2010年1月30日土曜日

30年経って戻ってきたよ

またしても休日出勤。博士後期課程の面接。対象はひとりだけなのだが、その後も何かと細々としたことをやらねばならず、四ッ谷でちょっとしたワークショップがあるのでできれば来いといわれていたのだが、もう間に合いそうになかったのでめげ、帰りしな、某デパートのバーゲンに立ち寄って、やっぱり買ってしまった、これ、スタジャン。


きのうスタジャンが欲しいと書いたのは、実は前歴があって、去年(もう一昨年か?)あたりから、久しぶりにスタジャンの存在感が大きくなってきたなと思っていたところ、担当している2年のある学生が、何度かスタジャンを着てきたので、授業の始まる前の雑談で、まだスタジャンの流行は続くかな? と尋ねたところ、続きます! と感嘆符つきで請け合ったものだから、セールの時期だし、買っちゃおうかな、なんて思い始めていたところだったのだ。

第三次アイヴィ・ブームと呼ばれていたと思う。「みゆき族」や「ニュートラ」から区別するためにプレッピー・ブームとも呼ばれていたような気がする(「プレッピー」というのはプレップ・スクールの生徒の意。つまり、J・D・サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドが退学になったような名門私立寄宿学校)。ともかくそんな雰囲気があった高校時代、なけなしの小遣い(お年玉だか奨学金だか)を貯めて買ったのが、胸にV(Vanguard)のロゴも鮮やかなVANのスタジャン。ぼくはこれをメキシコに行くまでの10年ばかりの間、トレードマークのように着ていた。


たとえばこれは1984年4月17日、大学に入りたてのころ、新入生オリエンテーション旅行帰りの、修善寺から沼津に向かうフェリーの上でのスナップショット(部分)。チノ・パンツ、ボタンダウン・シャツ、スタジャン、メッセンジャー・バッグと、やれやれ、今と何ら変わらないじゃないか……眼鏡は今では伊達ではなく、凸レンズの入ったものに成り下がり、髪だってこれでもだいぶ薄くなっているけれども、カメラに向かって舌を出す無礼さも、相変わらずだ。ぼくはこの30年間、いったい何をしていたのだろう?

しかも、買ったのはまたしてもVANのスタジャン! だったのだけど、腕の革張り部分も見頃のフェルト部分も黒のものを選んで、少しは大人っぽくしてみた。この色使いの違いだけが、ぼくの30年の人生の成果。喜んでいいのか悲しむべきなのか……

2010年1月29日金曜日

近づくラスト

昨日、28日(木)、5時限の表象文化とグローバリゼーションの授業は柴田元幸さん、都甲幸治さんをお招きしてシンポジウム。「現代文学と子供」。司会は和田忠彦さん。ぼくは紹介だけの楽な役回りだ。大人げないのは大人である、という話など。

表象文化とグローバリゼーションの授業は昨日が最後。来週には試験を行う。終了後、打ち上げ。そうとう酔ってましたね、とは帰りしなにすれ違った知り合いの学生に、今日、言われたこと。

今日1時限のスペイン語Iの授業も来週、試験を行うため、通常の授業は今日が最後。だんだん終わりが近づいてきた。

明日は博士後期課程の入試、2次面接。

J・D・サリンジャーが死んだ。確か彼は1919年生まれ。もう90を越えていた。大往生だ。

レストラン●●の名物サラダはニンニク入りであるために、カップルで訪れるものは2人とも注文するか、どちらも注文しないかの選択を迫られた、というような書き出しで始まる短編は何だっただろうか、などと考えながら車を走らせていたのだった。サリンジャーは『選集』も持っていたが、あれはそういえばどこにやったのだろうか? 

そういったものも読んでいた18のころを思い出したせいか、去年くらいから復活の兆しを見せているスタジアム・ジャンパー、いわゆるスタジャンが、猛烈に欲しくなった。

2010年1月26日火曜日

すごいぞ、ライダー・キーック!

