2017年9月21日木曜日

メキシコを痛む

留学生たちと食事して飲んで、ぐっすり寝ている間にメキシコでは大地震があったようだ。M 7.1。今朝の『朝日』朝刊の時点で死者が225人。数日前のオアハカ、チアパスと違い、今回は首都も直撃した。奇しくも1985年の大地震と同じ9月19日のことだった。

レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』では85年の地震のことが扱われている。邦訳のメキシコの地名や人名は惨憺たるもので、スペイン語(世界)など、すぐそこにあるのに、その程度の調べ物もしないのはいかがなものかと、ほとほといやになったけれども、その表記の問題は今は措いておこう。『災害ユートピア』ではメキシコのことが扱われている。

ノノアルコ=トラテロルコ住宅、つまりトラテロルコの三文化広場を取り囲む高層アパート群の一棟がまるごとひしゃげたこと、治安が乱れるのを恐れて投入された警官隊や軍が逆に略奪に走ったこと、一般の人々は文字どおりの「地獄に立ち上げられた楽園」(これが原題の直訳)を実現してみせたことが紹介される。とりわけスラム街テピートの住民たちの自衛は特筆に値する、と。

メキシコ当局はこれを機にテピートから低所得者層を追い出し、再開発しようと考え、地上げまがいの工作をした。住民たちの組合は地震の前からNPO組織と共同で自分たちの住む長屋のような共同住宅(vecindad)の改修を考えていた。住民を追い出した上での地上げによる再開発ではなく、住民たちに益する下からの再開発が実現した。

地震に乗じて政府が住民を追い出し再開発でもしようものなら、それはたとえばナオミ・クラインの『ショックドクトリン』(惨事便乗型資本主義)というものだろう。僕らは3.11においてこのショックドクトリンを経験し、独裁者を許してしまうことになるのだが、メキシコはそれを阻んだのだ。

85年を思い出し、祈るしかない。

95年の神戸を経験した安藤哲行はその経験をホセ・エミリオ・パチェーコの85年についての詩とともに思い出している(『現代ラテンアメリカ文学併走』)。安藤はパチェーコの詩で95年を乗りこえたのだ。

85年のメキシコは僕らの心の支えともなったのだ。

きっとメキシコはそのように惨事を乗り越える。そう思うことにしよう。

写真は青山南『60歳からの外国語修行――メキシコに学ぶ』(岩波新書、2017)

青山さんは60になってから早稲田から研究休暇をもらい、グワダラハラ大学でスペイン語を学んだ。その後、オアハカにも行った。その時のメキシコの学習体験記。


メキシコから僕らは学ぶことだってできる。

2017年9月20日水曜日

青木ヶ原の樹海の入り口には看板が立っている

留学生見学ツアーというのに行ってきた。僕は東大では留学生ではない。教師だ。だから引率教員立場で行ってきた。

まずは忍野八海。

池の水面に人の姿が映って、モネの絵のようだ。

そして鳴沢氷穴。

鳴沢氷穴は青木ヶ原の樹海の端にある洞窟で、かつて天然の冷蔵庫として使われた冷たい場所。

幻想的な地底の風景だ。

そして少し裏に回ったら、こんな看板が立っていた。


今日は山梨県立美術館と文学観を訪ね、その後、昇仙峡を歩いた。2010年に外語のオリエンテーション旅行で来たことがあった。少し記憶と異なっているような気もしたが、写真を見比べてみたら間違いなく同じ道を歩いていた。

2017年9月11日月曜日

París, París, por fin París...

エンリーケ・ビラ=マタス『パリに終わりはこない』木村榮一訳(河出書房新社、2017)

の書評を書いたのだが、それはあくまでも短い文章。以前もそんなことがあったが、書き足りないという思いがあり、書評には書けなかったことをここで何カ所か紹介したく。

『パリに終わりはこない』París no se acaba nunca (2003) は、かつて、2009年、外語の学生たちと読んだ作品だが、今回、その時の学生(現在は勤め人)が翻訳を買い、読んだら、あっという間に授業で読んだ箇所を通り過ぎてしまったと泣き笑いしていた。

ビラ=マタスが最初の長編『教養ある女暗殺者』を書いていたころのパリの思い出を、三日間連続の講演会で話すという体裁の小説。「私は講演、それとも小説だろうか?」

下敷きにはヘミングウェイによるパリの回想録『移動祝祭日』があるのだが、この写真に映っている章ではスコットという名のろくでもないオドラデクを登場させてヘミングウェイとフィッツジェラルドの後日譚を空想するという章。(オドラデクは『ポータブル文学小史』にも登場させている)。こんな調子だ。

書評のために取ったメモから:『われらの時代』に所収の「雨の中の猫」を講演で読み上げ、「私」はこれがよくわからないと白状する。しかし、ガルシア=マルケスはこれを「世界で最もすぐれた短篇」と呼んだと。そして聴衆に解釈を求めるのだ。そうして出てきた解釈が以下のとおり。

①……この短篇は白い象が出てくる別の短篇を思い起こさせる。実を言うと、女性は妊娠していて、ひそかに子供をおろしたいと思っている。それがこの短篇の秘められた物語である。②……この短篇は若い女性の性的欲求不満を描いている。そのせいで猫がほしいと言っているのである。③……実を言うと、この短篇は戦争が終わったばかりで、北アメリカの援助を必要としているイタリアの悲惨な状況を描いたものである。④……この物語は性交後の倦怠感を描いている。⑤……新妻は、夫の同性愛的な要望に応えるためにボーイッシュな髪にしているが、そのことに嫌気がさしている。⑥……新妻はホテルの支配人に恋をしている。⑦……男は本を読みながら、同時に妻の話に耳を傾けることはできないと言わんとしている。これは穴居時代に端を発するもので、男たちは狩猟に出かけ、女たちは洞窟に残って食事の用意をする。男たちは沈黙の中で思索することを学び、女たちは気がかりなことを口に出してしゃべり、さまざまな感情に基づいて関係を築き上げていく。(24-25ページ)

この解釈を、僕は感心して読んだものだ。確かに、「雨の中の猫」は、新婚の妻がホテルの窓から見える広場で雨に濡れている猫を拾いに行くのだが、広場に出てみるといなくなっている、そしてやがてボーイがその猫を抱いて「支配人からのプレゼント」と言って持ってくる、というだけの話だ。「氷山の理論」(「もっとも重要なことは語られない」223ページ)よろしく語られないことがたくさんあるのだろう。それが何なのかを予想するのが解釈の楽しみだが、なるほど、様々な解釈があるものだ、と感心させられる。⑤などは思いもよらなかった。

ヘミングウェイが双極性障害だったとはよく言われる話。彼のサディスト的傾向についてはレオナルド・パドゥーラが『アディオス、ヘミングウェイ』の題材にしている。そして今、ここでは(別に作家その人のと考える必要はないが)同性愛の傾向の可能性が示唆されているというわけだ。シェイクスビアとその秘めたる性向。なんだか興味深い。


ところで、『パリに終わりはこない』はビラ=マタスの別のある小説を読みたくさせる小説だ。でも「もっとも重要なこと」はここでも語らないでおこう。

2017年9月10日日曜日

ペコロスが会いに来た

タコス熱に浮かされたのは、僕の好きなタコス・アル・パストールのレシピをネット上で見つけたからだ。

ある時、今度はアマゾンでトルティーヤプレスを見つけた。欲しい、などとFacebookで呟いたら、友人があることのお祝いにプレゼントしてくれた。(プレスをいただく直前までの様子は、この記事〔リンク〕。この後、具と市販のトルティーヤでタコス・パーティをした際にいただいたのだ)

困った困った。いただいた以上は使わなきゃいけない。かくして僕のタコス生活が始まった。

昨日は、そんなわけで、教え子を招いてのタコス・パーティだったのだ。

こうしてトルティーヤとサルサを作り、

こうしてアル・パストールの下準備をし、

トルティーヤの一部は揚げてチップスにして、ワカモーレを作った。

でもスワデーロ(tacos de suadero)も準備したいと思った。牛肉を焼き、ライム(またはオレンジ)を絞り、その皮も搾り汁の中に入れ、水を足して水気がなくなるまで焼く。それを刻んでトルティーヤに乗せ、みじん切りのタマネギとコリアンダー、サルサをかけ、ライムを搾って食べる。

が、このスワデーロにはなくてもいいけどどうしても付け合わせたいものがあった。

Cebollitaである。小さなタマネギcebollaだ。日本ではペコロスとして知られる。残念ながらこのペコロス、そんなに頻繁には見られない。

たまたま参加者のひとりが高島屋で見つけてきてくれて、今回は手に入れることができた。本当は茎つきがいいのだけど、まあいいや。

これを牛肉と一緒に焼き、スワデーロのタコスを準備。味つけというか、ダシとりに使うのだが、このペコロスにそもそも味が染みこむので、つけ合わせとして食べると、最高だ。

こんな感じ。


おいしくいただきました。(下の写真は (c)蓑毛はるか)

2017年9月4日月曜日

英語、始めました……? 

今日届いた本:

右から順に、まずは献本2冊。

コリン・バレット『ヤングスキンズ』田栗美奈子、下林悠治訳(作品社)
(寡聞にして知らなかった作家だ。読みます)

J.M.G.ル・クレジオ『心は燃える』中地義和訳(作品社)
(中にスペイン語やガリシア語の表記、というか文章や単語が少し出てきて、確認を頼まれたので、中地さんからいただいたのだ)

そして左端は:

鈴木長十、伊藤和雄共編『新・基本英文700選』(駿台文庫、2002)

いわゆる駿台の『700選』だ。

説明しよう:

ちょっと前にFacebook上で管啓次郎さんが、どうすれば英語ができるようになるかという質問に答える形で、何らかの文章をカードに書き写し、それを覚えるようにすることだと書いていた。そして、たぶん、ご自身の教え子向けに、毎日のように数行の英文(その後、それに仏文が加わった)の引用を掲載するようになった。

管さんの意見には大いに賛成。もっとも、彼がそうして挙げてくださる英文や仏文を書き写して覚えることはしていないのだが……

で、ふと思い出したのだ、俺の『700選』はどこに行ったのだ? と。そして、なくなっていることに気づいた。

高校時代の参考書などのうち、世界史の図録や資料集と政経の参考書、それに国語便覧などを手許に置いている。その手許に置く参考書のひとつに『700選』があったはずなのに、いつ間にかなくしてしまっていたのだ。

僕たちの高校では英語教師が独自に英文の『600選』というのを作っていた。それを僕たちに覚えさせていた。これはとても役に立ったと思っている。これはもちろん、『700選』の模倣というか、それをモデルにしたローカル版だ。本家・駿台より100文少ないところがわが校の志の足りないところというべきだろうか? ともかく、『700選』という本家があることを知り、それを手に入れて、これも大いに参考にしていた。僕が高校時代に憶えている学習と言えば、これとZ会の通信添削くらいだ。

で、高校を出てからも、大学に入ってからも、大学院に入ってからも常に手許に……本棚に置いていた。国語便覧や世界史資料集とともに。世界史の資料集などは数年に一度新版を買うから、常にそこにあることがわかるのだが、問題は買い換えずに高校時代からずっと同じもののまま置いていた『700選』だ。これをいつの間にか捨ててしまっていたらしいのだ。まあ、だいたい開くこともなくなっていたし……

で、管さんの試みに触れたとき、この本のことを思い出し、なくなっていることを確認し、でもそのままにしておいた。

2、3日前にアマゾンである本を注文しようとしたとき、ふと、この『700選』のことを思い出し、検索してみたら、あった。だから注文した。それが届いたという次第。

『新・……」なので、僕が持っていたものとは少し違うはず。少なくともCD2枚つきではある。当時はCDなんかついていなかった。

そして今、CDは特に必要ないかな、と思う。

……いや、待てよ。これを話題の(?)「スピードラーニング」のように聞き流しにしたりすれば、僕もいつか、無意識に英語が口をついて出てくる日が来るかな? 

