2009年3月31日火曜日

ポイントカードって……!

どうやらぼくは、達成感のある仕事をひとつ仕上げたら2日はのんびりしてしまうタイプらしい。

コンピュータ関連の小物を買おうとビックカメラに行ったら、信じられないほどポイントが溜まっていた。それで、この際だからと思って買ってみた。レンズだ。結果、我が家のカメラがこんな装備から



こんな装備に変わった。重量もだいぶ軽く、本来のコンパクトさも実感させられる。

さあ、では、花鳥風月でも撮りに行こうか……と思ったら電池が切れていた。充電可な電池だったので充電していたら、その間に日が暮れてしまった。

やれやれ。しかたがないから仕事でもしてみた。2日はのんびりしていたかったのに。

明日は早くも新年度第一回目の教授会。4月からぼくらはほぼ全員が大学院所属ということになる。改組後初の教授会だ。

2009年3月30日月曜日

たまにはオスカー

受賞してもアカデミー賞なんざすっぽかしたウッディ・アレンが好きだからといってオスカーを受賞した映画を見ないわけではない。とりわけ試写会に呼んでくれるなら。しかも監督がダニー・ボイルなら。

……そんなわけで、試写会に呼んでもらってギャガ試写室で見てきた。ダニー・ボイル監督『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)。

メキシコに行っていた時、既に現地で封切られていたので、本当は我が家から六本木までの交通費以下の値段で見ようと思えば見られた作品。

日本では「クイズ$ミリオネア」の名で放送されていたTVのクイズ番組。イギリスを発祥地として世界各国でほぼ同一規格で放送されたこの番組は、まさにグローバル・スタンダードという名詞を想起させるし、一夜にして大金持ちが誕生する(金持ちとそうではない人間とが分けられる)という点においても、グローバリズムの時代の申し子ともいうべき。そこに出演して獲得賞金をのばしていった少年が、詐欺をしたんじゃないかと警察で取り調べを受けるはめになり、スラム育ちの無学の少年でも答えを知り得るにいたる過程を、回想の形で説明していく。最後には最高賞金を獲得するが、必ずしもハッピー・エンディングとも言えないところなどはいい。一攫千金の夢の物語というよりは、あくまでも社会を描こうとするもの。

さすがは『トレイン・スポッティング』の監督だけあってリズムがいい。成長した主人公が面と向き合うことになった兄がムンバイの街について語るところなどは、トマス・グティエレス=アレアの映画で、倒壊するハバナの美しさが語られるシーンと対照をなしているかのようだった。

「それは書かれていた」という表現が「運命だった」と訳されていて、それはそれで映画字幕としては問題ないと思うのだが、ひねりの味が落ちて悩ましいところ。

さすがに話題作だけあって、平日昼間の試写だったが、人がいっぱいだった。夕方から仕事の打ち合わせ(これも映画に関係する仕事だ)で研究室に行かねばならなかったのだが、途中、新宿と吉祥寺によったら、吉祥寺では3人もの教え子と顔を合わせた。うむ。悪いことはできない。悪いことなどしていないけど。

2009年3月29日日曜日

今度は未来に押しつぶされる

大学のサイトの表紙を更新。新年度の授業時間割だ。

人はいったいぼくに何を望んでいるのだろう? ひとりの大学の専任教師がこれだけ埋まった時間割を持つなんて、世界でも希有なことではあるまいか。ぼくはとてもやってられないぞ。非常勤先の法政大学(経済学部)でも3コマも持つのだ! 

来年の今頃までぼくは無事生きていられるのかなあ……?

2009年3月28日土曜日

そして酔いつぶれる春

27日は卒業式。いつもは府中の森公園のホールで行われるのだが、今年は改装中だかなんだかで調布グリーンホールにて。駐車場を探してうろうろ、ぎりぎりで行ったら教職員用の席に空きがない! 

