2015年12月31日木曜日

1年を締めくくらない

もちろん、1年を締めくくる気などない。大掃除などしていない。ちょっとした模様替えはしたけど。部屋のテーブルの向きを変えたのだ。なかなかいい。

さて、誤用が多い表現のひとつに「役不足」というのがある。本当はその役目が自分には物足りないという意味なのだが、どういうわけか、自分のようなものではそんな大役は務めかねます、という謙譲の意味に使われることが多い。

セサル・アイラ『文学会議』の翻訳で、一度この「役不足」という表現を使った。「世界征服というのもこれ以上はないほど控えめに設定した計画だ。なにしろ彼ほどの人間だから、それ以下では役不足というものだ」(25ページ)。この「役不足」は正しい使い方だ。でなければ厳しい新潮社校閲部からチェックが入っていたはずだ。

しかるに、今日、あるところで、この『文学会議』に触れながら、間違った意味での「役不足」を見つけてしまった。

まあ、どなたの書いた文章かわからないし、僕は言葉の番人を自称して悪しき世に立ち向かうつもりもないので、正確に引用して批判するつもりはない。ただ、なんとなく愉快に感じたのだ。きっとその人は『文学会議』本文で「役不足」の語を見つけたので、つられて使ったのであろうと推測などしてみる。そうして釣られて使ったのだけど、使い方は間違っていた。こうしたミスが、なんとなく面白いのだな。彼または彼女は小説本文中の「役不足」を果たしてどういう意味で取ったのだろうか? 追跡調査してみたくなるのだ。


しないけど。

2015年12月28日月曜日

僕にもきっとフォースがある

J.J.エイプラムス『スター・ウォーズ フォースの覚醒』(2015)

ルーク・スカイウォーカーが秘密の地図を残して姿をくらましてから、帝国軍の生き残りがスノークを中心にファースト・オーダーを組織、銀河共和国に戦争をしかける。ファースト・オーダーに対するレジスタンスを組織するのは、今では姫ではなく将軍になったレイア・オーガナ(キャリー・フィシャー)。

物語の発端は、レジスタンス側の敏腕パイロット、ポー(オスカー・アイザック・・・・・・というかオスカル・イサーク・エルナンデス)のドロイドBB-8(ルークの地図を持つ)を奪おうとしてファースト・オーダーの司令官カイロ・レン(アダム・ドライバー)が攻撃をしかけるところだ。逃げるBB-8、この村の出身らしく、殺戮に悩むストームトルーパーFN2187、後のフィン(ジョン・ボイエガ)は捕まったポーを助けて一緒にスター・デストロイヤーを脱出。ポーとは離れ離れになるが、首尾よくジャクーに到着、BB-8を拾ったレイ(デイジー・リドリー)とともに、さらなる追っ手を逃れて捨てられていたファルコンを拾って逃亡。ところが何者かに捕まり、・・・・・・

とストーリーを説明していけば、エピソード4-6のシリーズの単なる続きではなく、ほとんど繰り返しのようなものであることは察せられるだろう。カイロ・レンがハン・ソロとレイアの息子ベンであることはかなり早い時間に明かされるから、これを書いても「ネタバレ」とは言われないだろう。レイもまた出生の秘密があるらしく、これがエピソード8や9のストーリーのドライヴとなるに違いない。こうしたファミリー・ロマンスが背後に横たわっている点も、心憎いまでに『スター・ウォーズ』だ。戦闘機によるチェィス、そのクライマックスとしてのあるポイントへの攻撃、攻撃のし方そのもの、ライトセイバーによるチャンバラ、・・・・・・『スター・ウォーズ』が『スター・ウォーズ』を回収しつつ引用し、繰り返し、増幅している。『スター・ウォーズ』のファンにはたまらない。

ドロイドのBB-8の可愛さは、C3-POをはるかに凌駕するのではあるまいか? 砂漠で出会ったレイについていこうとする時、そのピコピコ、という機械音の発話が、明らかに "I want you" と言っている! ・・・・・・ように聞こえる。


・・・・・・そう聞こえるのも、それとも、僕自身が身につけてしまったフォースの結果か?

2015年12月27日日曜日

旧交を温む、いやグリルする。


授業のある時期、週に一日は弁当を持っていく。昼休みをはさんで2コマ連続で授業がある日にそうするのだ。それはここ2年は火曜日だった。月曜の晩にNHKの「サラめし」でモティヴェーションを高め、火曜日に弁当を作る。

弁当を入れるのにいいサイズのリュックが欲しいと思っていたのだ。

やれやれ。僕は本当に縮小経済を生きているのか? 物欲まみれだ。

昨日は駒場の大学院に修士論文を提出した外語時代の教え子たちと修士論文提出の打ち上げに行った。場所は六本木のメキシコ料理店La Cocina Gabriela Mexicana。同じ建物の地下にアガペというテキーラ・バーがある。で、レストランは炭火グリルで肉を食わせてくれるお店で、ここにはアボカド・オイルで育った豚、アボ豚が置いてある。

アボ豚のグリルをトルティーヤで包むと、カルニータのタコスのようだ。肉そのものも、さすがにうまい。

が、驚いたのは、店に着いた瞬間だ。迎え入れてくれたウェイトレスがどこかで見たような・・・・・・「忘れた?」と訊ねられ、思い出した。

ある彫刻家の方だ。大学院の学生のころ、向こうは日大芸術学部の彫刻専攻の学生で、何かの奨学金をもらってメキシコに行くので、スペイン語を教えてくれ、と言われて紹介されたのだ。彼女の帰国後、入れ替わりで僕がメキシコに行き、しばらく連絡が途絶えた。世紀が変わる頃、当時住んでいた国分寺のアパートの隣に偶然住んでいることが発覚、時々、顔を合わせた。そしてまた音信不通になり・・・・・・10数年ぶりに、今回、また出会ったという次第。


運命的だ。

2015年12月20日日曜日

出版を望む

昨日のこと。


以前、英語からの重訳で翻訳、上演されたプイグ最晩年の二人芝居を今回、古屋雄一郎訳、角替和枝+美加理のキャストで。

病院の患者と付き添い看護婦の会話と、二人がそれぞれに見る夢、もしくは幻想から、二人の過去や噓が明るみに出、二人の関係がほのめかされるという内容は『蜘蛛女のキス』や『このページを読む者に永遠の呪いあれ』にも共通するし、老いと若かりし頃の夢、母娘関係などはその他の小説作品にも共通する、プイグの真骨頂とも言える劇だ。

二人芝居だ。かつ、患者が付き添いの母に、付き添いが患者の妹や娘になったりして虚実が入り混じる展開だ。役者は難しい二人芝居な上に二役・三役をこなすという難題が課される作品だ。付き添い役の美加理はその切り替えがすばらしく、当然のことながら安定の角替和枝に互してすばらしいできだった。

実は僕はこの戯曲、これまで読んだことがなく、行きの新幹線の中で大急ぎで読んで(といっても、途中まで。2幕ものだが、1幕の終わり近くまで)観劇に臨んだわけだが、とても面白い作品だと思う。繰り返しになるが、プイグの真骨頂だ。古屋訳、どこかで出版されないかな? 『蜘蛛女のキス』戯曲版は本になっているのだから、これもそうなるといいな。


静岡在住の友人たちや当の古屋雄一郎さんなどと食事して、帰京。山手線が止まっていて往生した。

2015年12月18日金曜日

空腹と読書

2ヶ月ほど前に以下のようなことを書いたのに、アップするのを忘れていた。

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ぼくはきっと、昔から読書するきれいなお姉さんが好きだったのだろう。自分が読書が好きだったのかどうかはともかくとして……

かつて、NHKの教育テレビ(現Eテレ)で「若い広場」という番組があって、そこで斉藤とも子が作家などに1冊の本を推薦してもらい、語ってもらうというコーナーがあった。安部公房が『百年の孤独』を語り、それに応えて高校生の斉藤とも子が作品の感想を述べたり、とそんなやり取りが展開されていたのだ。

昨日、そのコーナーの昔の映像を流し、斉藤とも子その人を呼んで話してもらうという時間があった。昔の思い出をぼくもしばし懐かしく見た。

開高健がサルトルの『嘔吐』を語り、腹を空かせながらだと読書は響く、と言っていた。現在の野坂昭如(注:まだ亡くなる前だった)が書面でコメントを寄せ、戦後の貧しい時代、読書で空腹を紛らわせたと回想していた。

ふむ。

空腹と読書か! 

ポール・オースター『空腹の技法』だ。というか、その最初のエッセイ「空腹の芸術」で扱ったクヌット・ハムスン『飢ゑ』だ。

矢作俊彦『悲劇週間』では堀口大學の父親が、学生時代、砂糖をなめながら本を読んでいたという記述があった。ぼくはそれを糖分が脳にいいからだろうと思っていたのだが、これはつまり、砂糖だけをなめ、空腹の状態を作っていたということなのかもしれない。

その後の発言を見るにつけ、今となっては忘れてしまいたい読書体験だが、渡部昇一『知的生活の方法』では、彼は小遣いのほとんどを本につぎ込み、いつも腹が空いていた、と書いていた。

ぼくも貧乏な時代を生きてきたので、腹を空かせながら読書していた。メルキアデスの羊皮紙を読むアウレリャーノにも似て、テクストの内容が目の前に迫ってきた。思うに、最近、時々、読んでもいっこうに内容が頭に入らないことがあるのは、もはや空腹を感じていないからかもしれない……
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これを書いて以来、ぼくは意図的に空腹を作り出すようにしている。だからといって本の内容が頭に入ってきたかどうかはわからない。

例えば、ル・クレジオ『嵐』中地義和訳(作品社、2015)なんてのは、その表題作はヴェトナム戦争に従軍し、兵士が現地の女性を強姦するのを見過ごしにしたことによって投獄されたキョウさんという男性が、かつて恋人が入水自殺した韓国の牛島に久しぶりにやって来て、米兵と現地女性との子供ジューンと知り合い、ある種独特の関係を切り結ぶ話なのだが、夫に捨てられ都会からこの離島に移り住み海女となった母親を真似、海に潜るジューンの叫び声を目にした瞬間に、ハタと気づいているのだから、果たしてテクストに没入していたのかそうでなくて単にぼんやりしていたのか?

ジューンは叫ぶのだ。「エエエアル―ヤアアアル!」と。つまり、ここからタイトルはきているのだ。だから「嵐」なのだ。


ちなみに、ル・クレジオは、今週日曜、12月20日、東京大学で講演会を行う。リンクはこちら

2015年12月13日日曜日

他人の授業をのぞき見する

『早稲田文学』2015年冬号にはエドゥアルド・ハルフォン「遠い」(松本健二訳)ベルナルド・アチャガ「アコーディオン弾きの息子」抄訳(金子奈美訳)が掲載されている。

「アコーディオン弾きの息子」は、作者の本名と同じ名の作家が、50で死んでしまった友人(アメリカ合衆国に移住し、しかし、妻に古い言語と言われるバスク語で回想録を書いた)の回想録を基に本を書こうとする話だ。ハルフォンの「遠い」は文学教師が、詩を書く教え子と交流を持つのだが、その教え子が大学をやめてしまい、その理由を尋ねにはるか田舎まで旅をする話。その学生はカクチケル語の話者でもある。

多言語状況というか、間文化性というか、そうした状況の中で書く言語を選択する人がいることをオートフィクションとして示しているという意味で、この2作品は、現代文学(スペインとかグワテマラとか、個別の一国に限らず)のあるひとつの方向を示している。

とろこで、ハルフォンの短編には授業の内容も少し書かれていて、同僚がどんな授業をするのかが常に気になる僕にとっては、そういうのぞき見趣味(? 研究熱心、と言ってもらいたい)をも満足させるものだ。


教師と学生との教室での関係というのはまた、ひとつの頻出するトピックで、その観点からも人を惹きつけるところ。

2015年12月6日日曜日

海老で鯛を釣る、ではないし、ミイラ取りがミイラになる、でもないし、……何て言うのだ?

下北沢のB&Bに今福龍太とキルメン・ウリベのトークショウに行った。で、キルメンの本は買わずに(だって、持ってるもん。読んだもん。書評すら書いたもん)、こんな収穫があったよ、という絵。

エリック・ラックス『ウディ・アレンの映画術』井上一馬訳(清流出版、2010)

元から知らなかったのだったか、忘れていたのだか、ともかく、持っていなかったこの本。B&Bに置いてあった。600ページを超す分厚い本が3,800円也だったので、すぐさま買った。

右の黄色いのは: Enrique Vila-Matas, Marienbad eléctrico (México: UNAM / Almadía, 2015).
ビラ=マタス『電気のマリエンバード』。グワダラハラのブックフェアから帰ったばかりの宇野和美さんが、今年のブックフェア賞受賞者ビラ=マタスの、それを記念して出されたばかりの本をお土産にくださった。

その上に乗っているのは、温又柔さんの「あなたは知らない」。黄耀進による台湾語訳との対訳2年前のフェスティヴァル・トーキョーでの「東京ヘテロトピア」。そこで最初の台湾語辞書を作った王育徳について温さんの書いたテクスト(その時、僕もその王育徳の墓の前でこのテクストを聴いたのだった。とりわけ印象的な文章だ)を、こうして小冊子にして持ち歩いていた温さん(つまり、彼女も来ていたわけだ)に、いただいた。

ビラ=マタスの本と温さんの本、キルメンの小説の中身は、近年のある種の文学の方向性を明確に示し、共鳴し合っていると僕には思える。そのことはおいおい、書いていこう。

キルメンの本を買わなかった代わりに(?)ちゃっかりサインはいただいてきた、というのが上の1冊。

トークショウはまず前半、今福さんが『ムシェ』の中で印象的だと思ったパッセージを取り上げ、それに関連してキルメンに質問するもの。前回の来日時はこれを書き上げた直後だったのだが、1作書き上げた後の作家の意識としてはどんなものだったか、『ムシェ』の中のロベールの妻ヴィックの、違いがあるからこそ愛し合えるという態度、等々、等々……


途中で休憩を入れ、キルメンがバスク語の詩を読み、今福さんがその日本語訳(もちろん、金子奈美によるもの)を読み、最後に返礼として今福さんによるスペイン語の詩を日本語訳(本人による)を今福さんが、オリジナルのスペイン語版をキルメンが読む、という形で締めた。

2015年12月5日土曜日

縮小経済を生き……ているのか? 

冷蔵庫の調子がおかしくなった。自動霜取り、排水処理要らずのはずなのに、水が垂れる。しかも、かなり頻繁になってきた。容量もいささか小さめなことだし(ここに引っ越してきてから、ともかく、家で食べる頻度が増えたので、冷蔵庫もフル稼働だ)、思い切って新しいのに買い換えた。家電リサイクル料が安いグレードぎりぎりの170l弱。

やれやれ、本当に縮小経済なんて生きられない。

古い冷蔵庫はリサイクル料を払って引き取ってもらったわけだが、……

! 