えへへ……

聞いてみた。何も考えずに聞き流したり、こうして文章を書きながら聞いたりすると意味がすぐに立ち上がらない文章がたまに紛れ込む。

テクストを見れば、覚えた記憶(記憶した記憶!)のない文章も散見される。ボルヘスの言うように、学びの最終段階は忘れることにあるから、これらの文章を文字どおりに記憶している必要はないし、大半は、今さらおぼえるまでもないような文章だが、確かに、自分で発話する際にものにしていない構文や表現を含む例文も多々あって、今さらながら勉強不足を痛感する。索引つきなので句動詞やイディオムの検索にも使える。

さ、英語を勉強するぞ、と……

ところで、こんな感じのものがスペイン語やフランス語、イタリア語などであるといいと思うのだが、ざっと見たところ、フランス語やイタリア語にはないようだ(かつて、フランス語のもので、何か学習に使っていたような記憶があるのだが、手許にないし、アマゾンで検索する限りでは、ない)。スペイン語ではあるにはあるが、古いもののようだ(やはり瓜谷良平の『スペイン語基本文2000』だかを使っていたような気もするのだが、同じく手許になく、確認できない)。ポルトガル語には『ポルトガル語重要基本構文275』というのがある。これは275の熟語表現と、それを使った800ばかりの文章の本のようだ。ちょっと取り寄せてみようか? 

で、スベイン語教師たちに言いたい。こんな感じの参考書、作らないか? 『基本スペイン文○○百選』。買うんだけどな。教育目的で。


そして、他の言語もいかが? フランス語やイタリア語、買うんだけどな。勉強のために。

2017年9月2日土曜日

自らアイロンをかける日々

わが家には、話せば長くなるし泣いちゃうので細かく言いたくはない理由から、自分で買ったおぼえもないのに存在するものというのがある。

同じ理由から、はっきりと買ったことを記憶しているのに、なくなってしまったものというのもある。

後者の代表はバーミックス。そして幾冊かの本(『ウディ・アレン・バイオグラフィー』など)。

前者の代表が、アイロン。

スチーム・アイロンがいつの間にかわが家にあったのだ。僕は独り暮らしを始めてから、ずっとハンディ・アイロンを持っていて、それを使っていたのだが、ある時から、スチーム・アイロンを持っていた。しかし、残念なことに、スチーム機能がイカレているアイロンだ。スチーム・アイロン、スチーム抜き。仕方がないからスチーム機能はないものとして使っていた。

いろいろな方の話をうかがうに、スチーム・アイロンなどよりは普通のアイロンに自分で霧吹きで水を拭きかけた方が良いとの意見もある。

なるほど。

わが家には、上と同じ理由から、なぜか使いさしのファブリーズなどもある。僕は使ったことないのに。ともかく、それで霧を吹き、普通のアイロンとして使うようになった。

なかなかいい。

なかなかいいと思ったら、スチーム抜きのスチーム・アイロンという存在が間抜けに思えてきた。それで、こんなの

を見つけて、手に入れた。今やアイロンはスチームつきが一般的なので、スチームなしのアイロンは実に安いのだ。3,980円だかなんだか、そんな値段だった。

で、今日届いたのはいいのだが、残念! 今日は洗濯をしていないのだ。だいたい2日に一度のペースで洗濯するのだが、今日はその谷間の日。明日まで我慢。

でも、ところで、以前、スーツ用にあつらえたのだけど染みができてしまったので、クリーニングに出すのをやめて洗いざらしでハンガーに吊したままのシャツがあるのだった。それで、試しがけ。

ふむ。きれいな仕上がりである。このシャツもまた着たくなったぞ。

コードが短いのが玉に瑕だが、なに、短ければ延長すればいい。あるいはコンセントに近い場所で使えばいいのだ。


明日が楽しみ♡

2017年9月1日金曜日

9月も映画に始まる


を観るのはかれこれ3度目だ。


そして関係者試写会(リンク)についで、今回、プレス試写会にも呼んでいただいたので、観られるものなら何度でも、てなわけで観てきた。

もちろん、メキシコで観たときと同じ内容だ。だから内容については上のリンクを参照のこと。

同じ映画を何度も観ると、同じ本を何度も読んだ時と同様、観るたびに新たな発見があったり、新たな感慨を抱いたりする。今日は、たとえば、ネルーダが逃避行に出る直前に、滞在先の家の庭で、まるで男らしさか何かを顕示するかのようにピストルを撃つシーンがあるのだが、それを窓越しに眺める妻の存在に、僕はなんとはなしにビクトル・エリセの『エル・スール』を思い出したりもした。ところが、これまでまったく気づかなかったのだが、この射撃訓練は迫り来る追っ手に対処するためのものだとの台詞があったのだった。

そうだったのか……


帰りにABC六本木店を冷やかしてから戻った。戻ったら仕事関連でちょっとした問題が持ち上がっていた。


9月だ。

2017年8月30日水曜日

書きこみの季節

最近(年度初頭から)、こういうものを持ち歩いている。

先日、『エルネスト』の試写会で斜め前に座った方おふたりが試写の始まる直前まで本を読んでいた。そのうちひとりは鉛筆を片手に読んでいた。

すっかり老眼になってからだろうか? (ちなみに、最初に目の衰えを感じたのは40にならないころだ。トホホ、なのだ)ちょっと隙間時間ができると本を開くということが徐々に少なくなってきた。同時に、たとえば電車で読書に集中できなくなってきた。

しかし、果たして僕はその昔、読書に集中などしていたのだろうか? 

まあいい。そんなわけで、『エルネスト』試写会での斜め前のお二方のような振る舞いをすることは今は少なくなった。

それでも、締め切りや予習に追われているときには寸暇を惜しんで本を開く。開かざるを得なくなる。

ところで、本に書きこみをする人としない人がいる。僕は気紛れなので書きこみしたりしなかったりだ。しかも、人生の時期によって書きこみの時期と書きこみしない時期とがあるようだ。ある一時期読んだ本には書きこみがあり、その他の時期に読んだ本はまっさらだったり、ただ付箋が貼ってあるだけだったりする。

最近は、比較的書きこみをするほうだ。近々、同僚がこんな本(リンク)を出すみたいだし、今は書きこみをする時期のようだ。書きこみには早く読むためにする書きこみとゆっくり読むためにする書きこみがあるが、いずれにしろ、集中力を持続するためのひとつの方策だ。最近は集中力不足なので、書きこみすることが多い。

書きこみするためには鉛筆が必要だ。鉛筆はペンケースから取り出せばいいのだろうが、それも面倒だ。本当は読んでいる本に鉛筆を挿して持ち歩きたいものだ。でもそうすると、本がその必要もないのに傷ついたりする。僕は本をぞんざいに扱う方ではあるが、だからといって意図的にボロボロにするのは僕の好みではない。

そこで、冒頭の写真のような器具を見つけ、使っているのだ。こんな風に(下)本やノートに挿して歩く。後ろの翼がマグネットになっていて、本体を吸い付ける。ピッタリとはまる。


こうして鉛筆片手の電車内や出先での読書が始まる。

2017年8月29日火曜日

8月は映画に始まり映画に終わる?

今月の最初の記事も映画の話だった。

昨日は以下のものを鑑賞。


パターソンという町に住むパターソンという名のバス運転手の一週間を追ったもの。題字も、月曜から日曜、そしてまためぐってきた月曜の日付も手書き風の字幕で出ていたので、できれば日本語字幕も手書き(もしくは手書き風のフォント)にしてくれるとよかったなと思う。昔よく見た映画のように、略字体を含む手書きの字幕。ジャームッシュのようなアナクロニズムを装う作家にはそれがぴったりだと思うのだけど。

ましてや『パターソン』は、手書きについての映画だ。主人公のパターソン(アダム・ドライバー)はバス運転手で、目覚めてから車庫に着くまでの間に頭の中に転がせておいた言葉を、出発直前にノートに書きつけるのを日課としている。さらに、帰宅後、自宅地下の書斎で、詩に磨きをかける。パターソンが詩をノートに書きつけると、画面にも字幕でその文字が浮かび上がる。そしてそれが、やはり手書き(風)だ。コンピュータのワープロソフトで書くのが一般化した現在、携帯電話も持たない時代遅れなパターソンがノートに手書きで書く、これが重要。手書きだからこその失われ方をするのが、この作品の最大のドラマ。そこからいかにして再生するかがこの映画のテーマ、と言えばいいのかな? 

月曜の朝、目覚めたパターソンに、まだまどろんでいる妻のローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)が双子の親になる夢を見たと囁くところから始まる。すると、街に双子があふれ出す。いや、「あふれ出す」は大袈裟だが、通勤途中にも双子の老人がいるし、バスの客にも双子、夜の犬の散歩の途中に寄るバーにも双子、パターソンのようにノートに詩を書いている女の子も双子……まるでパターソンの日々はローラの夢の中のようだ。

ローラはそれこそ夢見る女の子で、白黒モノトーンで世界を塗り固めようとしているし、同じくモノトーンのカップケーキを焼いては、それでひと儲けしようとか、ハーレクインという名の白黒のギターを買って、これでカントリー歌手になるんだなどと言ったりしている。この夫婦の会話が、とても面白い。寝起きに交わす言葉だけがかみ合っているようだ。起きているときには、夫は妻の料理を褒めたりするのだが、果たして本当に美味しいと思っているのか、疑問だ。妻は1度も読んだことがないはずなのに、夫がノートに書きつけている詩は傑作だからパブリッシュするといいと勧め、その点でも「夢見る女の子」風だ。こうしたちぐはぐさがジャームッシュの特長と言えば言えるのだが、そこに犬のマーヴィンのコミカルさが加わって、観ていて飽きない。

映画の中で使われる詩はロン・パジェットのもののようだ。これらの詩や、それからウィリアム・カーロス・ウィリアムズの詩(集)をもとにストーリーを組み立て、引用から創作が成り立つことをも示していて秀逸。

詩が生まれ、再生する瞬間を映画で体験できるのだ。


その後、隣の三省堂書店で買った『ユリイカ別冊 特集ジム・ジャームッシュ』(青土社)。そして、非常勤先の教え子たちと就職を祝って食事をし、酔っ払って帰った自宅のボスとに見出した『別冊本の雑誌19 古典名作 本の雑誌』(本の雑誌社)。豪華執筆陣に紛れて、この中で南欧の古典20作について書いている。

2017年8月25日金曜日

Me puedo morir con vos.


