2017年6月17日土曜日

散歩で乱歩

立教大学にラテンアメリカ研究所というのがある。そこがラテンアメリカ講座という市民講座を開設している。その講座には文学の授業があって、今年、それを担当している。最初の3回くらい軽く講義のようなことをして、後は実際の本を読んでいる。

まずはジョシュ『バイクとユニコーン』見田悠子訳(東宣出版)の短篇を一篇ずつ読んできて、今日が最後の一篇だった。話すと長くなる理由から2番目に掲載されている「生ける海」が最後の1作。なかなか面白かった。

終わって向かい側の歩道(中高や五号館のあるところ)に渡って歩いていると、「乱歩邸公開中」とある。

熱心な読者でもないので致し方ないのだが、実は江戸川乱歩がこの近くに居を構えていたことは知らなかった。その住居が立教大学に譲渡され、大学の大衆文化研究センターの管轄下にある。通常の公開日でもないのだが、今日は特別に公開していたようだ。

見てきた。

応接間の隅にはライティングデスク。その前面にはブリタニカの百科事典が並べてあった。

土蔵は書庫。そういえば、以前、何かのTV番組でこの中にカメラが入ったのだった。みたことがある。整然とした書庫は羨ましい。

この蔵全体が書庫なのだ。

びわもなっている。

枯れているものの池であることは間違いない。


で、帰宅後、エドガー・アラン・ポーなど読んで過ごしている。来週の授業に関係する事柄だ。

2017年6月15日木曜日

Id est...

つまり(……昨日の続き。『笑う故郷』のダニエル・マントバーニが1976年に故郷を出てバルセローナに渡ったらしいということは)、ダニエルは政治亡命者かもしれないということだ。故郷も石もて追われた身かもしれないということ。彼は自身の小説の題材としては一貫して故郷のことを選んでいる。映画内で紹介される作品のストーリーを見るに、田舎の閉塞性やそのように閉塞した社会で起きた凄惨な事件などを扱っているらしい。それは故郷にとっては不名誉な事件であり、それを暴くダニエルは不名誉な存在であるだろう。

その不名誉市民ダニエルが、今、ノーベル文学賞という、いかにもわかりやすい、大衆的な名誉へと変換した。故郷の町サラスは、実はダニエルが自分たちにとって不名誉であり得るということを知ってか知らずか、彼に名誉市民の称号を与えたのだ。

逡巡の末にダニエルが帰郷を決意したのは、あるいは昔の恋人イレーネが忘れられないからかもしれない。ダニエルは独身だとされるが、彼は彼女を思い、結婚してこなかったのかもしれない。そう考えるのがドラマティックでありロマン的(小説的)でありロマンティックだ。彼女と別れねばならなかったということは、ダニエルの出国が不可抗力によるものであったことを示唆しているようだ。ダニエルが亡命者だとの解釈を強化する要素だ。

1976年の軍事独裁政権による人権弾圧(いわゆる「汚い戦争」)や、それに先んじるペロンらのポピュリズムによって国を出たアルゼンチン人頭脳は少なくない。エルネスト・ラクラウやワルテル・ミニョーロ、ミゲル・ベナサヤグらのように、他言語(英語やフランス語)で執筆する(した)知識人もいる。亡命者1・5世のラウラ・アルコーバもフランス語で書いている。彼らは国の体制には必ずしも都合の良くないことも書く。不名誉市民だ。と同時にアルゼンチンという国を世界に知らしめもする。名誉市民だ。ダニエルはそうした(不)名誉市民のひとりなのだ。

今日、9月15日、共謀罪法案が参議院で可決され、成立した。これからこの国でも人権弾圧が始まるだろう。そして頭脳が流出するだろう。

そういえばこの国は「グローバル人材」などという不思議な言葉を造り、若い連中を外に出て働かせたがっているのだった。簡単な話だ。人権弾圧すれば若い優秀な人材(頭脳)は外国に出て行く。彼らは日本にとっての不名誉を、その逃亡先で描き続けるだろう。日本にとっての不名誉市民となるだろう。そのことによって日本の知名度は高まる。日本に名誉をもたらす。不名誉という名誉を。実にこの政府は首尾一貫している。


『笑う故郷』は、おそらく、こうした背景のある映画として、40年後、50年後の日本を扱った映画として見られるべきなのかもしれない。

2017年6月14日水曜日

昨日の予告どおり見てきた


試写に呼んでいただいたのだ。去年の東京国際映画祭で『名誉市民』(これが原題の直訳)のタイトルで上映されたもの。

アルゼンチンで初のノーベル賞受賞作家ダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)はバルセローナに在住だが、もう40年ばかりも戻っていない故郷の町サラスから、特別講義と名誉市民の称号授与などのために5日ほど帰郷しないかとのオファーをもらう。最初は断ったけれども、思い直して受けることにした。

そして始まる歓迎の日々。

僕はノーベル文学賞はもらっていない。いや、賞と名のつくものをもらったことはない。もらうほどの業績はない。しかし、それでも文章を書いたり訳したり、講義したりして過ごしているし、結果、周囲には名誉と思われるもの(職)を得てもいる。そして僕はサラス以上の田舎の出身だ。そんな僕には、そんな僕でも、田舎の人たちとの齟齬は身につまされることばかりだ。

こちらの仕事のことなどまったく興味はなくとも、その大袈裟な肩書きのために集まって来る者、あまつさえこちらの意識とは遠く離れた問題についての話を持ちかけてくる者、 こちらの仕事とは無関係に幼馴染みであるために仲良くしてくる者、そしてたまにはこちらの仕事を理解し、読んでくれている者(僕の場合は、これはほとんどいない)や思い入れを込めて読んでくれている者(ますます僕にはいない)……

加えてかつての恋人(アンドレア・フリヘリオ演じるイレーネ)がいて、その彼女を妻とした友人(ダディ・ブリエバのアントニオ)がいて、その友人が、いかにもなマッチョで……などという、僕自身は身につまされないけれども、話の流れとしてはよくわかる要素もふんだん。

これを深刻な物語に作り上げれば、知識人の苦悩の話になる。彼らの多くは自らの出自との齟齬に苦しむものだからだ(おまえは歌うな/おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな……)。しかし、ダニエルのノーベル賞スピーチのシーンから始まってどこかユーモラスだから救われる。


ユーモラスではあっても、背景を考えると、考えさせられる。ダニエルが故郷に帰るのは40年ぶりだ。この映画は2016年の作品。2016年の40年前は1976年。軍事独裁が始まり、「汚い戦争」と呼ばれる人権弾圧の始まった年だ。

2017年6月13日火曜日

目の疲れは映画で癒す……? 

ここ一週間ばかり目がひどく疲れる。視力が落ちようとしているのだ。この場合の視力の低下とは、近視が進むのではなく、遠視がひどくなること。

こんなに目が疲れるのは、神経か精神が、あるいはその両方が参っているのだろう。過去、だいたいそうだった。

6月3日(土)4日(日)は日本ラテンアメリカ学会大会で、僕は4日午後のシンポジウム「キューバ再考」でディスカッサント役を務めた。なかなかの盛況であった……と思う。

そこである人に紹介され、その人と後日、会うことになったのだが、これが一種の神経戦で、それでだいぶ摩耗してしまったようだ。こういう人物への対処を僕はもっと考えなければならないようだ。

おかげで一週間ばかり無駄に過ごすことになる。

金曜日には東京外国語大学でのイベントでトマス・グティエレス・アレア『低開発の記憶』を見た。

昨日、12日の月曜日にはパブロ・ラライン『ネルーダ』を再び見た。今度は字幕つきで。

たぶん、明日も映画の試写に行く。


目は恐ろしく疲れている。映画を見てもPCのモニタを見ても、本を読んでも、空を眺めても目は疲れるばかりだ。

2017年6月1日木曜日

自分ひとりの部屋

何日か前に平凡社のツイッターがヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社ライブラリー)の増刷を伝えていた。

ある授業でこの一部をコピーして読んでくるように言ったら、結構な割合の学生が1冊まるごと持ってきていた。持ってきていたのは、割合ではかなりだとはいっても、数にすれば5人くらいではあるのだが、わずかとはいえ増刷に貢献した気分。

『自分ひとりの部屋』は年収五百ポンドと鍵のかかる部屋、という条件や、もしシェイクスピアに妹がいたらという話とで語られるフェミニスト的テクストだし、英文学からいかに女性が排除されてきたかというその批評の舌鋒も鋭い。けれども、自らの「自分ひとりの部屋」を想定してそこにある本を順番に取り出しながら批評を展開するというその構成もなかなか面白いのだ。書斎を自らの脳の延長という意味でのメディアにしている。有機的な「自分ひとりの部屋」なのだ。

これがぼくの「自分ひとりの部屋」。あまり有機的メディアとは言えない。

これを僕はスペイン語風に「肘掛け椅子」butacaと呼ぶのだが、一般的にはワンシーターのソファと呼ばれているらしい。立って書き仕事する合間にここに座って本を読むとなかなか読書が進む。

この週末に日本ラテンアメリカ学会の大会が東大の駒場キャンパスであり、その実行委員でもある僕は最終日6月4日(日)の締めのシンポジウム「キューバ再考」のディスカッサントとして参加することになっている。そのシンポジウムのパネルの著書や論文などを近頃は読んでいた。

たとえば:

田沼幸子『革命キューバの民族誌――非常な日常を生きる人々』(人文書院、2014)

冷戦終結・ソ連崩壊後の経済危機の時代(「平和時の非常期間」)のキューバの人々をダブルバインドと理解し、その状況を打開するかのようなアイロニーを「ポスト・ユートピアのアイロニー」と呼ぶ。外に出ていく移民たちは太田心平のいわゆる「絶望移民」と捉え、実は「新しい人間」だった彼らのセンティメントを、自らの映画『キューバ・センチメンタル』では撮りたかったのだと説明する。

学会では彼女のこの映画を始めとして何本かの映画も上映される。楽しみ。

ところで、ダブルバインドって、近年の日本の体制順応派もそうだな、などと思う。「日本を悪く言ってはならない」/「○○は日本の国益を損ねているという(まともな)批判に耳を貸してはならない」(○○に入るのは、何でもいい。変数だ。ABでもUSAでも……)という相矛盾する否定命令の間に追い詰められ、そこから抜け出してはならないとされる。


ダブルバインドという用語を提示したグレゴリー・ベイトソンによれば、この状況はスキゾフレニーを引き起こす。

2017年5月22日月曜日

何が「縮小経済を生きる」だ!

と、表題のようにツッコミを入れてみる(アイロニー)。

1985年以来、日記や備忘録、授業のノート、読書ノート等々、あらゆることを1冊のノートで済ませてきたのは、きっかけがあってのこと。ひとつはサルトルの戦中日記『奇妙な戦争』を読んだこと。あんなふうにノートを取ろう思ったのだ。2つ目がクリスマス・プレゼントにローラー(水性ボールペン)をもらったこと。

で、そのうち使うのは万年筆が主になり、ノートはモレスキンのものが主になった。が、モレスキンはローラーだと裏染みが多い。ふだんは万年筆なのだが、キャップを開けたまま放っておけるボールペンは読書メモなどには便利だからボールペンを使いたいところ。そんなわけで最近は油性ボールペンも使うようになった。

そして最近手に入れたボールペンが、これ。三菱のジェットストリームの芯を利用する、とある軸だけを作るメーカーの逸品。



しばらく前から、しかも、ノートはブルーブラック(万年筆)や青(ボールペン)のインクで書くことにしている。黒いインクに比べ、格段に読みやすいのだ。そして、気づいたことは、このジェットストリームの青が少し濃い目で、なかなかいい色だということ。

どうだ!

