2022年1月28日金曜日

世界を創るのだ


机の前にこんなものを貼ったりする。


これは19世紀に描かれた絵なのだが、この情景についての記述が翻訳中の小説にあり、小説の描写どおりに訳したものの、今ひとつその訳に自信が持てず、未知のその場所の映像を探したら、結構数多く見つかった写真よりもこれがいちばん小説の描写に近いだろうと思われた。それで、既に公共財産(パブリック・ドメイン)であるこの絵をプリントアウトして机の前に貼り、それを見ながら訳文をチェック。


いや、本当は貼る前にこうして原稿のすぐ近くでチェック。以後もこの舞台には言及されるので、その後、コルクボードに貼った。サンティアーゴ・アルバレスの絵はがきが見えるのは何年か前にアテネ・フランセでこの監督のレトロスペクティヴを見たときのもの。写真で見にくいかもしれないが、コルクボード左隅の絵はがきはホセ・グティエレス=ソラーナ「カフェ・ポンボでの集会(テルトゥリア)」。これには、そういえば、放送大学の収録で言及したのだった。気になる方は4月からの授業「世界文学への招待」第10回をどうぞ。


あるところに引用しようと思ってジョルジョ・アガンベン『書斎の自画像』岡田温司訳(月曜社、2019)を読み返し、この本への愛着を新たにしたのだが、それというのも、もうひとつの翻訳中の小説に通じる何かを感じたからだ。そして、その何かに導かれて、僕自身の書斎の写真を上げているのだろうと思う。


アガンベンの本は自分がこれまで使ってきたいくつかの書斎の写真に映った本や写真などを手がかりに他の知識人などとの交流を想起するという本。机や本棚に写真やもらった手紙などを飾ってひとつの世界に作り上げているので、その世界の叙述が可能になるということ。


もうひとつ翻訳中の小説というのは、あるあくどい医者によって記憶を操作された人物が、他の医者の治療によって取り戻した記憶を語る、そしてその語った記憶がトロツキー暗殺に関わって来るもののそれであった、という作品。記憶を取り戻すことに尽力した医師というのがオリヴァー・サックスで、彼はマテオ・リッチの「記憶の宮殿」をヒントに、当該の人物に居住スペースの壁などに貼った紙に、Ⅰ箇所1項目の原則で思い出や知識などを書かせていくという治療を施したというのだ。つまり、その患者の病室を彼の脳内の反映たるひとつの世界にしたのだ。


書斎や居住スペースを自分の脳内の延長として、かつ、それを世界として構築するというのが、つまり、現在の僕の関心事。

2022年1月21日金曜日

判子文化に嘆息を漏らす


えへへ。こんなのを買ったのだ。


もう何度も書いているとおり、一冊のノートにほとんどすべての記録を集約させている。さすがにデジタル器機をたくさん持つにいたり、日々のスケジュールはMacの〈カレンダー〉で、買い物メモは同〈メモ〉(iPhone で見るのだな)で済ませているし、(そしてこれは以前からのことだが)大きなテーマに関しては別のノートを作るには作る。が、ともかく、日記から読書の記録、備忘録まで、大抵は一冊のノートで済ませる。


日記ということは、業務日誌でもある。どの仕事をどこまで終わったとか、この仕事に関しては次に何をする予定だ、というようなことも書く。理系の人たちの実験ノートのようなものだ。


で、業務日誌であろうが日記であろうが、最近、少し変化をつけるために、書いた予定を遂行した後には、そこに赤字で○で囲んだ「済」の字を書くことにしていた。紙でのゲラが減り、以前ほど赤ペンを使わないからさびさせないためかもしれない。ともかく、そうしていた。


で、こんなものも判子があるのではなかろうかと思いついて探してみたら、案の定、あった。買ってみたのが、写真のブツ。


今日は神田外語大の本田誠二さんの最終講義だった。それが午前中の、いわゆる2限の時間帯(神田外語の時間割では3-4限と言ったかもしれない。確かではない)なものだから、対面でやっていたらきっと行けなかっただろうけれども、zoom での遠隔講義だったため拝聴できた。通常の「スペイン文学史」の授業の最終回としての講義(私立大学の最終講義にはこの形式が多いように思う)で、今日はカルデロン・デ・ラ・バルカの話だった。カルデロンの La vida es sueño (『人生は夢なり』と訳していた)を紹介してセルバンテスと対比(人生においても作品においても)。「生きることは夢見ること」とのテーゼを独自に考察、「真っ当なこと、常識的なことを言ったときに人は死ぬのだ」と。うむ。なるほど。


最後はごく最近のモイセス・マトの El sueño es vida という劇を紹介、これをひとり芝居で演じたティンボ・サンブ(セネガルからボートピープルとしてスペインに渡った俳優)に話が及んだ。

