2013年9月30日月曜日

辞令の文面

朝からネクタイなど締めて大学に行ったのは、学長から辞令をいただくためだ。「辞職を承認する」

うーむ、まるでぼくが辞表を書き、それが認められた、という体裁だ。

まあ、確かに、辞表は書いたのだが……

3月には始まっていた話なのだ。断っておくが、去年の3月だ。今年の4月からぼくがスムーズに移れるようにと、比較的早くに始まったプロジェクト。7月末には先方の教授会で決定がくだされたから、だいぶ早い方だ。

そんなふうに早く進んできた話なのに、ぼくは4月から移ることはできなかった。外語が2学部化したばかりだったからだ。こういう組織の改編をやると、文科省に認可を得なければならない。そのためには何の科目を教えるどの肩書き(教授か准教授か講師か……)の人が何人いる、というような教員の一覧表を提出しなければならない。4年間はこの表に空きができてはならない。

ついては君、半年待ってはくれまいか。10月着任で後任が取れるようにするから……

というわけで半年異動が延びたという次第だ。(後任は結局、来年の4月から来るのだが)

そしてぼくは1年半、沈黙した。

今度行く大学は……それはまた、明日。

ともかく、そのために引っ越した。研究室だけでなく、自宅も引っ越した。地下鉄で通うことになるからSuicaもPasmoに替えた。定期券をPasmoつきでないものにして、いつもはSuicaを使うという手だってあったのだが、そのことに気づいたのはPasmo定期券を買った後だったのだ。


そんなわけで、何もかもすっかり入れ替わってしまった。ぼくは生まれ変わろうとしているのだ。

2013年9月28日土曜日

捧げてばかり

教え子の結婚式に出た。21日(土)のことだ。スピーチしろというから軽い気持で引き受けたら、主賓の挨拶だった。仕方がないからルベン・ダリーオの詩「花嫁に捧ぐ」を朗唱した。

Alma blanca, más blanca que el lirio; (白き魂、百合よりも白く)
frente blanca, más blanca que el cirio (白き額、主の祭壇を照らす)
que ilumina el altar del Señor:    (ロウソクよりも白く)
….

と。皆さまO(花嫁の名だ)とは実にこういう人物なのであります。等々。等々。

「ロベルト・ボラーニョ捧ぐ」という催しがセルバンテス文化センターであった。26日(木)のことだ。スペインの国営テレビrtveが製作したボラーニョついてのドキュメンタリーの字幕つき上映会と、それについてのトークショウ。行ってきた。行ったついでにトークショウにも参加してきた。野谷文昭さん、小野正嗣さんと語ってきたということ。

皆さま、ロベルト・ボラーニョとは、若き頃、アンファン・テリブルにして、晩年は周囲に愛され、愛した人間であったわけです。等々。等々。

そんなこんなの合間に引っ越しした。引っ越すたびに部屋は狭くなるが、都心には近くなる。だからといってどうということもないのだが。

今回住むことになったのは、かつて東京外国語大学のキャンパスがあった北区西ヶ原4丁目からほど遠からぬ場所。大学の近く(滝野川一丁目の電停付近)に住んでいたぼくが自分の庭の端っこあたりと認識していた場所だ。

やれやれ。

少しずつほのめかしてきたのだが、ぼくは外語を辞めようとしているのだ。それで過去の外語の記憶の中に生きるはめになった、と。パラドクサルだなあ。

で、学生時代は見向きもしなかったのだか、この界隈だと実は赤羽が要所なのだと改めて気づいた。そのことをセルバンテス文化センターでのレセプションでさる編集者にお話したら、ちょうど都市論の本を準備している最中らしく、赤羽がいかに重要かを教えていただいたのだった。


あ、いや、ぼくは赤羽に住むわけではない。くれぐれも誤解なきよう。

2013年9月23日月曜日

間違い探し

研究室がこんなふうになった。

さて、以前との差は奈辺にあり哉?

自宅も引っ越すのだ。荷造りが終わらないのだ。


引っ越したと思ったら、このイベントに出るのだ。「ロベルト・ボラーニョに捧ぐ」。基本的にはrtveが作成したボラーニョについてのドキュメンタリーを日本語字幕付きで上映、「ボラーニョ・コレクション」についてのトークを展開するというもの。ぼくはコレクションでは『第三帝国』を訳すことになっている。ということは、『第三帝国』について話せばいいのだろうか?