試写会に呼んでいたただいた。試写会場があれだけの満席だったのは僕には初めての体験。

ゲバラとともにボリビアの山中でゲリラ活動をして倒れた日系人フレディ・前村については、その評伝が『革命の侍』のタイトルで伊高浩昭監修、松枝愛訳で翻訳が出ていたのだが(長崎出版、2009)、これも配給のキノフィルムズの系列(?)キノブックスから復刊されるらしい。

上映前、監督の阪本順治が挨拶に立ち、「ドンパチはありませんので。フレディでの大学での日々が中心です」と宣言。

事実、日系ボリビア人フレディ(オダギリジョー)が、革命後の政府の医学普及政策に乗ってキューバに勉強に来るところから始まる。問題は、彼らが予課を終えて大学に進んで5日後にミサイル危機(10月危機/キューバ危機)が勃発、フレディは志願して民兵となったということだ。もちろん、危機は危機で終わり、彼は学業に戻ることになる(キューバの頭越しケネディとフルシチョフで解決を見たことには怒る。それだけの社会的意識は最初から持っている人物だ)。が、2年後にはレネ・バリエントスのクーデタが起こり、祖国に帰って何かせねばと焦る。そうした巡り合わせはある。そうしてフレディは憧れのゲバラと同じエルネストの名をゲリラ名としてもらい、ボリビアに飛ぶ。

個人的にはエピローグのような最後の2分ほどはなくてもいいと思う。「ドンパチ」はもちろん、必要最小限はあった。社会参加の意識を持たない留学仲間のベラスコ(エンリケ・ブエノ・ロドリゲス)が、口説いて孕ませて子供も認知せずに捨てたルイサ(ジゼル・ロミンチャル)に対するフレディの思いが、青春映画としてのプロットを支えている。ハバナ大学の大階段と大学構内が何度も映ると、甘酸っぱい想いもこみ上げる。

この記事の表題に掲げた文章は最初からルイサを思っていたフレディが、彼女宛のラブレターを書いているベラスコ(その時点で、それが彼女宛であることをフレディは知らない)に、愛している、だけでなく「君となら死ねる」という科白もあるよねと言った、その科白だ。

この科白でフレディはルイサを口説き落とし、そして捨てた。フレディは捨てられた彼女をやさしく見守った。

そしてまるでこの言葉をゲバラに対して言ったかのように、フレディはゲバラに殉じた。

白黒フィルムによるイントロダクションと海面を映したタイトルロールが終わると、最初のシークエンスは来日したゲバラが当初の予定を変更して広島を訪問した時のエピソード。この時に愛用のニコンのカメラがやたらと強調されているように思ったのは、過日、これとタイアップのゲバラ写真展を観に行ったからだろうか? 

さて、ある同業者の友人が心配していた、オダギリジョーのスペイン語はどうなの? という問題。

音節末の -s (-) が気音化する感じはうまくできていたので、最初騙されたが、やはり (-) l (-) 及びr-、-rr- 、や -u- の音など、気になる発音の癖はある。日系人としてなにがしか残らざるを得ない訛りというよりは、やはり日本語で育ってきた話者が習得したスペイン語に残す訛りといつた観は免れない。

でも、それでいいのだと僕は思う。


写真は、帰宅後、届いたエンリーケ・ビラ=マタス『パリに終わりはこない』木村榮一訳(河出書房新社、2017)の下に敷かれた『エルネスト』のパンフ。

2017年8月23日水曜日

ディジタルの勝利/アナログの写真家

試写会に呼んでいただいたので行ってきた@TCC試写室

小田香『鉱 ARAGANE』(ボスニア・ヘルツェゴビナ、日本、2015)

小田香は『ニーチェの馬』のタル・ベーラのもとで学んだとのこと。この映画も彼が監修として名を出している。

サラエボからは北西に約30キロというから、つまり、近郊、ということだろうか。ブレザという町にある炭鉱に「圧倒的な美しさ」を感じたという監督が、その炭鉱での人々の仕事を撮ったドキュメンタリー。

暗い鉱山での仕事が、ディジタルの映像に捉えられると、なるほど、きれいだ。坑道をトロッコのようなものに乗って下りていく抗夫を(たぶん)カットせずに最初から最後までただ映した冒頭、逆に地上に戻る姿を映した後半、そして今度はエレベーターで彼らが降りた後に、彼らの姿が見えなくなった後も動き続けるケーブルをずっと映したラスト。それらの間がいい。

その後、恵比寿の東京都写真美術館で「写真家チェ・ゲバラ」展へ。盛況であった。写真は絵葉書。僕は美術展に行くと絵葉書を買うことにしている。

今回の写真展は映画『エルネスト』とのタイアップ企画。会場のロビーにはこんなものもあった。


2017年8月20日日曜日

始まりはいつも気紛れ


ついでに、Twitter上に



そして、


を投稿した。

実際、気紛れで始めたものの、飽きっぽい僕の性格だから、投稿を連動させる気が一切ない。きっと違うことを書き続けるのだ。他に書くべきことがあるのに(今のところはInstagramの昨日の投稿に書いた書評を、本当に終えなければならない)。

僕の理解が間違っていなければ、Instagramは基本的に写真を投稿する場だ。次なる問題は:

だいたい常に持ち歩いているカメラの問題。いわゆるコンデジ。これを取り出すと、今どきこんなものを持ち歩くなんて珍しいと言われる。

そりゃそうだ。iPhoneのカメラなど、今では素晴らしい。画質もいい。撮ればすぐに写真(アプリ名)に収まって、そのままInstagramと連動させてシェアできる。

一方、この愛するCanon PowerShot G9X で撮った画像は、今ではWi-FiでiPhone やiPadに取り込めるけれども、少なくとも一手間余計だ。やがてその作業が億劫になったとしてもおかしくはない。コンパクトでないカメラを持ち歩く人は逆に飛躍的に増えたから、この一手間は決して嫌がられているわけではないと思う。写真がInstagramに掲載するためのものだと思えば、スマートフォンでないカメラは無用の長物で、無用の長物としてのカメラを持つなら本格的なものを、というわけなのだろう。


さて……
(いや、僕だってミラーレス一眼レフなど持っているわけだが……一方で、この二つくらい前のモデルを持ち歩いていた頃、同席したさる写真家が、やはり同型のものを持ち歩いていることを知り、なんだか誇らしく思ったものなのだよ)

2017年8月17日木曜日

悲鳴を上げる財布

これは何だ? 

昔から、身軽さへのオブセッションがある。徒手空拳という言葉への尽きせぬ憧れがある。前提その1。

かつて、マネークリップを使っていた。なかなか気に入っていた。が、いつしかカードなどを持つようになり、財布を使うのが当たり前になっていった。今ではマネークリップは使っていないものの、何となく、また使いたいなという漠然とした憧れがある。これが前提のその2。

で、こうなった。


これまで使っていた財布(これはこれで気に入っている)と比べると、こんな感じ。おそらく厚みは大差ないかもしれないが、大きさがだいぶ違う。

これでボーナスは使い果たした。後は水を飲んで生きる。(というのは、もちろん、噓だけど)


以前、iPadやら何やらを衝動的に買う僕を見てたしなめていた教え子が、先日、会ったときにこのThe Ridgeのマネークリップの話をしたら、あっさりと「買っちゃえばいいんじゃない」と言っていたので、その態度変更に戸惑いつつも、背中を押されたような気になったので、買った。

2017年8月16日水曜日

悲鳴を上げる島

Facbookで繫がっている方が他のある方の記事をシェアしていて知った、こんなニュース。


僕は高校進学と同時に家を出て、その後、ほとんど帰省もせず、今後もUターンなどさらさら考えていない。僕はきっと、さして故郷思いでもないだろう。それでもこうしたナンセンスな話には腹立ちを禁じ得ない。

記事には地図と候補地の上空からの写真がついている。一番北の候補地、「笠利湾東(奄美市)」と書いてある場所は、僕が子ども時代、たまに遊びに行った場所だ。もしくはその近くだ。

山を越え、木々の中の小径を抜け、最後にマングローブのアーチをくぐり抜けると眼前に開ける白い砂浜だ。関東の黒い砂浜と比較すると目の覚めるほどに真っ白いそのビーチは、確かに美しい。その名も白浜(するばま)という。

が、はっきり言ってそのビーチは狭すぎる。山がすぐ背後まで迫っているので、ビーチ周辺も狭すぎる。つまり、ここにリゾート施設を作るのはナンセンスなのだ。それは、地図に添えられた航空写真を見るだけでよくわかるだろう。

これは、そのちょっと先にある岬から撮った白浜の写真だ。

記事によれば、「珊瑚礁がないなど環境への負荷が小さいこと」などが候補地の条件とのこと。写真に描き込まれた赤い鉤型の直線が、想定される埠頭だろう。そこに作れば珊瑚を傷つけない、もしくは、傷が最小限で済むということかもしれない。

埠頭はそうなのだろう。しかし、滞在型のリゾートを作るということは、近くにホテルなどの施設を作るということだ。この狭い土地にホテルを作るためには珊瑚礁の海を埋め立てなければならないだろう。でなければ山を潰さなければならないだろう。「環境への負荷が小さい」などと言えるだろうか? 

何よりも気になるのは、「回頭域は、現時点における世界最大のクルーズ船の全長(L)361m(ロイヤル・カリビアン・インターナショナルのオアシス級客船)を想定し、その2倍(2L)の722mを回頭場の直径にしている。」(強調は引用者)というところ。

ロイヤル・カリビアン・インターナショナルはつい昨年のこと、この「笠利湾」の西側、龍郷町に同様のリゾート施設を作る計画を打ち上げ、地元からの反対運動に遭って断念した会社だ。いろいろとリンクを貼りたいところだが、とりあえず、このNAVERまとめで(リンク)。

語るに落ちるとはこのことだ。要するに直接開発しようとして失敗したロイヤル・カリビアン・インターナショナルが、国交省にロビー活動をかけてこんな計画を作らせたのだろう。

環境破壊阻止などに熱心な者ではない。単に無駄だと思うのだ。100人集まればいっぱいになる砂浜に1,000人も2,000人も連れてくることはない。この楽園に来たければ、お椀の船を箸の櫂で漕いでくればいいのだ。

白浜から岬を回ったところが僕が2,3歳のころから15の歳まで住んでいた集落だ。その目の前の小さな湾の光景がこれだ。

さっきの白浜の写真を撮った場所の近くで、後ろを振り返ればこの写真の光景が見える。そういう位置関係だ。

位置関係はともかく、何が言いたいかというと、この埠頭と防波堤だ。こんなものは僕が子供の頃にはなかった。入江になっているから、波なんか高くない。防波堤など必要だと思ったことはない。小さな漁船が繋留されている程度の浜に、こんな埠頭は必要ない。この埠頭はおそらく(たまに帰省したときに見る限りでは、ということ)、利用されていない。


これが国交省の仕事だ。

2017年8月15日火曜日

Bocadillos

TwitterやFacebookのステレスマーケティングにはうんさせりさせられることも多く、腹の虫の居所が悪い時には、削除して報告したりするのだが、ステマといっていいのかわからない情報ページでは、実はひそかにいいアイディアをいただくこともある。

以前、コーヒーのペーパーフィルターは油漉しとかハンバーガーやサンドウイッチの包み紙にも使える、なんてアドバイスを見て、これはいいと思ったのだった。

最近はもっぱらフレンチプレスコーノ式ドリッパーとを使っているので、カリタ式のドリッパー用フィルターが余っていて、アドバイスに従っていろいろと使っている。

今日はバゲットサンドを作ったので、そのホールダーに使ってみた。バゲットサンド。スペイン風に言うとbocadillo。で、スペインのbocadilloは縦に切って具を挟むという印象があったのだが、最近、何かの写真で水平に切って具を挟む例も見たので、今回、バゲットを水平に切ってボカディーヨを作ってみたのだ。

