2011年2月28日月曜日

ぼくも死にかけたことがある

雨に降られ、泥にまみれ、ぐたぐたになりながら帰り着いた自宅。ぼくのアパートはオートロックになっていて、ぼくよりだいぶ先に玄関に入った人が、鞄から鍵が取り出せずにグスグスしている。ぼくがやりましょうか、と言って開けたら、ありがとうございます、と感謝された。そうではない。開けたのは親切心ではない。一刻も早く部屋に入りたかったのだ、と心の中で呟いた。それくらい打ちひしがれていた。

出かけていた先は映画館だ。映画館で見たのは、クリント・イーストウッド『ヒア アフター』(2010)だ。

ギジェルモ・アリアガ張り、と言えばいいのだろうか、パリ、ロンドン、サンフランシスコの三都市での3人の人生が、ロンドンで交錯する物語。死後の世界とチャネリングを扱ってキワモノにはならない上品な映画に仕立てたイーストウッドはすばらしいなと思う。スピルバーグらも製作に加わった作品(死後の世界、マット・デイモンが得るヴィジョンの世界の撮り方など、何かを思い出させる)。

旅先で津波に見舞われ臨死体験をした人気TVキャスター、マリー(セシル・ド・フランス)はその体験後、うまく仕事に戻れず、番組をしばらく休んで本を書くことにする、ところが、ミッテランについての本との約束で契約を取ったものだから、出版できず、イギリスでどうにか出版にこぎ着ける、というのがフランスの物語。

ジャンキーな母親の元で生活保護を受けながら暮らす少年マーカスが双子の兄ジェイソン(フランキー&ジョージ・マクラーレン)を亡くし、里子に出され、兄との交信を望むが、インチキな霊媒師ばかりだった、というのがロンドンの物語。

子供のころ大病を患ってからチャネリングの能力を授かり、いちどはそれで大成したけれども、死者と交信するだけの人生にうんざりし、工場でつましく働くジョージ(マット・デイモン)が、リストラにあってしかたなしにまた能力を使うよう勧める兄に従う、というのがサンフランシスコの物語。

この三者がロンドンで出会う。

ぼくもかつて死にかけたことがある。臨死体験、というほどのものではないけれども(それ以前の地点だ)、ある種の体験をして、この世に戻ってきた。そんな身としては、こういう話には胸が押し潰されそうになる。とあるスイスのホスピスでルソー博士という医者がマリーに臨死体験者たちの資料を渡すシークエンスがあるのだが、そういった細部にぼくはめまいを感じる。

2011年2月26日土曜日

記憶と言語の問題

昨日、入試が終わってから念のためにとメールボックスを覗いたら、あった。

フアン・アリアス『パウロ・コエーリョ 巡礼者の告白』八重樫克彦・八重樫由貴子訳(新評論、2011)

ご恵贈いただいたのだ。うーむ。八重樫夫妻のペースと来たらすごいな。きっと2人だけでなく、両方の両親とか子供2人(がいると仮定しての話だが)まで動員してフル稼働で働いているに違いない。今度はスペイン人作家によるコエーリョへのインタビューか。

しかし! その前にこれを読まなきゃ。その下にもう一冊、あったのだ。
ジュノ・ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』都甲幸治、久保尚美訳(新潮社、2011)

ドミニカ出身の合衆国英語作家。ピュリッツァー賞受賞作の待望の翻訳だ。トルヒーリョを扱った3作が、これで揃ったことになる。授業のために、読むべし、読むべし。明日のために、打つべし、打つべし。突くべし、突くべし、払うべし……

 そもそもそれはアフリカから運ばれて来たのだという。奴隷たちの叫び声とともに。あるいはタイノ族を殺した呪いだという。一つの世界が消え、もう一つが生まれたとき発せられた呪いだと。あるいはアンティル諸島に開いた悪夢のドアから天地創造のただ中に引きずり出された悪魔だという。フク・アメリカヌス、通称フク——それは、広義には何らかの呪い、または凶運を指し、狭義には新世界の呪いや凶運を指す。それがコロンブス提督のフクとも呼ばれるのは、彼こそがフクを取り上げた産婆であり、かつヨーロッパの偉大なる犠牲者のひとりでもあるからだ。(9ページ)

うむ。面白そうじゃないか。トルヒーリョ(本文ではトルヒーヨ)こそがこのフクの大いなる「宣伝係」だというのだから。

だが、待てよ。この話、ぼくは知っている。読んだ記憶がある。何だっけ?……フクを巡る書でも読んだんだっけか(でもそもそも、本当にそんな伝承があるのか)? それとも他の小説(例えばトルヒーリョを巡る他の小説。『チボの狂宴』、『骨狩りのとき』)で?

何のことはない。原書のこの部分(プロローグだ)をぼくは読んでいたのだった。

しかし不思議なものだ、とぼくは思う。英語で読んだ文章を、その翻訳を読んで読み覚えがあると言えるものなのだろうか? ぼくはあくまでも、

    They say it came first from Africa, carried in the screams of the enslaved; that it was the death bane of the Tainos, uttered just as one world perished and another began; ….