それから、これ。

コンヴァースのジャック・パーセル。

僕は学生の頃からこの靴を、一足履きつぶすと買い換えて、というようにして、ほぼ絶え間なく持っている。しばらく白のものを履いていたのだが、ソールに穴が開いているのを発見したので、今回、久しぶりにネイヴィーのものを買ってみた。

以前、NHKのラジオ番組「英語で読む村上春樹」で、ある短篇内で語り手がテニス・シューズを履いた、という描写を捉え、当時解説を務めていた小澤英実さんが、このジャック・パーセルなど、テニス・シューズの流行りのことを書いていた。で、その番組にゲストとして呼ばれた時に、それを履いていこうかと思っていたのだが、当日、失念してしまった。

……まあ、どうでもいい話。


ともかく、これからこれを履いて出かけるのであった。

2017年5月21日日曜日

「勉強とは、自己破壊である」とギャル男風哲学者は言った

こんな催し(リンク)をやるから現代文芸論の学生にも告知してくれと頼まれ、快諾し、ついでに、僕も読んで、行けるようだったら行く、と言った手前、読んだのだった。

千葉雅也『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋、2017)

一応、大学生向けに本当に勉強の仕方を説く体裁ではあるものの、巻末の「補論」にドゥルーズ/ガタリの「器官なき身体」論やマゾッホ論などの、いかにもドゥルージアン的前提を披露して手の内を明かしている。これは、逆に言うと、ワンステップ上の上級者学生に向けての示唆ということだろうか。

けれども、この本の最大のインパクトは「勉強とは、自己破壊である」という冒頭のテーゼによって言語を媒介として自己を、環境を解放する知的マゾヒストの快感を伝えているところだろうか。さらにはアイロニーとユーモアをツッコミとボケという、すっかり一般化したお笑い芸用語でたとえ、アイロニーからユーモアへの折り返しを推奨する。それを中断、有限化によってしめる論法はオーソドックスなようでいて、他のいくつかのテーゼがいちいち刺激的に響くのだから面白い。「難しい本を読むのが難しいのは、無理に納得しようと思って読むからである」とか、「アイデアを出すために書く。アイデアができてから書くのではない」とか。

ノートのとり方や本の読み方、「ある概念や考え方が「誰のどの文献によれば」なのかを意識し、すぐ言えるように心がけてください」などのプラクティカルな指南を含むのだが、なんだか画期的に見えるから不思議だ。

一緒に買ったのは、

松崎久純『大学生のための速読法――読むことのつらさから解放される』(慶應義塾大学出版会、2017)

こうしたものを買ってみるのも、ひとえに学生にむけて論文や本の読み方、書き方などをどう伝えればいいか、との思いからだ。

「プレビュー」「オーバービュー」「スキミング1」「同2」「スピードリーディング」「レビュー」の6段階で本の内容を把握する仕方を説く本ではあるが、こうした「速読」の指南書がことごとく速読できちゃうのはなぜだろう? 答えは、この本の中に書いてある。いや、すべての読書指南書の中に書いてある。それはまた勉強法の本にも書いてある。問題はそれを「スキミング1、2」と呼ぶか、「スキャニングとスキミング」と呼ぶか、「α読みとβ読み」と呼ぶかの違いだ(少しずつずれているけど)。


僕としては、読書の(学術的)指南書は

アドラー&ドーレン『本を読む本』外山滋比古、槇未知子訳(講談社学術文庫、1997)

にとどめを刺すかな、と思うのだが。どうだろう? 

2017年5月19日金曜日

すてきなひと言:「来ました」

いとうせいこう『どんぶらこ』(河出書房新社、2017)

これの書評をあるところに書いた。原稿は今し方送付したばかりなので、まだ読めない。

書評というのは常にそうしたものだが、分量が短い、この小説についてはもっと言いたいぞと思うことしばしばであった。

肝心の書評が活字になるのはまだ先の話なので、あまり本質的なことは書けない。重複のないように、でも言えなかったことを言うにはどうすればいいか? 

僕はメモ(カード)を取っていたのだった。で、ともかく、まったく書評に使わなかったカードの中から、いくつか面白いものをあげておこう。引用とその説明だけだ。ここから作品の面白さを想像していただきたい。

1) 書誌情報
いとうせいこう 2017:『どんぶらこ』(河出書房新社) 研究室蔵
「どんぶらこ」7-90  初出:『文藝』2016年春号
「蛾」91-158     初出:『三田文学』2014年春季号
「犬小屋」159-234   初出:『三田文学』2014年夏季号
 掲載順に注意。冒頭の「どんぶらこ」が最後に書かれている。


2) 自殺を看取る
 這って移動してきた母は、救急車を呼べと私のすねを叩いたが、私は(自殺した父が:引用者注)しっかり死んでからだと思った。もし中途半端に生き延びてしまったら、私たち全員の明日がないのだった。三人とも生活保護を受けることは確実で、それは近所の手前、絶対あってはならないことだった。なんとかそこを食い止めるためにこそ、私はアルバイトに追われていた。父もそのために縄をなったはずだった。(72


3) 不老不死
「Sちゃん」の父。「自分が不老不死かと思うぞやい。不老不死ちゅっても衰えちまって動けねえで点滴の針を腕に入れられてベッドへ横になって、トイレへ生きたくても動くと怒られて磔にあったようでどうしようもねえだよ。(86
 (略)こんな不老不死なら要らねえさ、俺は要らねえだよ、Sちゃん、人間は簡単に絶滅出来ねえだぞ、苦しみの時間は長(ルビ:なげ)えで、お前一代の言葉なんかじゃ届かねえほどあるで、ほいで、そのうちお前も必ずこうなるだでな、(略 86)これはお前だで。(87
 この逆説! 

4) 魂の永続
 作業場での会話の前日。お盆でその地方の習慣に従い、藁束を燃やしながらゲント伯父が言ったこと。
「(略)将来Sちゃに息子でも娘でも出来りゃあ、ここへ帰(ルビ:けえ)って来てもれえてえだが。あめさんの孫にもひ孫にも、生まれてこねえ子供にだって帰って来てもらいてえと俺は思う」
「生まれてこなくても?」
「そりゃそうせ。血はつながってるだで。伯父さんの焚いた火を見て、うちへもう来てるかもしれねえぞやい。Sちゃのずっとあとのホトケサマが、ぞろぞろと」(152 太字下線は原文の傍点)

5) 来ました
 トランスジェンダーの美術家サナさんが「私」とともに「私」の母方の伯母の戦死した夫の名が刻まれた戦没者の碑の前で言ったすてきなひと言。
そして事情を知りもしないのに、来ましたよと言った。空の上にカモメのような白い鳥が飛んでいた。私はサナさんを真似て座り込み、両肘をアスファルトにつけて胸の前で十字を切った。来ましたよ、と私も心の中で言った。だからなんだ、今頃になってと遠くから責められれば答えようはなかった。目を閉じた。鳥が悲鳴のような声をあげる中、風がゆるやかに吹いていた。(136


どうだい? 面白そうだろう?

読もうよ。

2017年5月18日木曜日

ガエルが国境の砂漠に迷うのは二度目だ


米僕国境で不法入国したグループが、合衆国人で、そうした入国者を殺すことに喜びを感じて銃殺しまくるサム(ジェフリー・ディーン・モーガン)の魔手からひたすら逃げる話。こうしたサヴァイヴァルもののお決まりのパターンを踏襲し、遅れを取った者が助かり、助かった者の中からひとり、またひとりと脱落していくという内容なのだが、ソノラ砂漠だかチワワ砂漠だかのヒリヒリとする環境の中でチェイスが繰り広げられると、否応なしに手に汗を握ることになる。

最後の対決の処理は、僕は好きだ。


このエントリーのタイトルの意味は、ゴンサレス=イニャリトゥの『バベル』のこと。『ネルーダ』では雪原に消えたのだったが。

2017年5月9日火曜日

おふざけはどこまで許されるか? 

まあともかく、こんなふうに(リンク)『方法異説』の翻訳の悪さに腹を立てているわけだが、今回は、そうではなくて(相変わらず手抜きは感じられるものの、僕だって何かを悪し様にばかり言うのはつらい)、純粋におかしいと思った箇所。「おかしい」というのは、「怪しい」の意味ではなく、「可笑しい」、つまり笑ってしまった例だ。

竜巻による突風――地元民の言う「ヒラヒラ」――(56)

という表現があった。僕の語感では「ヒラヒラ」は突風を表現するにしてはのどかだ。いったい、何の訳語だろう? 確かめた。

la ventolera de tromba --la "gira-gira" como decían los lugareños-- 

「ヒラヒラ」に相当するのは "gira-gira" だ。giraは動詞girarの現在形・三人称単数の活用。もしくは二人称に対する命令形。girarは「曲がる」とか「回る」の意味なので、きっと竜巻trombaを表す俗語だろう。僕なら「ぐるんぐるん」とか「回れ回れ」とでも訳すだろうか? 

しかして、この "gira-gira" 、スペイン語に即して音表記するなら、「ヒラヒラ」だ。つまり、音が同一だといっておふざけで「ヒラヒラ」としているのだ。

これに賛同する気はさらさらないが、かといって批判したり否定したりする気もない。ただ笑っただけだ。そして考えさせられた。

僕はかつてこの種の悪ふざけを試みたことがある。

スペイン語の敬称にDonというのがある。「ドン」。男性の個人名につける敬称だ。ドン・フアンやらドン・キホーテの「ドン」。

ドン・フアンやドン・キホーテはもうほとんど「ドン」とセットで認識されているので、いまさら変えるつもりはないが、僕はできるだけこの「ドン」を「ドン」と表記したくない。たとえば、Don Joaquín を「ドン・ホアキン」と書きたくない。大抵は「ホアキンさん」などと書く。

一度、ある小説を訳しているとき、ちょっとふざけた文章で出てきたDon Joaquínを「ホアキンどん」と訳してみた。「どん」だ。西郷どん(「せごどん」と読め)の「どん」。「どの」が撥音便化した「どん」。

編集者には即座に却下された。

僕としてもどれくらいの悪ふざけが通用するか試したかったという程度で、固執する気もなかったので、「へい。わかりやした。「ホアキンさん」で行きます」となったわけだが。

たとえば、メキシコにhuaracheというものがある。先住民由来のサンダルだ。他の国にはない単語だ。読みは「ワラッチェ」「ワラーチェ」「ワラチェ」等々。きっと僕はこれが出てきたら「わらじ」と訳してしまうと思う(そして編集者との攻防が……?)。

幸い、僕はまだhuaracheの出てくる本を訳したことはない。


さて、僕は問いかけたいのだ。音が同一で、意味は少しずれるかもしれない語を、音に合わせてさも日本語の単語のように表記することは、どこまで許されるのだろうか? 

(追記:書き終えてずっと経ってから思いついたこと。あ、そうか、「ヒラヒラ」って日本語のオノマトペでなく、"gira-gira" の音だけを転記した、外来語(?)としての表記だったのだろうか? だとしたら、以上の話はまったくの無駄になる。そして、もしそうだとしたら、この部分の訳は、やはり良くないと僕は言いたい。でもなあ、僕はともかく、これを読んだ時、「ヒラヒラ」は日本語だと思ったのだよ……)

2017年5月8日月曜日

映画は黄金週間後に

以前書いたような理由(リンク)から、月曜日は『方法異説』の細部をあまりにもないがしろにした手抜き翻訳に腹を立てることになる。

今日もだんだん腹が立ってきたので、頭を冷やすために映画に行ってきた。


ニューヨークからハリウッドにやって来たボブ(ジェシー・アイゼンバーグ)が、叔父で大物エージェントのフィル(スティーヴ・カレル)の下で働き始める。秘書のヴォニーことヴェロニカ(クリステン・スチュワート)に街を案内してもらったことから恋に落ちるが、ヴェロニカには恋人がいる。その相手というのは、実はフィル。フィルは一旦は離婚を決意しながら、やはり踏み切れずに別離。ヴォニーはボブとつき合うことに。が、フィルがやはり離婚し、ボブにも関係が知られてしまったヴォニーは結局、フィルを選ぶ。

傷心のままニューヨークに戻り、ギャングの兄ベン(コリー・ストール)が始めたナイトクラブに勤め、今やオーナーとなったボブは同名の別のヴェロニカ(ブレイク・ライヴリー)と知り合って結婚、子どもまで儲ける。そこにフィルがヴォニーを連れて商用でやって来る……

もっとも泣けるのは、ヴォニーがボブの妻が自分と同名だと知ったときに、小声で「すてき」と呟いたことだ。

ウディ・アレンの登場人物たちは実に簡単に恋に落ち、軽はずみに恋を失う。そしてずっとそのことを後悔して生きる。同じ後悔を、仮にも昔愛した相手が分かち合っているのだと気づくのが、同名というサイン。後悔を分かち合うということが愛の永続を保証していると言いたげに、恋人たちは微笑むのだ。

クリステン・スチュワートは美しい。いつものアレン映画のヒロイン同様、決して僕の好みではない(少なくとも、気にしたことのない相手)のに、実に魅力的に見え、恋に落ちそうになるから不思議だ。他のウディ・アレンの作品にも通じることだけれども、派手なアクションもセクシーな濡れ場もなく、そんなものがなくとも、たとえばセントラル・バークの池にかかる橋の上や砂浜の岩陰でのキスシーンひとつが、充分に官能的でスペクタキュラーであるということを証明してくれる映画。

帰宅後、Apple Musicで映画のサントラを聴きながらこれを書いている。

ちなみに、café societyは『ランダムハウス』の定義によれば「上流階級の人が集まるナイトクラブなどの常連」の意味なのだそうだ。


ニューヨークの、ヤンキーの上流階級は、カルペンティエールによれば、どんなに気取っていても何だか似合わない奇妙な、おかしな存在なのだそうだが。

2017年5月6日土曜日

読むことの困難

立教大学のラテンアメリカ講座というところで文学の授業を持っている。土曜日だ。今日はまだ連休という人もいようが、授業があったので行ってきた。

昨日(日付の上からは今日、未明)書いたように、大学の授業料は(少なくとも国立大は)無料であるべきだと思う。大学なんて無料にして、一律18歳ではなく、何歳からでも学べるようになればいいと思う。今でも何歳からでも学べるには学べるし、ひところに比べて引退した人や子育てを終えた人なんかが学び直すという例は増えているとは思うが、それがもっともっと当たり前になればいいのだと思う。文学部など、大人なくらいがちょうどいい。

さて、大人でもなかなかクリアできないことがある。読むことの難しさだ。とりわけ、小説の冒頭を読む難しさ。

昨夜、こんな記事をツイッターで紹介した。


同意して笑ったり、これは自分だ、と言ったり、逆に、俺は最初からのめり込むからこんな気持はわからない、と言ったり、……様々な反応があった。

すべての小説(中には冒頭に世界を構築せず、読み手に負荷を与えないものもあるが、そうではなく、冒頭でまず濃密な世界構築を行うタイプの小説)に最初からのめり込むことができる人は幸いだ。僕も多くは読むのに抵抗を感じない方だとは思うけれども、それでも引っかかってなかなか先に進むことのできない小説というのがある。そんなものに出会ったとき、人はどうすればいいのか?

