2012年12月31日月曜日

お仕事の話


今日は学会誌が2冊も送られてきた。日本イスパニヤ学会のHISPÁNICAとLASA(Latin American Studies Association)のLARR(Latin American Research Review)だ。

ぼくらの仕事の第1段階は情報収集だ。だからこんなものが送られてきたときには、関連する論文などはその日のうちに読む。これをやっておかないと結局は最後まで読まない。忙しくて愚図なぼくなどは怠けてしまいがちだ。なので、なるべく怠けないように、ともかく、読む。

斜め読みでいいのだ。じっくり読む必要のある論文を探すためと、役に立つかもしれない情報(書誌情報など)を探すための作業なのだから。

読むべき論文がなかったとしても、たとえば、LARRの "Review Essays" などは実に重宝する。あるテーマや分野についての近年の著作を読み、紹介し、分析したようなエッセイだ。学術論文という体裁をとるにはいたっていないけれども、研究動向をまとめたものだから、実に助けになる。こうしたものを読んで流れをつかむのだ。そこで取り上げられた本が読みたいとなれば、それを買うのだ。今回はワシントン大学セント・ルイス校のイグナシオ・サンチェス=プラードという人が、ラテンアメリカにおける知識人の役割を巡って書かれた本を数冊紹介しているReview Essayがあり、それを楽しく読んだし、そこに紹介されてる本の何冊かは必要性を感じた。知らないものばかりだったので、さっそく、注文したのだった。

注文したのは英語の本ばかりで、Amazonで探したのだが、そのうち2冊はKindle版があった。ただし、そのうち1冊はペーパーバック版に比べて2倍ばかりの高価なものになっていた。

さ、今日は大晦日だというのに、今日もいつもと同じように1日が過ぎていく……

2012年12月29日土曜日

過去の自分に賛嘆 その2


ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー:ルソー、ニーチェ、リルケ、プルーストにおける比喩的言語』土田知則訳、岩波書店、2012

今年2冊目のド・マンの翻訳だ。堂々たる主著。

このド・マンを中心とするいわゆるイェール学派の読みの実践について、土田は「訳者あとがき」(395-403)で実にうまく紹介している。

従来の文学研究は、テクストのうちに中心的なテーマを仮構し、それを統一的な意味や論理に収斂しようと努めてきた(批評界の主流は今でもそうした実践に与している)。脱構築批評は、こうした統一的・総体的な読み方に真っ向から異を唱える活動だったと言える。つまり、言語やテクストに内在する逸脱的な諸力――レトリック、アポリア、パラドックス、等々――を前景化することで、テクストを脱-中心的、脱-総体的なものとして分析・読解しようとしたのだ。『読むことのアレゴリー』は、まさにそうした諸力に対する鋭敏な意識に貫かれた論文集である。(397)

さすがは文学理論の泰斗、土田先生、まとめがうまい。なるほど、元来が脱-中心的なものである言語に沿って精読した結果生じるこうした脱-中心的、脱-総体的な読み方を、ド・マンらに教えられ、ぼくも実践してきた(つもり)のだった。

いや、実際、驚いたことに(?)、翻訳を手に取ってふと気にかかり、原書を引っ張り出してみれば、ちゃんと付箋が貼られているし、中には書き込みやらチェックやら下線やらが引いてあり、ページの端が折ってあったりもした。

つまり、ぼくはこの原書、Allegories of Reading をかつて、読んでいるのだ。なあんだ、俺、ちゃんと勉強しているんじゃないか。土田は名を挙げていないけれども〔多くの場合、挙げられないけれども〕、ド・マンにブルーム、ハートマン、ヒリス・ミラーだけがイェール学派なのでなく、たとえばロベルト・ゴンサレス=エチェバリーアというのもいて、彼のカルペンティエール論に導かれ、ぼくは勉強を始めたのだった。

さて、そのことは今はいい。ともかく、こうしたとき、つまり、既に原書を読んである翻訳書を買ったときの常として、原書に付箋のある部分は、翻訳にもまず貼ることにする。たとえば、以下の部分だ。

 したがって、読むことは、テクストのはじめから、脅迫/防御という劇的抗争の中での守勢的な動きとして演出される。内部の守護された場所(巣窟、小部屋、寝室、秣小屋)は、外部世界の侵入に対してみずからを防御しなければならないが、その外部世界からいくつかの属性を借りてこなければならない。(略)テクストは、内的な瞑想が遠ざけてしまったすべてのもの、その〔瞑想の〕充足に必要なすべての力=性質に反するもの、つまりは日射しのあたたかさ明るさ、安らかな不動性によって決定的に排除されてしまったと思われる活動性さえ、読むという行為によって回復できると主張する。〔79-80下線は原文の傍点〕

第1部第2章「読むこと〔プルースト〕」からの抜粋だ。『失われた時を求めて』が読むことを巡る小説であり、その中でマルセルが内/外、真/贋、脅迫/防御の二項対立を想起しながら、読書のための理想空間である小部屋を、ベッドの中を確保しようとしていることを指摘し、が、読むことはそんな二項対立の一方の極で理想どおりに得られる体験ではないことすらも書かれていると暴く一節。日陰の涼しい場所において安らぐマルセルはしかし、光によって読書し、夏の光と暑さを回復するのだと。

ド・マンは精読という概念を楯に彼の批評を展開するのだけど、精読しろというのは、ただ一字一句文字を丹念に追っていくことのみを意味するのではない。そもそもプルーストが読書についての話を展開していることに気づくこととセットになったときに初めて力を発揮するのだということがわかる一節。

2012年12月26日水曜日

25年前の自分に涙す


大学1年のころ読んでいた本の話など書いていただきたい、との依頼が来た。いいのかな? フーコーとか、サルトルとか、そんなの読んでいたけれども、そんな小難しいのを今どきの大学1年生に薦めていいのかな? などと思いながら昔のノートを見た。

高校時代の日記は、あまりにも直情的で恥ずかしく、あるとき、捨ててしまった。しばらく間が空き、大学2年の冬休みのころからのノートはすべて取ってある。この年、サルトル『奇妙な戦争』海老坂武訳(人文書院、1985)にほだされ、読書記録も日記も授業の記録も何もかも一緒くたにしたノートを作ることにした。それ以後のノートが手もとにあるということだ。正確には、それをPDFファイルにしてあるのだが。

読み返してみると、いろいろな発見がある。

1985年度、スペイン語学科(当時)の留年者は1、2年合わせて34人も出た!

この事実などは、留年のオブセッションに悩む現役の学生たちに伝えてあげたいな。がんばれ、悩んでいるのは君たちだけではない! ……あ、ぼくは別に、悩んでいたわけでなく、ただ、ある先生に教えていただいたと書いてあるだけなんだけど。そしてまた、君も危なかったと言われたと書いてあるのだが……

2つめの発見:ぼくは意外と真面目に授業のための本を読んでいる。授業のレポートを書くための、ということだが。行沢建三『国際経済学序説』、同『世界貿易論』とかカール・ポランニー『大転換』とか、フランク『世界資本主義とラテンアメリカ』とか……そんなのを読んで、引用して、コメントして、レポートに備えている(「早起きして図書館に出向き、『大転換』の続きを読む」なんて状況説明の一文なんかも)。そうしてできたレポートがどんなものだったかは、さっぱり覚えていないのだが。

読んだことも忘れているし、当然のことながら中身も覚えていない本もある。タデウシュ・コンヴィツキ『ポーランド・コンプレックス』とか。あるいはこんな記述もある:

グスターボ・アドルフォ・ベッケルの短編「宿屋『猫』」を読んで僕が想起したのはプーシキンの『スペードの女王』、トーマス・マンの『幸福』である。(1986年3月3日、月曜日)

うーむ。どれも想起しないな。ベッケルの短編もぜんぜん覚えていないな。

でもともかく、ぼくはいろいろな本を読み、精一杯背伸びしてコメントしているのだった。

けれども、そんな知的な生活よりも、やはり日記を読むのは辛い。誰と何があっただの、誰にどんな思いを抱いていただの、そんなことがまざまざと思い出されるのだ。

2012年12月17日月曜日

ドン・フアンたちを思う


エスプロンセーダ『サラマンカの学生 他六編』佐竹謙一訳(岩波文庫、2012)

エスプロンセーダが、それも岩波文庫で訳されるのは初か? このところ活躍目覚ましい佐竹さんのお仕事。ドン・フアンをモチーフにした物語詩(最終部は戯曲仕立て)だ。

ドン・フアンものを読み比べるといろいろなことが見えてくる。ティルソ『セビーリャの色事師と石の招客』とソリーリャ『ドン・フワン・テノーリオ』では、圧倒的にセリフの長さが違う。内面をセリフにして表出する、その量は後者が多い。死して後のドン・フワンの悔悟の念やドニャ・イネスの情愛というのが、こうして観客に迫ってくる。ソリーリャの生きた19世紀は、ティルソの時代より圧倒的に言葉の時代、言葉による内面の表出の時代だということがわかる。

ソリーリャとも違い、このエスプロンセーダのドン・フアンものは、主人公が地獄に落ちてからの場面が長い。圧巻だ。オルフェウスの冥府下降は腐った妻を見るためのものだが、ここではドン・フェリックスが腐敗したドニャ・エルビラをかき抱くのだ。

これを買った土曜日、15日、立教大学ラテンアメリカ研究所講演会「現代のラテンアメリカ」を聴きに行った。石橋純&Estudiantina Komabaの講演&コンサートだ。石橋純さんが東大教養学部で開いている「ラテンアメリカ音楽演奏入門」とかいう授業の受講者たちで作ったベネズエラ音楽のユニットだ。

そういえば石橋さんは、外語大での学生時代、スペイン語で『ドン・フワン・テノーリオ』主演を演じたのだった。

立教の講演会、もうひとりの演者は大石始さん「グローカル・ビーツ時代のラテンアメリカ音楽」。ヒップホップなどがコロンビアやチリ、アルゼンチンなどでどのように展開しているか、という話。

コロンビアは今、ヒップホップのもっともホットな地域なのだ。イギリスのミュージシャンなどもボゴタに住んで、プロデュースしたり自ら発信したりしているのだという。

さらにこの日の前々日は、コロンビアから久しぶりに出張で帰国した友人(この人もなかなかのドン・フアンぶりなのだが、それはまあいい)と会っていた。麻薬関係の犯罪とテロの印象がどうしても払拭できないコロンビアで彼は、防弾ガラスの車に運転手つきの生活をしているが、アメリカ人やイギリス人からは笑われるのだという。それだけ、テロの恐怖は今は昔の話だとのこと。

2012年12月9日日曜日

高校生の心境と知性を想像する


あるシンポジウムを聴きに行きたかったのだが、ぜんぜん仕事が終わらないので断念した日曜日。こんなのが届いた。

ペドロ・アルモドバル『私が、生きる肌』(スペイン、2011/松竹)

ぼくはブルーレイディスクプレーヤーなど持っていないのだ。けれども、何を考えたか、ブルーレイを買ってしまった。

それと気づかずに。

しかたない。プレーヤーを買うのか? こうやって需要はその気もないのに作られていくのか? 

仕事帰りに書店で買ってきたのは、背景にかすむ二冊の本。筑摩書房の「高校生のための」シリーズ。

岩間輝生、坂口浩一、佐藤和夫、関口隆一編『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選 改訂版』(2012)
紅野謙介、清水良典編『高校生のための近現代文学ベーシック ちくま小説入門』(2012)

前者は好評の既刊を改訂して取り上げる文章なども入れ替えたもの。後者はそのシリーズを小説でやってみた、という感じのもの。奥付が一部の終わりにあって、付録のように第二部「解答編」がついているという造りは同じ。『評論選』と違い『小説入門』には、まず最初に「小説への招待」というのがあり、そこで小説を読むための心構えのようなものが説かれている。いわく、小説は言葉からできている。小説には人物がある。その把握が必要だ。造型、心理、相互関係など……語り手がいる、文体がある、比喩が使われる、……等々。多角的に小説を読むしかたを説いている。

ふむ。問題は、こうしたことが果たして現実の高校での現代文の授業でどれだけ教えられ、実践されているかということだ。それをぼくは知らないのだが。

2012年12月4日火曜日

女性雑誌を読もう!


フリア・アルバレス『蝶たちの時代』青柳伸子訳、作品社、2012

電車の中だけでという条件で読んでいると、意外に時間がかかるものだ。

ドミニカ共和国のトルヒーリョ政権下、「蝶」のコードネームで反独裁者運動に身を捧げたミラバル姉妹を描いた小説。美人4姉妹のうち3人までが反体制運動にかかわって投獄、釈放後、事故を装って秘密警察に殺された。今では記念館となったそんな姉妹の家を切り盛りする、ひとり生き残った三女のデデに、合衆国から女性が取材にやって来る。そこからデデの回想が始まり、やがて4姉妹それぞれの語り・もしくは日記が加わって、反体制運動や獄中での暮らし、殺される直前の旅などが語られていく。

著者自身が「あとがき」で「わたしは実際の姉妹を知るはずもなく、充分な情報も得られず、彼女たちのことを適切に記録できる伝記作者の能力もなければ、その気持ちもなかった」(425)と述べてフィクションだと断っている。4姉妹の語りの体裁を取って架空の主観によって歴史を語り直そうとしているのだ。バルガス=リョサ『チボの狂宴』、ダンティカ『骨狩のとき』、ディアス『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』らの他のトルヒーリョもの(?)に比しての本作の特徴はそこにある。性のことなども隠さない筆致が、生身の人間の生を伝えている。

ぼくが興味を抱くのは、次のようなパッセージなのだ。

 そして夜になると、専用バルコニーに座り、ハイミートがデデに腕を回して耳元で約束を囁き、デデは星空を見上げた。この前読んだ『バニダデス』に、星の光が地球に届くのには長い年月がかかると書いてあった。今、彼女が目にしている星の光も、何年も前に発せられたはずだ。星など数えて、何の慰めになるの? 暗い天空で、きらきらした角の半分がなくなってしまっているかもしれない雄羊を追って、何の慰めに? 
 空頼みね、とデデは思った。夜なんて真っ暗になればいい! だが、そんな漆黒の闇の中でも、彼女は星の一つに願いをかけた。(251-252ページ)

カリブの女たちは雑誌を読むのだ。今、手もとにないので確認できないのだが、マリーズ・コンデもミシェリーヌ・デュセックも、ロサリオ・フェレも、登場人物たちが雑誌を読んでは隣国や合衆国に憧れを抱いたりしていたような印象がある。

雑誌を読む女たち。女性雑誌を読む女たち。それに比して、男たちは雑誌を読んでいないように思うのだが……

今度、ちゃんと確認してみよう。人は小説の中で雑誌を読んでいるか? 