と読んだのだ。例えばbane なんて詩語、あまりよくわからないけど、まあなんとなく、あれだろうな、death の後に来ているのだから、断末魔の叫びとか、そんな感じ? ……などとやり過ごしながら読んでいたはずだ。それでもアレとコレが同じだと思えるのはなぜだ? としばし佇んでいた。

写真は原書Junot Díaz, The Brief Wonderrous Life of Oscar Wao(New York: Riverhead Books, 2007)と翻訳を並べたところ。翻訳の装丁がかわいい。

2011年2月22日火曜日

レポートの陥穽と完成、そして感性

教師と学生の関係など騙し合いだ、と言ったらいささか偽悪者ぶりが過ぎるだろうか? 少なくとも教師は学生が思いもよらなかった世界に彼らを連れて行きたいと願うものだから、見ようによっては彼らの裏をかくような課題を出す。出そうとする。それが騙し合いに見えることもある。

「アメリカ文化論II」の課題は、7つ(その後、8つに増えた)の課題のうちのひとつを選べというものだった。7つの課題は順に:1-3は秋に行われた演劇祭で上演されたスペイン語圏の人々の劇を見てその劇評を書けというもの。以下:

4. スペイン語圏で撮られた、またはスペイン語圏を題材にした映画をモンタージュの観点から分析して論ぜよ。
5. 岩波書店刊『大航海時代叢書』の任意の一冊を読み、それと現代の文化との接点を論述せよ。
6. (マリオ・バルガス=リョサ、ノーベル賞受賞記念課題)バルガス=リョサ『フリアとシナリオライター』野谷文昭訳(国書刊行会、2004)の偶数章は、奇数章の物語の登場人物のひとりが書いたラジオドラマということになっている。しかし、小説のような語り口なので、そのままではドラマにならない。任意の偶数章のひとつの物語をシナリオ、もしくは戯曲の形式に書き換えよ。章全体を書き換える必要はない。
7. スペイン内戦かメキシコ革命、キューバ革命、チリのクーデタ(1973)、アルゼンチンの軍政(1976-83)、エル・サルバドール内線(1980-92)のいずれかの事件を巡る複数の表現(絵画、小説、映画、俗謡、ジャーナリズム等々)を比較してその描かれ方の特質を分析せよ。

というもの。これは早く仕上げられそうな順に提示してある。ぼくはレポートはいつ提出してもいい、早ければ早いほどいい、すぐに採点して返すから合格点(6割)に満たない者は書き直せる、と常々言っている。1-3の課題の劇は11月にあったのだから、観て、その日のうちに書いてすぐに提出すれば良さそうなものだ。でも学生たちはぎりぎりまで出さない。これがまず第一の陥穽なんだな。締めきり間際にならないと完成させられない。早く出すことを推奨し、書き直しを認めるのは、かなり多くの学生が、普通に採点すれば合格点に達しないからだ。でも、ぎりぎりで出していたのでは、書き直しはできない。合格点に達しない。

個々の課題は、難しそうに見えて、実は授業で扱ったことに対応している。4の課題なんて、だから、授業で提示した参考資料をちょっと見て、映画観て、あるシーンがどのように作られているか分析的に書けばいいだけのこと。とても簡単だ。それなのに、こうした簡単な課題を選ぶ学生は少ない。出題意図に思い至らないか、授業に真面目に参加していないんだろうな。これが第2の陥穽。

今回、6の課題を選ぶ学生が実に多かった。これが第3の陥穽。授業内で戯曲の存在様態を、ある作品について分析したのだが、これを踏まえて戯曲(やシナリオ)のセリフとト書きのあり方を念入りに検討して書き換えなければならない、おそらく、一番難しい課題なのだな、これは。授業内容を踏まえるだけでなく、どのシーンを選び、それをどう展開するかは、ある種の創作の才能というか、感性というか、そういうのも必要とするだろう。小説内の科白を戯曲の台詞としてそのまま書き、地の文をト書きにすればいいという問題ではない。何でみんなこんな難しいのを選ぶのかな、とぼくは不思議でならない。まあ楽しい作業ではあるけれども。

また、今年に入ってから配った授業資料で、あるひとつの事件について歌われたコリード(メキシコの民衆詩)の2種の変種というのがあった。これを充分に扱えなかったので、スペイン語のわかる学生はこれを訳し、2つの変種の差異を説明する、という課題でもいいと伝えた。面白いことに、そのとき遅刻したり欠席したりした学生が何人か、この課題を選んだ。

外語の風土病だ。テクストの訳読などの授業にあまりにも馴染んでいるがために、ふだんやっていることをやればいいのだろうと、それなら簡単ではないか、とばかりにこういう課題に飛びつく。ふふふ。しかし、実はその詩というのがとても難しいのだよ。というのが最後の陥穽。

さ、こんな解説ばかりしていないで、実際の採点をしなきゃ。

2011年2月20日日曜日

パセリとオレンジ、そしてタンポポ

昨日は結婚して妊娠までした卒業生を祝って……というわけではないが、卒業生たちと渋谷のペルー料理店《ミラフローレス》で昼食。

今朝届いた本は、これ。Dunia Gras, Leonie Meyer-Kreuler, Fotografía de Siqui Sánchez, El viaje imposible: En México con Roberto Bolaño (Zaragoza, Tropo Editores, 2010)

ボラーニョの本からの引用とそれについての説明や解説、そしてそれらの場面に対応した写真という素敵な本。ボラーニョを読む際のイメージの助けになる。作家への愛に満ちた一冊。ぼくはたぶんメキシコ市についての本を書くことになっているはずだが、それへの助けともなる1冊。

電車の中での読書専用にしていたので読み終えるのが遅くなったが、以下を読了。

エドウィージ・ダンティカ『骨狩りのとき』佐川愛子訳(作品社、2011)