法政の採点を終え、大学まで持って行く。外語はまだ試験にもならない。

ゆえあって石ノ森章太郎『仮面ライダー』全3巻(中公文庫コミック版、1994)、同『仮面ライダーBlack』全3巻(小学館文庫、1998)などを読む。

石ノ森章太郎はやっぱり、圧倒的にかっこいい。何がかっこいいって、そのコマ割による静と動の示し方が絶妙で唸らせる。島本和彦がどこかで論じていたように思うけど、仮面ライダーが最初にライダー・キックを披露するときの、その直前のトンボの切り方、その描き方は感動に打ち震えないではいられない。ぼくが子供時代おそらく一番愛した漫画家は、子供時代に感じた以上にスタイリッシュだ。ライダー・キックは「トオ! ライダー・キーック」なんて叫ぶからすごいのではない。この絶妙の描き方からくるスピード感ゆえに強烈に見えるのだ。

2010年1月24日日曜日

休日出勤

今日は大学院博士後期課程入試。出題者として研究室に待機。その間に修士論文やら卒業論文やら(の一部)に目を通す。

締め切りに追われていたのは分かるが、それでも書いたものは一度は読み返して欲しいなと思うのであった。毎年何本かの(何本もの)卒論や修論を読むわけだが、読み返しさえすれば避けられたはずの誤字脱字などがたくさんあると、ため息が出る。

飴をなめたときに舌を傷つけたと思ったら、よくよく見たら、立派な口内炎で、口内炎というのは口の中にできるのであって、舌はその対象外だろうと思っていただけに、心底驚いた。

日曜日が出勤日だと翌日が休みのような錯覚を受ける。月曜日は本来授業は午後だけなのに、年明けは午前中から用事のある週が続く。しかも先週も日曜は出勤日だった。もう少し余裕が欲しいものだと思う。

2010年1月23日土曜日

悲劇

フェデリコ・ガルシア=ロルカ『血の婚礼』は悲劇の復活を期して書かれた戯曲で、クライマックスの森の中でのシーンに死を暗示する月や乞食の老婆を配して詩を詠わせている。ジョージ・スタイナーの言うように悲劇とは詩の同意語なのであって、この詩的で幻想的な森の場こそが『血の婚礼』の悲劇性を保証している。

ウンプテンプ・カンパニー第8回公演「驚きの音楽劇」第2弾『血の婚礼』(シアターΧ)は、「音楽劇」を謳うだけあって、脇役たちを時にコロスに回し、歌を歌わせ、よりわかりやすい悲劇の仕立てにしている。そのわりにたとえば月の詩(「わたしは川面に浮かぶ円い白鳥……」)にはメロディーをつけず、詩として朗唱させている。

2007年のアトリエ・ダンカンのときもそうだったけれども、フェリックス家と花婿の家の因縁をセリフで示唆するだけでは足りないとの意識があるのか、原作にないイントロダクションを入れてそれを説明している。この種の過剰説明が果たして本当にいいものか、ぼくには分かりかねる。ただし、そもそも「音楽劇」を謳ってミュージカル仕立てにしたそのミュージカル部分は、悲劇の通俗版としてのオペラの、そのまた通俗版としてのミュージカルに似つかわしい、本質的に過剰説明なのだから、見る側としても最初からその覚悟はできている。だからいやみでもなかった。

音楽はピアノとコントラバス、ヴァィオリン。既にメロディーの存在する子守歌や「目覚めよ、花嫁」の歌にオリジナルのメロディー(ピアノの神田晋一郎が作曲)をあてがい、そこからさらなる展開をみせる。



シアターΧは、周知のごとく、両国にある。両国といえば隅田川だ。都市はやはり川を挟んでいなければと思うぼくにしてみれば、なんだかうきうきする場所だ。隅田川はこのあたりはもう潮のにおいを含んでいる。