今年は2005年入学組が卒業生の大半を占めるのだけど、2004年入学組もかなりいる。そして2004年入学組なんだけど既に卒業した者の中には、有給休暇を取って同期の卒業を祝いに来ていた者もいた。結束、というのかな。

卒業生たちが謝恩会を開いてくださり、花をくださった。今年はぼくが学部を卒業してからちょうど20年目の年。感慨深い。


2次会は2004年組と。既に卒業した者たちも加わり、旧交を温めた。終電前に帰ることができた。もちろん、そのまま居残る卒業生たち多数。ぼくは20年も前に卒業した人間なのだ。居残る体力はない。

2009年3月26日木曜日

床に突っ伏すについて

昨日はフワン・ビジョーロの講演会があったので聞きに行かなければと思っていたのだが、具合が悪く、無理をすまいと断念。

まだ体調は今ひとつだったのだが、約束があったので大学へ。消耗的な面接。 ……だってなあ、アドバイスを請われるからアドバイスしても、ことごとく否定されるんだものなあ……眉がぴくぴくもするよな。

続いて、急転直下、運命が180度変わってしまった学生との面談。もう180度変えてみて、元の場所に返るって手もあるぜ、と言ったら、あ、それもいいね、とこっちは軽い調子の承諾。

報告書やらなにやら、てんやわんや。

近年すさまじい調子で本を出している宮下誠は、自分のブログで、書斎の床にうつぶせになった写真を掲載し、1度死んで再生するのだ、みたいなことを書いていたが、ぼくもそんな気分。床に突っ伏す……床暖房が暖かくて突っ伏しても死と再生もできない。

以前メキシコの本屋ガンディで、本をたくさん買った代わりにもらったプレゼントのハイドンのCDを聞きながら、しばらく死と再生について考えていた。

お、そういえば、宮下誠のブログに写る彼の机上、MacBookも、そしてたぶん、ステレオも、ぼくと同じ機種! うーむ。それでいてなぜぼくには『20世紀音楽』なんて本が書けない? 

明日は卒業式だから♪ なんて歌ってるからか? いや、本当に、明日は卒業式なのだよ。

2009年3月22日日曜日

翻訳に思いをはせる

前回ほのめかした翻訳は、気づいたら、出版社のこの叢書の広報冊子にもう予告されているのだった。ぼくの名前も入った形で。なんだか身が引き締まる。

本屋に行ってそれを知ったのだった。本屋では以下のものを買った。

オルテガ『大衆の反逆』桑名一博訳(白水社Uブックス、2009)
ラス・カサス『インディアス史』(一―七)長南実訳、石原保徳編(岩波文庫、2009)


『大衆の反逆』は神吉敬三訳がちくま学芸文庫にあるが(中公クラシックスにも入っていたんだっけか?)、かつて桑名訳を出していた白水社が、このたび、Uブックスに入れた次第。あるところである人が新訳版を準備しているという話も聞くのだが、何はともあれ、買っておいた。

『インディアス史』は、もちろん、岩波の大航海時代叢書におさめられているが、それはもうだいぶ前の話。その際の長南訳を石原保徳が編集して、だいたい7割程度の分量にしたのだそうで、それを文庫化。それでも7巻になるのだから、長大な仕事だ。ゲラを見るのに1年以上もかかっているのだから、すごい。

圧縮に際しての編者の心構え。

文庫に収めて、彼のいう歴史的真実を現代の読者に手渡してゆく媒介者であろうとする私の願いからすれば、圧縮はやむを得ないことであったし、それはそれで積極的な意味のあるこころみであり、後生の私たちがなすべき仕事として托されているともいえるのである。(七―415)


昨日、酔ってタクシーで帰還、宅配ボックスに入れられていたのは、

マイケル・ドレーニ『ジャンゴ・ラインハルトの伝説――音楽に愛されたジプシー・ギタリスト』小山景子訳(シンコーミュージック、2009)

2009年3月19日木曜日

セルヒオ、ついにおまえの最終的崩壊が始まった


ふってわいたような話で、ある長い長い小説を共訳で訳すことになった。その前にやるはずだった翻訳と順番を入れ替えていいとのことで。

で、訳し始めたらこれだ。ページがほどけてしまった。こんなことがあるから、ぼくは翻訳する本は2冊以上買うことにしている。

でもこの小説、ところで、めっぽう面白い。

ちょっと下で告知の後藤さんの本、『語学の西北』、第一部はラジオスペイン語講座ではなく、テレビスペイン語講座の教科書に連載したものだそうだ。本人に指摘された。ここに訂正。

大学院教授会。その後、留学に出かける学生の追い出し。会場に向かう途中の駅と電車で、ゲラを直す。いや、直す箇所はなかった。

2009年3月16日月曜日

借りを返してみた

以前、見ようとして見なかったやつを見てみた。

アスセナ・ロドリゲス監督『捕らわれた唇』(スペイン、1994)フェルナンド・コロモ製作、ペネロペ・クルス他

これはあれかなあ、配給会社の中にペネロペの唇にフェティッシュな愛情を感じている人でもいるのかな? それとも人はペの唇に萌えるはずだという観測が配給会社のスタッフの間にあったのかな? そりゃあね、ペのプロモーション・フィルムみたいなシーンが2カ所ほどあったけども、唇がフィーチャーされた箇所はないぞ。

