2012年1月28日土曜日

右か左か

もうすぐ学期が終わろうとしているが、「後は流して……」という感じにはいかないのがこの仕事の辛いところ。試験やらその採点やらと、仕事は尽きない。加えて来年度の準備もあるのだから、仕事は尽きない。翻訳やら何やら、……仕事は尽きない。

1月はただでさえ、大変な月だ。今年の1月はさらに大変だった。

今日、散歩から戻ったところで、右手と左手を間違え、捨ててはならないものをゴミ箱に放り、単なるゴミを宝箱にしまった。

疲れているんだな、……

と普通なら思うところ。ところが今日はロベルト・ボラーニョのことを思い出した。ボラーニョはあるエッセイで、自分は左利きなので、子ども時代、サッカーなどで左にボールを出せ、などという指示を受けると、利き手の側ではない方向(つまり、右、多くのひとにとっては左だが)に出せばいいのか、それとも利き手の方向に出せばいいのか迷っていたと書いている。

まったく、サッカーがうまくなかったことを言うのに、こんな言い訳を考えるのだから、食わせ物だ。面白いじゃないか。

で、この種の方向感覚の混乱は他にもある、とボラーニョは言うのだ。カラカスをコロンビアの首都、ボゴタをベネズエラの首都と勘違いしたり(正しくは、逆)……なぜか? CaracasだからColombiaの首都だという気がするというのだ。BogotáだからVenezuelaなのだと。

余談だが、こう感じるということは、ボラーニョはBとVを区別しない話者であるということだ。

今日ぼくが右と左を間違えたのは、ぼくは目も脚も左利きなのに手だけが右利きだからだ。利き手というのが脚と同じだったか違ったか、一瞬、混乱したのだ。あるいは矯正されて右利きになったので、矯正前の幼児の記憶が蘇ったのだ。

 写真は『図書新聞』2月4日号4面。ここに安藤哲行『現代ラテンアメリカ文学併走』の書評を書いたのだ。昨日、いただいた。

2012年1月16日月曜日

速さ、なのである。

サンティアーゴ・パハーレスのトークイベント「ぼくは小説『キャンバス』をどう書いたか」@ジュンク堂池袋店に行ってきた。

当初、翻訳者の木村榮一が聞き手となるはずだったのが、都合が悪くなり、急遽、内田兆史の登壇となった。このためにジャケットと靴を新調して、と本人は言っていた。

一般的な日本の印象から始まり、創作態度などまで話が及んだが、中心は、あくまでも『キャンバス』の話。発想は画家が自分の絵を盗んだらどうなるかという思いつきだったとのこと(ぼくはあくまでも、主人公フアンが美術品の盗難の多いことに気づく邦訳156ページではないかと思うのだが)。そしてまた絵画の件は口実であって、父と子の関係が小説の中心であることなどを語った。最初に大まかなプロットを書くこと。『キャンバス』の場合、30ページくらいであったこと、など。

『キャンバス』のストーリーの中心にあるのは、エルネスト・スロアガという画家の代表作『灰色の灰』という絵だが、この絵がどんな絵なのか、詳しくは描写されていないのだ。それはかなり意識的にそうしたのだ、との作家の言は収穫のひとつ。たとえば上に挙げた156ページの節の直後に、「フアンは絵画の窃盗をテーマにした、評判になった映画を観たが、……」という文章がある。ここに挙げられた「映画」。これのタイトルを教えろとぼくは質問してみたのだが、そんなものは具体的に考えていない、との答え。これもまた読者の想像を掻き立てるための省略なのだ、と。

意識的に描写の排除を行っている、との証言だ。この省略こそが重要なのだ。ボルヘスが提起し、カルヴィーノが固めた速さの要素。

余談だが、このトークイベントの前に彼は今回、すでにいろいろなところを回ったようだ。同行者を5、6人つれていた。たまたまその連中はぼくの隣に座っていたので、どういう間柄なのかと訊ねたら、子供の頃から一緒に遊んだ友だち、とのこと。なんだか楽しそうな旅行だ。使い捨てカイロを発見してすっかり気に入ったとか。

使い捨てカイロ。確かにこれは偉大なる発明、なのである。

2012年1月14日土曜日

冷たくてどんよりとした1日

今日はセンター試験の初日なのだが、ぼくは二日目だけの監督なので、今日はオフ。1日籠もって仕事をする。

朝、届いたのは、2日前の『毎日新聞』ここの文化欄「新世紀世界文学ナビ」12日づけにカルロス・バルマセーダとその『ブエノスアイレス食堂』について書いたのだ。

実際の記事は、もうウェブ上で読めるようになっている

2012年1月8日日曜日

b/v問題

ひとつ前の記事のタイトルを下らないダジャレのようなものにしたから、その罪滅ぼしというわけではないが、言語問題。

1957年8月1日の日記で、ゲバラは書いている。

Llegamos a Las Minas donde el pueblo estaba votado en la calle agasajándonos (Ernesto Che Guevara, Diario de un combatiente, México, Ocean Sur, 2011, p. 147)
〔我々がラス・ミナスに着くと、人々は街中でvotadoな状態になっていて、我々を歓待した〕