途中で買ったこれ。ラウラ・レストレーポ『サヨナラ――自ら娼婦となった少女』松本楚子、サンドラ・モラーレス・ムニョス訳(現代企画室、2010)。

コロンビアの作家レストレーポ初の翻訳。「サヨナラ」という名の娼婦の話。何はともあれ、レストレーポが訳されたのだから、めでたい。

……しかしなあ、最初から

当然のこと、サンティアゴへ、愛ゆえに
でも、どこから彼女の心に入ればいいのだろう?
セント=ジョン・パース

なんてエピグラフがあったら、それだけで読む気がなくなるな。何もどこの誰かも分からず、検索しても見つからない人物ではない。サン=ジョン・ペルスだ。仮にもノーベル賞詩人だ。少なくとも2分もあれば見つけ出せるはずだ。そんな必要な調べ物もせずに「セント=ジョン・パース」なんて書いてそのままにしているというのはどうかと思うな。

些細なことだ。とても些細なことだ。でもそんな些細なことだからこそ、この程度のエラーを犯す人間は信用を失うと思うのだな。ちょっと前にぼくは「辞書を引こうよ」と書いたけれども、事典も引こうよ、と言いたいものだ。

この場合、『新潮世界文学辞典』とか、『集英社 世界文学大事典』とかを引けば一発のはずだ。ぼくはさすがに集英社の『大事典』を家に置く余裕はないが、月数百円を払ってウェブ版『大事典』をいつでも検索できるようにしている。ついでに言えば"Japan Knowledge"も活用している。

それから、もう一冊。

大江健三郎『水死』(講談社、2009)

2010年1月21日木曜日

侵入者

昨日告知した木村榮一講演会、つつがなく終わる。短編「じゃま者」La intrusa を父殺しのモチーフ(といっても、フロイト的なそれでなく、厄払いとしての)の中で解釈するという話し。

「じゃま者」は、実を言うと、ぼくがはじめてスペイン語で読んだボルヘスの短編。学部の学生のころ、卒論ゼミで読んだ。ボルヘス自身が一番気に入っていると誇るこの短編、表面的に見れば、兄弟の絆を守るためにいったんは水揚げして愛した娼婦を殺すという、実に身も蓋もない話だが、実はぼくも意外に気に入っている。

ゲラが送られてきて、全貌が明らかになった今度の本。870ページ以上あった。赤を入れて分量は増えるはずだし、「あとがき」を入れれば900ページにはなろうかという大作と判明する。2巻に割るのだろうけど。その会社の宣伝部の方が木村講演会に来ていて、ご挨拶をいただく。

明日は授業の後、法政のゼミの連中と打ち上げ。

2010年1月20日水曜日

明日は講演会

ハイチでの地震は大変なことになっているというのに、ぼくは体の張りを抱えながら、身の回りのちまちまとした仕事に忙殺されて生きている。すべての会議が終わったときには、7時半を回っていただろうか?

明日は5時限、表象文化とグローバリゼーションの時間に、講演会をやります。木村榮一さん。「ボルヘスと父親」。

ボタンフロントのジーンズというのをいくつか持っているのだが、でも実際に稼働しているのは今は1本だけで、このボタンフロントというやつ、ある文脈のなかではけっこう好きなのだが、別の文脈の中ではとても困ったことになる。今日はそんなリーヴァイス501のボタンフロントを穿いていて、そんなことを考えながら会議をやり過ごした。

……こんなことを書くとぼくの勤務態度がとても不真面目なように響く。

ゲラと別のゲラ、レポートと別のレポート。そして、これ。文庫化されたのだな。

柄谷行人『トランスクリティーク――カントとマルクス』(岩波現代文庫、2010)

2010年1月18日月曜日

トウィッターと言ったらツイッターだと笑われた

もう日付がかわっているから昨日のことになるが、気分としては今日、センター試験監督。病気による特別措置の教室で、試験時間が1.3倍の部屋。終わったら6時40分だった。初日は7時半ぐらいまでだったとか。1人の受験生に対し2人の付添と2人の試験監督。

こういう手厚い態勢にかんしては問題がない。すばらしい。こうあるべきだ。しかし、何度でも言いたいが、センター試験など、徒労感多くして得られるもののない仕事だ。入試システムの不条理を泣く。けっこう疲れるもので、12時を回るころまで体も動かなかった。