ドミニカ共和国の独裁者ラファエル・レオニダス・トルヒーリョ(1891-1961)を扱った小説のうち三作が、今年一気に翻訳出版されるということで、今年は没後50周年であることもあり、トルヒーリョ年とでもしておこう? 三作のうち二作は作品社からで、バルガス=リョサの『チボの狂宴』とダンティカのこれが出た。この独裁者Trujillo、『チボの狂宴』ではトゥルヒーリョと表記され、ダンティカの本作ではトルヒーヨとなっている。表記は統一した方が良かったのではないか? といいながらぼくはトルヒーリョとしているわけだが……ともかく、いずれも同一人物だ。

さて、それで、バルガス=リョサについては、いずれどこかで話すはずだし、授業でも読むと思うのだが、取りあえず、ダンティカのこの小説。このブログでの紹介など、何やら冗談めかしているけれども、この紹介は決して冗談ではない。これはパセリ小説だ。

主人公=語り手はアマベルというハイチ人女性。ハイチの実家は零落したのだろう、地所を追われ、ドミニカ共和国のその名もアレグリーア(喜び、の意だ)という地のスペイン系の白人家庭で使用人として働いている。バレンシアという名の奥様には頼られているし、医者のハビエル先生からは助産婦になれと言われるほど聡明な人物だ。前半は平和に見えるけれども、画然とした格差の存在する白人/黒人、ドミニカ人/ハイチ人の共存を描いている。

トルヒーリョは1937年にとあるサトウキビ農園でのストライキをきっかけにハイチ人たちの掃討作戦に打って出るのだが、小説の中盤は、この虐殺から主人公たちが命からがらハイチに逃げ帰るまでを描いている。アマベルはその名も「虐殺の川」と呼ばれることとなる両国国境の川を渡って逃げ帰るのだが、途中、恋人のセバスチアンと生き別れ(あるいは死に別れ?)になる。セバスチアン以外にも仲間たちを途中で失い、亡くしていく。

小説の後半はハイチに逃げ帰ってから、セバスチアンの母親のもとを訪れたり、途中で知り合ったイーヴスの家に身を寄せたり、といった様子が描かれる。彼女はセバスチアンが生きていると信じ、彼が戻ってくるのを待っている。そして虐殺の30数年後、トルヒーリョも暗殺された後、アマベルはバレンシア奥様を訪ねる。

で、そのハイチ人虐殺に際して、パセリ(perejil ペレヒル)という単語を言わせてハイチ人か否かということを確認していたし、パセリは前半の生活の細部を描く場面でも、印象的に出てきた。PTSDのひとつの表れとして、イーヴスはその後ずっとパセリの味を忌み嫌うことになる。これは本当にパセリが重要なキーをなす、パセリ小説なのだ。

このパセリと対をなすのがオレンジ。ハイチに戻ったアマベルは、ある女からオレンジをもらい、これを焼き焦がして体に塗り、それから実を風呂で洗い流すと傷が治ると言われるのだ。タンポポを吹いて飛ばすと子供のおねしょがなおるとか、そういった植物の人間に及ぼす作用についての感受性が印象的。「パセリ小説」を敷衍してハーブ小説と呼んでもいいかもしれない。

カルペンティエールの『光の世紀』で、ヴィクトル・ユーグの連れてきた黒人医師がエステバンの庭の木を引き抜くと彼のぜんそくの発作が治まるというくだりがある。つまり、アレルギーの元を断ったということだが、こうした人間と植物の関係に対する感覚は、ぼくなど鈍いところなので、はっとさせられるのだった。

2011年2月17日木曜日

追い立てられて読む

新学期の最初の授業で、受講者がいなかったので、翌週、のんびりしていたらたくさん受講していることがわかり、慌てて準備する夢を見た。慌てているときに限って同僚に呼び止められて愚痴を聞かされ、ますます焦った。

次から次へと新刊が出て、読めないままに放置しているから追い立てられるのだ、と思ったかどうか……ともかく、昨日到着したのはこれ。

エンリーケ・ビラ=マタス『ポータブル文学小史』木村榮一訳(平凡社、2011)

とてもきれいな装丁。その名にしおい、これ自体がポータブルな一冊。

ロシアの作家アンドレイ・ベールイやエドガー・ヴァーレーズ、マルセル・デュシャンという芸術家たちがとらわれた、トランクに入るポータブルな芸術のオブセッションと、ロレンス・スターンとにちなみ、ポルタクティフ(!)での夕食時に結成された秘密結社《シャンディ》のメンバーたる文学者たちのおかしな想念を、後の『バートルビーと仲間たち』でも大いに発揮される博覧強記の引用・収集で人物のように動かして語る、ビラ=マタスお得意の手法。ソンタグらも引用していたベンヤミンの文字の小ささへのこだわりとか(そういえばぼくも若い時期、だいぶ小さい文字にこだわっていた)、「独身者の機械」、「宿命の女」などという、いかにも「文学」的な、「文学小史」的な事実やイメージや語彙が踊るのを見れば、ついつい引き込まれて読んでしまうというもの。しかもポータブルな一冊なので、一晩で読めてしまう。

高橋源一郎が「金子光晴」や「中島みゆきソングブック」を東京や横浜の夜の街に徘徊させていたころに、スペインではブレーズ・サンドラールやマン・レイ、ジョージア・オキーフ……等々、等々、をこのように活かして/行かせて/生かして(ただし、比較的早い時期に「ホテルでの自殺」という、最終的にエクリチュールの中での自殺の話になる章があるが)いたのだな、と感慨深く、面白い一冊。

中ほどに「オドラデク」の話が出てきて、これについては何かとても色々なことがいいたくなるのだけど、今はまだ話がまとまらない。オドラデク。シャンディたちをパニックに陥れる黒い間借り人だ。怖い……