とりあえず、読むのをやめる。一時的か、それとも永久に。

それもひとつの手だ。単なる趣味の読書ならそれもよかろう。相性が合わないとか、今は読むべき時ではない、と考えるのだ。が、義務として(学校の課題や仕事で)読まなければならない小説というのがある。僕など、最近はそんなものが多い。そういうときには、では、どうすればいいのか? たぶん、対処法はふたつ。

1) 深く考えず、ただただ先を読み進む。

2) メモをとる。

1)の場合でも、読み進むうちに思い出すべきときがくれば、意識化されていなかった情報が引きずり出されて思い出されるものだ。だから、全然気にすることなく、読み進めよ……以前はそう思っていたのだが、近年は世界へのアタッチメントを失いつつあるのか、なかなか思い出せないことがある。その場合には読み返す(一度、もしくは何度も)ことを覚悟していればいい。あるいは何かわからないことがたくさん残ることになっても気にしない、という態度でいれば。

2)の場合、何でもいい。人の名でも地名でも一般名詞でもわからない漢字でも。ともかく、充分なスペースを空けて書いておく。メモ帳の1枚に1項目というのでもいい。書いておくのだ。読み進むうちにその語についての新たな情報が加わる(ことがある)。そしたらその語の横にまたメモしておけばいい。やがて、重要な語や名前には情報がどんどん付加され、ついには小説が描いている仕方とは異なる仕方で世界が現れてくる。だから、できればこのやり方を勧める。

しかし、小説というのは他の書物と違って読むのに時間がかかるものだ。いつもメモが取れる状態で読むとは限らない。電車のなかで立ったまま読むかもしれない。電車を降りてゆったりとお茶でも飲みながら読むこともあるかもしれない。だから現実には1)と2)の混合で臨むことが多いのだろう。

伊藤聡さんがかつて、ご自身のツイッターで、15分ずつ区切って本を読むのだと書いていた。タイマーで計って15分。集中して読んだら、あらすじなどをメモするのだと。そういう形態もいいかもしれない。だから、電車の中で読むときは、とりあえず、15分読む。そして、しばらく頭の中でメモを取るシミュレーションをする。読んだことよりも自分が書こうとしたことは忘れないから、電車を降りてから、それをメモに書き写す。そういう手もいいかもしれない。

電車に15分乗っていればの話。

でも、本当に読みづらさを解消するのは、次の方法なのだ。

3) 外国語で読む。

外国語だと読みづらさを自分の言語能力の低さのせいにできる。それを克服しようと様々な努力をする。辞書を引いたり、読み返してみたり……


僕もこれまで、どれだけ相性が合わないかもしれない小説をスペイン語(や英語やフランス語、等々)で読むことによって困難を克服して読み終えることができたか……

腹立つことのみ多かりき

ABの馬鹿めが赤ら顔で(連休で浮かれて飲んだ後なのだろう)、9条に自衛隊を明記するだの、教育を無償化するだのと打ち上げたものだから、腹が立って、こんなツイートをした。


連休を利用して兄夫婦を訪れていた母と会ったばかりなので、記憶が上書きされ、僕の立腹の度合いはますます大きいのだ。

もうあちこちで書いたかもしれないが、わが家は貧しかった。生まれた時に父はなく、母ひとり祖母ひとり、子ふたりの家庭は、幸い持ち家だったから雨露はしのげたけれども、大島紬の織工では大した金も稼げない。母はだいぶ熟練の織工で、超人的な生産力を誇ったけれども(朝8時前から夜8時過ぎまで働いてのこと)、それでも大した収入にはならない。子供たちふたり(ひとりは、つまり僕だが)は、地域的特性から、高校に上がると家を出て下宿したり学校の寮に入ったりする人生を辿った。大学ならばなおのこと、家から通えるはずもない。これはある種、避けられない条件だ。そうした条件下でその子供ふたりを高校に、大学にやるのは、かなりきつい。

僕は高校から大学院博士課程まで、日本育英会(当時)の奨学金を借りた(借りたのだ。もらったのではない。つまり、語の厳密な定義から言えば奨学金ではない。ローンだ。手続き上の問題で返還免除は半分は得られなかったから、ますます、これはローンだった)。そして、高校から大学院博士課程まで入学金と授業料の免除を受けていた(院入試に失敗して4年を2回繰り返したその2回目だけは例外。月額分納だった)。全額免除が受けられるほどにわが家は貧しかったのだ。

授業料免除のような特権が得られてもなお、生活は苦しかった。奨学金は、大学の学部で21,000だっただろうか? 家賃が17,000円だったから、これを払うと僅かな額しか残らない。家から多額に送ってもらえるわけではないので、バイト三昧だった。自身の生活を悲惨だとか辛いとか考えたことはないけれども、いや、むしろ大学時代は楽しかったけれども、常に腹は減っていたし、欠乏感を拭い去ることはできなかった。

今、大学の授業料は僕のころの2倍くらいになっている。学生向けの下宿といえども17,000円なんてのはめったにあるまい。貸与であるとしても奨学金は家賃を払ってなお少しでも余るほどの額があるのか? 教師として務めて得た情報から判断するに、授業料も全額免除を得られほどの学生はそんなに多くはない。半額免除ですら必要としている人に比べれば足りない。「経済的理由」から休学したり退学したりする学生は、教授会のたびに複数、承認されている。僕ほどの底辺の底辺の貧困層でなくても、国立大学は、国立大学ですら、通うのに金がかかる、貧しい層には近づきがたい存在だ。

学生たちの経済状況の実態をきちんと調査しさえすれば、加えて、経済的理由から進学を断念する高校生の実態も調査すれば、この国の大学は学生の確保の面でも危機に瀕していることは明らかになるだろう。職業訓練だのグローバル人材だのと寝ぼけたことを言う前に、憲法に保障された教育を受ける権利を国民に享受してもらうために、無償で高等教育を受けられるようにするのが筋というものだ。


必修の単位すら取得していないはずなのに大学を卒業したとかいうABの馬鹿めには、しかし、わからない道理なのだろうか? 自分の提案がある種の人々に対する侮辱であることなど気づきもしないのだろうか? 

2017年5月1日月曜日

断髪の恐怖

昨日、ツイッターの「トレンド」欄(画面左側のコラムに今ツイッター上で盛んに書かれている単語が表示される。それが、「トレンド」)に「地毛証明書」というのがあったから、きっとカツラ狩り(これはこれでひどい)に対抗する手段か何かかと思っていたら、今朝の新聞によれば、高校の生活指導だとのこと。都立高校の6割が、天然パーマや髪の色の薄い生徒に提出させているのだそうだ。都立高校だ。とんでもないことだ。

それで思い出したのが中学の丸刈り規則問題。Wikipediaによれば、ごく最近まで存在していたのだ。

中学の丸刈り規則問題というのは、日本の少なからぬ地方の公立中学などで、男子は丸刈りとすることという規則を設けたり、それを推奨するとした方針を打ち出したり、あるいは明文化せずとも、そんな規則が存在するかのように、当然のごとく生徒に丸刈りを強いていたという問題。僕が中学に入ったのは1976年で、そのころは、明文化されていたかいなか、校則なのか「推奨」なのかを問わず、実質、鹿児島県の公立中学の男子生徒はほぼすべてが丸刈りだった。

大学に入ったころに、この中学生の丸刈り問題が全国的に話題になったことがあったと記憶する。鹿児島県だけではなかったのだと感心した記憶がある。そして、あくまでもWikipedia によれば、2000年代にも男子は坊主頭とするところは存続していて、やっと13年ころに、どうやらなくなったらしい。

本当だろうか? 僕が先日実家に帰ったときには、小学生たちの中に、特に高学年の子に坊主頭の子がいた。彼らは来たるべき中学入学に備えて、今から頭を丸めて準備しているのではないのか? 40年ばかり前の僕のように……?

奄美地方は特に最後まで丸刈り規則が撤廃されなかった地域だというから、心配だ。

40年ばかり前、僕もある日、ふと思い立って、坊主頭にしたのだ。「思い立って」というのは衝動的にという程度の意味だ。そこに自発性はあまりない。もう2、3年すれば中学に入ることになる、中学に入ると坊主頭にしなければならない、今からそれに備えていた方がいいのじゃないか、というプレッシャーのようなものが常に僕の頭の中にはあった。そのプレッシャーに屈したのだ。

生まれついて髪は柔らかく少なめな方だった。それに少し縮れている。ある長さになると途端に、ほんの僅かではあるが、ウェーヴがかかる。あまり美しい髪型はできそうにない。伸びるのも遅い。そういうあきらめのようなものは10歳のころにはある程度あった。事実、大人になってからも僕はあまり髪を長く伸ばしたことはない。人生で一番長かったのは、おそらく博士課程のころの数年間で、当時はオールバックにしてそれを固めるでなく、自然に左右に崩れ落ちるに任せていた(そういう髪型、何か呼び名があっただろうか? どうも記憶にない)。わずか2、3年の間のことだ。そういう写真が残っている。

しかし、40を過ぎたあたりからは、だいぶ薄くなってきたこともあって、坊主頭が少し伸びた、といった程度だ。長い目で見れば、坊主頭かそうでないかは、大した問題ではない。

しかし、それでも、自ら思い立って髪を丸めた日のことは忘れられない。僕はその日、これは夢に違いない、夢であってくれ、明日にはまた、髪を切る前の僕に戻っていてくれと願いながら就寝した。翌朝、起きてみると、髪は丸まったままだ。鏡を見ながら、この時間は、この人生は夢に違いない、夢であってくれ、と願い続けた。

そしてそれから40年ばかり、僕はずっと、自分の目の前で起こっていることは、自分が歩んでいる人生は、すべて夢に違いないと思っている。思い立って坊主頭にしたあの小学校4年の日、坊主頭にする直前までが僕の本当の人生だったと思っている。あの日、僕は本当の僕の人生を奪われてしまったのだと思っている。

理論的に考えれば、僕はきっと、坊主頭にしなければ、今度は髪にウェーヴがかかっていることによって学校(中学か高校か、あるいはその両方)から罰される運命にあっただろうと思う。そして、繰り返すが、今となっては髪など丸刈りと大差ない長さにしかできないのだし、そんなものでいいとも思っているのだが、でもやはり、男の子は丸刈りにしなければならないという運命の圧力に負け、髪を切り落としてしまった時のショックはどうあっても拭い去れない。ショックであり、屈辱であり、理解不能だ。


ある程度髪が薄くなると見切りをつけて自らスキンヘッドにする人々も少なからずいて、僕も今はそれくらいした方がいいのではと考えることもしばしばではあるのだが、なかなかそうした決断ができずにいるのは、40年前のあの日のショック、以後、自分の人生が自分のものだと思えなくなったむなしさを、もう一度感じることになるのじゃないかという漠然とした恐怖に駆られるからなのだと思っている。

2017年4月30日日曜日

連休を満喫してみた

連休初日の昨日はイリヤプラスカフェ@カスタム倉庫(入谷近くの古民家を改装したイリヤプラスカフェ2号店。名前のとおり倉庫をカスタムしたもので、こちらは田原町にある)で次のものを観てきた。

藍屋奈々子作・演出・出演『ここは宇宙の入り口です』(in企画)

「ひとりの星子」「月の子」からなる短篇連作。それを音楽で結びつける。岡田利規以後的な肉体性、というか、近代のリアリズムを基調とした動きを超えたところにある新たなリアリズムというか、まあカフェの2階のフロアでのパフォーマンスだからこそ可能になるのかもしれない間合いで展開するファンタジー。会場となったカフェを意識した舞台で、浅草界隈の名店に言及するなども。

(これを投稿しようとしているころ、今日の回を見た別の教え子が、「悲しいことが思い出せない」というフレーズに心打たれたとFacebookに書きこんでいた)

作者・演出家は、要するに教え子で、そのよしみで他の教え子も来ていたので、観劇後、上野のバニュルスで食事。ヤマハのギターなのにフェンダーのストラップをしていたのが気になったぞ、などと感想を言い合って過ごす。

翌日。つまり今日も今日とて仕事をしていたのだが、少し疲れたので、息抜きに職場近くの小石川後楽園へ。実は、初。ポール・マッカートニーのコンサートで入り待ちする人々を尻目に、隣の東京ドームから漏れてくるリハーサルの音なども気にせず、江戸太神楽の興行に拍手を送ったりしながらひとまわりした。


東大生たちよ、ここにも赤門があることを知っていたか? 


