2020年11月26日木曜日

みのやが懐かしい

ちょっと前、大塚駅近くのとんかつ屋に入った。一年ほど前にできたのだろうか? かなり新しいとんかつ屋。その名前が気になっていた。美濃屋。



丼に入った豚肉の細切れとキャベツだけのシンプルな豚汁が出てきた。(写真はない)


それで確信した。


よく見ると店内には雑誌掲載の記事が貼ってある。「老舗の三代目が独立して開店」と紹介されている。やはりそうだった。これはあの東十条の〈みのや〉の末裔ということだ。


……とはいえ、僕はその東十条の〈みのや〉には2回くらいしか行ったことがない。僕がより馴染んでいるのはその弟がやっているという西ヶ原の〈みのや〉だ。つまり僕が通っていたころの外語大のすぐ近くにあった店だ。僕は大学の反対側に住んでいたので、ここのヘビーユーザーではなかったけれども、なんだか行くと必ず知り合いの学生がいたような記憶がある。あくまでも捏造された記憶かもしれないけれども。



で、なつかしくなってその西ヶ原の〈みのや〉にも行ってみた。食後の散歩のついでになので、中には入らなかったけれども、まだ健在であった。



写真を拡大したら中のメニューが見える。安い!


今度、腹が減ったときに行ってみよう。久しぶりに。

2020年11月23日月曜日

アナ・トレントが懐かしい

フェリックス・ビスカレット監督『サウラ家の人々』(スペイン、2017)@K’s Cinema


原題はLos Saura ではない。Saura(s) だ。つまり、サウラ家の人々(のみ)の意でなくサウラの複数の作品、ということか? 


サウラは正式ではないジェラルディン・チャップリンとのものを含めると4度の結婚をし7人の子をもうけている。ジェラルディンとの子シェーンはアメリカ合衆国在住で、これに出ることはできなかったのだが、映画はその他の6人の子どもたち(と現在の妻エウラリア・ラモン)との会話からサウラの過去についての話を引き出そうと意図するもの。サウラ自身は過去を語りたくないと言い、なかなか監督のビスカレットの思いどおりにはいかない。


そこで用意されたのが、自宅のアトリエではないスタジオにパネルを立てて光と影のコントラスを捉え、そのパネルに過去の映画の断片や写真を投影し、話のきっかけにするという手法。これ自体がヴィトリオ・ストラーロ的というか、彼を用いてサウラが撮った『フラメンコ』、『タンゴ』『ゴヤ』『ドン・ジョヴァンニ』らを彷彿とさせて素晴らしい。サウラの過去を映し出すにうってつけだ。


スタジオのパネルに投影するものばかりでなく、観客には過去の作品の断片がふんだんに引用され呈示される。いちばん多かったのが『カラスの飼育』であるところが泣ける。


今回の上映にあわせ、K’s Cinema では過去作品の回顧上映もやっており、今日はこの作品の前にはまさにこの『カラスの飼育』(1975)をやっていたのだ。ロビーで開場を待っていると、映写室から挿入歌にしてエンディングの ジャネットの“Porque te vas” (1974)が流れてきた。泣いた。ちなみに、これ、 "¿Por qué te vas?" だと思っている人もいるようだが、疑問ではない。理由説明だ。(リンク)


ちなみに、東京中がマノエル・デ・オリヴェイラの『繻子の靴』8時間一挙上映を観に行っていたという噂の昨日、僕はサウラの『フラメンコ』を観ていたのであった。訳あって、僕もサウラ祭。



写真はイメージ。

2020年11月22日日曜日

逃避だとも


こんなふうに部屋のレイアウトを変えてみた。これまで背中合わせにふたつの机を置く形だったが、垂直に配置してみた。結果、だいぶ使い勝手が良くなったし、書斎が書斎としてより落ち着く感じになった。

あまり長くない文章ではあるが、そのゲラを久しぶりに紙で見ている。雑誌などのゲラは今ではほとんどPDFファイルで操作しているので、紙は長い本などでない限りめったに使わなくなっているのだ。