写真右は次に電車で読む予定の Juan Villoro, Arrecife, Barcelona, Anagrama, 2012

2012年12月3日月曜日

映画をハシゴする日曜日


映画の日の翌日、映画をハシゴした。

まず、ウディ・アレン『恋のロンドン狂想曲』アメリカ、スペイン、2010

熟年離婚の夫婦(アンソニー・ホプキンス/ジェマ・ジョーンズ)とその中年娘夫婦(ジョシュ・ブローリン/ナオミ・ワッツ)、2組のカップルのW不倫(?)のゴタゴタをアントニオ・バンデーラスやフリーダ・ピントも交えて描いたロンドンもの第4作。W不倫ものでは結局はどのカップルも元の鞘に収まりました、というのもあるが(『夫たち妻たち』だっけ?)、今回はそうはいかないところがミソ。

パンフレットで南波克行がとても貴重な指摘をしている。饒舌なアレン映画の登場人物たちは、しかし、心が動いて恋に傾く瞬間、沈黙するのだと。

人の感情がぐらりと揺れ、心に火がつくこうした瞬間を目に見せる演出術は屈指のものだ。なぜならその場面だけは、会話の多いアレン作品において、決してセリフの入らぬ沈黙の場面となるからだ。こうした場面で、対象を粘り強く凝視する手腕が、映画の格を高めている。

南波は『ギター弾きの恋』を例に挙げているが、『マンハッタン』でダイアン・キートンとウディ・アレンが黙ってブルックリン橋を眺めるシーンなどもこの分析に値するだろうか。

ともかく、そんな印象的な沈黙のシーンは、今回は、グレッグ(バンデーラス)とサリー(ワッツ)のオペラ鑑賞(ドニゼッティの『ランメルモールのルチア』だ。『ボヴァリー夫人』で主人公が観に行く名高いシーンのあのオペラ)後の、車の中でのやりとり。ナオミ・ワッツ、さすがの演技力だ。

ホプキンスやブローリンがカメラをじっと正面から見すえる瞬間、これもアレン映画の大きな特徴だ。

続いてマノエル・デ・オリヴェイラほか『ギマランイス歴史地区』ポルトガル、2012

オリヴェイラのほか、アキ・カウリスマキ、ペドロ・コスタ、ビクトル・エリセの計4人によるオムニバス。ヨーロッパ文化首都ギマランイスの文化事業の一環らしい。トーキョー・フィルメックスでの上映で、今日はペドロ・コスタのアフタートークつき。

他店との関係から突然、店のメニューを気にしてしまうバーテンダーの1日を撮ったカウリスマキ、ヴェントゥーラという人物がエレヴェータの中で出会う鉛の兵隊と会話し、頭の中にいくつもの声が渦巻くコスタ作品、廃墟になった工場で、映画を作るために昔の工員たちの思い出話をカメラテストがてら聞くというエリセ作品、観光客ガイドにこの土地の歴史を語らせ、最後に冗談を言わせて肩をすくませるオリヴェイラ。4人ともに個性の出た短編ばかりであった。

A Sense of Home Filmsの「アナ、3分」も意外にストレートにメッセージを伝え、かつひとりの人間がメッセージを伝えるだけでも、作り方によっては映画になり得るのだということを示したエリセが、今回は国民経済とグローバル化によるその危機とを驚くほど包み隠さずに工場従業員たちに語らせ、それでもアコーディオンのメロディーをBGMに、往時の写真をクロースアップと編集とで見せれば映画になるのだということを示している。

2012年11月28日水曜日

物語をハシゴする火曜日


授業のない昨日は、授業の準備としてある映画を見た後で、映画館で映画、次いで劇を、ハシゴして鑑賞した。

ロバート・B・ウィード『映画と恋とウディ・アレン』(アメリカ、2011)

マーチン・スコセッシ、ダイアン・キートン、スカーレット・ヨハンソンやウディの妹・マネージャーのレッティ・アロンソン、撮影監督ゴードン・ウィリスなど、関係者へのインタビューと記録映像、映画の一場面を交えて構成したドキュメンタリー。

が、そもそもインタビューを交えてのある人物の半生を再構成するというのは、ウディ自身が得意とした疑似ドキュメンタリーの手法だった。Woody Allen: A Documentary という原題のこの映画自体が彼の映画に見えてくる。

当然のことながら、本当はもっと大々的にインタビューがなされていいはずのある人物へのインタビューが欠けているものの(それはつまり、ミア・ファーローだが)、デビュー以来ずっと使っているタイプライターやその仕事ぶりなどが披瀝され、一ファンであるぼくには楽しい一編。

燐光群『星の息子』作・演出 坂手洋二、渡辺美佐子ほか @座・高円寺

ごく最近の脱原発デモや反オスプレイ運動を扱いながら政治的プロパガンダに堕さず、興味深い劇になっているのは、さすがは坂手洋二のストーリーテリングの妙。

ツイッター上で普天間や官邸前のデモを指導してカリスマとなった息子・秋山星児を探す母・佐和子(渡辺美佐子)が、沖縄にやって来てオスプレイ配備直前の高江村で座り込みをするまでの尋ね人の記録。秋山星児は秋山星児2、秋山星児3、……と増殖しては移動し、そのどれもが別人で、たどり着いた先の高江には訳ありの夫婦の子供・星児がいて、……

ツイッターというメディアを巧みに取り込んで(というのは、近年のデモという題材が要請するものでもあるのだが、同時にそれが物語作りにうまく利用されているということ)、どこまで行っても見つからぬ尋ね人を探す物語を紡いでいる。主演の渡辺美佐子は時に高い櫓の上にのぼり、その点ではハラハラさせられるのだが、さすがはヴェテランらしい安定感。

2012年11月23日金曜日

雨男、健在なり


今日は神大で講演をする。神大といっても神戸大学ではない。神奈川大学だ。このことは先刻宣伝のとおり。

ボラーニョと『野生の探偵たち』についてしゃべるようにとのこと。ボラーニョというと、常に還ってきたい場所というのがあって、それが、中編『チリ夜想曲』(2000)のこの一節。

列車がカタコトと音を立てたのでウトウトとすることができた。私は目を閉じていた。今閉じているのと同じように閉じていたのだ。だが突然、再び目を開けた。するとそこに風景があった。変化に富み、豊かな風景。おかげでときには熱くなったし、ときには悲しくなった。そんな風景。(Bolaño, Nocturno de Chile, 2000: 16)

「するとそこに風景があった」だ。「変化に富み、豊かな風景」だ! この手抜きとも思える描写は何だ? 

去年、12月に京都外語大で話したときは、これを列車の窓を通して眺めた風景、ある種の光学装置を通過した風景として理解し、ある展開をした。今回は、これをむしろ詩として理解しようと思う。ボラーニョの詩として。それが『野生の探偵たち』の解釈にも一役買いそうだという話。

しかし、まあ、今日は雨だ。今日も雨だ。ぼくは稀代の雨男なのだった。

Bolaño, Bolaño, gran poeta, poeta frustrado, poeta que nunca fue.
Bolaño, Bolaño, Roberto Bolaño, alias Arturo Belano.
Tocayo de aquel inmortal Rimbaud…

2012年11月21日水曜日

逃れがたい黄金強迫


この写真ではよくわからないだろうか? これは賑わうキャンパスの図だ。平日の昼間から。

今日から5日間、ぼくの勤める東京外国語大学は学祭期間だ。第90回外語祭だ。初日なのに、けっこう賑わっている。

ある学生がもっとよく賑わいのわかる写真をFBに掲載して、外語祭に遊びに来たことを告げていた。ぼくはそこに、やれやれ、こんな日に昼間から会議だぜ、と書き込んだ。次に、もともとの掲載者と同期の学生が書き込んでいた。

「くそいきてぇ、、、」

やれやれ。世の中「くそ」だらけだ(11月17日と18日の記事を参照されたし)。

たぶん、この書き込みをした学生は、何らかの事情で(あれ? もう卒業したんだっけか? だとしたら、仕事で)、外語祭に遊びに来たくとも来られないのだ。だから、この書き込みは、

「(外語祭に)たまらなく遊びに行きたい」

の意味なのだ。

でもなあ、どうしたって、こうみたら、トイレに行きたい、の意味にしか思えないのだけどな。

ええ。そりゃあね、人間なんて、五尺の糞貯めですとも。でもなあ、……おれ、そんな黄金趣味ないんだよな……

東京外国語大学の学園祭、外語祭の二本柱の一つは、主に1年生たちが出す、各国料理店です。学生たちは専攻する言語の話されている地域特有の料理を、それなりに真似て、作って、お出ししています。

2012年11月20日火曜日

スウィング・トップの正式名称


30年ばかり前、学生時代のぼくの写真を見返すと、たいてい、スタジャンか、そうでなければスウィング・トップを着ている。どこのブランドかは覚えていないが、オリーヴ・グリーンのやつだ。あるいはその辺のスーパーの衣料品売り場で買った安物かもしれない。

30年前の20歳の青年が着ていれば、定番のアイテム、という感じなのだが、50を目前に控えた中年男性が着れば商店街のオヤジのようかな、と危惧されたし、事実、商店街のオヤジ然としてしまうのだが、これ、楽でいいのだからしかたがない。スウィング・トップ。

スウィング・トップと言えば、高倉健だ。高倉健はいつもベージュのスウィング・トップを着ているというイメージがある。あれはMcGregorのだと聞いた記憶がある。これはMcGregorでもないし、「スウィング・トップ」の名付け親VANのものでもない。Mercの、実際はハリントン・ジャケットという名のブルゾン。サイズもぴったり。昨日のような本格的な寒さに突入する前の、今の時期には重宝する。

さ、仕事、仕事……といっても商品の出し入れではない。本の出し入れ。

2012年11月18日日曜日

きまりが悪い日曜日


今朝最初にやっていたのは、以前宣伝した講演のための原稿書き。もしくはその草稿書き。もしくはそのための準備。昨日さんざん電車の中で声高らかに小学校の校舎が「クソ」だと罵った乗客に対して覚えた違和感を書いたのに、今日のその最初の仕事で最初にやったのは、次のような一節を引用することだった。

ある日、彼が監督と喧嘩したって言うの。なぜって尋ねたけれど教えてくれなかった。つまり、文学に対する見解の相違だという程度のことしか言わなかった。わたしがどうにか聞き出したところによれば、監督はネルーダはクソだと、ニカノール・パーラこそがもっとも偉大なスペイン語詩人だと言ったとか。そんなようなことをね。(『野生の探偵たち』上巻228ページ)

あーあ、これ訳したのおれなんだよな。人のことは言えないな。いやね、そりゃあ、これはボラーニョがそう書いたからそう訳したんだけどね……あーあ。ま、「ケツ毛の先についたクソのかけら」(下巻16ページ)よりはマシか。

『野生の探偵たち』と言えば、今日、めずらしく『朝日新聞』書評欄に『2666』の書評が出ていた。評者は小野正嗣さん。いいな。『野生の探偵たち』のときには取り上げてもくれなかった『朝日』なのに……と拗ねた1日だった。先日、訳者の方に伺ったところでは、『2666』もう3刷りが決定したそうだ。慶賀すべきことだ。

写真は、奥泉光『虫樹音楽集』集英社。短編集の1作目は「川辺のザムザ」だ! そりゃあ、買いたいくもなるというもの。

2012年11月17日土曜日

めでたさも中くらいなり……


立石博高、塩見千加子編著『エリアスタディーズ110 アンダルシアを知るための53章』明石書店、2012年

ぼくの立場からしてみれば、単なる執筆者として4章+コラム1本を書いているだけだし(目次には名もないし)、啓蒙書たるこうした本の性質として、何か新しい冒険に出ることもなく当たり障りのないことを書いただけなので、だから表題のような小林一茶風の言葉が出てくるわけだが、とにもかくにも、無事出版されたのだから、めでたいことに変わりはない。買ってね。


ところで、電車の中で、中学生くらいの女の子が、目の前に座った父(か祖父)を相手に突然心情吐露を始めた:わたしさ、小学のころ、学校嫌いだったじゃん。それってさ、校舎がクソだったからなんだよね。チョー汚くて、ほんとに嫌だった。等々、等々……

あのね、校舎が汚いのが嫌なんだったら、その言葉遣いも少しは考えた方がいいと思うよ。美しく雅やかな言葉を使えとまでは言わないけれど、せめて斜め前で本を読んでいる中年オヤジ(つまり、ぼくだ)が、びっくりして目を白黒させてしまわない程度の言い方で表現してくれないかな。ぼくは本当にびっくりして、思わず君を見つめてしまったじゃないか。「クソ」なんて言葉は本当に我慢がならなくなったときのために取っておこうよ。君は6年間、その「クソ」に耐えたんだろう? だったらそれは「クソ」なんかじゃない。「クソ」は君のこれから先の人生のどこかで、必ず待っているからさ、だから、頼むから今は、小学校の校舎が汚いくらいのことで「クソ」なんて言わないでくれ……しかもそんな大声で……ぼくは本当にびっくりしたんだ。何しろぼくが読んでいたのは、

「その必要はないわ」わたしは、銃剣を払い上げる。そして、ママの手を取ってキスした。「ママ、神さまのお恵みを(ラ・ベンディシオン)」幼いころ学校に出かける前に、よくこう言ったものだ。(フリア・アルバレス『蝶たちの時代』青柳伸子訳、作品社、2012、145ページ。( )内はルビ)

というパッセージだったのだから。

生まれる時代と場所が違うと、いろいろなことを考えさせられるね。

2012年11月16日金曜日

たえて日本映画のなかりせば


昨日、15日(木)、東京外国語大学総合文化研究所講演会、兼・スペイン語特別授業と銘打って、マリオ・ピエドラさんの講演会を行った。タイトルは「キューバにおける日本映画の存在と影響」。

300人ちょっと収容の大教室101が会場だったので、あまり少ないとさびしいと思っていたのだが、ある程度席が埋まったので助かった。

キューバでは、革命後の政策、および合衆国との関係、それからICAIC(キューバ映画芸術産業庁)初代長官アルフレド・ゲバラの示唆などにより、日本映画の紹介が広くなされたこと、黒澤のような「芸術映画」も多く取り入れられたが、一方で、ハリウッドの娯楽映画に対するオルタナティヴとしてチャンバラものなどもたくさん輸入されたこと(そこで最大の人気を博したのが座頭市シリーズ)、などをデータを交えて紹介された。そしてピエドラさんは、フェルナンド・ペレス(『永遠のハバナ』)、セネル・パス(『苺とチョコレート』)、レオナルド・パドゥーラ(『セブン・デイズ・イン・ハバナ』)といった、日本でもお馴染みの映画関係者の証言を織り交ぜて、日本映画がキューバ映画に与えた絶大なる影響を説いた。曰く、60年代、70年代の若者たちは日本映画で映画作法を学んだのだ。結論として、日本映画なければ、われわれはわれわれではなかっただろう、との見解を述べた。

こんな機会にしてはめずからしく学生たちも積極的に質問し、質疑応答も盛り上がったのだった。聴衆のみなさん、盛り上げてくれてありがとう。

2012年11月14日水曜日

時間差の偶然


日付が変わったのでもう昨日のことだ。13日(火)には講演会をハシゴしてきた。いずれも、@東京大学本郷キャンパス

まず、マリオ・ピエドラ「キューバと日本映画座頭市はなぜヒーローになったのか?」

ほぼ時間どおりに始まった。最初、そんな時間に関する冗談が主催者の野谷文昭さんから述べられ、話が始まった。スライドショーで座頭市シリーズのキューバにおけるポスターなどを見せながらの1時間あまりの話の後、質疑応答。これが盛り上がり、予定を30分過ぎて7時少しすぎまでのセッションだった。

あさってのこと、よろしく、などと挨拶して、そそくさと、次の会場へ。次は、

パトリック・シャモワゾー「戦士と反逆者──クレオール小説の美学」

星埜守之と塚本昌則が相手を務めた。遅れたと思って急いで行ったら、まだ始まっていなかった。こっちの方がキューバ時間だ。

それぞれの話の内容はとても面白く、ここで書き始めたら止まらなくなる。なので、ひとつだけ、とても面白いなあと思った現象を:

シャモワゾーはクレオールの言語を語りながら、実に規範的なフランス語に聞こえたということ。フランス語は苦手なので同時通訳のイヤーセットをつけていたのだけど、なくてもたいていわかった。それに対し、ピエドラはいかにもキューバ人らしく、しばらくそこから離れていたぼくはいくつか聞き落とした箇所があった。

つまり、フランス語の規範というものの強さと、スペイン語の規範そのものの多様性が対照的だったということ。スペイン語の各地方の言語はもうそれだけでクレオール語だと言ってしまいたくなることがある。キューバのスペイン語など、まだ慣れている方だからマシだとしても、馴染みのない地方の人の発話など、たまに聞くとそう言いたくなることが多々ある。