2017年4月29日土曜日

知的生活の方法……? 

この間死んだ渡部昇一みたいな表題を掲げてしまった。

たとえば何かの文章を書くことになったとする。そうすると僕はまずマックのデスクトップ上にそのためのフォルダを作る。〆切りとお題、制限があれば字数か枚数も書いてそれをフォルダ名とする。そこにその文章のための文献一覧表やメモを入れていく。

メモには2段階ある。

1)カード
2)パラグラフ

論文マニュアルなどではカードを取れと教える。1項目1枚で書誌情報やら引用やらメモやらを書いて行けと。ノートにその役割を持たせてもかまわないが、京大式カードというのがあるぞ、と。で、そのカードを並べ、めくり、並べ替えたりしているうちに論文はできる、と。

でも実は、それだけでは論文はできない。このカードと実際の論文の間にパラグラフ・ライティングというのがある。そう教えてくれる論文マニュアルもある。僕がいちばん感心したのは栩木伸明の『卒論を書こう』(三修社)

で、ある時から僕もカード(というかメモ)を取りっぱなしでなく、それをもとにひとつの段落を作ってファィルにしておくことにした。そうしてみると、実際、〆切り前の苦しみがなくなった。かなり減じた。

さて、もともと手書きか、せいぜいワープロソフト(清書用にしか役に立たない)を使っての執筆から開始した僕らにとって、常に悩ましいのは手作業だったものをいかにPC上での作業に移行するか、だ。

僕は今でも読書中は手書きでメモを取ることが多い。京大式カードではなく、大抵はモレスキンのノートに書くのだ。大きなテーマ(あるいはゼミの授業で読むもの)だったらそれ専用のノートを使う。ともかく、ノートだ。それに手書きで書く。そのノートに加えてワープロファイル(本当はこれにもいろいろ紆余曲折があったが、最近は、諦めて、もっぱらWord (for Mac)を使っている)で作ったパラグラフの二段構えで作業を進める。

しかし、ある時からメモ(カード)も電子化した方がいいだろうと考えるようになった。たとえばひとつの引用からすぐにパラグラフが書けるとは限らないのだから、ただ引用だけを書いておくようなメモ。つまり、カードだ。

ここで問題が生じる。僕は貧乏性だ。ただの一行の発想のメモや書誌情報のためにワープロソフトの1ページを丸々使うのは憚られる。書誌情報は最初から文献一覧を作るためにファイルを作るとしても、メモや引用は…… こんな人のためにデータベースソフトなどはあるし、過去、いくつかそれらを導入したことはあった。しかし、それらのメモからコピー&ペーストで文章に利用しようとしてもフォントやポイント数が違ったりして面倒だ。僕は手書きのノートからファイルに手入力するのは厭わないタイプだが(それでも手書きメモをスキャンするだけのこともある)、どうせPC上で処理するのなら、一度入力したものを実際の文に組み込むのにはコピー&ペーストでなければ意味はないと考えている。メモ(カード)と文書の書式は最初から統一していたい。だから下手に新たなソフトを導入するより、もうすべてWordでやってしまおうというのが、最近の考えだ。

で、ふと思いついたのだ。Wordは書式設定ができる。もともと文章も自分の好きなレイアウトに設定して使うのだから(A4 余白は上下30mm、左右25mm。フォントは日本語がヒラギノ明朝、欧文はTimes New Roman、ポイント数は12。40字×30行。400字詰め3枚相当)、ひとつカード用の書式を設定しておけばいいのだ。そうして作ったのが、これ。


実際の京大式カードはB6サイズなのだが、これは一応、A5横長のレイアウト。少しサイズは違うけれども、うむ、確かにカードっぽい。字数やマージンは異なるけれども、フォントとポイント数は文書の設定と同じなので、コピペも齟齬を生まない。短いメモでもこれなら良心の仮借を生まない。

2017年4月28日金曜日

ちょっと説明

先週の日曜日(4月23日)、第3回日本翻訳大賞の授賞式を見に行った翌月曜日、火曜日の授業の準備に

アレホ・カルペンティエール『方法異説』寺尾隆吉訳(水声社、2016)

を読んでいた。ん? と思う箇所がいくつかあったので原文と対照した。

夜だったし、腹を立てて次のようにツイートした。


まあこんな短い文だけで批判したのでは、また言いがかりをつけられそうなので、少し説明しよう。

なるべく主観は入れないつもりだ。この人物への主観的判断を綴れば3冊ぐらい本が書けそうだからだ。

写真に撮ったこのページで説明しよう。
これはひとつの例だ。たぶん最悪の例ではあろうが、ここまでではないにしても複数の疑問が生じる(誤訳がある)ページが一章だけで7-8ページあった。


まず、3行目から。

(我々は)溢れ出る雄弁やパトス、ロマン主義的虚勢を響かせた豪華絢爛な演説に心を奪われがちだ……私の弁論術(略)を直接揶揄したような彼の言葉に少々気分を害した――彼は気づくまい――私は、(略)

なぜ「我々」が派手な演説に「心を奪われ」る(強く惹きつけられる)ことが「私の弁論術」への揶揄になるのだろう? 原文はこうだ。

(...) somos harto aficionados a la elocuencia desbordada, al pathos, la pompa tribunalicia con resonancia de fanfarria romántica.... Ligeramente molesto--él no puede darse cuenta de ello-- por una apreciación que hiere directamente mi concepto de lo que debe ser la oratoria(...).
(我々は)溢れ出る雄弁術が、パトスが、ロマン主義のファンファーレのような響きのある絢爛豪華な演説がいやになるほど好きだ……彼はそんなことに気づくまいが、演説とはこうでなければという私の考えを直接傷つけるような価値判断だったので少しばかり鬱陶しく思い(略)
(できるだけ既訳に使われた言葉を使ってみた)

こんなやりとりがあって「私」こと大統領(「第一執政官」)はこの「著名学者」に反論するのだ。ルナンのある本を巡る評価だ。

「おぞましい!」有罪でも宣告するように著名学者は叫ぶ。この断章がフランス語学習者向けの文学マニュアルによく収録されていることを私が指摘すると、「世俗教育の忌まわしい帰結だ」と彼は断罪し(略)

? 「フランス語学習者向けの文学マニュアル」? どういう反論だ?

原文は

"Quelle horreur!", exclama el Ilustre Académico con gesto condenatorio. Le hago observar que ese trozo figura en muchos manuales de literatura destinados a los estudiantes franceses. "Abominación debida a la escuela laica", afirma el visitante,(...).
"Quelle horreur!·"(恐ろしい!)と〈高名なるアカデミー会員〉は叫び、地獄に落ちろという仕草をする。私は彼に、この断片がフランス人学生向けの多くの文学の教科書にも出てくるのだと教えてあげる。「世俗教育のせいでこんな忌々しいことに」と客は断言する。(略)

「フランス語学習者」ではない「フランス人学生」だ。つまり、ラテンアメリカでは正しくフランス文学が評価されていないと嘆いた「著名学者」(〈高名なるアカデミー会員〉)に対し、あなたがだめだと言っているフランス文学はフランスでも評価されているんですよ、と反論しているのだ。この反論の面白みが、上の訳ではわからない。

(ところで、フランス語学習者estudiantes de francésとフランス人学生estudiantes franceses の違いなどとても初歩的なことだが、他の翻訳にも共通する寺尾訳の特質は、こういう初歩的な間違いをよく犯すということだ。この2ページ先では「明晰ならざるものはフランスにあらず」というリヴァロールのあまりにも有名な文言 "Ce qui n'est pas clair n'est pas francais" を「明解さを欠くはフランスならず」と訳している!)

さて、今の引用に現れているように、カルペンティエールのテクストは多言語的なのだが、寺尾訳は発話がフランス語であることを明示せずにスペイン語の文章と同じように平坦に訳している。これはひとつの見識で、翻訳のひとつの方針ではあろうが、少なくともカルペンティエールらしさは減じるし、僕は好きになれない。

バロックの美学を前面に押し出したカルペンティエールのバロック的技法のひとつ、一般名詞の固有名詞化(大文字化)(Ilustre Académicoのことだ。僕が「〈高名なるアカデミー会員〉」と訳し寺尾が「著名学者」と訳したものだ)も平坦になっている。

さらに進もう。上の引用の直後、「著名学者」がルナンの文章prosaを称して:

「意味不明」――派手に呼びかけるばかりで、蘊蓄や女衒に頼り過ぎる(略)

女衒!? 何のことだ? なぜ娼婦の手配師がルナンの文章に関係するのだ? せめて衒学なら話はわかるが……原文は:

amphigourique --pretenciosa, vocativa, hinchada de erudición y pedantes helenismos.
amphigourique(支離滅裂)――気取った、呼びかけの調子で、蘊蓄と衒学的な古典ギリシヤ趣味でパンパンになった(散文)。
それから、以下はどうだろう?
だめだ。アメリカ大陸の人々が読むべきフランス文学は、まったく違う本、違う作品だ。そんなことでは、モーリス・バレスの『法の敵』が、わずか三ページの明解な散文でいかに見事に格調高い文体と秀でた知性を展開して――イエス崇拝を中心に――マルクス主義の誤謬を暴いているか、(略)決してわかりはすまい。

全体の論理は背理的なので間違いとは言わないが、原文は:

No. Las gentes de nuestros países deberían buscar el genio de la lengua francesa en otros libros, en otros textos. Descubrirían, entonces, la elegancia de estilo, la prestancia, la soberana inteligencia con que el Maurice Barrés de L'ennemi des lois podía mostrarnos, en tres páginas claras, las falacias y errores del marxismo --centrado en el Culto del Vientre--, (...).
そうではないのだ。我々(アメリカ)諸国の人々はもっと違う本、違うテクストにフランス語のエスプリを求めなければならないのだ。そうすれば『諸法の敵』のモーリス・バレスの上品な文体、気品、最上の知性を発見できるのだ。彼はそうした手並みでもって、明晰に書かれた3ページにおいて、〈腹への信仰〉に偏ったマルクス主義の虚偽と誤謬を我々に証明して見せている。

僕は今のところ、vientre(腹)が「イエス」を表しているかもと考えるにたる論拠を見出し切れていない。「人はパンのみにて生きるにあらず」は有名な聖書のことばで、これを裏返したような、「人はパンのみで生きる」と言わんばかりの唯物論がマルクス主義だと見なされているのだから、〈腹への信仰〉とはそうした考えのことではないだろうか? 

以上は、わずか10行以内に出会った首を傾げたくなる訳の数々だ。その他に、こういうことも書いた。




この直後に展開される『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」についての評価にある「半音階の進行」progresión cromáticaが訳されていなかったりして、音楽評論家カルペンティエールの書く小説にしてはなんだか音楽の蘊蓄がちぐはぐだ(第2章では「ホルンを逆さにして唾を抜く」であるはずのものが「楽器を半回転させて」と楽器名を無視したり……)。ワグナーを愛しかつカルペンティエールを愛する人がこれを読むかも、と考えて怖くならないのだろうか?