活字になるのが楽しみ♡

サブの机が単なる物置として雑然と使われていたので、少し片付けてみた。

新たに書斎から区切られたリビング・スペースでおすまし。


いずれ、この部屋の本棚は奥行きの薄いものにして、今のやつはまだ余裕のある書庫に移動させようかと思う。そうしたらほんの少しだけ部屋が広くなるはずだ。

2020年11月21日土曜日

終日オンライン

昨日、耐えきれずここでちょっとばかり食事してきた。新橋の街はコロナ禍などよそのことのように賑わっていて、これじゃあ終息はしないなと思った。自分のことは棚に上げて。


今朝は1、2限、立教のラテンアメリカ講座の授業。


ベルナルド・アチャガ『アコーディオン弾きの息子』金子奈美訳(新潮社、2020)が面白かったので、訳者・金子奈美のオンラインでのトークを聴いたのだった。


金子奈美は出版した翻訳作品は3作目なのだが、3作目にしてはじめて翻訳者として自らの言葉で話す機会を得たとのこと。つまりこれまでは作者の通訳という形でしか翻訳書関連のイベントを行ってこなかったのだという。うーむ、ただでさえ影である翻訳者なのだから、翻訳が出たときくらいはしゃべらせて欲しいものである。彼女は1時間では足りないぞとばかりにアチャガ作品への愛を語り、テクストへの思いを語り、でもそのわりになるべく作者とありま接触しないことにしているとの翻訳姿勢を語った。


『アコーディオン弾きの息子』はカリフォルニアの牧場で50歳くらいで死んだダビが書いた故郷の日々との回想を、幼なじみの作家ヨシェバがリライトするという形式の一人称小説(二重の)。舞台は『オババコアック』と同じ架空の町オババ。スペイン内戦で父はフランコ派として町の「アカ」たちを殺したかもしれず、母方の叔父は反フランコ派のバスク民族派という家庭に育ったダビは父に反発しつつも父の跡継ぎとしてアコーディオンを弾いたりしているのだが、やがて、大学に進学するとある夏の日々のできごとのおかげでバスク独立派の活動員として地下に潜ることになるという話。500ページ超の小説だが、最後の100ページ足らずで重要なできごとが起こる。こうした重要なテーマを甘酸っぱい青春の物語が貫いている。


夜はラテンビート映画祭でマリオ・バロッソ監督『モラル・オーダー』(ポルトガル、2020)をオンライン配信鑑賞。マリア・デ・メデイロスが主演の映画だ。新聞社の創業者の娘が、その社を売ろうとするわ浮気はするわの夫に反発して26歳年下の元運転手と駆け落ち(偽装誘拐)をして逆に罠にはめられた形になり、精神病院や刑務所やらに収監され、戦う話。

2020年11月18日水曜日

金ならない! 

新しいMac Book Air, Pro, Mac mini が発売になったという


今の環境で充分満足しているので、特に買い換える気はなかったのだが、早くもあがったYouTube でのレビューの数々を、否応なしに見てしまうことになる。……で、迷った。


Intel と訣別して新しく開発されたM1チップとかいうもののおかげで、格段と良くなったという。


ふむふむ。まあ、それもいいだろう……


が、まだそれ対応のソフトは少なく、ものによっては使えないかもしれない。


あ、やっぱり待った方がいいのだね……


が、そんな未対応アプリのために Rosetta がある、と。


……なんと! では、あれも使えるのだろうか? マリア・モリネールの『スペイン語用辞典』PC版。


以前、このブログでも書いたが、マリア・モリネールの辞書をインストールしていた。が、Macで使うにはこのRosettaが必要だった。しかるに、Rosettaはあるとき(どのOSの時点だったか、判然と覚えていない)から使えなくなった。この辞書もまったく使えていない。