中にいくつかものを入れたまま運ばせてしまった。

参ったな。

プラド美術館展@三菱Ⅰ号館美術館。

非常勤先の慶應の学生に、バイト先で手に入れたといって無料券をいただき、その有効期限が明日までだったのだ。

土曜の割りには空いていたし、このサイズの美術館に期待したよりはるかな充実ぶり。ボス、レーニ、ティントレットにベラスケスのパチェーコ像、当然のルーベンス、ムリーリョにブリューゲルのバベルの塔、ゴヤ……


ところで、1月8日、下北沢のB&Bで『文学会議』関連のイベントをやる。豊崎由美さんとのトークショーだ(かすかに色の変化した部分には関連サイトへのリンクがあるのだ。念のため)。ぜひ、ご参集されたし。

不敬の刺激

坂手洋二作・演出「お召し列車」燐光群@座・高円寺

東京オリンピック(例のボツになったエンブレムがあちらこちらに貼ってあった。それだけでもう面白い)時の観光客向け特別「お召し列車」の構成を決めるための試運転の列車が舞台。無作為に選ばれた審査員たちが、豪華列車からなるA案と歴代ロイヤル・トレインをつなぐというB案の2つがプレゼンされるのだが、2案の車両の間に、ハンセン病患者向け「お召し列車」復元車両があることに気づき、これをC案として考慮に入れることにする。

「お召し列車」復元車両は、1953年、ハンセン病収容所内にできた高校に入学するために全国から移動する患者たちを乗せて走ったことがあり、その時、その列車に乗った元患者たちも招かれ、この列車に乗っている。かつてその高校に通い、後に収容所を出、身分を偽って結婚したものの、そうしてできた息子を亡くし、別れ、また別の収容所に入っていた女(渡辺美佐子)とその又めい(宗像祥子)、幼くして死んでしまった息子の幽霊(猪熊恒和)の話が、上の審査員たちの話と交錯する。


皇室の列車である「お召し列車」がハンセン病患者の列車の隠語でもあるという差別の構造がある以上、実は東京オリンピックの観光客向けの「お召し列車」にはある大胆で不敬、しかし説得力のあるひとつの仮定が存在するのだとの事実が露呈する瞬間があり、鳥肌が立つ。うーむ。2020年、東京オリンピック。もうそんな先の話ではない。

比較的席が前の方で、カーテンコールではちょうど松岡洋子さんが正面に立つ格好になった。ふふ♡

2015年11月21日土曜日

私は如何にして個人番号を受け取るに至ったか? 

荷物を待っていた。待望の荷物だった。ふと、窓の下を見れば、それを運んでくるはずの運送会社のトラックがはす向かいの集合住宅前に停まっていた。そんな状況だったから、ピンポーン♪ と鳴ったとき、何の疑いも抱かず、確かめることもなく、ドアを開けた。

郵便配達人だった。


お名前、間違いないですね? では、印鑑、お願いします。

「マイナンバー」などというダサダサの通称など、使いたくもない。あの忌々しい個人番号カードだったのだ。意に反して、僕はそれを受け取るという屈辱を舐めたのだった。

……参った。その1、2分後、本当に待っていた荷物はやって来た。

荷物はこれだ。

電気を使わない手動のエスプレッソ・マシン。湯を注いでレバーを上げ下ろしするだけでエスプレッソが美味しく仕上がる。僕は使わないけれども、付属の器具を使えばカフェラテやカプチーノも作れる。

Facebookで誰かがいいね! していた広告のページ。思わず、見た瞬間に買ってしまったのだ。

前に書いたとおり、炊飯器やコーヒーメーカー(ドリップ式)の電化製品を捨て、手動に回帰しているのだった。普段は自分でドリップしたコーヒーを飲むのだが、エスプレッソも飲みたい。それで、エスプレッソ・マシンだけは捨てずにいたのだ。が、いい機会だと思い、これに換えた。スペースもスッキリ。できも上々。


うーむ、「縮小経済を生きる」(ものを切り詰め、増やさず、シンプルに生きる)と「物欲」は表裏一体なのだ。ものを持たないということは欲望に叶うものを持つということなのだから……

2015年11月20日金曜日

ものにも命がある

ものにも命がある。

これは『百年の孤独』でメルキアデスがホセ・アルカディオを騙すときに使ったセリフだ。しかし、そこには一片の真実はある。

モノは、時々、例えば買い換えようかなと思ったときとか、飽きたな、と感じたときなど、不機嫌になる。不機嫌になって故障したり壊れたりなくなったりする。

考えようによっては、逆も言える。僕らはモノの命や状態を暗黙のうちに察知し、そろそろ寿命だというころに買い換えを考えたりする。

でも、そう考えるより、モノにも命があると考えた方が何だか生活が潤う。たぶん。

たまに自転車で大学に行く。満員電車を避けるためだったり、サイクリング気分を満喫するためだったり、ともかく、自転車で大学に行く。前に書いたと思うけれども、東大に勤めるようになって、大学からほど遠からぬ場所に引っ越した際のコンセプトは学生のような生活がしたい、だった。大学から遠からぬ場所に住み、ほぼ毎日大学に行く。自転車で通うというのも、そのコンセプトに含まれた行動だ。

自転車自体はけっこう前に買ったものだ。このブログのバックナンバーをたどれば、買ったときの記事が見つかるはずだ。この自転車が、前のアパートの駐輪場が雨ざらしだったものだから、サビができたりしてうるさい。チェーンが軋みを上げたり、ブレーキがキーキー鳴ったりする。

先日、ふと、思い立ったのだ。そういえば自転車、買い換えようかな。すると、とたんに鍵をなくしてしまった。昨日のことだ。大学内での話だ。会議があったので自転車で大学に行き、どこかに鍵を落とした。今日、鍵屋を呼んで壊してもらい、近所の自転車で新たな鍵をつけてもらった。

……自転車本体ではなく、鍵が拗ねてしまったのだ。僕がそろそろ買い換えようなんて考えるものだから。

駐車許可の期限もあることだし、ええ、今年度いっぱいは、少なくとも、使いますとも。そう簡単には捨てません。

写真は昨日恵贈していただいたロベルト・ボラーニョ『はるかな星』斎藤文子訳(白水社、2015)。コレクションの新刊。この次は僕が訳す『第三帝国』だ。下は『ラティーナ』2015年12月号。ここに書評を書いた。キルメン・ウリベ『ムシェ 小さな英雄の物語』金子奈美訳(白水社、2015)の書評を書いた。

『ムシェ』は涙なしでは読めない小説だ。オートフィクションの形式で、ロベール・ムシェというベルギー人の人生を作家(とおぼしき人物)がたどり、あまり知られていない戦時中の事故……事件を明るみに出す。


ウリベは『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』(金子奈美訳、白水社、2012)の時に続き、来日する。東京都京都で色々なイベントに出る。

2015年11月8日日曜日

バルトはもうすぐ100歳になる


以前告知したように、昨日、11月7日、明治大学中野キャンパスでシンポジウムSpinning Barthesに出てきた。15人の非専門家(バルトの、もしくはフランス現代文学の)がバルトの著作の1冊を15分間プレゼンテーションするという試み。なかなか面白かったのだ。

上野俊哉さんの『神話作用』についての話(カルチュラル・スタディーズの先駆者としてばかりの読みはもういい加減やめようよ、と)に始まり、発表者のアイウエオ順に、ぼくの『偶景』についての話まで、質疑応答も含めると5時間ばかりの濃密な時間。

会場はこんなすてきな場所だった。



一夜明けて今日、次の翻訳のゲラが来た! フアン・ガブリエル・バスケスの『ものが落ちる音』あるいは『落ちる音』だけになるかも知れない。El ruido de las cosas al caer。頑張って校正して、公約通り年内3冊の翻訳出版となるか!? 

2015年10月15日木曜日

独身者機械を夢見て


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SPINNING BARTHES 100歳のロラン・バルト」
明治大学大学院理工学研究科新領域創造専攻では、フランスの批評家ロラン・バルト (1915-1980) をめぐる公開シンポジウムを開催します。予約不要、参加無料。お誘い合わせの上、ぜひご参加ください。
【日時】2015年11月7日(土)12:20~17:30
【会場】明治大学中野キャンパス5階ホール
【主催】明治大学理工学研究科 新領域創造専攻
【フォーマット】ひとり15分のショート・プレゼンテーション。ロラン・バルトの著作1冊を選び、発表者自身の現在の立場から、自由に論じます。バルトが試みたさまざまな冒険を、現代に再生させるための道を探ります。
【発表者】(全15名)
上野俊哉 (和光大学) 
温又柔  (小説家)
倉石信乃 (明治大学)
鞍田崇  (明治大学)
小沼純一 (早稲田大学)
小林昌廣 (情報科学芸術大学院大学)
清水知子 (筑波大学)
陣野俊史 (文芸批評家)
管啓次郎 (明治大学)
谷口亜沙子(獨協大学)
根本美作子(明治大学)
波戸岡景太(明治大学)
林立騎  (演劇研究者)
松田法子 (京都府立大学)
柳原孝敦 (東京大学)
【時間進行】
12:00 開場
12:20 司会者による進行説明
12:30~13:45 セット1(5名)
14:00~15:15 セット2(5名)
15:45~17:00 セット3(5名)
17:00~17:30 オーディエンスとの対話
17:45 終了・撤収
【連絡先】明治大学理工学部批評理論研究室 管啓次郎 (044-934-7275)
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ぼくは『偶景』についてお話しする。

そのちょっと前にこんなのを出す。セサル・アイラ『文学会議』拙訳(新潮社)

これ、つまりこの作品集の表題作になっている作品「文学会議」は、「あとがき」には書かなかったけれども、語り手が明言しているように、独身者(の)機械のような小説だ。ここに「望外鏡」という、どういうものだかよくわからない機器が出てくる。それをデュシャンのいわゆる「独身者の機械」だと述べている。デュシャンの「彼女の独身者によって裸にされた花嫁、さえも」では大ガラスの下半分が「独身者の機械」と題されている。これだと言うのだ。


この「独身者(の)機械」の概念をカフカから始まって色々なところに広げたのがミシェル・カルージュだ。カルージュ的「独身者機械」を広げていった先でロラン・バルトを読む……と、そんなことを上のシンポジウムでやるつもりはないが、今日は少しそんなことを考えていたのだった。

2015年10月14日水曜日

教え子を妻とするについて

ミシェル・ウエルベック『服従』大塚桃訳(河出書房新社、2015)

シャルリ・エブドの襲撃の日に発売だったことで話題になったウエルベックの新作。それがなぜ話題になるかというと、フランスが2020年、イスラーム勢力に政権の座を奪われるという近未来が描かれているからだ。主人公はパリ大学で文学を講じるユイスマンス研究家。同僚の夫で公安のような仕事をしていた人物の薦めに従い、大統領選挙直後、大学が閉鎖されたのを機にしばらく田舎に逃避していた。戻ってみると、パリ大学はアラブ資本の手に落ち、イスラム教徒ではない彼は職を解かれる。ただし、プレイヤード叢書のユイスマンス全集の仕事のオファーを受けたのを機に大学への復職を持ちかけられる、……という内容。

フランスがイスラム圏になるという内容がショッキングなのであり、そのことについては色々と語られるだろうから、ここは、ちょっと目先を変えて:

主人公兼語り手のフランソワは、既に述べたように大学教員だ。その彼にはミリアムという恋人がいた。学生だ。後半で、イスラム社会になったパリで大学教員に復帰したかつての仲間のなかには60くらいになって結婚したという人物がいた。イスラム的価値観を叩き込まれた若い女性だ。学生だ。

どうも大学教員が主人公の小説(や映画)には教え子との恋、もしくは教え子との関係が語られるものが多い。ウディ・アレンの何かの映画でも大学の創作家で教える人物(アレン本人)が教え子と関係を持っていた。この間訳し終えたフアン・ガブリエル・バスケスの『物が落ちる音』でも主人公兼語り手の法学部教師が教え子と関係を持ち、結婚した。クッツェーの『恥辱』は教え子と関係したことから身を持ち崩す主人公が痛々しい。

うーむ。俺はかれこれ20年近く大学教師をしているが、教え子との関係、うーむ、あんまりないなあ。聞かないなあ。ついこの間までほとんど女子大みたいな大学に勤め、同僚から「ハーレム」などとセクハラまがいの形容をされてはきたが、こうしたことにはことさら気を使ったつもりだし、何より、子供ほどの年齢だと思えば、そんなに教え子の女子学生に心惑わされることもなかったし、大人の女性との恋にむしろ夢中だったし……うーむ……

なんちゃって。

カトリックに帰依したユイスマンスの研究をしながらイスラムに帰依する気になる主人公の心境の変化の叙述が繊細だ。ここがいい加減だと鼻白むところだろう。でも、読み終えてからパラパラと前の方を捲ったら、既にこんな心境の吐露があった。

「(略)ぽくは多分、いいかげんなマッチョなんだ。実際のところ、女性が投票できるとか、男性と同じ学問をし、同じ職業に就くことがそれほどいい考えだと心から思ったことはない。今はみんな慣れっこになってるけど、本当のところ、それっていい考えなのかな」(35)

たぶん、これがミソ。

ツイッターの書き込みで誰かが、「村上春樹が村上龍のような小説を書いた感じ」というようなことを書いていた。大統領になるモハメド・ベン・アッベスについての情報がほとんど同僚の夫アラン・タヌールからのみ会話によってもたらされるという技法は、なるほど、村上春樹だ。


2015年10月12日月曜日

肛門性交の快楽

『エイゼンシュテイン・イン・グアナフアト』についての先ほどの書き込みには書き忘れたけれども、グリーナウェイをやはりどうしても見てしまうのは、彼に一種ポストコロニアルな視点があるから。セックスのシーンでのセリフが実に示唆に満ちている。

さて、連日のホモセクシュアルもの(?)だ。


ラ・ボカという海沿いの田舎町で集団生活をする神父たちのもとに、マティーアス・ラスカーノ神父(ホセ・ソーサ)が送り込まれる。マティーアスは自分はここにいる他の神父たちとは違うのだと主張する。どうもここは、主に男色や幼児虐待を疑われた聖職者たちが、その罪を悔悟するために住んでいるコロニーらしい。外界から遮断され、監視役の、これも訳ありらしいマザー・モニカ(アントニア・セヘーラ)が唯一の接触係だ。ことさらビダル神父(アルフレード・カストロ)の可愛がっているグレイハウンドのラヨを地元のドッグレースで走らせるのも彼女の役目だ。(神父たちは遠くから眺めるだけ)