ふう。疲れた。 

あ、もちろん、寺尾訳でもストーリーが原作と異なるというほどの大きな間違いはないと思うし、なかなか工夫を凝らしてよくやっていると思える箇所だってある。でもこうした細部がいちいち首を傾げたくなるのが彼の訳の特徴。訳だけでなく「手本」の意味の「かがみ(鑑)」を「鏡」と書いたり(『別荘』に二度あった。『方法異説』でも少なくとも一度みつけた)、「最期の瞬間」と書いたり(同語反復だ)、万能で無意味の接続辞「なか」を多用したりと、日本語だって怪しい。ふたつ3つに言い換えられた男根を意味する隠語をどれもただ「性器」とだけ訳したり(味気ない。カマトトだ。これは『別荘』での話)。そんなだから、面白みが削がれるのだ。読むためのドライヴが減じる。原作はもっと面白いのに。

2017年4月21日金曜日

戦後を待ちわびて

「戦後文学が読みたいぞ」という文章を書いた直後に新聞で北村総一朗がお膝元・昴で新藤兼人の『ふくろう』(2003)を脚色して舞台にかけているという記事(北村のインタヴュー)を読んだものだから、これは見てみようと思い立って見てきたのだ。

はまだ久米明が生きているころ、今はなき三百人劇場に何度か見に行ったくらいではなかろうか? 『セールスマンの死』で知られる昴/久米明の組み合わせだが、テレンス・ラティガンらの他の翻訳ものもやっていて、楽しかった。三百人劇場は、他に、1985年、メキシコ時代のルイス・ブニュエル特集を組んだりと、映画の記憶もある。

今回の会場・大山Pit昴は三百人劇場に比べるとぐっと小さな、百人も入らないくらいの地下の典型的な小劇場だ。

新藤兼人の『ふくろう』は大竹しのぶと伊藤歩による快作というか奇作(こんな言葉、あるのか?)というか、なんとも不思議な映画で、ともかく、1980年頃までは戦後だったぞ、と改めて思い出させてくれる作品であった。北村はそれをかなり忠実に舞台に再現し(もともと、部屋の中だけで展開するシチュエーショナル・サスペンス(こんな言葉、あるのか?)なので、舞台向きだ)ていた。

満州からの引き揚げ者で故郷もなくして東北の入植地に入植していたユミエ(服部幸子)が、すっかり入植者がいなくなり、娘のエミコ(立花香織)と二人だけになってしまった。そこで近所のダムの建設現場や電気会社工事人など、訪ねてくる男たちを相手に売春しては金を巻き上げ、毒入りの酒を飲ませては殺し、入植地の空き家の庭に埋めるということを繰り返す、という話だ。男たちは死ぬ瞬間、鶏のようなうめき声をあげ、最後にはひと言、不思議な言葉を残す。それが奇妙なおかしみを産み出して、テーマのシリアスさをやわらげている。

珍しく若い客もある程度いて、後ろに3人の女性のグループがいたので、幕間が楽しかった。聞く気はなくても彼女たちの話(感想を言い合っている)が聞こえてきたからだ。どうやら殺される男たちの1人がこのグループの誰かの知人らしく、「あのパンツ一丁になってた人? あの人やばいね」などと話していたのだ。裸の立花香織に服部幸子が水浴びをさせるシーンがあって(映画ではホースで盛大に水をかけていたように思う)、それをすだれ越しに見せたのだが、彼女たち、「あれ、どうなってるんだろうね? ヌーブラ?」「ニップレスみたいなのしてるのかな?」「後ろだとわからないけどね、前の人なんか、おおっ、てなったのかな?」「意外に仕組みがわかってがっかりしたりして?」なんて語り合っていた。


なんだか楽しそうだった。僕もなんだか楽しくなった。

2017年4月19日水曜日

引き返せない4月

先日、実に濃厚なメンバーと読んできた。

滝口悠生『死んでいない者』(文藝春秋、2016)

ある人物の通夜に集った親類(故人の子とその子たち)の様子をなめらかに移動する複数の視線で描いたもの。

特に大きな物語が生起するわけではないが、語り口と語りの妙によって楽しく読ませる一篇だ。

語り口、というのは、視点人物によって多少変化するが、おそらく最も中心となる人物・知花(故人の3番目の子、次女多恵の娘)のそれが、いかにも2015年の時点で17歳の高校生らしいもので、とりわけ面白い。通常の引きこもりとはいささか趣を異にする引きこもりの兄・義之との関係が微妙で、それを「やばい」だの「エロい」だのという言葉でしか表すことができないとしながらも、その関係を説明する様々な出来事を想起し、あるいは捏造していく過程が面白い。

こうしたことについて数時間、みんなでああでもないこうでもないと語ったのだった。

ところで、最近、こんなものを机の上に置いてみた。

まあ、なんということはないCDプレイヤーだ。これまで机とは違う場所に置いていたのだが、その場所であまり使わないことに気づいたから。

そしてまた、Bluetoothつきなので、iPadからの(Macからのでもいいが)音楽を聴くスピーカーにもなる。本当は、Bluetoothのスピーカーだけでもいいのではないかと思ったのだが、ともかく、遊んでいる機器が一台あるのだから、それを有効に使ってみた。


遅れ馳せながら定額で音楽聴き放題のサービスを利用し始めた。月額980円なら月に1枚CDを買う者でも元は取れるとの観測からだ。ただし、このサービスに提供されていない楽曲、CDなどはあるわけだから、そういうのを手に入れようとすると、当然、それはまた別の支出になるわけだが。

2017年4月4日火曜日

メキシコの仇を東京で

パブロ・ラライン『ジャッキー――ファースト・レディ最後の使命』(アメリカ、チリ、フランス、2016)

アカデミー賞ノミネートだの、公式サイトに謳う「知られざるジャッキーの真実に迫る感動作」だのの文句を見る限り、僕がまず間違いなく見なかっただろう映画なのだが、何と言ってもパブロ・ララインなのだし、まさか「感動作」なはずはあるまい、そう思って見に行った。それから、メキシコで見る予定が時間を勘違いして見られなかったので、仕切り直しの意味もあって。

副題に「最後の使命」とあって、この「使命」というのはナタリー・ポートマン演じるジャクリーン・ケネディの台詞から取ったものだけれども、その台詞というのはIt's my jobだかbuisnessだか、そんな単語を採用しているところで、それを松浦美奈の字幕が「使命」と訳しているわけだ。配給会社と監督や脚本との意図の違いが鮮明に現れるところ。

ジャクリーン・ケネディの話とくれば、夫の暗殺の瞬間だとか、華々しくファースト・レディになったころ、あるいはしばらくしてギリシヤの富豪と結婚しジャクリーン・オナシスになったことなど、いくつかのポイントが考えられるけれども、これは暗殺直後から葬儀を出すまでに焦点を当てたもの。

夫の死後1週間して訪ねて来たジャーナリスト(ビリー・クラダップ)との会話を通じて特に暗殺後数日の日々をジャクリーンその人が回想するというストーリー。役作りでかなり体重を落としたのだろうポートマンの首筋辺りが痛ましい。が、最初から記者に懐疑的な彼女はメモをチェックして発言を変えたり削除させたりして、かなり神経質に自己演出している。この自己演出こそが夫ケネディの国葬張りの大々的な葬列を可能にしたといのうが、この映画の極めて単純で悪意に満ちた主張だ。

暗殺直後の機内で大統領に就任するリンドン・ジョンソンの良く知られた写真を再現し、その隣で複雑な表情を見せるジャッキー。霊柩車内で運転手や看護婦にジェイムズ・ガーフィールドやウィリアム・マッキンリーを知っているかと訊ね、要するに過去暗殺された合衆国大統領で知られているのはエイブラハム・リンカーンだけであることを確認すると、同乗するロバート・ケネディ(ピーター・サースガード)にリンカーンの葬儀に関する文献を届けさせるように命じるジャッキー。そうした細部が彼女の下心というか野心を照らし出す。

もちろん、目の前で夫を射殺されたのだから気丈で立派に振る舞ってなどいられない。狼狽えもしようし、理性を失いもしよう。それを正直に(といってもこれらが事実かどうかは僕は知らないけれども、少なくともおかしくなるのが正直な人間の心理だろう)描き出すところが、悪意だと言っているのだ。

ところで、最近はタイトル・クレジットをストーリーが終わった後に出すのが流行りなのだろうか? よく見るような気がする。この作品もそうだった。


池袋HUMAXはひとつのシートにつきちゃんとふたつの肘掛けが確保されていた。HUMAXってどこもそうだっけ? 

2017年4月2日日曜日

新たな年が始まる

もう4月だ。4月は僕らにとっての新年だ。
肩書きから二水の文字が一文字抜け、身軽になるのだか肩の荷が重くなるのだか、ともかく、いろいろと変化があるので、僕自身も無理矢理変化をつけてみた。

iPhone7 を導入し、それに合わせてモバイルSuicaを導入。ちゃんと使えるのだから面白い。

ちなみに、これはそのiPhone7 で撮った写真。珈琲サイフォン(株)の字が見えると思う。珈琲サイフォン株式會社の建物で、ここでは豆も挽き売りしているらしい。最近知って訪ねて来たのだが、さすがに日曜日は休みだった。

珈琲サイフォン社というのは、いわゆるコーノの珈琲器具の会社。僕が生まれて初めて使ったミルはここの製品だった。

最近、以前紹介したフレンチプレス一辺倒なのもどうかと思い、ここの、つまりコーノのドリッパーを導入してみたのだ。

これも僕の変化のひとつ。

一番普及しているカリタ式と違い、円錐状で、溝が下半分にしかないというドリッパー。台形状のカリタ式よりもコクと深みのある味が出るし、フレンチ・プレスよりはあっさりしている。一説にはネルドリップに近い味だとか。もちろん、ネルではなくペーパーフィルターを使うので、後片付けなどは楽。


週があけるといよいよ新学期だ(といっても本郷キャンパスの場合、学部1年生がいないので、少し落ち着いているのだが)。

2017年3月30日木曜日

響き渡る鳴き声、染みいる悪意

坂手洋二作・演出『くじらの墓標2017』燐光群@吉祥寺シアター。楽日前日のマチネで見てきた。

若い頃の作品だけあって、主人公が若い。藤間流の舞踊もやれば、徳之島というルーツに従って島唄のウタシャもやるという客演のHiROと宗像祥子のカップルの婚約を契機とする物語だ。

死者の召還の物語とも言えるし、いわゆる「夢落ち」かと思いきや、そこに悪意のこもったもうひとひねりがあって、中孝介を彷彿とさせるいかにもウタシャらしいHiROの悲劇的な声と乾いた声で単なる清純派などではあるまいぞと存在感を示す宗像祥子のコントラストがいい効果を上げていたと思う。

事故で入院して回復期にあるらしいイッカク(HiRO)は、クジラ漁師の家系の7人兄弟の末っ子。その彼が婚約することになり、田舎から母代わりの叔母タツエ(中山マリ)が上京、すると20年前に死んだと思っていた兄たちが現れて、故郷に帰ると言い出す。

話を聞いていると彼らはクジラ漁師というよりはクジラの化身のようでもある。クジラ漁師はかつて陸に上がったクジラの子孫なのだという、まるで神話のような話が提示されて、その曖昧な存在に説明がつけられる。さらには、えびすと呼ばれるある種神話的クジラとの取り決めによる贈与を仲立ちとした関係を維持するために死んだことにして姿を隠していたのだとも。きっと日本式捕鯨文化にまつわるさまざまな伝承などに依拠しているのだろうが、こうした設定によって劇全体のトーンがぐっとファンタジックになっている。そこがこの作品の面白いところ。


もちろん、クジラの話だから、最後はクジラとの対決もある。ファンタジックなだけでなく、思いの外スペクタキュラーでもある。もちろん、クジラそのものが出てくるわけではないけど。

2017年3月27日月曜日

映画を観ようとは言うけれど……


? ? ? ? ?

シネ(cine)はいつから女性名詞になったのだろう? 思わず辞書を引いた。

やはりcineはあくまでも男性名詞だ。cinemaもそう。であるならば、当然シネ・エスパニョールcine español であるべき。

はて? なぜこのような事態が起こるのか? 

思い浮かんだのが、サッカーのスペイン・リーグ、liga españolaリーガ・エスパニョーラの単語としての定着。名詞と形容詞の性を持たない日本語話者が、それで、「スペインの」という形容詞は「エスパニョーラ」なのだろうとの理解したのでは、との推論。

他に類似の例があるだろうか? 