2011年2月14日月曜日

ヤツの来訪

以前、パニック障害をやったとき以来だ。ときどきヤツがやって来る。そのヤツのためにぼくはとんでもない挙措におよび、人生を台無しにし、そのツケをいま払わされ、後悔の日々を送っている。法政をやめて今の大学に移ったのも、その後悔の念を払拭して新たに生まれ変わりたかったからかもしれない。

今の大学に移って、詐欺のように引き込まれた仕事で、外部からのある人物の人格破壊の攻撃を受けていたころに、またヤツは現れた。おかけで抗鬱剤を手放す時間が遅れた。と少なくともぼくは思っている。

昨日また、久しぶりの過呼吸の後にヤツがやって来た。ように思う。ぼくはとんでもない思念にとらわれ、とらわれたのが数時間早く、まだ昼のうちだったら、また馬鹿なことをしてとんでもない負債を負うはめになったかもしれない。ピークは夜だったから、どうにか救われた。

その代わり、サイトのデザインを一新した。マックのiWeb任せで作ってみたのだ。悪くはない。しかし、こんなことをするのも、ヤツのおかげでとらわれた危険な思念の発露の一形態には違いない。用心しなければ。

何と名づければいいのかわからない衝動。それを産み出すもやもや。それに突き動かされた説明しがたい行動。それをヤツと言っているのだ。

今日は入試関係の秘密の仕事が1時間ばかり。その前後に1、2年の学生たちにテストを返却していた。

どこの大学にもその大学独自の風物詩と風土病があるだろう。外語の場合は、1、2年の留年恐怖とそれを惹き起こす進級判定。その前後の成績の開示だ。1、2年の専攻語(ぼくの場合は、スペイン語)を採点し、学生にはそれを返却する。ぼくたちはそれぞれの成績を持ち寄り進級を判定する。この時期、それぞれの専攻語を受け持つ先生方の研究室前には学生たちの長蛇の列ができる。

秘密の仕事の前後には、そのように学生に試験を返却していた。気づいたら雪が降っていた。

2011年2月12日土曜日

見果てぬ夢

ムバラクが辞任したなんて話を聞くと、先日のチュニジアのことといい、このたびのエジプトのことといい、ゼネストやらデモやらで国家元首が首都から逃亡、政権が転覆する事態というのは、キューバ革命のようだ、カルペンティエールの夢見た世界だ、との感慨にとらわれる。ただし、キューバ革命というか、カルペンティエールが夢見たのは、アメリカ合衆国の傀儡政権のような独裁者が民衆の力によって追い出されるという話であって、ムバラクのように合衆国にとってのペルソナ・ノン・グラータが追放される(そこに合衆国の望みが込められている、もしくは陰謀が張り巡らされている、かもしれない)という事態とは、まったく位相を異にするのではあるが。

カルペンティエール『方法再説』は、中米の架空の国の独裁者〈国家元首〉が、政敵〈学生〉などの働きもあって、まさにゼネストを機に失墜するという話。パリに行けば名だたる文人たちと交流し、自国にはオペラ興業などを招聘する「啓蒙専制君主」ぶりを発揮する〈国家元首〉が、官邸の望楼に追い詰められ、視界を遮られ、情報を遮断され、孤独を露呈していくさまが滑稽だ。

小説なのだから、単純な民衆万歳! くたばれ独裁者! に終わらないユーモラスな記述で、なかなか面白い。デカルトの著作からの引用を各章(や節)のエピグラフに掲げ、そのデカルトの言葉が中米の国にあっては裏切られるような、裏目に出るような、パロディ化されて再生産されるような実態を描いているから、デカルト(『方法叙説』Discours de la méthode )の再生産(しかし滑稽な)である(『方法再説』Recurso del método )とのタイトルになっている。

ぼくはこの小説を修士論文の中心に据えて分析したし、折に触れて翻訳の企画を持ちかけては、うまく行きそうになりながら、いまだに成就できないでいる。そのうちやろう。

ところで、前回ほのめかした、声優になった卒業生の参加するアニメは『鉄拳戦士アイアンキッド』というやつで、右手だけ機械でできた少年が、なにやらあくどい組織に捕まって強い連中を相手に戦うことを強いられる、というような話のようだった。旅の伴で、人質に取られて、少年の格闘の担保にされているヒロイン、エリーが、その卒業生の役所。つまり、ヒロインだ。

録画して観てみたら、CGによる3D風のアニメで、そういえば、ハリウッドでの『アトム』もそんな感じのアニメであった(といっても、それを観たわけではない。これに関するドキュメンタリーをTVで観た記憶があるということ)が、これになぜ違和感を感じるのだろう? とそんなことを考えながら観ていた。いや、もちろん、そのエリーの声にも耳を澄ませながら。

で、おそらく、ぼくらが馴染んでいるアニメーション(といっても、ぼくは別にアニメ好きではない。というか、むしろあまり馴染みがない)は2次元であるがゆえに作家性が感じられるということなのではないかと思いつく。それはどういうことか? 早い話、ぼくたちはまだこのCGによるアニメを観る準備が充分にできていないということだ。

2011年2月10日木曜日

息切れ寸前

昨日、学生がふざけて撮った携帯電話の写真を見て愕然とする。もうぼくは初老のたたずまいだ。

今日で授業は終わったが、明日までにスペイン語専攻の試験をすべて採点し、成績を出さねばならず、身も心もボロボロだというのに、もう一踏ん張りしなければならない。

月曜には大学院生たちと授業後、研究室で飲んでいると、声優になった卒業生が訪ねてきて、そのままみんなで大学近くの沖縄料理店で食事。その卒業生がCSのアニマックスで韓国製ロボットものアニメのヒロインの声をやっているというので、帰宅後、録画予約。

