2016年2月29日月曜日

事後報告


対象とする地域の文学との出会い、その特徴と魅力などを語れというので、たまたま受講していたスペイン語の授業担当者が訳した本が生協に積まれていたこと(つまり、アレッホ・カルペンティエール『ハープと影』牛島信明訳、新潮社、1984)、ラテンアメリカは広大で多様であること、まずはバスケス『物が落ちる音』を読んでいただきたいこと、などを話した。


他の登壇者もそれぞれに印象深い話だったけれども、とりわけ奈倉有里さんのひいおじいさまが翻訳家だったとのお話しは興味深かった。「船乗新八」などという翻訳があるとか。つまり、シンドバッドなのだ! シラノ・ド・ベルジュラックが白野弁十郎となるようなものだな。

2016年2月27日土曜日

麗しのメヒコ (5)  総括?

これがタコス・アル・パストール。ポソーレと並び、僕がメキシコに行くときには必ず食べるもの。日本のメキシコ料理屋などではめったに出されないからだ。

ケバブのように肉を重ねて専用のロースターのようなもので焼き、それを細かくそぎ落としてトルティーヤに載せ、玉ねぎとコリアンダー、お好みでサルサをかけて食べる。最近はケバブの店は日本でも多いのだから、アル・パストールだってできそうなものなのだが。

飛行機の時間が深夜だったので、空いた時間を管啓次郎さんの詩集のスペイン語版翻訳のプレゼンテーションに行ってきた。

でもその前に、会場が近いので、日曜日にも訪ねたロサリオ・カステヤーノス書店。これがその店内写真。右端にはカフェも見える。

そこで見つけたのが、

César Aira, El mármol (Buenos Aires: La Bestia Equilátera, 2011)

奥にあるのは Jorge Volpi, Las elegidas (México: Penguin Random House, 2015)

ボルピの新作はオペラにもなり、映画にもなった。今度、実はその映画化作品を巡ってボルピの話が聴けるらしいので、予習のために。


トラスカラのテナンチンゴという村の先住民たちが、古くから売春をしていたという言い伝えと、聖書「創世記」のアブラハムとサライの寓話(エピグラフに引用)を融和させ、詩的・寓意的・神話的に仕上げた作品。『クリングゾールをさがして』の分厚く、ハラハラドキドキの物語から、短く詩的で難解、でも示唆に富む作品へと舞い戻ってきた感じだ。

2016年2月25日木曜日

小さな本

かつてイタリアのどこかの史跡に落書きした軽薄な大学生が問題になったことがあったが、

観光客も多いはずのある場所にあったこれは、問題にならないのだろうか? 

さて、資料収集に奔走し、その後、以前、大学で話していただいたことのある作家アルマンド・ゴンサーレス=トーレスさんに会い、意見交換。色々と教えていただいた。

すてきなレストランを予約までしてもらって、さらには払ってまでいただいて、なんだか申し訳ないなと思っていると、いただいたのだ。

Armando González Torres, La Peste (México: El Tucán de Vírgenes, 2010)

僕らはこうして本を持ち歩き、何かのおりに人にあげたりして名刺代わりとする。僕も最近、あるところにお呼ばれしたのでバスケス『物が落ちる音』を差し上げたりしたのだ。

でも、こうしたコンパクトな本の方が、そういうことには向いている。島田雅彦はどこかで、文庫本が理想だと言っていた。次の次の翻訳は文庫かもしれないので、その時には毎日のように差し上げるための一冊を持ち歩くとするか? 


いやいや。メキシコについての本を書くという話であった。それを持ち歩ける日を夢見るとしよう。

参考

今回の旅行で使っているカメラはこれ。

レンズは25mm単焦点。レンズフード付き。

室内などフードの要らないときには、こうやってしまう。

さらに、キャノンのGX7はズームレンズつきなので、ズームが欲しいときにはこれを使う。それから、広角のさいにも。かつて、ある写真家の方と同席した際、彼が同じものを持っていたので、なんだか嬉しくなったものだ。

上のオリンパスのカメラで、ほぼ同じ位置で撮ってこんなに近く見えるのだから、角度の違いがわかるというもの。


オリンパスのOM-D向けにはパンケーキズームというのもあって、それをつければ一本で済んだのかもしれないけれども、そういう問題ではない。この組み合わせで行きたかったのだ。

