2009年5月31日日曜日

文章修行

ぼくは文章についての多くを村上春樹から学んだ。

なんちゃって。

……これは村上春樹のデビュー作の真似。確かに村上春樹はぼくがそろそろと小説などを読み始めた頃にデビューした作家で、彼のデビュー当時からぼくは読んでいるし、ぼくの読者デビューから彼はぼくの前にあるわけだが、「多くを学んだ」というほどの存在かどうかはわからない。

でもまあ、今回は天吾というゴーストライターが「ふかえり」という高校生の書いた小説をリライトするという話が2大プロットのひとつを形成しているので、書くことについての記述がある。昨年、大学院の授業で読んだホルヘ・ボルピの『狂気の終焉』という小説でも主人公が作家になっていく過程で書くという作業についての示唆的な記述があった。こうした記述を読むと、ふむふむ、参考になるなあ、などと感心してしまう。

さて、今回の村上春樹。というか、天吾青年、「ふかえり」の小説『空気さなぎ』をリライトしながら、こう説明される。

 書き直しの結果、原稿量はおよそ二倍半に膨らんだ。(略)
 次におこなうのは、その膨らんだ原稿から「なくてもいいところ」を省く作業だ。余分な贅肉を片端からふるい落としていく。削る作業は付け加える作業よりはずっと簡単だ。(『1Q84』BOOK 1 129ページ)

最初に書く作業より推敲の作業、書き直しの作業ははるかに大切だ。それにはずっと時間がかけられるべき。それは大江健三郎だってガルシア=マルケスだって言っている。しかし、今回ぼくがびっくりしたのは、引用の最後の1文だ。「削る作業は付け加える作業よりはずっと簡単だ」というくだり。

もちろん、これは天吾青年のことであって、それが必ずしも村上春樹のこととは限らない。でも、ともかく、誰かが書き直しの作業において付け加えるよりも簡単に削ることができるというのは、新鮮な驚き。ぼくはまったくその逆なのだ。

まだまだ修行が足りないな。きっとぼくは、ろくに書かないものだから、たまに書いた文章に固執してしまうあまり、削ることができないのだろうな。道理で推敲に時間がかかり過ぎるわけだ。

ところで、あの村上春樹すら「「なくてもいいところ」」と強調・テーマ化の「 」を使っている。どうしたものかね……

ぼくは文章についての多くを村上春樹から学んだ。

2009年5月30日土曜日

ぼくたちはどこへ向かっているのか?

村上春樹新作、発売初日に68万部との見出しがヤフーのトピックに躍っていた。そういえば、昨夜、既になかったなと思い出す。

諏訪湖



へのオリエンテーション旅行に出かけ、金曜日に戻ってきた。大学に戻っていろいろと用務をこなしていると4年の学生と行き交い、質問を受け、ついでに食事へ。吉祥寺でワインを2本ばかりも空けて駅に向かう途中、ブックファースト(ここは昔違う名前の本屋だったのだが、いつの間にかブックファーストに回収されたようだ)がまだ開いていた。寄ってみたら、既に第一巻はなくなっていた。

翌日、つまり今日、近所の本屋で買ってきた。あるところにはあるのだよ。

村上春樹『1Q84』全2巻(新潮社、2009)。

「全2巻」と書いたが、Book 1 とBook 2と書かれている。文字通り(?)、1984年の話で、Book 1が4月―6月、Book 2が7月―9月。「青豆」という姓の30歳の女性(殺し屋)と「天吾」という名の29歳の男性(予備校教師、ゴーストライター)の話が交互に語られていく。

「初日に68万部」というのは、消費者の手に渡った数ではない。もちろん。書店に流通した数のことだ。村上春樹なら売れるだろうというので、各書店が大量に注文する。もちろん、各書店もただ頼むのでなく、予約状況などから売れそうな数を読んで注文する。それが積もり積もって68万部。でも、書店の読みが正確だとは限らない。上方下方を問わず、読み違いもあるだろう。でも68万部という数は何か変だと思う。すぐに買ってしまったぼくが言うのも説得力のない話だが。

でもともかく、そんなわけで、吉祥寺ブックファーストでは売り切れても、地方の駅前の町の本屋さんではまだ買える。それが流通というものだ。

2009年5月27日水曜日

一週間を終える

今日、法政の授業を終え、これで今週は一週間の授業が終わった。明日(もう今日か? 27日水曜)はボート大会のため休講。翌日からは新入生オリエンテーションで諏訪湖に。