別にこんな機会でなくても、常々思っていることではあるのだが、改めて実感。

2012年11月13日火曜日

告知ふたつ、あるいは詩人気分


他人のイベントの話ばかりしている場合ではない。ぼく自身の宣伝。

まず、明後日、15日(木)12:40-14:10 東京外国語大学研究講義棟101マルチメディアホールにて、
マリオ・ピエドラさん(ハバナ大学)の講演を行います。「キューバにおける日本映画の存在と影響」。
スペイン語、通訳つき。総合文化研究所講演会、兼スペイン語特別授業

それから、今月23日(金・祝)には、ぼくが講演することになっている@神奈川大学。告知は、こちら

当初、「ボラーニョとチリ文学」というようなテーマで頼むと言われていたけれども、そのうち「ボラーニョと『野生の探偵たち』」になったので、『野生の探偵たち』の面白いところについて、話しておこうかと思う。講演の後に詩の朗読会が開かれるのだから、小説内の詩的要素についての話になるかと思う。

 小説は書き出しが命です。ボラーニョの『野生の探偵たち』は書き出しが非常に印象的な小説です。
 そういえば、最近私は、書き出しのとても印象的な小説に出会いました。キルメン・ウリベ『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』(金子奈美訳、白水社)です。「魚と樹は似ている」と始まります。わたしはこれを「さかな と き は にている」と読んでいました。ところが、先日、セルバンテス文化センターで作家本人を招いての講演+朗読会を開いた際、管啓次郎さんはこれを「うお と き は にている」と読みました。
 そこでわたしはうおー! と思ったわけです。あるいはぎょっとしたわけです……

と、こんなダジャレめいたことを言うと、あまり、説得力ないかな? いや、でも書きだしに加えて、その読み方によって小説の魅力はその数倍にもなるのだとわかった瞬間なのだけどな。

まあ、ウリベはともかく、そんなわけで、読み方にも気をつけなきゃね、という話……なのか? ところどころ本文を朗読しながら話を進めていこうと思っているというわけだ。

2012年11月11日日曜日

花嫁の教師、または勘違いとすれ違い


昨日は結婚式だった。卒業生の。
ぼくが外語に奉職した年に入った学生だ。そういう学生に対しては、やはり何だか特別な感慨を抱いてしまう。比較的よくしてくれた学年の、とりわけなついてくれた学生たちのひとりだ。

彼女は就職も決まっていたと思うのだが、そこに行くことを拒んだ。かといって路頭に迷うつもりもなかった。ちょうどサラゴサの万博での日本館のアテンダントを募集しているという情報が舞い込んだので、勧めてみた。そして選考に受かり、サラゴサで数ヶ月を過ごし、帰ってきたと思ったら、その日本館をオーガナイズした会社の上司に目をかけられ、声をかけられ、そこに就職した。そこの仕事で知り合ったある国立大学の先生と結婚することになったのだ。

昨日は朝から忙しかった。披露宴に参加するために午前中にたまった仕事を終えなければならなかった。仕事だけではない、半分個人的な用も混じっていた。同窓会の名簿の整備のために、同期卒業の人々の動向を点検してはくれまいか、と頼まれた友人が、さらにぼくに協力を求めてきていたからだ。いくつかの友人の動向を教えて差し上げた。

名簿の中に、ちょっと目を引く名前があった。

仮にYとしよう。5年かけて大学を卒業したぼくにとって、入学年度はひとつ下になる女性だった。その女性に対するぼくの特別な思いがどんなものだったかは、また別のストーリーなので今は書かない。ともかく、他の名前とは少し違った輝きを持った名前だということだけを確認しておこう。加えてその日Yの名がぼくの目を惹いたのは、そこにメールアドレスが載っていて、そのアドレスのサーバーが "es" で終わっていたからだ。つまり、スペイン在住ということなのだろうか? 

個人情報を悪用して、メールを送ってみた。元気? こんなわけでただ君に挨拶したかったんだ、等々。

二次会の前にiPhoneのメーラーに何通ものメールが届いていることに気づいて、チェックした。そのうちの一通はYからの返信だった。悪用してくれてありがとう。でもごめんなさい、YはYでも、わたしはもうひとりのYです。スペイン在住で、フランス人と結婚しています……

二次会が始まったので、最後までちゃんと読まずにメーラーを閉じた。他のメールだってチェックしなければならなかったし。で、人違いだとわかった時点で、「特別な思い」の挫折も感じたことだし。(あ、もちろん、もうひとりのYだって、ちゃんと覚えていたし、大切な友人だと思うが……)

二次会、三次会と終えて、帰宅し、さわりだけ確かめて全部は読まなかったメールの数々を読み直した。もちろん、もうひとりYからのメールも。Yの話は続く、こちら(スペイン)で仕事は順調です。個人では裁ききれないほどで、会社も作りました。日本の企業などともつき合いがあり、サラゴサの万博では日本館のお手伝いもしました……

もちろん、花嫁にこのもうひとりのYと知り合ったかどうか確かめたところで、へぇー、奇遇だね、というだけのことだっただろう。二次会が始まる前にこの一文をちゃんと読んでいたところで、忙しい花嫁とそんな話ができたかどうかは疑問だ。でも、メールをちゃんと読まなかったことを悔やむのはなぜだろう? 

写真は引き出物にいただいたタンブラー。メールアドレスの間違いは、ぼくの見た名簿が、そもそも間違えていたのだ。もうひとりのYのところには、同じそのアドレスが記載されていた。

2012年11月7日水曜日

マイナーはマイナーではない


日付が変わったので昨日だが、今日、11月6日(火)、キルメン・ウリベの講演が東京外語大で開かれた。聴きに行った。フリオ・カロ=バロハの本にあった、「浜辺の聖母マリア」の昔話から始まって、グローバル化された現代における「マイナー言語」の話としてのバスク語の話、そして詩の朗読。さらには今福龍太を交えての小説『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』の挑戦の話。

『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』の中には、語り手のウリベがある詩人から、バスク語を特徴づけるのはxの文字であるとさとされるシーンがあるのだが、xをふんだんに含む詩の朗読など、堪能したのであった。


楽しい2時間であった。明日はセルバンテス文化センターでの管啓次郎とのセッション。

2012年11月3日土曜日

iPad mini の飛躍的重量軽減


昨日、卒業生たちとフォーなど食べている間に、わが家には到着していたのだった。iPad miniが。

「新しいiPad」には食指を動かすことのなかったぼくだが、mini発売の噂が出てからはそわそわ。このくらいのサイズのものなら、圧倒的に持ち運びがしやすくなるし、ちょうどいいなと思っていたのだ。だからすぐに注文した次第。

miniになったからといって、何かが変わるわけではない。用途はこれまでのiPadと同じだ。たいていは参照用。PDFファイル化した翻訳すべきテクストとか、Appアプリの辞書とか、ネット検索とかをする道具。ある売れっ子作家がかつて、常にPCを二台持ち、一台を検索、参照用に、もう一台を執筆用に使っているという話を読んで以来、ぼくにもオブセッションとして取り憑いた、二刀流の夢。ノマドワーカー、などという言葉は死んでも使いたくないが、ぼくだって出先で仕事をすることもある。そうでもしなきゃやっていけないことがある。その際に大いなる助けとなるはず。

さて、今回のiPad mini の発売にぶつけるようにKindleが新ラインナップをぶつけてきた。KindleストアもAmazon.co.jpのアカウントでアクセスできるようになったとか(これまではAmazon.comのみだった)。もともとiPadにKindleソフトを入れている。訪ねてみれば、ONE PIECEなどが全巻手に入るじゃないか。これはいい。いっそのこと、Kindleペーパーホワイトも買っちゃおうか。iPadは重いものな……そんなことを考えていた。

が、いざ届いてみたら、iPad miniはこの軽さだ! 50%近く軽くなったというのだが、この軽減率が実に嬉しい。軽いのだ。紀伊國屋BookWebやKindleのソフトをダウンロード済みのこのiPad mini一台でもう充分だと思う。

2012年10月30日火曜日

お前の口に口づけしたよ、ヨカナーン


ウンプテンプ・カンパニー第12回公演『新譚サロメ 改訂版』長谷トオル演出、加蘭京子作、神田晋一郎音楽

「改訂版」というのは、これが初演ではないということらしい。

サロメはもちろん、聖書に起源を持つ、ヘロデ王の前でうまく踊りを踊ったため、褒美に洗礼者ヨハネの首をねだった人物。これが特に19世紀末、ギュスターヴ・モローやオーブリー・ビアズリーの絵、オスカー・ワイルドの戯曲などによって宿命の女として一般化した。

ウンプテンプ・カンパニーの座付き脚本家加蘭京子の『新譚サロメ』は、これに平家物語や歌舞伎の俊寛僧都をもじったと思われるしゅんかいとうずめ(あまのうずめのみこと? それとも醜女の意か?)の取り結んだ関係を因果として配置し、死者たちの行き着く遠い島の洞窟(イザヨイの穴)での夢幻譚としている。物語的要素のぎっしり詰まった内容。

サロメというと、切り落としたヨハネの首の扱いと、それからワイルドの戯曲にある口づけ(お前の口に口づけしたよ、ヨカナーン)がやはり最大の勝負どころ。「吸うてはみたが、苦い」というサキ(板津未来)の台詞が虚を突く。狭い会場にはイチョウの木を模した布の柱が2本。大きな方には内側に照明があるのが見えていたが、これがクライマックスに使われて効果的。フラットな劇場ではない空間で、見づらさを逆手に取ったということか? 過去の因縁のほのめかし(見づらさ)から成り立つストーリーとも合っている。
11月4日まで。新宿三丁目SPACE雑遊にて。

紀伊國屋でこんなものを買ってきた。『セルバンテス模範小説集』樋口正義訳、行路社、2012。「コルネリア夫人/二人の乙女/イギリスのスペイン娘/寛大な恋人」この4編で『模範小説集』の短編すべてが訳されたことになるそうだ。

2012年10月28日日曜日

読書できない秋


ボラーニョ『2666』も読み終わらないうちに続々と気になる新刊が出て、そのうちの何冊かは献本をいただいたりして、嬉しい悲鳴を上げるばかりで、読書が進まない。

アレハンドロ・ホドロフスキー『リアリティのダンス』青木健史訳、文遊社

なんざ特筆に値すると思うし、

フリア・アルバレス『蝶たちの時代』青柳伸子訳、作品社

も早く読みたい。トルヒーリョ時代ドミニカ共和国を扱った一連の小説と比べて読みたいのだ。小説ではないが、

ホセ・ルイス・カバッサ『カンタ・エン・エスパニョール:現代イベロアメリカ音楽の綺羅星たち』八重樫克彦・八重樫由貴子訳、新評論

などというのもいただいた。

が、ともかく、一番最初に読み終えたのが、やはり、

キルメン・ウリベ『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』金子奈美訳、白水社

「僕」こと語り手のキルメン・ウリベが、ビルバオ発フランクフルト経由ニューヨーク行きの飛行機に乗っている間に回想する彼の祖父、父、その家族、そして画家アウレリオ・アルテタとその親友の建築家リカルド・バスティダ、その家族らの話、それぞれがそれぞれの人生の局面でかかわりを持った行き交う人々の記憶。そうした記憶の断片が、絶妙なつなぎ方でまとめられた語りだ。

この語りの連関のさせ方が興味深いところだが、何よりも肝心なのは、これが以下のような意識に裏打ちされて紡がれた語りだということ。

 僕はフィオナに小説の計画を話した。アイデアは固まりつつあり、最終的にはビルバオ―ニューヨーク間の空の旅を軸としてすべてが展開されるはずだ、と。十九世紀の小説に後戻りすることなく、ある家族の三世代について語るには、それが肝心なことだった。そこで、小説を書くプロセスそのものを語ることにして、三世代の物語は断片的に、ごく断片的に提示されることになるだろう。(141-142ページ)

「十九世紀に後戻り」は言い過ぎだろう。20世紀に入ってからも「三世代の物語」は書かれてきた(たとえば、『精霊たちの家』。この2倍の世代だと『百年の孤独』……)。でもまあ、ともかく、これはそんなお馴染みの物語を語ったものなのだ。でもそれが紋切り型に堕さないのは、「小説を書くプロセスそのものを語る」ことにしたという、この体裁のおかげだ。

で、しかし、語り手が語りの手の内を明かし、それがフィクションであることを暴露するようなフィクションをメタフィクションというのだった。これはだから、メタフィクションでもあるわけだが、メタフィクション、という語から受ける印象ともずいぶん違うのは、オートフィクションの形式を取っているからなのだろうな。

キルメン・ウリベはもうすぐ来日して、東京外国語大学セルバンテス文化センターで講演やら朗読会やらをする。ぜひ、ご参集いただきたく。

2012年10月13日土曜日

サッカーと作家


11日(木)にはノーベル賞の発表があった。その前、こんな会議などの打ち合わせでご一緒した方々はいずれも待機中の身。打ち合わせを終えて酒など酌み交わしていると、そのうちのひとりの電話が鳴って、莫言の受賞が伝わった。

ちなみに、ぼくも待機中の身だった。セサル・アイラが候補のひとりになった、とAPだかどこだかが推測したらしく、ある通信社の文化部の方が、受賞した場合、コメントをもらいたいと言ってきた。それから、エドゥアルド・ガレアーノも候補にあがっていたとかで、受賞したときのための記事を書いてくれとの依頼もあった。「サッカー選手にならなくて、作家になってよかった」と締めくくった文章を書いたのだが、もちろん、それも無駄になった次第。

そんなことより嬉しいのは、未来のノーベル賞候補(?)の翻訳が出来したこと。

キルメン・ウリベ『ビルバオ―ニューヨーク―ビルバオ』金子奈美訳、白水社、2012

バスク語作家のバスク語からの翻訳だ。写真の奥はそのスペイン語訳。期待の若手作家の作品を、誰もが能力を認める若手が訳したのだから、面白くないはずがないじゃないか!

ぜひ!

という前にぼくが読まねばならないのだが、まだ、『2666』に囚われています。それから、

カルロス・フエンテス『誕生日』八重樫克彦・八重樫由貴子訳、作品社、2012

があって、そして、これ、か……

上にリンクを貼った会議の準備もしなければならないか……

あ、11月にはさるところで講演もやるのであった。

時間が足りないな……

2012年10月7日日曜日

黒船来航


先週末、熊本に行っていたと思ったら、今週末には下田に行ってきた。来週末は名古屋だ。ウィークデイがこんなに忙しいのに、週末、こんなに留守をしていたのでは、やっていけるのだろうか? 不安だ。

というわりに今回下田に来たのは、まあ遊びのようなものだ。卒業生がパートナーと開いて1年になるレストランMINORIKAWAに、現役の学生たちと食事にやって来たという次第。

翌日、つまり、今日、黒船で周遊としゃれ込んだ。かもめと戯れた……というほどでもないか。黒船サスケハナSusquehannaの勇姿。

帰りの電車の中で学生のひとりが言った。黒船に乗ったのが昔のことのようだ。

そりゃそうだ。ぼくらはサスケハナでペリーとともに旅をしていたのだから。ぼくらは158年の時を旅したのだから。

どうもぼくは言い方が悪いのか、冗談だと取られたようだ。まあ半分冗談のようなものなのだが、あながち冗談でもないのだけどな。ぼくたちが黒船に乗って下田の湾を周遊するとき、ぼくたちはペリーとともに旅をするのだ。エンリケ・ビラ=マタスがパリに行ったとき、彼はヘミングウェイとともにそこにいたのだ(『パリは終わらない』、読んだよね?)、等々。等々。

同行した学生たちが次々とFacebookに写真を掲載している。愕然と気づいたことがある。ぼくの腹は本人が自覚している以上にたるんでいる!

