の感想。

2009年4月23日木曜日

ハネがそれらしい

昨日、22日(水)には「人文学の危機と出版の未来」というシンポジウムに出てみた。東京外国語大学出版会の打ち上げシンポだ。大塚信一(岩波書店元社長)、小林浩(月曜社)、田口久美子(ジュンク堂書店)の面々。懐かしい友人の編集者が。

やはり聞きに来ていた友人と食事。

今日はなぜか留学生にアテンドするチューターという役目に応募する学生がサインを求めて、合計、5人もやってきた。昨夜からサインの練習をしているのだと冗談を言ったら、敦の字の最後のハネに練習の成果が現れているとお褒めの言葉をいただいた。

2009年4月21日火曜日

また雨

以前、法政に勤めている頃、一番遠くの非常勤先に出かけるのは水曜だった。そして水曜日は雨ばっかり降っていたという記憶がある。記憶だからあてにはならないが、少なくともそういう印象を抱く程度には雨が降った。

今年はかつての勤務先法政大学多摩キャンパスに火曜日に出かける。先週は雨だった。今週も少し雨が降っている。時々やんだりはしているが。

ぼくはつまり、雨男なのだ。

2009年4月20日月曜日

幸せの光景


そしてこれが、潰れたバーミヤンの隣で、健在なサンメリーの石窯パン工房の角にあった幸せの光景。

幸せなのはバラク・オバマがキューバとの「新しい関係の時代」を宣言したからというわけでもあるまい。

いや、つまり、FELIZと書いたプレートが……

2009年4月19日日曜日

直線はゆがむ

昨日、散歩の際にふだんありま向かわない方向へ向かったら、バーミヤン、びっくり寿司、セブンイレブンといった、企業としてはつぶれないだろうと思われる企業の店舗が、いつの間にか閉鎖されていることに気づいた。

丸井方式だ。スクラップ・アンド・ビルトでばんばん作ってばんばん潰す。ぼくの近所のこの店舗は採算が取れなかったのだろう。いろいろな大学の新学部みたいだ。新書ブームと同じ原理だ。

などということを考えながら読んだのが、

エルヴィン・パノフスキー『〈象徴形式〉としての遠近法』木田元監訳、川戸れい子、上村清雄訳(ちくま学芸文庫、2009)。

「象徴」には「シンボル」というルビがふってある。カッシーラーの用語「象徴形式」を、遠近法にもまた当てはまるものだとして、その意味を探ったもの。「個々の芸術上の時代や地域が遠近法を有するかどうかということだけではなく、それがいかなる遠近法を有するかということが、これらの時代や地域にとって本質的な重要性をもつ」(30)ということ。遠近法は人間中心の時代に芸術において中心をしめるようになった技法だということ。そしてそれぞれの時代の「人間中心」のあり方によって遠近法のあり方が異なる。

作っては壊しのわれわれの時代は消失点からこちらに向かう直線の中に常に欠損が生まれている寂しい時代なのだなと、そんなことを考えながら道を歩いていたわけだ。

ところで、この本が冒頭読者を引き込むのは、この遠近法的に配された直線を、実際には人間は彎曲した曲線として認識するという指摘がなされるから。そして、17世紀(ケプラーなど)と19世紀(ヘルムホルツ)にはそのことが問題にされたと教えられるから。

天井と壁の接線や本棚の上辺をまじまじと見つめて過ごした。

2009年4月17日金曜日

グーグー

1時限が授業だった。1年生の講読。最初の授業だ。久しぶりの1時限の授業で10時を回る頃には腹が減ってしかたがなくなった。グーグーと胃が文句を垂れていた。

しかし、すぐに食事に行くわけにはいかなかった。3時限に使う予定になっていたあるものを家に置き忘れたことに気づき、取りに帰らねばならなかった。忘れないようにしようと、朝、机の上に置いたのに……まるで小学生みたいだ。気の配り方も、それを忘れる失態も、取りに帰る行為も。およそ人生の道半ばにある人間とは思えない。

無事ブツを回収して大学に戻る途中、食事はした。しかし、腹はいつまで経ってもおさまらなかった。グーグー鳴り続けていた。最初の収縮のショックから立ち直っていないようだ。ポッキーなどでごまかしても収まらない。夕食をたらふく食べてもおさまらない。

グーグー。

2009年4月16日木曜日

報告

到着しました。『NHKラジオ まいにちスペイン語』5月号。連載「愉悦の小説案内」第2回。今回紹介するのはイサベル・アジェンデ『精霊たちの家』

ご恵贈いただいたのが、柴田勝二『中上健次と村上春樹――〈脱六〇年代〉的世界のゆくえ』(東京外国語大学出版会、2009)。1970年、「青春の終焉」の時代、68年の世代の作家として2人の小説家を論じたもの。

2時限と5限後の授業。疲れた。

2009年4月12日日曜日

開戦前夜

いや、つまり、明日から授業が始まるという意味で、それを「開戦」などとぶっそうな比喩で表現するのは元来ぼくの趣味ではないのだけど、何しろ今年は未知の領域に突入しようとしているので、戦々恐々としているという意味だ。

授業では週に通算30ページばかり(スペイン語で)読まねばならない。

そりゃあね、ただ読んで理解するだけなら1日30ページでも少ないくらいだ。でも理解することと授業で対応可能なように準備することはまったく次元の異なる話。時間がかかるのだよ。授業の準備は。