うーむ。votadoというのは、動詞votarの過去分詞で、votarした、し終えた、された、などの意の形容詞になる。votarは投票するの意の動詞。

選挙の話をしているのではない。だからこのvotarが謎でしかたがなかった。

数ページ先、8月6日にはこんな記述がある。

Inmediatamente, todo el pueblo se botó a saludarnos. (p.151)
(すぐさま人々が飛び出してきて、我々に挨拶した)

! 

ゲバラは、あるいはその日記の編者はbとvを取り違えていたのだ。

いつものb/v問題だ。スペイン語ではbとvの発音上の区別はない。とされる。が、スペイン語圏のかなり多くの国では、学校などで区別するべきものだと教えられるようだ。しかし、もうひとひねりあって、そう教えられても、現実には区別しないひともたくさんいる。でもやっぱり区別したがる人も、負けず劣らずたくさんいる……という例の問題。

おそらく、ゲバラはb/vの区別をせず(何かの音声記録を持っていたように思う。後で確かめておこう)、それが記述に影響してbotar/votarを間違えたのだ。編者の間違いという可能性は消えないにしても、ともかく、こういう間違いを見ると、なんだか心が躍る。

ワンダッフル トゥナーイ♪

やれやれ。

この間、スタジャンが復活を遂げたと思ったら、今度はダッフルコートだとよ。これじゃあ30年前と同じじゃないか。30年前というのは、つまり、ぼくが高校を卒業した年だが……だってぼくは、センター試験の前身、共通一次試験のその日、雪が降ったので、当時持っていたダッフルコートを着て行った記憶があるのだ。やれやれ。

てなことを思ったのがつい先日、ダッフルコートが流行っているらしいことを察知したからだ。しかも、ずいぶんと短いものが! 

あきれたような書きぶりで書いてみたが、何も嫌がっているわけではない。むしろ喜んでいるのかもしれない。ダッフルコート好きのぼくとしては。

人間の一生なんて一瞬の出来事やイメージに集約されるものだ。ぼくの一生はどんな出来事に集約されるのかまだわからないけれども、きっとそのときのぼくはダッフルコートか、でなかったらスタジャンを着て照れ笑いしているに違いないのだ。

やれやれ。

哀れな一生である。

……と言いながら、先日、近所のデパートにコーヒーを買いにいったついでにいろいろ冷やかしてみたら、50パーセント引きで売っていた、ダッフルコート。ダッフルコートというよりは、そのトグル。

背中や肩が凝ってバリバリになっているので、ぼくが必要としているのは防寒ではなく、凝りの解消なのだけど。

……おっと。肝心な話。これを着て買いに行った雑誌『文藝』2012年春号には先日のダムロッシュ来日の際の東大でのシンポジウム「世界文学とは何か」の、ダムロッシュと池澤夏樹の話が採録されている。これに、ヤニック・エネルへの小野正嗣のインタビューを加えて特集としている。これは助かる。来年度の授業の資料に使おう。

と思ったら、この雑誌の鴻巣友季子と市川真人の「国境なき文学団」で『ブエノスアイレス食堂』を取り上げてくださっていた。ありがたい。

2012年1月6日金曜日

天才!

暮れに去年仕事で縁のあった方がツイッターで、パーカーのインジェニュイティを買ったと書いているのを読んだ。

で、それが何なのか探してみて、ぼくもたちどころにほしくなり、すぐに買った。

読むものと書く道具に金を惜しんでいちゃあ、仕事が成り立たない。贅沢だと言われようが何だろうが、気にしない。おれの勝手だ。買ったのだ。

ふだんは万年筆を使っている。先日修理から戻ったばかりのモンブランはキャップがネジ式なので、開けるのに時間がかかる。ねじ込みでないキャップの万年筆なども持ち歩いてはいるが、蓋を開けっ放しにすることができないのが玉に瑕。会議などのメモ用には不向きなのだ。

15年ほど前、法政に勤めはじめたころに兄夫婦からいただいたパーカーのローラーを持っているには持っている。悪くはない。が、紙によって裏滲みなのどがあっていけない。

それらの欠点を解消してくれそうなのが、これ。パーカー5thことインジェニュイティ。

ぼくはいろいろなところについ力が入ってしまう人間で、だから筆圧も無駄にあったりするのだが(授業中にはよく白墨を折る)、そして今ではそのように力んだくらいの方がうまく書けるというほどなのだが、さすがにそれでは手が疲れる。これを重宝して少しは字もうまくなろう。