困ったな。少し贅肉を落とそう。

2012年9月27日木曜日

30年ぶり


熊本に来ている。

明日、熊本第一高校というところで、模擬授業みたいなものをやってくる。別に明日朝来ても充分間に合うのだが、そういう追い詰められた、忙しい、ばりばりに仕事してます、みたいなのが嫌いなぼくは、早く乗り込んで、今日は半日熊本城を歩いていた。

歩きながら、今度結婚するという教え子のことを考えたり、昨日引用したボラーニョの部分、最後の文章「彼にしたところで、同じくその画家のことを知っているわけではまったくなかった」というやつ。これは原文にはolímpicoという単語が使われていたのだったの、と考えたりした。「olímpicoな無知のために彼もその名を知らなかった」みたいな文章だ。

「オリンピック的な無知」とは何か? と悩む文章。

そんなボラーニョを、行きの飛行機の中で、珍しく半分くらいしか寝なかったので、少しは読んだのだが、それでも50ページがやっとだった。陣野俊史の提案のように100ページというのはオリンピック的だ。ツアーで取ったのでどんなホテルか知らなかったのだが、取ったホテルがけっこうないかがわしい場所……もとい、歓楽街にあって、こんな場所でボラーニョを読むなんざ、すてきだ。これから読む。ひたすら、読む。

あ、でもまだ〆切りの迫っている文章がいくつかあるのだった。

ぼくはばりばりに仕事してます、みたいなのが嫌いなのだ……

あ、ところで、豊崎由美さんが『TVブロス』にアイラの『わたしの物語』の書評を寄せてくださった。そのことを編集者の方に伺ったので、彼にはアイラに関してとっておきの話題をお伝えした。

それが何かというと……そのうち言います。


2666ページでなくてよかった


批評家の陣野俊史(『野生の探偵たち』の書評もしてくれた人だ)がツイッター上で書いていた。

長篇小説を読むときのコツは一日に読む量をあらかじめ決めておくことだと思うが、ボラーニョの『2666)の場合、一日100頁もけっこうきついが、100頁ずつ読んでも、一週間以上かかることになる。なんだか奇妙な旅をしている気分。

前段は実にためになるアドバイス。ページ数でなく、たとえば章数などでもいいだろうが、1日の分量を決めるのは、確かに、長編を読むコツだ。

で、ロベルト・ボラーニョ『2666』野谷文昭、内田兆史、久野量一訳、白水社、2012

をご恵贈いただいたので、熊本への出張のともに持って行きたいと思う。出張中には絶対に読み終えることはないだろうけど。

でもまあ、この前に読んでいたある小説に比べて、ボラーニョはぐいぐいと読み進んでしまう。読み進むのだが、3行も読むと、言いたいこと書きたいことがたくさん出てきて、読書を中断したくもなる。

読み進めるべきか、後々のことを考えてメモや文章作成を優先すべきか? これが次なる問題。

いや、実際、書き出しからして、面白いのだよ。ベンノ・フォン・アルチンボルディというドイツ人作家に魅せられた批評家・学者たちを紹介する第一部、最初に名が挙がるのがフランス人のジャン=クロード・ペルチエ。

彼の大学の独文科図書室には、アルチンボルディに関する文献はほとんど見当たらなかった。教師たちは、その人物について聞いたことすらなかった。教師の一人が、名前には聞き覚えがあるとペルチエに言った。十分もすると、その教師が名前を覚えていると思った人物はイタリアの画家だったことが判明し、ペルチエは怒り(驚き)を覚えたが、彼にしたところで、同じくその画家のことを知っているわけではまったくなかった。(13ページ)

な?

面白いだろ?

「彼にしたところで、同じくその画家のことを知っているわけではまったくなかった」だ。この一文が実に効果的で面白いのだと思うのだ。思うのだが、これを説明しようとすると、気が遠くなるのだ。

うーむ。読み進めるべきか、書き進めるべきか……

2012年9月16日日曜日

読んでから観るか、観てから読むか?


体が動かないので、映画でも観よう。

表題のフレーズは角川が映画に乗り出したときのキャッチコピーだっただろうか? そういえば、小学生のぼくは、観てもいないのに読む、と宣言して森村誠一『人間の証明』などを読んだりしたものだ。高校に入ってからポランスキーの『テス』を観て、当時配本中だった集英社の世界文学全集に入れられたトマス・ハーディ『ダーバビル家のテス』など読み、ペンギンのペーパーバックでも読み、三重に楽しんだのは、主演のナスターシャ・キンスキーに恋をしたから? 

ま、ともかく、順番なんざどちらでもいい。映画と原作小説は比べてみるところに面白みがある。

というわけで、ビセンテ・アランダ『クラブ・ロリータ』(スペイン、2007/DVDはタキ・コーポレーション、熱帯美術館)。

これはフアン・マルセー『ロリータ・クラブでラヴソング』稲本健二訳、現代企画室、2012の映画化作品だ。

映画化されたストーリーを言うと、こういうこと。双子の兄弟(エドワルド・ノリエガ)がいる。兄ラウルは荒くれ者の行き過ぎた刑事。ビーゴに勤務中に、ちょっとしたことで売春組織を牛耳るマフィア、トリスタン家の息子を負傷させ、父の恨みを買う。謹慎を食らってオレンセの実家に帰ると、知的障害を持つ弟バレンティンが、そのトリスタン家の経営する娼館ロリータズ・クラブの厨房兼雑用係として働き、そこの娼婦ミレーナ(フローラ・マルティネス)に入れあげていることを知る。怒ったラウルはバレンティンをそこから引き離そうとクラブに乗り込み、脅したりミレーナを買ったりする。が、バレンティンはラウルと間違えられ、トリスタン家の刺客に殺される。ラウルは以前、トリスタン家の手下だった者から手に入れた情報をもとに彼と交渉、あることを勝ち取るのだが……

娼館の名前は "Lolita's Club" この 's というのは英語法で、伝統的なスペイン語にはないはず。通常なら Club Lolita だろう。それを斟酌して映画は「クラブ・ロリータ」としている。さりとて「ロリータズ・クラブ」という言い方は日本語にも馴染まないので、小説の翻訳では「ロリータ・クラブ」なのだろう。

映画と小説の根本的な違いだな、と頷いたのは、まず、娼婦たちの訛りだ。一瞬にして彼女たちがコロンビアやキューバなどから買われてやって来たことがわかる。活字ではこうはいかない。たとえば単語の選択などで差異化することは可能だろう。cocheと言わずにcarroとかautoと言っている者がいれば、その者の出自を想像することはできる。が、それを翻訳に反映させるのはますます難しい。原文でもイントネーションや発音の特性などは、すぐには分からないのだ。ちなみに、映画にはcoach de diálogos というスタッフがクレジットされていた。「会話コーチ」だが、要するに日本のTV番組などでときどき見る「方言指導」みたいな立場だろう。

もうひとつたちどころに理解できるのは、双子の実家が訳あり家族だということ。父親ホセの妻オルガ(ベレン・ファブラ)が若すぎて、後妻だということがすぐに察せられる。小説も、最初からこの不穏さを示唆してはいるのだが、オルガの年まではわからないものだから、勘を働かせないことには見逃してしまいそうだ。

 濃い霧に包まれたビーゴを出て、運転している間に、携帯電話で父親の家へ電話した。
「バレンティンなの? あなたでしょ?」
「ラウルだけど?」電話に出た女の声に気が動転して、調子外れの声を出してしまったが、無言のまましばらくが過ぎた。一体どうしたんだ? しかし、父親と話している振りをした。「やあ、父さん。移動中なんだけど、夕方には家に着くと思う……」
 無言のまま。
  (略)
「で…… オルガは元気?」いや、奥さんと言うべきだったかな、と思った。(38-39ページ)

ちなみにこの翻訳、今年の2月に出版されたのだが、半年以上経って、実はぼくは書評することになったのだった。さて、ちゃんと読み返そう。

2012年9月14日金曜日

戦時の想像力?


砂川仁成作・演出によるプロパガンダステージの公演『獅子』@阿佐ヶ谷ザムザ。友人が客演しているのだ。

あれ? 劇場って、こんなにたくさん若い人が来るところだっけ? というのが第一印象で、何しろこのところぼくは劇場での客の平均年齢の高さに常に不安を感じていたからなのだけど、でもまあ、こんなに平均年齢が若いのはいいことに違いない。

ぼく自身がまだ20代だったころ、同じくらい若い人の多い小さな劇場で観た劇では、盛んに最終戦争後のディストピアを思わせる話が展開されていて、これが「核時代の想像力」というものなのだろうな、などと、まだその大江の本など読んでいなかったのに思ったものだ。

ところが今回は、戦争の話。たったひとつの事例をとてつもなく拡大解釈して考えれば、うーむ、どうやらぼくたちは今、戦時にあるらしい。とりわけ映画会社で助監督として働く進藤栄太郎(吉川元祥)を中心とした友人3人組が、それぞれに違う人生を歩き始めたと思ったら、それぞれに召集を受けて出征、満州、沖縄、硫黄島、と散り、それぞれの関係者も東京の大空襲に消え、広島で原爆を浴び……という話。映画の話だと聞いていたが、むしろ戦争の話というべきか。阿部寛みたいな声でエキゾチックな顔立ちの鎌田秀勝の存在感が水際立っていた。

主人公が大船の撮影所に勤めているという設定だったので、松竹だろうが、そしてそれは蒲田から大船に移ったばかりの撮影所なのだろうが、ここでスター女優を張る高井絹代を演じるのが藤堂さわこ。なんだ、こんな今どきの子って感じの女優でも、戦前戦中のスターになり切れるんじゃないか。やるな。あ、ちなみに、客演している友人(って、本当は学生なんだけど)というのは彼女のことではない。サイトがあったので、ご紹介。

ともかく、そんなわけで、ぼくたちは戦時下にある。どのように降伏して、どのように復興を図るか、それが問題なのだ。と考えるのは、ぼく自身が復興計画を練っているからだろうか?

2012年9月8日土曜日

どこからがフィクションか?


「院生の毒舌な妹bot」というのが面白い。botとはロボットの略で、自動的につぶやくツイッターの仕組みのことだ。自動的にどうすればこんな呟きができてくるのかは、ぼくにはわからない。

面白いのだが、ぼくの立場でこれをただ面白いと笑っていると嫌味になる。真面目な顔して同じこと言うと脅迫になる。うーむ、難しい。しかたがないから、こんなのでも読んでみよう。

今野浩『工学部ヒラノ教授の事件ファイル』新潮社、2012

筒井康隆の『文学部唯野教授』のような小説を期待すると欺かれる。今野浩は筑波大、東工大、中央大などで教鞭を執ったオペレーションズ・リサーチ学の研究者。東大を出てスタンフォードで学位を取り、合衆国の大学でも教えたことのある自らを「ヒラノ教授」(立場によっては「助教授」など)という者に擬し、周囲の学生や同僚たちが起こしていった騒ぎを書いたもの。軽いごまかしからセクハラ、アカハラ、場合によっては(東工大時代の)同僚の自殺や(中央大での同僚の)殺人など、悲愴な事件までを、大学の事情を説明しながら記している。

大学の事情を説明しながら、というのが重要なところ。だから、トンデモ学者たちを笑うというものでもなければ、その非常識を糾弾しているわけでもない。漱石は『三四郎』を書いたのは、当時、一部のひとのものしかアクセスできなかった大学の生活というのを書く必要があったからだ、とは誰が言ったのだったっけ? ともかく、大学改革という名の上からの改悪の始まりの時代には先の筒井の小説のようなものが生まれ、そして、その帰結として「院生の毒舌な妹bot」が存在する時代にはこうしたものが必要なのだろう。

今野が明言していることで一番重要な(とぼくには思われる)ことは、少なくとも彼の学生時代の日本の大学は「学部一流、大学院二流」であったこと、そしてその逆がアメリカ合衆国の大学であったという判断だ。

でも、ところで、これ、小説ではないと書いたけれども、どう位置づければいいのだろう? 今野は「ヒラノ」に擬している。そこに語り手と中心人物との乖離が起きている。これは、フィクションとは言えないのだろうか? うーむ。

2012年9月3日月曜日

端倪すべからざる


先週末、9月1日には『早稲田文学』新人賞授賞式というのに招いていただいたので、行ってきた。新人賞が発表される同じ雑誌に「十二人の優しい翻訳家たち」という座談会があって、それに参加した縁で。

座談会も楽しかったのだが、新人賞の受賞者、黒田夏子さんの「abさんご」という小説がなかなか面白い。そして選考委員の蓮實重彦が、文学作品に敬意を表する手段は引用することだと思う、と言って、書き出しの数行を暗誦してみせたことにも唸ってしまった。だってその数行というのは、

 aというがっこうとbというがっこうのどちらにいくのかと、会うおとなたちのくちぐちにきいた百にちほどがあったが、きかれた小児はちょうどその町を離れていくところだったから、aにもbにもついにはむえんだった。その、まよわれることのなかった道の枝を、半せいきしてゆめの中で示されなおした者は、見あげたことのなかったてんじょう、ふんだことのなかったゆか、出あわせなかった小児たちのかおのないかおを見さだめようとして、すこしあせり、それからとてもくつろいだ。

というものなのだ。かっこいいのだ。

ぼくは最近、『ドン・キホーテ』の書き出しとアラルコン『醜聞』の書き出しを並べて、少し解説するという文章を書いたのだけど、そんな文章が揺らいでしまいそうなくらい、衝撃的な書き出しだ。端倪すべからざる、というのはこういうことだろうか? 

日曜日は、別の原稿の関係で、何本か映画を観ていた。アレックス・デ・ラ・イグレシア『マカロニ・ウェスタン 200発の銃弾』(スペイン、2002)とか……

2012年8月30日木曜日

驚異を産み出す組み合わせ


ちょっと前にラモン・デル・バリェ=インクラン『夏のソナタ』吉田彩子訳、西和書林、1986を手に取り、奥付のあたりを眺めていたら、吉田さんがフアン・バレーラ『ペピータ・ヒメネス』を訳したと書いてあった。

知らなかった。1874年刊、19世紀スペインの代表的書簡体恋愛小説のこの作品が日本語に翻訳されているなんて! 

探したらすぐに見つかった。

『キリスト教文学の世界18 バレーラ ボルヘス』、主婦の友社、1978

フアン・バレーラとボルヘスが、しかも「キリスト教文学の世界」(「キリスト教世界の文学」ではなく)というシリーズの一環として出版されていたなんて。吉田彩子訳の『ペピータ・ヒメネス』と、鼓直訳の『伝奇集』。しかも、この『伝奇集』の解説を田中小実昌が書いているのだ! 

これはもう「解剖台の上でミシンとこうもり傘が出会う」くらいの驚異ではないか? 