さて、マティーアスがやって来てすぐ、この施設の門前にサンドーカン(ロベルト・ファリーアス)が現れ、大声でマティーアス神父の幼児虐待(虐待とは、性的、という意味だ)の過去を大声で暴き立てる。ピストルで威嚇するように言われて外に出たマティーアスは、威嚇するどころか、それで自殺してしまう。

この件について調査する目的で、教会からガルシア神父(マルセロ・アロンソ)がやって来るが、どうもこの施設を潰すのが目的らしい。

サンドーカンは地元に住みつき、漁師の手伝いを始める。この目障りな存在を懲らしめようとする陰謀が映画のクライマックスなのだが、その後、どんでん返しの結末に向かう。

サンドーカンはマティーアスを告発しようとしていたのではない。彼は神父が忘れられなかったのだ。彼とのアナル・セックス、オーラル・セックスが。精液を飲むことが天国へ至る道だと教えられ(聖体拝領みたいだ。聖餅と赤ワインでキリストの肉と血を受け入れるものだった儀式が白ワインに換わったのは、白ワインが精液のことだからだと言ったのはバタイユだったか?)、本当に天国にのぼる思いをしたというのだ。この感覚が、物語の展開の最後のどんでん返しを支える論理なのだと思う。


性に関する単語は、登場人物たちはほとんど通常の単語で発していたように思うのだが、字幕はことさら俗語風だったように思う。それが残念。最後の最後にビダル神父がひと言、"Concha su madre"と呟くのだが、これの爆発力が減じてしまいそうだ。

石造りのトンネルを抜けるとそこはグアナフアト


『メキシコ万歳』のロケに来たエイゼンシュテイン(エルマ・バック)がメキシコ中部の美しいコロニアル・スタイルの都市グアナフアトで過ごした1931年の死者の日直前の10日間を扱ったもの。

オープニングのエイゼンシュテインの旅のシークエンスはモノクロ映像で、時々スクリーンを3分割してエイゼンシュテイン自身の映像を挿入し、グリーナウェイのフッテージをエイゼンシュテインらしく見せる。映画人エイゼンシュテインがメキシコで如何に映画を撮ったか、というストーリーだろうと期待させる。

……が、映画撮影の場面は一切なく、むしろ違う主題を扱ったものであることは、クレジットが終わって一行がグアナフアトに到着し、歓待を受けるシークエンスから明らかだ。性的に奥手なエイゼンシュテインがガイド役の現地の青年パロミーノ(ルイス・アルベルティ)に導かれてホモセクシュアルに開眼していくという話だ。

性描写の過剰(一般映画としては、ホモセクシュアルを扱った映画としては)がグリーナウェイらしい。レストランからくすねてきたオイルをパロミーノがエイゼンシュテインの背中から尻にかけてのラインに垂らし、同じをオイルを使って自らのペニスをしごき、徐々に勃起させながら口説いていく場面は、このまま挿入の絵も見せるのではないかと期待(?)させる。さすがにポルノグラフィではないのでそんな映像はないのだが、そんなわけで、ハードコアではないかとの疑いすら抱く(実際はどうなのかは知らない)。このさじ加減が実にグリーナウェイらしい(とぼくは思う)。ヴィスコンティもアルモドーバルも撮り得なかった愛だ。

映画祭限定なのか、今回はモザイクやぼかしなし。下手にぼかされると、確かに、困るといった類の作品だ。


ちなみに、アップトン・シンクレアの妻やその弟など、出資者との確執(というか、出資者の無理解)から『メキシコ万歳』は完成を見なかったのだが、そうした事情が描かれ、彼が実際に残したフッテージが数多く挿入され、実際に残された彼自身の写真なども想起され、セリフ内でもエイゼンシュテインの業績についての言及がなされるなど、エイゼンシュテインとメキシコの関係をめぐる事実の外枠は踏まえられ、表現されている。ガイドとの関係などが事実に基づくものなのかどうかは、ぼくは知らない。フィクションだろうとは思うのだが、そんなことは、この際、どうでもいいのだろう。何より、グアナフアトが美しい。フエンテス『良心』の舞台。ぼくも好きな都市だ。

2015年10月11日日曜日

カレー三昧

日本イスパニヤ学会第61回大会@神田外語大学に行ってきた。海浜幕張が最寄りの駅なので、途中、舞浜を通る。3連休の初日、朝から舞浜を通る電車に乗ることの辛さ! 

ぼくはかつて舞浜の隣、新浦安にある大学にも非常勤で通っていたし、神田外語大にも何年か教えに行っていた。

で、勝手知ったる神田外語大なのだが、ぼくが教えに行っていた頃よりキャンパスも大学の中身も拡大しているのだ。こんな建物、かつてはなかった。

ぼくはイスパニヤ学会の理事で、この学会は、基本的に大会の分科会司会は理事が担当することになっている。土曜日は司会を担当したのだ。かつ、広報担当理事として「会報」の編集も引き受けている。昨日は無事「会報」が発行され会員の手に渡った日でもあった。会報の「編集後記」には、スペイン語圏からの翻訳がたくさん出ることはめでたいが、それが時代と他分野・多言語からの翻訳や周囲の期待という審判に耐えねばならないのだと考えると、身がすくむ、というようなことを書いた。これが決定版の翻訳にならざるを得ないと考えると、翻訳って緊張するだろう、と。


今日はこんなものが届いた。以前、クレジットカードのポイント交換でお願いしていたレトルトのカレー・セット。フライパンと同じポイント数を要するのだから高級なのだ。

2015年10月8日木曜日

待機の木曜日

いくつかの荷物を待っている。そして、別のあるものも待機している。

荷物のひとつが、これだった。掃除機。

いかに縮小経済を生きる、と言っても、何もかも買い控えていたのでは困る。生活に必要なものは必要なのだ。たとえば、掃除機は。

もう20年くらい日立のスティック型の掃除機を使っていたのだが、引っ越しの直前に壊れてしまった。ハンディ・クリーナーでごまかしていたのだが、さすがに背に腹は代えられない。ついに新たなのを買うことにした。

またしても日立にしたのは、ゴミを入れるパックがまだ余っているからではない。近頃ではサイクロン、ゴミパックなしのものが主流のようなのだ。かなり高級なもの(ビックカメラ価格で6万円前後)、そこそこ高級なもの(同3万円くらいのもの)、安価なもの(同1万円かそれ未満)があり、安価なものの中にはまだ紙パック式のもあるのだが、他はそうではないらしい。かなり高級なものなどは要らないかと思って中間帯のを物色していたら、これに当たった次第。


もうひとつ待機中なのは、ノーベル賞の結果。今日は文学賞の発表が予想される日。またしても、ある人が取ったらコメントをくれと言われているので、予定稿を準備して連絡を待っている。ただし、今日は夕方から飲みに出かけるので、居酒屋で仕事仲間たちと待機、というと、まるでこちらが何かの受賞を待っているみたいだ。

2015年9月22日火曜日

寝心地?

ともかく、京都に行くのに大阪でしかホテルが取れなかったのだ。

しかも、なんというか、その社長のしゃしゃり出てくる仕方がなんだか怪しげだなと思っていたホテル。埼京線の板橋駅あたりに大きな看板があって、ホテルのビルよりも大きな社長の顔写真が出ている、あのホテルだ。

部屋の中にこんなのが置いてあった。

……やれやれ。

京都に行ったのは、去年の今ごろと同様、立命館大学での世界文学・語圏横断ネットワーク研究会に出席したのだ。アフリカ文学、越境文学、戦後70年の3セッション。

今年は果たして本当に戦後70年なのか? ということなど。

初日の懇親会の後にすっかり酔っ払って、12時も回ってからホテルには着いたので、値段のわりに狭いことなど気にはならなかった。酔っ払ってぐっすり寝た。


……でもなあ……

2015年9月14日月曜日

授業開始前の足掻き

昨日は新国立劇場に行ってきた。新国立劇場とは浅からぬ縁がある。いや、とても浅い縁がある。

深浅はともかく、縁あって新国立劇場に行ってきた。劇場の養成所の訓練生たちの最終年度の公演にガルシア=ロルカの『血の婚礼』を演目に選んだというのだ。それで、原作研究のためにいろいろと話を聞きたい、と言われて、テクストを携えて行ってきたのだ。

いろいろと質問を受け、改めて『血の婚礼』のテクストの詩的喚起力にうなり、悩まされてきた。

その時、家ですぐに見つかったテクストがメキシコのPorrúa社の版だったので、それを携えて行ったのだが、面白いことにその版では「花婿」はその母親との会話で敬称ustedを使っていた。他の版では親称túのはずだが。

ところで、クックウェアを減らしていると書いたが、減らしているだけではない。クレジット・カードのポイントでこんなものを買ってみた。電子レンジで揚げ物など(揚げ物だけでなく)が作れる〈デリパン〉。

こんなの作ったり。


明日から授業なのだ。今年は授業の開始が早いのだ。焦っているのだ。逃避しているのだ。

2015年9月5日土曜日

静かな生活

ある方から宇都宮みやげにそばパスタというのをいただいた。

そばなのかパスタなのか判断に迷い、結局、パスタに見立て、カルボナーラにしてみた。

石鹸とかお茶とか食材とか、もらったものはともかく(石鹸、お茶など習慣を変えてでも)使うことにしたのは、つましく生きようとの思いがあるからだ。

つましさとは無関係だが、カルボナーラが載っている皿は木製。食器類も数を減らして最小限にしているのだが、焼き魚などを載せられる横長の皿は買い足さねばと思っていたところに、これを見つけて、買ったもの。

前に書いたように、生活の様態が変わった。1DKでその1が寝室も居間も書斎も兼ねる。DKはこんな風に細長く、テーブルもあるにはあるのだが、ほとんど作業台程度に使っており(アイランド・キッチン?)、皿の下にある盆で食事を部屋まで運び、食べることの方が多い。


酔って帰った翌日土曜の昼、パスタが嬉しい。

2015年9月1日火曜日

船出してきた

昨日、8月31日、文芸フェスのローンチ・パーティというのに行ってきた。

2013年、2014年と、日本財団が主催して文芸フェスというのが開かれてきた。外国の作家なども招聘し、期間中、色々な会場で色々なことが催される。2015年の3月には開催されなかったけれども、第3回が2016年3月に開かれるという。その、船出。

主催者としては初回は主に英語圏の作家ばかりだったが、徐々に他言語の作家も多く参加を呼びかけたいとのこと。もちろん、スペイン語圏の人も、と。ただ、資金が潤沢なわけではないので、……等々。

知り合いやらサイバースペースでは知り合いだけれども会うのは初めてという人やらと話をしていて、太田光の話とか小野正嗣と西加奈子のトークとかをよく聞いていなかった。面目ない。

翌日、つまり今日、ご恵投いただいた。リディア・デイヴィス『サミュエル・ジョンソンが怒っている』岸本佐知子訳(作品社)

短編集だが、中には超短編を含む。スペイン語圏でmicrorrelatoと呼ばれ、すっかりジャンルとして定着した観のある短い文章のことだ。よく引き合いに出されるのが、アウグスト・モンテロソの「恐竜」。「目が覚めると恐竜はまだそこにいた」だ。こうした一行や二行の作品を含むのが今回の短編集。表題作はことに短い。「恐竜」よりも短い。タイトルと一続きではあるが。

もちろん、数ページ、数十ページの通常の短編もあるのだが、こうした短いものを含むので、最後の「謝辞」までが短編ではないかといぶかしく思う。こう書いてある。

付け加えるぺきことは一つだけ
本書に収められた銅版画の
丁寧な再刻はすべて
カフ氏によるものである     (234ページ)


うむ……

2015年8月29日土曜日

Would があるから「できれば」なんだぜ


ハーマン・メルヴィルの作品は『バートルビー』だ。これは『バートルビーズ』複数形だ。そして実際、複数のバートルビーが登場する。2人、もしくは3人、または4人だ。

まずは3.11の津波の害を免れたT病院。そこの事務局長(大西孝洋)が見出した「彼」。最初のうちは仕事をしていたのに、やがて「できれば私、やりたくないのですが」と言いだし、事務局長の言葉によると「ヴァイタル・フィーリング」を失い、病院に居すわり、病院が移転しても居すわり続ける人物。

2人目は父親と婚約者の前で「できれば私、やりたくないのですが」と婚約破棄し、バイト先に籠城するビトーさん(宗像祥子)。

3人目は原作のバートルビー(たぶん。もしくはそれを改変したもの)。

4人目は詳しくは書かないが、ビトーさんのオトーさん、あ、いや、お父さん(猪熊恒和)。

これら4人のバートルビーが絡み合う。その絡み方は想像がつくものもあろう。が、こう書いただけではどうしても想像のつかないものがあるはずだ。2人目と3人目のバートルビーの繋がりだ。この繋げ方が絶妙で、この作品の質を保証している。


アガンベンやビラ=マタスにも言及しているが、ここまで書いて来たように、坂手バートルビーはバートルビーのセリフ「できれば私、やりたくないのですが」に着目したところ(書くことを拒否したこと、書けなくなったことは本質ではない)にかけてビラ=マタスとは異なる。I would prefer not to do... この語がフクシマに接続できることに気づいたのは、さすがだ。唸らざるをえない。

2015年8月28日金曜日

連休の京都を侮るなかれ

4、5日留守にして戻ってみたら、昨日から東京は秋の雰囲気。エアコンの要らない日々だ。

留守にしたのは、まずは京都に行ったからだ。日本イスパニヤ学会の理事会。

翌日は、こんなものをたしなみながら幸せをかみしめた。

その後、伊東に移動。現代文芸論研究室の合宿に参加。合宿初日は誕生日だったので、宴会では祝ってもらったりした。ありがとう。

9月はあちこちに行ってばかりだ。今日、再びの京都行のために部屋を手配しようと思ったら、どこも一杯だった。空いている部屋といえば、一泊7万も8万もする部屋か、ひとりが確保できないユースホステルのような宿のみ。大津あたりでももう一杯で、仕方がないから大阪に宿をとったのだった。

やれやれ。


9月に京都に行くのは、去年同様、世界文学・語圏横断ネットワーク研究会に出るためだ。

2015年8月15日土曜日

縮小は終わらない

昨日、久しぶりに「縮小経済を生きる」というラベルを使って、思い出した。そういえば縮小経済は続いているのだと。まあ安倍晋三が相変わらずの言いたくないことを言うための婉曲語法で下手な文学を展開した直後で、時代はますまきな臭くなるし、ここは緊縮しなければならないのだ。