さて、こんなものを見つけ、これを読んで大いに共感し、そうそう、そういえば、と思い立ったのが、先日書きかけてやめたこと。前回の記事に告知した雑誌内、ぼくのひとつ前のコラムでの "Quizás, quizás, quizás" の紹介記事。「この曲の大きな特徴だといえるのは、歌詞のスペイン語の易しさです。非常に平易な語彙で作られていて、文法的にも接続法が1か所だけ使われていることを除けば、大学1年の中盤ぐらいのレベルですべて理解できてしまう内容です」と書いておきながら間違えたこの人を非難するつもりはないので、名前は伏すが、実は、平易だと思われるからこそ難しい、……というか、そこに落とし穴があるのよね。上にリンクを貼った同僚のブログはそのことに警鐘を鳴らしている。そして、コラムの筆者はその落とし穴にまんまとはまっている。「いつも私は君に質問する/いつ、どんな風に、どこで?」ではないんだよな。せめてその次に「そのたびに君は、」とでも書いてくれたらな。

ふたつ目。"Por lo que tú más quieras / hasta cuándo, hasta cuándo"(ぼくの記憶では "Por lo que más tú quieras"だったと思うのだけど、それはこの際、どちらでもいい話)を「君が一番好きなもののために/いったいいつまで? いったいいつまで?」と訳しているのは、いかにもまずいと思うのよね。これでは何のことかよくわからない。この "por" は代価の "por"、つまり、"por dios"というときの "por" 。早い話、お願いしているのだな。「何でも好きなもの」あるいは「一番好きなものをあげるから、お願い、教えて、いつまで待たせるの?」という意味だ。

ちなみに、いわゆるMaría Molinerの辞書には "por lo que más quieras"という表現は "expresión de ruego"(懇願の表現)とあっさり定義されている。

うむ。やはり、同僚の言うとおり、辞書を引こうね、という、ただそれだけのことだ。

あくまでも、これは誰もが陥る落とし穴。それにはまった人を非難しようとしているのではない。何より、歌の歌詞を正しく知っていただきたいということ。間違いは誰にでもある。辞書を引こうね。

2010年1月15日金曜日

9時間の爆睡

昨日は木曜日。レギュラーの授業は2時限のみだが、1時限と5時限のリレー講義、5時限後の院後期、多分野交流の授業と、へとへとの1日。

1時限は「比較文学 テクストの宇宙を行く」の授業。今年のテーマは「書物」。ペレス=レベルテ、ポランニーの映画、エーコ、アノーの映画、ボルヘス。書物への愛と書物嫌悪の話。

5時限は「表象文化とグローバリゼーション」。去年の2月のシンポジウムで話した『ズート・スーツ』の話を、授業用に、丁寧に。

5時限後は大学院生の話を拝聴。劇場空間と未来派の同時性、空間破壊の話。

開放感たっぷりに酒を飲んで早めに寝たが、起きたら9時間も経っていた。

今日はセンター試験前日とのことで休講。だからこそできた話。しかしなあ、こんなもので休校日を作っておきながら授業週15回確保を要請する当局はいかがなものかと思うのだがな。

ところで、昨夜、届いた。『NHKラジオ まいにちスペイン語』2010年2月号。連載最後から2回目の「愉悦の小説案内」。今回は『石蹴り遊び』「音楽を聴きながら読む」。コルターサルってスウィンギングだぜ、という話。

2010年1月12日火曜日

翌朝も怖い


昨日はここに行った。

深酒して二日酔い。年明け最初の授業。法政大学での非常勤の授業だ。2時限の時間中、雪が降った。幸い、つもることはなかった。さすがにとても寒かった。

さて、もうひと月ほど。授業が続く。法政はもう終わるが。

2010年1月10日日曜日

それでも夜が怖い?