その他に週に10ページばかりは(スペイン語の)翻訳をしなければならない。140ページの原稿も夏までに書かなければならない(日本語で)。NHKの連載のために月に1冊は小説を読まなければならない(幸い、こちらはほとんどが再読)。そのほか、ここでは書けない秘密の仕事のために、果たして何百ページ読まねばならないのか……

そして3つほどの講義科目の準備と事後処理。受講生が少ないことを祈るしかないのだが、まあ確実に少なくはないと断言できる。

春物のシャツを買って、明日から大量にかくに違いない汗に備えた。

でもその前に今日中にあと4ページほど訳しておかないと、明日からがつらいんだよな。

2009年4月8日水曜日

そして……


そしてこれが東京外国語大学出版会第1弾。

今福龍太『身体としての書物』

またしても二重露光写真。ちなみに、この表紙の緑色の地とそこに乗った本の影は、ぼくの故郷の教会に由来するもの。

このほかに柴田勝二『中上健次と村上春樹』というのが第1弾として既刊。ちょっと遅れて亀山郁夫『ドストエフスキー 共苦する力』が出る予定。

「身体としての書物」と言えば、ぼくも参加するリレー講義「テクストの宇宙を行く」(2学期木曜1時限)、今年の共通テーマは「書物」。ぼくがまとめ役。今福さんの本などは大いに参考にさせていただこう。ここのボルヘス『砂の本』のエニグマティックな一節を読み取る箇所などはスリリング。

2009年4月7日火曜日

花見


こんなのが出来てきた。

東京外国語大学出版会というのが立ち上がり、その最初の本が上梓される(た?)のだが、本以外にこうしてPR用のパンフレットを作った。ここに、以前ほのめかした「ラブレターのすすめ」という文章を書いたという次第。見開きの短い文章。他に教員や図書館職員が1年生に薦める本というアンケートに答えている。ぼくも答えて3冊推薦している。

たぶん、PR用のパンフレットなので書店などにも置かれるはず。きれいな表紙なので、よかったらどうぞ。

仕事をしていると学生がやってきて、別の学生もやってきて、近くにあるのに野川公園に行ったことがないというので、急遽、花見と相成った。

2009年4月4日土曜日

怪しいカード


こんなのが郵送されてきた。 "Priority Club"だと。何も断りなしに既にカードが貼り付けてあるところが怪しい。なにより、中国風の簡体漢字で何かが書かれていることが怪しい。宛名にJAPANと書かれているのだから、日本語にすればどうかなと思う。なんだか愉快だ。

コンピュータ関係である設定に手間取ることがあり、背中が凝った。昨年度の書類などを処分し、……さて、新年度に備えるとするか。

2009年4月2日木曜日

読んでから年を終えろ


もちろんウェブサイト、『ガルシア・マルケス活用事典』のことは知っていたし(今、リンクを貼ろうとしたら、なぜかエラーメッセージが出るが、どうしたことだ……)、そこで「マルケス百話」と題されたコーナーに管理人が書き継いだ記事を中心として本を作っている話も知っていて、首を長くして待っていたのだけど、それだけに感慨深い。ついに、出来したのだ。

書肆マコンド『ガルシア・マルケスひとつ話』(エディマン/新宿書房、2009)

そりゃあね。そんな話も知ってるさ。出版社はぼくの2冊の本を出してくれた版元。奇特な方です。ブックデザインの宗利淳一さんとのコンビで、またしてもこんな美しい本に仕上がった。

中のイラストもそうだが、この本の目玉のひとつであるマコンドの絵地図を担当しているのが、イラストレーターの中内渚さん。外語のスペイン語卒、故・杉浦勉さんの教え子なのだそうだ。担当編集者の原島さんと酒を飲んでいて、ほら、できあがったんだよ、などとこのイラストを自慢げにちらりと(ちらりだ。あくまでも)見せられてから、もう1年以上になるはずだ。いや、2年か? やっと恋い焦がれたマコンド絵地図をまじまじと眺めることができた。ブエンディア家の中庭からは小町娘のレメディオスが昇天していたりして、かわいい。神々しい一幅だ。

負けず劣らず神々しいのは、もちろん、本文。そしてその本文を書くために収集し、読み込まなければならなかったはずのデータの数々。自身のサイトに「マコンド図書館」として掲載されていた文献表を編み直して、巻末に掲載している。2008年までの時点で日本語で読むことができたほぼすべての『百年の孤独』およびガルシア=マルケス関連の文献が網羅されているのだ。

在野の、などといって彼我の差を設けるのはあまり気が進まないが、他に言葉を知らないから、仕事を持ちながらこうした学究的コレクションを続ける愛好家をこう呼ぶならば、在野の愛好家・研究者が示しうるひとつの到達点だ。仮にもガルシア=マルケス研究を標榜する象牙の塔の研究者たちは、ここを超えなければならないのだよ。うーむ、手強い。そして、ガボが『族長の秋』にルベン・ダリーオを引用していると語ったインタビューを引き合いに出し、その箇所を示し、「ダリーオの詩に一丁字もない当方には、詩人の何という題名の作品であるか、皆目見当がつかない。どなたか、このニカラグアの詩聖を日本語で詳しく紹介してくれないだろうか」(259ページ)と問いかけられ、「ぼくも皆目見当がつかないなあ」などと間の抜けたことを言っている自分が恥ずかしい。