2013年9月16日月曜日

四の五の言わずに……

『2666』が出てしばらく経ったころ、反応を見ようと、何度かツイッターやウェブページで検索をかけたことがある。反応はきれいに二様であった。

1)これから読む/読みかけである/読み終えたことを報告する嬉しそうな記事。
2)長くて/高くて手が出ない/読めそうにない/読み終えられるとは思わない、と嘆くもの。

2)の中には相当数、読みたいのだけど長すぎる、高すぎる、というのがあった。高すぎるとという意見にもいくらでも反論はできるが、まあそれは別の話。ぼくが不思議でならないのは、読みたいけど長すぎる、という反応だった。

なぜ読み始める前に長いと思う? 読みたければ最初のページを読んでみればいいのだ? で、おそらく、読んでいる人というのは、長いと嘆いたり驚嘆したりする前に、もう読み始めている人たちなのだ。その人たちを見習って、最初のページだけでもいいから読んでみればいい。長さに見合うだけの喜びの得られない本だと判断すれば、そこで捨て置き、以後、語らなければいいのだ。長いけれども面白いと思ったら、何年かけてでも読む決意をすればいいのだ。決意などしなくとも、本当に面白ければ、何年かけてでも読むだろう。読みたいけど長すぎる、読めない、というのは、なんというか、実に悲しい未練だ。四の五の言わずに読みやがれって話だ。

と、ここまで書いて思ったのだが、うん? 待てよ……ふと我が身を振り返った。ちょっと立場を変えてみよう。ぼくはそういえば、書きたい、書きたいのだが書くのは難しいのだ、と昨日も書いたような気がする。

……ふむ。書きたい、でも書けない、と言っている輩は、確かにいつまで経っても書かない者なのかもしれない。未練たらしい単なる言い訳なのかもしれない。書いている者は、どう書こう、なんて考える前にもう書きだしている者なのだ。きっと……


さ、仕事仕事……


今年の3月に参加した会議に提出したペーパー、読んだよ、次、うちに投稿しない? という誘いのメールが、ある雑誌から来ていた。原稿依頼ではなく、勧誘なのだが、どうしよう、せっかくだから書く? でもおれ、そういえば、英語で論文書いたことないし、書けるかな? ……などと朝から考えていた。だから、書く人はそんなこと考えずに、もう書きだしているはずだ。四の五の言わずに、ということだ。

2013年9月15日日曜日

スクロールはめくりに対抗できるか?

そんなわけで(そんな、というのは、ふたつ前の書き込み、論文の書き方などの話題)、大学生のための論文の書き方、といった類の書などは大同小異、同じことが書かれているし、逆の見方をすれば、その同じことを際立たせるためのさまざまな工夫がなされている。が、ひとつある要素に欠けているように思うのだ。

石ノ森章太郎は幼いぼくに多大なる影響を与えた人物のひとりで、彼の『マンガ家入門』などはこどものころ読んでいたのだった。現在は『石ノ森章太郎のマンガ家入門』(秋田文庫、1998)として文庫化されている。これの自作「龍神沼」の解説などはすばらしい。マンガを、いや、マンガといわず、フィクションを読み解くための手ほどきがしてある。

さて、この「龍神沼」解説の直前、ストーリー漫画のための準備として、いくつかの用語解説をした後に、石ノ森は「では、ノートを一冊、用意してください」(96ページ)と読者に呼びかける。そこにテーマ、シノプシス、プロット、ストーリー、メモ、キャラクターのデッサンなどを書きこんでいくことを指示している。それからコンテを描いて、ネームを入れて、と……「めんどうなようですが、ストーリーマンガの場合は、この段どりが、もっとも重要なのです」(97)と。そして絵にふきだしが入るマンガの形式でももう一度、ノートの取り方を説明している。特に思いついたことを片っ端から書いていくメモは大切だ、と。「すぐには/役にたたなくとも/長い話の場合/そのうち いつか/役にたってくる/のだ」(96)。

「論文の書き方」は論文を目指すのであって、マンガを目指すのではない。それでも、これと『マンガ家入門』との差異は何かを教えてくれているようだ。

たいていの論文指南書などではカードの形式でメモをとることは推奨されている。引用する文献の引用箇所をメモしたり、書誌情報を書いたり、思いつきをメモしたり。それらを並べ替えれば論文の一丁上がり、と。あるいは少し気のきいたものならば、アウトラインを作ることを勧めたり、メモと論文完成の間にパラグラフ・ライティングを鍛えることを勧めたり、……。が、『マンガ家入門』における「ストーリー」や「シノプシス」「プロット」に相当する部分(さすがに「キャラクター」は要らないと思う)はないがしろにされているような気がする。すくなくともそれがメモなどと同じノートに記されるべきだという指導はない。