最近、使うのをやめた電化製品が2つある。炊飯器とコーヒーメーカーだ。

必ず米を炊くとは限らない。家で料理を作る時でも米なしのこともある。だからそもそも頻度は少ないと思うのだが、そんな身にとってみれば、近年の炊飯器は焚くのに時間がかかってどうももどかしかった。鍋で炊けば10分で済むところを1時間近くかけられたのではたまったものじゃない。だから、やめた。

コーヒーメーカーは、非常勤で仕事をするようになって朝の余裕がなくなった20年ほど前に導入したものだ。朝だけこれでコーヒーを淹れる(昼や夜は手で入れるか、エスプレッソ・マシンで淹れる)。

飯にしてもコーヒーにしても手作りに戻ってみると、共通して言えることがある。手で炊いたり淹れたりすると、当たり外れがあるということだ。失敗した時にはかなりつらいが、成功した時には機械で作るものなどよりよほどうまい。逆に言えば電化製品は平均的な美味しいものはできるが、それ以上にはならない。さて……


というわけで、炊飯器とコーヒーメーカーは捨ててきた。少しだけ身軽になった。

2015年8月14日金曜日

引っ越しとは孤独である

引っ越したのだ。隣の区に。K区からT区に。この移動は大学生の時以来だ。KからT。新しい区役所にはファミリーマートやどこかのレストランだかも入っていた。

これまでの人生で一番の高層階だ。5階だけれども。それだけでなく、この度の引っ越しは重要な変化を伴う。

まず、生活様式の変化。これまでは1LDK(2DKの場合はDKと1部屋の仕切りを取っ払う)を基本として、LDKが書斎を兼ねる形だった。寝室は常に別だった。今回、探した中で一番気に入ったのは、しかし、1DKむしろ1Kと言いたいくらい。居室が広い。居間と寝室(居間は常に書斎を兼ねる)をひとつにした部屋の配置にしたというわけなのだ。『早稲田文学』のグラヴュアで大江健三郎がソファに寝そべって本を読む写真があったので、それに触発され、ベッドでもソファでも寝そべって本が読める部屋を第一義とすることにしたのだ……というのは半分くらい冗談だけれども。

入居してみると、前の部屋よりも収納は格段に多いはずなのに、微妙に寸法が小さかったり、あってほしい場所にはなかったりと、思い描いていたのとは勝手が違ったりするが、それはいつものこと。だんだんと配置を変えていけばいいのだろう。


いつものことだが、引っ越しの準備期間には、古い荷物を見直し、昔の手紙やらノートやらを読み返し、過去を反復していた。引っ越し期間とは、こうして自分の過去に向き合う期間のことだ。時々、「手伝おうか?」と言ってくれる人がいるが、とんでもない話だ。そっとしておいて欲しいのだ。荷造りの間ぼくは、自身の過去を生き直すのだから。誰にも邪魔などされたくはないのだ。

2015年8月11日火曜日

山形とチリに共通点があるとすれば、海に面していること? だけではない……

試写会に呼んでいただいたので、パトリシオ・グスマンの2つの作品を見てきた@ユーロライブ@ユーロスペース。

『光のノスタルジア』(フランス、ドイツ、チリ、2010)と『真珠のボタン』(フランス、チリ、スペイン、2014)の2作品。監督本人が2部作だと位置づけるこの2作を、今度、岩波ホールで2本立てで公開するのだそうだ。

『光のノスタルジア』は山形国際ドキュメンタリー映画祭最優秀賞受賞作。アタカマ砂漠にある天文台で天体観測する者、アタカマ砂漠の地層を観察する者、アタカマ砂漠にピノチェト軍政時代に行方不明者となった家族の骨を探す者。三者三様の過去がチリの砂漠にある、という話。

『真珠のボタン』は水の話。ベルリン映画祭で銀熊賞脚本賞を受賞。西パタゴニアの先住民のボタンにまつわる2つの記憶(植民地時代とピノチェト時代)が水を媒介として語られて鮮やか。水語、と言えばいいのか、idioma de aguaを先住民から学び、発する文化人類学者が印象的。そして、なんと言ってもここにはラウル・スリータが出てくる。ボラーニョの愛したあの詩人が。ニューヨークで飛行機詩というのを実践し、『アメリカ大陸のナチ文学』最後のエピソード、ラミレス=ホフマンに発想を与えたあの詩人が。


『真珠のボタン』は今年の山形映画祭のコンペにも出品されている。今年、山形では彼の『チリの闘い』3部が上映される。『チリの闘い』のみならず、ヘティノ/ソラナスの『竈の時間』など、充実のラインナップだ。

2015年8月7日金曜日

里アンナちば、あがしがりきょらさぬ……

様々な詩人たちの詩にホセ・マリア・ビティエールが曲をつけてピアノを弾き、パブロ・ミラネスが歌ったCanción de otoño (Beans, 2014)の輸入盤にそれらの詩の訳を作った。その関係もあって輸入元のAHORAコーポレーションとはつき合いがあるわけだが、そのアオラが今一押しのディーバが里アンナ。彼女の島唄だけのアルバム『紡唄』(Primitive Voice、2015)発売記念ライヴの本番前ショーケースにご招待いただいたので、それならば、とライヴまで聴いてきた。

場所は代官山「晴れたら空に種まいて」なんだかすてきな名前の豆腐ライヴハウス。

特筆すべきポイントは三つ。まずは同姓の里国隆ばりの竪琴を奏でながらの曲。そのうち「行きゅんにゃ加那」はショーケースと本番では少し2番以降の歌詞を変え、つまり2バージョン聴くことになったわけだ。このポピュラーと言えばあまりにもポピュラーな曲が竪琴に乗ると新鮮だ。

アルバムは個人のものだが、今日のライヴは前山真吾と里歩寿、ふたりのゲストを迎えてのものだった。南部(古仁屋)の出身のふたりとのコラボレーションが二つ目と三つ目のポイント(ちなみに、ショーケースでの「行きゅんにゃ加那」は前山とふたりで歌ったので、里のソロでやったライヴ本番とは違ったという次第)。

一口に島唄と言っても南と北では違うのだと説明し、その証拠に「長雲」という曲を里アンナ、前山真吾が同時に歌い、まれに見るフーガを紡ぎ出して見せた。逆に、「請けくま慢女」(カサン節)と「豊年節」(ヒギャ節)が異名同曲であるそうで、これをメドレーで演じた。この2つの演目のコントラスト、および演目内部でのコントラストが印象的。すばらしい。

そしてまた、すばらしいといえば、その「請けくま慢女」で「請けくま慢女ちば、あがしがりきょらさぬ♪」と歌う里アンナにうっとりとしてつけたのが、今日のブログのタイトル。

……いやいや、そういうことではなく、里アンナの声量としっかりとした音程、声の張りたるや……会場の壁は、彼女の裏声に入る直前の高音域のところで震えていた。間違いない。

開演前の土盛海岸の映像。


終わってCDにサインしてもらったら、みんなそうしていたので、ぼくも一緒に写真を撮ったのだった。でもその写真は、もっぱらぼく自身が照れるので、Facebookだけにあげておこう。むふふ。

2015年8月4日火曜日

夏休みは始まらない

7月27日から8月1日にかけて、アテネ・フランセ文化センターではクリス・マルケル・セレクションが開催されていた。二度ほど見に行った。『サン・ソレイユ』日本版(池田理代子がナレーターをつとめる)と『笑う猫事件』を見たのだ。911以後に突然パリの街のあちこちに現れた笑う猫の落書きの謎と、911以後に行われたいくつかのパリのデモの様子を追ったもの。

『笑う猫事件』は8月1日のことで、その日は2つのレクチャーとシンポジウムまであった。半日をアテネ・フランセで過ごしたことになる。写真集『パッセンジャーズ』の写真における鏡としての窓の使い方(鏡像を映さない)を指摘する千葉文夫さんの話などに唸ったのだった。

8月3日は早稲田文学新人賞の授賞式。受賞作は中野睦夫「贄のとき」と桝田豊「小悪」。中野睦夫は前回の黒田夏子の受賞に刺激をうけたか? なんと同い年だそうだ。父親からなされる送金が父の退職後も彼の勤務していた役場名義になっていたことに不信を抱いた語り手が裏役人の裏秘書課なんて存在を知らされ、役場内に導かれ……という物語は、さすがにこの種の受賞作が常に持っているある種新鮮な魅力を発散している。そして、何よりも70歳代後半の文章が実に若々しく思える。面白いのだ。


この新人賞発表の『早稲田文学』には安保法案についての緊急アンケートが掲載されているが、ささやかながら僕も少しく意見している。

2015年7月27日月曜日

ものが落ちる音

昨日、7月26日(日)、調布飛行場を飛び立ったパイパー社の小型単発機が付近の住宅に墜落し、3人死亡、5人が怪我をするという事故があった。死亡者のひとりは墜落された家の住人。

調布飛行場と言えば、ちょっと前まで勤務していた東京外国語大学の裏(あくまでも正門から見ればということ)にある。プロペラカフェというカフェがあって、オムライスが名物のそのお店にはたまに昼食に行っていた。カフェは滑走路と格納庫に面していた。おそらく、今回の事故機も一度ならずその中で目にしているはずだ。高所恐怖症なので、あまり飛行機に対する憧れはないが、それでも、小型プロペラ機を見ながら食事をするというのは、なかなか楽しい経験だった。カフェには子供連れの近隣住民が多く来ていた。たぶん、あのあたりに下宿する外大生も少なくはないのではないか? 

授業がきつい時にはサボってそこから伊豆大島あたりまで日帰りで行ってこようか、などと思ったこともないわけではない。高所恐怖症だから実行に移さなかっただけのことだ。

今朝はニュースやワイドショーをハシゴしてこの事故の映像をいくつも見た。滑走路の先にあるサッカー場でのサッカーを撮った視聴者提供の映像に離陸直後からフラフラしている飛行機が映っていた。そしてその映像には墜落した瞬間の音も記録されていた。ひどく生々しい音だった。

ものが落ちる音だ。僕はこの事故の前日、フアン・ガブリエル・バスケスの『ものが落ちる音』(仮)という小説の最終章の翻訳原稿を仕上げて送ったばかりだった。詳しいストーリーは言わないが、ある飛行機事故とその事故のブラックボックスの録音が鍵となる作品だ。野球場を撮ったやはり視聴者提供の映像に映った落ちていく飛行機や、墜落後の燃え盛る住宅の動画を見ながら、訳し終えたばかりの小説の内容と重ね合わせていた。この小型機にはブラックボックスすらないのだ。死んだ者の声を生き残った者に受け渡すことさえできないのだ。そう思うと、ますます悲しくなった。

何だか気の重い一日の始まりだ。本来なら訳が終わったこと、石井千湖さんによる『グルブ消息不明』の書評のこと(『週刊金曜日』7月24日号)、寄稿した立石博高編著『概説 近代スペイン文化史——18世紀から現代まで』(ミネルヴァ書房)こと、劇場プログラムに文章を寄せた『人生スイッチ』が封切りになったことなどを喜んで告知しなければならないのに……



そういえば、『人生スイッチ』、6つの短編からなるこのオムニバス映画の第1話は、飛行機が民家に突っ込む瞬間で幕を閉じるのだった。

2015年7月11日土曜日

またしてもまとめての事後報告

7月2(木)日のセルバンテス文化センターでのお話「翻訳は難しい」は無事、済んだ。翻訳が文学に深くかかわっていること、その意味でスペイン語は非常に重要な言語であること、かつスペイン語の場合は言語内翻訳という、あまり大きく取りざたされない問題が重要になってくること、などを話し、その実例として自分がかかわったセサル・アイラの作品のことなどを紹介した。

翌週、8日(水)には若尾文子映画祭青春で『安珍と清姫』を見てきた。雷蔵との黄金コンビだ。「娘道成寺」の話だが、それをギリシヤ悲劇風(コロスの介入や「あやかしに憑かれている」という予言など)に味つけ、かつ、苦悩する安珍(市川雷蔵)の煩悶と入浴、負けず嫌いの清姫(若尾文子)の身のこなしと入浴などでやおい顔負けのサービス。あるいはこれがメロドラマの真骨頂か、という一本なのだ。

9日(木)には、届いた! エドゥアルド・メンドサ『グルブ消息不明』(東宣出版)。早速、→に書影を載せて紹介したのだ。

そしてやがてチリに留学に旅立つ学生を送りだすべく、五反田アルコ・イリスでペルー料理。

10(金)には現代文芸論全員で担当している授業の最終回企画として沼野充義さんとマイケル・エメリックとの対談。光文社で出ている沼野さんの対談集『世界は文学でできている』シリーズ4作目に収められることになっている。源氏物語との出会い、川上弘美『真鶴』の翻訳のことなど、あまりにも流暢すぎる日本語で語ったエメリック氏であった。


彼が『英語で読む村上春樹』に連載している「UCLAでハルキ・ムラカミを読む」は面白いのだ。そのことについての質問をしたのだった。

2015年7月2日木曜日

告知まとめて

もう今日のことなのだが、セルバンテス文化センターでお話しする。「翻訳は難しい」

たぶん、当日でも行けば入れると思う。


以前ほのめかしたラジオ収録。放送日が決定した。NHKラジオ第二「英語で読む村上春樹」。7月26日(日)午後11:00-11:30。


「夜タモリ」と重複する時間だが、まあ、たまには、どうぞ。

再放送は8月1日(土)昼12:10-12:40。2日以後1週間はサイト上でも聞けるそうだ。

2015年6月19日金曜日

わが心のマリア

ボルヘス未亡人マリア・コダマさんが来日した機を捉え、講演をお願いした。タイトルは「ボルヘスの記憶」。

今回は通訳をつけて開催。80人くらい入る教室がかなりいっぱいになった。

不眠と盲目による闇、闇の中での記憶の存在を結びつけ、短編「記憶の人フネス」を「自伝的」作品として分析したりと、示唆に富む本格的なボルヘス論。充実したひとときであった。写真は会場からの質問に耳を傾けるマリア・コダマ。

まだ会場が暖まらないうちに、1枚1枚の葉っぱを記憶し、一瞬一瞬を記憶するフネスがある1日の思い出を語るのにまるまる1日を要するというのは、笑っちゃうんですよね、ってなことを発言したら、いささかもおかしいことではない、深刻なことなのだ、とたしなめられた。うむ。笑うというのは絶望の笑いというか、不条理の笑いというか、そういうもののつもりだったのだが、舌足らずであったようだ。