原題は Entre rojas 。『赤の女たちの間で』。「赤の女」ということは女性共産主義者のこと。フランコ体制末期の1974年、ゼネストを仕掛ける共産党の党員を恋人に持つバレリーナのペネロペが監獄に入れられ、そこでひとしきり政治犯囚人仲間と反発やら友情やらを生じ、やがて彼女は脱獄を計画するが……というもの。

なまじハッピーエンドでないのはいいけれども、かといってさしてイデオロギーも持たない主人公が、細胞のひとつとなることを甘んじて受け入れる、という話のようでもつまらないんだよな。

厳格な看守役でアナ・トレントが出ている。

朝から会議。会議と会議の合間に原稿を送ったり、トラブルを抱えた学生に非難されたり、……

2009年3月14日土曜日

狼と三回言えば狼が出る

前の記事で「ぼくもNHKの原稿でも書くか」とほのめかした。ほのめかしたら着いていた。

『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年4月号

この号から一年間、コラムを連載する。タイトルも「愉悦の小説案内」。なにやら面はゆい。"El placer de la novela"というスペイン語タイトルは、もちろん、ロラン・バルトの『テクストの快楽』をもじったもの。

1回につき1冊の小説、またはひとりの小説家の作品群を紹介するというもの。見開き2ページの短いものだから、ポイントをいかに絞るかが問題になってくる。ぼくはともかく、一文以上原文を引くということを自らに課して始めることにした。第1回は、やっぱり、何はなくとも『百年の孤独』。「書き出しから引き込まれる小説」。良かったらどうぞ。

ぼくの前には西村秀人さんによる「ラテンミュージック・カフェ」。第1回は「コーヒー・ルンバ」。これもぼくの愛する楽曲。この間も学生たちとカラオケで歌ったのだった。そのカラオケには西田佐知子版、荻野目洋子(正確にはYOKO)版、井上陽水版に加えて、フリオ・イグレシアス版もあったぞ。

ぼくの後ろには浅倉協子さんによる "¿Quién es? 今、輝いているスペイン人"、第1回は、これもぼくの敬愛するビクトル・エリセ。楽しい布陣だ。

2009年3月13日金曜日

西北に赤が塗ってある


11日に帰国、12日には後期日程入試の監督、教授会、等々、1日がつぶれ、まぶたが落ちそうになりながら帰国、……もとい! 帰宅。ポストにこれを見いだす。

後藤雄介『語学の西北――スペイン語の窓から眺めた南米・日本文化模様』(現代書館、2009)

ご恵贈をいただいたのだ。後藤さんは早稲田大学のスペイン語の先生。ま、早い話が、友人だ。大学時代からの。同期だ。引っ越しを手伝ってもらった仲だ。何度も。

2003年にNHKラジオのスペイン語講座テキストにコラムを持っていた。この本の存在を知ったとき、そのコラムをまとめたのかと思った。しかし、それだけで本になるものかといぶかった(つまり、分量として)。案の定、それ以外にいくつもの記事を加えて作った本。三部構成で第一部「教室の日々」がそのNHKでの連載からのもの。第二部、第三部はその他のメディアや自身のサイトに書き継いだものか、書き下ろしのもの。自身の子供のことや野球の志向にまで触れていて、うふふ、である。「うふふ」では済まないような車の事故と損保をめぐる話や、彼の恩師の話なども出てくるのだが、もちろん、この本の勘所はスペイン語の話とペルー留学中の話(第二部)。つい最近、メキシコに出張してそこに留学中の学生たちに会ってきた身としては、これから留学を考えるすべての人々にこれを読めといいたい。

ちなみに、その第一部で「スペイン語教師」やスペイン語圏が村上春樹の小説その他のテクストでいかにひどい扱いを受けているかを書いている。そういえば、後藤がぼくに感謝してる2つのことのひとつは村上春樹を薦めてくれたことだと、ペルー留学からの帰りに立ち寄ったメキシコで、ぼくに言ったような気がする。プチ自慢。この会話だけを覚えていて、本人としては本当に村上春樹を彼に薦めたかどうかは覚えていないのだけどね。

さ、この本に登場する「M氏」との仕事も残っているし、ぼくもNHKの原稿でも書くか。いつか本になるかなあ……?