神学生ルイス・デ・バルガスがおじの司祭に宛てて送った、寡婦ペピータへの思いからなる手紙と、その後の顛末を語った補遺からなる、いかにもな19世紀恋愛小説だ。神学生はやたらと恋をするのだ。

第一通の3月22日は、久しぶりに故郷に帰ってきたルイスの感慨から始まる。

 ここを離れたのはほんの子供の頃で、今大人になって帰ってきてみると、記憶の中にあった様々なものがとても奇妙な感じです。すべてが私が覚えていたより小さく、ずっとずっと小さく、しかし又はるかに美しく、みえます。(20ページ)

恋愛は久しぶりに故郷に帰ってきたもののこうした眼差しによって可能になる。ホルヘ・イサークス『マリーア』(1867)がそうだった。新たな目で眺め返された故郷に美しいあの人が現れるのだ。

2012年8月25日土曜日

消えゆく村を語る


フリオ・リャマサーレス『無声映画のシーン』木村榮一訳(ヴィレッジブックス、2012)

今日手に入れたばかりだ。手に入れたばかりの本は、まず、はしがきやあとがきに目を通し、ぱらぱらとめくってどんな本か見当をつける。そこまでしかやっていないのだ。

装丁が美しい。

「日本語版への序文」では、昨年の震災についての見舞いの言葉があり、世紀の変わり目のころ、スペイン北部の鉱業セクターがグローバル化により大打撃を受け、廃村と化したところがある、と続く。レオンのそんな鉱業地帯で育った自分の記憶が、初期の作品(『黄色い雨』など)に反映されていたが、『無声映画のシーン』では、記憶そのものがプロットなのだと説明する。

 この小説がスペインで出版されたとき、ある批評家が、これは回想録のような作品であって、小説としての条件を満たしていないと断じた。しかし、実をいうとこの作品は紛れもなくフィクションとしての小説なのである。(4ページ)

 実にこんなタイプの短編集のようである。映画のタイトルやそれをもじったようなタイトル(「遠い地平線」「アメリカの夜」「月世界旅行」等々)のひとつひとつで、映画や映画館に絡めて幼時の記憶を(あるいは変形された記憶を)語るという趣向の模様。

 実をいうとあの年まで、フランコについての噂をほとんど聞いたことがなかった。学校にある写真や本の中で毎日のようにその姿は見ていたし、ラジオを通してしょっちゅう名前を耳にしていたが、その男が誰なのか、つまりどういう人間なのか分からなかったので、まったく興味がなかった。その後、映画が始まる前に上映されるニュース映画《NO-DO》(ノード)で彼の姿を目にしたが、大仰な身振りをしながらせかせか歩き回っている映像を見て、チャルロットか、デブとヤセのコンビのような俳優なんだろうが、それにしても面白くもなんともないと思っていた。(「ストライキ(成人向け映画)」172ページ。太字は原文。( )内はルビ。訳注を省略。チャルロットはチャップリンのこと、「デブとヤセのコンビ」はローレル&ハーディのこと)

な? 読みたくなるだろう?

2012年8月23日木曜日

ミラグロスは常にそこにいた、あるいはアダプテーションの理論


そう。『パライソ・トラベル』シモン・ブランドの手によって映画化されている(2008)。脚本にはフランコ自身も携わっている。ぼくは以前、それを見ていたのだった。それを見返してみた。

細かい違いはいくらもある。マーロン(アルデマール・コレーア)とレイナ(アンヘリカ・ブランドン)が最初にたどり着いたのはクイーンズでなくブルックリンになっていたり、最後にマーロンがレイナを訪ねていく先がマイアミでなくアトランタだったり。レイナの母親が既にマーロンの知り合いだったというサプライズも小説にはない要素だ(さて、誰でしょう?)。小説の最後の1ページの心の流れをセリフにして、かつ、説明過剰な最後のプロットをつけ加えたことなどは、映画であることを考えれば、まああり得ることかとも思う。

ぼくとしては最も気になった差は、2人の人物の扱い。まずはマーロンが一時身を寄せる人物ロジャー・ペーナことロヘリオ・ペーニャ。この人物がスペイン語らしい名を捨ててロジャー・ペーナを名乗るにいたった経緯は映画では語られない。ホメロスやウェルギリウスを引用する教養豊かな背景は消え、そのかわり、cama(ベッド)やputa(娼婦)などの語の前でどもり、いかがわしい写真を撮ったりして、なかなか面白いキャラクターに仕上がっていた。共同プロデューサーでもあるジョン・レギサモ(レグイサモとして知られていると思う)が演じると、さらに面白い。万引きを働くシーンでは、つられてマーロンまでどもってみせるのだから、一場がコミカルに仕上がる。

そしてもうひとり、扱いの違う人物はミラグロス(アナ・デ・ラ・レゲーラ)。マーロンに好意を寄せ、彼の物語の聞き手となるこの人物は、小説では日曜日のコロンビア人たちのお祭りで出会うのだが、映画では〈祖国コロンビア〉の隣でCDを売っていて、最初からマーロンと面識を得るのだった。結末にかかわることもあるので、その他の違いは詳しくは言えないが、個人的にも探し求められるレイナよりもこっちの方が魅力的に感じた。ぼくならレイナのことなんか忘れて、ミラグロスと結ばれる。

あ、
  もちろん、
       個人の好みの問題ですが……

しかも、フィクションの人物というよりは女優に対する好みの問題……

尾籠な話……なのか?


ホルヘ・フランコ『パライソ・トラベル』田村さと子訳、河出書房新社、2012

『ロサリオの鋏』に続き、フランコ2冊目の翻訳だ。恋人のレイナの主導で不法にニューヨークにやって来たマーロンが、ちょっとしたことで右も左もわからないこの都会でレイナとはぐれることになり、浮浪者のような生活の末に行き着いたコロンビア系のレストランの人々に助けられて立ち直り、そこで知り合った人々を相手に、はぐれた恋人とのことを語って聞かせる、という形式。最終的には恋人がマイアミにいることがわかり、彼女に会いに行く途中のグレイハウンドのバス内も語りの場になっている。

ビザの出ない2人、および他の人々からひとりにつき5000ドルもの大金を受け取って合衆国に不法入国させるブローカーがパライソ・トラベル。コロンビアでレイナとマーロンが金を作るまでと、大変な旅を重ねてグワテマラ、メキシコ、合衆国と陸伝いに入っていく旅が半分、身分証もなくニューヨークのクイーンズで、レストランのトイレ掃除などをして生きていくマーロンの苦労話が半分。

レストランの仲間、ねぐらを提供してくれた人、グレイハウンドで隣に座った乗客、マーロンに思いを寄せる女性などを聞き手に語られるマーロンの語りは語りの場所が行ったり来たりして、それに合わせて語られる場面も行ったり来たり。テンポか良くて読者を飽きさせない。

こういう南北アメリカの(インターコンティネンタル)移動の話は、むしろ映画が得意にしてきたのだったな、と思う。『闇の列車、光の旅』、『そして、ひと粒のひかり』。特に後者はコロンビアから麻薬の密売人としてニューヨークに移動する女性たちの話なので、旅の前後について多くを思わせる。陸路の旅というと、前者、ということ。

『そして、ひと粒のひかり』は、麻薬を入れた蚕ほどの大きさのビニールの袋を、何十個も飲み込んで胃に蓄えて移動し、着いた先でひり出し、売人たちに渡すという運びやたちの話。主人公マリーアは連れて行かれた郊外のホテルの浴室で、取り出したその麻薬の袋を丁寧に洗い、匂いまで嗅いで確認して渡すのだが、そこまでの気遣いをしない友人は、組織から逃げるさいにその麻薬を持ちだしてそこに固執する。この対比が印象的な映画だった。体内に隠れていたものは秘密だからこそ貴重なのだ。排泄物と黄金が同一である次第だ。フロイトを思い出す。

で、そんなことを考えていたせいか、『パライソ・トラベル』でもレストラン〈祖国コロンビア〉のトイレ掃除をすることとなったマーロンが吐く糞尿にまつわる悪態が実に印象的。

僕が最初に考えたのは、糞を食らうだけでなく糞の掃除をするために、この国に残っている価値があるかどうかということだった。(116ページ)

『そして、ひと粒のひかり』でも、主人公が逃亡の先に、頼っていった人物はクイーンズに住んでいた。そこの花屋では、主人公がコロンビアで出荷していたものを思わせる薔薇が売られていた。『パライソ・トラベル』の主人公マーロンは、恋人レイナが嫌悪したであろう民族衣装風の制服に身をつつみ、クイーンズのレストラン〈祖国コロンビア〉のウェイターになる。

トランスアトランティックな、アメリカ―ヨーロッパの移動の軸も重要なのだが、インターコンティネンタルな、南北のアメリカの移動も取り上げられていいトピックだ。ヨーロッパの人々はかつて黄金を求めてアメリカに渡ったものだが、南米の人々は北へ渡って黄金を排泄する。

2012年8月20日月曜日

原初のイメージをたどり直すこと


友人がFacebook上で土屋鞄製作所のページに「いいね!」ボタンを圧していて、そのページの存在を知ることとなった。そこに記入者の「両親が結婚したころから使っている」というミルの写真が載っていた。


一気に時間が逆戻りした。ぼくもかつてこれを愛用していたのだ。ぼくはこの写真で久しぶりにこれを見るまで、ぼくがコーヒーを飲み始めたのは実家に同居していた母方のおじの影響だと思い込んでいた。レストランのオーナーシェフになりたいのでその軍資金集めのためにと実家(そこはつまり彼の実家でもあったわけだ)に住んで近所のコンクリートブロック製造会社で働いていたものの、金を貯めるどころか、いかにも時代がかったステレオセットと流行り物なのでいまでは廃れたし、そもそもサイズが違うので着られないタンス一棹分の服、それに少しばかりの借金を残して失踪した、浪費癖のあるらしいおじ。ぼくがだいぶいろいろな特性を引き継いでいるおじ。ぼくにとって新しいものは何もかもおじから来ているとの意識があったので、そう思い込んでいたのだろう。

そうではなく、コーヒーをわが家に持ち込んだのは兄だった。この写真を見た瞬間、そう思い出したのだった。コーノ製のミルとハリオのサイフォン。一緒に買ってきたモカの豆をこのミルに入れてカリカリと挽き、ねじ込み式の下部を開けて挽き立ての粉を見たときに立ちのぼった香り、それとはまた異質の、サイフォンの上のフラスコにお湯が登って行ってその粉を包み込んだときの芳香。そういったものを一気に思い出した。

そんな思い出話とともに語りたくなるのがビクトル・エリセ『ラ・モルト・ルージュ』(2006)。アッバス・キアロスタミとのビデオ往復書簡展(ポンピドゥー・センターおよびCCCB――バルセローナ現代文化センター)で公開された30分ばかりの短編だ。今回、宮岡秀行のプロデュースしたドキュメンタリー『リュク・フェラーリ』とともにUPLINKで上映された。昨日と、それから30日にもう一度ある。

ぼくはかつて『ビクトル・エリセDVD-BOX』(紀伊國屋書店、2008)に収録された『ミツバチのささやき』のリーフレットの解説で、エリセの「近年」の文章に触れながら、子供が初めて触れるスクリーン体験、光に照らされたスクリーンに陶然と見入る体験の重要さを説く彼の文章を具現化したのがこの『ミツバチのささやき』なのだという趣旨のことを書いた。つまり、この映画はエリセ自身の初めての映画体験を大きく反映した、自伝的作品のようなものなのだと言いたかったのだ。

そこでほのめかした「近年」の「文章」のひとつはこの『ラ・モルト・ルージュ』におけるヴォイス・オフによる語り。彼が育ったサン・セバスティアン、ドノスティアの街にある映画館での初めての映像体験を綴っている。1946年に見た、ロイ・ウィリアム・ニール監督によるシャーロック・ホームズものの『緋色の爪』(日本語のデータベースでは見当たらない。戦争が関係しているのだろう。ニールの作品は35年公開のものまでしかない)だ。それの舞台となっている架空のカナダの都市がラ・モルト・ルージュ。エリセは子供のころの映像体験、つまり、見た映画そのものと、それを見たときの周囲の人々の様子、自分自身の様子を語り、かつ、架空の街であるラ・モルト・ルージュ、あまり情報もないニール監督や舞台の街についてのその後知り得た情報(記憶の修正)を語っている。

『ミツバチのささやき』が高度に自伝的な映画であるということがわかると同時に、原初の体験とその忘却、勘違い、などについて考えさせられて感慨深い。

ところで、ニール監督によるシャーロック・ホームズものは、今では『シャーロック・ホームズ コレクターズBOX』として入手可能だ。ひょとして『緋色の爪』La garra escarlata というのは『闇夜の恐怖』だろうか? 

2012年8月17日金曜日

狂気の形


写真前面は、グスタフ・ルネ・ホッケ『文学におけるマニエリスム』種村季弘訳、平凡社ライブラリー、2012

だが、その奥にある小説を読んだという話。

オラシオ・カステジャーノス・モヤ『無分別』細野豊訳、白水社、2012

カステジャーノス、2作目の翻訳だ。

長く続いた内戦が先住民虐殺に転じたグワテマラとおぼしき場所(明記はされない)で、その記録文書の千五百枚もの原稿を校閲、校正する仕事を引き受けた「わたし」が、見知らぬその街で知り合った若い女と関係を持とうとしてみたり、その思いを遂げたり、謝礼の未払いに怒ったりしているうちに被害妄想を抱き、やがて精神を病んでいく(ととられる)過程。

150ページ強の短い小説なのだが、報告書原稿に書かれている惨たらしい暴力の記述を仲立ちとして、「わたし」の妄想や現実の行為(ファティマという女性とのセックス)が眺められ、狂気を呈していくその進行のしかたは面白い。「おれの精神は正常ではない、と書かれた文章にわたしは黄色いマーカーで線を引き、手帳に書き写しさえした」(7ページ。太字は原文)という冒頭が活きている。

ロドリゴ・レイ=ロサが来日して東大の駒場で講演したときに、やはりグワテマラの軍による弾圧の記録を整理しているとして、それを読み上げていった。質疑応答の段になって、若い女性が、「わたしはそんなものを読み上げられて不快に感じます」とのコメントを言った。そのことを思い出した。

そのときは、貴重な質疑応答の時間を、そんな的外れなコメントで潰すその女性を、愚かだと思いもしたが、そうではないのだ。人はたやすくテクスト内の行為の当事者とそれを書く(語る)者、そしてあまつさえそれを読む者とを混同してしまうということの格好の証左だったのだ、彼女は。とりわけテクストに書かれたものが耐えがたい現実であった場合、人は語り手を忘れ、場合によっては読者を忘れる。人を殺したのはレイ=ロサではない。それを書き残したのもレイ=ロサではない。それを読み上げたのがレイ=ロサだ。この三者には三者それぞれの思惑があって、異なる行為をしている。でも読み上げられたのが聞くに堪えない凄惨な暴力の証言であった場合、それを読み上げた者こそが当事者に思えることがある。

カステジャーノスの小説の「わたし」は、こうして暴力に巻き込まれる当事者を自認するにいたったということだろう。これは『ドン・キホーテ』の狂気なのだ。

2012年8月15日水曜日

クローンが街にやって来る


César Aira, El congreso de la literatura (Barcelona, Random House Mondadori, 2012)

メキシコ以外の世界に向けての版、と謳っているけれども、つまり、以前(1997)、小さな出版社から出されたものが、大手で再版されて出回るものだということ。だと思う。「メキシコ以外」というのは、メキシコではEraがアイラの作品は出しているので、これもこの社の版があるか、もしくは、これから出るのだろう。

マクートの糸という自然現象を解明した〈マッドサイエンティスト〉こと私(セサル)は、クローン製造に乗り出し、試作人物の制御に困って、天才のクローンを作らねばと思い立つ。天才というので思いついたのはカルロス・フエンテス。そこで、フエンテスの細胞を盗むために、ベネズエラのメリダで開かれる作家会議にやって来る。首尾良く細胞を盗み出したはいいが、……という話。

ふだんは「ネタバレ」をタブー視するなど愚かなことだと考えているぼくも、さすがにこれは結末は書けない。ともかく、変なものが出てくるのだ。奇妙なものの出現がもたらす驚きにおいて、これは『ゴーストバスターズ』のマシュマロマンに匹敵する。とにかく、おかしいのだ。

クローンを扱うSF(?)でありながら、文学会議のオープニングで「私」の書いたアダムとイブの不倫をテーマにした戯曲が、学生劇団によって上演されるなど、どうしても小説を何かの隠喩またはアレゴリーとして読んでしまいたくなる、われわれ読者の宿痾に対し、小憎らしい挑発がしかけられているところが悔しい。極めつきは以下の一節。

クローン製造器が人間と服の境目を認識するなど、どうすればできるというのだ? やつにとってはどれも同じことだ。何もかもひっくるめて「カルロス・フエンテス」なのだ。つまるところ、文学会議に出席している批評家や先生方にとっても大差ない事態が生じるはずだ。彼らだって人間とその人の書いた本との境目はどこにあるかと問われれば、答に窮したに違いないのだ。彼らにしてみれば、本も人もひっくるめて「カルロス・フエンテス」なのだから。(102)

うーむ。そうなのだよ。そうなのだが、だからって、こんな展開になるかね? という話。

2012年8月9日木曜日

阿部先生に小説の読み方を教わる


ぼくも日ごろ、小説を訳したり授業で読んだりしているわけだが、ときどき、どうにも読めない小説というのがある。スペイン語だと読めるのだけど、翻訳だと読めないとか、その逆とか、……あるいは読んだのだけどすっかり忘れてしまったものとか……だから、

阿部公彦『小説的思考のススメ――「気になる部分」だらけの日本文学』、東京大学出版会、2012

に、「小説とは本来、読めないものなのです」(iiページ。下線は原文の傍点)なんてあると、ついついそう言ってもらえると助かる! と思って手に取ってしまうのだ。「小説を手に取って迷ったりひるんだりしても、それはあなたのせいではありません。小説のせいです」と言われれば、ますます勇気づけられる。勇気づけられたところで、「小説には読み方がある」(viii)と囁かれたら、買ってしまうでしょ?