8日(火)には仕事(そういえば、出版会の冊子のためにインタビューを受けた)の後、菊地成孔特別授業2回目。

半分くらいが先週来ていなかった聴衆だとわかり、復習から始まり、その復習が終わるころには1時間20分ばかり経過しているというすごさ。のこり30分くらいであわてて自分の行っている試みを音源を聴かせながら説明してくれた。ふむふむ。なるほど。そうだったのか。

卒業生が聴きに来ていたので、夕食を共に。

水曜日。1年生の試験。あることの手続きで色々と話を聞き、何だか複雑で難しいことばかりだなとため息をつく。

今日は2時限、最後の授業で、ある学生の態度を見て、何かが決壊した。ぼくは決定的に間違った人生を歩んでいるのかもしれないと思った。4年の学生たちと昼食を共にし、若い年代の者につきもののエピソードを聞き、バランスを回復。4限の副専攻語スペイン語の試験を終えると、そそくさと帰宅。

なんだか

疲れちゃった

              なあ……

もう

自棄

気味

 ぼくの愚痴は誰が聞いてくれるのだろう? 

2011年2月8日火曜日

ギヤマン造りの涙を見た

昨日、「女の涙に真実はない、すべてはギヤマン造りだ」なんて漱石の小説の科白をよく覚えていると書いたものだから、お前もそうしたホモソーシャルな欲望に身を委ねるつまらない男なのだろうと詰問されてしまった。

そうではないのだよ。ぼくはただ、このときはじめて「ギヤマン」という単語(ガラスの意味だ)を知ったから覚えている。ただそれだけなのだよ。

まず、漱石その人がホモソーシャルな欲望を抱えていたというわけではない。そういうものを描いたということだ。高澤秀次も『猫』のくしゃみ先生の欲望が妻のひとことで一蹴されるところに漱石の巧まざるユーモアを読み取っている。ぼくだって登場人物の意見と作家の意見を区別することくらいはできる。

だいたい、男も女もなく、涙なんて眼球を洗浄するためのものだ。そこに「真実」など読み取ろうとは思わない。それがぼくの考え。それに、「女の涙」なんてものを(「男の涙」もだが)ぼくは見たことがないのだから、その存在さえ疑っている。

おっと、ところで、ぼくは生涯に一度だけ、目の前の女性に泣かれたことがある。大学の後輩だ。ぼくたちは世間話をしていた。他愛ない話だ。悲しくも嬉しくもないはずの場面だったのに、突然、彼女のつぶらな瞳から大粒の涙がこぼれ出たのだ。真珠のような涙が。ダイヤモンドのような涙が。

——どうした? ぼくは何か君を傷つけるようなことを口走ってしまったのか? だとしたら許してくれよ。
——ごめんなさい。そうじゃないの。コンタクトが……

コンタクトか。レンズなのね、つまり。なるほど、涙はギヤマン造りだなあ。と当時のぼくは思ったに違いない。記憶が新たにされた瞬間だ。

さ、馬鹿なこと言ってないで、テストの採点に戻ろう。写真は「ホモソーシャルな欲望」の語を打ち出したイヴ・K・セジウィック『男同士の絆』上原早苗、亀澤美由紀訳(名古屋大学出版会、2001)。その下に採点途中の試験の答案用紙。

2011年2月7日月曜日

妹の扱い方

ミランダ・ジュライのもうひとつの面白みは、昨日あげた短編など、たとえばイヴ・セジウィックのいわゆる「ホモソーシャルな欲望」の裏をかくような展開であるというところにもあるのだな、などと考えていたら、まさにこの「ホモ・ソーシャルな欲望」と大逆事件の影から漱石作品を読む高澤秀次『文学者たちの大逆事件と韓国併合』(平凡社新書、2010)第1章に四方田犬彦『「七人の侍」と現代』からの次のような引用を見出した。

同性社会性が興味深いのは、断固として同性愛による肉体的接触を拒否するという点にある。その代わりに、親友の妹との結婚といった風に、男どうしで身内の女性を交換してより男どうしの絆を強固なものにする行為が奨励される。(高澤の著作では47ページ。四方田原文は未確認)

うむ。まさにミランダ・ジュライは親友(? 少なくともそうなりたがっているらしい人物)から妹を紹介されるという話だ。しかし、実はその妹が不在で……というのだから面白いのだ。

ところで、四方田のこの黒澤論は未読であった。また高澤を読んでいたのは昨日の書き込みとは無関係だったのだが、偶然、こうした漱石分析に出会ったという次第。時にこうした偶然の結びつきは生まれる。それが読書の楽しみ。

ところで、漱石といえば、ぼくは人並みに高校時代にいくつかの作品を読んだくらいで、たいして知らないし、高校時代に読んだものは、不思議な細部ばかり覚えている(たとえば外国作品なら人名とか。スタニスラス・グザヴィエ、サンセヴェリーナ侯爵夫人……等)という例に漏れず、彼についてもちょっとしたパッセージだけが思い返される。

向上心のないものは馬鹿だ。(『こころ』)
風が女を包んだ。女は風の中に立っていた。(『三四郎』)
女の涙に真実はない。すべてはギヤマン造りだ。(『行人』だったか『それから』だったか?)
意気地のない人ですね。(『三四郎』)

なるほど。これだけでも漱石が「ホモソーシャルな欲望」を描いていることが論証できそうだな、などと高澤に即して考えていたのだった。

2011年2月6日日曜日

めでたい

書評家の豊崎由美が主導して始めたツイッター文学賞というのがある。ツイッター上でひとり一票、その年の文学作品で一番いいと思ったものに投票し、それを集計して順位をつけるという催し。