2012年1月4日水曜日

まだまだ言語について

昨夜、仕事が行き詰まってしまった。ある翻訳で、「(略)こんなふうに27で支払った」という文章があり、その注に「この27は○に囲まれている」とあった。まず、この「27」の意味がわからず、注の意味もわからず、これでひと晩つぶした。

注がわからないというのは、ぼくはこの文章を「27はサークルに閉じ込められている」と理解したからだ。で、いろいろ調べたが、たとえば、21、24、25、29などはいろいろな意味を持つ語なのだが、27の持つ他の意味は見出しえなかった。

たぶん、この注をつけた人も、本文の27が何のことだかわからなかったのだ。何のことだかわからない単語だから、○に囲まれていて、暗号のようになっていることを示さなければと考えて、そうしたのだ。そういう意味のメッセージであるということがわからなければ、この注は、ぼくが解したように、「サークルに閉じ込められている」になってしまう。注はこの本文についてのメタ情報であるのに、ぼくはそれを情報の追加だと思ってしまったというわけだ。

やれやれ、難しい。これで3時間ばりも費やして、ついにわからず、昨夜のぼくはふてくされて落語を聞いたのだった。

NHKのEテレ「日本の話芸」20周年記念特集というやつ。小さんの「長屋の花見」やら先代の圓楽の「浜野矩随」など……と書こうとして、「浜野矩随」が簡単に変換されないことに腹を立て、夜の後半を過ごした。

まったく、ATOKは最近、「お笑いタレント辞典」などとよけいな辞典機能をつけて重くてしかたがない。加えて、そうしたものがしょっちゅう更新されるから煩わしくてしかたがない。そのくせ名作落語のタイトル変換などはすんなりとはいかないときている。どうにかしてほしいものだと思う。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった(田村隆一)/ATOK辞書なんかおぼえさせるんじゃなかった(おれ)

2012年1月3日火曜日

こいつぁ春から……

昨日、1月2日、散歩から戻って仕事を再開しようとしたら、椅子が壊れてしまった。ぐにゃっと歪んだのだ。こんなふうになるというのは、どういうことなのか?

きっと姿勢が歪んでいるんだろうな。

近所のホームセンターでパイプ椅子を買った。この方がよっぽどすっきりしていい。ついでに他の椅子も捨ててしまおう。

『朝日新聞』には「壊れる民主主義」なんて記事が。「若者の渇きにポピュリズム」との見出しで、橋下徹とニコラ・サルコジを比較しながら、彼らの威勢の良さを前面に出した手法を「ポピュリズム」とし、それが若い世代の閉塞感の受け皿になっているとするもの。最後はポピュリズムの宴の後たる阿久根市の例などを出していて、なかなか面白い。

橋下徹が騒がれる前は、たとえば、シルヴィオ・ベルルスコーニ、石原慎太郎、小泉純一郎、ジョージ・W・ブッシュなどの威勢の良さが一種のポピュリズムと結びつけられたものだ。ただし、以前は「若者」ではなく、もっと違う階層の不満を吸収するものとして語られていたように思う。

TVのニュースでも見ようかと思ったら、ちょうどその橋下徹。「大阪の未来予想図を……」などと言っていた。「……」の部分はぼくによる省略ではない。TVではそれ以上流れなかったのだ。

未来予想図ね。なるほどね。こんな言葉遣いが「若者」を引き合いに出させる効果を上げているのかもしれない。

周知のこどく、「未来予想図」というのは、ドリームズ・カム・トゥルーの曲のタイトルで、近年ではそれをモチーフにして映画が作られたりもした。それからの借用だ。「未来予想図」。やれやれ、と思う。

こうした使い古されて陳腐に成り下がってしまった言葉をスローガンのように使ってしまう愚かな政治家のいかにも愚かな政治家然とした言語操作能力に不快感を覚える。そうした橋下の言葉を述部の音を消して、まさに「未来予想図」が目立つように編集して、この言語の貧しさを助長し強調するかのようなTVの、いかにもTV的な操作に辟易する。

言語によって何かを表現する以上、我々の言葉は大半は陳腐で恥ずかしい言い回しにまみれるものだ。その恥ずかしさに気づかず、陳腐な言葉をあたかも美しいスローガンであるかのように利用する態度は、なるほどポピュリズムであり、俗情との結託だ。陳腐な表現まみれの言葉の中で、わずかひと言でも、ほんの一瞬でもそうした陳腐さから逃れようとする言語活動だけが、傾聴に値する。

大阪の人たちは可哀想だ……

……と、東京の人間が言うのも虚しいか……(さすがに石原慎太郎は、「東京の未来予想図は……」などという言語的貧しさは持ち合わせていない。彼はただ精神が貧しいのだ。いや、彼の言語の貧しさは、また異質なものなのだ)