しかし、Rosettaがまた使えるということはこれが復活するということなのだろうか? だとすれば欲しいぞ。キーボードも打ちやすくなったということだし。


で、実際に新MacBook Air(もしくはPro)を買うかどうかは別にして、OSは既に、いつの間にか Big Sur(僕はこれをスールと発音すべきだと思う)に換わり、それに合わせていくつかのアプリはアップグレードした。それで、気づいたらPagesの使い勝手が良くなっているように思う。縦書きも簡単にレイアウトできるようになったし。


従来、Pagesはほとんど使っていない。しかし、MS Word は重いので、自分で文章を書くときはやはりもう使っていない。 iText Pro というやつでリッチテキストファイルを作っている。軽いし、使いやすい。縦書きもできる。


僕はページのレイアウトはあらかじめ作ってその状態で書きたいというタイプだ。縦書きのつもりで書く文章は縦書きで見ながら書きたい。だからiText Proでもそうする。だからテキストファイルよりはリッチテキストファイルで作成するのだ。


一方、原稿などをテキストファイルでと言われることもある。いったんリッチテキストにしたものをテキストファイルにするのはワンタッチではできない。それが簡単にできるのがPages。これはWordに書き出すのもワンタッチでできる。


うーむ、これからはもっぱらPagesを使用すべきだろうか? そして新しいMacBook Air を買うべきだろうか? うーむ、そんな金はないぞ……


写真イメージ。

2020年11月12日木曜日

占拠された壁たち


先日、通勤途中にこんな壁を見つけ、写真を撮り、昨日、instagram に載せた。これもひとつの壁画だ、と。

ちょっと前にはこんなのも見た。


で、街をうろついてみれば、実は案外壁は蔦に覆われている。果たしてそれが蔦なのかどうかは知らないが、ともかく、覆われている。

こんなのとか。

こんなのとか。

そして案外、それらの原初の形はこんな感じなのかもしれない。

2020年11月11日水曜日

これでも僕には立派な大工仕事

さて、前回(と言ってももう10日も前だが)書いたように、ガス・ファンヒーターを導入した。しかし、どうにも困ったことがあった。


ガス栓は流しの側、コンセントは反対側の壁面。これではどちらかに足を引っかけてしまいそうだ。古いアパートなもので、現在の生活のことまで頭が回っていない。いろいろと不便があるのだ。


で、6メートルの延長コードを入手し、壁と天井伝いに流しの側に電源を回してみた。


するとコーヒー関連の器具(ポットとミル)も流しのところに置けるようになった。快適だ。


先日、沖田修一監督『おらおらでひとりいぐも』を観に行った。東北弁の脳内ジャズを青木崇高、濱田岳、宮藤官九郎らの人格化した存在が奏でていた。

2020年11月1日日曜日

寒い朝

一日の大半を過ごす机のすぐ上にエアコンがある。そろそろ寒くて朝晩は暖房をつける時期だ。が、そんな位置関係なので、暖房に当たると苦しくてしかたがない。真下だから。


おお、そういえば、あれを用意したではないか!


ガス・ファンヒーター。


着火。ボッ! 暖かい。


今日は、第5回はじめての海外文学スペシャル。


はじめての海外文学フェアは今年、6回目。スペシャルが5回目なのだ。さすがに今年はオンラインで。


既にYouTubeで見ることができる(リンク)。


トークセッションで本を何冊ぐらい読むのかとの質問があった。そういえば、本に「冊」という単位はないということを書いた人がいた。管啓次郎だが。そのことを後になってから思いついた。言えばよかったと、後悔しても始まらない。イベントは終わった後なのだから。


管啓次郎『本は読めないものだから心配するな』(左右社、2009)について当時書いたこと(リンク)。


その他、本を読むことのについて書いたこと(の一部)(リンク)


ちなみに、昨日は第6回現代文芸論研究発表会だった。秋草俊一郎さんを迎えて『「世界文学」はつくられる 1827-2020』(東京大学出版会、2020)についてのセッションもあった。