書肆マコンドさん、エディマンのブログによれば、東京堂主催の読書王というものに選ばれたのだとか。永江朗と豊崎由美に選ばれたというのだから、たいしたものだ。いや、そういう人ならではの1冊だ。

そのほかにアルトゥーロ・ペレス・レベルテ『戦場の画家』木村裕美訳(集英社文庫、2009)など。ペレス・レベルテはさすがに出るなあ。

あ、そうそう、公募、始まりました。この分野の若い研究者の皆さん、ふるってどうぞ。

2009年4月1日水曜日

改組しました

そんなわけで、大学の組織が変わった。ぼくは大学院総合国際学研究院というところの所属になる。この名称、やっと今覚えたばかり。新しいものに対する拒否反応というよりは語呂の問題か? どうも覚えにくい。

大学のサイトの研究者一覧もこんなふうに変わっていた。

従来のこんな形でも見られるけれども、こちらはまだ異動が反映されていない(4月1日午前11時現在)。

去年の11月くらいに名刺が切れた。大学院化の話は決定していたので、新しい名刺にはそれを反映させても良かったのだけど、どうしても新体制になる前に名刺を配り歩かなければならないとの見通しがあった。もう面倒なので「東京外国語大学」とだけ記した。「大学院」も「総合文化講座」もなし。

組織が変わることで何がどう変わるのか、まだわからない点も多い。が、少なくとも2点、直接にぼくにかかわる問題がわかっている。いいのか悪いのかよくわからないことが1点と、少なくとも仕事がひとつ減ったという点で嬉しいことが1点。

2009年3月31日火曜日

ポイントカードって……!

どうやらぼくは、達成感のある仕事をひとつ仕上げたら2日はのんびりしてしまうタイプらしい。

コンピュータ関連の小物を買おうとビックカメラに行ったら、信じられないほどポイントが溜まっていた。それで、この際だからと思って買ってみた。レンズだ。結果、我が家のカメラがこんな装備から



こんな装備に変わった。重量もだいぶ軽く、本来のコンパクトさも実感させられる。

さあ、では、花鳥風月でも撮りに行こうか……と思ったら電池が切れていた。充電可な電池だったので充電していたら、その間に日が暮れてしまった。

やれやれ。しかたがないから仕事でもしてみた。2日はのんびりしていたかったのに。

明日は早くも新年度第一回目の教授会。4月からぼくらはほぼ全員が大学院所属ということになる。改組後初の教授会だ。

2009年3月30日月曜日

たまにはオスカー

受賞してもアカデミー賞なんざすっぽかしたウッディ・アレンが好きだからといってオスカーを受賞した映画を見ないわけではない。とりわけ試写会に呼んでくれるなら。しかも監督がダニー・ボイルなら。

……そんなわけで、試写会に呼んでもらってギャガ試写室で見てきた。ダニー・ボイル監督『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)。

メキシコに行っていた時、既に現地で封切られていたので、本当は我が家から六本木までの交通費以下の値段で見ようと思えば見られた作品。

日本では「クイズ$ミリオネア」の名で放送されていたTVのクイズ番組。イギリスを発祥地として世界各国でほぼ同一規格で放送されたこの番組は、まさにグローバル・スタンダードという名詞を想起させるし、一夜にして大金持ちが誕生する(金持ちとそうではない人間とが分けられる)という点においても、グローバリズムの時代の申し子ともいうべき。そこに出演して獲得賞金をのばしていった少年が、詐欺をしたんじゃないかと警察で取り調べを受けるはめになり、スラム育ちの無学の少年でも答えを知り得るにいたる過程を、回想の形で説明していく。最後には最高賞金を獲得するが、必ずしもハッピー・エンディングとも言えないところなどはいい。一攫千金の夢の物語というよりは、あくまでも社会を描こうとするもの。

さすがは『トレイン・スポッティング』の監督だけあってリズムがいい。成長した主人公が面と向き合うことになった兄がムンバイの街について語るところなどは、トマス・グティエレス=アレアの映画で、倒壊するハバナの美しさが語られるシーンと対照をなしているかのようだった。

「それは書かれていた」という表現が「運命だった」と訳されていて、それはそれで映画字幕としては問題ないと思うのだが、ひねりの味が落ちて悩ましいところ。

さすがに話題作だけあって、平日昼間の試写だったが、人がいっぱいだった。夕方から仕事の打ち合わせ(これも映画に関係する仕事だ)で研究室に行かねばならなかったのだが、途中、新宿と吉祥寺によったら、吉祥寺では3人もの教え子と顔を合わせた。うむ。悪いことはできない。悪いことなどしていないけど。

2009年3月29日日曜日

今度は未来に押しつぶされる

大学のサイトの表紙を更新。新年度の授業時間割だ。

人はいったいぼくに何を望んでいるのだろう? ひとりの大学の専任教師がこれだけ埋まった時間割を持つなんて、世界でも希有なことではあるまいか。ぼくはとてもやってられないぞ。非常勤先の法政大学(経済学部)でも3コマも持つのだ! 

来年の今頃までぼくは無事生きていられるのかなあ……?

2009年3月28日土曜日

そして酔いつぶれる春

27日は卒業式。いつもは府中の森公園のホールで行われるのだが、今年は改装中だかなんだかで調布グリーンホールにて。駐車場を探してうろうろ、ぎりぎりで行ったら教職員用の席に空きがない! 

