2018年7月31日火曜日

借りたままの……


82日にはオープンキャンパスで模擬授業をしなければならない。そのための機材のチェックに行ったら、持っているはずのDVDがなくなっていることに気づいた。

いろいろあって、でも応急措置でどうにかなりそうで、ほっとしてメールボックスを見たところ、郵便が届いていた。

DVDだった。

はて? アマゾンかどこかにDVDを注文していたんだっけか?

『ブルース・ブラザーズ』だった。手紙がついていた。読んで不覚にも涙しそうになった。

しばらく音信不通になっていた教え子からのものだった。借りたままになったこの作品を、やっと連絡できるくらいに元気になったと言って返してきたのだ。5年ぶりくらいだろうか。

詳しくは言えないけれども、その彼女はある出来事にたいそうショックを受けて音信不通になったのだった。何度かメールを入れたけれども、返事もなかった。そのうち、送ったメールが宛先不明で戻ってくるようになった。

手紙には平静を装って返事ができそうになかったからそのまま黙っていたのだと書いてあった。平静を保てなくてもいいのだ。あれだけ動揺していたのだから。

返事だってしなくていいのだ。ちゃんと無事でいてくれれば。時間がかかっても元気を取り戻してくれればそれでいい。

手紙には連絡先が書いてなかったし、以前のアドレスにも、もちろんメールは通じなかったけれども、でも、ともかく、無事でよかった。


教え子とDVDといえば、こちらは音信不通どころか、今でも頻繁に会う教え子から、ある日、DVDが届いた。ブニュエルの『小間使いの日記』だった。貸したきり返してくれなかったやつだ。無くしてしまったとかで、無理しなくてもいいと言ったのだが、何年かかけて見つけてくれたようで、返してきたのだ。

それの直前に同じ人物から送られてきたのが、ハイヒール型のチョコレート(写真を撮っていなかったことが悔やまれる。実にすてきな形)。うむ、これは何の暗示だろうか? と思ったら、DVDが届いた次第。なるほど、この映画に合わせてのプレゼントなのだった。

やるな、……。

2018年7月25日水曜日

ボルヘスと自動車


ベルナルド・ベルトルッチ『暗殺のオペラ』1971がディジタル・リマスターでリバイバル上映される@東京都写真美術館というので、観に行った。

ボルヘス「裏切り者と英雄のテーマ」を映画化したものだ。原作は、いわば思考実験のようなもので、どこでもいいが、レジスタンスが活発な地域、ただし、話をわかりやすくするためにアイルランドにしよう、として物語の概要を語るものだ。その「どこでもいい」を受け、ベルトルッチはムッソリーニ治下のイタリアを選んで語り直した。

あるレジスタンスの英雄が実は裏切り者でもあって、その裏切り者の制裁のために劇場殺人が行われた。それだけの話だが、劇場殺人を盛り上げるためにシェイクスピア的要素(『ジュリアス・シーザー』における読まれなかった手紙など)を盛り込んでスペクタクルができあがったし、その真相を数十年後に曾孫が明かす(映画では息子)という外枠を作ることによってより文学的にするというのがボルヘスの実験。それを受けてベルトルッチは、さらにその語り手(英雄=裏切り者の子アトス・マニャーニ〔ジュリオ・ブロージ〕)がよそから町にやってくるという物語要素を加えた(ボルヘスの原作では語り手の曾孫がはじめからそこに住んでいたのか、よそからやってきたのかはわからない)。しかも彼は父の愛人だったドライファ(アリダ・ヴァリ)の依頼で真相究明に乗り出す。

もちろん、ベルトルッチがボルヘスの挑戦に応えたのはそこだけではない。短篇小説を映画にするのだから、そこには映画的な工夫が盛り込んである。構図や人物の配置、個々の人物のキャラクター、原作にはない人物の造形などだ。僕が印象深く思い出したのは父の仲間だったガルバッチ(ピッポ・カンパニーニ)の登場。自転車で走るアトスに自動車で後ろから近づき、声をかけるこの人物が乗っていた車というのが、ルノー5(サンク)。正体を明かして後アトスは彼の招待を受けるのだが、自転車に乗ったまま自動車の屋根に捕まり、タンデム走行するシーンが、なんというか、いいのだな。そんなシーンにルノー5を使うところが、素晴らしいのだ。

