2020年5月29日金曜日

コロナに弄ばれる人生

新型コロナウィルスの感染拡大のおかげで生活がすっかりと変わってしまった。いや、もとから家に閉じこもることの多い生活ではあるのだが、そこに必要な必需品が増えてしまったのだ。

たとえば、これ。

ノートPCスタンド。書見台型。

もともと手前にあるようなやつに縦に置いていた。

こんなふうに(これは試験的に背を下にしたときの映像。普段は逆に立てている)。

MacBookAirをディスプレイに繋いでBluetoothのキーボードとトラックパッドで操作し、MacBook本体はこうして収納している。

しかるに、授業はどこもリモートでZoomだのWebexやらを使うことになった。マックはカメラもマイクも内蔵だから、新たに買い足す必要はないのだが、何しろそれらは本体に内蔵されているのであってディスプレイには何もない(スピーカーはある)。だからそれらを使うときにはMacBookを開いていなければならない。だから、開いて置くためにこの書見台型のスタンドを新たに導入した次第。

しかたがない。この縦置き型のやつは大学に置くことにしよう(本体は常に持ち運び、大学では別のディスプレイにつないでいる。昔のthunderboltのやつに)。

2020年5月10日日曜日

スーツを買おう!? 

内澤旬子というと、やはり『センセイの書斎』(2006 / 河出文庫、2011)『世界屠畜紀行』(2007 / 角川文庫、2011)で鮮烈な印象を残した人物。内容もともかく、これらが本人によるイラストもついた楽しい本だったので、先日上梓された『着せる女』(本の雑誌社、2020)が本文にイラストつきでないことは、少しばかり残念。

でもまあ、周囲の作家や編集者をブティックに導いてはスーツを見繕ってあげる過程がなかなか面白い。彼女自身がスーツのあり方やその用語(たとえば「段返り」すらも)にはじめて触れる驚きを隠さず綴っているところがいいんだろうな。つまり、ファッション通のオシャレさんがダサ男たちに指南しているというスタンスではない。男たちがスーツ(やチノパン、ピンクのシャツ)を着ると格好いいんだけどな、という願望を、仕事仲間に託して叶えていく、という感じだ。

意外だったのは(というのはこの人のことをよく知らなかったからだが)永江朗のファションへの意識。しかも、そうか、この人はアール・ヴィヴァンの店員だったのか! そんな彼の科白が、スーツを着る者の苦労を端的に表明している。

「スーツは、すごく流行に厳しいんです。例えばパンツの丈とかジャケットの裾丈にしても、流行から外れるとものすごくわかりやすい。レディスだったら好きで着ているんだと言えるけれども、メンズはそうは言えない。この人は無関心なんだって思われちゃうようなことになる。(略)」(198ページ)

そうなのだよ。スーツって難しいのだ。そして金がかかるのだ。

僕もあまりスーツは着ない。チノパンやコットンスーツ(セットアップ)のボトムズにボタンダウンシャツ、ジャケットという出で立ちが多いだろうか。いわゆるビジネス・スーツはあまり持たず、ある程度の場向けにはセットアップを着回しているという感じだ。半分くらいはパターンメイドで、残りの半分は既製服。だいたい既製服でも合う体型だとは思うけれども、そんなわけでそれぞれのカットが一定せず、中には今着るとかなり時代遅れだなと思うものもある。もっとも確実に着ることになる黒スーツ(葬式などのため)が、いちばん怪しいということが最大の泣き所。ボウタイ3本、ニットタイ4本、葬式用の黒いネクタイ1本、そのほかストライプやドット、無地のネクタイが合わせて10本ばかり。最大の問題はシャツで、体の他の部位に比して首が太いので(だからシャツのほとんどはボタンダウンだ)、ネクタイを締めるためのシャツは大抵パターンメイドで作ったものだ。カフスボタン用のとか、クレリック・シャツとか。でも、そんなんだから着る頻度があまりにも少ない。ネクタイもその本数のわりに締めることが少ない。うーむ……

去年の夏にほとんどすべての服がパンパンであることに気づき、そこから10kgほど体重を落として大抵はまたフィットするようになったので(もう5kgばかり落とすのが理想)、たまには着てみようかな、スーツ。

……でも、もう冬ではないのだった。ジャケットの数がグンと減る季節なのだった。

2020年5月5日火曜日

結局また家自慢

既に何度も書いているとおり、昇降式の机を使っていて、立って書き物をすることが多い。僕は授業中(講義中)も立っているし、その方が仕事がはかどるようだ。

が、立ってばかりだと疲れるもので、座って作業をすることもある。作業用の椅子は、先日紹介した折りたたみのものを使っていたのだが、ここ数日、これにしてみた。

ディレクターズ・チェア。

上京してすぐに買った家具がベッドとディレクターズ・チェアだったことを思い出し、先日、買っていたのだが、しばらく寝かせていたもの。大林宣彦の追悼番組を見るとはなしに見ていたら彼のディレクターズ・チェアの映像が映った。そうだ、あれ、と思い出し、引きずり出してきた。

机の前でもいいし、ソファの隣に置いてくつろぐときでもいい。何ならベランダに持っていってもいい。重宝するアイテムである。

2020年5月1日金曜日

今月はレシピ・シリーズ? 

昨夜、鴻巣友季子さんが星野智幸『呪文』の書評を自らリツイートしていた。その書評もともかく、『呪文』は日本にメキシコのソウルフードたるトルタを知らしめた作品だとツイートしたら、翻訳家の三辺律子さんがそのとおり、とおっしゃってくれた。それでひとしきりトルタについてやりとりがあった。

その裏(?)で、Instagramでは友人ととんかつ談義をしていた。やはり家で揚げ物は、……ってな話題。それでいわゆる揚げ焼きにすればいいのだとかなんとか、僕はそれをしてミラネーゼだとかウィンナシュニッツェルと呼んでいるとかなんとか……

トルタをトルタたらしめているのは、やはりフリホーレスのペーストだと思う。赤インゲンに似た豆(よく知らない。赤インゲンそのものなのかもしれない)で作ったペースト。それをどうやって作るんだろうと疑問を呈したら、メキシコ在住の映像作家・嘉山正太さんが教えてくださった。

で、赤インゲン豆すなわちレッド・キドニーならば近所のスーパーにあったので買ってきて、

フリホーレスを作り、

揚げ焼きのとんかつをつくり、

フリホーレスをパンの両面に塗り、

アボカドなどを挟んで、できあがり。ミラネーゼのトルタ。

やはりフリホーレスがあるとぐんとメキシコらしくなる。パンはもっと皮の固いのにすれば良かったとのうらみは残るが、それでも、充分うまかった。