今年は2005年入学組が卒業生の大半を占めるのだけど、2004年入学組もかなりいる。そして2004年入学組なんだけど既に卒業した者の中には、有給休暇を取って同期の卒業を祝いに来ていた者もいた。結束、というのかな。

卒業生たちが謝恩会を開いてくださり、花をくださった。今年はぼくが学部を卒業してからちょうど20年目の年。感慨深い。


2次会は2004年組と。既に卒業した者たちも加わり、旧交を温めた。終電前に帰ることができた。もちろん、そのまま居残る卒業生たち多数。ぼくは20年も前に卒業した人間なのだ。居残る体力はない。

2009年3月26日木曜日

床に突っ伏すについて

昨日はフワン・ビジョーロの講演会があったので聞きに行かなければと思っていたのだが、具合が悪く、無理をすまいと断念。

まだ体調は今ひとつだったのだが、約束があったので大学へ。消耗的な面接。 ……だってなあ、アドバイスを請われるからアドバイスしても、ことごとく否定されるんだものなあ……眉がぴくぴくもするよな。

続いて、急転直下、運命が180度変わってしまった学生との面談。もう180度変えてみて、元の場所に返るって手もあるぜ、と言ったら、あ、それもいいね、とこっちは軽い調子の承諾。

報告書やらなにやら、てんやわんや。

近年すさまじい調子で本を出している宮下誠は、自分のブログで、書斎の床にうつぶせになった写真を掲載し、1度死んで再生するのだ、みたいなことを書いていたが、ぼくもそんな気分。床に突っ伏す……床暖房が暖かくて突っ伏しても死と再生もできない。

以前メキシコの本屋ガンディで、本をたくさん買った代わりにもらったプレゼントのハイドンのCDを聞きながら、しばらく死と再生について考えていた。

お、そういえば、宮下誠のブログに写る彼の机上、MacBookも、そしてたぶん、ステレオも、ぼくと同じ機種! うーむ。それでいてなぜぼくには『20世紀音楽』なんて本が書けない? 

明日は卒業式だから♪ なんて歌ってるからか? いや、本当に、明日は卒業式なのだよ。

2009年3月22日日曜日

翻訳に思いをはせる

前回ほのめかした翻訳は、気づいたら、出版社のこの叢書の広報冊子にもう予告されているのだった。ぼくの名前も入った形で。なんだか身が引き締まる。

本屋に行ってそれを知ったのだった。本屋では以下のものを買った。

オルテガ『大衆の反逆』桑名一博訳(白水社Uブックス、2009)
ラス・カサス『インディアス史』(一―七)長南実訳、石原保徳編(岩波文庫、2009)


『大衆の反逆』は神吉敬三訳がちくま学芸文庫にあるが(中公クラシックスにも入っていたんだっけか?)、かつて桑名訳を出していた白水社が、このたび、Uブックスに入れた次第。あるところである人が新訳版を準備しているという話も聞くのだが、何はともあれ、買っておいた。

『インディアス史』は、もちろん、岩波の大航海時代叢書におさめられているが、それはもうだいぶ前の話。その際の長南訳を石原保徳が編集して、だいたい7割程度の分量にしたのだそうで、それを文庫化。それでも7巻になるのだから、長大な仕事だ。ゲラを見るのに1年以上もかかっているのだから、すごい。

圧縮に際しての編者の心構え。

文庫に収めて、彼のいう歴史的真実を現代の読者に手渡してゆく媒介者であろうとする私の願いからすれば、圧縮はやむを得ないことであったし、それはそれで積極的な意味のあるこころみであり、後生の私たちがなすべき仕事として托されているともいえるのである。(七―415)


昨日、酔ってタクシーで帰還、宅配ボックスに入れられていたのは、

マイケル・ドレーニ『ジャンゴ・ラインハルトの伝説――音楽に愛されたジプシー・ギタリスト』小山景子訳(シンコーミュージック、2009)

2009年3月19日木曜日

セルヒオ、ついにおまえの最終的崩壊が始まった


ふってわいたような話で、ある長い長い小説を共訳で訳すことになった。その前にやるはずだった翻訳と順番を入れ替えていいとのことで。

で、訳し始めたらこれだ。ページがほどけてしまった。こんなことがあるから、ぼくは翻訳する本は2冊以上買うことにしている。

でもこの小説、ところで、めっぽう面白い。

ちょっと下で告知の後藤さんの本、『語学の西北』、第一部はラジオスペイン語講座ではなく、テレビスペイン語講座の教科書に連載したものだそうだ。本人に指摘された。ここに訂正。

大学院教授会。その後、留学に出かける学生の追い出し。会場に向かう途中の駅と電車で、ゲラを直す。いや、直す箇所はなかった。

2009年3月16日月曜日

借りを返してみた

以前、見ようとして見なかったやつを見てみた。

アスセナ・ロドリゲス監督『捕らわれた唇』(スペイン、1994)フェルナンド・コロモ製作、ペネロペ・クルス他

これはあれかなあ、配給会社の中にペネロペの唇にフェティッシュな愛情を感じている人でもいるのかな? それとも人はペの唇に萌えるはずだという観測が配給会社のスタッフの間にあったのかな? そりゃあね、ペのプロモーション・フィルムみたいなシーンが2カ所ほどあったけども、唇がフィーチャーされた箇所はないぞ。

原題は Entre rojas 。『赤の女たちの間で』。「赤の女」ということは女性共産主義者のこと。フランコ体制末期の1974年、ゼネストを仕掛ける共産党の党員を恋人に持つバレリーナのペネロペが監獄に入れられ、そこでひとしきり政治犯囚人仲間と反発やら友情やらを生じ、やがて彼女は脱獄を計画するが……というもの。