ルノー5 は映画の中などで独特の味を出す、いわば一種の物語素と言っていいと思うのだが、スペイン語からの翻訳ものを読んでいると、「ルノー・ファイヴ」なんて訳されていたりして悲しい。「サンク」でないなら、せめて数字の5にしておけなどと悪態をつきながら読むことになる。この小型車が映像に現れたときに、それだけで醸し出す雰囲気ときたら、曰く言いがたい愛着を感じる。自転車とのタンデムにこれ以上ぴったりくる自動車はあるまい。

こうした小物については、ボルヘスは特に何も書いていないんだな。そういえば彼は自動車を車種指定したことがあっただろうか? なかったように思うのだが? ボルヘス原作の映画を見て、自動車の効用について思いを巡らすようになるのだから、これはもちろん、映画作者のポイント。

2018年7月11日水曜日

大きさも重要


もう何度も書いていることだが、ふだんはモレスキンのノートを使っている。ソフトカバー、方眼。そこに日記から読書ノートから何から何まで書く。読書ノートは、読書会や授業、あるいは書評のためのものの場合、さらに整理してPC上にファイルを作って残す。でもともかく、最初のメモはこのノートに書く(ときどき、メモ帳や余った紙の裏にも)。

僕は飽きっぽい性格なので、ときどきモレスキンに辟易する。不満はないけど、今はいいや、という気になる。そんなときには別のノートを使う。ミドリのMDノートなども気に入ってはいるのだが、ある学生が使っていることもあり、最近は、これにしている。


で、先日、ストックにと2冊注文して手に入れたばかりなのだが、最近、ここにA5版が加わったとのニュースが流れた。しかも、数日前にオンラインショッピングも始まった。

さっそく、取り寄せてみた。

モレスキンのノートは高さがA5と同じで、幅が従来のブックノートのサイズB6と同じだ。モレスキンの横幅がもう少し広いといいなと思うこともあるので、A5は、やはり最適のサイズなのではあるまいか。

何でもひとつのノートにまとめるのが僕のやり方ではあるが(サルトルに学んだ)、大きな作品を書くときや旅行のさいには専用のノートを作る。買い置いたB6版はそうしたやつとして使うことにしよう。

村田沙耶香『消滅世界』(河出文庫、2018)は親本(2015)で読んだ作品。ある読書会の課題図書として読んだのだが、その日、急に老母の世話をせねばならず帰省したので、会には参加できなかった。

生殖のためのセックスというものが消滅しつつある世界で、人工子宮にと受精により男も女も平等に母親になれる共同体の実験が進行中。そこに逃げ込むことにした夫婦の話。実に小気味よい。

既に持っている本でも文庫本が出たらそちらを買う習慣なので、今回、文庫化されたものを買った。

(これはノートをWordファイルにまとめて保管してある。写真、本の下にあるものは別の本のメモ。合評会をやるので。あまりにも教材のコピーが余ったので、その裏にメモしてみた)

2018年7月8日日曜日

たまにはブログ記事を更新しよう


このところサボっていた。ブログを書くのを。特に理由はなく、とりわけ多忙になったというわけでもないのだが、活力が低下する時期だったのだろう。

普通に生きていたので、書くべきことはたくさんあったのだが、……ラテンアメリカ学会に行き、堀江敏幸への都甲幸治によるインタヴューを聞き、その他にもいくつかのイベントに参加し、何冊かの本を読み、映画を見、教え子たちを招いてタコス・パーティを開き……という6月であった。
(写真はタコス・アル・パストール用の肉が焼けたところ。オーヴンで焼いた)

6日にはシアター・オーブに『エピータ』を観に行った。ハロルド・プリンス演出。主役のエマ・キングストンの張りのある高音に圧倒された。

ティム・ライス/アンドリュー・ロイド=ウェーバーによるミュージカル『エビータ』は、僕が大学に入った1984年、外語祭でのいわゆる語劇の演目として、僕らも上演した思いでの作品だ。ただし、スペイン語版。僕は舞台監督として役者にキューを出したり、舞台装置の指示をしたりしていた。

スペイン語版をやったのだから、歌詞はスペイン語で覚えている。ついつい口ずさみそうになる。口ずさもうとすると涙が出そうになる。昔を懐かしんで涙する年になったのだなあ……

7日はひとつの小説をめぐる2つの読書会に参加した。ひとつの小説とは、パク・ミンギュ『ピンポン』斎藤真理子訳(白水社、2017。いじめられっ子の釘がセットでいじめられているモアイとともに卓球台を見出して卓球をするようになり、卓球用具店店主セクラテンに導かれて人類の未来を決することになる話だ。ひどく面白い。