マンガにおける「ストーリー」に相当する部分を敢えて探し出すならば、論文においてはアウトラインということになるかもしれない。アウトラインであるならば、今ではワープロソフトのアウトライン機能を活用せよ、などという示唆はなされる。一方でカード(もちろん、今ではそれが電子化されていてもかまわない)を取り、他方で別の場所でアウトラインを書く。それが同じ一冊のノートの中であるべきか否か? それが疑問として浮上してくるのだ。

少なくともぼくは同じ場所に収めたいと思う。であるならば、それは紙のノートであるべきか、最初から電子化されるべきか? 

ぼく自身、いろいろと試行錯誤を重ねていることも間違いない。最近では、ある文章を書こうとなると、そのためのフォルダをつくり、メモやら文章やら章立て案やらを書いてはそのフォルダの中に収めておく。フォルダの名は〆切日とタイトル(仮)にしておく。が、そもそもタイトルの発想などは手書きのメモの方が出てきやすいように思っていることも間違いない。手書きの方が立ち上がりも早い。論文向けの特別なノートというのを作らず、ふだんのノートに手書きのメモは書き、アイディアが立ち上がったらフォルダを作る、というやり方を採ったりもする。試行錯誤だ。


ひとつだけ確実なことがある。現在、ぼくが書きあぐねている文章のほとんどでは、きちんのそれ専用のノートを作っていないということだ。やれやれ。最初からやり直しだ。

2013年9月14日土曜日

古いやつだとお思いでしょうが……

引っ越しをするので、郵便局に転送願いの葉書を送ろうと思って、書いた。切り取って出そうとしたら、切り捨てる側の紙に、「サイトでも手続きできます」と書いてあった。

うん。そうだね。だいたい今なら何でもウェブ上で手続きできちゃうよね。そうなんだ。そのことをわかっているはずなんだ、でもなんだか、郵便局の場合、郵便で知らせなきゃいけないんじゃないかな、という気になっていたんだ。きっと……

最近、7notesというAppアプリがお気に入りだ。iPadミニにインストールしたこのアプリをメモに使うのだ。手書きで書いた文字を認識し、活字にする、その認識能力が優れている。もちろん、手書きをそのままPDF化することも可。

で、文字認識能力にすぐれたメモアプリだから使い始めたはずなのに、最近はついつい手書きで読書メモに使っている。なんだか手書きの方が読書メモっぽいなと思ってしまうのだ。


うーん。古いやつなのだ、ぼくは。

2013年9月13日金曜日

婉曲語法の誕生

昨日報告した苅谷(2012)は、ついでに買った1冊なのだった。本当は、

苅谷剛彦『知的複眼思考法:誰でも持っている創造力のスイッチ』(講談社+α文庫、2002)

を求めて行ったのだ、本屋には。

ぼくの勤める東京外国語大学では今年から「基礎演習」という授業が始まった。1年生の秋学期に全員必修の授業だ。大学での勉強の仕方、論文の書き方などを訓練する授業だ。ぼくは担当していないけれども、この授業の準備をするWGのメンバーだ。その集まりが昨日あって、そこでの資料にこの書名を見いだし、これだけは読んだことがなかったので、買い求めに行ったのだ。

まさに外語に勤め始めたころ、2004年当時のノートを見返す機会があった。ぼくはその年と翌年、集中して大学論や大学の授業の進め方、論文の書き方、などに関係する本を読んでいたようだ。学生たちのレポートのできがあまりにもひどくて、「論文・レポートの書き方」なんて小冊子を作って大学の個人ページにアップしたりした。その参考に読んでいたのだろう。そんなわけで、「基礎演習」の授業について考えるときに名前の挙げられる本にはたいてい、目を通していた。が、この苅谷(2002)は未読であったという次第。だから、買ってきた。

論文の書き方というよりは、そのための設問の立て方に役立てられるような考え方の訓練の書だ。

話はずれるが、この第4章「複眼思考を身につける」の3「〈問題を問うこと〉を問う」「ステップ1 問題のはやり・すたり」(334-344ページ)では注目すべき指摘がなされている。