2016年2月24日水曜日

麗しのメヒコ (4) 本屋とカフェは常に一緒だった

しかしながら(というのは、昨日からの続き)、書店とカフェの組み合わせとなると、何と言ってもガンディなのである。僕はメキシコに来ると必ずやることがあって、それは、

1) ポソーレを食べる。
2) タコス・アル・パストールを食べる。
3) ガンディに行く。

なのだ。だから行ってきたのだ。

地下鉄3番線ミゲル・アンヘル・デ・ケベード駅のすぐ隣にある書店で、ここはジュンク堂などより以前から(少なくとも僕にとっての経験の順番ではということ)必ずカフェを併設することを方針として掲げて店舗展開する本屋だ。もちろん、オンラインショッピングもやっている。

23日にはUNAM(メキシコ国立自治大学)に留学中の学生(外語時代最後の学生のひとりと東大の学生)に会うことになった。大学に通う者と待ち合わせと言えば、ここだ。ガンディのカフェ。ここはWi-Fiも無料で繋げるので、その意味でも助かる。

上記駅前の本店の道路を隔てた向かいにはもうひとつのガンディがある。その隣にはFCE直営オクタビオ・パス書店。さらに隣にもう一件書店があり、最近のことだと思うけれども、古本屋までが何軒か軒を連ねている。M.A.デ・ケベードは交差点に位置するのだが、駅の逆の側の出口にはこれらの書店をさらに圧倒する品揃えのソタノ(Sótano 地下の意味だが、文字どおりに地下がメインになる書店)がある。一帯は書店街の様相を呈しているわけだ。

待ち合わせの学生は、待ち合わせたこの場所がガンディの本店だとは知らず、かつ、ガンディに独自のカフェがあるとの意識もなかったようだ。通りを隔てたもうひとつ店の方が大きいし、そこにはスターバックスが隣接しているからだ。以前はこの店の中にもガンディのカフェがあったのだが、今ではスターバックスにアウトソーシング(と言うのか、この場合も?)してしまったらしい。これはひとつの大きな変化かもしれない。

ガンディを出て食事をしようと近くの店に入り、腰かけると、後ろから声をかけられた。

学生時代の友人で広島大学で先生をしている人物だった。今回、同時期にメキシコに来ている、メキシコ研究者だ。ガンディ界隈だとこういうことはよくある。

食後、オクタビオ・パス書店のカフェに場所を変え、コーヒーを飲んだ。僕よりはるかに頻繁にメキシコに来ているその友人によれば、近頃改装したパス書店の方がカフェも格段と良いのではないか、との話。

なるほど。(ちなみにこのコーヒーはガンディのカフェで頼んだもの。エスプレッソ、ダブル)

夜はやはり外語時代の教え子で、メヒコで働いている人物と会った。すると思いがけない人の繋がりで、まさかここにいるとは思いもしなかった別の教え子(ふたりは学生時代は知り合ってはいなかった。学年もだいぶ違うので)まで合流。異なものである。

2016年2月23日火曜日

麗しのメヒコ (3) 振り子の話

昨日、コンデサで見つけたと報告したCafebrería El Péndulo。これはBBCが「世界で最も美しい本屋10選」に選んだ店で、左にリンクを貼ったこのサイトに出ているのはPolancoという、日本企業の駐在員などが住んでいる瀟洒な街区にある本店だと思う。僕がみつけたのは、Condesaという同じく良いところには違いないが、まあともかく少し雰囲気の違う場所。『野生の探偵たち』のフォント姉妹(および父親のホアキン・フォント)が住んでいた街区。

そして今日、気づいたのだが、僕が今回滞在しているホテルのある街区Zona Rosaにも店があった。コンデサのよりは少し大きめだが、外見はわかりづらいかもしれない。

Zona Rosaだ。ピンク街だ。薔薇街? 公安省の前に展開する石畳の道沿いにお洒落なカフェやレストランに混じってセックスショップなどもある街区。ゲイ街としても有名だし、ここ20年くらいは韓国人街でもあるらしく、焼き肉屋なんかもあるとか。ハングルの看板もたまに見かける。

2階の哲学書の棚のところから下のカフェを撮った写真と、


カフェの外のテラス(喫煙席。ぼくは吸わないけど)からカフェ内部および「世界文学」の棚のあたりを撮った写真。

2016年2月22日月曜日

麗しのメヒコ (2)

午前中にコンデサを散歩してきた。落ち着いた住宅街で、アルフォンソ・レイェス記念館などもある地区。

最近、スペイン語でcafebreríaなどと言われるお店のひとつ。El Péndulo。Cafebreríaというのはcafé (もちろん、カフェ)+ librería (本屋)の造語。カフェを併設する本屋のこと。といってもここはむしろカフェの中に本屋があるというくらいの感じ。カフェの一部CD売り場の中に特設ステージを作り、ギターとフルートのアンサンブルがボサノヴァなどを奏でていた。