まだまだ夜が怖い、なんて思うのは、ジャン=ジャック・アノー『薔薇の名前』(フランス、イタリア、西ドイツ、1986)などを見たからだ。なにしろ夜の夜中に人目を忍んで本なんか読んでいたために殺される人々の話だから。これも(これも、というのは、以前書いた『ナインス・ゲート』との関係で)最後に本が燃える話。ただし、これは原作にして既にそうで、ついでにいろいろなものが燃える。

2010年1月9日土曜日

まだまだ夜が怖い

ヴラディーミル・アシュケナージにヴォフカというピアニストの息子がいることなど、取り立ててアシュケナージ好きでもない(2、3枚は持っていたと思う)ぼくは知らなかったわけだが、その2人の初の連弾によるアルバム、ドビュッシー&ラヴェル『2台のピアノのための作品集』(DECCA、2009)にはドビュッシーの側からは「リンダラハ――2台のピアノのための」(1901作曲、1926初演)が、ラヴェルからは『スペイン狂詩曲』(1908、1985の「ハバネラ」を含む)がピックアップされていて、これなんかも今、頭を痛めている仕事にはうってつけの題材なんだけどな、と思ったので買ってきた。

本当は、昨日、過去の記事を捜す途中、デジタル・リマスター版の『アビィ・ロード』を買ったという記事を久々に見つけて、思い立ち、散歩のついでに近所のCD店に『サージャント・ペパーズ……』を買いに行ったのだけど、そのついでに、アシュケナージ親子も買ってきたという次第。

で、まあロジャー・ニコルズのライナーノーツによれば、ドビュッシーの「リンダラハ」はラヴェルの「ハバネラ」に対する「返答として書かれた可能性もなくはない」のだそうだ。ふむ。この2人はそんなに仲がよかったのか。ちなみにドビュッシー、ぼくより101歳年上だ。

ところで昨日の記事、「こむら返りと金縛り、幻聴、幻覚」。別に異常なことではない。現在の家に越してきてからなのか、40を迎えるころからなのか、いずれにしろ、こうしたことが起こる。

たぶん、それを「こむら返り」と言うのだと思う。こむら、つまりふくらはぎの痙攣だから。でも肉離れと言ってしまいたくなるほど激しい痙攣を夜中に感じることがある。これは若いころからの話。だが、近年とみにそうだ。最近見いだした対処法は、脚を曲げて眠ることだ。これならどうにか痙攣を避けることができる。でも、眠っている時は意志など働かないから、ぼくのあまりにも長く美しい脚はいつしかピンと伸びてしまい、こむら返りを起こしてしまうというわけだ。

で、問題は金縛り。これは若いころよく経験していた金縛りとは異なるものなので、本当は金縛りと呼ぶべきかどうかもわからない。両肩だけが何か抵抗しがたい強い力によって押されているように感じる。幻聴や幻覚とともに襲ってくるこの現象、これが怖くて夜が眠れない。結構な頻度でこれが起こる。ぼくもたいがい臆病なものだから、目を開けると何かがいそうな気がして必死に目を閉じ、「やめろ!」と叫ぶ(ように心の中で念じる)のだが、そんなときにまぶたの裏に、日替わりで様々な幻覚が見えるのだ。アモルフな何かだったり、見覚えのない人の顔だったり、……そこに人の声やらドビュッシー風の音楽が聞こえてきたりするのだな。

? そうか。あれはドビュッシー風だったのか! それともSGTペパーズ風? うーむ、いずれにしても、今夜もまた寝るのが怖い。

2010年1月8日金曜日

夜が怖い

ある思惑があって、黒川直樹、田中厚子、楠原生雄編『世界の建築・街並みガイド6 アメリカ/カナダ/メキシコ』(エクスナレッジ、2004)なんてのを眺めながら、あれ、この建物はなんだかぼくが記憶しているのと見た目が違うぞ、ひょっとしてぼくは勘違いしていたのか! などとスキャンダルに見舞われている。

心をなだめようと頼った先が、

一九二九年、アメリカの労働者のわずか三・二%が失業し、証券市場は未曾有の高さに上昇し続け、誰もが金持ちになった。一九二九年一〇月二四日の証券市場の崩壊のわずか数日前、当時の最も著名な経済学者の一人であったイェール大学のアービング・フィッシャー教授は、聴衆に向かって、証券市場は高水準に達したが、まだ上昇し得ると話した。それから突然、谷底がやってきた。手元にあった貨幣を使って、投資したフィッシャー教授は、証券市場の崩壊で八〇〇万ドルから一〇〇〇万ドルを失ったと言われている。大恐慌が、アメリカを襲ったのである。(ポール・デビッドソン『ケインズ経済学の再生――21世紀の経済学を求めて』永井進訳、名古屋大学出版会、1994、7-8ページ)