レタス+生ハム+チーズ+キュウリ
レタス+オイルサーディン+キュウリ

昨日作ったキュウリとパプリカのピクルスも添えてみた。

僕は常々、なぜ日本のバゲットは外皮が柔らかいのかと不満に思っていたのだが、焼いてみたら硬くなることに気づいた。もっとも、中身も硬くなるのだが。


でもいいや、ともかく、うまい。

2017年8月9日水曜日

使い初め

以前購入を報告したブックノート。いよいよ使い出した。

サイズはB6、いわゆる四六判の本の大きさ。だから先代のモレスキンのノートと比べると、背が低い。

だからふだん使っているインク吸い取り紙も、こうして少し切ることになる。

いいことがひとつ。そもそも僕がひとつのノートにすべての情報をまとめることを始めたのは、以前も何度か書いているが、大学2年の冬、クリスマス・プレゼントにローラー・ボールペンをもらったことがきっかけのひとつだった。ところが、モレスキンの紙だと、ローラーは裏に滲んで使えない。だから万年筆と油性ボールペンを使っている。普通は万年筆。本や新聞をメモを取りながら読む時にはボールペン。しかして、ブックノートはローラーで書いても滲まない。だから油性ボールペンの代わりにローラーが使える。

すべてを1冊にまとめるとはいっても、今では日々の買い物のメモはiPhoneのメモに書きこみ、買い終えたら消すようにしている。論文などを書くための読書メモも、メモはノートだけれども、引用などは直接PCのソフトに書きこんだりしている。だから以前に比べてノートの使用頻度は減った。それでも、まだまだ重宝しているのだ。年に数冊のペースでノートを使っている。

今、取り組んでいることのひとつはこれ:

『ドン・キホーテ』についての短めの(400字×10枚ばかりの)文章。

こういうのがいちばんむずかしい。これだけ長い本について、比較的短い文章を書くというのが。

そういうときには、まとまりや構成など考えず、ともかく、いくつか、紹介したい箇所についての文章を一段落ずつ書いてみる。今回も3つか4つのポイントについて文章(段落)を作ってみた。

そうしているうちに道筋が見えてくることもある。今回も少し見えて来た。ただし、作った段落のうちひとつだけが使えそうだ。他の3つは惜しみなく捨てる。今回は使わない。いつか使えるかも知れないけれども、気にせずに放置だ。

文章を書き慣れない者は往々にして書いたものを捨てたり書き換えたりすることに抵抗を感じる。これまでも何度か、削除や書き換えを頑なに拒む学生にほとほと参ったことがあった。

今日、FB上で、とある新聞社の写真部に勤める友人が他の友人に写真がうまくなるこつを伝授していた。そのひとつは「いっぱい撮ること」。数十枚撮ればそのうち1枚くらいはいいのができるかもしれない。――さすがはプロ。そういうことなのだ。僕らの目に触れるたった1枚の背後には、使われなかった数十枚数百枚の写真がある。

僕らが読む1ページの文章の背後には、捨てられたり変形されて原型を留めなくなったりした何十ページ何百ページもの文章がある。


そしてその背後に何ページものノートのメモがある。モレスキンが、ブックノートが。

2017年8月3日木曜日

満島ひかりの歌や島中響(とよ)まるる……

園子温『愛のむきだし』(2008)を見て以来(つまり、それ以前は良く知らないのだが)、満島ひかりのファンなのだ。顔も体つきも、その演技にも惹き付けられてならないのだが、最近つらつらと思うことは、誰かに惹き付けられる時にたいていそうであるように、僕は満島ひかりの声が好きなのだろうということ。

そんなわけで、満島ひかりの声を活かすために作られた映画を観に行ってきた。


いや、もちろん、島尾敏雄、ミホ夫妻への僕なりの興味があるのだが、ミホ役を満島がやるのだから、もはやどちらに対する興味に導かれたのかはわからないのだ。

映画『海辺の生と死』は島尾ミホの同名のエッセイ集と島尾敏雄「島の果て」が原作だと書いてある。「島の果て」は新潮文庫『出発は遂に訪れず』に収録された短篇だ。

島尾敏雄は特攻艇震洋の部隊を指揮するために加計呂麻島の呑ノ浦にやってきた海軍中尉。そこの国民学校で教師をしていたのがミホ。二人は恋に落ち、夜な夜な浜の突端を回ったところにある塩作り小屋で逢瀬を重ねる。結局、島尾敏雄に出撃命令は出ないまま戦争は終わる。

以上が、おそらく、事実のあらまし。敏雄はそれを「島の果て」という短篇に書き、さらに後年、ミホは『海辺の生と死』に収めたいくつかのエッセイでそのことを彼女の視点からの思い出として書いた。

敏雄の短篇はあくまでも創作で、加計呂麻島を「カゲロウ島」と呼び、自らを朔中尉、ミホのことをトエと名づけている。こうした命名と小説内のいくつかの台詞やエピソードなどを盛り込みながらも、基本的にミホの回想を基に脚色したのが今回の映画。

したがって、島尾文学のいかにも島尾らしい要素の一部は脱落することになる。「島の果て」ではトエは集落の出身の者ではないことがほのめかされ、教師ではなく「部落全体のおかげで毎日遊んでくらして行くことができました」と表現され、かなり謎めいた娘として提示される。

一方で、部下たちの統制に悩む文弱な将校ぶりは、ミホのエッセイからは見えてこない部分なのだが(ミホのエッセイでは島尾隊長のカリスマ的人望が印象づけられる)、映画は敏雄の短篇からそうした要素は取り込んでいる。

結果、凛とした小学校教師ミホの声が映画全編を通して響きわたることになる。敏雄の短篇よりも大人なミホが立ち上がる。朔は「島の果て」よりも少しだけ人望を集めることになり、その代わり、深く悩んでもいる。

トエことミホ、こと満島ひかりの声の響く映画は、島尾敏雄の短篇以上に多言語的でもある。トエが子供たちに歌って教える浜千鳥の歌は、「島の果て」ではわずか2行のみ(浜千鳥、千鳥よ/何故お前は泣きますか――〔ルビ:ぬが・うらや・なきゅる〕)なのだが、ミホのエッセイでは、終戦の前々日、島尾隊長を待ちながら歌ったことになっているこの歌は、こう記される。

チドリャ ハマチドリャ(ルビ: 千鳥 浜千鳥)
ヌガウラヤナキュル(ルビ:何故 お前は 泣き居る)
カナガ ウモカゲヌ(ルビ:君が 面影の)
タチドゥ ナキュル(ルビ:立つ故に 泣き居る)
(……)

という具合に一連まるごと再現されている。


そして映画では、最初の塩作り小屋での逢瀬の時に、これがまるごと、満島ひかりの声で歌われるのだ。(歌唱指導は朝崎郁恵。たぶん、一度、彼女自身の歌が映画内で流れている……と思う)

2017年7月27日木曜日

なぜだろう? 涙が出る

若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(KADOKAWA、2017)

タイトルに惹かれて手に取った。

まったくTVを見ないわけではないから、若林正恭が漫才師であることは知っている。彼らの漫才も見たことがある。あまり面白いとは思わなかったが、台本を書く若林は本好きでもあり、BSでは小説家たちとのトークショウも持っている(その成果が本にもなっている)こともかろうじて知っている。

僕の若林正恭に関する予備知識はその程度だ。若林正恭のキューバに関する予備知識より少しは多いと思う。若林は、ほとんど予備知識もなくキューバ行きを決意する。最初、旅行代理店で動機を尋ねられ、アメリカとの国交が回復したから、と適当に答えては、皆さんそう言う、と返される。しかし、しばらくしてから、家庭教師に新自由主義の概念を学び、自らの人生を振り返り、新自由主義に侵されていない社会に行きたくなったから、との動機を明かす。そして最後の最後に、本当の動機を明かすのだが、それはここでは書かないでおこう。泣いちゃうから。

ともかく、そんなわけで、さしたる予備知識もなく、バウチャーひとつで本当にホテルの予約ができたのかと不安に思いながらも、やっと取れたチケットを手に若林はハバナに向かう。

さて、新自由主義体制の浸透である種の疎外感を味わったことが冒頭に明かされて始まるのだが、それでも若林は芸人として、TVタレントとして言わば傍系とはいえ勝ち組に収まったのだな、と思えるのは、彼がハバナでガイドを頼んでいるからだ。僕はそんなものに頼って旅行したことはない。

でも、そのガイドの描写が面白い。初日に頼んだのはマルチネスという、流暢な日本語をしゃべるキューバ人。彼は案内すべき箇所についての説明は饒舌にこなすのだが、いったん、そうした場を離れると無口になってしまう。

「革命博物館まで何分ぐらいですか?」
「……15フングライ」
 また無言。
「暑いですね」
「……オヒルハモットアツクナル」
 それから革命博物館に着くまで二人はずっと無言だった。
 ぼくは気づいた。
「マルチネス、人見知りだわ」(65-66)

若林は、そういえば、『社会人大学人見知り学部 卒業見込み』という本を書いているのだった。人見知りは人見知りを知る。そして人見知りにやさしい。そんな人見知り芸人の人見知りガイドに対する心遣いが暖かい。人見知り読者としては何だかほっとする。日本のガイドブックを見せたら1cuc(兌換ペソ)と1センターボの写真キャプションが逆であることを教えられ、この間違いに気づかず、10cucをチップとして置いてきたことを笑い話として提供する。「それからマルチネスは気持がほぐれたのかよく喋るようになった。マルチネスが明るくなったから10cucも痛くないなと納得した」(91)。「公式レートでは現地の人の1ヶ月弱の収入にあたる」額をチップにしてしまったことを「痛くない」と感じるほどにマルチネスを明るくさせたかったのだから、やさしいのだ。あるいは、人を笑わせることを職業とするお笑い芸人のプロ意識が感じられるのだ。(一方で、やはり勝ち組なのだとも思う)

本書のタイトルは、カバーニャ要塞で野良犬を見て、著者が

 東京で見る、しっかりとリードにつながれた、毛がホワホワの、サングラスとファーで自分をごまかしているようなブスの飼い主に、甘えて尻尾を振っているような犬よりよっぽどかわいく見えた。(77)

と感想を抱くところから来ているのだろう。ハバナの観光地で抱く若林の感想は優れている。第1ゲバラ邸にゲバラの存在が感じられないとつぶやき、革命広場でカストロの5時間、10時間に及ぶ演説のことを考えて、そんな異常なことがあり得るのだろうかと疑問を抱く。そして「いろんな芸風の人を舞台袖で見てきたけど、芸人には元々声に力を持っている人とそうでない人がいる」、「ラッパーの方でもそうだ。声、リズム、そのものに快楽を呼び起こすものを持っている人がいる」、「カストロの声やリズムには、長時間人を惹き付ける力があったはずだ」、だから「カストロが10時間ラップで演説をして、それを聞きながら10万人の聴衆はサルサを踊る」(86)そんな光景を妄想する。こうしたコメントのひとつひとつがとても新鮮で面白い。

文章の工夫も唸らせるものがある。自身の話す挨拶程度のスペイン語は「オラ」「グラシアス」などとカタカナで表記し、キューバ人たちの話すスペイン語はHolaなどとアルファベットで記す。

冒頭の口絵はともかく、本文中に挿入される写真は白黒だが、苦労してどうにかバスに乗り、30分ほどかけて行ったサンタマリアのビーチにたどり着いた瞬間、その写真だけはカラーで示す。