2009年3月10日火曜日

業務終了

請け負ったミッションを果たさなければならず、今日はそのための日。そのためにぼくはこれまで一度もやったことのない行為をした。

メキシコに来るのにスーツとネクタイを持ってくるということだ。

最初、東京の感覚でつい冬物をスーツケースに入れようとしたのだが、ふと思い立って夏物にした。……当然だ。この時期の日中の最高気温は20度台後半だ。最低気温が一桁だから困るのだが。

で、ともかく、今日はスーツを着てお出かけ。

ん? このウエスト、こんなにきつかったっけ?……いけないなと思う。ちょっと運動しなきゃな。首と腰が締め付けられていては、つらいものな。

でもともかく、任務は終了。任務が終わった後はこちらにいる学生たちと昼食を。

明日は朝が早い。起きられるだろうか?

2009年3月9日月曜日

みんなの持ちもの

書店をハシゴして、いろいろと買い込んだ。ガンディのあたりだ。ここを訪れないことにはメキシコを訪れた意味はない。隣のFCEのオクタビオ・パス書店なども訪問。道を挟んだ先のソタノ、この3つに加えていくつか古本屋がある地区を歩いていたのだ。

いろいろと買ったが、今、話題にしたいのは、これ:

José Martí, La edad de oro, Estudio Preliminar de Roberto Fernández Retamar, México, OCEANO, 2005.

ぼくはこの作家のこの本(といよりは、彼がすべての記事を書いた雑誌)の翻訳者だ。抄訳だし、共訳だけど。この本については3つほどの異なる版を持っているのだが、そんなわけなので、何かあってはいけないと思って、それに何よりCD-ROMつきだというし、買った。

何かあった。

奥付(ここには必要な書誌情報が書かれている。それから版の数なども)を見た、そこに「何か」があった。

(c) José Martí 1889 

『黄金時代』は1889年の刊になる。だからこの記述なのだろう。しかし、ホセ・マルティに果たしコピーライト(著作権)はあるのか? 著作権が最初に確立されたのが1886年、ベルヌ条約でのこと。だから、確かに『黄金時代』に関してはこの概念が発生してもおかしくはない(この雑誌が発行されたアメリカ合衆国で、当時既に条約に基づいて著作が保護されていたかどうかはわからない)。

でもなあ、もう120年も前のことだ。これはいくら何でも著作権は消失して公共の領域dominio públicoに入っているだろうと思う。みんなの持ちものdominio públicoだ。

ところで、このdominio público。最近、日本語で「パブリックドメイン」とされているのを見かける。同じことなんだが、これはもう定着した外国語として見ていいのだろうか? 

2009年3月8日日曜日

変わるものと変わらないもの


これがBELLA EPOCAのファサード。曲面が印象的だと書いた意味がわかってもらえるのでは? 

変わったものは他にもあって、なんといっても目抜き通りインスルヘンテスを始めいくつかの路線を走るMetrobús。

そう言えばロサンジェルスにもメトロバスというのが走っている。2、3両編成の大型バスだ。違いはメキシコのそれが専用レーンを一般道のいちばん内側(追い越し車線側)に持ち、中央分離帯に専用のプラットフォームを持っていること。プリペイドのカードで料金を払う。看板によれば3年を迎えたシステムだとか。

そう言えば、ロサリオ・カステリャーノス書店も来月で3年になると言っていた。

7日の土曜日には、メキシコ留学中の友人を伴って中心街に。昼食。考えてみるとこの辺に来るのは実に久しぶりだけれども、堅牢で整然たる街作りは、その凸凹なあり方も含め、変わるはずもなく、こうして見ていると、メキシコってきれいな都市なのだなと思う。

たっぷり食事し、美術館のカフェで休む。

2009年3月7日土曜日

本屋の名前

以前、留学中に通い詰めていた作家アルフォンソ・レイェスの個人古文書館Capilla Alfonsinaに出向き、拙著『ラテンアメリカ主義のレトリック』を献呈してきた。そこで参照した未刊の手紙などを引用しているのだから、当然と言えば当然の礼儀。実際にはそんな気遣いなどすっかり忘れていて、出発直前になってから思い立って本を抱えてきた次第。