ツイッターにはハッシュタグというのがあって、「#」+アルファベットや数字の文字列をつくり、その前後にスペースを作れば、この文字列についての書き込みを一覧表示できる。そのシステムをつかって票を集計するという仕組み。

そのツイッター文学賞第1回の発表の座談会がUstream(やはりインターネット上でリアルタイムで映像発信できるサイト)で配信された。最大800人以上が視聴していた。そこで、ボラーニョ『野生の探偵たち』が5位だった。翻訳作品と日本作品の部門があって、もちろん、翻訳物で5位。めでたい。

1位は圧倒的にミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』岸本佐知子訳(新潮社、2010)だった。

短編集だ。やっぱり短編は強いな。いや、もちろん、短編の強みだけでなく、魅力的な短編集だからこその評判なのだが。

おお、そういえば、ぼくはつい最近、リカルド・ピグリアの「短編小説についての命題」なんてのを訳したのであった。そんな新たな目をもってジュライの短編を読んでみようではないか。

豊崎由美、大森望の名コンピにあと3人ばかり加わっての座談会では、たとえば、「妹」という短編の話で盛り上がっていた。中年(初老?)の独身男が、そんな立場の男にありがちなように、しばしば友人たちから妹を紹介されるという書き出し。友人の妹なのだから、その彼女もけっこうな年に違いないのだが、その主人公がついつい若いティーンエイジャーの妹を想像してしまうという、そんな悲しい身の上を描いておかしい、と批評家たちは笑っていた。

うむ、確かにこの主人公はとっても悲しく、おかしい。仕事仲間からブランかという妹を紹介すると提案されるところから物語は動き始めるのだが、それがまたいい:「ブランカ・シーザー=サンチェス。その名を聞いて、自分はまたぞろ、うんと若い娘を思い浮かべるという間違いをやらかした。白いドレスを着た十代の娘。ういういしい胸のふくらみ。せび紹介してくれ、と答えた」(61-62)。

残念、メキシコ系だったら「シーザー」でなく、「セサル」なのだよ、ということは今はどうでもいい。この間違いがプロット1、つまり目に見える物語の始まり。これだけで充分面白い。

Ustream上の批評家たちは「ところが、……」と結末をごまかしていた。結末というのは、プロット2、秘密のプロットの顕在化する瞬間のことだ。いわゆる「ネタバレ」を避けたのだろう。「ネタバレ」にならないぎりぎりの範囲でいうと、こうして主人公は色々な場所に引きずり出されて(エイズの慈善パーティーとか友人とブランかの両親の入院している病院とか)ブランカに紹介されると言われるのだが、すれ違いばかりでなかなか会えない。3人で飲もうと友人宅に呼ばれたとき、結局、ブランカなんていないと言われる。

ブランカはいない、ではそれはどういうことなのか? それを示唆するのが主人公が連れ出された場所の数々だ、というように、プロット2は確かに、実にたくみに用意されている。うまい。

しかし、ミランダ・ジュライの一番の魅力は、おそらく、こうした伏線、プロット2にくみする細部とは別個、読者をミスリードするある要素があるということだ。それは目に見えない誰かが近づいてくる、あるいは近くにいることを感じる主人公の能力だ。「ブランカのことを想ううちに、彼女がだんだん近づいているのが気配で感じられた。下の通りを歩いてくる足音が聞こえ、階段を小走りに上がってくる音がして、ドアがぱっと開く」(70)。

そして、この「能力」を保証するのが、「妹」と聞いてティーンエイジャーを思い浮かべる主人公の妄想癖。加えて、他の短編でも不在の誰かの存在を感じる主人公たちが出てくるという、短編集全体の構成。実際、ミランダ・ジュライの魅力のひとつは、この不在の誰かを感じ取る人々の造型なのだと思う。

岸本佐知子の訳であることもこの翻訳短編集の強みだろうな。今問題にしている短編「妹」の主人公=語り手の一人称が「自分」であるところなど、すばらしい選択だと思う。ぼくはこの一事をもってこれに引き込まれた。うまい。ジュライも、岸本も。第1回ツイッター文学賞1位は伊達ではない。

2011年2月5日土曜日

カラスは背中の痛みに耐えながら……

大学院博士前期課程冬入試面接。博士前期課程というのは、要するに、修士課程のこと。近年は秋入試・冬入試と、2回に渡ってやる。今日はその冬入試。

第2外国語をスペイン語で受けた学生がいたので、本来、加わらなくていいのだけど、「協力者」という資格で加われ、と言われて行った次第。

何のことはない、それはアルトーをクリステヴァやらデリダらを通じて論じるという計画を持つ受験生で、詩論の確立などにもはやあまり興味を持っていないぼくではあるが、まあ若いうちはこういうこと考えるよね、こういう野心は素敵よね、と思いながらニコニコしているだけであった。最後に何かないかと水を向けられたので「正反対」の意味で「真逆(まぎゃく)」なんて書いているけど、これって、『大辞林』にしてやっと最近の版で「俗語」として登録した語で、『日本国語大辞典』にいたっては「真逆(まっさかさ)」という語しかないからね。こんなんは論文には、ましてやこんな20世紀フランス知識人の身振りをまとうかのような文体にはそぐわないからね、と言った。きょとんとしていた。きっと「真逆(まぎゃく)」が最近の語だという意識などないほどに内面化しちゃってるんだろうな。