ここで苅谷は1989年と1996年、ふたつの少年恐喝事件の新聞記事を比較し、「いじめ」の語が後者にだけ使われていることに注意を促す。それから『広辞苑』の76年版(第2版改訂版)、83年版(第3版)、91年版(第4版)を引き、91年版のみに「いじめ」の語が出ていることを突き止めるのだ。つまり、「いじめ」というのが学校内外における就学年齢児の暴力、恐喝事件等をさすようになったのは、90年ころなのだ、と。

そして逆に、いったん「いじめ」という語が定着すると、なんでもかんでもそれに結びつけるようなレッテル化、ラベリングが進行すると。

ところで、苅谷はだいぶ早い時期(46-47)のコラムでロラン・バルト『神話作用』を挙げ、彼の神話作用とは「歴史を自然に移行させる」ことだとの言葉を紹介している。「いじめ」という語はこのように歴史化可能なのだが、そういった意識を抱かず、それを自然と感じてしまうことが、つまり神話化だ。だからこうした「自然」な概念を歴史化することは、脱神話化。「いじめ」の脱神話化を行っているという次第。


そういえば、90年ごろ、ある「いじめ」による自殺事件を受け、蓮實重彦が新聞紙上で個別の刑事事件相当の犯罪をそんな語で糊塗して反応を誤ってはいけないと指摘したことがあった。その文章にぼくは目から鱗が落ちる思いをしたのだった。爾来、恐喝や暴行を「いじめ」と、強制わいせつを「セクハラ」と表現する婉曲語法を意識するようになったと思う。

2013年9月12日木曜日

オックスフォードを考えてみた

たとえば、ギジェルモ・マルティネス『オックスフォード連続殺人』和泉圭亮訳(扶桑社ミステリー、2006)なんてのを読むと、オックスフォード大学に留学したアルゼンチン人数学生の主人公=語り手に対し、指導教授のエミリー・ブロンソン教授というのが、えらく懇切丁寧だという感慨を抱く。空港に迎えに行けないことを詫び、そこから大学までの道のりを細かく教えたりする。最初の出会いの時にはこんな感じだ。

一見とり澄ましてどこか内気そうに見えるが、時々鋭く辛らつなユーモアを言い放つ。表現は控えめではあったが、「ブロンソンの空間」と題した私の学士研究論文を気に入ってくれたようすだった。最初に会ったとき、ブロンソン教授は私がすぐに研究を始められるようにと彼女の最新の論文二本の抜き刷りをくれた。また、新学期が始まると自由な時間が少なくなってしまうだろうと言って、オックスフォードの観光案内パンフレットと地図もくれた。「ブエノスアイレスの生活と比べて特に何か不自由なことがあるかしら」と聞かれたので、「またテニスがしたい」とほのめかしてみると、もっととっぴな頼みごとにも驚かないわとでも言いたげな微笑を浮かべて、「そんなことなら簡単にアレンジできるわよ」と確約してくれた。(20ページ)

いくら大学院生だからといって、指導教授が趣味のテニスのアレンジメントまでしてくれるものだろうか? 「学士研究論文」と書いてあるのは、普通に考えれば学部の卒業論文のことだが、指導教授がそれを丹念に読み、その方向に沿った論文を学期前に渡す、なんてどういうコミュニケーションの取り方なのだろう? イギリスの大学のあり方がどうにもよくわからない。

あるいは同じ小説のもっと先、伝説の数学者アーサー・セルダムと「私」が推理を闘わせるシーン。

 マートン・カレッジのフェロー用のハイテーブルに残っていたのは教授と私だけだった。正面の壁にはカレッジ出身の偉人たちの肖像画が一列に掛かっている。肖像画の下に付いているブロンズのプレートにシルされた名前のうち、私が知っていたのはT・S・エリオットだけだった。(75ページ)

フェロー? うーん……よくわからないのだよな。カレッジ(コリッジと書きたい、むしろ)の制度のことが、ぼくは本当によくわかっていないのだよ。

だから、読んでみた。

苅谷剛彦『グローバル化時代の大学論② イギリスの大学・ニッポンの大学:カレッジ、チュートリアル、エリート教育』(中公新書ラクレ、2012)

「②」というのは、「①」として『アメリカの大学・ニッポンの大学』が既にあるからだ。TA制度を中心に彼我の差を論じたこちらの方は、まあいい。アメリカ合衆国の大学については既に多くが書かれてきたし、特に疑問もないので、とりあえず、この「②」を。