が、買ってみて続きを読むと、「小説のルールというのはたとえば語学のルールのように暗記すればいいというものではありません。作品によって、どのあたりを読むべきかの勘所は異なる。私たちがするのは、ルールを探しながら読むということです」(viii)と書かれている。なーんだ、やっぱりそうだったのか。ちっ、だまされたぜ。

まあ、小説という壮大な嘘にだまされるのが好きなぼくとしては、このくらいのだまされ方では腹は立たないわけだが。そして、第1章、太宰治の『斜陽』を読む段に入っていくと、「まず何よりも気をつけたいのは、文章を一字一句読むということです」(5)と明言されていて、どうやらこれが唯一、公式化しうるルールのようだと気づくわけだ。一字一句読む。「簡単なようですが、これが意外と難しいのです」(6)。そうなのだよな。日本語訳を読んでもうまく読めないけれども、スペイン語だと読める、なんてことがあるのは、スペイン語だと一字一句読まざるを得ないからなのだ。そしてまた時には、とりわけストーリーに没入しているときには、ちゃんと読んでなかったりするものな。

で、阿部さんはテクストを「一字一句読」みながら、つまり、テクストの分析をしながら、太宰の文体が表現する語り手=主人公和子の貴族性ゆえの読みやすさを解説する。そして、その余裕が破綻する瞬間を捉えて刺激的だ。「心地よさをつくりあげたうえでそれを破ること。それを壊すこと。それがなければ小説は小説にはならない」(18)とまで言われた瞬間には、目から鱗が落ちるという次第。

この太宰から始まって漱石の『明暗』会話と地の文の齟齬を分析、辻原登、よしもとばなな、絲山秋子、吉田修一、志賀直哉、佐伯一麦、大江健三郎、古井由吉、小島信夫を読んでいくのだった。「大江にとっての真実は、定点としてそれと指差されるようなものではなくて、いつどこから語りかけてくるかわからないような不意打ちの訪れとしてとらえられています」(169)なんて指摘には、それこそ不意打ちされたものだ。

2012年8月8日水曜日

ハバナの一週間


VA『セブン・デイズ・イン・ハバナ』(フランス、スペイン、2012)

を昨日、観てきた。その後、飲みに行ったので、今日、記す次第。このところ秘密の仕事に関係した本などばかり読んでいるので、気分転換だ。

7人のシネアストが、それぞれ一本の短編を撮り、月曜日、火曜日、……というように割り振ったオムニバス映画。順にベニシオ・デル・トロ、パブロ・トラペーロ、フリオ・メデム、エリア・スレイマン、ガスパル・ノエ、フワン・カルロス・タビーオ、ローラン・カンテ。

スクリプト・コーディネーターをレオナルド・パドゥーラが務めている。脚本を直接書いたエピソードもあれば、スーパーバイズしたエピソードもあるということだろうか。そのおかげで、エピソード間の繋がりができている。水曜日の主役セシリア(メルビス・エステベス)が土曜日には一家の娘として現れる、という具合。あるいは月曜日に女装姿で出てきたゲイのラモンシート(アンドロス・ペルゴリーア)が、土曜日にも、今度はスッピンで出て、そこにあったカツラをかぶって鏡を見、「ベニシオ・デル・トロの撮影の時にもこんなカツラをつけたかった」(だったか、……うろ覚え)とつぶやいたりする。

フリオ・メデムが撮った水曜日「セシリアの誘惑」はシリロ・ビジャベルデ『セシリア・バルデス』を下敷きにしている、などというコンセプトも、パドゥーラがかかわっているからこそなのだろう。ちなみに、月曜と土曜に出てくるゲイのラモンシートを演じるペルゴリーアは、ホルヘ・ペルゴリーアの息子。ホルヘは『苺とチョコレート』のあのホルヘで、これが土曜日の中心人物のひとり。つまりここで親子が共演しているわけだ。

メデムの「セシリア」など、面白かった。『セシリア・バルデス』を下敷きにしたと銘打つに充分な官能性を備えたカメラ・ワークだった。が、その次の木曜日、エリア・スレイマン「初心者の日記」は、パンフレットのサラーム海上のコメントや、その他ウェブ上で目についたレビューなどを目にする限り、誤解されていような気がする。ぼくはこのエピソードを、とても興奮しながら見たのだった。

エリア・スレイマン本人が、ある人物にインタビューを申し込んだのだけど、演説が終わってからだと言われ、手持ちぶさたにまかせてハバナの街をあちこち見て回る、という話だ。何度かホテルの部屋に帰ってみるものの、演説は一向に終わらない。終わったかと思ったら、聴衆の求めに応じてまた話し始める。動物園は職員のみが行き来し、物言わぬ外国人観光客をうさんくさそうに眺めるだけ、ヘミングウェイの通った、フローズン・ダイキリ発祥の店ラ・フロリディータも、昼間なので何組かの観光客がいるばかり……街中にも演説の声は流れてくる……

これはつまり、ガルシア=マルケスがカストロを評した文章が下敷きになっているのだ。革命直後、朝から始まった演説が、仕事を終えるころになっても続いていて、ガルシア=マルケスたちは、そしてハバナのみんなも、仕事をしながら一日中カストロの演説を聴いていた、という話。映画内のTVに映るカストロは、革命直後の、若かりしころの彼ではない。その演説にしてもガルシア=マルケスの経験した最長記録の演説ではないだろう。が、それを彷彿とさせるカストロの演説、仕事をしながら、あるいはそれを放り出して聞き耳を立てるハバナの人々、それを物言わぬスレイマンが観察している、そんな話だ。

スレイマンがこのガルシア=マルケスのテクストを読んでいたかどうかは知らない。しかし、脚本のパドゥーラならば読んでいてもおかしくはないし、あるいは彼自身、同様の経験をしてきたはずだ。今ではもう聴けなくなったはずのカストロの雄弁、その間のハバナの街の様子を、この街をまったく知らない物言わぬ人物の目を通して描いて、実に感慨深いエピソードなのだ、木曜日は。

2012年8月2日木曜日

スキャンダラス


『文藝年鑑』に今年も書かなければならないので、できるだけ新刊に目を通すことにしている。Juan Villoro, Arrecifeやフエンテスの死後の新作、バルガス=リョサなども目を通さなきゃな、と思っているところ。
Santiago Roncagliolo, El amante uruguayo: Una historia real (Alcalá la Real, Alcalá, 2012)

若くしてベストセラー作家になったし、父親は大臣だし、なにかとスキャンダラスな本を書いて物議を醸すので、良くも悪くも目立つロンカリオーロ。今年1月に初版が出て早くも増刷りのあるこの本は、ウルグワイの作家エンリケ・アモリンとフェデリコ・ガルシア=ロルカの関係、ロルカ亡き後のピカソやネルーダとの確執を扱ってなにやらスキャンダルの匂いが芬々。

1953年、アモリンの住むサルト(アルゼンチン国境の街だ)でロルカ記念碑の除幕式があった。マルガリータ・シルグも参列し、『血の婚礼』も上演されたというこの式を語るプロローグから始まっている。

秘密の業務で読まねばならないものなどに阻まれがちなのが口惜しい。オリンピックなんかみている場合ではないのだな。

ところで、本の表紙の写真の人物だというのに、ぼくのiPhoneのカメラはロルカとアモリンに焦点を合わせる。優秀? だ……

2012年7月24日火曜日

フィルム交換を知らせる染みを、久しぶりに見た


行きたくてもずっと行けなかったホセ・ルイス・ゲリン映画祭@イメージフォーラムを、やっと観に行った。2本だけだ。

『影の列車』(1997)

1920年代後半の映写マニアの晩年を、彼が撮った家族のスナップ(リュミエール兄弟がよく撮っていたような)を80年後に再編集しながら再構成する、という形式。20年代のフィルムというのも、もちろん、ゲリンが撮って引っ掻いたりして(なのか?)古いフィルムのように加工したもの。現在の映像は、窓枠、半開きのドアの向こうに見えるポートレート、鏡、水面に映った月、雷雨、自動車のヘッドライトとそれでできる陰影、等々、映画が100年かけて作ってきたトピックと、それを表現する撮影技術の粋を凝らして作ってある。編集作業中の私たちがフィルム内の人々の視線、手品のネタ、影、鏡などから、画面にはいないけれども存在してるはずの撮影する「私」を想起していく、一種メタ・シネマ的映画。

これだけの映画史を描きたげなゲリンが、『シルヴィアのいる街で』でも存分に発揮した、音声録音と再生のうまさを、ここでも既に発揮しているゲリンが、ここにただひとつ入れなかったものは、セリフだ。

結論として、映画はセリフなしでもなり立つのだ、と言えそう。

『ベルタのモチーフ』(1983)

作家のデビュー作。少女が村はずれの家に住みついた異者に魅入られ、それまでの人間関係から離れて成長していく話。

と書けばビクトル・エリセ『ミツバチのささやき』を思い出す人も多いらしい。

冒頭のふたつめシークエンスは、ベルタ(シルビア・グラシア)が隣人イスマエル(ラファエル・ディアス)のトラクターに乗せられ、ある村に入っていくというもの。手前には村の名が書かれたプレートがかかっている。

次のシークエンスは地平線まで続くうねりのある草原をベルタが走っていくというもの。"Ber-ta" という2音節の名の呼び声が聞こえる。

ほらね? 『ミツバチのささやき』でしょ? 

結論:すぐれた作家は紋切り型を恐れず、他者が切り拓いたトピックを堂々と引き受ける。

それでいいのだ。だからこそぼくらは映画に引き込まれるのだ。

もちろん、ベルタが走る草原はアナが走る草原よりも高い草に覆われており、ベルタの方がはるかに大人だということがわかる。アナより大人だからもっと淫靡だ。もっと生々しい。

水が印象的でもあった。

2012年7月21日土曜日

そしてやっぱり映画を見よう


ガストン・ドゥプラット、マリアノ・コーン『ル・コルビュジエの家』(アルゼンチン、2009)を試写会に呼んでいただいて、見たのだった。トレイラーはこちら

傑作だ。いや、傑作というか、何というか、しゃれた、スタイリッシュな映画だ。

白と黒に二分割された画面から始まるオープニングが、すでにしゃれている。黒い部分をハンマーで叩くと、白い部分からセメントくずが落ちていくので、これが表と裏を表しているのだということがわかる。やがてポッカリと穴があき、しゃれた始まりだと思った自身の価値判断が恥ずかしくなるような、一種、暴力性とでも呼ぶべきものがむき出しになる。先入観にポッカリと穴があくのだ。

うむ。やるな。

ブエノスアイレス州ラプラタに実在するル・コルビュジエ設計になるクルチェット邸に住むデザイナーのレオナルド(ラファェル・スプレゲルブルド)が、壁に窓用の穴を開けた隣人ビクトル(ダニエル・アラオス)に悩まされ、侵食され、脅され、なったつもりもないのに友だちだとされて友情を押し売りされ、……というコメディ。コメディでなければ隣人の脅威の向こうに見え隠れする暴力の話。かと思いきや、最後の10分くらいで急展開。そしてやはりしゃれた感じのエンドロールが現れると、唸らずにはいられないのだな。傑作だ。いや、スタイリッシュな映画だ。

原題はEl hombre de al lado 『隣の男』。ビクトルの恐さに焦点を当てたタイトルだ。邦題はクルチェット邸でオールロケのデザイン性を強調しているという次第。ガラス張りの壁越しにロングショットで屋外が見えるシーンで、手前の、焦点から外れた位置に同じくル・コルビュジエのシェーズ・ロングが置かれていたりするところなど、細部の作り込みが、この題を決定させたのだろうな。レオナルドがデザインして彼を有名にしたという椅子も実在するデザイナーによる実在する椅子だ。これがまたすてき。

最後の展開は、もうすぐ邦訳の出るセサル・アイラなどを彷彿とさせる……と、さりげなく宣伝しておこう。

どさくさに紛れてもう一言、宣伝するならば、ビクトルがアルベルトに差し出すイノシシのマリネ、この扱いは去年邦訳の出たカルロス・バルマセーダみたいだ。アルゼンチンはアイラ的なものとバルマセーダ的なものが混然となる物語に満ちている?……

牽強付会だが。

演劇も見よう


燐光群の公演『宇宙みそ汁/無秩序な小さな水のコメディー』@梅ヶ丘BOXに行ってきた。

2本立て、というか、2本目の「無秩序な……」はさらに「入り海クジラ」、「利き水」、「じいらくじら」の3本から成り立つオムニバスなので、4本立て? みたいなものだ。

ぼくが坂手さんからときどき見に来いと誘っていただくようになったきっかけは、一昨年、大学で開催したシンポジウム。そのときの録音がまずくて、残念ながら活字にできていないのだが、ともかく、そのとき、例えばデイヴィッド・ヘアー『ザ・パワー・オブ・イエス』のようなドキュメンタリーらしきものを劇に仕上げる要素は何なのか、と問いかけたのだった。坂手さんは舞台に上げる、それだけで劇になるのだと応えて印象的だった。

で、今回の「宇宙みそ汁」、なるほど、俳優を舞台に上げて詩を読ませたらそれだけで劇が成立するのだということが納得できる。清中愛子の三田文学賞受賞の詩や、その他、『宮の前キャンプからの報告』所収の詩だと思われるものを円城寺あやをはじめとする俳優陣が読み、動きをつける。すべてが清中の詩によって成り立っているわけではないと思うが(確認していない)、日記風の詩のようなものによって語られていく世界は、展開の速いオムニバス形式の、確かに演劇のようだ。

2012年7月16日月曜日

もっと映画を見ようよ


やっと見に行けた。ペドロ・アルモドーバル『私が、生きる肌』(スペイン、2011)

これは2011年の作品で、舞台は2012年のトレードということになっているから、いわば近未来SFだ。

別に2012年が舞台でなくとも、完全なる整形という不可能なことを扱っているのだから、SFだ。アントニオ・バンデーラスが復讐と亡き妻への忘れがたい思いを実現するために秘密の整形手術を行う話。

ロベール(バンデーラス)の暮らすシガラル(別荘)にはティツィアーノの絵が二枚掛かっている。いずれもカウチに横たわるウェヌスを描いたもの。そのウェヌスの仕草をなぞるようにカウチに寝そべるベラ(エレーナ・アナーヤ)を、モニターで覗くロベールが、ちょうど対称を描きながらカウチに座るとき、その2枚のティツィアーノをなぞって美しい。この構図に魅入られると、もう後はアルモドーバルの世界だ。クイアでジャンキーでメロドラマ的。

アルベルト・イグレシアスの音楽も美しい。

2012年7月15日日曜日

消えた小顔ポーズ


前回、掲載しようと思っていて忘れた写真。『文藝年鑑2012』、新潮社。ここにラテンアメリカ文学の2011年を振り返っている。

Facebook上である学生が、中畑、篠塚、原の写真入りのジャイアンツのウチワの写真を掲載し、このころにはもうピースサインがあったのだ、と驚いていたので、よせばいいのに、教師根性からコメント。何を言っているのだ、Vなど、連合国軍の兵士がしていたサインだ、と示唆。だいぶ驚いていた。

連合国側が勝利のVを指で作って突き出していた映像なら、いくつも残っていると思う。たぶん(うろ覚え)。カルペンティエールは『春の祭典』でVが氾濫していたことを書き残している。このVサインが、ヴェトナムのころには平和のピースサインになる。68年ころを扱った『ノルウェイの森』では、みどりが主人公に向かって、「ピース」と言いながらVサインを作るシーンがあった。このころからピースは定着していくはずだ。

学生へのコメントで80年代にはみんながピースサインを作っていた、と書いた後できになって、80年代半ばの写真を見直してみた。みんな、というほどではなかった。平均すれば半数ほどがピースを作っている、というところだろうか? 