と思ったときに思いついたのは、逆の例。鈴木亜美が「アミーゴ」を名乗った例だ。アミの音からの連想なのだから「アミーゴ」でも「アミーガ」でもよかったはずだ。むしろ女性だから「アミーガ」であって欲しいところ。それなのに「アミーゴ」に落ち着いたのは男性名詞のそれが定着してしまっていたからなのだろう。

そう考えると、リーガ・エスパニョーラはよくぞ「エスパニョーラ」と女性形になったものだと思う。つまり、定着と呼べるほどかどうかはわからないにしても男性形「エスパニョール」の語はある程度流布していたように思うからだ。

おそらく、従事している人がどれだけスペイン語に敬意を抱いているかの問題なのだろうと思う。映画界におけるスペイン語軽視は本当に悲しいほどである。

たとえばこの「シネ・エスパニョーラ2017」の作品ラインナップを見るといい。

『ザ・レイジ 果てしなき怒り』
『インビジブル・ゲスト 悪魔の証明』
『クリミナル・プラン 完全なる強奪計画』
『クローズド・バル 街角の襲撃手と8人の標的』
『キリング・ファミリー 殺し合う一家』

……教えていただきたいのである。こんな立派な、すてきな副題をつけるなら、なぜそれだけでだめなのか、よりによって英語(風)転記のカタカナをつけなければならないのか、なぜここがスペイン語であってはならないのか。


単にスペイン語軽視というだけでなく、明らかにある時から映画タイトルはおかしくなってきたのだが、今、おそらく、人はそれをおかしいと思う感覚が完全になくなっているのだろう。

2017年3月22日水曜日

最後の日は映画を観よう

帰国した。

帰宅した。

ホテルのチェックアウトが現地時間20日(月)13:00。飛行機の出発予定時刻が21日(火)1:01。早い話が、20日の深夜(感覚)。時間ぎりぎりにチェックアウトしても12時間、飛行機へのチェックインがぎりぎりでも10時間ばかりの時間がある。最終日だという意識があるし、ホテルも発っていることなので、なんだか手持ちぶさた。とても困るのだ。

前の晩、ちょっとした仕事でメキシコに滞在していた教え子とアルゼンチン料理など食べながら、映画の話をし、映画を観るのがいいのじゃないかと勧められた。

なるほど! 

こんなそわそわと落ち着かない日でも、映画は観ているうちに集中する。集中するけれどもある時間が来れば終わるから、熱中しすぎて時間を忘れ、取り返しのつかないことになることもない。ちょうど国立フィルムライブラリーCineteca Nacionalでは『ネルーダ』と『ジャッキー』、つまりパブロ・ララインの2作が観られるぞ、と……

シネテカは特集上映などのみならず、今では新作の上映もするし、今はキューブリックの展示会とか、そんなものも行っている。シネコン並みにネット予約もできる。スクリーン数も増えた。そして休日だった20日(月)は、実際、シネコンのように客がたくさん来ていた。『トレインスポッティング2』のチケットもう買えないんだってよ! なんてやり取りが聞こえてきた。

さて、14:00から『ジャッキー』を観て18:00から『ネルーダ』を観れば、終わるのは20:00少し前。そこからホテルに引き返して預けていた荷物を受け取れば理想的だ! どうせ飛行機の中では寝てばかりで映画など観られないのだから、その代償に、最終日は映画を観よう。

……と思ったのだが、ちょっと本屋に寄ったりしている間に、『ジャッキー』は16:00からだと記憶が書き換えられ、見損なってしまった。その代わり、パトリシオ・グスマンの『真珠のボタン』を再見。素晴らしい作品であることを再確認。

『ネルーダ』(アルゼンチン、チリ、スペイン、フランス、2016は上院議員になったネルーダ(ルイス・グネッコ)が大統領ガブリエル・ゴンサレス=ビデーラ(アルフレード・カストロ)を敵に回し、地下活動に入り、ついで亡命を余儀なくされたころ(1948-)を扱い、その詩人を追跡する警官オスカル・ペリュショノー(ガエル・ガルシア=ベルナル)を中心に据えた物語だ。

こう書くと、まるで事実に即した、ネルーダ亡命の物語かと思うだろうが、それが、そんなことはない。この映画はなかなかにくせ者なのだ。だいたい、参議院議員となったネルーダが共産党に所属したことによって最初に引き起こした軋轢を表現するのが、サロンなのかトイレなのかよくわからない場所なのだから、そもそもの最初からヘンだなとの疑いが湧き起こる。

ネルーダの描き方にしてもロベルト・アンプエロの『ネルーダ事件』張りに悪意に満ち、売春宿で遊び呆けるは、十年一日、同じ詩を詠んで人気を博して浮かれているは、妻が隣にいるのに口述のタイプライターの女性の胸に手を這わせるは…… まあ、ネルーダ神話を強化したいだけなら、きっとその最期を描くはずだろう。

このヘンな感じがだんだん形を取り始めるのは、オスカルがネルーダを追跡して行く先に常に置いてある一冊の本があるからだ。どうもネルーダの好きな推理小説らしく、その小説には自分のことが書かれているようで、オスカルは読み耽ってしまうのだ。そして追いかけても追いかけてもネルーダは直前で逃げていて、いなくなったその場所に、オスカルは常に同じその本を見出すだけ。こうしたところはコミカルなサスペンス仕立て。

クライマックスの始まりはネルーダの妻デリア(メルセデス・モラン)とオスカルとの会話だ。そこで彼女は彼にお前はネルーダの書いた物語のなかで端役に過ぎないのだと種明かし(?)されるのだ。

最後のチェイスではガエルのオートバイが故障するし(『モーターサイクル・ダイアリーズ』だ)、母親は娼婦だ、などとガルシア=マルケスみたいなことを言うし、……


なかなか一筋縄ではいかない内容なのだ。

メキシコでの最後の二晩を過ごしたホテルの部屋からの眺め。いわゆるソナ・ロサの朝。

2017年3月20日月曜日

ついでにメヒコ覚え書き

コンピュータがいろいろなものをアップデートしたりして、使えないソフトがあるので、暇に飽かせて、ついでにメヒコのことも書いておこう。

メキシコのペソは今では東京の至るところにあるTravelexという両替屋で買うことができる。ただし、売る時にはとてもレートが低くなる。今回、買う際にあらかじめ1,000円余計に払えば、高値で売れるという制度があるがどうだ、と訊かれて、とりあえず1,000円余計に払った。

さて、……

必要最小限だけ持ってきて、後はキャッシングでいいんじゃない、と言われたが、まったくその通りだと思う。本を買ったときや少しよさげなレストランで食事したときはカードで払うのだし、そのカードはvisaデビットで、すぐに引き落とされるし、キャッシングもできるので、ということは実質、キャッシュカードで引き落とすのと同じことだし、持ち歩く金を少なくすることに何の問題もないのだ。それなのにまだ現金取り引き社会の亡霊から自由になり切れていないのだな、僕は。あるいはピッキングを極度に恐れているのか? 

実際、今回、ペソはかなりあまりそうだ。
(50センターボ硬貨がたくさん余った! 写真は5ペソ、1ペソ硬貨とともに)

メキシコでは人と会う予定があったので、プリペイドのSIMカードを買ってみた。メキシコではsimはchipと呼んでいる。TelcelにしようかMovistarにしようか悩んで、後者にした。15日間(2週間)で100ペソ。入れればすぐ使えるよ、と言われたが、使えない。どうしたのだろう? 

どうもチャージするといいらしい、とどこかから聞こえてきた。コンビニに言って番号を言い、なにがしかの金を払えば、手続きしてくれる。サークルK(てっきり日本のものかと思っていたらUSA発祥なんだね)では30ペソからチャージができると言われた。チャージしてほどなく、通話もデータ通信も使えるようになった。ただし、一日中ブーブーとうるさくメールやらフェイスブックのコメントやらを受け取っていると、あっという間にチャージ分を使ってしまった。

やれやれ。

言うまでもないことだが、iPhoneのsimのスリットは何かとても細いものでつついて開けないと行けない。買ったときにはそれがついているのだが、別に人はこれを持ち歩いているわけではない。入れ替えるとき、苦労する。ホテルのメイドに針のようなものはあるかと訊ねたところ、本当に針を持って来た(裁縫キット)ので、それを使った。


ほとんど通話はしないので、特にこちらでプリペイドsimを買う必要もないかな、との思いもある。アップルsimのようなもので充分かもしれない。特に今回、maps.meというアプリを入れていて、それがオフラインでも自分の地図上の位置を教えてくれるものなので、オンラインでgoogleマップなどを使う必要がないとなれば、ますます無理してsimを入れることはないかな、と。もちろん、もっと長く滞在するなら話は別だが。

キューバ覚え書き

日本時間では日付が替わったので、少し補足の記事を。

今回僕が泊まったのはDeauvilleというフランス系の名前のホテル。どう読むんだろうと思ってスペイン語風にデアウビーエ? と発音したら、タクシーの運ちゃんはドヴィユだね、とフランス語風に呼んでいた。

で、ともかくそこはマレコン(ハバナの海岸沿いを走る通り)の目の前で、こんな絵に描いたような光景が展開されていた。

よく目にする、マレコンに打ちつける波を、しかし、遠くから素人の手で捉えようと思っても難しい。せいぜい、こんな感じだ。うーむ。

さて、14年前はドルをそのまま持ち込んで使えば良かったのだが、キューバは今では兌換ペソ(Peso convertibleまたはCUC。後者はクックともセー・ウー・セーとも発音していた)の方が通りがよさそうだ。ドルやユーロも使えるには使えるのだけど。レートは$1=1euro=1CUCくらい? これが5CUCと10CUC紙幣。それに1ペソ硬貨。

空港を出てすぐのところにある両替屋は長蛇の列。これには参った。ホテルまで送ってそこで両替して払ってくれればいいよ、とタクシーの運ちゃんが話しかけてきたので、そうすることにした。が、ホテルでは1euro=90ペソと低めのレート、少し損した。

Peso nacionalというのもあって、CUCとNacional併記の店などもあった。書店で買い物をして、結構な額になったのだがCUCを渡すべく数えていたら、そのうちの5CUCだけを取られて「これでいいんだ」と言われた。何かの勘違いをしているのだろうか? だとすればその勘違いが解けないうちに、と思ってそそくさと書店を出たのだが、たぶん、あれは、最初国内ペソでの額面を言ったのだろうと思う。

ネットの接続状況は悪い。通信会社ETECSAのWi-Fiを使うためのカードを購入し(1時間分2CUCだった)、そこにあるユーザー名とパスワードでアクセスする。僕のホテルで買ったものを他のホテルや空港などの施設でのETECSAのWi-Fiにも使ってみたら、使えた。汎用性はあるということだ。ただし、Wi-Fiの施設そのものは範囲も狭いし弱い。ホテルではロビーでしか使えなかった。

でもまあ、そんなわけなので、しばらくネットアクセスは仕事のメールのチェックなどのために必要最小限に抑え、晴れて自由の身となって過ごしたのだった。

ETECSAの事業所などではSIMカードも売っているので、それを購入すれば、SIMフリーのディバイスなら、LTEだか3Gだかのデータ通信も可能。ただし、ETECSAがどこにあるかわからないし、ホテルで聞いてもあやふやだし、やっと見つけたのはもう滞在4日目だったし、列も長かったしで、これを買うことは断念した。それでこそ自由の身だ。でも後学のために記しておくとオビスポ通り(ラ・フロリディータから港へ向かう道。財務省とかがある通り。両替屋なども同じ通りにはある)にあった。

CUCを換えすぎて余らせるのも癪だし、と思ってユーロが使えるところではユーロを使うようにしていたのだが、これは本末転倒で、結局割高なところでばかり食事していたように思う。良くないな、と反省するのであった。


こんなところだろうか? 後は仕事と散歩の日々であったのだが……

2017年3月19日日曜日

14年越しの願い

1週間ほどキューバに行ってきた。

授業のない時期にメキシコだのキューバだのと言ったら、人はどうも休暇で出かけると思うものらしいが、実際は仕事で行ってきたのだ。研究だ。取材と資料収集とその他諸々だ。

今回の一番の目的地はここだ。


こんな風に作家の蔵書がある。ディジタル化の進むこれらの資料もじかに眺めることもできる。

こんなものを眺めながら、ついでに、ここにある資料が眠っているのではないかと目星をつけて来たのだが、はかばかしい成果は得られなかった。

でもまあ、研究部門の人と話し、いろいろと示唆を受けるところはあった。

ついでに、前回、2003年には修復中で入れなかったところに行ってきた。

ホセ・レサマ=リマ記念館。レサマの生活がそのまま維持されているスペースだ。

レサマの書斎の机。

そしてレサマを真似、書斎の棚に持たれてポーズ。

前回、やはり場所は特定したけれども、写真を撮ってこなかった場所。でも、こんな像はあっただろうか? 