なまじハッピーエンドでないのはいいけれども、かといってさしてイデオロギーも持たない主人公が、細胞のひとつとなることを甘んじて受け入れる、という話のようでもつまらないんだよな。

厳格な看守役でアナ・トレントが出ている。

朝から会議。会議と会議の合間に原稿を送ったり、トラブルを抱えた学生に非難されたり、……

2009年3月14日土曜日

狼と三回言えば狼が出る

前の記事で「ぼくもNHKの原稿でも書くか」とほのめかした。ほのめかしたら着いていた。

『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年4月号

この号から一年間、コラムを連載する。タイトルも「愉悦の小説案内」。なにやら面はゆい。"El placer de la novela"というスペイン語タイトルは、もちろん、ロラン・バルトの『テクストの快楽』をもじったもの。

1回につき1冊の小説、またはひとりの小説家の作品群を紹介するというもの。見開き2ページの短いものだから、ポイントをいかに絞るかが問題になってくる。ぼくはともかく、一文以上原文を引くということを自らに課して始めることにした。第1回は、やっぱり、何はなくとも『百年の孤独』。「書き出しから引き込まれる小説」。良かったらどうぞ。

ぼくの前には西村秀人さんによる「ラテンミュージック・カフェ」。第1回は「コーヒー・ルンバ」。これもぼくの愛する楽曲。この間も学生たちとカラオケで歌ったのだった。そのカラオケには西田佐知子版、荻野目洋子(正確にはYOKO)版、井上陽水版に加えて、フリオ・イグレシアス版もあったぞ。

ぼくの後ろには浅倉協子さんによる "¿Quién es? 今、輝いているスペイン人"、第1回は、これもぼくの敬愛するビクトル・エリセ。楽しい布陣だ。

2009年3月13日金曜日

西北に赤が塗ってある


11日に帰国、12日には後期日程入試の監督、教授会、等々、1日がつぶれ、まぶたが落ちそうになりながら帰国、……もとい! 帰宅。ポストにこれを見いだす。

後藤雄介『語学の西北――スペイン語の窓から眺めた南米・日本文化模様』(現代書館、2009)

ご恵贈をいただいたのだ。後藤さんは早稲田大学のスペイン語の先生。ま、早い話が、友人だ。大学時代からの。同期だ。引っ越しを手伝ってもらった仲だ。何度も。

2003年にNHKラジオのスペイン語講座テキストにコラムを持っていた。この本の存在を知ったとき、そのコラムをまとめたのかと思った。しかし、それだけで本になるものかといぶかった(つまり、分量として)。案の定、それ以外にいくつもの記事を加えて作った本。三部構成で第一部「教室の日々」がそのNHKでの連載からのもの。第二部、第三部はその他のメディアや自身のサイトに書き継いだものか、書き下ろしのもの。自身の子供のことや野球の志向にまで触れていて、うふふ、である。「うふふ」では済まないような車の事故と損保をめぐる話や、彼の恩師の話なども出てくるのだが、もちろん、この本の勘所はスペイン語の話とペルー留学中の話(第二部)。つい最近、メキシコに出張してそこに留学中の学生たちに会ってきた身としては、これから留学を考えるすべての人々にこれを読めといいたい。

ちなみに、その第一部で「スペイン語教師」やスペイン語圏が村上春樹の小説その他のテクストでいかにひどい扱いを受けているかを書いている。そういえば、後藤がぼくに感謝してる2つのことのひとつは村上春樹を薦めてくれたことだと、ペルー留学からの帰りに立ち寄ったメキシコで、ぼくに言ったような気がする。プチ自慢。この会話だけを覚えていて、本人としては本当に村上春樹を彼に薦めたかどうかは覚えていないのだけどね。

さ、この本に登場する「M氏」との仕事も残っているし、ぼくもNHKの原稿でも書くか。いつか本になるかなあ……?

2009年3月10日火曜日

業務終了

請け負ったミッションを果たさなければならず、今日はそのための日。そのためにぼくはこれまで一度もやったことのない行為をした。

メキシコに来るのにスーツとネクタイを持ってくるということだ。

最初、東京の感覚でつい冬物をスーツケースに入れようとしたのだが、ふと思い立って夏物にした。……当然だ。この時期の日中の最高気温は20度台後半だ。最低気温が一桁だから困るのだが。

で、ともかく、今日はスーツを着てお出かけ。

ん? このウエスト、こんなにきつかったっけ?……いけないなと思う。ちょっと運動しなきゃな。首と腰が締め付けられていては、つらいものな。

でもともかく、任務は終了。任務が終わった後はこちらにいる学生たちと昼食を。

明日は朝が早い。起きられるだろうか?

2009年3月9日月曜日

みんなの持ちもの

書店をハシゴして、いろいろと買い込んだ。ガンディのあたりだ。ここを訪れないことにはメキシコを訪れた意味はない。隣のFCEのオクタビオ・パス書店なども訪問。道を挟んだ先のソタノ、この3つに加えていくつか古本屋がある地区を歩いていたのだ。

いろいろと買ったが、今、話題にしたいのは、これ:

José Martí, La edad de oro, Estudio Preliminar de Roberto Fernández Retamar, México, OCEANO, 2005.