2022年1月18日火曜日

ふんばる君、がんばる


ふふふ。これは何でしょう? この手前に横たわる段ボールと本棚に立てかけてある段ボール……



本棚だ、もちろん。


リヴィング兼書斎の空いていた壁に幅90cm×高さ200cm×奥行き19cm の棚を2本、入れてみた。


オーダー収納スタイルの本棚。幅が指定できるので、ここの本棚を数本持っている。



本棚の耐震対策は、これ。ふんばる君だ。



こんなものを……



こんな風に家具の下に噛ませて(本当は幅いっぱいに使ってもいい。どうも僕は貧乏性で困る)、言ってみれば、これで壁に押しつけるわけだな。これが実に心強い。実はオーダー収納の本棚は、これまでに手に入れたのは無料でこれに類するものがついてきたのだが、今回はなかったので、新たに買って補強したという次第。


でもこれも、1年もすればほとんど埋まってしまうんだろうな……



とはいえ、新しいものを入れていくというよりは、いちばん机に近いここには参照頻度の高いものから入れていく予定。辞書などのリファレンス類に、よく参照する本。稼働中の書類はブックタワーに置いているので、そうではなくて、稼働中の仕事にもちょっとしたことにも、ともかく、引っ張り出すことの多い本、だ。

2022年1月13日木曜日

新しい眼鏡、新しい小説


眼鏡を買い換えたのだ。


だいぶ早い時期(40歳前後)には老眼が始まったものの、それまでずっと視力が1.5できたものだから、眼鏡になれないしかけている自分の格好に違和感があるしで、人前で眼鏡をかけることを極力避けていた。東大に移ったのを機に(つまり50の歳に)遠近両用(少し乱視入り)を日常的にかけることにした。それで、最近、また少し目が悪くなったようなので、買い換えたのだ。


僕は個人的にはボストン・フレームの眼鏡が好きだ。たまらなく好きだ。で、書物を巡るイメージ写真などでは圧倒的にボストン・フレームの眼鏡が使われると認識している。


ところが、残念なことに僕はボストン・フレームが似合わないのだ。むしろ、ウディ・アレンのようなウェリントン・フレームがいいようだ。今回、眼鏡屋の店員も同意していた。ジャン=ポール・ベルモンドは好きで、彼になりたいと思ったことはあるけれども、ウディ・アレンは好きだけれども彼になりたいと思ったことは特にない(とはいえ、気づいたらだいたい同じ格好をしている。チノパンにツイードのジャケット)。だからウェリントン・フレームなど気が進まなかったのだが、ともかく、これがけっきょく落ち着きそうだからしかたがない。このフレームにした。もちろん、ウディ・アレンのような大きな黒縁ではない。軽く薄いやつだ。


そして、イメージ写真を撮ってみたら、でもまあ、これも悪くない。


映っている本はフランソワーズ・サガン『打ちのめされた心は』河野万里子訳、河出書房新社2021事故の結果、退院後、それまでと同様の人間関係を家族と取れなくなった金持ちのボンボンの話なのだが、人間関係の取り結び方がそれまでのようにいかないのは、彼だけの問題ではない。周囲の者、家族のメンバーも、もはや彼を同じように扱うことはできないのだ。妻は離婚を切り出すし、父は息子に自身を取り戻させようと高級娼婦をあてがうし、そして父子して子の妻の母に恋をするし…… そんな一族の感情を扱った小説だ。


ところで、サガンには「ジゴロ」という短篇があった。初老の女性がひいきにしているジゴロに、彼の将来のことを考えて別れを切り出すと、ジゴロが彼女に本当に恋をしているのだと打ち明ける話。この話を僕は最初、読んだときによく分からなかった。けれども、友人が(それは高校時代のことだった)さりげなくそういう話だと言ったので、事後的に了解した次第。そんなことがあったせいか、記憶に残っているのだ。


意外なことに、ドタバタ風のところやら、登場人物が笑っているところやらもあり、これは晩年の新境地なのだとか。



眼鏡をかけた写真。

2022年1月6日木曜日

己の学歴を省みる


奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を――文学を探しにロシアに行く』(イースト・プレス、2021は、アクーニンやウリツカヤの翻訳者である奈倉有里さんが、モスクワのロシア国立ゴーリキー文学大学の翻訳科で学び、文学従事者の称号を得るまでの記録だ。


ここにアントーノフ先生という人物が出てくる。アレクセイ・アントーノフ。独り身で学生たちと同様、寮に住み、始終酔っ払っているが、授業では一転、キリッとする。他の先生たちと異なり、教科書の指定もせず、しかしどの教科書よりも鋭利な内容を独自の論としてよどみなく展開する。そんな先生だ。


言うまでもなく、大学の文学教師としての僕の憧れの存在だ(奈倉さんの本で初めて知った存在だけれども)。


この先生を紹介する章(「14 酔いどれ先生の文学研究入門」94-104ページ)にはその先生の授業の内容がかなり細かく書いてある。どの教科書にもないことだといいながら、奈倉さんはよくこれを再現できたな、……と思っていたら、その章は途中から異なる話が始まる。この先生の授業を聞き漏らすまいと、通訳のやる速記によるノートテイキングを試み、授業直後にそれを補足して授業での話を再現してみようとしたところ、かなり生き生きと先生の話をよみがえらせ、書き直すことができたというのだ! 