そんな次第なのでアポも取らずに行った。一般の訪問を受け付けているのだから、行けば入れる。門衛に説明し、訪問記録を残し、係の人が出てきたので説明し、献呈した。アテンドしたのは、ぼくが通っているころにいた職員とは違う人物のはず。すっかり忘れていたが、今年はレイェス生誕120年、没後50年の年で、きりのいい時期なのだった。いろいろな催しを予定しているのだよ、とその人。うーむ。主にメキシコ市での話だ……顔を出せるといいね……

ぼくがこの施設に通っていた頃、すぐ近くにはBELLA EPOCAという映画館があった。ファサードの曲面と尖塔が印象的な建物だった。建物はそのままに、そこはCENTRO CULTURAL BELLA EPOCAという文化コンプレックスに変わっていた。FCE直営のロサリオ・カステリャーノス書店とリド映画館、それに展示室。

……ロサリオ・カステリャーノス書店? 

昨日飛行機に乗り合わせたKさんが言っていたのだった。ふたりの共通の知人に、この名の書店がいいと勧められたのだとか。共通の知人というのは、この書店に名を与えた人物を研究対象としている。

ここのことかな? ここのことであろうがなかろうが、ともかく、入ってみよう。店員にいくつか質問した際のその対応の早さと的確さ、知識に感心した。段差があるワンフロアに回廊形式の、というより、足場のような2階があるだけではあるが、メキシコの本屋としては十分大きい。カフェを備え、別個いくつものソファで読書もできる造り、映画館もあり、展示スペースにはなにやら不思議なものがぶら下がっている。なるほど、なかなかいい。

そして実際、言及されていたのはここだった。Kさんが現れたから確認できたのだ。ぼくはたっぷり買い込んだ本を送ってもらうための手続きで奥の事務室に引き込み、結局挨拶しただけに終わったが。

2009年3月6日金曜日

到着

やっとメヒコDFに到着。取ったホテルがホリデイ・イン・トレード・センターというので、実はトレード・センター(この隣にシケイロスの壁画で有名な建物がある)の近くにはもうひとつホリデイ・インがあり、間違えてそこに連れて行かれた。ここはレボルシオン通り沿いのホリデイ・イン。荷物をほどき、近所のタコス屋でタコスを食べ、隣にセブンイレブンがあったので、水とコーヒーを買って帰った。

メキシコのセブンイレブンはたいていコーヒーを備えていて、カップの大きさに応じて払う仕組みになっている。ホリデイ・インにはドリッパーセットも置いてあるのだけど、これは明日の朝のためとしよう。

飛行機はJALの直行便(バンクーバーで給油休憩)。そのせいか、やたらと知り合いに会った。KO大学のOさんとYさんは、示し合わせたわけでなく、たまたま同じ便になったとか。近ごろ、共訳である本を出されたKさんとはその翻訳の話をした。極めつけはKOコンビの隣に座ったら、そのさらに隣に教え子が座っていた。

……と思ったらさらなる極めつけ。東京では気づかなかったのだが、バンクーバーでいったん飛行機を降ろされるのだけど、その待合室で声をかけてきたのが、R大学のSさん、京都から参戦。

……うーむ。おちおち間抜けな顔で寝ていられない。ま、寝たけどね。

2009年3月3日火曜日

君知る哉?

出張に行くので両替しなければと、銀行に行ってみてわかったこと2つ。

ATMで通帳の繰り越しができるということ。知らなかった!……

予想したより残高が多いなと思ったら、あることの原稿料が振り込まれたもよう。税金で取られると嘆いた直後だけにちょっと嬉しい。ま、来年の今頃は、そのぶんまた税金に取られるのだけどな。この時期に報酬が入るような仕事は、そんなわけで、大歓迎だ。

で、金をおろし、通帳を繰り越し、両替した。今日のレートは1ドル=100.08円。前回、12月よりは円は安くなっていた。

成田EXの切符は買ったし、さあ、準備はできた。

……その前に、明日は会議やら面接やら、……分刻みだ。

で、こんなのを見たりしている。



ぼくは人の書斎をのぞき見るのも好きだが、人のノートをのぞき見るのも好きだ。この映像。『野生のボラ―ニョ』に付属のドキュメンタリー「近くのボラ―ニョ」から。ロドリゴ・フレサンが話し、フワン・ビジョーロ(そういえば彼は近々来日するらしい)が話し、ついでロベルト・ボラ―ニョの妻カロリーナ・ロペスが、作家の残したノートについて語っている。この手書きのノートをのぞきたくなるのだ。