 ぼくは思わず「ははははは!」と声を出して笑ってしまった。
 なんでだろう、めちゃくちゃ綺麗な海に辿り着けたことがおかしくて仕方なかった。(158)

うむ、読ませる。


(写真は読後行ったメキシコ料理店テピート@下北沢でいただいたうちわと共に)

2017年7月17日月曜日

文学を読み・書き・動いてきた。

昨日は現代文芸論研究室創立10周年記念シンポジウム「文学を読む・書く・動く」に出席してきた。出席というか、開催してきた。

まずは沼野充義、柴田元幸、野谷文昭の三氏による現文創設時の思い出。

次の第一セッション「文学を読む」の司会をした。パネルは福島伸洋さんとマイケル・エメリックさん。

福嶋さんはボブ・ディランの話から始め、詩は元来、音楽であったと文学史に話を広げ、孤独な黙読、韻のことなどを話した。マイケル・エメリックさんは、立命館に留学時代、日本語の本を集中して読んでいたが、ある日、ふとイェイツの詩を紐解いてみたところ、言葉が炸裂するような感覚を得たこと、感覚遮断によるそうした体験から、読まないことについて考え、たとえばまだ読めない子供たちの言語のあり方を紹介しつつ、自身の炸裂体験にも共通するある爆発を感じているはずの子供たちの経験に思いを巡らせた。

第二セッション「文学を語る」は阿部賢一さんの司会。平野啓一郎さんが子ども時分に作文にフィクションを書いていたこと、自身の「分人」という概念から創作する自己を語れば、千野帽子さんがそれを理論的に後付け、中核自己と自伝的自己について語った。

第三セッション「文学を動く」では司会の沼野充義さんが西成彦さん今福龍太さんそれぞれを紹介しながら2008年に出た二人の本のことを紹介、西さんは自身の足跡を語り、脱領域の知性(extraterritorial)が治外法権でもあることを説いた。今福さんは今年死んだ3人の作家のことを語った。

満員であった。(写真は沼野充義さんのFacebookから)


盛況であった。

2017年7月9日日曜日

地獄よりも暑い

7月5日(水)にはかねて予告のとおり、マドリード・コンプルテンセ大学の教授、ダマソ・ロペス=ガルシア博士に「ジェイムズ・ジョイスとフリオ・コルタサル」という題でご講演願った。ロペス=ガルシア博士は博学な人で、『ユリシーズ』と『石蹴り遊び』の似ている点、異なる点、意義の相同性などについて語った。

7月6日(木) メキシコ大使館にプラネータ社(出版社)のプロモーションのためのプレゼンテーションを聴きに。田村さと子さんや宇野和美さん、そしてきたむらさとしさんらの話を聴きに行った。

この日、大学で受け取ったのが、これ。

『文藝』秋号。ここに「戦後文学が読みたい」という1ページの文章を書いている。特集の一環だ。特集は堂々の読み応えだ。

7日(金)にはあるところに行ったのだが、その途中、公園に寄った。

鯉ってこうしてみると、意外に……

8日(土)は立教の口座。『ポーランドのボクサー』の表題作を読んだ。僕が気づかなかったある読みについての示唆をいただいた。皆さん、なかなか鋭いのである。


9日(日)溶けている。

2017年7月4日火曜日

補色

さて、赤を脱し、黒いケースにしたiPad mini (2) なわけだが、昨日、記事を投稿してからあることに気づいた。

iPad mini が見つからない。見失ってしまう! 

たぶん、黒だからみつからないのではないと思う。ずっと赤で認識してきたから、黒を見落としてしまうのだと思う。慣れれば、たぶん、大丈夫……?

ちょっと前にこんなノートを見つけた。渡邊製本謹製BOOK NOTE(リンク)

もう何度も書いているが、ふだんはMoleskineを使っている。

が、たまには気分転換したい。それに、以前書いたように、ノートの形状や色、形などとともにそこに書いた内容を記憶していることも多い。以前、ある本を読んでメモを取ったはずだが、とそれを思い出そうとすると、あ、そういえば、あのノートに書いたのだった、と思い出す。

そんなわけで、たまにはMoleskine以外のノートも使う。それで、今回はこれを注文したのだった。僕はどうも広告に弱いらしい。

が! 

その後、持ち物が赤ばかりなのにうんざりして、赤を脱出したのだった。それなのに赤いノートを注文しちまったぜ! 

……でも大丈夫。

補色の緑も買っておきました。次はこの緑を卸すことにしよう。

渡邊製本は今月5日(明日だ)からの世界文具・紙製品展に出品するそうで、それを記念して「粗品」をあげるとの手紙がついてきた。

「粗品」というのが、右に見える灰色の紙。買う前の本に挟まっているあのスリップの形状をしたメモパッド。


すてきだ。

2017年7月3日月曜日

赤と黒

選挙が終わった。

気づいたら身の回りに赤いものが増えていた。共産主義者じゃあるまいし。還暦までもまだ少しあるのに。

昨日のファイルケースも、それからメガネケースも赤。さすがにちょっと行き過ぎだ。

iPad miniの赤いケースがだいぶ黒ずみ、くたびれてきたので、黒いのに換えてみた。別にファシストになったわけではない。

売り場にはiPad mini4のケースばかりが並んでいたので、これはiPad mini2と共通なのかと訊ねたら、店の従業員は即座に、違います、と答えた。4の方が薄いんです、と。つまり、僕の持っているiPad mini 2 はこれよりも厚いのだと。で、片隅にあった以前のヴァージョン用のケースを教えてくれた。

うむ、「違います!」と答えたときの彼女の表情が何やら勝ち誇っているように見えたのは、僕のひがみ根性だろうか? 


そうか、iPad mini4 ってこれよりも薄いのか。だったらいっそのこと、iPad mini4を買っちゃおうか、てな気になるのが人情というものだが、さすがにそれはやめた。こうして僕のiPad が黒くなった。

2017年7月2日日曜日

日曜日には部屋を片づける

今日のポテトサラダはことのほかうまいのだ。

ひとつの地獄からもうひとつの地獄に移り住むだけのことが決定したこんな日に。

日曜日は気分転換に部屋の片付けをしてみた。少しスッキリした。誰かを家に招きたくなった。

そんな時に届いた荷物がこれ。

バッグ内のバッグとしても、あるいは手持ちでも使えるもので、ちょうどいい具合にPCが収まるものが欲しかった。鞄が革のもので、汗をかくと色落ちが心配なので、バックパックとして背負うことはせず、肩掛けで使っている。そうするとPCが重くてしかたない。肩掛けの鞄の際にPCなどを手持ちにできるものが欲しかったので、だいぶ前に、ファイルケースとともにいつものHERZに注文していたのだ。それが忘れたころにやって来た。


ポテトサラダを入れる弁当を持っていくのもあと2回。(つまりあと2週で授業が終わる)

2017年7月1日土曜日

告知2点


マドリード・コンプルテンセ大学のダマソ・ロペス=ガルシア先生による講演「ジョイスとコルタサル」。


現代文芸論研究室創立10周年記念シンポジウム。文学を読む、語る、動く。

ぜひ!

立教のラテンアメリカ講座、文学の授業ではエドゥアルド・ハルフォン『ポーランドのボクサー』松本健二訳(白水社、2016)を読んでいる。これが面白いのだ。

日本語版『ポーランドのボクサー』は同名の短編集、中篇『ピルエット』、同『修道院』のそれぞれ一部を編み直したもの。しかし、たとえば『ポーランドのボクサー』所収の「白い煙」と『修道院』とに連続性があるので、後者の第1章である「テルアビブは竈のような暑さだった」と「白い煙」を続けて読むと(日本語版『ポーランドのボクサー』はその順に配置されている)独自の面白みが生まれる。立教は公開講座でいろいろな人がいるので、反応も様々で面白い。


『ポーランドのボクサー』冒頭の「彼方の」についての話を中心に、上記シンポジウムでは話をしようかと思う。

写真はイメージ。@治一郎カフェ吉祥寺。

2017年6月17日土曜日

散歩で乱歩

立教大学にラテンアメリカ研究所というのがある。そこがラテンアメリカ講座という市民講座を開設している。その講座には文学の授業があって、今年、それを担当している。最初の3回くらい軽く講義のようなことをして、後は実際の本を読んでいる。

まずはジョシュ『バイクとユニコーン』見田悠子訳(東宣出版)の短篇を一篇ずつ読んできて、今日が最後の一篇だった。話すと長くなる理由から2番目に掲載されている「生ける海」が最後の1作。なかなか面白かった。

終わって向かい側の歩道(中高や五号館のあるところ)に渡って歩いていると、「乱歩邸公開中」とある。

熱心な読者でもないので致し方ないのだが、実は江戸川乱歩がこの近くに居を構えていたことは知らなかった。その住居が立教大学に譲渡され、大学の大衆文化研究センターの管轄下にある。通常の公開日でもないのだが、今日は特別に公開していたようだ。

見てきた。

応接間の隅にはライティングデスク。その前面にはブリタニカの百科事典が並べてあった。

土蔵は書庫。そういえば、以前、何かのTV番組でこの中にカメラが入ったのだった。みたことがある。整然とした書庫は羨ましい。

この蔵全体が書庫なのだ。

びわもなっている。

枯れているものの池であることは間違いない。


で、帰宅後、エドガー・アラン・ポーなど読んで過ごしている。来週の授業に関係する事柄だ。

2017年6月15日木曜日

Id est...

つまり(……昨日の続き。『笑う故郷』のダニエル・マントバーニが1976年に故郷を出てバルセローナに渡ったらしいということは)、ダニエルは政治亡命者かもしれないということだ。故郷も石もて追われた身かもしれないということ。彼は自身の小説の題材としては一貫して故郷のことを選んでいる。映画内で紹介される作品のストーリーを見るに、田舎の閉塞性やそのように閉塞した社会で起きた凄惨な事件などを扱っているらしい。それは故郷にとっては不名誉な事件であり、それを暴くダニエルは不名誉な存在であるだろう。

その不名誉市民ダニエルが、今、ノーベル文学賞という、いかにもわかりやすい、大衆的な名誉へと変換した。故郷の町サラスは、実はダニエルが自分たちにとって不名誉であり得るということを知ってか知らずか、彼に名誉市民の称号を与えたのだ。

逡巡の末にダニエルが帰郷を決意したのは、あるいは昔の恋人イレーネが忘れられないからかもしれない。ダニエルは独身だとされるが、彼は彼女を思い、結婚してこなかったのかもしれない。そう考えるのがドラマティックでありロマン的(小説的)でありロマンティックだ。彼女と別れねばならなかったということは、ダニエルの出国が不可抗力によるものであったことを示唆しているようだ。ダニエルが亡命者だとの解釈を強化する要素だ。

1976年の軍事独裁政権による人権弾圧(いわゆる「汚い戦争」)や、それに先んじるペロンらのポピュリズムによって国を出たアルゼンチン人頭脳は少なくない。エルネスト・ラクラウやワルテル・ミニョーロ、ミゲル・ベナサヤグらのように、他言語(英語やフランス語)で執筆する(した)知識人もいる。亡命者1・5世のラウラ・アルコーバもフランス語で書いている。彼らは国の体制には必ずしも都合の良くないことも書く。不名誉市民だ。と同時にアルゼンチンという国を世界に知らしめもする。名誉市民だ。ダニエルはそうした(不)名誉市民のひとりなのだ。