終わって医学部棟13階、スカイツリーを正面に臨むレストラン、カポ・ペリカーノで食事。

2015年6月15日月曜日

事後報告ばかりだ

6月10日(水) フランス文学の野崎歓さんがコーディネーターを務めるリレー講義「翻訳の創造性」で3回、授業を担当せねばならない。その第1回の授業が、この日だった。セルバンテス『ドン・キホーテ』がアラビア語からの翻訳との体裁をとっていることを巡り、なおかつ、そのアラビア語草稿がトレードで見つかったとされていることをめぐり、スペインと翻訳の歴史の問題について語った。

6月12日(金) NHKラジオ第2で「英語で読む村上春樹」という番組がある。今、思いついてツイッターで検索してみたら、そんなもの、日本語で読めばいいではないか、とのつぶやきがひとつふたつあった。そういうことを言う人には、ぜひ、「翻訳の創造性」、受講してもらいたいものだと思う。翻訳論は、理論の最前線にあるのだ。

さて、その「英語で読む村上春樹」には、かつて、1年目の年、テキストのための特集で参加したことがある。で、今回は、本編の放送の方に呼んでいただいて、この日、お話しした。放送日は未定だが、「TVピープル」の中で主人公=語り手がガルシア=マルケスの小説を読んでいるという一文があるので、ガボと春樹の関係などをしゃべってきたのだった。

終わってNHK勤務の友人(年少の友人。まあ、要するに教え子だ)と待ち合わせ、ささやかな打ちあげのようなことをやった。月-金で早朝の仕事をしている彼女は、1週間の仕事を終えて解放感に包まれ、ぼくは慣れない仕事を終えた解放感に包まれ、晴れやかなふたりであった。

もう社会人生活も5年目だか6年目だかになるその方は輝いて見えた。だいぶ立派に見えた。体もひとまわり大きくなったようだった。ねえ、君、ひょっとして背が伸びたのか? と訊ねてみたら、ヒールが高いのだとの答え。

……なるほど。

6月13日(土) ボルヘス会記念大会というやつでボルヘス未亡人マリア・コダマの話を聴きに行った。詩人の新井高子さんによる詩の朗読およびブエノスアイレスでの世界詩大会への参加報告、高橋睦郎さんの話に続いて、「ボルヘスと俳句」という話をしてくださった。ボルヘスが残した17句の俳句を日本の俳句と比較しながら分析したお話し。

マリア・コダマさんの講演会は東大でもやります。18日(木)東大本郷 法文1号館214教室。タイトルは「ボルヘスの記憶」。

コダマさんと個人的に話している時間はなく、その日はその後、大学時代の友人たちとの集まりに出かけて行った。


こんなものを食べた。

2015年6月5日金曜日

先行く者の孤独

まあ、あたらしい器具を買うと別の新しい器具を買わねばならなくなる。

MacBook Retinaを買ったはいいが、誰もが知っているように、USB-Cのポートが1個あるのみのマシンなので、色々と不具合が生じる。

アップル純正の(USB-C HDMI USB-A)のアダプタや(USB-C VGA USB-A)のそれはある。が、なぜかthunderboltがない。

ぼくは通常、Thunderboltディスプレイに繋いで作業をしている。これが使えなくなったのだ。

まあこんなものが進行中だというのだから、待っていよう。これのmini display というのはthunderboltと規格が同じだ。

で、もうひとつの問題がケース。これまでMacBook Airを入れていたケースでは、さすがに新しいマシンにはブカブカだ。近くの電気店などでもこれに対応するものはまだ売っていないようだ。

でも、ネットショッピングでは見つけることができた。

こんなやつ。


こんな風に収まる。

2015年6月1日月曜日

事後報告(2)

むふふ……

MacBookAir13型の上に乗る新MacBook Retina12型。

これだけ小さく、軽いけれども、ディスプレイはMacBookAir11型よりもはるかに大きく感じる。キーボードの手触りが今ひとつ、という人もいるようだが、ぼくには逆に心地いい。

Macはちょっと前からデータの転送が自動でできるので、助かる。アカウントなどもそのまま引き継ぐことが可能だ。が、これが時間がかかるのが玉に瑕。

画面には「データを転送中です/Ethernetケーブルを使えばより速く転送できます」と出て来る。

ずっこける。

そのケーブルのジャックを取り外したのはどこのどいつだ! と叫びたくなる。

ひと晩経ってまだ終わらなかったので、しかたがないから本当にethernetケーブルを使った。すぐに終わった。

やれやれ。

で、日曜日から使えることになったのだが、学会の時、教室の電源を借りて少し仕事をしたのだが、なぜかバッテリー使用モードになっていた。なぜだろう?

月曜日になってもまだ電源アダプタから電気が来ていないようだった。バッテリ残量がみるみる減っていく。

やれやれ。

アダプタの不具合だった。AppleStore銀座店で取り替えてもらった。


やれやれ……

事後報告

5月の最後の土日は専修大学で過ごした。日本ラテンアメリカ学会第36回定期大会だったのだ。

本当は、さすがに仕事がたくさんあったので今回は行かずにおこうと思ったのだが、ある発表に対するディスカッサントをやるようにと頼まれたので、行くこととなった。

日本ラテンアメリカ学会では、去年からだったか、その前だったか、ともかく、ある時期から個々の発表に討論者をあてがうことにし、かつ、発表者には事前にペーパーを提出させて会員が閲覧できるようにした。質疑応答の段になって静まり返らないように、との配慮だ。で、今年、ぼくはある発表に対する討論者になった次第。

二日目にはアルゼンチンのラ・プラタ大学からホセ・アミコラさんを迎え、俳句とその翻訳についてのパネルがあったので、結局、二日目も行ったのだった。

そして何より、収穫は、これ。

ロベルト・ボラーニョ『アメリカ大陸のナチ文学』野谷文昭訳(白水社)

後ほど献本、送りますよ、と言われたのだが、うむ、ありがたくいただくが、授業で使っていることもあり、そのために一冊よけいに欲しいので、といって自費(正確には研究費)で買ったのだった。

むふふ。楽しみ♪


といっても、既に読んだ作品だし(そもそも白水社に『ナチ文学』の翻訳を提唱するために資料を作ったのはぼくだった)、今も授業で読んでいるわけだが、日本語ではまだ読んでいないので……

2015年5月18日月曜日

身体の記憶の古層

暑くなってきた。

寒い季節やまだ涼しい時分にはリュックにして背負って歩くヘルツのソフトダレスバッグを、この時期はショルダーにする。背負っていると汗をかくし、汗をかくと革製品なので色移りが心配だからだ。ここの鞄屋のリュックがやはり、色移りしていくつかシャツをだめにしたので、念のため。

肩掛けだと、普通にかけても袈裟懸けにしても肩が凝る。重いからだ。だから手に持って歩くことも多い。もちろん、手に持ったところで、重さは変わらない。肩のダメージは少なくなるが、いずれにしても往生する。

最近、ふと気づいた。「ナンバ」の歩き方をすれば、楽なのではなかろうか。

ちょっと前に「南蛮」の意味を記す必要があって、辞書の定義を書き写した。『大辞林』の定義のひとつにはこんなのがあった。

歌舞伎・日本舞踊で、右足を出すとき右手を振り上げ、左足を出すとき左手を振り上げるような歩き方。なんば。

かつて日本人はこのように歩いていた。近代化され、右足と左手を同時に出すヨーロッパの軍隊式の歩き方が導入された。しかし、人によってはなかなかこの近代の歩き方に馴染めずにいた。今でも緊張して右手右足を同時に出す歩き方をするような者がマンガやコントなどに描かれるが(志村けんなどよくやっていたように思う)、これはその近代以前の肉体の記憶が回帰しているのだ。そんな主旨のことを三浦雅士は書いていた。

ナンバは、しかし、近年では見直されて、伊藤浩二、末次慎吾などの陸上選手はこの走り方を採り入れて活路を切り開いたのではなかっただろうか? ふと思い立って、ナンバを採り入れてみようと思った。

が、ぼくにはよほど近代的・軍隊式肉体訓練が染みついているのだろう。右手と右足を同時に出す歩き方など、うまくできない。やってみても、全然楽になんかならない。

そうだ、発想の転換をすればいいのだ、と思いついたのは階段をおりている時のことだった。足を前に出すというのは前後の動きばかりではない。ナンバや軍隊式の歩き方は水平にねじれる動きばかりが問題になるのではない。足を前に出すということは、足を上げ、そして下ろす行為なのだ。つまり、ナンバとは足の上げ下げに合わせて肩を上げ下げすればいいのだ。そして、やってみると、なるほど、これなら楽にできる。

この解釈が正しいかどうかはわからない。だからとりあえず、カッコつきで「ナンバ」と呼んでおこう。この「ナンバ」のコツを身につけてみると、なるほど、荷物もを持つ腕は飛躍的に楽になった。重いことに変わりはないが、感じる負荷は半分にも満たないのではないだろうか。

あまり大袈裟に肩を上げ下げすると、見た目はどうしても不格好だが(ぼくには近代的・軍隊式美意識が染みついているのだろう)、ともかく、コツとしてはそんな感じ、右足を踏み下ろすときに右肩を下げる。重い鞄を手に持っている時には、そんな風に歩く。

で、ふと気づいてみると、街中にはけっこう、この歩き方をしている者がいる。重い荷物を肩にかけ、ひょこひょこと「ナンバ」歩きになっている者がいる。今朝も、電車の中で、さして重そうでもない小さな荷物を掲げた女性が、「ナンバ」で歩いていた。慶應大学三田キャンパスの正門を入ってすぐの大階段を、トートバッグを肩から提げて上る、どちらかというと逞しい体つきの男子学生も、右足を出すときに右肩を下ろしていた。


うむ。果たして身体の記憶の古層が回帰しているのか、無意識に体がたどり着いた結論なのか、それともぼくのように意識してのことなのか? いずれにしろ、「ナンバ」、広まっているのだ。

2015年5月15日金曜日

またヘンな映画見ちゃったなあ……楽しいなあ……

Damián Szifron, Relatos salvajes (アルゼンチン、スペイン、2014)

邦題はまだ秘密、試写会に呼んでいただいたのだ。

このタイトル、この公式サイトの最初のイメージ。これはどう考えてもボラーニョだろう、という予断を持って見に行ったのだ。『野生の探偵たち』Los detectives salvajes ならぬ『野生の短編たち』Relatos salvajes

監督のシフロンはどこかで、暴力に関係した短編を書いているうちに、それらがつながった、というようなことを言っている。連作短編の趣のある長編、という意味でも『野生の探偵たち』ではないか! なんといっても暴力とその思いがけない展開、切実なはずだけど笑ってしまう内容など、……うむ、強引に取ればボラーニョのようでなくもない。

まあボラーニョのようかどうかは別として、1パステルナーク、2ネズミたち、3最強の男、4発破、5提案、6死が二人をわかつまで、という6つの短編(後に行くほど長くなるように感じた)からなっている。

飛行機の中で通路を隔てて隣同士に座ったモデル(マリーア・マルル)と音楽評論家(ダリーオ・グランディネッティ)が会話を交わし、ほどなく、モデルの最初の恋人パステルナークのことを音楽評論家が知っていると言い出す。あるコンクールの審査員をしていたときに、パステルナークの作品をけなしたのだ。すると、後ろの席の女性が、自分はそのパステルナークの小学校の先生だったと名乗りを挙げる。それを聞いて、パステルナークと同学年の教え子が、先生ではないですか、と声をかけてくる……

そんな始まりだ。なんだか面白い。でもなんだか面白いということは、なんだかおかしい。恐怖すべきことがそこにあるのだ。そしてその恐怖が現実のものになる……といった具合だ。これがオープニングの最初の短編。

音楽もところどころおかしな雰囲気を醸し出している。グスターボ・サンタオラーヤの担当。


わけあって、あまり多くは語らないが、面白いのだ。今夏公開。ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて。

追記: 邦題『人生スイッチ』として7月25日より公開が決定したようだ。日本版公式サイトはこちら。

2015年5月6日水曜日

ホルヘの幸運不運の1日

先日報告した「ラテン! ラテン! ラテン!」のフェスティヴァルで、比嘉セツさんと星野智幸さんとのトークショウを拝聴。シャッター商店街でトルタ屋を営む青年からは始まる「呪文」の話も出た。トルタだ。これは是非読むべきではないか、と思った。話の中心はその直前に上映された『スリーピング・ボイス』のこと。この国に忍び寄る(いや、もう覆っているか)ファシズムの影を実感させる映画であることなど。

そして、その後のスニーク・プレビューで観た、まだ邦題の決まっていない作品。 Federico Veiroj, La vida útil (ウルグワイ、スペイン、2010)

フィルムライブラリー(ウルグワイではcinematecaと。メキシコではcineteca、スペインではfilmotecaだ)がそれを運営する財団から見放され、閉鎖することが決まり、25年間勤めていたホルヘが路頭に迷う話。

国立であるはずのフィルムライブラリーが、民間の財団によって運営されていて、しかもそれが収益率が悪いというので閉鎖されるというのは、いわばグローバル化というか、新自由主義的経済政策の害悪を告発する映画なのだろうとは思う。とは思うのだが、そうした悲愴、かつ問題告発的なものでは決してなく、実におかしい。解雇後のホルヘが、まっすぐ家に帰ることをやめて放浪する決意をしてからの造りが、とてつもなく

ヘン

なのだ。


終わって会場が高笑いに包まれた。そうした映画。いったい何がヘンなのかは、言わないでおこう。実は前半の鬱勃とした雰囲気の中で発されるあるセリフに関係していて、ますます面白い。63分の中篇というほどの映画。まるでセサル・アイラの小説のようだ。K's cinemaで公開予定とのこと。観ない手はない。

2015年5月5日火曜日

野球ファンになることは映画ファンになることに似ている……? 