午後は中心街で行われているブックフェアに行ってきた。ブックフェアは本が値引きされるだけのイベントではなく、本に関する様々な講演会やサイン会などが催される場所で、たとえばフアン・ビジョーロの新作のプレゼンテーションなどもあったのだか、友人と待ち合わせていたので、聞くことはできなかった。


今日の収穫:午前中に手に入れたマックス・アウブによるルイス・ブニュエル伝(小説)。ブックフェア会場で手に入れたマリーア・サンブラーノの回想録。そしてカルペンティエール全集17巻(また装幀が変更になっている!)ベネズエラでの日記(1951-1957)。さすがに僕のベネズエラ調査では手に入らなかった個人的な写真などが巻末についている。1945-50年や58、59年はどうしたのだ、と思うのだが。こういう巻ならばTristán e Isolda en Tierra Firmeを併載するなどすればよかったのに、とも思う。最初の1冊は2013年、後のふたつは2014年刊で、どういうわけか手に入れられずにいたもの。

2016年2月21日日曜日

麗しのメヒコ(1)

メキシコに来ている。DFからCiudad de Méxicoになったメキシコ市に。

今回の旅の目的は、ポソーレだ。美味しいポソーレを求めての旅だ。

なんちゃって。かねがねメキシコをはじめて訪れるような人にはポソーレがうまいぞ、と薦めるものだから、メキシコ在住の教え子夫妻が、評判のポソーレ専門店Casa de Toñoに誘ってくれたという次第。

ポソーレ店とは別に、ここも訪れた。カフェ・ラバーナCafé La Habana

ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』にカフェ・キトと名前を変えて出てくるブカレリ通りのカフェ。

こんな風に大きなウィンドウが特徴。ボラーニョは(あるいはその作中人物たちは)ここから漏れてくる光に魅了された。

入り口脇の開店60周年のプレートにはオクタビオ・パス、フィデル・カストロ、エルネスト・"チェ"・ゲバラ、ガブリエル・ガルシア=マルケス、ヘスス・マルティネス、レナート・ルドュック、ロベルト・ボラーニョ……らに愛されたと書いてある。あなたもこのリストに名を連ねてくれ、と置かれたノートに、しかし、名前を書くのをわすれた。


まあいいや。

2016年2月17日水曜日

博士号が取りたくて


エステル・M・フィリップス、デレック・S・ビュー『博士号のとり方――学生と指導教官のための実践ハンドブック』角谷快彦訳(大学院教育向上実践会企画、出版サポート 大樹舎、2015〔7刷、2010〕)

博士号を取ってみようと思ったのだ。

いや、もう持ってるし……

副題に「と指導教官のための」と謳っている。国立大学が法人化されて以来、「教官」とは呼ばないはずだが、まあそれはどうでもいい。教員だって色々悩んでいるのだ。

プライバシーに属するので細かくは言わないが、なかなか修士論文が書けない学生がいたりして、つらつらと思い返すに、僕は修論や、ましてや博士論文の指導は、ことごとくうまく行っていないのじゃないかと反省するに至った。もう少しシステマティックに指導するということを考えなければいけないのではないか、と。

僕自身は、あまり教師に介入して欲しくないと思っていたので、自分で好きなように修論を書き、博士論文を書いた。先生たちもそれを許容してくれた。そもそも修士論文提出の年、本来の指導教授であるべき人はサバティカルでスペインにいた。

ひるがえって教師の立場に立つと、時々、かつての僕同様、介入を望まない学生がいると感じる。その人が介入を必要としないほど優秀だと思えば、僕だって介入しない。だが、そうではない(学生が優秀ではないという意味〔ばかり〕でなく、介入を必要としている人がいるという意味)場合、けっこう難しいのだ。そもそも僕は学生たちに言うことを聞いてもらえないタイプだものな……で、色々と参考にしたくて、この本などを読んでみた次第。
(読み返して反省。本書にも書いてあるように、論文完成は「優秀」さの問題ではない。この「優秀」神話をまずは取り払わなければという話でもあった。たぶん、僕はその神話に取り憑かれて取り違えていたのかも)

イギリスで書かれた本なので、日本とはシステムの違いがある。博士論文として提出されたものが修士論文としてグレードを下げて認定されるとか、修士課程から博士課程へは進学ではなく切り替えであるとか。制度の違いはイギリス大学(院)事情として読めばそれはそれで楽しい。