今日、9月15日、共謀罪法案が参議院で可決され、成立した。これからこの国でも人権弾圧が始まるだろう。そして頭脳が流出するだろう。

そういえばこの国は「グローバル人材」などという不思議な言葉を造り、若い連中を外に出て働かせたがっているのだった。簡単な話だ。人権弾圧すれば若い優秀な人材(頭脳)は外国に出て行く。彼らは日本にとっての不名誉を、その逃亡先で描き続けるだろう。日本にとっての不名誉市民となるだろう。そのことによって日本の知名度は高まる。日本に名誉をもたらす。不名誉という名誉を。実にこの政府は首尾一貫している。


『笑う故郷』は、おそらく、こうした背景のある映画として、40年後、50年後の日本を扱った映画として見られるべきなのかもしれない。

2017年6月14日水曜日

昨日の予告どおり見てきた


試写に呼んでいただいたのだ。去年の東京国際映画祭で『名誉市民』(これが原題の直訳)のタイトルで上映されたもの。

アルゼンチンで初のノーベル賞受賞作家ダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)はバルセローナに在住だが、もう40年ばかりも戻っていない故郷の町サラスから、特別講義と名誉市民の称号授与などのために5日ほど帰郷しないかとのオファーをもらう。最初は断ったけれども、思い直して受けることにした。

そして始まる歓迎の日々。

僕はノーベル文学賞はもらっていない。いや、賞と名のつくものをもらったことはない。もらうほどの業績はない。しかし、それでも文章を書いたり訳したり、講義したりして過ごしているし、結果、周囲には名誉と思われるもの(職)を得てもいる。そして僕はサラス以上の田舎の出身だ。そんな僕には、そんな僕でも、田舎の人たちとの齟齬は身につまされることばかりだ。

こちらの仕事のことなどまったく興味はなくとも、その大袈裟な肩書きのために集まって来る者、あまつさえこちらの意識とは遠く離れた問題についての話を持ちかけてくる者、 こちらの仕事とは無関係に幼馴染みであるために仲良くしてくる者、そしてたまにはこちらの仕事を理解し、読んでくれている者(僕の場合は、これはほとんどいない)や思い入れを込めて読んでくれている者(ますます僕にはいない)……

加えてかつての恋人(アンドレア・フリヘリオ演じるイレーネ)がいて、その彼女を妻とした友人(ダディ・ブリエバのアントニオ)がいて、その友人が、いかにもなマッチョで……などという、僕自身は身につまされないけれども、話の流れとしてはよくわかる要素もふんだん。

これを深刻な物語に作り上げれば、知識人の苦悩の話になる。彼らの多くは自らの出自との齟齬に苦しむものだからだ(おまえは歌うな/おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな……)。しかし、ダニエルのノーベル賞スピーチのシーンから始まってどこかユーモラスだから救われる。


ユーモラスではあっても、背景を考えると、考えさせられる。ダニエルが故郷に帰るのは40年ぶりだ。この映画は2016年の作品。2016年の40年前は1976年。軍事独裁が始まり、「汚い戦争」と呼ばれる人権弾圧の始まった年だ。

2017年6月13日火曜日

目の疲れは映画で癒す……? 

ここ一週間ばかり目がひどく疲れる。視力が落ちようとしているのだ。この場合の視力の低下とは、近視が進むのではなく、遠視がひどくなること。

こんなに目が疲れるのは、神経か精神が、あるいはその両方が参っているのだろう。過去、だいたいそうだった。

6月3日(土)4日(日)は日本ラテンアメリカ学会大会で、僕は4日午後のシンポジウム「キューバ再考」でディスカッサント役を務めた。なかなかの盛況であった……と思う。

そこである人に紹介され、その人と後日、会うことになったのだが、これが一種の神経戦で、それでだいぶ摩耗してしまったようだ。こういう人物への対処を僕はもっと考えなければならないようだ。

おかげで一週間ばかり無駄に過ごすことになる。

金曜日には東京外国語大学でのイベントでトマス・グティエレス・アレア『低開発の記憶』を見た。

昨日、12日の月曜日にはパブロ・ラライン『ネルーダ』を再び見た。今度は字幕つきで。

たぶん、明日も映画の試写に行く。


目は恐ろしく疲れている。映画を見てもPCのモニタを見ても、本を読んでも、空を眺めても目は疲れるばかりだ。

2017年6月1日木曜日

自分ひとりの部屋

何日か前に平凡社のツイッターがヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社ライブラリー)の増刷を伝えていた。

ある授業でこの一部をコピーして読んでくるように言ったら、結構な割合の学生が1冊まるごと持ってきていた。持ってきていたのは、割合ではかなりだとはいっても、数にすれば5人くらいではあるのだが、わずかとはいえ増刷に貢献した気分。

『自分ひとりの部屋』は年収五百ポンドと鍵のかかる部屋、という条件や、もしシェイクスピアに妹がいたらという話とで語られるフェミニスト的テクストだし、英文学からいかに女性が排除されてきたかというその批評の舌鋒も鋭い。けれども、自らの「自分ひとりの部屋」を想定してそこにある本を順番に取り出しながら批評を展開するというその構成もなかなか面白いのだ。書斎を自らの脳の延長という意味でのメディアにしている。有機的な「自分ひとりの部屋」なのだ。

これがぼくの「自分ひとりの部屋」。あまり有機的メディアとは言えない。

これを僕はスペイン語風に「肘掛け椅子」butacaと呼ぶのだが、一般的にはワンシーターのソファと呼ばれているらしい。立って書き仕事する合間にここに座って本を読むとなかなか読書が進む。

この週末に日本ラテンアメリカ学会の大会が東大の駒場キャンパスであり、その実行委員でもある僕は最終日6月4日(日)の締めのシンポジウム「キューバ再考」のディスカッサントとして参加することになっている。そのシンポジウムのパネルの著書や論文などを近頃は読んでいた。

たとえば:

田沼幸子『革命キューバの民族誌――非常な日常を生きる人々』(人文書院、2014)

冷戦終結・ソ連崩壊後の経済危機の時代(「平和時の非常期間」)のキューバの人々をダブルバインドと理解し、その状況を打開するかのようなアイロニーを「ポスト・ユートピアのアイロニー」と呼ぶ。外に出ていく移民たちは太田心平のいわゆる「絶望移民」と捉え、実は「新しい人間」だった彼らのセンティメントを、自らの映画『キューバ・センチメンタル』では撮りたかったのだと説明する。

学会では彼女のこの映画を始めとして何本かの映画も上映される。楽しみ。

ところで、ダブルバインドって、近年の日本の体制順応派もそうだな、などと思う。「日本を悪く言ってはならない」/「○○は日本の国益を損ねているという(まともな)批判に耳を貸してはならない」(○○に入るのは、何でもいい。変数だ。ABでもUSAでも……)という相矛盾する否定命令の間に追い詰められ、そこから抜け出してはならないとされる。


ダブルバインドという用語を提示したグレゴリー・ベイトソンによれば、この状況はスキゾフレニーを引き起こす。

2017年5月22日月曜日

何が「縮小経済を生きる」だ!

と、表題のようにツッコミを入れてみる(アイロニー)。

1985年以来、日記や備忘録、授業のノート、読書ノート等々、あらゆることを1冊のノートで済ませてきたのは、きっかけがあってのこと。ひとつはサルトルの戦中日記『奇妙な戦争』を読んだこと。あんなふうにノートを取ろう思ったのだ。2つ目がクリスマス・プレゼントにローラー(水性ボールペン)をもらったこと。

で、そのうち使うのは万年筆が主になり、ノートはモレスキンのものが主になった。が、モレスキンはローラーだと裏染みが多い。ふだんは万年筆なのだが、キャップを開けたまま放っておけるボールペンは読書メモなどには便利だからボールペンを使いたいところ。そんなわけで最近は油性ボールペンも使うようになった。

そして最近手に入れたボールペンが、これ。三菱のジェットストリームの芯を利用する、とある軸だけを作るメーカーの逸品。



しばらく前から、しかも、ノートはブルーブラック(万年筆)や青(ボールペン)のインクで書くことにしている。黒いインクに比べ、格段に読みやすいのだ。そして、気づいたことは、このジェットストリームの青が少し濃い目で、なかなかいい色だということ。

どうだ!

それから、これ。

コンヴァースのジャック・パーセル。

僕は学生の頃からこの靴を、一足履きつぶすと買い換えて、というようにして、ほぼ絶え間なく持っている。しばらく白のものを履いていたのだが、ソールに穴が開いているのを発見したので、今回、久しぶりにネイヴィーのものを買ってみた。

以前、NHKのラジオ番組「英語で読む村上春樹」で、ある短篇内で語り手がテニス・シューズを履いた、という描写を捉え、当時解説を務めていた小澤英実さんが、このジャック・パーセルなど、テニス・シューズの流行りのことを書いていた。で、その番組にゲストとして呼ばれた時に、それを履いていこうかと思っていたのだが、当日、失念してしまった。

……まあ、どうでもいい話。


ともかく、これからこれを履いて出かけるのであった。

2017年5月21日日曜日

「勉強とは、自己破壊である」とギャル男風哲学者は言った

こんな催し(リンク)をやるから現代文芸論の学生にも告知してくれと頼まれ、快諾し、ついでに、僕も読んで、行けるようだったら行く、と言った手前、読んだのだった。

千葉雅也『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋、2017)

一応、大学生向けに本当に勉強の仕方を説く体裁ではあるものの、巻末の「補論」にドゥルーズ/ガタリの「器官なき身体」論やマゾッホ論などの、いかにもドゥルージアン的前提を披露して手の内を明かしている。これは、逆に言うと、ワンステップ上の上級者学生に向けての示唆ということだろうか。

けれども、この本の最大のインパクトは「勉強とは、自己破壊である」という冒頭のテーゼによって言語を媒介として自己を、環境を解放する知的マゾヒストの快感を伝えているところだろうか。さらにはアイロニーとユーモアをツッコミとボケという、すっかり一般化したお笑い芸用語でたとえ、アイロニーからユーモアへの折り返しを推奨する。それを中断、有限化によってしめる論法はオーソドックスなようでいて、他のいくつかのテーゼがいちいち刺激的に響くのだから面白い。「難しい本を読むのが難しいのは、無理に納得しようと思って読むからである」とか、「アイデアを出すために書く。アイデアができてから書くのではない」とか。

ノートのとり方や本の読み方、「ある概念や考え方が「誰のどの文献によれば」なのかを意識し、すぐ言えるように心がけてください」などのプラクティカルな指南を含むのだが、なんだか画期的に見えるから不思議だ。

一緒に買ったのは、

松崎久純『大学生のための速読法――読むことのつらさから解放される』(慶應義塾大学出版会、2017)

こうしたものを買ってみるのも、ひとえに学生にむけて論文や本の読み方、書き方などをどう伝えればいいか、との思いからだ。

「プレビュー」「オーバービュー」「スキミング1」「同2」「スピードリーディング」「レビュー」の6段階で本の内容を把握する仕方を説く本ではあるが、こうした「速読」の指南書がことごとく速読できちゃうのはなぜだろう? 答えは、この本の中に書いてある。いや、すべての読書指南書の中に書いてある。それはまた勉強法の本にも書いてある。問題はそれを「スキミング1、2」と呼ぶか、「スキャニングとスキミング」と呼ぶか、「α読みとβ読み」と呼ぶかの違いだ(少しずつずれているけど)。


僕としては、読書の(学術的)指南書は

アドラー&ドーレン『本を読む本』外山滋比古、槇未知子訳(講談社学術文庫、1997)

にとどめを刺すかな、と思うのだが。どうだろう? 