で、まあイギリスの大学、特にオックスブリッジがユニヴァーシティとカレッジの二重構造でできていること、講義は補助として行われ、出席されるもので、教育の中心ではないこと、チューターによる個別指導を基にして、最終的に試験に合格すれば卒業できること、などが説明されているこの書を読んで、少しはイギリスの大学のしくみはわかった。うらやましいシステムだと思う。

うらやましいシステムだと思う。つまり、少数派のためのエリート教育なのだ。もちろん、格差社会と意欲格差の関係をえぐり出して鋭い教育社会学者・苅谷剛彦はそのことを自覚している。大衆化とグローバリゼーション(の基本にある市場至上主義)への対応や反発を描写しながらまとめている。

(……)一方で授業料の値上げにより大学教育の機会が狭められることを憂い、他方で、能力主義を称揚し、さらには、教養主義的・人文主義的な教育の維持を謳うことができる。こうした主張を支えているのは、選ばれた者たちに特権的な教育を与えることを、ためらうことも恥じらうこともなく、堂々と肯定できる歴史の重みである。(133ページ)

こうした「歴史の重み」もなく、大陸ヨーロッパの大学をモデルとした一方的な講義形式を基調としつつ、「グローバル化」への対応をと焦る日本の大学の問題点を、最後に挙げるとなると、こちらとしては眉に唾してかかりたくなるのだが、指摘する問題点がシンプルなので、ほっとする。「大学教育が実質3年間になっているのに、人文社会系では、他の国々で生じているような大学院教育へのシフトが起きていない」(150ページ)

だから、東大が秋入学だなどというのなら、1年半または2年半の修士課程の充実を図って対処すればいいのだと。


うーん。シンプルな提案だ。理念としては賛成できる。うーん。

2013年9月5日木曜日

引き続き読むことのなまめかしさを思う

ニロ・クルス作、西川信廣演出『熱帯のアンナ』@文学座アトリエ

キューバからの亡命家族出身のクルスが、フロリダのタンパでのキューバ人移民による葉巻工場を描いた作品(鴇澤麻由子訳)。

劇中では「レクター」と訳していたが、lector、朗読者の話。キューバの葉巻工場では、単純労働の工員たちの気を紛らわせるために朗読係というのがいて、読み聞かせをしていた。その読み聞かせの伝統を、禁酒法時代の合衆国でも頑なに守っている工場が舞台なのだ。葉巻工場の朗読係のことはアルベルト・マングエル(何度でもいうが、マンゲルだ)も書いているし、ビセンテ・アランダの映画『カルメン』でも、最初、ちらりとカルメンの働く工場内に朗読係が見えた。ぼくの母は大島紬の織工だったが、彼女も工場(こうば)で、そして工場が解体して家で織るようになってからは家で、常にラジオを聞きながら作業をしていたから(たぶん、ラジオは朗読係の後を継いだのだ)、この存在にはいささかの興味がある。そしてこの存在に焦点を当てた劇となると、俄然興味が沸くではないか。

禁酒法の時代だから、朗読係はラジオに取って代わられていてもおかしくなかった。でもサンティアゴ(斎藤志郎)の葉巻工場では朗読者を必要としていた。そして死んだ前任者に代わってフアン・フリアン(星智也)がやって来た。背が高く、声も美しい。サンティアゴの妻オフェリア(古坂るみ子)や娘のコンチータ(松岡依都美)、マレラ(栗田桃子)はメロメロだ。そしてフアン・フリアンの読むトルストイ『アンナ・カレーニナ』にすっかり心を奪われてしまう。

禁酒法の時代だから、そろそろ葉巻を作る仕事は機械化されていてもおかしくない。事実、サンティアゴの腹違いの弟チェチェ(高橋克明)は、工場を機械化しようと虎視眈々、狙っている。闘鶏にうつつを抜かして借金を無心してきたサンティアゴに、肩代わりに工場の権利をもらえそうだとなると、機械化を提案する。そしてそれを実行に移そうともする。が、伝統を守りたいと考える(そしてまた失業を恐れる)他の工員たちの反対に遭う。

時代の変化だけの問題ではない。チェチェはかつて、フアン・フリアンの2代前の朗読係に妻を寝取られ、駆け落ちされた過去がある。だからみんなは意趣返しであろうと邪推する。それはあながち外れてもいない。

そう。読む者はその物語内容と声とで、それを聞くものの心をとりこにするのだ。夫パロモ(大場泰正)の浮気を疑うコンチータはフアン・フリアンとの不倫に走り、マレラもフアン・フリアンへの思い断ちがたく、……と愛憎劇が展開する。読書が肉体を意識させ、官能を誘発するのだ。