これから言えることは、証券市場は頂点の直後に恐慌を引き起こすことがある(少なくとも過去に2度)ということと、経済学者に未来予測はできない、ということ。たとえそれが当代随一と名高くとも。

別に経済学者に限ったことではない。学問なんて過去か限りなく現在に近い過去の事象を分析し理論づけることしかできない。そこから引き出しうる未来予測は絶対ではあり得ない。たとえば、「証券市場は頂点の直後に恐慌を引き起こすことがある」という過去の観測から引き出しうる法則があったとしても、どこが頂点かはわからないじゃないか。

そもそもこの命題、何かおかしい。高いところから低いところに落ちるから人はそれを暴落という。いったん暴落したら、そこから見れば、その直前の高みは頂点に決まっている。

などと考えながら夢に落ちていったのが昨夜のこと。こむら返りと金縛り、幻聴、幻覚で眠られず、やれやれ、経済学の本なんて読むんじゃなかった。

まあ、あるイベントにこと寄せての読書。

そのイベントとは無関係だが、こんなイベントがある。これは去年やったこんなイベントのシリーズなのだが、今回はぼくは関係していない。

2010年1月7日木曜日

概論嫌い

昨日は教授会。今日は別の会議。授業はまだだが既に仕事は始まっている。憂鬱だ。

今日は卒論と修論の提出日初日。明日まで。提出に来た学生何人かに出会う。初日に提出なんざ、偉いじゃないか。と感心しきり。

この間仕上げた原稿のための「はじめに」を書いて送付。いつまでも書けないのは別の原稿だ。

概論が苦手なのだ。何というか、概論が要求されていることが感じられる仕事は苦手だ。概論など、誰にでも書ける、ぼくの代わりに書ける人間はいくらでもいると思ってしまうのだ。そこまで書くことを指定してくれるなら、あなたが書けばいいのでは? と言ってしまいたくなる。

もちろん、つまらない概論を書いていても誰もが個性を露呈してしまう。ぼくが書けばぼくしか書けない概論になる。問題は、そんなことはわかっているつもりでも、否応なしに出てしまう個性などでなく、何かちょっと目配せのような目立つことを、1行でいいから書きたい衝動を抑えられない。それがうまくいくとは限らないのに。で、目立つことを書こうとして、本当にそのとおりだったっけかなと確かめようとしたら、確かめられずにずるずるとフエンテスの『空気の最も澄んだ土地』をめくってみたり、ワシントン・アーヴィング『アルハンブラ物語』平沼孝之訳(岩波文庫、1997)を読むはめになったりしている。

困ったことに、そういったものを読んでいると、本来の目的ではなく、別の仕事にこれは使える、なんてことに気づいて、気持ちがそちらに移ってしまう。「ラバ追いたちは、歌い尽くせないほど数多くの唄やバラッドを知っている」(アーヴィング、19)という一節に付箋を貼って、「14日5時限の授業」とメモを取ったりしている。

授業の再開が近づいているということだよ。

2010年1月3日日曜日

詩って君のこと

ひとつ前に書いた仕事の関係で、

ロペ・デ・べーガ『フエンテ・オベフーナ』佐竹謙一訳『スペイン中世・黄金世紀文学選集7 バロック演劇名作集』岩根圀和・佐竹謙一訳(国書刊行会、1994)

グスターボ・アドルフォ・ベッケル『ベッケル詩集』山田眞史訳(彩流社、2009)

なんてのを改めて読んだり、あるいは

テオフィル・ゴーチエ『スペイン紀行』桑原隆行訳(法政大学出版会、2008)

なんてのに目を通したりしている。ゴーチエの翻訳におけるスペイン名の表記、どうにかならないかな、せめて翻訳のある『ラサリーリョ・デ・トルメス』くらいは正しく表記して欲しいな、などと、まあいつものことなので、いつものようにため息をついたりしている。