2017年5月19日金曜日

すてきなひと言:「来ました」

いとうせいこう『どんぶらこ』(河出書房新社、2017)

これの書評をあるところに書いた。原稿は今し方送付したばかりなので、まだ読めない。

書評というのは常にそうしたものだが、分量が短い、この小説についてはもっと言いたいぞと思うことしばしばであった。

肝心の書評が活字になるのはまだ先の話なので、あまり本質的なことは書けない。重複のないように、でも言えなかったことを言うにはどうすればいいか? 

僕はメモ(カード)を取っていたのだった。で、ともかく、まったく書評に使わなかったカードの中から、いくつか面白いものをあげておこう。引用とその説明だけだ。ここから作品の面白さを想像していただきたい。

1) 書誌情報
いとうせいこう 2017:『どんぶらこ』(河出書房新社) 研究室蔵
「どんぶらこ」7-90  初出:『文藝』2016年春号
「蛾」91-158     初出:『三田文学』2014年春季号
「犬小屋」159-234   初出:『三田文学』2014年夏季号
 掲載順に注意。冒頭の「どんぶらこ」が最後に書かれている。


2) 自殺を看取る
 這って移動してきた母は、救急車を呼べと私のすねを叩いたが、私は(自殺した父が:引用者注)しっかり死んでからだと思った。もし中途半端に生き延びてしまったら、私たち全員の明日がないのだった。三人とも生活保護を受けることは確実で、それは近所の手前、絶対あってはならないことだった。なんとかそこを食い止めるためにこそ、私はアルバイトに追われていた。父もそのために縄をなったはずだった。(72


3) 不老不死
「Sちゃん」の父。「自分が不老不死かと思うぞやい。不老不死ちゅっても衰えちまって動けねえで点滴の針を腕に入れられてベッドへ横になって、トイレへ生きたくても動くと怒られて磔にあったようでどうしようもねえだよ。(86
 (略)こんな不老不死なら要らねえさ、俺は要らねえだよ、Sちゃん、人間は簡単に絶滅出来ねえだぞ、苦しみの時間は長(ルビ:なげ)えで、お前一代の言葉なんかじゃ届かねえほどあるで、ほいで、そのうちお前も必ずこうなるだでな、(略 86)これはお前だで。(87
 この逆説! 

4) 魂の永続
 作業場での会話の前日。お盆でその地方の習慣に従い、藁束を燃やしながらゲント伯父が言ったこと。
「(略)将来Sちゃに息子でも娘でも出来りゃあ、ここへ帰(ルビ:けえ)って来てもれえてえだが。あめさんの孫にもひ孫にも、生まれてこねえ子供にだって帰って来てもらいてえと俺は思う」
「生まれてこなくても?」
「そりゃそうせ。血はつながってるだで。伯父さんの焚いた火を見て、うちへもう来てるかもしれねえぞやい。Sちゃのずっとあとのホトケサマが、ぞろぞろと」(152 太字下線は原文の傍点)

5) 来ました
 トランスジェンダーの美術家サナさんが「私」とともに「私」の母方の伯母の戦死した夫の名が刻まれた戦没者の碑の前で言ったすてきなひと言。
そして事情を知りもしないのに、来ましたよと言った。空の上にカモメのような白い鳥が飛んでいた。私はサナさんを真似て座り込み、両肘をアスファルトにつけて胸の前で十字を切った。来ましたよ、と私も心の中で言った。だからなんだ、今頃になってと遠くから責められれば答えようはなかった。目を閉じた。鳥が悲鳴のような声をあげる中、風がゆるやかに吹いていた。(136


どうだい? 面白そうだろう?

読もうよ。

2017年5月18日木曜日

ガエルが国境の砂漠に迷うのは二度目だ


米僕国境で不法入国したグループが、合衆国人で、そうした入国者を殺すことに喜びを感じて銃殺しまくるサム(ジェフリー・ディーン・モーガン)の魔手からひたすら逃げる話。こうしたサヴァイヴァルもののお決まりのパターンを踏襲し、遅れを取った者が助かり、助かった者の中からひとり、またひとりと脱落していくという内容なのだが、ソノラ砂漠だかチワワ砂漠だかのヒリヒリとする環境の中でチェイスが繰り広げられると、否応なしに手に汗を握ることになる。

最後の対決の処理は、僕は好きだ。


このエントリーのタイトルの意味は、ゴンサレス=イニャリトゥの『バベル』のこと。『ネルーダ』では雪原に消えたのだったが。

2017年5月9日火曜日

おふざけはどこまで許されるか? 

まあともかく、こんなふうに(リンク)『方法異説』の翻訳の悪さに腹を立てているわけだが、今回は、そうではなくて(相変わらず手抜きは感じられるものの、僕だって何かを悪し様にばかり言うのはつらい)、純粋におかしいと思った箇所。「おかしい」というのは、「怪しい」の意味ではなく、「可笑しい」、つまり笑ってしまった例だ。

竜巻による突風――地元民の言う「ヒラヒラ」――(56)

という表現があった。僕の語感では「ヒラヒラ」は突風を表現するにしてはのどかだ。いったい、何の訳語だろう? 確かめた。

la ventolera de tromba --la "gira-gira" como decían los lugareños-- 

「ヒラヒラ」に相当するのは "gira-gira" だ。giraは動詞girarの現在形・三人称単数の活用。もしくは二人称に対する命令形。girarは「曲がる」とか「回る」の意味なので、きっと竜巻trombaを表す俗語だろう。僕なら「ぐるんぐるん」とか「回れ回れ」とでも訳すだろうか? 

しかして、この "gira-gira" 、スペイン語に即して音表記するなら、「ヒラヒラ」だ。つまり、音が同一だといっておふざけで「ヒラヒラ」としているのだ。

これに賛同する気はさらさらないが、かといって批判したり否定したりする気もない。ただ笑っただけだ。そして考えさせられた。

僕はかつてこの種の悪ふざけを試みたことがある。

スペイン語の敬称にDonというのがある。「ドン」。男性の個人名につける敬称だ。ドン・フアンやらドン・キホーテの「ドン」。

ドン・フアンやドン・キホーテはもうほとんど「ドン」とセットで認識されているので、いまさら変えるつもりはないが、僕はできるだけこの「ドン」を「ドン」と表記したくない。たとえば、Don Joaquín を「ドン・ホアキン」と書きたくない。大抵は「ホアキンさん」などと書く。

一度、ある小説を訳しているとき、ちょっとふざけた文章で出てきたDon Joaquínを「ホアキンどん」と訳してみた。「どん」だ。西郷どん(「せごどん」と読め)の「どん」。「どの」が撥音便化した「どん」。

編集者には即座に却下された。

僕としてもどれくらいの悪ふざけが通用するか試したかったという程度で、固執する気もなかったので、「へい。わかりやした。「ホアキンさん」で行きます」となったわけだが。

たとえば、メキシコにhuaracheというものがある。先住民由来のサンダルだ。他の国にはない単語だ。読みは「ワラッチェ」「ワラーチェ」「ワラチェ」等々。きっと僕はこれが出てきたら「わらじ」と訳してしまうと思う(そして編集者との攻防が……?)。

幸い、僕はまだhuaracheの出てくる本を訳したことはない。


さて、僕は問いかけたいのだ。音が同一で、意味は少しずれるかもしれない語を、音に合わせてさも日本語の単語のように表記することは、どこまで許されるのだろうか? 

(追記:書き終えてずっと経ってから思いついたこと。あ、そうか、「ヒラヒラ」って日本語のオノマトペでなく、"gira-gira" の音だけを転記した、外来語(?)としての表記だったのだろうか? だとしたら、以上の話はまったくの無駄になる。そして、もしそうだとしたら、この部分の訳は、やはり良くないと僕は言いたい。でもなあ、僕はともかく、これを読んだ時、「ヒラヒラ」は日本語だと思ったのだよ……)

2017年5月8日月曜日

映画は黄金週間後に

以前書いたような理由(リンク)から、月曜日は『方法異説』の細部をあまりにもないがしろにした手抜き翻訳に腹を立てることになる。

今日もだんだん腹が立ってきたので、頭を冷やすために映画に行ってきた。


ニューヨークからハリウッドにやって来たボブ(ジェシー・アイゼンバーグ)が、叔父で大物エージェントのフィル(スティーヴ・カレル)の下で働き始める。秘書のヴォニーことヴェロニカ(クリステン・スチュワート)に街を案内してもらったことから恋に落ちるが、ヴェロニカには恋人がいる。その相手というのは、実はフィル。フィルは一旦は離婚を決意しながら、やはり踏み切れずに別離。ヴォニーはボブとつき合うことに。が、フィルがやはり離婚し、ボブにも関係が知られてしまったヴォニーは結局、フィルを選ぶ。

傷心のままニューヨークに戻り、ギャングの兄ベン(コリー・ストール)が始めたナイトクラブに勤め、今やオーナーとなったボブは同名の別のヴェロニカ(ブレイク・ライヴリー)と知り合って結婚、子どもまで儲ける。そこにフィルがヴォニーを連れて商用でやって来る……

もっとも泣けるのは、ヴォニーがボブの妻が自分と同名だと知ったときに、小声で「すてき」と呟いたことだ。

ウディ・アレンの登場人物たちは実に簡単に恋に落ち、軽はずみに恋を失う。そしてずっとそのことを後悔して生きる。同じ後悔を、仮にも昔愛した相手が分かち合っているのだと気づくのが、同名というサイン。後悔を分かち合うということが愛の永続を保証していると言いたげに、恋人たちは微笑むのだ。

クリステン・スチュワートは美しい。いつものアレン映画のヒロイン同様、決して僕の好みではない(少なくとも、気にしたことのない相手)のに、実に魅力的に見え、恋に落ちそうになるから不思議だ。他のウディ・アレンの作品にも通じることだけれども、派手なアクションもセクシーな濡れ場もなく、そんなものがなくとも、たとえばセントラル・バークの池にかかる橋の上や砂浜の岩陰でのキスシーンひとつが、充分に官能的でスペクタキュラーであるということを証明してくれる映画。

帰宅後、Apple Musicで映画のサントラを聴きながらこれを書いている。

ちなみに、café societyは『ランダムハウス』の定義によれば「上流階級の人が集まるナイトクラブなどの常連」の意味なのだそうだ。


ニューヨークの、ヤンキーの上流階級は、カルペンティエールによれば、どんなに気取っていても何だか似合わない奇妙な、おかしな存在なのだそうだが。

2017年5月6日土曜日

読むことの困難

立教大学のラテンアメリカ講座というところで文学の授業を持っている。土曜日だ。今日はまだ連休という人もいようが、授業があったので行ってきた。

昨日(日付の上からは今日、未明)書いたように、大学の授業料は(少なくとも国立大は)無料であるべきだと思う。大学なんて無料にして、一律18歳ではなく、何歳からでも学べるようになればいいと思う。今でも何歳からでも学べるには学べるし、ひところに比べて引退した人や子育てを終えた人なんかが学び直すという例は増えているとは思うが、それがもっともっと当たり前になればいいのだと思う。文学部など、大人なくらいがちょうどいい。

さて、大人でもなかなかクリアできないことがある。読むことの難しさだ。とりわけ、小説の冒頭を読む難しさ。

昨夜、こんな記事をツイッターで紹介した。


同意して笑ったり、これは自分だ、と言ったり、逆に、俺は最初からのめり込むからこんな気持はわからない、と言ったり、……様々な反応があった。

すべての小説(中には冒頭に世界を構築せず、読み手に負荷を与えないものもあるが、そうではなく、冒頭でまず濃密な世界構築を行うタイプの小説)に最初からのめり込むことができる人は幸いだ。僕も多くは読むのに抵抗を感じない方だとは思うけれども、それでも引っかかってなかなか先に進むことのできない小説というのがある。そんなものに出会ったとき、人はどうすればいいのか?