帰りにスーツをあつらえてきた。といっても、簡易オーダーメイドで安く作ってくれるようなところでの注文。スーツのためのシャツを作りに行ったら、ついでにスーツも、ってことになった次第。最近ドラスティックなシルエットの変化を経験したので(モードの世界が、ということ。ぼくが、ではない)、大抵のスーツがどこか時代遅れになっている上に、一着、決定的にくたびれ、擦り切れ、破れ、使い物にならなくなっているものがあったから、それの代わりだ。

ぼくはあまりスーツは着ないが、それでも数着は持っている。ジャン-ポール・サルトルが毎年、同じデザインのスーツを何着かまとめて作り、それをとっかえひっかえ着ていた、だからいつも違うスーツを着ているのだが、傍目には同じスーツを着ているように見えた、なんて話を聞くと、いいな、俺もそういうことやりたいな、と思ったりはする。実際にはそんなことはしないが。

で、サルトルと同じようなことを『西部警察』のころの渡哲也はしていた、という話を聞いたことがある。渡哲也というより、大門課長(だっけ? 彼の役名は。実は『西部警察』ってほとんど観たことがないのだった)は、というべきだろうか? ともかく、そんな渡哲也または大門課長がその行為をするにあたってサルトルからヒントを得たのかどうかは不明。

サルトルのスーツは限りなく黒に近いグレーだったはずだ。あるいは黒だったかも。彼は黒の世代の人間だから。たとえばメキシコで「実存主義者」というと、黒いスーツを着た連中、という含意とともに流行した風俗であるらしい。思想潮流と言うよりは。とホセ・アグスティンが書いていた。

イタリアの未来派の詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティはいつも黒いスーツを着ていた。なぜ着替えないのかと訊かれた彼は答えた:「カラスは着替えない」。という逸話を若桑みどりが授業中(彼女はぼくが学生時代、外語に非常勤で来ていた)言っていたように記憶するのだが、果たしてそれはマリネッティだっただろうか? それともマヤコフスキーだっただろうか? 未来派の先端志向が鳥、および鳥のくちばしへの偏愛を生みだした、という話の流れだったように思う。昔のノートで確認したが、記していない。書いていないことに限って記憶してるんだな。

ん? 鳥ならば、それとも、ロプロプ鳥のエルンストの話か? 

ぼくも今度、黒い服を立て続けに着て行って、そのことを誰かに指摘されたら言ってやろう。カラスは着替えない。

2011年2月4日金曜日

完結

リカルド・ピグリア「短編小説についての命題」完結だ。

           X
ボルヘスが短編小説の歴史に導入した重要な変種はプロット2の暗号化された作り方を作品のテーマにしてしまうといことだ。ボルヘスが語るのは、誰かが目に見えるプロットの材料を使って倒錯した喜びを覚えながら秘密の話を作っていくそのしかただ。「死とコンパス」ではプロット2はシャルラッハが考えたものだ。「死んだ男」のアセベド・バンデイラも同じことをする。「裏切り者と英雄のテーマ」ではノーランがそうだ。

ボルヘスは(ポー同様、カフカ同様)語りの形式の問題を逸話へ変えてしまうすべを知っていた。

XI
短編小説は隠れている何ものかを人工的に出現させるために構築される。生の不透明な表面の下に隠れたある真実を見せてくれるたったひとつの経験を常に新たなしかたで探し求める、そういう探求だ。「見知らぬものを遠くの未知の土地にではなく、手近なものの真ん真ん中に発見させてくれる瞬時のヴィジョン」とランボーは言ったのだった。

その不敬な幻覚が短編小説の形式に変じたのだ。

今日は1時限に授業内試験を行い、これで金曜日は全日程を終えた。

2011年2月3日木曜日

それを昔、あんパンと言ったのだ。

確かにあんパンと言ったのだ。かつて。俗語でシンナー遊びのことを。

ビニール袋にトルエンやらセメダインやら何やらを入れて、それが気化する空気を吸い込み、神経を麻痺させて幻覚・幻聴・快楽を得るという遊び。それがシンナー遊び。それをあんパンと呼んでいた。たぶん、全国に通用する俗語だったはずだ。

ぼくが中学生のころなど、そこら辺で技術の教室から接着剤をくすねて吸い込み、らりっている者などがいたなあ、と先日、中学の同窓会で友人たちと話したのだった。でも、ところで、なんでそれがあんパンなのだろう? 当時、不思議に思ったものだが、さりとてそれを調べるほど真剣に問題にしたいと思うわけでもない、その程度の疑問だ。

そしてその程度の疑問は一番手に負えない。一生解決できないからだ。

さて、昨日、水曜日の1年生の授業の前、教室に入っていくと(ぼくは時間前から教室で待機するのを常としている)、何人かの学生がパンを食べていた。遅い朝食か、それともブランチか? ともかく、パンを食べていた。

そしてそのうちのひとりが、スーパーかコンビニのビニール袋にパンを入れたまま(パンそのものも袋に入っているわけで、つまり二重に袋の奥に隠れている)、その袋に顔を埋めるようにしてパンを食べていた。

その姿を見た瞬間、30年来の疑問(解こうとも思わなかった疑問だが)が一気に解けたような気がした。なるほど! あんパンを食べている姿は、まるでシンナー遊びをしているようじゃないか。いや、つまり、シンナー遊びはあんパンを食べる仕草のようじゃないか。

この感動を誰かに伝えたくて、授業はまだ始まっていなかったが、ぼくは学生たちに発見したばかりのアナロジーを説いた。

「でも、なんであんパンなんですか?」

だと。質問が上がったのだ。おそらく、あんパンなんて俗語を知らない世代の大学1年生から。

いや。君ね、あんパンというのは、この場合、たぶん、提喩というやつで、コッペパンでもジャムパンでもメロンパンでもいいのだよ。そして数あるパンをあんパンで代表させるところが、きっと時代なんだな。少なくとも1970年代までの日本の記号の体系だったのだよ。パンと言えばあんパン、殺虫剤と言えばフマキラー。