つらつらと思い出すに、プリクラなどが出てきたころ、女の子たちが両手を広げるポーズをやたら作っていたのではなかったか? そのほうが顔が小さく見えるというのだ。その勢いに圧されて、確かに一時期、カメラに向かってピース、は少なくなっていたように思う。それがいつからか、また形勢逆転、今では両手を広げるポーズなど見ることもない。代わりにかつてよりもはるかに高い確率で、皆がピースを作っている。

気になるのだ。気になってきたのだ。両手を広げるポーズ、これが消えたのはいつだ? どのように消えていったのだ? このポーズのはかない隆盛は、ぼくが今書いたように、プリクラの普及に対応するのか? 

おそらく、くだんのFacebookの学生は、この両手を広げるポーズからの形勢逆転でピースが席巻するようになった時代にこのポーズを内面化していった世代なのだろうな……と思っていたら、その人物からのさらなるコメントが。彼女が中学生くらいのときに両手を広げるポーズは消えていったのだそうだ。

消えたポーズが気になる。今度写真を撮るときにやってみよう。脇を締めるようにして腕を前に突き出し、手のひらを広げる、あのポーズ。

2012年7月14日土曜日

小田急線の電車に乗って


藤沢の鵠沼高校に出前授業というのに行ってきた。高校1年生を相手に、いくつかの大学の教員が体験授業や大学の説明やらを行うという催しに参加してきたというわけだ。乗るはずだった小田急線特急ロマンスカーが前日からの雨の影響で運休(ぼくはつくづくと雨男だ)、やきもきしたが、事なきを得ず、ひとつの素材を基に、グレードによってどんなアプローチをしうるか、という話をしてきた。

今どき、大学の教員はそんなことをしなければならないのだ。この話を持ち込まれたとき、断るための正当な理由がなかったので引き受けたのだが、そうしたら次から次へと同様の授業の打診が来た。授業日のものばかりだったので、さすがに断った。断ったはいいが、ということは、これまでこの種のことを誰かがやっていたし、ぼくがやらなければ他の誰かがやることになるということだ。

大変だなあ、……

などと考えながらくだんの高校に行ったら、いただいたパンフレットの中に、「オープンスクール」のお知らせ。

うむ。高校は高校で中学生に対し、こんなことをやっているのだった。どこも大変なのだった。

高校生たちは、素直で元気で、まあ好印象だった。同時に、大学1年生ともそんなに大差はない印象。質問を受けつけたところ、「彼女いますか?」と来た。こういうところは、さすがに高校1年生だ。

君ね、その話をすると、君は泣くぞ。大人というのがどれだけの失恋の涙の上に生きているのかがわかって、大人になるつらさに泣くぞ、というのがぼくの答。

2012年7月4日水曜日

自転車に乗って


セサル・アイラについて書いた『毎日新聞』「新世紀世界文学ナビ」の記事が掲載された。

今日は会議の数が少なかったので、立川でチェオ・ウルタードとアンサンブル・トラディシオナル、フィーチャリング・ダビー・ペーニャを見に行った。6月末の土曜日は東大の駒場キャンパスでのトーク&コンサートに行ってきたので、今回は二度目だ。

ぼくは考えてみたら、チェオ・ウルタードは演奏しか聴いたことがなかったのだったが、今回は彼のヴォーカリストとしてのすばらしさも堪能できる。充実の2時間であった。

入り口でクワトロが売っていた。5万円だった。だいぶ悩んだ。

帰り道、雷のような音が聞こえていた。あれはおそらく、花火だ。

2012年7月1日日曜日

6月もエントリーは8記事だった


ウンベルト・エコ『論文作法:調査・研究・執筆の技術と手順』谷口勇訳、而立書房、1991

なんてのを、必要性があってぱらぱらと捲ってみるのだが(もう何度目だろう)、これについて、2つばかり。

まず、傍系の、非本質的なこと。谷口勇訳のウンベルト・エーコはすべて「エコ」という表記になっている。オンビキ(ー)がない。使用するインクの量が少しだけ少なくて済む(エコ?)というわけだ。他のエーコは「エーコ」とオンビキ入り。

まあ「エコ」/「エーコ」の違いくらい分かっているからいいけれども、近年では検索エンジンでの検索結果に影響しないか心配だ。でも逆に、最近はそれくらいの揺らぎは認めて拾ってくれるのかもしれない。時々、間違いでない表記も、気を使って訂正してくれたりするものな。

ぼくも「カルペンティエル」や「コルタサル」が主流の昨今でも「カルペンティエール」「コルターサル」とやっているのだから、人のことは言えないのだが、趨勢に反した表記を主張し続ける人の性格が忍ばれる。あ、ただし、ぼくはオンビキを省く趨勢に反してオンビキを書いているのだが、谷口さんはオンビキを入れる趨勢に反してオンビキを省いているから、向きは逆だ。

第二点。まあぼく自身の目下の感心に影響されるのだろうが、時々、とても警句的な文章に出くわす。そして膝を打つ。

 (略)それというのも、学位志願者が、神の問題とか、自由の定義の問題とかを僅か数ページのスペースで解決できるものと思い込むからである。私の経験からいえば、この種のテーマを選んだ学生はほとんど決まって、学問的研究によりも抒情詩に近い論文、評価に値する内的組織づけもない、ごく短い論文を書くのが常である。
 そして、よくあることだが、学位志願者に対して、「君の論述はあまりに個性化されており、一般的、略式であり、歴史記述的な検証も引用も欠如しているね」と異議を述べると、「ぼくの真意が理解してもらえなかったのです。ぼくの論文は、ほかにごろごろ見かける陳腐な編纂の練習みたいなものよりもはるかにましですよ」との応答がかえってくるものである。
 なるほど、そういうこともあるかもしれないが、またしても経験の教えるところによれば、こういう受け答えをする学位志願者の考えは決まって曖昧で、学問上の謙虚さに欠け、伝達能力が乏しいのが常である。(18-19)

こうした一節を読んで、耳が痛い思いをしたのは、修士論文を書いている最中のぼくだったとしてもおかしくないわけだ。あるいは、てやんでえ、俺はそうではないや、と思ったか? で、今では、むしろエーコの側に立って、まことにそのとおりだ、と唸っている次第。

2012年6月27日水曜日

友引……って言うのか?

ぼくはよく名前を間違えられる。読みも漢字も。柳原孝敦(やなぎはら たかあつ)なのだが、柳原考敦になっていたり柳原孝教(やなぎはら たかのり?)になっていたり、これらの誤字のバランスの悪さったらないが、そうした感覚に勝るだけの習慣の力が愚かどもをして間違わしめているのだろう。

ま、そんな間違いをする人は取り合わなければいい。口頭で間違える程度なら気にもならない。正式な場で間違えた漢字を書いて放置しているような者は鼻で笑っていればいい。

が、……

どういうわけか、こうした間違いは伝播する。伝染する。感染する。ぼくがかかわった人たちまで名前を間違えられたりするのだ。

もう10年以上も前、カルペンティエール『春の祭典』を出したときには、どこかのサイトで著者名がアレホ・カルホンティエールだったかなんだか、そんな風に誤記されていた。

で、最近、こんなのを見つけた。近々出すはずの翻訳小説。セサル・アイラ『わたしの物語』(7月27日刊行予定となっている)なのだが、これがサル・アイラなる人物の著書になっているのだ。

サル・アイラ……

いちおう、人間なんだけどな、原作者は。(追記:書いてみるもので、どうやら先のリンク先のサイトでは表記が正されている。良かった良かった。7月2日確認)

幸先良し

お、もうカスタマー・レヴューがついている! しかも好意的だ。すばらしい。『チェ・ゲバラ革命日記』(原書房)のこと。

一方、次の翻訳は、同じくアマゾンでもう予約開始している。セサル・アイラ『わたしの物語』(松籟社)

これの一部を授業で紹介したところ、興味を持ってくれた学生が幾人か。こいつは幸先が良い。

で、今日はAlberto Fuguet, Missing (una investigación) (Madrid, Santillana, 2009)を紹介しようとして、その手前で時間を食い、本題に入れなかった次第。

フゲーはMcOndoという本を編纂して反マジックリアリズムののろしをあげたチリ人作家。おじのカルロス・フゲが合衆国で行方不明になり、それを探す物語は、タイトルから察せられるように、73年のクーデタ以後の行方不明者の物語への反応。なかなか面白いと思うな、ぼくは。

このカバー写真がいい。この人フゲではない。

2012年6月17日日曜日

涙もろくなっちまったなあ……

亡くなった福井千春さんのお別れ会が、昨日、中央大学であったので、行ってきた。素敵な写真が飾られていて、いろいろな立場からの挨拶があった。

御母堂がお元気で、気丈に挨拶されたのが胸を打った。

50歳も近づいてすっかり涙腺の緩くなったぼくは泣きそうだったな。

終わって友人たちと献杯した。

2012年6月16日土曜日

雨の日には本を読もう

このところ立て続けに本をご恵贈いただいた。いただいた順に:

リュドミラ・ウリツカヤ『女が嘘をつくとき』沼野恭子訳、新潮社
都甲幸治『21世紀の世界文学30冊を読む』新潮社
山口裕之『映画に学ぶドイツ語:台詞のある風景』東洋書店


ウリツカヤは短編集。「序」の書き出しから一気に引き込まれる。

 女のたわいない嘘と男の大がかりな虚言とを同列に並べて考えること、はたしてできるだろうか。男たちは太古の昔から謀めいた建設的な嘘をついてきた。カインの言葉がそのいい例だろう。ところが女たちのつく嘘ときたら、何の意味もないどころえ、何の得にさえならない。(5)

で、次の段落から、オデュセウスとペネロペの対照を持ち出すのだ! この展開がすごいじゃないか。さすがはウリツカヤ。

既に『ソーネチカ』を訳している沼野さんの手腕にうなったのは、ひとつめの短編「ディアナ」もだいぶ冒頭近い一文、「二週間目に入ったある日の昼どき、家の前にタクシーが止まり、中から人がわさわさと降りてきた」(13)。「わさわさ」だ。参った。ぼくがこれまで使い得なかった副詞だ。こういうのを見ると、唸ってしまうのだな。

都甲さんの著書は、基本的には『新潮』に連載の、未訳(掲載当時)の小説を紹介するコーナーをまとめたもの。これに書き下ろしのコラムとジュノ・ディアスの短編「ブラの信条(プリンシプル)」(カッコ内はルビ)を『オスカー・ワオ』のときの共訳者・久保尚美とまたも共訳で訳したものを加えている。連載時、ボラーニョの『アメリカのナチ文学』を紹介した回などはどこかでぼくも反応したと思う。

これもまだ途中だが、ともかく、ディアスの短編は目玉のひとつ。これが面白い。ラファというプレイボーイで乱暴で、ガン患者の兄を、マリファナ漬けの高校生の弟ユニオールが回想するという形式。ブラという名前のインド系プエルトリコ人と結婚して家を出て、戻ってくるまでの話が中心だ。

ディアス自身が、去年来日の際に、兄はプレイボーイで自分は冴えない弟だったというような回想をしていたけれども、そうした自身の家族のあり方から想像力をふくらませて書いた短編だろう。むせ返るような合衆国ラティーノ家庭の雰囲気が伝わってくる。

山口さんの著書はぼくの『映画に学ぶスペイン語』に続くこのシリーズ第4弾(だと思う)。東洋書店のサイトによると、「日独交流150周年記念刊行」なのだそうだ。スペイン語と違うところは、ひとつの映画につき2箇所のセリフを解説しており、したがって一本についてのページ数も4ページでなく6ページと増えているところ。名作揃いの30本。うーむ。どのページを読んでも、ぼくなどより落ち着いた解説がなされているように思える。勉強になる。

2012年6月10日日曜日

篠突く雨

日曜の朝、電話が鳴った。

母だった。

「こっちは雨だ。大雨だ」

沖縄・奄美地方が梅雨入りだと報じられたのはもうずいぶん前のことだ。そりゃあ、雨も降るだろう。大雨の降る日もあるだろう。が、母上、変なことを言い出した。

昔々、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。森の狼が腹を空かせ、ふたりを食べにやって来ました。家の外から中の様子をうかがう狼に、おじあいさんとおばあさんの会話が聞こえてきました。

ばあさんや、世の中に〈降る〉と〈漏る〉ほど怖いものはないな。

ああ、おじいさん、本当にそうですねえ……

それを聞いた狼は、おじいさんとおばあさんが自分のことを恐れていないと知り、すごすごと帰っていきました。

……

なんだろう、この昔話? 知らないな。それとも母が即興で考え出したのか? 最近、雨漏りが激しくて家の屋根を張り替え、その代金を全額出した息子に対する屈折した感謝の表現なのか? それでせっかくできたわずかばかりの蓄えがなくなってしまったその次男坊への慰めの物語なのか? 

うーむ。わが母がこんな語り部であったとは、知らなかった……

南へ北へ

日が改まってしまったので昨日である今日、マチネーで劇を観た。

構成・演出 長塚圭史『南部高速道路』@シアタートラム

名前からわかるとおり、フリオ・コルターサルの短編の翻案だ。高速道路で渋滞にはまり、そのまま日が流れてそこに一種の共同体ができる、という不条理状況劇。原作はフランスが舞台だが、週末を田舎で過ごし、東京に戻ろうとしていた10組13人(+子供がひとり)の物語に翻案している。

傘をうまく使って立ち往生する車を表していた。複数の声を同時に響かせる作りがいい。真木よう子が思いのほか低くよく響く声で心地よい。彼女の過去が暴かれるという話でもないし、愛憎どろどろなわけでもない。ほのめかされるだけで多くを思わせる過去を背負った人々のにわか共同体が解体するまでの日々。

パンフレットに解説を寄せた外岡秀俊はレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』を引きあいに出して、アクチュアルな解釈をしていた。

出演は、他に黒沢あすか、江口のりこ、梶原善など。

終わってすぐ池袋に立教大学ラテンアメリカ研究所主催、連続キューバ映画上映会。黒木和雄『キューバの恋人』の当時を関係者が振り返るドキュメンタリー、マリアン・ガルシア『アキラの恋人』、およびその後の寺島佐知子さん、+伊高浩昭さんのトークを。

年表を整えて順を追って話す寺島さん、その枠を逸脱して先取り、明快に話す伊高さんのコントラストが楽しいトークであった。

映画自体は既にDVDで観ていたのだが、とりわけ、『キューバの恋人』挿入歌に使われた(ガルシア=ロルカの詩に曲をつけた)Iré a Santiago が、映画が公開されなかったにもかかわらず合唱曲としてスタンダード化したとのエピソードが興味深く思われた。翻案との流通を巡る偶然の物語。

200人ばかり入るらしい会場は満員。キューバって人気なのだった。うむ。さりげなく『チェ・ゲバラ革命日記』でもかざしていればよかった。

2012年6月3日日曜日

帰宅

日本ラテンアメリカ学会第33回大会を終えて帰宅。

ぼくは今回、理事選で次点第2位、繰り上げで理事になった。一番やりたくない役職をやらねばならない状況に追い込まれ、その後、急転、2番目にやりたくない役職に就くことになった。

やれやれ。

「ロベルト・ボラーニョのアクチュアリティ」というパネルと文学についての分科会に出席。そうそう。ボラーニョ『第三帝国』のクライマックスは村上春樹を彷彿とさせるのだよ、などと思ったりしたのだった。

理事会でも、懇親会などでもつくづくと思うことがある。ぼくは本当に人脈がないな、ということ。知ってるはずの人にはじめましてと言われたり、……とほほ、である。

ま、もうすぐ50にもなろうとする身でありながら、人見知りだ、などと言っているのだから無理もないのである。

中部大学にはこんな彫刻があった。

2012年6月2日土曜日

新幹線の中で書く

昨日は卒業生を迎えたのだった。結婚する同期のカップルにメッセージを、とのことだったのだが、どうにもうまいことが言えずに、フラストレーションを抱えながら、焼き鳥など食った。

その間に届いていたのが、これ:エルネスト・チェ・ゲバラ『チェ・ゲバラ革命日記』柳原孝敦訳、原書房、2012。

一夜明けて、朝から新幹線などに乗っているのは、日本ラテンアメリカ学会の大会に向かうためだ。繰り上げ当選で理事に選ばれたらしいのだが、そしてその際に、やがて正式に招集がかかるが、この日の理事会に出ろ、と書かれていたのだが、その「正式な招集」とやらをぼくは受けていない。出なくていいのだな? 