そしてまた、文章の端々から感じることは、イギリスの大学だってそんなに遠い昔ではないころまで、「古き良き」(本当に良いかどうかは別として)大学の雰囲気を享受していたのであり、こうした博士論文の書き方やその指導のマニュアルが編まれるということは、上から下から、制度化や研究(指導法研究)が行われてきた結果なのだということがわかる。「学部一流大学院三流」(今野浩)たる日本に欠けるのはこれなのかもしれない。大学院の指導法・カリキュラムの確立。もちろん、各大学、多大な努力が払われていることは知っているのだが。

学生には107-108ページをともかく読め、と言いたい。自分に対しては、229ページの項目。

「フィードバックに批判を含む権利」を得よう (略)指導教官がこの権利を持っていることを定期的に学生に知らしめなければならない。

だから、俺、これが一番苦手なんだってば。
……大変だなあ。

メキシコ行くぞ

尾籠な話である。

メキシコに行くためにこんなのを買った。

なにやら電動歯ブラシにも見える。しかし、この先についているのはブラシではなく、ノズルだ。

そう。これはTOTOの携帯ウォシュレット。

旅先で意外に辟易するのはトイレだ。きれいな公衆便所のあるところなど、そんなにはない。まあ僕もついこの間まで(というのは実際には40年くらい前の話になるわけだが、あくまでも気分の問題)汲み取り式のトイレを使っていたわけだし、あまりきれいでないトイレなど気にしない、と思っているにはいる。

が、どうにも馴染めないのが、紙を便器に流さず、トイレ内に備え付けのゴミ箱に捨てるという、メキシコを始め多くの国々で採用されている習慣。

実際にはそれは紙がゴワゴワしていた時代の話だろう? 今どきそんな気を使う必要もないだろう。と判断して、けっこう平気で便器内に流すし、それで下水管が詰まったことはまだ一度もないのだが、やはり、郷に入っては郷に従えで、たまには紙をゴミ箱に捨てる。

なるほど、消費する紙の量とその汚れを最低限に抑えればいいのでは? と思いついて買ってみたのがこれなのだ。

箱(および取扱説明書)には、こんな絵でこんな説明がある(最後のコマ)。


前から挿すか後ろから挿すか。習慣の分かれ目。なんだか微笑ましい。

2016年2月15日月曜日

2月はもっと地獄の季節

 翻訳中の『第三帝国』にこういう文があった。

 "Al tutearla Frau Else enrojeció" (〔敬称のustedではなく親称の〕で話しかけるとフラウ・エルセは赤面した)

これの英訳:

 "When I addressed her with the informal du, Frau Else blushed" 
 
『第三帝国』は語り手=主人公はドイツ人ウド・ベルガーだ。彼がスベインの地中海側のリゾート地で夏を過ごす話。泊まっているホテルは、ウドがかつて、子供時代に両親によく連れられて来た場所。ウドはそこのオーナー夫人のフラウ・エルセにその頃から恋い焦がれていた。大人になって恋人と一緒に過ごすウドは、フラウ・エルセに取り入ろうとしている。中心となるプロットではないけれども、『第三帝国』はこうした若い男性の年上の女性への淡い憧れをも書いた小説。

フラウ・エルセはドイツ人で、つまりウドと彼女はドイツ語で話している。そういう設定だ。それをボラーニョはスベイン語で書いた。上の文章は、ふたりが始めて親しげに親称のtúで会話を交わした瞬間のもの。

英語には……現代英語には敬称と親称の差がない。他のヨーロッパ言語にはあるのに。で、英訳ではどんな場合でもウドはフラウ・エルセにyouで語りかけることになる。敬称から親称への移行は単語によって表現はできない。そこで英語はスペイン語原文を引き合いに出すのでなく、ドイツ語で会話が交わされているという設定に合わせて、ドイツ語のduを使い、上のように表現した次第だろう。

僕が編集者に送付した訳文ではスベイン語の単語もドイツ語の単語も混ぜていないけれども、少なくとも、英訳のような処理は考えていなかったので、とても新鮮に思えた次第。


でもまあ、ともかく、本筋とは無関係(に思える)ながら、ウドのフラウ・エルセへの恋はロマンチックなのだ。若いボラーニョがここにはいるのだ。(写真はイメージ)

あ、そうそう。2月28日、こんなイベントに参加します(「こんなイベント」にリンク)。