ぼくはこの作家のこの本(といよりは、彼がすべての記事を書いた雑誌)の翻訳者だ。抄訳だし、共訳だけど。この本については3つほどの異なる版を持っているのだが、そんなわけなので、何かあってはいけないと思って、それに何よりCD-ROMつきだというし、買った。

何かあった。

奥付(ここには必要な書誌情報が書かれている。それから版の数なども)を見た、そこに「何か」があった。

(c) José Martí 1889 

『黄金時代』は1889年の刊になる。だからこの記述なのだろう。しかし、ホセ・マルティに果たしコピーライト(著作権)はあるのか? 著作権が最初に確立されたのが1886年、ベルヌ条約でのこと。だから、確かに『黄金時代』に関してはこの概念が発生してもおかしくはない(この雑誌が発行されたアメリカ合衆国で、当時既に条約に基づいて著作が保護されていたかどうかはわからない)。

でもなあ、もう120年も前のことだ。これはいくら何でも著作権は消失して公共の領域dominio públicoに入っているだろうと思う。みんなの持ちものdominio públicoだ。

ところで、このdominio público。最近、日本語で「パブリックドメイン」とされているのを見かける。同じことなんだが、これはもう定着した外国語として見ていいのだろうか? 

2009年3月8日日曜日

変わるものと変わらないもの


これがBELLA EPOCAのファサード。曲面が印象的だと書いた意味がわかってもらえるのでは? 

変わったものは他にもあって、なんといっても目抜き通りインスルヘンテスを始めいくつかの路線を走るMetrobús。

そう言えばロサンジェルスにもメトロバスというのが走っている。2、3両編成の大型バスだ。違いはメキシコのそれが専用レーンを一般道のいちばん内側(追い越し車線側)に持ち、中央分離帯に専用のプラットフォームを持っていること。プリペイドのカードで料金を払う。看板によれば3年を迎えたシステムだとか。

そう言えば、ロサリオ・カステリャーノス書店も来月で3年になると言っていた。

7日の土曜日には、メキシコ留学中の友人を伴って中心街に。昼食。考えてみるとこの辺に来るのは実に久しぶりだけれども、堅牢で整然たる街作りは、その凸凹なあり方も含め、変わるはずもなく、こうして見ていると、メキシコってきれいな都市なのだなと思う。

たっぷり食事し、美術館のカフェで休む。

2009年3月7日土曜日

本屋の名前

以前、留学中に通い詰めていた作家アルフォンソ・レイェスの個人古文書館Capilla Alfonsinaに出向き、拙著『ラテンアメリカ主義のレトリック』を献呈してきた。そこで参照した未刊の手紙などを引用しているのだから、当然と言えば当然の礼儀。実際にはそんな気遣いなどすっかり忘れていて、出発直前になってから思い立って本を抱えてきた次第。

そんな次第なのでアポも取らずに行った。一般の訪問を受け付けているのだから、行けば入れる。門衛に説明し、訪問記録を残し、係の人が出てきたので説明し、献呈した。アテンドしたのは、ぼくが通っているころにいた職員とは違う人物のはず。すっかり忘れていたが、今年はレイェス生誕120年、没後50年の年で、きりのいい時期なのだった。いろいろな催しを予定しているのだよ、とその人。うーむ。主にメキシコ市での話だ……顔を出せるといいね……

ぼくがこの施設に通っていた頃、すぐ近くにはBELLA EPOCAという映画館があった。ファサードの曲面と尖塔が印象的な建物だった。建物はそのままに、そこはCENTRO CULTURAL BELLA EPOCAという文化コンプレックスに変わっていた。FCE直営のロサリオ・カステリャーノス書店とリド映画館、それに展示室。

……ロサリオ・カステリャーノス書店? 

昨日飛行機に乗り合わせたKさんが言っていたのだった。ふたりの共通の知人に、この名の書店がいいと勧められたのだとか。共通の知人というのは、この書店に名を与えた人物を研究対象としている。

ここのことかな? ここのことであろうがなかろうが、ともかく、入ってみよう。店員にいくつか質問した際のその対応の早さと的確さ、知識に感心した。段差があるワンフロアに回廊形式の、というより、足場のような2階があるだけではあるが、メキシコの本屋としては十分大きい。カフェを備え、別個いくつものソファで読書もできる造り、映画館もあり、展示スペースにはなにやら不思議なものがぶら下がっている。なるほど、なかなかいい。

そして実際、言及されていたのはここだった。Kさんが現れたから確認できたのだ。ぼくはたっぷり買い込んだ本を送ってもらうための手続きで奥の事務室に引き込み、結局挨拶しただけに終わったが。

2009年3月6日金曜日

到着

やっとメヒコDFに到着。取ったホテルがホリデイ・イン・トレード・センターというので、実はトレード・センター(この隣にシケイロスの壁画で有名な建物がある)の近くにはもうひとつホリデイ・インがあり、間違えてそこに連れて行かれた。ここはレボルシオン通り沿いのホリデイ・イン。荷物をほどき、近所のタコス屋でタコスを食べ、隣にセブンイレブンがあったので、水とコーヒーを買って帰った。

メキシコのセブンイレブンはたいていコーヒーを備えていて、カップの大きさに応じて払う仕組みになっている。ホリデイ・インにはドリッパーセットも置いてあるのだけど、これは明日の朝のためとしよう。

飛行機はJALの直行便(バンクーバーで給油休憩)。そのせいか、やたらと知り合いに会った。KO大学のOさんとYさんは、示し合わせたわけでなく、たまたま同じ便になったとか。近ごろ、共訳である本を出されたKさんとはその翻訳の話をした。極めつけはKOコンビの隣に座ったら、そのさらに隣に教え子が座っていた。

……と思ったらさらなる極めつけ。東京では気づかなかったのだが、バンクーバーでいったん飛行機を降ろされるのだけど、その待合室で声をかけてきたのが、R大学のSさん、京都から参戦。

……うーむ。おちおち間抜けな顔で寝ていられない。ま、寝たけどね。

2009年3月3日火曜日

君知る哉?