引用するかもしれないと思い、久々に後藤雄介『語学の西北――スペイン語の窓から眺めた南米・日本文化模様』(現代書館、2009)を開いた。お目当てのページではない項目にも目をやってみた。たとえば「さらば、GIGANTES――「ポストコロニアル」日本プロ野球」(GIGANTESには「ヒガンテス」のルビあり)219-230ページ。

サッカーとのアナロジーで野球が合衆国(後藤は「米国」と表記)の帝国主義的拡張に伴って広がったスポーツであること、日本の野球機構が長年ジャイアンツ中心の帝国主義的構造だったことなどをあげ、その植民地主義的状況からいかに抜け出るかという話を展開している。後藤は長いことジャイアンツ・ファンで(存じておりますとも!)、その後、千葉ロッテ・マリーンズのファンに転身した。その経緯を個人的、かつ「ポストコロニアル」理論的に説明したもの。ジャイアンツ・ファンであることの後ろめたさを糊塗するために、わざわざジャイアンツでなくGIGANTESと書いているわけだ。

後藤の父親はアンチ・ジャイアンツという名のジャイアンツ・ファンで、僕らにとっては馴染みの、ジャイアンツ戦しかテレビ観戦できない時代に育ったことを回顧するものの、やはり時代から言って、ジャイアンツが長嶋引退・監督就任後の初年度、最下位に転落したころからしか記憶していないことを確認する。そして、自分にとっては弱いチームだったジャイアンツが、翌年、優勝する年のある試合をテレビ観戦していて、中継が終わったのでラジオに場を変えて試合を追うことになった彼が味わったのが、末次の満塁さよならホームランの熱狂だったという。この時に彼はジャイアンツ・ファンになったのだと述懐するのだ。

そのことを後ろめたいと思っていながらも、後藤はファンであることをやめられないでいたのだが、今度はジョニーこと黒木知宏の力投(しかし、報われなかった)を見て、自然とジャイアンツの呪縛から解放され、マリーンズのファンになったのだというのだ。

なかなか面白い。後藤さん自身がここで言語化していない要素のひとつは、彼が末次や黒木に対して、あるいは彼らのプレーに熱狂する観客の反応に対して感じた恍惚こそが、どこかのチームのファンになることのきっかけとなるのだという事実ではないだろうか。野球(でもサッカーでも他のどのスポーツでもいいのだが)ファンになることは、映画ファンになることと似ている。そこに暴力やら帝国主義の縮図やらがあるはずなのに、観客は陶然として見入らざるを得ない。今自分が目にしているのが危険な構図を孕むものだとの自覚を持っていないと、僕らの手懐けがたい心は容易に帝国主義やら植民地主義やらを内面化しようとする方向に傾く。

ところで、後藤さんがまだ後ろめたさを残しながらもジャイアンツ・ファンを公言してはばからなかった頃、僕は所沢西武ライオンズを応援する立場だった。上京してぶらぶらしていた僕が、当時まだあった後楽園球場に2週連続で試合を見に行ったことがあった。1週めはジャイアンツvs大洋ホエールズ(現・DeNAベイスターズ)。2週めがニッポンハムファイターズvs.西武ライオンズ。1週目の観戦で、野球ってこんなものかと高を括っていた僕は、2週め、目が覚める思いをした。ライオンズの選手たちの動きがあまりにもすばらしく、素早く、魅力的だったのだ。ライオンズが福岡から所沢に移って5年目くらいだろうか、最初のリーグ優勝をした次の年だ。石毛が出塁してすぐさま盗塁、2番はそのときは辻だっただろうか、その彼のヒットであっという間に先制点をあげた、電光石火の攻撃がみごとだった。ひとりひとりの足が速く、パワーがあり、技巧が勝っていた。なぜジャイアンツなどを応援する人が多数派なのだろうと不思議でならなかった。


……これもひとつの恍惚の経験だったのだ。たぶん、試合場にじかに足を運んでいれば、最初からジャイアンツ・ファンになんかならなかったんじゃないかな、後藤さん。僕はそう思うよ。

2015年4月25日土曜日

インマ・クエスタに会いたくて

ベニト・サンブラノ『スリーピング・ボイス』原作:ドゥルセ・チャコン(スペイン、2011)

マキ(共和派の敗残兵)の妻で、妊娠中に投獄されたオルテンシア(インマ・クエスタ)を姉に持つペピータ(マリア・レオン)がマドリードに上京し、姉が手伝いをしていた家に泊めてもらって、別の家に奉公に出る。その家は、夫が共和派の元医者で、今は身分を剝奪され会計士などやっていて、妻はフランコ派、父親や兄弟もフランコ派の軍人という、複雑な家庭。一方でオルテンシアに面会に行くペピータはマキとの接触役を頼まれ、面倒に巻き込まれる。

映画内で目立つのは識字能力に対する意識というか、扱いだ。字の読めるペピータは評価され、オルテンシアもそれゆえに裁判官に驚きの目で見られる。囚人仲間の中には字を覚えるのに四苦八苦しているのもいる。

スペインだけが識字率が低かったわけではないにしても、スペインの場合、内戦で敗れた共和国は、内戦前、識字率を高めるべく教育に力を入れていた。ゆえに教師といえば共和派との意識があるのだろうか? オルテンシアとともに裁かれた女囚には歴史の先生がいた。オルテンシア自身、教師になりたかったとのセリフを発する。『蝶の舌』も子供と共和派の教師の話だった。一方で刑務所の監守にも教師だったけれどもそれでは子供を養っていけず、監守をしているという人物がいた。フランコは教師を冷遇したのか? と気にしたくもなる。

教師(教育)とその結果としての識字能力(識字率)。これが『スリーピング・ボイス』の基底にある声。眠れる声。


これはAction Inc.の10周年を記念して、同社が配給してきた作品を一挙上映するという映画祭「ラテン! ラテン! ラテン!」の一環。シリーズ中の唯一の新作として毎日、決まった時間に上映されているのがこの作品だ。今日はぼくは、この『スリーピング・ボイス』の次に上映された映画『ルイーサ』の後の時間、Action 代表の比嘉セツさんとトークショウに臨んだのだった。うまく話せたかなあ……? 

2015年4月23日木曜日

エマ・ストーンに会いたくて

ついこの間『バードマン』で娘役のエマ・ストーンにやられ、ついつい見に行った、別のエマ・ストーン(というのは半分冗談。彼女が出ていなくてもきっと見に行ったはず)。

ウディ・アレン『マジック・イン・ムーンライト』(アメリカ、イギリス、2014)

オープニングのBGMは "You do something to me".  1928年ベルリンから幕が開く。中国人に扮し演技をする(『春の祭典』、『ボレロ』などをBGMに)手品師スタンリー(コリン・ファース)のもとに友人のハワード(サイモン・マクバーニー)が訪ねてくる。プロヴァンスに住むハワードのおばヴァネッサ(アイリーン・アトキンス)の隣人の家に取り入るアメリカ人霊媒師ソフィ(エマ・ストーン)の化けの皮を剥いで欲しいと頼むのだった。

今回に限り「英国紳士」という語を使いたくなる、アイロニカルなイギリス人のハワードは懐疑心たっぷりにソフィアに近づくのだが、過去を言い当てられたり、交霊会での心霊現象を目の当たりにしたりして、動揺する。ソフィアは周囲が眉根をひそめるようなハワードの皮肉の対象となりながらも、最初から彼に好意的なようだ。

イリュージョンと交霊会(séanceと呼ばれる。映画や演劇の一回のセッションの意だ)。19世紀末にヨーロッパで流行ったふたつのまやかし("She is a visionary and a vision"というセリフがある。ちなみにこの"vision"は「美人」だ)の対決だ。ひとつはタネがあることを誰もが知っていて、もうひとつはタネがないからこそ驚異だとされるセッション。霊媒師の噓とマジシャンの理性の化かし合い。恋の物語につきものの理性と感情の背反に揺れ動き、その論理がストーリーの展開(転回)を支えている。アレン特有の知性への根本的懐疑が顔を覗かせる。


ふたりが雨宿りして天文台に忍び込む場面がある。夜になり、雨があがり、屋根を開いたときに、細長いスリットから見える三日月。この瞬間がマジック。というのがタイトルの意味。

2015年4月20日月曜日

語りの妙

クリスティナ・ベイカー・クライン『孤児列車』田栗美奈子訳(作品社、2015)

2011年、里親と折が合わず反抗的なモリーが、本を盗んだことに対する罰として社会奉仕をしなければならなくなる。行った先はボーイフレンドの祖母のヴィヴィアン、91歳。彼女の荷物整理を50時間に渡って手伝わなければならなくなる。

一方、学校の授業の課題で気乗りしないながらヴィヴィアンに彼女の移動、持っていくことにしたものと置いていったものについてのインタヴューを敢行し、レポートにまとめることになる。

小説の半分強は、1929年に始まるヴィヴィアンの物語だ。2011年のモリーとヴィヴィアンの話と29年に始まるヴィヴィアンの半生が、均等ではないが交互に語られる形式だ。アイルランド移民として合衆国に渡ったけれども、火事で家族を失ったニーヴが、「孤児列車」と呼ばれるものに乗せられ、多くの孤児たちとともに里親探しのツアーに出る。里親と言っても、慈悲心から孤児を引き取って子供として育てようという人ばかりでなく、ニーヴのようにもうすぐ10歳になろうかという大きな子供は、むしろ働き手としてしか必要とされず、バーン夫妻の縫製工場で織子としてこき使われ、ついでに名前はドロシーと変えられ、不況(大恐慌だ)で工場が危なくなると手放され、今度は子守役としてグロート夫妻に雇われ、虐待されて家を飛び出し、……という人生を辿ることになる。

とても重い内容の話なのだが、2011年の現在、モリーはゴスロリ・ファションに身を固め、ピアスをいくつもあけ、インターネットでヴィヴィアンの人生の関係者を探し、そのくせ『ジェイン・エア』が読みたくて図書館から盗みを働き、……といった人物設定のおかげで、細部がとても楽しい。ニーヴ/ドロシー/ヴィヴィアンも子供の頃に縫い物をならったおかげで縫製工場にもらわれることもあり、描写がファショナブルだ。ちゃんと風呂にも入れてもらえず、ノミがついたりして坊主頭にされたりと、彼女は劣悪な環境で生きているのだけれども、服などにとても気を使っているような描写が光る。

 バーン夫人は生地がたくさん置かれたコーナーにわたしを連れていき、安い生地の棚を指す。わたしは青とグレーの木綿のチェックと、優美な緑色のプリントと、ピンク色のペイズリーを選ぶ。バーン夫人は、最初の二つにはうなずいたが、三つ目には顔をしかめる。「おやまあ、赤毛には合わないわ」そう言ってブルーのシャンブレー織りの生地を引っぱりだす。
「わたしの頭にあるのは、控えめな服なの。フリルも最低限におさえて、質素で地味に。ギャザースカートがいいわね。仕事のときは、その上にエプロンをつければいいわ。エプロンはほかにも持っているの?」(130-131)


こういうのがとてもチャーミングに感じられる。ニーヴと母親の関係のこと、モリーの出自のことなどがだいぶ経ってから明かされるその語りもうまいのであった。

2015年4月18日土曜日

消えたアルムターシム、あるいは迷宮作家ボルヘスを求めて

「原典を読む」という全学部向けの授業で、今年はボルヘスの『伝奇集』を読むことにした。使用している版は、今おそらく最も簡単に手に入るAlianza社のポケット版。これはEmecéの全集版とほぼ異同はない。

が、実は、困ったことに現存する2つの日本語訳(鼓直訳、岩波文庫版と篠田一士訳、集英社版、この2つの間には、これから話す意味での異同はない)とはいささか違う箇所が存在する。

1)『伝奇集』は「八岐の園」と「工匠集」からなる。「八岐の園」に所収の短編は翻訳では8編。Alianza版(および全集版、以下同)は7編。第2短編「アルムターシムを求めて」El acercamiento a Almotásim が削除されているのだ。

2) 第一短編「トレーン・ウクバール、オルビス・テルティウス」はビオイ=カサーレスの持っていた百科事典に出ていた「ウクバール」という国がボルヘスの持っていた同じ百科事典には存在しなかったので、ではウクバールという国を作ってしまおう、として仲間たちでウクバールについての記述を作る、という話。その百科事典のUps-で終わる巻は、ボルヘス手持ちのものは46巻。ビオイが持って来たものも46巻。が、Alianza版は前者が46巻、後者が26巻。

3)「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」には、「鏡と交合は人間の数を増殖するがゆえにいまわしい」という有名なフレーズが出てくる。これがこの百科事典の記述からの引用だとされる。ビオイが自分の百科事典を携えて来たときには、最初のビオイの引用が、実は英語でなされたことを示すように、英語で繰り返される。「交合と鏡はいまわしい」と。2つの名詞の順番が入れ替わっていることなどはAlianza版でも翻訳版でも同じ。が、その後の百科事典からの引用で、実際は「鏡と父姓はいまわしい」だったことがわかる。その際に引かれる「原語」は、Alianza版ではhateful、翻訳では「アボミナブル」とルビがふってある。Alianza版(および全集版)は、それまで英語でもスペイン語でもabominableを使っていた「いまわしい」の語をここで言い換えているのだ。

ちなみに、ぼくの家にあるもうひとつの版、Seix Barral版(1983、これはEmecéの56年版を基にしたもの)では、2)の百科事典の巻数は、ボルヘスのものが47巻、ビオイのものは46巻。3)のabominableはhatefulに書き換えられていない。

……うーむ。ボルヘス、なかなかの策士だ。わかりきったことだけど。ぼくら読者は版の違いの迷宮に引きずり込まれ、こうしてテクストクリティークという出口(迷宮には必ず出口があるのだ……そうだ)に導かれて行くのだ。


ちなみに、消えた「アルムターシムを求めて」、鼓訳でも篠田訳でも訳者のあとがき(解説)で名をあげられている。消えた作品としてではない。鼓は「神の探求」として重要視し、篠田はこれを読めばボルヘスとチェスタトンの関係が一目瞭然だとして。そんな大切な作品を(しかも邦題は「……を求めて」だ。探求だ)隠してしまうなんざ、ますますいたずら好きな迷宮作家だと思い知らされるぜ。

2015年4月13日月曜日

私たちは19世紀に生きているのではない

シャウル・シュワルツ『皆殺しのバラッド――メキシコ麻薬戦争の光と闇』(アメリカ、メキシコ、2013)

ぼくの勘違いでなければ、この映画について日本で言われていることの大半は、メキシコ(のみ)の麻薬戦争の文脈と、でなければナルコ・コリードと呼ばれる音楽のことのみに尽きているように思う。果たしてそうなのか? この語り方は一種、ミスリードしていないか? トレイラーでも公式サイトでもこの映画を構成するもうひとつの重要な極を隠していないか?