とりあえず、読むのをやめる。一時的か、それとも永久に。

それもひとつの手だ。単なる趣味の読書ならそれもよかろう。相性が合わないとか、今は読むべき時ではない、と考えるのだ。が、義務として(学校の課題や仕事で)読まなければならない小説というのがある。僕など、最近はそんなものが多い。そういうときには、では、どうすればいいのか? たぶん、対処法はふたつ。

1) 深く考えず、ただただ先を読み進む。

2) メモをとる。

1)の場合でも、読み進むうちに思い出すべきときがくれば、意識化されていなかった情報が引きずり出されて思い出されるものだ。だから、全然気にすることなく、読み進めよ……以前はそう思っていたのだが、近年は世界へのアタッチメントを失いつつあるのか、なかなか思い出せないことがある。その場合には読み返す(一度、もしくは何度も)ことを覚悟していればいい。あるいは何かわからないことがたくさん残ることになっても気にしない、という態度でいれば。

2)の場合、何でもいい。人の名でも地名でも一般名詞でもわからない漢字でも。ともかく、充分なスペースを空けて書いておく。メモ帳の1枚に1項目というのでもいい。書いておくのだ。読み進むうちにその語についての新たな情報が加わる(ことがある)。そしたらその語の横にまたメモしておけばいい。やがて、重要な語や名前には情報がどんどん付加され、ついには小説が描いている仕方とは異なる仕方で世界が現れてくる。だから、できればこのやり方を勧める。

しかし、小説というのは他の書物と違って読むのに時間がかかるものだ。いつもメモが取れる状態で読むとは限らない。電車のなかで立ったまま読むかもしれない。電車を降りてゆったりとお茶でも飲みながら読むこともあるかもしれない。だから現実には1)と2)の混合で臨むことが多いのだろう。

伊藤聡さんがかつて、ご自身のツイッターで、15分ずつ区切って本を読むのだと書いていた。タイマーで計って15分。集中して読んだら、あらすじなどをメモするのだと。そういう形態もいいかもしれない。だから、電車の中で読むときは、とりあえず、15分読む。そして、しばらく頭の中でメモを取るシミュレーションをする。読んだことよりも自分が書こうとしたことは忘れないから、電車を降りてから、それをメモに書き写す。そういう手もいいかもしれない。

電車に15分乗っていればの話。

でも、本当に読みづらさを解消するのは、次の方法なのだ。

3) 外国語で読む。

外国語だと読みづらさを自分の言語能力の低さのせいにできる。それを克服しようと様々な努力をする。辞書を引いたり、読み返してみたり……


僕もこれまで、どれだけ相性が合わないかもしれない小説をスペイン語(や英語やフランス語、等々)で読むことによって困難を克服して読み終えることができたか……

腹立つことのみ多かりき

ABの馬鹿めが赤ら顔で(連休で浮かれて飲んだ後なのだろう)、9条に自衛隊を明記するだの、教育を無償化するだのと打ち上げたものだから、腹が立って、こんなツイートをした。


連休を利用して兄夫婦を訪れていた母と会ったばかりなので、記憶が上書きされ、僕の立腹の度合いはますます大きいのだ。

もうあちこちで書いたかもしれないが、わが家は貧しかった。生まれた時に父はなく、母ひとり祖母ひとり、子ふたりの家庭は、幸い持ち家だったから雨露はしのげたけれども、大島紬の織工では大した金も稼げない。母はだいぶ熟練の織工で、超人的な生産力を誇ったけれども(朝8時前から夜8時過ぎまで働いてのこと)、それでも大した収入にはならない。子供たちふたり(ひとりは、つまり僕だが)は、地域的特性から、高校に上がると家を出て下宿したり学校の寮に入ったりする人生を辿った。大学ならばなおのこと、家から通えるはずもない。これはある種、避けられない条件だ。そうした条件下でその子供ふたりを高校に、大学にやるのは、かなりきつい。

僕は高校から大学院博士課程まで、日本育英会(当時)の奨学金を借りた(借りたのだ。もらったのではない。つまり、語の厳密な定義から言えば奨学金ではない。ローンだ。手続き上の問題で返還免除は半分は得られなかったから、ますます、これはローンだった)。そして、高校から大学院博士課程まで入学金と授業料の免除を受けていた(院入試に失敗して4年を2回繰り返したその2回目だけは例外。月額分納だった)。全額免除が受けられるほどにわが家は貧しかったのだ。

授業料免除のような特権が得られてもなお、生活は苦しかった。奨学金は、大学の学部で21,000だっただろうか? 家賃が17,000円だったから、これを払うと僅かな額しか残らない。家から多額に送ってもらえるわけではないので、バイト三昧だった。自身の生活を悲惨だとか辛いとか考えたことはないけれども、いや、むしろ大学時代は楽しかったけれども、常に腹は減っていたし、欠乏感を拭い去ることはできなかった。

今、大学の授業料は僕のころの2倍くらいになっている。学生向けの下宿といえども17,000円なんてのはめったにあるまい。貸与であるとしても奨学金は家賃を払ってなお少しでも余るほどの額があるのか? 教師として務めて得た情報から判断するに、授業料も全額免除を得られほどの学生はそんなに多くはない。半額免除ですら必要としている人に比べれば足りない。「経済的理由」から休学したり退学したりする学生は、教授会のたびに複数、承認されている。僕ほどの底辺の底辺の貧困層でなくても、国立大学は、国立大学ですら、通うのに金がかかる、貧しい層には近づきがたい存在だ。

学生たちの経済状況の実態をきちんと調査しさえすれば、加えて、経済的理由から進学を断念する高校生の実態も調査すれば、この国の大学は学生の確保の面でも危機に瀕していることは明らかになるだろう。職業訓練だのグローバル人材だのと寝ぼけたことを言う前に、憲法に保障された教育を受ける権利を国民に享受してもらうために、無償で高等教育を受けられるようにするのが筋というものだ。


必修の単位すら取得していないはずなのに大学を卒業したとかいうABの馬鹿めには、しかし、わからない道理なのだろうか? 自分の提案がある種の人々に対する侮辱であることなど気づきもしないのだろうか? 

2017年5月1日月曜日

断髪の恐怖

昨日、ツイッターの「トレンド」欄(画面左側のコラムに今ツイッター上で盛んに書かれている単語が表示される。それが、「トレンド」)に「地毛証明書」というのがあったから、きっとカツラ狩り(これはこれでひどい)に対抗する手段か何かかと思っていたら、今朝の新聞によれば、高校の生活指導だとのこと。都立高校の6割が、天然パーマや髪の色の薄い生徒に提出させているのだそうだ。都立高校だ。とんでもないことだ。

それで思い出したのが中学の丸刈り規則問題。Wikipediaによれば、ごく最近まで存在していたのだ。

中学の丸刈り規則問題というのは、日本の少なからぬ地方の公立中学などで、男子は丸刈りとすることという規則を設けたり、それを推奨するとした方針を打ち出したり、あるいは明文化せずとも、そんな規則が存在するかのように、当然のごとく生徒に丸刈りを強いていたという問題。僕が中学に入ったのは1976年で、そのころは、明文化されていたかいなか、校則なのか「推奨」なのかを問わず、実質、鹿児島県の公立中学の男子生徒はほぼすべてが丸刈りだった。

大学に入ったころに、この中学生の丸刈り問題が全国的に話題になったことがあったと記憶する。鹿児島県だけではなかったのだと感心した記憶がある。そして、あくまでもWikipedia によれば、2000年代にも男子は坊主頭とするところは存続していて、やっと13年ころに、どうやらなくなったらしい。

本当だろうか? 僕が先日実家に帰ったときには、小学生たちの中に、特に高学年の子に坊主頭の子がいた。彼らは来たるべき中学入学に備えて、今から頭を丸めて準備しているのではないのか? 40年ばかり前の僕のように……?

奄美地方は特に最後まで丸刈り規則が撤廃されなかった地域だというから、心配だ。

40年ばかり前、僕もある日、ふと思い立って、坊主頭にしたのだ。「思い立って」というのは衝動的にという程度の意味だ。そこに自発性はあまりない。もう2、3年すれば中学に入ることになる、中学に入ると坊主頭にしなければならない、今からそれに備えていた方がいいのじゃないか、というプレッシャーのようなものが常に僕の頭の中にはあった。そのプレッシャーに屈したのだ。

生まれついて髪は柔らかく少なめな方だった。それに少し縮れている。ある長さになると途端に、ほんの僅かではあるが、ウェーヴがかかる。あまり美しい髪型はできそうにない。伸びるのも遅い。そういうあきらめのようなものは10歳のころにはある程度あった。事実、大人になってからも僕はあまり髪を長く伸ばしたことはない。人生で一番長かったのは、おそらく博士課程のころの数年間で、当時はオールバックにしてそれを固めるでなく、自然に左右に崩れ落ちるに任せていた(そういう髪型、何か呼び名があっただろうか? どうも記憶にない)。わずか2、3年の間のことだ。そういう写真が残っている。

しかし、40を過ぎたあたりからは、だいぶ薄くなってきたこともあって、坊主頭が少し伸びた、といった程度だ。長い目で見れば、坊主頭かそうでないかは、大した問題ではない。

しかし、それでも、自ら思い立って髪を丸めた日のことは忘れられない。僕はその日、これは夢に違いない、夢であってくれ、明日にはまた、髪を切る前の僕に戻っていてくれと願いながら就寝した。翌朝、起きてみると、髪は丸まったままだ。鏡を見ながら、この時間は、この人生は夢に違いない、夢であってくれ、と願い続けた。

そしてそれから40年ばかり、僕はずっと、自分の目の前で起こっていることは、自分が歩んでいる人生は、すべて夢に違いないと思っている。思い立って坊主頭にしたあの小学校4年の日、坊主頭にする直前までが僕の本当の人生だったと思っている。あの日、僕は本当の僕の人生を奪われてしまったのだと思っている。

理論的に考えれば、僕はきっと、坊主頭にしなければ、今度は髪にウェーヴがかかっていることによって学校(中学か高校か、あるいはその両方)から罰される運命にあっただろうと思う。そして、繰り返すが、今となっては髪など丸刈りと大差ない長さにしかできないのだし、そんなものでいいとも思っているのだが、でもやはり、男の子は丸刈りにしなければならないという運命の圧力に負け、髪を切り落としてしまった時のショックはどうあっても拭い去れない。ショックであり、屈辱であり、理解不能だ。


ある程度髪が薄くなると見切りをつけて自らスキンヘッドにする人々も少なからずいて、僕も今はそれくらいした方がいいのではと考えることもしばしばではあるのだが、なかなかそうした決断ができずにいるのは、40年前のあの日のショック、以後、自分の人生が自分のものだと思えなくなったむなしさを、もう一度感じることになるのじゃないかという漠然とした恐怖に駆られるからなのだと思っている。