やれやれ。

2012年5月30日水曜日

会議とデートの合間に映画

ウディ・アレン『ミッドナイト・イン・パリ』(スペイン、アメリカ、2011)

婚約者の父のビジネスに便乗してパリに来ているギル(オーウェン・ウィルソン)が、タイムスリップして彼の憧れの1920年代に行き、ヘミングウェイやフィッツジェラルド夫妻、ダリ、ピカソ、等々に会うというファンタジー。ハリウッドの脚本家でありながら小説を書くことを願い、婚約者の両親とソリの合わないギルが、ガートルード・スタインに原稿を読んでもらい、評価され、自分を取り戻していく。モディリアニやブラックと付き合っていて今はピカソの愛人となっているアドリアナ(マリオン・コティヤール)とは、恋に落ちるのだが、その彼女が理想と考える19世紀末、ベル・エポックのパリにふたりはさらにタイムスリップして……

この映画で何よりすばらしいのは出だしだ。たぶん、"Si tu vois ma maîre" という曲だと思うが、それが流れる2、3分の間、パリの異なる時間帯、異なる場所の情景を映し出すシークエンスは観客を引き込む。アドリアナはギルの小説原稿の書き出しにうっとりとするのだが、この映画自体がオープニングでぼくらをうっとりとさせる。

出だしは大事なのだ。

2012年5月26日土曜日

黒パン

去年のラテンビート映画祭での上映を見損なっていたが、一般公開を前に、見る機会を得た。アグスティー・ビジャロンガ『ブラック・ブレッド』(スペイン/フランス、2010)

スペイン内戦やその直後を舞台とし、子供を主役に据えた映画は日本でも比較的受け入れられてきた。これもそのひとつの新たなバージョンなのだが、なかなかに複雑な背景をしくんで面白い。

内戦後、アカ、すなわち共和派の父ファリオル(ルジェ・カザマジョ)がフランスに逃亡することになったので、親戚の家に預けられたアンドレウ(フランセスク・クルメ)が、実は父が逃げているのは政治的理由からではないかもしれないということを発見していく、と言えばいささかおおざっぱに過ぎるストーリーの紹介になるだろうか?

内戦による政治的対立、および子供の目から見た不可解な大人たちの過去、というテーマのみでなく、性的マイノリティーを許さないマチスモ的価値観、小村落内での村八分の仕組み、政治犯やマイノリティなどが隠れて住む村はずれの洞窟についての噂とそれがもたらす恐れ、サナトリウムの中に隔離された人間との交流とその存在が想起させる母の過去、貧困ゆえに節を曲げざるを得ない大人の事情、幼い女の子の性的虐待、淡い初恋、……などが取り入れられたストーリーは、かといって長過ぎない。子供が主人公なので、決断をして大人になるという物語には違いないのだが、その決断の後味の悪さが実に映画的で心地よい。最後の母フロレンシア(ノラ・ナバス)の告白は必ずしも必要なかったのではないかと思うのだけれども、それはまあ好みの問題。面白いことに変わりはない。

原題はPa negre。「黒パン」だ。パンの色の違いが階級差を表すのだという。黒パンしか食べるなと言われたアンドレウが、町の有力者マヌベンスさんの家で白パンに目を眩ませるシーンに反映されているこの価値観も、重要。ちなみにこの原題はカタルーニャ語で、セリフもほぼ全編カタルーニャ語によるもの。

2012年5月25日金曜日

復帰

突然のカルロス・フエンテスの訃報に触れ、そのことについて何か書こうと思ったが、ケチがついた。

ある人物からヤクザまがいの恫喝口調で言いがかりをつけられたので、何か書こうとしたら自身を勘違いしたその愚か者(こういう手合いは本当に手に負えない)を非難しそうだった。そんなこと、考えるだに不愉快だから何も書かずにおいた。これだけで済ませるので精一杯だ。

そうこうしている間に、もうすぐ次の翻訳が出そうだ。

昨日今日は、毎年の恒例行事、オリエンテーション旅行に行ってきた。スパリゾート・ハワイアンズだ。昔の常磐ハワイアンセンターだ。『フラガール』の温泉施設だ。ここには2006年、それこそ『フラガール』の封切り直前くらいに行ったが、今回は、震災後の復興のシンボルということで、行ってきた。前回と違い、ショウも見てきた。

やれやれ。ともかく、一番忙しい木・金が、授業なしですんだ。

2012年5月13日日曜日

「あと20年」の思想

ツイッター上でフォローしているある方(ぼくより少し年上)が「わたしの人生、あと20年くらいかな」と、ふとつぶやいておられた。

それで思い出したのだ、50代半ばのころの牛島信明先生のひとことを。酒を飲んで一緒に中央線の電車に乗っていたとき、「ぼくもあと20年ほどしか生きていられない」とおっしゃっていた。ライフワークということを考えるのだと。『ドン・キホーテ』の訳だけは仕上げておきたいのだと。

ほどなくして『ドン・キホーテ』新訳を完成させた先生は、しかし、それからやはりたいして時間をおかず、鬼籍に入られた。深夜の中央線車内で「あと20年」とつぶやいてから、10年も経っていなかった。

昨日読んだ由良君美も60そこそこで死んだのだった。ぼくより10歳上の福井千春さんは先日亡くなった。

ぼくもそろそろ、人生あと20年、という視点というか思想を持たなければならないのだろうな。先日、ある女子学生が「わたしがおばさんになっても……」と口にしたときに、ぼくは口ではそれは森高千里か、などと言っていたけれども、同時に頭の中では君がおばさんになるころにはぼくは死んでるかもね、と考えたものだけれども、そういう反射神経が働いたということは、ぼくももう立派にその思想を持っているということかな?

そういえば最近、生活をシンプルにしなければ、なんて考えているのは、意識せずして「あと20年」の準備を始めようとしているのだろうか?

実際には、20年どころか20日先も見えないのだけどな。ライフワーク、なんて考えも出て来ないな……ん? カルペンティエールかな? レイェスかな? いやいや、翻訳である必要はないのか。うーん……あれと、あれと……武田千香さんは幸せだ。15年かけて読んできたマシャードの翻訳が出たのだから……

それともあれか? こんな考えに浸るのは、39歳で死んでしまった男の文章の翻訳をもうすぐ出そうとしているからなのか?

2012年5月12日土曜日

連休は遠くなりにけり

最近の収穫。といって写す本の背景には再校に突入しているもうすぐ出る本などを置いているのだから、われながら、あざとい。

まず、ついに出た!

マシャード・ジ・アシス『ブラス・クーバスの死後の回想』武田千香訳、光文社古典新訳文庫、2012

めでたい。が、どうじに、光文社のこのピンクのシリーズは本当にピンクで十把一絡げにしている地域(英米、独、仏、露、伊以外)につめたい。この本なんて、原稿が手渡されたのはもう5年くらい前のはずだ(ぼくの渡したペレス=ガルドスなど、もう忘れられているのだろうな)。そのことを嘆くべきなのか、それでも出たことを言祝ぐべきなのか。その間に国際語学社というところから別の人の訳で出版されているから、本当に「新訳」になってしまった。タイトルに示されるとおり、ブラス・クーバスという死者が自分の人生を回想するという、19世紀の小説にはなかなか珍しいのじゃないかと思われるファンキーさを有した作品だ。

エトムント・フッサール『間主観性の現象学 その方法』浜渦辰二/山口一郎監訳、ちくま学芸文庫、2012

エドムンドでもエドムントでもなく、エトムント、だ。

由良君美『みみずく偏書記』ちくま文庫、2012

四方田犬彦の『先生とわたし』による回想を読むまで、あまりよく知らなかったのだ、由良君美のことは(たとえばソンタグ『反解釈』の翻訳は、ぼくが学生のころは見当たらず、まず英語で読んだ。その後、ちくま学芸文庫版で読んだのだが、これは大勢による共訳で、あまり由良の仕事との印象がない)。なかなか面白そうな人だとの印象。四方田の本の後で、それが後押ししたのか、1冊か2冊、復刊したものがあったように思う。今回は文庫になったので、買ってみた次第。解説はさすがに彼を「酒乱」とした四方田ではなく、富山太佳夫。ずいぶんと強く感化されたようである。

そんなダンディでかっこいい由良センセイの本の読み方や、読んだ本の話などが収められた1冊。70年代のものが多いから、やはり田舎の中学生・高校生だったぼくなどはよく知り得なかったのだろうな。

さて、センセイ、「斜め読みは、わたしは原則としてしない」そうである。しかし、モノグラフならば、「序と第一章を読み、目次に戻り、重要な展開部に当る数章に狙いをつけ、さて結論に飛び、脚注と書目に目を通せば、もう分かってしまう」そうである。こういう、あまり明かしたがらない手の内をさらっと明かしてしまうところなど、なかなか好意を抱かせる。極めつけは「あとはその部門の研究史上、画期的といえるかどうか、文体がめでたいか否かを自分で評価し、頭に入れておけば良い」(267ページ、下線は柳原)

さらに、由良センセイ、ノートやカードは取らないそうである。

知識として大脳を富ませてくれるというより、知識以前の漠たる形で意識下に沈む事柄の方が多い。そうでないと読書はどうも愉しくない。マイケル・オークショットが言っていたように、そもそも人文系の学問を、知識を蓄えるためにするのは邪道である。いかに多く学び多く忘れるかが正道である。逆説的に言えば、わたしは沢山忘れるために沢山読む。だからカードにして整頓などしない。(169ページ)

かっこいいのである。

……? こんなことをちまちまとブログに書きつけるぼくなどは、つまり、せこいのである。

2012年5月6日日曜日

ああ、連休が終わっていく……

最近、これまでのシェーファーのに換えてペンケースに収まっているシャーペン。ラミーのスクリブル。伊東屋で6,000円台だったのが、Amazonでは3,000円台で買えたので。

シャーペン一本に5,000円も6,000円も出すなんて信じられないという反応をたまにいただく。大工がいいノコギリに金を惜しまないように、料理人が包丁に金を惜しまないように、われわれがシャーペンに金使ってもいいじゃないか。何十万も何百万もするわけじゃないんだから。

ぼくはやはり太くてある程度の重みのある筆記具が手に馴染むようで、これなど、少し短いかと思わなくもないが、でも実に使いやすい。

本当はこの下に写っている辞書(Ignacio Bosque, REDES: Diccionario combinatorio del español contemporáneo, SM)をフルに駆使してアルゼンチンの新聞に向けた文章を書かなければならないのだけど、そのためのメモなど取っているうちに、それに使っているこのシャーペンを、なんとなく自慢したくなったので……

そう。逃避だ。去りゆく連休を惜しんでいるのだ。

2012年5月3日木曜日

R.I.P. 福井千春(1953-2012)

福井千春さんが亡くなったそうだ。『続 愛と剣』を福井さんたちと一緒に執筆した中央大学の渡邊浩司さんのブログに記事が載った。

渡邊さんの書いておられる、体の不調を訴えた「昨年の12月」、まさにぼくは福井さんにお目にかかったのだった。牛島先生の遺影に線香をあげに行ったときのことだ。福井さんは牛島先生の教え子というわけではない(長南実さんの教え子だ)のだが、先生の教え子たちで毎年、命日の前後に線香をあげに行くときにはたまに顔を見せることがあった。去年は久しぶりではあったが、そうした機会のひとつだった。牛島先生もガンの発見が遅れ、見つかったと思ったらあっという間に亡くなった。ちょっと前には福井さんの少し後輩(同期?)にあたる杉浦勉さんが、やはり病気の発覚後、すぐになくなった。福井さんもそうした人々と同様の道をたどったということだろうか? 

福井さんからは、それこそ渡邊さんたちと一緒にした仕事、中央大学人文科学研究所編『続 愛と剣 ——中世ロマニアの文学』(中央大学出版部、2006)をご恵贈賜ったのだった。彼はこのときはもうこの研究所の所長をしていただろうか? 少なくとも渡邊さんとともにこのプロジェクトを率いていたことは間違いない。言語/国民国家ごとに区切られた文学史の枠を超え、中世ヨーロッパの叙事詩などのトピックに切り込んだ興味深い論文集だ。タイトルにもあるとおり、中心をなすのは、剣。

福井さんは、ご自身の専門であり、翻訳もなされた『わがシッドの歌』についての考察(「シッドの剣」〔425-456〕)でトリを取っている。

 古来、いかなる文明であれ例外なく、その揺籃期に、一人の若者が何らかの邪な力に立ち向かい、夷狄や魔物との血なまぐさい抗争の果てに、去りゆくものへの悲しみと生あることの喜びを歌い上げた言語芸術を擁す。たいてい若者には出生の秘密があり、それを知らされないまま成長した青年はすぐれた剣を手に駿馬にまたがって立派な戦士となり、人を愛することを覚える。(425)


スペイン中世の叙事詩『わがシッドの歌』の主人公シッドの名剣コラーダとティソンについてを「抜かずの剣」であるがゆえに魔剣であり、むしろこの二振り剣こそがシッドに代わって物語の中心をなすのではないかと提起したものだ。

ああ、こんな楽しそうな話を展開しているひとが、ひとりいなくなった……

2012年5月2日水曜日

雨の5月

どういうわけか、今年に入って一月のブログ投稿数は8に収束しつつあるようだ。3月は9だったが、9というのはほとんど8だ。

忙しく、かついろいろなことがあり、消化し切れていないのだな。

ふと思い返してみたら、1995年度以降、持ちコマが10コマを切った年は外語に移ってきた2004年度と05年度しかないことに思い至った。専任の職のある人間とは到底思えないスケジュールだ。うち、スペイン語の初級は一コマだけ。あるいは講義といえども、すべての授業でできるだけ毎回、学生に何らかの作業を要求して、課題を与えてやってもらっている。そのチェックもしなければならないことを考えれば、本当に時間がないのだな。

時間がない、などと言いながら、連休の二日目には元教え子たちと会ったりしている。カンペールが泥だらけなのは暴れていたから……ではなく、そんなところに足を突っ込んだだけの話だ。

その後はひたすら、ゲラを見ている。そして原稿書きなどがある。つまり近々、2冊ほど本が出せるということだ。いずれも翻訳だけど。授業の準備などもしなければならないのだけどな……