焦点の当たる人物はふたり、リチ・ソトとエドガル・キンテーロ(字幕ではエドガー・キンテロ)。

リチ・ソトはフワレス市で警察の犯罪捜査課に勤める34歳の男。フワレス市はロベルト・ボラーニョ『2666』の舞台サンタ・テレサのモデルとなった国境の都市。アメリカ合衆国テキサス州エル・パソとはフェンスを隔てて向かい合っている。エル・パソは合衆国一安全な都市だ。フワレス市はボラーニョの小説では連続女性暴行殺人事件の舞台だったけれど、今では麻薬戦争の最前線。麻薬カルテル同士の抗争が市民・警官などを巻き込み、凄惨を極める。2010年には年間の殺人事件が3,000件を超えた。

警官のリチは家族と暮らす独身だが、恋人はいる。家族から心配され、恋人からはUSAに行こうと誘われながらも愛する故郷フワレスに留まっている。警官仲間が殺され、脅迫され、でなければ無力感たっぷりに麻薬マフィアたちに譲歩したりしている。

もうひとりの焦点人物エドガル・キンテーロはLA在住。LAというのはラテンアメリカではない。ロサンジェルスだ。ナルコ・コリードという歌を歌うグループ〈ブカーナス・デ・クリアカン、シナロア〉のヴォーカリスト。麻薬カルテルのボスやチンピラなどアンチヒーローの仕事や人生を歌にして儲かっている。ナルコ・コリードはMovimiento Alterado(alteradoは昂揚して変質した、というような意味。アルタード・ステーツの「アルタード」だ)というムーヴメントに乗って大流行、今やラップを追い越す勢いなのだという。LA、エル・パソ、アトランタ、シアトルなどにツアーに回る。

そう。つまり、この映画はUSA/メキシコの対比を扱っているのだ。エドガルたちはメキシコの麻薬を吸い、麻薬王たちを謳いあげ、実際のメキシコを知りたいとメキシコに憧れて(そのくせ行くのは最前線ではなく、そもそもの発祥地シナロア州クリアカン)いる。

両国の対比だけでなく、映画はまた相互干渉をも扱っている。共犯関係と言えばいいか……エドガルたちの歌はメキシコでも流行り、歌われ、楽しまれ、ナルコたちを鼓舞し、若者たちの憧れを使嗾している。この対称と干渉が麻薬戦争の根本問題の縮図であることは言うまでもないだろう。スティーヴン・ソダーバーグ『トラフィック』(2000)などは国境を跨いだ麻薬問題を既に扱っているけれども、そうした先行する作品に比して『皆殺しのバラッド』は、ただ経済、社会、厚生上の問題のみでなく、コリードの流行という文化的な次元での国境問題を扱っている点で見どころがある。Narco cultura (麻薬 文化)という原題は伊達ではない。

コリードというのは、『皆殺しのバラッド』の邦題のとおり、イギリスで言うバラッドに相当するものに起源を持つ。スベイン中世のロマンセと呼ばれる短詩だ。叙事詩が変形してできた、詩であり音楽であり娯楽でありニュースであったものだ。この民衆詩がだいぶ長い命脈を保つのだが、一方で高尚な文学としての詩にも採り入れられ、文学史を活性化してきた。ロマンセはスペイン内戦のプロパガンダ雑誌などでも盛んに詠まれた。

このロマンセが新大陸に渡り、たとえばキューバではアフリカのコール・&・リスポンスの形式のリフレインと混ざってソンの原型ができ、デシマ、グワヒーラなどの詩=音楽に流れて行った。メキシコではそれがコリードとなった。

メキシコ革命のコリードなどは盛んに歌われ、まだラジオ放送以前の社会でニュース・メディアとして機能した。面白いのが、テキサス。アメリカ合衆国に併合されてから、メキシコ系住民たちが国境警備隊、いわゆるテキサス・レンジャーズにバンバン殺されていたのを背景に、単なるニュースとしてのコリードでなく、反体制というか、アンチヒーローのコリードができる。代表的なのが「グレゴリオ・コルテスのコリード」。テキサス・レンジャーズに家族を殺されてしまったから、こっちが殺してやった、という歌。これを研究したアメリコ・パレーデスは合衆国におけるチカーノ(メキシコ系住民)文化研究の礎を築いた。

さて、既にニュース・メディアである必要のないコリードが、しかし、形式としてはアンチヒーローの活躍を歌うものとして脚光を浴び、もはや街の広場などでなくクラブなどで歌われ、商業化され、成功を収めているというのだ。そしてそれが麻薬戦争の当事者、国境の向こう側のメキシコ人たちと何とも言えぬ共犯関係を結んでいる。複雑な話だ。


複雑な話なので、これ以上の考察には踏み込まないけれども、ともかく、『皆殺しのバラッド』はメキシコの悲惨を描いたドキュメンタリーではない。国境の両側の現実を描いている。ミスリードされてはならない。字幕に出る地名表示をいちいち確認し、意識しながら話を追うことだ。これをメキシコ(のみ)の問題だと考えたら、この極めて21世紀的問題を19世紀的問題に戻してしまうことになる。

2015年4月11日土曜日

『バードマン』についての補足

昨日、『バードマン』についてのレビューを書いて上げたのだが、そこに書き忘れた点がある。

1つは、この映画の真骨頂はカメラワークにあるということだ。カメラワークというべきなのか、編集と言うべきなのか……切れ目なく話が展開し、バックステージの複雑な通路を行き来し、目まぐるしい。目まぐるしいし飽きない。アカデミー賞の撮影賞も獲っているはずだか、これが評価されたのだろう。

2点目。アントニオ・サンチェスによるドラムスがとても印象的だ。怒って壁を殴りながら廊下を歩くエドワード・ノートンのリズムに合わせたり、バックステージで舞台上のBGMとして叩いてるかの体裁で映画内に登場したり(もちろんそれは映画のBGMにもなっているという複雑な結構)……

Facebookにリンクを貼るときにサンチェスのドラムスが印象的だったと書いたら、映画のBGMについての著作もある小沼純一さんが、もうすぐブルーノート東京に来るよ、と教えてくださった。


もうすぐって、本当にすぐだ! 火曜日。行けるかなあ……

2015年4月10日金曜日

A・G・I でいいんじゃないか?

誰かが「アレハンドロ・G・イニャリトゥ」って表記には違和感あるなと言っていたが、何のことはない、クレジットにそうあるのだった。

アレハンドロ・ゴサンレス=イニャリトゥ『バードマン――あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(アメリカ合衆国、2014)

ゴンサレス=イニャリトゥというと、『アモーレス・ペロス』や『バベル』などの、複数のストーリーが並行して語られ、その間に繋がりができてくるという映画が印象的だったけれども、これはむしろ、脚本を書いていたギジェルモ・アリアガの真骨頂と言うべきなのだろう。『バードマン』のプロットは1つだ。そしてそれはおそろしくわかりやすい。

かつて『バードマン』というコミック原作の映画のヒーローとして有名になったリーガン・トムソン(マイケル・キートン)が再起を期し、レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』を脚色した舞台の演出、主演をはろうとしてがんばるが、バードマンの声が常に頭の中で鳴り響き、彼に違う道を歩ませようとする、というもの。

離婚した妻との間の子サム(エマ・ストーン)は薬物か何かで入院してリハビリした経験があり、そんな彼女をリーガンは付き人にして更生させようとしている。共演者のローラ(アンドレア・ライズブロー)は子供ができたと言い出すし、事故で下りることになった俳優の代役でやってきた人気者マイク(エドワード・ノートン)はなにやら破天荒だし、彼は彼でこの作品で賭けに出ているようだし、マイクを連れてきた共演者レズリー(ナオミ・ワッツ)もこれがブロードウェイ・デビュー作で意気込んでいるし……それぞれの思惑が絡み合い、この単純なストーリーを面白くしている。

(もちろん、バードマンの声は幻聴・幻覚で、リーガンは一種の抑鬱症に苛まれているのだと理解することは可能だ。そして、そう理解すれば、ストーリーは最後まで語らずとも、結末は見えている。が、これはあくまでも( )内の注に留めておこう)

何しろマイケル・キートンだ。自身、『バードマン』ならぬ『バットマン』で一世を風靡した俳優だ。監督と同年のぼくからすれば、もうそれだけで泣けてくる。いろいろな俳優の名を出し、「ファラ・フォーセットはマイケル・ジャクソンと同じ日に死んだんだ。イカレた話じゃないか」なんてセリフを用意し、数多く挙げたハリウッド関係者の少なくともひとり(ぼくが気づいたのは、ひとり)をカメオ出演させ。これでファンの心は持って行かれたのだろうな。アカデミー賞は伊達ではないのだな。ラストも、これまでG・I 風に救いのない終わり方をするかと思いきや、ハリウッド的などんでん返しとハッピーエンディングに歩み寄っているとあれば、完璧だ。


でも、しかし、これはアレハンドロの本意なのだろうか? 無知がもたらす予期せぬ奇跡(無知の思いがけない美点)とはこれのことなのか? なるほど、このサブタイトルの曖昧さが監督の主張なのかもしれない。

2015年4月5日日曜日

田舎者ほど悪い、と漱石(作品の登場人物)は言った

 ぼくは常々ベニート・ペレス=ガルドスのあまり長くない小説(『フォルトゥナータとハシンタ』のように長大なものもあるので)はとても面白いし、もっとたくさん訳されて然るべきではないかと思っている。だからぼく自身、ブニュエルの映画の原作になった『トリスターナ』を訳してもいる(編集者との間に生じた誤解というか理解不足から、日の目を見ないでいるけれども)。だから、『ドニャ・ペルフェクタ』が出たことは自分のことのように嬉しい。

ベニート・ペレス=ガルドス『ドニャ・ペルフェクタ――完璧な婦人』大楠栄三訳(現代企画室、2015)

これがめっぽう面白いのだ。マドリードからオルバホッサという架空の田舎町にホセ・レイ(またはヘベ・レイ)という若い土木技師がやって来る。父の妹ドニャ・ペルフェクタの娘ロサリオを嫁にするためにだ。親同士がそう取り決めたのだ。

ところが、ペルフェクタの家に出入りし、彼女たちを精神的に指導する聴罪司祭イノセンシオの吹っかける信仰についての議論に、つい調子に乗って皮肉な科学者の立場から答えてしまったところからボタンの掛け違いが始まり、田舎町でペペ・レイは村八分に追い詰められる。勤めている役所からまで免職される始末。ロサリオはどうやらぺぺを愛してくれているようなので、それを頼りに、彼はいささかの意趣返しを目論む。やがて明らかになるのは、ペルフェクタの本心とイノセンシオの野心(姪の息子ハシントをロサリオと……)。等々、等々。

「一見するといい人間だが、実はそうではない人々」(315ページ)が、とりわけ田舎者たちが、苛立たしいまでに自分勝手な論理を楯に行き違い、憎み合い、権謀術数を巡らせ……これだけ読者を不快にする物語はメロドラマと呼ぶ以外にはない。そしてメロドラマは面白い。

リアリズムの大家とされるガルドスだけれども、彼の短めの長編が面白いと言ったのは、19世紀リアリズムという通念を裏切るようなところがあるからだ。だいたい、Doña Perfectaという名前自体(邦訳では副題に示してあるが)、「完璧」なのだし、視点・視覚の操作も面白い。最後は物語の説明を手紙に任せてしまったりもするし、飽きさせない趣向が凝らしてある。


そんな趣向に加え、訳者・大楠栄三は登場人物の言い換え(ホセ・レイが「技師」とか「数学者」とか「甥」とか言い換えられるわけだが、その言い換え)にルビを施して固有名を明らかにし、読者をわかりやすく導く。賛否両論は出るかもしれないが、面白い試みではある。

2015年3月31日火曜日

ただの一瞬

今日は火曜日、平日だが、考えてみたらすべての学校はまだ春休み期間だし、平日でも休日みたいなものだ。だから花見客も昼間から多い。

帰りにちょっと遠回りして寄った飛鳥山公園も花見客がいた。たくさん。

ぼくは学生時代、ここを何度も通過し、ここで何度も酒宴を開き、……等々したはずなのだが、ここにまつわる思い出はひとつしかない。ある日、王子駅南口からこの公園に上り、登り切ったところで逆ルートを(つまり大学から)歩いてきたモンゴル語科(当時)の大塚君という友人と擦れ違った。擦れ違いざま振り返った大塚君が遠くのビルに沈み行く太陽を見つめ、「きれいな夕陽だ」とつぶやいたのだ。事実、それは美しい光景だった。

(こう書いたら、もうひとつこの公園にまつわる記憶がよみがえってきたのだけれども、それはここでは書けない)こんな風に、長い年月の多くの出来事がほんの一瞬の出来事に集約されてしまうことがある。ぼくはたとえば、10歳になる頃までに何度も何度も髪を切ったはずなのだけれども、散髪の記憶は一度しかない。何百回も病院に行ったはずなのだけれども、(やはり10歳くらいまでの)病院の記憶は一度しかない。

こんなことなら、きっと、ぼくは死の瞬間に、自分の人生について、ただひとつの瞬間のことしか思い出さないのだろうなと思う。それはどの瞬間なのだろうと今から楽しみに思う。一方で切り捨てられてしまう多くの瞬間を思い、悲しくなる。

ひとの人生を語るにはただの一瞬を語ればいい。ボルヘスはそう言った。タデオ・イシドロ・クルスの人生を語るには、チャハーという鳥が鳴いた瞬間を語ればいいのだ(そういえば久野量一さんが最近どこかで、このボルヘスの言葉を引きながら部分と全体ということを書いていた)。


この太陽の光。この瞬間が、意外に、ぼくの人生を語る一瞬なのかもしれない。

2015年3月23日月曜日

問題です

燐光群『現代能楽集 クイズ・ショウ』、作・演出、坂手洋二 @下北沢ザ・スズナリ

現代能楽集の何作目になるのだろうか? 今回はクイズを扱った。

坂手洋二には以前、外語時代、シンポジウムに登壇いただいて、それ以来、いろいろと案内をくださるので、行けるときに見に行っている。そのシンポジウムでは「現代能楽集」の「能楽」たるゆえんなどを伺ったように思うが、そのときのやり取りはあまりはっきりと覚えていない。シンポジウム直前にやっていた『ザ・パワー・オブ・イエス』について、ただ舞台に立って人が話す、それだけで演劇というのが存在するのだ、というようなことをおっしゃっていたようには思う。

さて、今回の現代能楽集はクイズだ。問答だ。すぐに正否のわかる問答のうちに生への葛藤を浮かびあがらせる。これは無数の幽霊たちのうめきだ。坂手さん自身はパンフレットで複式夢幻能を引き合いに出している。

誰かと誰かが必ずクイズを出し合い、答えている。ひとつひとつのシークエンスが短いことに加え、この永遠のクイズ形式はリズミカルでいい。見ている側としては飽きない。

おっと、しかし、今日のクイズとその答えを口外しないようにと司会者訳の大西孝洋に釘を刺されたのだった。あまり詳しいクイズの内容は書くまい。

劇に行くといつももらう大量のチラシや宣伝の中で、日比谷のシアタークリエでアリエル・ドルフマンの『死と乙女』を上演中との情報を得た。



うーむ。行けるかなあ?……

2015年3月22日日曜日

セ・マニフィーク

パトリック・シャモワゾー『素晴らしきソリボ』関口涼子、パトリック・オノレ訳(河出書房新社、2015)

カーニヴァルの夜にソリボ・マニフィークと呼ばれる語り部(後に明らかになった本名はプロスペール・バジョール)が死ぬ。殺人事件と見た警察はその場に居合わせた者たちに事情聴取をするが、証人=容疑者たちは、ソリボが「言葉に喉を搔き裂かれて」死んだのだと言う。そんなことを信じるわけにはいかない警察は、毒殺による殺人だろうと推理し、15人ばかりの証人に訊問を続ける。

推理や犯人探しが主眼ではなく(犯人は言葉なのだから)、証人たちが浮き彫りにするソリボの人となりというか、語りの様態、存在が中心をなす。そしてまたフランス語・クレオール語入り混じり(であるはず)の丁々発止のやりとりも魅力。

証人のなかにパトリック・シャモワゾーという作家(「わたし」)が混じっている。彼(「わたし」)はソリボの語りを書き留めたいと思い、ソリボに取材していたのだ。いきおい、小説の「終わりつつある口承文学と生まれつつある記述文学との出会い」(オビのミラン・クンデラの言葉)という主題が浮かびあがることになる。「物語が無くなり、クレオール語が衰退し、わたしたちの言葉は、教員たちもが聞き取ることの出来なかった敏捷さを失い、そしてソリボは、最初は打ち勝てると思っていたその宿命に絡め取られていくのに自ら立ち会っていた」(208ページ)というわけだ。

しかし、作家(「わたし」)自身は、こうした口承文学の死に立ち会ったという自己認識を拒否し、自らを「言葉を書き留める者」と呼ぶ。両者は「全く違うもの」だと。「言葉を書き留める者は口承文学の死を拒否し、口に出された言葉を集め、伝えるのです」(155ページ)と。

作品末尾には「ソリボの口上」が添えられている。

さて、ソリボはクレオール語で話していたはずだ。登場人物もクレオール語で話したり、クレオール語混じりのフランス語で話していたはずだ。このテクストは二重の翻訳を経て読まれているはずだ。口語部分は、これが二重の翻訳であることを自覚した、リズミカルで奇妙な日本語になっていて、そうした形式上の面白さもこの小説の魅力だ。

たとえば、「今ごろオーケー烏骨鶏、滑稽こっことご一緒に山の上ではないかいな」(219)なんて、原文はどんなだろう? 