これはそのノートの取り方がいいのか、それとも奈倉さんの能力なのか? 誰かの話を事後的に脳内で再現したいという思いに取り憑かれたことのない(つまりそれを試みたことのない、そしてまたそのノートの取り方も実践したことのない)僕にはわからないのだ。きっと奈倉さんの能力なのだろうな。


彼女は創作科の友人の小説に登場させられ、小説のモデルの葛藤を生きたり、そうした創作科学生の小説のせいでそのアントーノフ先生と恋仲だと思われてしまったりと、……うーむ、小説のモデルになることに反発しつつ、それ自体が小説のようじゃないか。


僕も学生時代のことはたいがい、ノートに書きつけてはあるのだが、なかなかこんな面白い読み物にはならないな、と自身の情けない学生時代を省みるのだった。


ところで奈倉さんはそれまでドイツ語を学んでいた御母堂がある日スペイン語に執心し、それへの対抗意識のようにしてロシア語を学び始め、お母さんが家の様々な場所に貼りつけたスペイン語の単語に上書きして回ることによってロシア語を運命と定めたのだという(6-7、「上書き」とは書いていない。その横に書いたのかもしれない)。うむ。俺の「情けない学生時代」は、その上書きされてしまったスペイン語に埋没していたのだった……


机上のTV受像機にMaciPadを繋ぐとそこからBluetoothでステレオに音声を飛ばすことができないようなので、こんなスピーカーを買ってみた。迫力の映画鑑賞がこれで可能になるのだ。たぶん。

2022年1月1日土曜日

加計呂麻島で年越し

年末年始になると僕は常に、自分が故郷に根付いていないなと思う。幼なじみたちは正月になると「さんごん」(三献)と呼ばれる二つの吸い物と刺身のセットと豚骨の煮物で正月を祝うと言っている者も多いのだが、そういう儀式など僕はずっと無縁だ(加計呂麻島の向かい、古仁屋の出身の藤井太洋さんがさんごんの写真をツイッターに上げていた)。かといっておせち料理を準備したり食べたりという習慣もない。いつもと同じ昨日と今日なのだ。


昨日は、すでにアップしたとおり、加計呂麻島に移住した人のドキュメンタリーを観たのだから、もう少し加計呂麻島に没頭してみようかという気になった。


NHK北海道で(僕が映画を観ているころに)放送された「奄美・アイヌ——北と南の唄が出会うとき」このリンクか、もしくは、このリンク)。NHK+ で観ることができた。ここには朝崎郁恵が出演していて、まずOKIをはじめとするアイヌの人びとが彼女の故郷・加計呂麻島を、そして次に朝崎が旭川を訪れ、それぞれの土地の声を聞きながらそれぞれの唄を歌い、かつセッションするという形式のドキュメンタリーだから、つまり、加計呂麻島なのだ。



島唄とアイヌの唄のコラボレーションについては『アイヌと奄美』(SPACE SHOWER, 2019という五枚組のCDセットがある(写真)。付属のブックレットの朝崎の証言によれば、2003年、奄美パークで開かれた「神唄祭り」にアイヌの安東ウメ子(2004年没)が参加したことがきっかけになっているという。CDはアイヌの唄2枚、奄美の唄2枚で、五枚目がコラボレーションという形になっている。


しかし、こうして映像で実際の演者たちがセッションしているのを観るとやはりCDで別々に聴くよりふたつの近さが説得力をもって伝わるものである。


そして、昨日の予告どおりアレクサンドル・ソクーロフ『ドルチェ——優しく』(日本、ロシア、1999を続けて観たのだった。


島尾ミホが母について、父について、夫について、そして娘マヤについて独白し、それに最低限の演出と補助的な映像を編集したあまり長くない一篇。ささやくように、時に母に語りかけながら、時には本当に独白のように人生を振り返る島尾ミホひとりで(マヤが出てくるけれども)持たせるのだから、つくづくすごい映画なのだ。すごい人なのだ、島尾ミホは。再見(あるいは3度目だったか?)ながら、たとえばミホがマヤを呼ぶときのその調子に驚いたりする。


(本当はその前に、同じくNHK+ でクイーンの1986年ウェンブリー・スタジアムのコンサートというのを観ながら夕食を摂ったので、完全に加計呂麻島に浸ったわけではないのだけど)