これはセシリア・バルデス像。

シリロ・ビリャベルデの『セシリア・バルデス』はキューバ19世紀を代表する恋愛小説で、サルスエラなどにもなり、映画化もされ、いわば国民的な人気を誇る作品。それの主人公セシリア像だ。副題をLa Loma del Ángel。Lomaというのをどう訳するかは悩ましいところ、坂、というか丘、というか、……まあ、坂、としておこう。アンヘル坂。その上にある教会の前。実はこの教会の裏手が革命博物館なのでわかりやすい場所にあるのだ。


ところで、繰り返すが、このセシリア像、前からあったのか? 記憶にないな……

2017年3月13日月曜日

アースダイバー

昨日は「仕事の合間」にポランコのエル・ペンドゥロに行ったと言った。仕事というのは、たとえば、これ

と、これ

を関連づける仕事だ。

わかるかな? 同じものが見えるはずだ。もっと言えば、こんなもの。

それを補足するために今日は、旧国立予備学校に行ってみた。アルフォンソ・レイェスもホセ・バスコンセロスもオクタビオ・パスも、みんなここの学生だった。回廊形式のすてきな建物だ。ほとんどの壁にオロスコの壁画がある。


パスには「サン・イルデフォンソの夜想曲」という詩がある。サン・イルデフォンソというのが、Antiguo Colegio San Ildefonsoつまりは旧国立予備学校だ。

おまけ:

旧国立予備学校からコレヒオ・ナシオナルの前を通ってアラメダ公園に向かう道は古書店街だ。ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』でフアン・ガルシア=マデーロが通い詰めた古書店街。そのうちいくつか開いた店があり、入ってみたら、猫がいた。しかも4、5匹。

2017年3月12日日曜日

コーヒー&ブックス

仕事の合間に(?)ポランコという高級住宅街の中にあるカフェブレリーア〈エル・ペンドゥロ〉に行ってきた。


で、いずれの店も入った感じはこぢんまりとしていたので、写真で見るポランコの店はもっと大きいのかと思っていたのだが、

……そうでもなかった。このお店にはこのお店なりの理想の店舗の大きさがあるのだろう。吹き抜け、螺旋階段、カフェを取り囲む本屋、という感じを作りたいのだと思う。

買い物をして、それがある程度の額を超えたからかもしれないが、レストランというか、カフェの条件付き割引券をいただいた。条件というのは、次の三択の質問に対する答だと思った箇所を擦れ、正解ならサービスしてあげよう、というものだ。

この写真でもその問いがわかるだろうか? 

「女優にしてモデルのイザベラ・ロッセリーニはハリウッドの大スターの娘ですが、さて、それは誰でしょう? / Aグレース・ケリー、Bローレン・バコール、Cイングリッド・バーグマン」

というもの。15%オフの権利を得た。えへへ。

滞在中にまた行くのか、それはあくまでもわからないが。

ペンドゥロの近くにはガンディもあった。もともと必ずカフェを併設するというコンセプトで広まった書店。ここのガンディには、しかし、カフェがなかった。

何かが決定的に変わったのだなと実感する。


2017年3月11日土曜日

着いた! 

アエロメヒコの東京―メキシコ直行便ではちょうど10日に開幕するグワダラハラ映画祭に行く配給会社の方と乗り合わせ、日本語通訳を兼務するCAは、かつて共通の友人を通じて知り合った方で、そんな知り合いに囲まれていたとはいえ、いつものごとくその行程のほとんどを寝て過ごしたのであった。やれやれ。

ホテルに着いてみたら、部屋にこんなものが用意されていて感慨ひとしおであった。コーヒーメーカーだ。

今回は12-3日(考え方の問題)の旅行で、着替えは4着しか持ってこなかった。そんなものだ。これを3回くらいずつ着ればいい。ホテルにはたいていクリーニングのサービスがあるから、それを利用して、……と思ったのだが、週末を過ごすメキシコ市のホテルは土日はそのサービスはないと言われた。まあ、よくある話だ。それで、若い頃のように、昨日の服は手洗いして浴室に干した。

今回のメインの目的地は、ともかく、そんなわけでハバナだ。キューバなのだ。ハバナでは来週のウィークデイを過ごす。が、それを挟む週末をメヒコで過ごすわけだが、もちろん、その滞在にも目的がないわけではない。


東京外国語大学出版会の企画で、都市についての本を書くことになっている。シリーズ物のひとつとして、僕がメヒコについて書くのだ。半分くらい原稿はできているのだが、ある章について、いろいろと実地に確かめておきたいことがある。それを確かめるのも今回の目的のひとつ。さて、何を確かめるのか? 

(準備のためのノート。これはまあ、あれだな、なんとか細胞のときに話題になった実験ノートのようなものだな……)

2017年3月10日金曜日

行ってきます! 

昨日は学年最後の教授会。その後、退職教員の送別会。

そして今日から僕は出張旅行。

旅のお伴は1冊の本と、いつもとは違う旅のノート。

うっすらと行き先の街の名が読めるだろうか? ふだん使っているモレスキンのノートは置いて、旅行中はすべてをこのノートにつける。読んだ本のことも。

持っていく本は、キンドルのものを除けば、これだけ。イルダ・イルスト『猥褻なD夫人』四方田犬彦訳(現代思潮社、2017)

本当は書評するので持っていくのだ。そうでなければ、本は現地で調達ということも多い。飛行機の中ではずっと眠っているので、ほとんど読めない。その代わり、向こうではずっと早起きになるだろうから、その間にたっぷり仕事ができるという具合。


行ってきます!

2017年3月5日日曜日

狼狽えるパーフェクション

新聞などが早くも書評を掲載しているので、僕もブームに乗じて:

村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編/第2部 遷ろうメタファー編』(新潮社、2017)

僕は常々、村上春樹はふざけた冗談をたくさん書いているのだが、その割になぜ人はこの作家のおかしさについてもっと語らないのだろうと不思議に思っている。『騎士団長殺し』の笑えるポイントは、いずれも登場人物(人物なのか?)すなわちキャラクターだ。騎士団長と免色渉。

『騎士団長殺し』はそのタイトルから察しがつくように、モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を下敷きにしている。そこに上田秋成「二世の縁」(『春雨物語』)が絡み、それが『ザ・グレート・ギャツビー』の設定の前提に立っている、……という話。すぐれたアダプテーションの一例だ。

抽象画家だけど肖像画描きで生計を立てている「私」が妻の柚(ゆず)から離婚を提案され、放浪の旅の後に友人の父の家に住む。友人の父というのが雨田具彦という有名な日本画家で、今では認知症で施設に入っているので、家を維持する必要があっのだ。

「私」はもう肖像画描きはやめるつもりだったけれども、たっての願いで免色渉(めんしき わたる)という人物のそれだけは描くことになる。免色は実は「私」の住む小田原の山の中のちょっと先に見える豪邸の持ち主(ギャツビーなのだ)。

「私」がある日家の中で見つけたのは雨田具彦の知られていない作品『騎士団長殺し』。『ドン・ジョヴァンニ』の例のシーンを雨田得意の飛鳥時代風俗に移し替えて描いた作品だ。同時に、家の裏から鈴の音が聞こえてきて、気になって仕方がないので、「私」は免色とともにその場所にある穴を暴いてみる(上田秋成だ。そのことはテクスト内に明示される。で、この「二世の縁」というのがまたとんでもなくおかしな、笑える話だ)。

それを契機に顕れるのが、自らをイデアと名乗る騎士団長。雨田の絵の中の殺される騎士団長の姿をまとった身長60センチばかりのキャラクターだ。これがともかく、笑える。

僕はかつて村上春樹作品のキャラクター小説化(「キャラクター小説」は大塚英志の言葉)について書いたことがある(柴田勝二、加藤雄二編著『世界文学としての村上春樹』に所収「羊男は豚のしっぽの夢を見るか」)。そのキャラクター小説化のプロセスの果てにたどり着いた、これまでに最強のキャラクターではあるまいか? 

「かまうもかまわないもあらないよな。雨田先生はもうおぼろで平和な世界に移行してしまっておられるし、騎士団長だって商標登録とかされているわけじゃあらない。ミッキーマウスやらポカホンタスの格好をしたりしたら、ウォルト・ディズニー社からさぞかしねんごろに高額訴訟されそうだが、騎士団長ならそれもあるまいて」
 そう言って騎士団長は肩をゆすって楽しげに笑った。
「あたしとしては、ミイラの姿でもべつによかったのだが、真夜中に突然ミイラの格好をしたものが出てきたりすると、諸君としてもたいそう気味が悪かろうと思うたんだ。ひからびたビーフジャーキーの塊みたいなのが、真っ暗な中でしゃらしゃらと鈴を振っているのを目にしたら、人は心臓麻痺だって起こしかねないじゃないか」
 私はほとんど反射的に肯いた。たしかにミイラよりは騎士団長の方が遥かにましだ。(I-350)

な? 『海辺のカフカ』などを思い出すが、もっとおかしいくはないか? 


(ところで、僕はフアン・ホセ・ミジャスの『ちっちゃいやつら』(仮)Juan José Millás, Lo que sé de los hombrecillos という中篇小説を翻訳したいなと思っているのだけど、騎士団長の出るシーンを読みながら、つくづくとこの作品のことを思い出した。ある日、小型の人間が「私」の目の前に現れ、それと感覚を共有することになるという話だ)

それにもましておかしいのが免色さん。

免色がその場所にあった家を強引に買い取ったのは、ある女性の近くにいたいとの思いからのこと。その女性・秋川まりえとの仲立ちを「私」に頼むことになるという筋立ても『ギャツビー』だろ? つまりまりえの肖像を描くように依頼するのだ。その際に、偶然を装ってその現場に現れたいと望むのだが、計算違いから、思ったよりも早く対面することになる。その時の狼狽えようがおかしい。これも『ギャツビー』と言えばそうなんだろうが……

村上春樹の小説にはその生活態度や能力、手回しの良さにおいてパーフェクトな人間が大抵、登場する。少なくとも語り手=主人公にとっては、自分の対極にあるような完璧な人間だ。そんな完璧な人間が、その完璧な手回しによって語り手=主人公を意図しない邪悪な世界に引きずり込むのだ。今回。免色もそんなところがある。独身で豪邸に住み、あらゆることを完璧にこなす。そして自らの欲望を達成するために他者を巻き込んでいく。


しかし、そんな完璧な存在であったはずの免色が、秋川まりえを前に狼狽え、ドジを踏み、顔色を変えるさまはおかしい。笑える。長いから引用はしないが、ともかく、そんな狼狽えぶりで完璧のほころびを見せる免色の存在が主人公と取り結ぶ関係も、そんなわけで、いささか特異なものになっている。それがとても気になるところ。

2017年3月1日水曜日

2月は終わるのが早い

2月の最後の2日はブカレスト大学(およびハーヴァード大学)からゲストを招いての講演会だった。

これは東大がやっている、新日本学という試みで、ハーヴァード大学のデイヴィッド・ダムロッシュ(『世界文学とは何か』)さんを読んで集中講義をお願いしているのだが(本日まで)、それに合わせて、ダムロッシュさんのハーヴァードのIWL(世界文学研究所)での右腕たるデリア・ウングレアヌさんも同行し、ダムロッシュの授業の後に講演をしていただいたというわけだ。彼女が今年中に出す予定のFrom Paris to Tlôn: Surréalisme as World Literature(Bloomsberry)には、うかがったところ、かなりな発見が盛り込まれていて、楽しみなのだ。

で、その彼女が27日はユルスナールとタルコフスキーおよび黒沢の隠れたコネクション、および発想の共有という話をし、昨日28日はルーマニアのシュルレアリスムの系譜に連なる作家ミルチェ・カルタレスクについて話した。昨日は同僚の阿部賢一さんが司会を務め。27日は僕が司会を務めた。27日は、ちょうど東大を訪れていたツヴィカ・セルペルさんからの黒沢のフィルムの発想源についての、専門家ならではの鋭い質問なども飛び、盛り上がった。写真は沼野充義さんが撮ってくださったもの。

さて、話は変わって、4月から、こんなことをやるようだ。立教のラテンアメリカ研究所が主催している「ラテンアメリカ講座」で文学についての授業を行う。具体的には何か最近の文学作品を皆で読むという形式だが、よかったら、どうぞ。


向こうに映っているのはレトルトの黒豚カレー。先日の結婚式の引き出物にいただいたカタログ・ショッピングで得たもの。このところ、スーパーのレトルト・カレーの豊富さに驚き、時々、昼食などでいろいろな味を試していた矢先だったので、カタログでもこれを買ったのだ。