出張に行くので両替しなければと、銀行に行ってみてわかったこと2つ。

ATMで通帳の繰り越しができるということ。知らなかった!……

予想したより残高が多いなと思ったら、あることの原稿料が振り込まれたもよう。税金で取られると嘆いた直後だけにちょっと嬉しい。ま、来年の今頃は、そのぶんまた税金に取られるのだけどな。この時期に報酬が入るような仕事は、そんなわけで、大歓迎だ。

で、金をおろし、通帳を繰り越し、両替した。今日のレートは1ドル=100.08円。前回、12月よりは円は安くなっていた。

成田EXの切符は買ったし、さあ、準備はできた。

……その前に、明日は会議やら面接やら、……分刻みだ。

で、こんなのを見たりしている。



ぼくは人の書斎をのぞき見るのも好きだが、人のノートをのぞき見るのも好きだ。この映像。『野生のボラ―ニョ』に付属のドキュメンタリー「近くのボラ―ニョ」から。ロドリゴ・フレサンが話し、フワン・ビジョーロ(そういえば彼は近々来日するらしい)が話し、ついでロベルト・ボラ―ニョの妻カロリーナ・ロペスが、作家の残したノートについて語っている。この手書きのノートをのぞきたくなるのだ。

2009年2月28日土曜日

口中に広がるとうもろこしの記憶

昨日はおととい作成した確定申告の用紙を提出に税務署まで、雪の降る中を行ってきた。

帰りしな、その名もTAQUERÍAというタコス屋を見つけた。「タコス屋」の意味だ。昼食はそこで摂った。

ぼくは研究者たちが研究対象となる地域に自らを同化して盲目的な愛を語るのが信じられない。ぼく自身はメキシコ研究者という意識はないし、そんな思いを持っているものだから、メキシコへの愛をそれらしく語ったことはないと思う。ある学生によると、今年の2年生の間ではぼくはメキシコ嫌いで通っているらしい。その程度にはひねくれている。

が、メキシコ出張が近づくにしたがい、台所に立っている時など、口の中にとうもろこしのトルティーリャ(タコスの皮ね)の味が広がるのを感じ、メキシコ市の街角の屋台のタコスの味などを思い出しては、一刻も早く食べに行きたいと身震いしている。まったく、……体は正直だ。

夜は大学院後期の学生たちと新宿のau bon accueilで食事。

お、そうそう。その前に寄った紀伊国屋での収穫:マルコス・アギニス『マラーノの武勲』八重樫克彦、八重樫由貴子訳(作品社、2009)

アルゼンチンの作家アギニスの本邦初訳。16-17世紀の南米大陸での異端審問と(タイトルから察せられるとおり)ユダヤ人を扱った小説。大部だ。

今日はこれから同僚の最終講義、そしてパーティ。

2009年2月26日木曜日

昔は良かった

ある仕事。明日までかかるかと思ったら、今日で終わった。やれやれ。

出張前に出張費が振り込まれた模様。やれやれ。

しかし、確定申告の用紙にウェブ上で入力したところ、飛行機代程度は税金を取られる模様。やれやれ。

昔は良かった。確定申告の頃にはそう思う。昔は確定申告といえば還付金をもらうためのものだった。今では追徴金を払うためのものだ……追徴金というと、脱税したのがばれて払った金という感じか? いや、別に悪いことしたのではなく……

久しぶりに今年度は非常勤に行ったし、原稿料などの収入もあったし、それらが20万を超えたから、確定申告が必要になったのだ。非常勤先からの給与の税は低い税率で引かれているから、正当に払わなければならないのだ。痛い。

今年は車検もあるので、同様に金が飛ぶ。やれやれ。

「やれやれ」ばかりだ。やれやれ。

何気なく書いたが、出張、行きます。またメキシコに。今度はメキシコ市だ。DFだ。ただし1週間にも満たない。物足りない。でも行くことは行く。ポソーレを食べに行く。タコス・アル・パストールを食べに行く。それが出張の目的……というのはウソ、もちろん。

2009年2月25日水曜日

出来!

25日は国立大学は前期日程入試の日だ。監督に当たっていた。


元来受験者が2人しかいない部屋に割り当てられたが、欠席者が2人。つまり、出席者0! 遅刻を認める30分まで待って、後はお役ご免。

家に帰ると、アマゾンから送られた本に混じって、これが。ご恵贈いただいたのだ。

アデライダ・ガルシア=モラレス『エル・スール』野谷文昭/熊倉靖子訳(インスクリプト、2009)。

そう、あのエリセの映画の「原作」。「原作」としたのは、実際に世に出たのは映画の方が早かったし、異同は多いし、だからだ。しかし、映画に負けず劣らず叙情味たっぷりの中編小説。

