書店をハシゴして、いろいろと買い込んだ。ガンディのあたりだ。ここを訪れないことにはメキシコを訪れた意味はない。隣のFCEのオクタビオ・パス書店なども訪問。道を挟んだ先のソタノ、この3つに加えていくつか古本屋がある地区を歩いていたのだ。
いろいろと買ったが、今、話題にしたいのは、これ:
José Martí, La edad de oro, Estudio Preliminar de Roberto Fernández Retamar, México, OCEANO, 2005.
ぼくはこの作家のこの本(といよりは、彼がすべての記事を書いた雑誌)の翻訳者だ。抄訳だし、共訳だけど。この本については3つほどの異なる版を持っているのだが、そんなわけなので、何かあってはいけないと思って、それに何よりCD-ROMつきだというし、買った。
何かあった。
奥付(ここには必要な書誌情報が書かれている。それから版の数なども)を見た、そこに「何か」があった。
(c) José Martí 1889
『黄金時代』は1889年の刊になる。だからこの記述なのだろう。しかし、ホセ・マルティに果たしコピーライト(著作権)はあるのか? 著作権が最初に確立されたのが1886年、ベルヌ条約でのこと。だから、確かに『黄金時代』に関してはこの概念が発生してもおかしくはない(この雑誌が発行されたアメリカ合衆国で、当時既に条約に基づいて著作が保護されていたかどうかはわからない)。
でもなあ、もう120年も前のことだ。これはいくら何でも著作権は消失して公共の領域dominio públicoに入っているだろうと思う。みんなの持ちものdominio públicoだ。
ところで、このdominio público。最近、日本語で「パブリックドメイン」とされているのを見かける。同じことなんだが、これはもう定着した外国語として見ていいのだろうか?