もちろん、明日は会議などがあるのであり、仕事がないわけではない。でも、なんだかほっと一息。

2009年5月23日土曜日

親心に目覚めるの巻

教え子でNHKのアナウンサーになった人物がいる。研修を終えて地方局に赴任する(それがNHKのしきたり)前に今日、生放送のトーク番組「土スタ」でデビューする(というのか、この場合も?)というメールが今朝、入っていたので、見た。

以前、声優デビューの教え子の声をチェックしようとしたらTVがつかなくなったということがあったが、今日はそういうこともなく、鮮明で美しい画像。ちゃんと映っていた。そして教え子は落ち着いて立派に役割を果たした。

ゲストの山本耕史に対して質問をするフロアの子供にマイクを向ける、ただそれだけの役割。その前の自己紹介を含めても20秒ばかりの画面占有。たったそれだけのことなのに、ぼくは――本人ではなく一視聴者としてのぼくは――、はらはらドキドキ。何をやってるんだか。

まあつまり、これをして親心というのだろうな、見終えてコーヒーなどいれながら、そう考えた次第。新人15人の中では最も華のある存在だった、などと、ついでに考えているのだから、これはもう立派な親馬鹿。これから大学時代の友人たちと恵比寿で会うのだが、そこで吹聴などしようものなら、手もつけられないな。

2009年5月21日木曜日

外国語のように日本語を読む

大学院博士後期課程の課外授業、多分野交流の一環として、柴田勝二さん(『中上健次と村上春樹』)のお話「村上春樹と現代世界――エルサレム・中国・歴史」を伺う。

中田+田村=甲村だから、『海辺のカフカ』の中田さんと田村カフカは甲村図書館で交差するのだということなど。こうした名前の解読は外国語(たとえばスペイン語)で小説を読んでいるとよく気づくのだけど、なまじ日本語だと見過ごしがち。日本語を外国語のように読むことのできるひとならではの読解。

夜も8時頃になると1階のゴミ箱はこんなになっていた。なんだか面白かったので、一枚。

2009年5月20日水曜日

ひとつの時代が終わったのか?

ある授業で、この流れから行くと、あんな話をしたいから、そのためにはナニの映像があれば説得力が増すのだけどな、などと考えていたら、そういえばあの映画のあのシーンにあんな映像があって、あれが助けになりそうだ、と思いついた。DVD化されていないのだが、VHSならあるはずだ。なにしろ最近HDD-DVDを導入したのだ。これを機にHDに入れてしまえ。というので近所のレンタルVショップ(GEOだ)に行ってみた。

なかった。

お目当てのソフトがなかったのではない。VHSのソフトがすべてなくなっていたのだ。店内は改装され、、配置がかわり、古いVHSのソフトが一掃され、その代わり、ぼくなど死んでも見ないだろうなと思われる、パッケージを見ただけでストーリーが透けて見えそうな長いだけのTVシリーズや、「韓流」を謳った東アジア発のソフトなどが存在感を増し、当たり障りのないハリウッド新作ものは相変わらず複数取りそろえられ、……まったく、ぼくにとっては売り場面積は4分の1くらいに縮小されたようなものだ。

VHSではソフト化されたけれども、DVDにはなっていないものというのはまだまだたくさんあると思うのだけどな。ソフト会社の意向はともかくとして、そうした現状を知りつつ、もう近所のGEOではVHSに見切りをつけたということなのだ。

そりゃあね、学生たちと話していると、彼らの大半はビデオデッキなど持っていない。だからVHSソフトは彼らには無用だ。そろそろ危ないなと、ぼくも思っていたのだよ。でもまさか、このタイミングでこんなことになるとは。

ぼくはつくづく時代の変化に一歩遅れる。が、ともかく、これでひとつの時代が終わったということなのだろう。

2009年5月19日火曜日

カチッ

7時頃、枕元でカチッと音がして目が覚める。アナログの目覚まし時計が、鳴るように設定していなくても、7時にかけたときのままになっているので、鳴る準備をするのだ。短針とアラーム用の針が重なった証拠だ。アラームをかけているとき、このカチッの直後から鳴り出す。ぼくはアラームをかけているときでもこれで目覚めるときがある。眠りが浅いのだな。

カチッと起きて、法政で授業。ドン・フワン劇の展開その2。帰ってあるメールに気づかされたことは、ぼくは、何というか、蟻地獄のような罠にかかり、昨年度で終わったと思っていた仕事から逃れられない事態に陥れられているのだということ。

こんなのばっかりだ。いつの日かカチッと音がして、目覚めるどころか、コンセントが抜けてしまうのではないか。そのときの音はカチッではなく、むしろブチッ、か? 