2017年2月20日月曜日

金に糸目はつけない

最近、こういうのを導入した。

フレンチプレス。コーヒーを作るのだ。こうやって。

原理……というか用法としてはお茶と一緒。コーヒーを入れ、お湯を入れ、一定時間待ってから、プレスする。

ペーパーフィルターよりもコクが出て、うまい。金属フィルターのように澱が出ることはない。少なくとも大量に出ることはない。まだペーパーフィルターが余っているのだけれども、最近はすっかりこればかりだ。

コーヒーのためなら金に糸目はつけない。新しいマシンでも何でも、コーヒーのためならば導入する。


ただし、これは2,000円ばかりだったけれどもね。こんな値段である限り、金に糸目はつけない。

2017年2月15日水曜日

今日が映画の日だとは知らなかった

上京してすぐに住んだ国分寺のアパートのすぐ近くには映画館があった。映画館といっても2番館で、2本立て、3本立てで好きなだけちょっと古い映画が観られるという場所。暇があって金のない僕は、よくここに通った。大島渚の『戦場のメリークリスマス』などはここで観た。が、その映画館でかかっている映画の大半は日活のロマンポルノだった。ポルノ専門館ではないけれども、ロマンポルノがかかることが多かった。ちょうど当時はポルノ出身の女優(白川和子、風祭ゆき等々)が一般の映画やTVドラマに欠かせない存在になっていたり、ロマンポルノ出身のアイドル(美保純とか)が出たり、逆に普通のアイドル女優(早乙女愛など)だった人がポルノに出たりしていた時期で、ここや、東映のピンク映画上がりの若い監督が一般作品で名を挙げ始めたころでもあって、日活ロマンポルノの潰える直前の最後の輝きがみられた時代だったという次第。1983年のこと。

根岸吉太郎『キャバレー日記』竹井みどり主演、なんてのは印象深いのだ。

だから、日活が「ロマンポルノ・リブート」などと称して、行定勲や中田秀夫ら5人の監督の撮るロマンポルノの企画を打ち出した時には、1本くらいは観ようかな、などとぼんやりと考えていたのだけど、今日、思い立って園子温『アンチポルノ』を観てきた。

映画の日だった。新宿武蔵野館の100席に満たないスクリーン3とはいえ、ほぼ満席だった。女性客もかなりの数いた。

周知のごとく、ロマンポルノが面白かったのは、10分に一度濡れ場を入れるという制約さえ守れば何をしてもいいという自由さを大いに生かし、若い監督たちが撮りたいストーリーを思う存分に撮っていたからだった。園子温もその制約=自由を逆手に取り、男の作った「自由」に苦しめられる少女の自我の叫びを撮った。

隷従と鞭打ち(つまりSM)、レズビアン、近親相姦、両親の性交現場の窃視、そしてスカトロまで、ポルノ映画と性のオブセッションに纏わる記号をこれでもかというくらいに挿入しながらも、基調はペドロ・アルモドバル的原色の内装の部屋で繰り広げられるルイス・ブニュエル的反復脅迫の悪夢、どんでん返しによる主従の転換(主人と奴隷の弁証法)なのだった。「10分に1度の濡れ場」の制約も、過ぎ去ってしばらくしてから、そうか、そういえばあれは濡れ場なのか、と気づくものも多く、つまりは、ロマンポルノが脱構築されているのだ。


閉ざされた空間でのセリフ劇だからだろうか、さすがに舞台出身の筒井真理子の存在感が水際立っていた。さすがなのだ。

2017年2月14日火曜日

死んでも『ジュリエッタ』と呼ばないために

日本の一部の映画配給会社の横暴(控えめに言って横暴、僕の本音をいえば人権意識の欠如)には腹に据えかねるところがあって、あれだけハリウッドからも引く手あまたでありながらスペインに、とりわけマドリードの市井の人々の語りに強くこだわるペドロ・アルモドーバル(あるインタヴューでも語り口の重要性を彼は語っていたのだ)が、いかにアリス・マンローの原作とはいえ、スペインを舞台に脚色した映画の、いかにもスペイン風のその主人公と同名のタイトルJulietaフリエータを、どこにもない名前の音に変えるなど、監督への冒涜も甚だしいのだ。

そんな風に腹を立てていたら最初の公開時期に見損なってしまった。それが早稲田松竹で『トーク・トゥー・ハー』との2本立てでやっていたので(早稲田での非常勤の仕事帰りに前を通りかかり、知った)、今日はダリーオ・グランディネッティ祭だとばかりに見に行ってきた。

何度も見ているのに、『トーク・トゥ・ハー』(このタイトルにもいろいろと言いたいことがあるぞ)でアリシア(レオノール・ワトリング)に意識が戻っていたことが発覚する瞬間には泣きそうになる。

さて、問題の『フリエータ』(スペイン、2016)

2人の人間(列車で話しかけてきた見知らぬ男と夫)を自分の素っ気ない態度がもとで死なせてしまったかもしれないという罪の意識から抑鬱症を患い、娘に助けてもらったと思っていたら、実はその娘は周囲の者からいろいろと聞いていて、ずいぶん複雑な思いでいたらしい。その娘の心理を描かずして(ただ不在によってほのめかす)葛藤から和解にいたるまでを語るという、実に繊細な話。

恋人ロレンソ(グランディネッティ)とリスボンで新生活を始めようとしていたフリエータ(エマ・スワーレス)が、街角で娘アンティーアの親友ベアトリス(ミシェレ・ジェネ)と行き違い、スイスでアンティーアに会ったと告げられる。それで思い直し、マドリードの昔のアパートに引っ越して、娘に向けて彼女の父親との出会いから今までを手記に書きつける、という形式。回想の中の若いフリエータをアドリアーナ・ウガルテが演じている。

列車で話しかけてきた男を避け、避難した食堂車で漁師のショアンと知り合い、男の自殺にほだされ関係を持ったフリエタは、代用教員の時期が終わると誘われてガリシアのショアンの家へ。寝たきりになっていたショアンの妻は死んだところで、そのままそこに住みつき、子どもが生まれ、家庭を持つ。ところがショアンは寝たきりの妻の目を盗んで昔からアバ(インマ・クエスタ)と関係を持っていたらしい。そのことをほのめかされ、問い詰めると、ショアンは漁へ。その日、難破して死んでしまう。娘のアンティーアが夏期キャンプでベアトリスと仲良くなり、マドリードに訪ねたついでに、そのまま転居、出版社の校閲係をしながら鬱病と闘ってどうにか立ち直ったと思ったところで、アンティーアはピレネーの山に瞑想生活に出て、そのまま行方をくらます……という展開。


マドリードのアパートが2種類出てくる。いかにも近代的で無機質、白く、IHコンロなのと、昔ながらの石造り、木の扉が重々しく、壁もみずから塗り替えて住むようなもの。フリエータはそのふたつを棲み分けることになるのだが、やはり、後者がいいのだ。

フリエータが古典文献学の教師だというところがいい。

ロッシ・デ・パルマが出ていた。


早稲田松竹の帰りは高田馬場のオムライスlabo でテキサス・オムライス(ハンバーグつきということ)を食べた。ハンバーグとオムライスって、……好みがどれだけ若い(幼い)のか。

2月14日はふんどしの日だそうだ


フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』木村榮一訳が、新たに翻訳された短篇ふたつを含む文庫本になって河出書房新社から出版された。めでたい。

何年か前(ひとつ前の記事の花嫁が3年生の時)、ゼミで同じ作者、同じ訳者の『狼たちの月』とこれを読もうということになったとき、まだ発売1年にも満たなかったソニーマガジンズの親本が既に手に入りにくい状態になっていて、ずいぶん面食らったことがある。こうして文庫本になってくれると学生にも勧めやすく、助かる。

が、そんなことより、今はこれ:

佐野勝也『フジタの白鳥――画家藤田嗣治の舞台美術』(エディマン/新宿書房、2017)

著者の佐野勝也は大学時代の先輩だ。大変な人だったので、僕は晩年、少し距離を置いていたが、ともかく、一時期、一緒に仕事をしたりした仲には違いない。そんな佐野さんの絶筆。早稲田大学に提出した博士論文を本にすべく書き直している途中、亡くなった。

冒頭に日本における『白鳥の湖』初演の舞台美術をフジタが務めたことと、その経緯、そしてその舞台の詳細が紹介される。それから時代を遡ってパリ時代にバレエ・リュスやバレエ・スエドワらに関わり、どんな活動をしたかが順に述べられる。そして日本時代、ミラノのスカラ座での『蝶々夫人』……

どれも貴重な資料に裏付けられた記録で、画家フジタのこれまで知られてこなかったもうひとつの顔が明かされている。図像もふんだん。

フジタのことはカルペンティエールも折に触れて書いている。パリ時代、彼らは面識があったはずだ。少なくとも同じ場に居合わせたことは何度となくあった。そしてリオデジャネイロで個展を開いた1931年にはアルフォンソ・レイェス夫妻が彼に似顔絵を描いてもらって喜んでいる。


フジタは当時既に生きる伝説だったのだ。ピカソのように……

2017年2月12日日曜日

パレス・ホテルは本当に宮城の目の前だった


今日は外語時代の教え子の結婚式。

行ってきた。

新婦はちょうど3.11の地震の時に卒業を控えていた人物のひとり。地震直後には、以前ブログに書いたように(リンク)節電と称してピクニックに誘い出してくれたりしたのだった


僕は6年前のこの日、彼女たちの生き方にたいそう感心したのであり、爾来、彼女たちを尊敬してやまないのだ。そんな彼女たちのひとりが結婚するとなれば、嬉しくもあり寂しくもあり、ともかく祝わないではいられないのだ。

よくあることとは言え、披露宴のテーブルには新婦の手書きのメッセージが置いてあった。でもそこに、そんな彼女から「ピクニックも楽しかった」などと書かれていたら、泣いちゃうじゃないか。


メガネをかけずにテーブルに着いてよかった。泣かずにすんだ。

2017年2月7日火曜日

立ちたいとき

昨日は大学院修士課程の二次面接だった。

さて、昇降式の机を買ったからといっていつも立って仕事をするわけではない。それならばスタンダップ・デスクを買うだろう。あくまでも立ったり座ったりしながら仕事がしたいということ。

立って仕事をすることは体に影響することには違いないのだが、立ちたくなるのは精神的な理由。

1) 朝、仕事を始めるときには立つのがいい。

2) たまったメール、返すのが億劫なメールは、立つと書ける。

3) 座っていて興が乗ると、立つといい。「興が乗る」サインは太腿のあたりがムズムズしてくること。これまでは、そんな時、僕は席を離れて水を飲みに行ったり(喫煙していたころは)タバコを吸いに行ったりしていた。

4) 逆に、行き詰まった時も、立つと打開できることがある。

5) 気乗りしない、なかなか集中できない読書には立つのがいちばん。

……しかし、こうして列挙してみると、なんだか常に立っているのがいいと言っているみたいだ……


2017年2月2日木曜日

僕らのZ、永遠のZ

昨日取り入れた昇降式の机。今日は終日大学にいたので、使い心地についてはまだなんとも言えない。

しかし、ひとつだけ言えることがある。昨日のあの体制では、僕の考えた書斎改革にとって欠けているものがあったということだ。

それは何か? 

これだ:

高校時代からずっとゼットライトを使っていた。机の縁にひっかけて、アームを曲げたり伸ばしたりできるあのライトだ。

僕が使っていたのはシェードの丸いやつだった。

ところがある時、今より広い家に住み、大きな机を使っていたころ、卓上に置く大きなライトに換えた。机の配置から、その方が都合がよかったからだ。ライトもだいぶ歳取ってくたびれていたことだし。

その後、生活を縮小し、机も小さくなった時に、そのライトが大きすぎて、小さなLEDライトを買った。昨日の写真に写っていたやつだ。

決して悪くはない。が、やはり照らし出す範囲が狭すぎる。

で、もうだいぶ前からゼットライトが恋しくなっていたのだった。ゼットライトなら、右端で作業していてもアームを伸ばして照らし出すことができる。PCに対して逆光にならないように光の向きを変えることもできる。

昇降式の机とともにゼットライトに換えるぞ、と思っていたのだった。が、昨日、机が届いたのが夕方だったので、もうゼットライトを買いに走るには遅かった。仕方がないので、今日、生協で買ってきたのだ。ゼットライト。LEDのやつ。シェードは横長のやつ。

机の上が見違えるように明るくなった。これまで使っていた机より、奥行きが少し深くなったので、恩恵はますます顕著だ。


さ、仕事仕事……