2012年10月30日火曜日

お前の口に口づけしたよ、ヨカナーン


ウンプテンプ・カンパニー第12回公演『新譚サロメ 改訂版』長谷トオル演出、加蘭京子作、神田晋一郎音楽

「改訂版」というのは、これが初演ではないということらしい。

サロメはもちろん、聖書に起源を持つ、ヘロデ王の前でうまく踊りを踊ったため、褒美に洗礼者ヨハネの首をねだった人物。これが特に19世紀末、ギュスターヴ・モローやオーブリー・ビアズリーの絵、オスカー・ワイルドの戯曲などによって宿命の女として一般化した。

ウンプテンプ・カンパニーの座付き脚本家加蘭京子の『新譚サロメ』は、これに平家物語や歌舞伎の俊寛僧都をもじったと思われるしゅんかいとうずめ(あまのうずめのみこと? それとも醜女の意か?)の取り結んだ関係を因果として配置し、死者たちの行き着く遠い島の洞窟(イザヨイの穴)での夢幻譚としている。物語的要素のぎっしり詰まった内容。

サロメというと、切り落としたヨハネの首の扱いと、それからワイルドの戯曲にある口づけ(お前の口に口づけしたよ、ヨカナーン)がやはり最大の勝負どころ。「吸うてはみたが、苦い」というサキ(板津未来)の台詞が虚を突く。狭い会場にはイチョウの木を模した布の柱が2本。大きな方には内側に照明があるのが見えていたが、これがクライマックスに使われて効果的。フラットな劇場ではない空間で、見づらさを逆手に取ったということか? 過去の因縁のほのめかし(見づらさ)から成り立つストーリーとも合っている。
11月4日まで。新宿三丁目SPACE雑遊にて。

紀伊國屋でこんなものを買ってきた。『セルバンテス模範小説集』樋口正義訳、行路社、2012。「コルネリア夫人/二人の乙女/イギリスのスペイン娘/寛大な恋人」この4編で『模範小説集』の短編すべてが訳されたことになるそうだ。

2012年10月28日日曜日

読書できない秋


ボラーニョ『2666』も読み終わらないうちに続々と気になる新刊が出て、そのうちの何冊かは献本をいただいたりして、嬉しい悲鳴を上げるばかりで、読書が進まない。

アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』青木健史訳、文遊社

なんざ特筆に値すると思うし、

フリア・アルバレス『蝶たちの時代』青柳伸子訳、作品社

も早く読みたい。トルヒーリョ時代ドミニカ共和国を扱った一連の小説と比べて読みたいのだ。小説ではないが、

ホセ・ルイス・カバッサ『カンタ・エン・エスパニョール:現代イベロアメリカ音楽の綺羅星たち』八重樫克彦・八重樫由貴子訳、新評論

などというのもいただいた。

が、ともかく、一番最初に読み終えたのが、やはり、

キルメン・ウリベ『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』金子奈美訳、白水社

「僕」こと語り手のキルメン・ウリベが、ビルバオ発フランクフルト経由ニューヨーク行きの飛行機に乗っている間に回想する彼の祖父、父、その家族、そして画家アウレリオ・アルテタとその親友の建築家リカルド・バスティダ、その家族らの話、それぞれがそれぞれの人生の局面でかかわりを持った行き交う人々の記憶。そうした記憶の断片が、絶妙なつなぎ方でまとめられた語りだ。

この語りの連関のさせ方が興味深いところだが、何よりも肝心なのは、これが以下のような意識に裏打ちされて紡がれた語りだということ。

 僕はフィオナに小説の計画を話した。アイデアは固まりつつあり、最終的にはビルバオ―ニューヨーク間の空の旅を軸としてすべてが展開されるはずだ、と。十九世紀の小説に後戻りすることなく、ある家族の三世代について語るには、それが肝心なことだった。そこで、小説を書くプロセスそのものを語ることにして、三世代の物語は断片的に、ごく断片的に提示されることになるだろう。(141-142ページ)