ゲラをチェックしたり論文を読んだり翻訳をしたり……こんなこと準備したり

2009年5月17日日曜日

1週間(後半)

金曜日に吉祥寺ドス・ガトスでウサギのパエーリャを食べ(うまかった)、土曜日には研究会で他者の研究の成果を拝聴し、日曜日には定額給付金の申請書類を郵送して(ええ、いただけるものなら何でもいただきますとも)から、最近導入のHDD-DVDリコーダーにVHSソフトのいくつかを録画して過ごし、書き直すようにと突き返された原稿があるというのに、もう1週間が終わろうとしている。

土曜日に出かけた先で買ったのが、ピオ・バローハ『知恵の木』前田明美訳(水声社、2009)。グラシアン基金を得ての出版。

スペインのいわゆる98年の世代と言われる一群の作家たちの代表格バローハの代表作。カルペンティエールが彼に「行動の人」という概念を学んだと言っていたので、ぼくも学生時代この小説をめくったことはあったのだった。めでたい。

2009年5月14日木曜日

第3回

到着。『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年6月号

「愉悦の小説案内」第3回はホルヘ・イサークス『マリーア』を取り上げた。「読むなら恋愛小説だ」。「小説『マリーア』はマリーアその人のように美しい。マリーアを愛するエフラインの心のように美しい」なんて書いちまったぜ。ふっ。

2009年5月12日火曜日

文体練習?

今日、午前中にしあげて送った原稿は、こんな風にですます調で書いて見ました。例のNHKのあれです。だって今回は10歳の女の子と200歳くらいのおばあちゃんの浮浪者とが血のちぎりを交わすという話なのですから、どうしたってこんな文体になってしまいます。第5回の原稿です。

今日は法政大学の学生さんたちとバーベキューをする約束です。

2009年5月11日月曜日

午後はずっと

日曜日に日本イスパニヤ学会理事会のために名古屋に行き、今日は3、4、5時限と授業。5時限はリレー講義、《舞台芸術に触れる》。ドン・フワン劇のバリエーションを見た。モリエールの『ドン・ジュアン』が実に面白いのだな。明日は非常勤先でほぼ同じ内容の話をする予定。

2009年5月9日土曜日

酒を飲め、悲しむな

学生もたいへんだなあ、などと考えながら愚痴を聞き、酒を飲み(《百年の孤独》)、魚を食べ(肴としての魚)、遅く帰った。朝からある会議。そして車を取りに大学に行き、さて、これから卒業生たちと会うのだが(恵比寿だ!)、その前に池本さやかさんの写真展に行ってこようかと思う。海中写真に癒される。つもり。

明日は名古屋。

2009年5月7日木曜日

まだ連休は終わってない!

「まだ連休は終わってない!」同僚とエレベーターの中でそんな話をしたせいで、2時限目の授業はぐだぐだだった。言葉が脳に命令したんだな。やすめよ、と。

昼、打ち合わせの後、夜まで作業。ラテンアメリカ学会のプログラム等の袋詰めだ。ぼくが所属するもう1つの学会ではこうした作業は事務局任せなのだが、この学会は520人分の袋詰めをてづからやらねばならない。

意外に時間がかかった。

2009年5月6日水曜日

記憶の展開Desarrollo de las memorias

ある本を書いている。35個の項目について4ページずつ書いて、本文合計が140ページの本になるというもの。今年中に出すつもりだ。今日、10個目の項目を書いて送信した。

そのために、もう何度目になるだろう? トマス・グティエレス=アレア『低開発の記憶――メモリアス』Memorias del subdesarrollo(キューバ、1968、Action / UPLINK)を見る必要があった。

見るたびに何か発見があるから面白い。今日楽しんだのはフィルムの早送り。少なくとも音声の早送り。そして繰り返し。繰り返しといっても、セルヒオが女優を目指すエレナに対して、女優なんて同じシーン、同じセリフのくり返しだと言うときに挿入され、何度も反復される他の映画からの引用のことではない。