それだけによけいに『ベッケル詩集』のあとがき「解説――黒いつばめたちは帰ってくるだろう」が気になる。まあベッケルだから、その重要性を顕揚しようというのはわかる。なにしろベッケルなのだから。でも、「スペイン文学とラテン・アメリカ文学は、わが国でしばしばそうとらえられているような分離された文学ではなく、分かち難く結びついた文学、すなわちまったく同じ土壌から生え、そして同じ一本の木に咲く二つの花である」(260)というくだりは必要なのだろうか? ぼくは「同じ一本の木に咲く二つの花」どころかひとつの花だと思っているのだが、ともかく、「わが国でしばしばそうとらえられているような」という事実があるのだろうか? 少なくとも筆者が嘆くような範囲内でそんなことがあるのか? それがわからない。

若い連中の中には、ぼくの知る限り、スペインになど興味がないと豪語するラテンアメリカ文学研究者らしいのはいる。そしてもちろん、その逆も(これも結構大切)。でもそうした連中はまだ何者でもない連中であって、この人が目くじら立てるような問題ではないと思うのだけどな。

「ケベードとゴンゴラの二人を知らなければボルヘスの知りようもない」(262)そうそう。そうには違いないけど、でも、ダンテもチェスタトンもポーもマセドニオ・フェルナンデスもアルフォンソ・レイェスも……知らなければならいとも思うのよね。

「このようにして、スペインとラテン・アメリカ文学の詩人、作家たちは、幾世紀をも越えて、そして大西洋を越えて、大きな円を描いて手を結び、連なりあう」(263)うむ。これも正論。ただし、スペインの向こうにはギリシャだってローマだってフランスだってドイツだってイタリアだって控えていて、連なっているはずなんだけどな、とぼくなどは思う。

などと思いながら読み進めていたら、なるほど、この違和感はここに由来していたのかと気づく場所に行き当たったけど、それがどこであり、どんな問題があるのかは、ここで書いてもしょうがないから書かない。

問題はベッケルなのだ。ベッケルの詩集だ。詩を読めばいい。「詩って……そうだ、君のことさ」(36)

それから、ゴーチエが旅行した当時(1840)には既にシベーレス広場界隈はファッションの中心地であったという発見など。

2010年1月1日金曜日

まだまだ終わらない

今日、小栗旬さんという方から年賀状をいただいた。基本的にサル顔系だが、しゅっとしたいい男。しかし、よく知らない人だ。よく知らない人でも、こうして丁寧に挨拶を送ってきてくれるのだから、ありがたい。返事を書いておいた。

で、何か忘れていると思ったら、明石書店に『○○を知る●章』というシリーズがあって、それのシリーズのある本の一部となる原稿をそろそろ出せと言われた。

いや、もちろん、そんな仕事があったことを忘れていたわけではない。今年いっぱい(つまり、2010年)くらいかと思っていたのだ。締め切りを忘れていたんだな。

やれやれ。休まる間もなく仕事だ。ところで、ぼくは何をどれだけ書くんだっけかな? いや、ええ、もちろん、準備はしてあるんですよ……

ヒーローの名前

さて、その『チェ』2部作主演男優の名前だ。いわずと知れたBenicio Del Toro。これをベニオ・デル・トロと呼ぶことの根拠はどこにあるのか? そもそも彼はベニオなのか? それが気になった。

カンヌの会見ではフロアのひとりだけがベニオと発音しているように聞こえる。他はベニオ。


ソダーバーグもベニオと発音しているように聞こえなくもないが、もう一度聞き返してみると、やはりぼくにはベニオに聞こえる。


ちなみに、これがデル・トロのスペイン語によるインタヴュー。もちろん、スペイン語圏ではベニオ・デル・トロと呼ばれている。


その他、関連の動画など眺めても、英語圏でだってたいていベニシオと呼ばれている。結論:Benicio Del Toroをベニシオ・デル・トロと表記するのにためらう必要はない。


話は変わるが、昨日でウェンディーズが日本から全店舗撤退した。数あるハンバーガーショップの中では一番好きな店だったのだけど……