「十九世紀に後戻り」は言い過ぎだろう。20世紀に入ってからも「三世代の物語」は書かれてきた(たとえば、『精霊たちの家』。この2倍の世代だと『百年の孤独』……)。でもまあ、ともかく、これはそんなお馴染みの物語を語ったものなのだ。でもそれが紋切り型に堕さないのは、「小説を書くプロセスそのものを語る」ことにしたという、この体裁のおかげだ。

で、しかし、語り手が語りの手の内を明かし、それがフィクションであることを暴露するようなフィクションをメタフィクションというのだった。これはだから、メタフィクションでもあるわけだが、メタフィクション、という語から受ける印象ともずいぶん違うのは、オートフィクションの形式を取っているからなのだろうな。

キルメン・ウリベはもうすぐ来日して、東京外国語大学セルバンテス文化センターで講演やら朗読会やらをする。ぜひ、ご参集いただきたく。

2012年10月13日土曜日

サッカーと作家


11日(木)にはノーベル賞の発表があった。その前、こんな会議などの打ち合わせでご一緒した方々はいずれも待機中の身。打ち合わせを終えて酒など酌み交わしていると、そのうちのひとりの電話が鳴って、莫言の受賞が伝わった。

ちなみに、ぼくも待機中の身だった。セサル・アイラが候補のひとりになった、とAPだかどこだかが推測したらしく、ある通信社の文化部の方が、受賞した場合、コメントをもらいたいと言ってきた。それから、エドゥアルド・ガレアーノも候補にあがっていたとかで、受賞したときのための記事を書いてくれとの依頼もあった。「サッカー選手にならなくて、作家になってよかった」と締めくくった文章を書いたのだが、もちろん、それも無駄になった次第。

そんなことより嬉しいのは、未来のノーベル賞候補(?)の翻訳が出来したこと。

キルメン・ウリベ『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』金子奈美訳、白水社、2012

バスク語作家のバスク語からの翻訳だ。写真の奥はそのスペイン語訳。期待の若手作家の作品を、誰もが能力を認める若手が訳したのだから、面白くないはずがないじゃないか!

ぜひ!

という前にぼくが読まねばならないのだが、まだ、『2666』に囚われています。それから、

カルロス・フエンテス『誕生日』八重樫克彦・八重樫由貴子訳、作品社、2012

があって、そして、これ、か……

上にリンクを貼った会議の準備もしなければならないか……

あ、11月にはさるところで講演もやるのであった。

時間が足りないな……

2012年10月7日日曜日

黒船来航


先週末、熊本に行っていたと思ったら、今週末には下田に行ってきた。来週末は名古屋だ。ウィークデイがこんなに忙しいのに、週末、こんなに留守をしていたのでは、やっていけるのだろうか? 不安だ。

というわりに今回下田に来たのは、まあ遊びのようなものだ。卒業生がパートナーと開いて1年になるレストランMINORIKAWAに、現役の学生たちと食事にやって来たという次第。

翌日、つまり、今日、黒船で周遊としゃれ込んだ。かもめと戯れた……というほどでもないか。黒船サスケハナSusquehannaの勇姿。

帰りの電車の中で学生のひとりが言った。黒船に乗ったのが昔のことのようだ。

そりゃそうだ。ぼくらはサスケハナでペリーとともに旅をしていたのだから。ぼくらは158年の時を旅したのだから。

どうもぼくは言い方が悪いのか、冗談だと取られたようだ。まあ半分冗談のようなものなのだが、あながち冗談でもないのだけどな。ぼくたちが黒船に乗って下田の湾を周遊するとき、ぼくたちはペリーとともに旅をするのだ。エンリケ・ビラ=マタスがパリに行ったとき、彼はヘミングウェイとともにそこにいたのだ(『パリは終わらない』、読んだよね?)、等々。等々。

同行した学生たちが次々とFacebookに写真を掲載している。愕然と気づいたことがある。ぼくの腹は本人が自覚している以上にたるんでいる!

困ったな。少し贅肉を落とそう。