そしてまた改めて感づかされることは、この映画を統率するイメージは、主人公セルヒオの住む高層アパートからハバナの街を見下ろす眺めなのだということ。

この映画から26年後にグティエレス=アレアが撮った『苺とチョコレート』で、ディエゴの住むアパートから街を見下ろしながら、崩壊するハバナの街の美しさを説くシーンがあるけれども、あれと対をなすイメージだということがはっきりわかる。

2009年5月4日月曜日

連休の1日

3日のこと。忌野清志郎の訃報を知り、翻訳を1章仕上げ、都心の人の多さにめまいを感じ、原美術館で元教え子とすれ違い、またしても恵比寿、ふわとろ本舗でお好み焼きを食べ、新宿の夜景を見ながらワインを飲み、また恵比寿での食事に誘われて了解のメールを出し、ぐでんぐでんに酔っぱらって郊外の自宅に帰り着き、リヴィングで寝入ってしまい、ベッドで目覚めた。

酔いを覚まして洗濯をし、ウィーンの地図を探しに近所の本屋に行き、同僚とすれ違った。今日は翻訳、あいまに執筆、あいまに論文読み。

忙しいな♪

2009年5月2日土曜日

豚の災難

昨日、1日(金)は授業が終わってから恵比寿 黒ぶたや で豚しゃぶなどを堪能しながら高校時代の友人たち+1で集う。ビジネスマン2人に大学教員2人。

東工大では海外渡航禁止令が出、渡航した場合は10日間は出講するなと言われているとか。うーむ、外国恐怖もきわまったものだ。

そういえば昼間、学生が尋ねるには、「先生は3月にメキシコに行っていたけど、大丈夫ですか?」――まあこれは「休講にしましょ」という提案の前提で、半分冗談みたいなものだったから、ぼくだって「今さら手遅れだ」と悠然と答えればよかったのだけど、……

メディアに踊らされているのか、それともパンデミック恐怖のあまり全人類が平静を失ってしまったのか? 豚インフルエンザ改め新型インフルエンザH1N1に対する警戒心は、なんだか薄気味悪い。メキシコ政府が30日(木)に発表した感染者は260人、死者12人。この数字はそれまでわれわれの聞かされていた数字とだいぶかけ離れていて、果たして嘘をついているのは誰なのだといぶかしく思う。

USA資本の大規模養豚場のあるベラクルス州のある村では、そこが発生源だと主張したがっている住民がいるというのは、これを機に養豚場を摘発しようとの意図からだろうけれども、その種の養豚場の遺伝子組み換え豚などが怪しいのではないかといぶかしむ人までいて、デマゴーグ合戦だ。

マスクに装飾を施して楽しんでいるメキシコ人たちだけがまともに思える。もう20年近くも前、グワダラハラあたりの名物、豚の臓物の煮込みメヌードを食べた日にひどい食あたりを起こして(メヌードとの因果関係はあくまでもわからない。その日はまた脳みそのタコスも食べた)1週間ほど寝込み、死ぬかと思った身としては、君たち騒ぎすぎじゃないか、と言いたい。

そんなことを友人と話しながら帰りの電車に乗り、友人とも別れ、中央線に乗り継ぎ、自宅近くの駅で降りると、満員電車の中で汗をかいたせいか、悪寒が。10年ほど前、満員電車に揺られて汗をかき、降りた瞬間、悪寒を感じた時には、インフルエンザにかかり、5日間昏睡を続け、そのままウィルスが神経に回ってギラン・バレー症候群を発して、やはり死ぬかと思ったのだったな。

今朝起きると……

2009年5月1日金曜日

あらら、日が替わった

もう日が替わったが昨日(感覚としては今日)、ペンクラブにアルゼンチンの詩人フワン・ヘルマンの講演会を聴きに行く。同僚でペン会員の方が誘ってくださったので。

ヘルマンはメキシコ在住のアルゼンチン人詩人。軍政期間中(1976-83)に息子夫婦が行方不明者となり、拷問を受け、殺されている。その話などと詩の朗読を。

セルバンテス・センターの招聘で来たのだが、現在、同センターはスペイン政府の助成金を得て、セルバンテス賞受賞作家の翻訳シリーズを刊行中。その1冊でヘルマンの詩集も出るとか。

そして、……なんと! 来年にはあの人が来て、あの人の本が出る(それ自体は珍しいことではない)とか。