ちなみに、最後に出した「フマキラー」は、『百年の孤独』の日本語訳で、当初殺虫剤の訳語として使われていた商標名。2000年くらいに新訳版が出たときにはさすがに「殺虫剤」に直されていた……と、そんな話にまでは、その場では、発展しなかったけどね。

2011年2月2日水曜日

早口で脱線を重ねながら

甲州街道が渋滞だとかで、菊地成孔は少し遅れてやって来た。遅れてやって来て機材のセッティングをしてから一旦は控え室に下がり、戻ってきて授業を始めた。ポップミュージックのリテラシーを広める活動をしているのだというようなことを語りながら探り探り話に入っていく。話の中心は、音楽は言語か? というアポリアを巡って、ジャズを題材に考えるというもの。チャーリー・パーカーにいたってジャズが言語を持つに至ったと、プレーヤーも批評家も考えることになるのだが、それはつまり、言語としての崩壊の始まりを標しているからこそ反語的にそれが言語であるということを意識させたのだということだとか。

その崩壊を標しているのが、パラレル・コードの多用によるコード演奏からの逸脱なのだと、逸脱しつついつの間にか戻ってくるその奔放さなのだとか。そんなことを菊地は早口で、脱線に脱線を重ねながら説いた。まるで、当のチャーリー・パーカーの演奏のように。(ここで少し脱線するなら、ぼくはかまやつひろしがジャズなどからはほど遠い彼のヒット曲「わがよき友よ」を、ほぼ1ストロークずつコードを変えてギターを弾き語りしているのをどこかのTV番組で観たことがある。パラレル・コードだ!)

バードの採譜不可能性を語りながら、つい2日前にあるところの授業(芸大?)で、学生と菊地とで採譜した譜面が違うことをもとにして議論したのだと、そのときの資料など示しながら語った。うむ。楽しそうな授業だ。

そういえば彼、「カルペンティエル地下文学賞」と銘打ったコンサートなどやっている。終わって控え室で訊いてみたら、カルペンティエールはわりと好きなのだという。翻訳者としては嬉しいところ。まさにぼくの訳した『春の祭典』で、音楽学の大学院生アダがキューバのリズムを採譜しようとしてはうまくできないと嘆く場面など、彼は読んでくれているのだろうか? リズムにきっちり合わせるのでなく、独特のずれを作る余裕がないから、自分は一流になれないのだとの主人公のバレリーナ、ベラの吐露を読んでくれているのだろうか? 

2011年2月1日火曜日

さらに書斎の極小化、とIX

リカルド・ピグリア「短編小説についての命題」IX

                 IX
ボルヘスの場合は、プロット1があるジャンルとなり、プロット2はいつも同じだ。秘密のプロットのこの単調さを弱める、またはごまかすために、ボルヘスはジャンルを変えることによってもたらされる変化に頼る。ボルヘスの短編はどれもこうした手続きで作られている。

チェーホフの逸話をボルヘスが書けば、目に見えるプロットは、つまり作品全体は、何らかのジャンルの伝統の紋切り型(軽くパロディ化された)にしたがって語られるだろう。おたずねもののガウチョ(たとえば、だ)たちがエントレリオス州の平原にある居酒屋の奥で興じるタバの賭け〔訳注:牛の骨——タバ——などを投げて競う賭け〕といったところだ。それをイラリオ・アスカスビ〔訳注:アルゼンチンの詩人。1807-75〕の友人にして〔フスト・ホセ・デ〕ウルキサ〔将軍〕の騎兵隊員だった男が語るのだ。自殺のくだりは、ひとりの男の人生が彼の運命を決することとなったたったひとつの場面もしくは行動に凝縮された多面的な行動として語られるだろう。

うむ。最後は笑ったな。「タデオ・イシドロ・クルスの生涯」だな。さすがにピグリアは鋭い。

書斎にはリファレンス類を机の一番近いところに置いておく。これがぼくらが常にとらわれているオブセッション。ぼくの机の周囲には辞事典類が並ぶことになる。本棚ほぼひとつが辞事典類で埋め尽くされている。(ぼくのオブセッションでは個人的に過ぎるだろうから、なんなら、ボルヘスの読書係も務めていたアルベルト・マンゲルの『図書館』を参照されたい)

我が家にあるリファレンス類のうち、アカデミアのスペイン語辞書『ランダムハウス英和辞典』『大辞泉』『日本国語大辞典』がネットに接続可能なことにより、そして『西和中辞典』『大辞泉』『リーダーズ英和辞典』Oxford English Dictionary(いわゆるOEDではない)およびそのTheasaurusがiPadまたはiPod touchに入ったことによって、María MolinerがPCに入ったことによって持ち運び可能になった(加えて、もとも持っていなかった『ブリタニカ』———れの英語版CD-ROMは持っていた———『類語新辞典』を持つ)ことは、こうしたオブセッションを満足させる。

しかし、同時に、それらの辞事典類を置くために必要だったスペースが不要になるということが嬉しい限りじゃないか。ポルトガル語やイタリア語、フランス語の辞書なども電子化していけば、ますます身軽になれるな、と夢見る。夢見るばかりで仕事をしないから困るんだ、ぼくの場合は。

さて、今日は秘密の仕事と別の秘密の仕事をして、それから秘密の場所に行って、そして大学に行って菊地成孔の講演でも聴こう。