フアン・フリアン役の星智也の声が素晴らしい。そしてまた194cmの偉丈夫。立派なものであった。文学座のサイトで声が確認できる

2013年9月3日火曜日

手探りの愛(読書)

アレハンドロ・サンブラ『盆栽/木々の私生活』松本健二訳(白水社、2013)

100ページ前後の中編を2作掲載した、サンブラ初の翻訳。

表題作は、言ってみればフリオという文学青年がエミリアという女の子に恋をして、盛んにセックスをして、分かれて、……というだけの話だが、……

面白いのは、登場人物のそのセックスが読書に結びついていること。

世界中のあらゆるディレッタントたちが一度はそうしてきたように、彼らもまた『ホヴァリ―夫人』の最初の何章かについて議論した。友人や知り合いを、それぞれシャルルかエンマかに分類し、彼ら自身が悲劇のボヴァリー夫婦と重なるかどうかを話し合った。ベッドではなんの問題もなく、それは二人ともエンマのようになろうと、エンマのようにフォジャールしようとしていたからで、彼らが思うに、エンマは間違いなくフォジャールが異様に上手だったはずであり、さらには今の時代に生きていればもっと上手にフォジャールしたはず、つまり二十世紀末のチリのサンティアゴに生きていれば、本のなかでよりもっと上手にフォジャールしていたに違いないからだった。(35-36)

「フォジャール」というのはfollar、つまりセックスするという意味の単語で、きわめてスペイン的な単語だから、あまりチリでは使わないはずだけども、エミリアがこの語を使うことを提唱するのだ。

で、それにしても、エンマ・ボヴァリーが床上手かどうかなどと、考えながら読んだことないな、そういえば。色気も盛りの10代の少年少女の読みはすごいなと思うのであった。

このふたりは、お互いにプルーストを全部読んだと嘘をつくところからつき合いを始めたふたりだ。こうして本を読んでいくうちに、『失われた時を求めて』に突き当たらざるを得ない。そのさいの駆け引きが面白い。

二人とも、今回一緒に読むことが、まさしく待ち望んでいた再読であるかのように装わなくてはならなかったので、特に記憶に残りそうな数多い断章のどれかにさしかかると、声を上ずらせたり、いかにも勝手知ったる場面であるかのごとく、感情をあらわに見つめ合ったりした。フリオに至っては、あるとき、今度こそプルーストを本当に読んでいる気がする、とまで言ってのけ、それに対しエミリアは、かすかに悲しげに手を握って応えるのだった。
 彼らは聡明だったので、有名だとわかっているエピソードは飛ばして読んだ。みんなはここで感動してるから、自分は別のここで感動しよう、と。読み始める前、念には念をということで、『失われた時を求めて』を読んだ者にとって、その読書体験を振り返ることがいかに難しいかを確かめ合った。読んだあとでもまだ読みかけのように思える類の本ね、とエミリアが言った。いつまでも再読を続けることになる類の本さ、とフリオが言った。(37)

いいな。これ、ボラーニョ『2666』の話題になったときにでも使いたいな。

いや、ぼくは実際、ボラーニョは読んだのだけど、読んでもなお、読み尽くしていないと思える本について語ることは、読んでもいない本についてごまかしながら語ることに似ているという、そんなことに気づかされる。


そしてそれはきっと男女間の営みというか、関係というか、それに似ている。

2013年9月1日日曜日

快挙!


(写真はイメージ)

過去の記事を少し見返してみたら、「縮小経済を生きる」というタグを作ったことを思いだした。

去年の秋に愛車ポロを手放し、しばらくは車も使うだろうと思ったので、タイムズのカーシェアリングの会員になった。月々1,000円の会費で自動車を使う(予約制)権利が得られるというもの。使用する場合には使用料が別途発生する。たまに使うぶんには便利だ。が、この1年近くで一度しか利用しなかった。だから退会することにした。

そして、この夏、7月分も8月分も電気料金が10,000円を切り、5,000円前後で済んだ。この10年来初の快挙だ。(イメージ写真は電気代を節約してロウソクで生活しているという図ではない。念のため)

……ま、暑さの盛りの時間を大学の研究室で過ごしているというだけのことなのだが。でもまあ、それでも快挙だ。なあんだ、ちゃんと縮小経済を生きているんじゃないか。


……が、そう思ったのもつかの間、また引っ越そうとしているのだから、これでは引っ越し貧乏だ。やれやれ。