「ならば訊いたら、とととん、と? それは風景のソリボ、そこには底なし盆地のソリボ、見捨てられたるもののソリボ、虎も兎も粗筋もない道行きのソリボ、砂糖も塩も底をつきたるトータル、グローバル、病院行ったるホスピタル、遺伝関係たる、樽づめたる、自治体たる、ジャッカル、がたがたしたる文法たるローカルの立てたる殻のスキャンダルを起こすでない、とととん? それはフォンダマンタル〔根本たる〕・ソリボなのだ、あたしの名前を呼んどくれ!」
「フォンダマンタル・ソリボ!」(222ページ)

なんて、わくわくする語りの現場は、原語でどう記されてるいるのか? 


日本語への翻訳もまた、マニフィーク(素晴らしい)なのだ。

2015年3月21日土曜日

勉強週間?

前にも書いたが、世界文学・語圏横断ネットワークというのに発起人として参加している。中心となったのは西成彦、和田忠彦、沼野充義の3名で、その周囲に30名ばかりの発起人が集まり、立ち上げた。で、ぼくはその30名ばかりのうちのひとり。年に2回、研究会を開催している。第2回目の研究会が、この19(木)、20(金)と東京外国語大学であったので、行ってきた。古巣に。

初日の午後には池澤夏樹さんをお招きしてのシンポジウムもあった。

こうした研究会での成果は、他者の発表によってぼく自身が新たな視点を得られるか、そしてこれは読みたいと思う本に巡り会えるか、にかかってくる。崎山多美『ゆらてぃく ゆりてぃく』なんて作品に出会ったことは初日の成果のひとつ。サルマン・ラシュディの未読のものなど(恥ずかしい話だが、実は、たとえば『悪魔の詩』を読んでいないのだった)も読まねばと思った次第。

2日目の午後、「翻訳論のフロンティア」のセッション。齋藤美野「翻訳論と実践の繋がり」は明治期の翻訳家・森田思軒の実践を紹介するものだった。間接話法の「彼」に、当時まだ意味がたゆたっていた「己れ」を充てたという例に、早川敦子とともに司会をしていた鴻巣友季子がえらく感心していた。

なるほど。でも鴻巣さんに張り合う気はないが、ぼくは、この間接話法の三人称の処理に苦労し、何気ない編集者の提案によってそこに「自分」を使うとかなりうまく行くことに気づいたことがあった。へへへ。かといって、以後、そればかり使っているわけではないけれども。

そんなことよりぼくが同発表で驚いたのは、間接話法はわかりづらいので、通訳・翻訳の現場ではむしろ直接話法化することが推奨されている、という実態がある、と、さらりと報告されたことだ。

そうなのか!……

ある共訳の仕事をしたとき、共訳者が間接話法をほとんど直接話法で訳してきたことがあった。文学作品なんだし、ぼくはそのほとんどを間接話法に書き換えた。そのいくつかが、わかりづらいとして編集者から示唆されたのが「自分」だった。そうなんだな、きっとぼくはこのとき、森田思軒の後継者となったのだな。

今日はこれから、ぼくが名ばかりの代表を務める研究会。世界文学から一気にスペイン語圏への移動だ。


でも本当はこうして勉強してばかりではなく、自分の仕事をサクサクと片づけなければならないのだけどな……

2015年3月17日火曜日

意外に深いイギリスの病根?

ちょっと前にエドゥムンド・パス・ソルダン『チューリングの妄想』服部綾乃、石川隆介訳(国書刊行会)などという小説を読み、その紹介をあるところに書いたりした手前、アラン・チューリングを扱った映画となると、気になるじゃないか(パス・ソルダンの小説は特に直接このイギリスの数学者・暗号解読者を扱っているわけではない。でも暗号の話ではある)。

モーテン・ティルダム『イミテーション・ゲーム——エニグマと天才数学者の秘密』(イギリス、アメリカ、2014) ベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレイ他

チューリングは天才数学者で、第二次大戦中にドイツ軍の暗号解読に成功したことなどで知られている人物だが、もちろん、小説ではないので、映画では暗号解読そのものを(その論理を)中心に据えるわけにはいかない。チューリングの残したいくつかの業績のうち、ドイツ軍のエニグマ暗号解読のためのマシンの開発に焦点を当て、協力者の理論上の業績なども犠牲にして、映画らしいわかりやすい筋立てとして提示している。天才の周囲の無理解、孤独とか、なかなかうまくいかない開発とか……

映画の見どころ……というか、映画的トピックとして捉えると、まず、チューリングのパブリックスクール時代の人格形成と少年愛というのがある。パブリックスクール、抑圧、同性愛のセットがスパイ、戦争に接続される、『アナザー・カントリー』の系列だ(そのせいかヒュー役のマシュー・グードが最初、若き日のルパート・エヴェレットに見えた……のは俺だけか?)。政治のひとつの選択としての戦争、その裏面としてのスパイが同性愛と相まってパブリックスクール(その先にあるはずのオックスブリッジ)に起源を見出すというのは、実はイギリスの、いかにもイギリスらしい病根というか、トラウマというか、心の故郷のようなものではないかと知らされることになる。そしてそこに、新たに暗号という軸が加わった。それがこの映画の貢献。

さらに、映画の大枠は、チューリングが1951年に同性愛行為によって逮捕され、それを取り調べることになった警官が、彼の軍歴に謎があることに気づき、取り調べにかかる、というもの。そして彼から引き出した証言として、戦争中のことが語られる。これは、つまり、今年中に翻訳が出るはずのホルヘ・ボルピの『クリングゾールを探して』のような結構だ。もちろん、こうした構造は『クリングゾールを探して』が最初ではないけれども(では何だ? まあいいか)、戦争中の機密が証言によって開示されている、という意味では、同じということ。


戦争中の話といえば、元アイドルの国会議員が、かつて「ナチス・ドイツを見習う」とかなんとか言ったヤクザまがいの大臣に対する質問で「八紘一宇」などという概念を持ちだしてきたとの話だが、戦争の頃の傷にはイギリスのみならずぼくらも囚われているのだなと思う。きっとこれも何かの暗号解読の鍵なんだろうな。

2015年3月13日金曜日

露出趣味と書いたけれど……


村上春樹の書斎の机上写真に触発され、内田樹まで、ツイッター上で、こうして自身の机上を公開していた。

これはこれでひとつの立派な書斎。やはりぼくなど足下にも及ばねぇや……

他人の書斎は気になるもの。書斎というのが、この場合、書庫を含むものならばますますそうだ。『ドン・キホーテ』には主人公の書斎を司祭や床屋が詮索し、ひとつひとつの蔵書に対し、ああでもないこうでもないと蘊蓄を垂れる章がある。他人の書庫を勘ぐるのは立派な文学的トピックなのだ。

そういえば、かつて、『クーリエ・ジャポン』と『プレイボーイ』がほぼ同じ時期に作家の書斎を特集に組んだことがあった(『クーリエ』はノーベル賞作家限定)。

F・プレモリ=ドルーレ、写真:E・レナード、プロローグ:マルグリット・デュラス『作家の家』鹿島茂監訳、博多かおる訳(西村書店、2009)など、副題に「創作の現場を訪ねて」と掲げた日には、たいそう立派な感じになるのだった。西村書店は他にも『音楽家の家』、『芸術家の家』、『推理作家の家』といったものを出してシリーズ化している。

ヘミングウェイの家(キューバ)だのトロツキーの家、フリーダ・カーロの家、ディエゴ・リベラのアトリエ(いずれもメキシコ市)だの、そして何よりアルフォンソ・レイェスの家(今は記念館)だのと、人は作家や芸術家、知識人たちの家を訪ねるじゃないか。そしてぼくも訪ねたじゃないか。


そんなわけで、ぼくの露出趣味くらい許してね、と……

2015年3月11日水曜日

露出趣味

村上春樹が新潮社(だったと思う)の特設したサイト「村上さんのところ」で書斎の仕事机の上の写真を掲載した

それを受け、こんな記事も見つけた。村上本人の撮影になる1枚目以外はどうやって手に入れたのだろう? ゲラと原稿を取り違えているので、この人は新潮社(だったと思う)、あるいはその他の出版関係の人ではないと思う。ともかく、立派な書斎なのだ。参った。

先日、ロー・ダイニング・セットを導入したことを書いた。それで、ぼくもソファの背後に書きもの机を置いてみた。ロー・ダイニング・テーブルにはかつて教え子からお土産にいただいたクロスを掛け、ソファにも掛け物をかけてある。机やその先の本棚をぼかすためにクロスに焦点を合わせたら、染みが目立ってしまったぜ。

机の上はこんな感じ。ノート(今はロイヒトトゥルム)、iPad mini、MacBookAirがあれば、たいてい、仕事はできる、という体制(村上春樹の向こうを張って、ぼくもゲラを見ているの図)。


村上春樹の書斎の話とぼくの新器具(つまり、ロー・ダイニング・セット)導入の話をしたら、ぜひ、公開を、と友人に言われたので、露出趣味を発露してみた。でもやはり、村上春樹の書斎を前にすれば貧相だなあ……

2015年3月9日月曜日

蛍光灯の光のカバー

ロー・テーブルとソファの組み合わせで読書も進む。なんちゃって。

エドウィージ・ダンティカ『海の光のクレア』佐川愛子訳(作品社、2015)

ダンティカ最高の作品との評判もある。2部8章からなる長編だけれども、それぞれの章は独自のタイトルがついているし、章ごとに違う人物に焦点を当てており、連作短編としても読める。実際、第1章「海の光のクレア」はダンティカ自身が編集した短編アンソロジーに掲載されたのが初出らしい。それぞれの章にいくつかの謎を残すやりかたも、それらに短編との印象を与える。そうして積み重なった謎が、他の章で解き明かされる、とまではいかずとも、解答へのヒントがほのめかされ、回収されるところは、単なる短編集ではなく連作短編と呼びたくなるゆえんだ。

生まれた時に母をなくし、母の代わりにやってきた亡霊ルヴナンなどと呼ばれてもいる少女クレアが、7歳の誕生日に、織物屋の女主人ガエルに養女に出されることになったものの、その日、父と新しい養母の前から姿を消してしまうというエピソードが外枠。織物屋の主ガエルには、クレアより3歳年上のローズという娘がいたが、彼女はクレアが4歳の時に車にはねられ死んだ。そしてまたローズの父親、つまりガエルの夫ローレンは、ローズが生まれた日に勤務先のラジオ局で何者かに射殺された。ローレンを射殺した主犯として警察に捕まったバーナードは、釈放後、やはり何者かに殺された……という具合にエピソードが連なり、ヴィル・ローズという人口一万一千人ばかりのハイチの小さな町の人々の、クレアの失踪した日とその10年前のローズ出産の日(ローレン射殺の日)を巡る人生が描かれる。

最終章では再びクレアに焦点が戻り、彼女の失踪の経緯が描かれるわけだが、そこにいたって、クレアの7歳の誕生日の出来事が、目の前の海と背後の山の対比に回収されるのはみごとだ。漁師たちを呑み込む海の物語、セイレーン(ラシレーン)の歌と山に逃げた逃亡奴隷たち、マルーンの物語へのクレアの自己投影として位置づけられるのだ。

そうした位置づけが開示された後になされるクレアの心情の叙述、257-258ページの叙述はすばらしく美しい。ここで引用はしないけれども。

一方でその美しいページの直前に、こうした段落があることも見逃せない。

 父が好んで言うには、イニティル山は二、三年後には役立たず(イニティル)ではなくなっているだろう。それは、この小山を焼き払って平らにすれば、巨大な御殿を建てられると大金持ちが気づいたからだ、というのだった。あそこはじきに、モン・パレ、つまり御殿山と呼ばれねばならなくなるだろ、と。(256ページ。( )内は原文のルビ)

開発の波は迫っている。クレアの頭にこびりついているセイレーンの歌は、他の子供たちは歌いたがらない。逃亡奴隷の話を学校で読み聞かせしていたラジオ・パーソナリティのルイーズは辞めさせられた。ゾンビの話もごくたまにしか出てこない。クレアがルヴナンだという信じ込みは、父親によって常に否定されている。クレアはつまり、現代にわずかに残存する伝統・伝承のハイチでもある。このバランスが絶妙だ。


個人的な好みとしては、クレール、ローラン、ベルナール……などフランス語風の呼び名にしてほしかったな、という気がする。英語で書かれ、まず英語話者たちによって読まれた作品であることを慮って人物名の表記はこうなったのだろうということはわかるのだが……