先日の『ビクトル・エリセDVD-BOX』のブックレットで既に予告されていたので、訳者の野谷さんとお話ししたときに、あれ出るらしいですね、と話題を振ったのはいいが、出版社までブックレットに明記されていたというのに、そんなことすっかり忘れて、ところで、それ、どこから出るんですか、などと間抜けな質問をしたものだった。インスクリプトです。

表紙の写真があまりにもすばらしかったので、書影をご紹介。なんと、港千尋の写真だった。

2009年2月24日火曜日

飼い犬に……

しかしそういえば、数年前にはやった韓国のドラマの主人公も「ペ」だった。あまり「ペ」をスキャンダラスに感じることもないな。――昨日の記事を書いてからそう思い直し、では「ペ」の受賞を祝って、何か「ペ」の出た映画を……おお、そうだ、アスセナ・ロドリゲス『捕らわれた唇』(スペイン、1994)などはどうだろう。

そう思って近づいたら、なんと! となりには、カルロス・サウラ『カラスの飼育』(スペイン、1975)があるではないか! これがDVDになっていると知らず、つい最近気づき、手に入れたまま見ていないのだった。当初の目的からはずれるが、これにしよう。

両親を相次いで亡くして叔母に面倒を見てもらうことになった3人姉妹の次女アナ(アナ・トレント)が、優しかった母(ジェラルディン・チャプリン)と彼女を裏切った父を思い出し、叔母の暴君ぶりに馴染まず、耐えきれず、殺人を計画するというもの。回想と現在とが混在するその手法がなかなかいい。

これを見るのは実に20年ぶりくらいで、ストーリーもおぼろげだったのだが、挿入歌ジャネットの「だってあなたがいないから」"Porque te vas"は鮮明に覚えていたものだ。

原題はCría cuervos 。これは"Cría cuervos, y te sacarán los ojos"(カラスを育ててみろ、目をくり抜かれるぞ)ということわざの前半部。「飼い犬に手をかまれる」というやつだな。「犬」ではなく「カラス」であるところなどは、もっと教訓的な意味合いが強いというべきか? 「だから言わんこっちゃない。カラスなんざ飼わないことだ」という意味か? しかも目をくり抜かれるなんて!

カラスを演じるのが『ミツバチのささやき』から2年後のアナ・トレント。目のくり抜き方がいい。

2009年2月23日月曜日

おめでとう、ペ!

特にペネロペ・クルスの熱狂的ファンというわけでもないし(もちろん、嫌いではないのよ)、アカデミー賞に権威を感じているわけでもないが、まあ、ともかく、ペネロペ・クルス、アカデミー賞助演女優賞受賞。めでたい。ぼくの大好きなウディ・アレンの映画『それでも恋するバルセロナ』Vicky Christina Barcelonaでの受賞というのだから、ますますめでたい。

で、数時間後には別のニュースに張り替えられるのだろうが、とりあえず、このリンク先のニュース。ここでは"Pe"がオスカーを受賞と書かれている。(ペネロペのスピーチ映像は右上の"And the Oscar goes to..." というやつの方がたっぷり……この記事をアップした翌日、チェックしたら、案の定、もうだいぶ様変わりしていた。TVEのニュースのサイトだ)

"Pe"だ。Penélopeだから"Pe"だ。たぶん。

……「ペ」

「ペ」で良いのか? ペネロペはそれで承知しているのか? 

そりゃあね、"Pene"なんてやったひにゃあ、もっと哀れなものだし(peneはつまり、ペニス)、"Lope"じゃあ男みたいだ。でもなあ、いくらなんでも「ペ」はないだろう、「ペ」は。「カトちゃん、ペ」の「ペ」だぜ……

2009年2月22日日曜日

永続的締め切り恐怖

忘れないように言っておくと、先日のシンポジウム終了後も、ある原稿と他の原稿を仕上げ、送り、そのひとつは校正さえもしている。それ以外に試験を採点したり、ぼくの勤める大学の風物詩として、その答案返却要請に応じたり、ある人々に連絡を取ったり、というようなことをしている。

そういうことをしているかたわら、片目で「二十世紀の造形芸術が最終的にたどりついた状態は、〈永続的美的革命〉と名づけられよう」(ヴィーリ・ミリマノフ『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』桑野隆訳、未来社、2001)なんてパッセージを読むと、「21世紀の大学教員が最終的にたどりついた状態は、〈永続的締め切り恐怖〉と名づけられよう」と言い換えては自虐的にほくそ笑むことになる。ふふふふ……

2009年2月20日金曜日

記憶について考える


昨日は成績の一部を提出し、学生の面接、一年の答案の返却、等々の業務をこなし、その後、3年のゼミの連中とともに新年会(!)。いまさらながら。


場所は国分寺のメキシコ料理店。意外な穴場であった。なかなか良い。写真はデザートのブニュエロ。

彼らが1年のころのスペイン語の教材に、このブニュエロを題材にした読み物があったようで、この品名を見た瞬間に、何人かがこれを頼むことを決意した次第。

途中、店内のBGMで「グワンタナメラ」や「ベサメ・ムーチョ」がかかり、他の学生がぼくの地域基礎の授業でこれを聴いたときの衝撃を語っていた。

つまり、学生たちは意外に授業の内容に衝撃を受け、その衝撃によってある種の事象を記憶している。

きっとこれも他の授業で聴いて記憶したことを書いているんだろうなと、他のあるリレー講義の試験の採点をしながら、共通するトピックの多さに辟易する(どうせならこの授業で聴いたことを取り上げてくれよ)と同時に、そう予想している。