2014年1月27日月曜日

新兵器導入

以前も書いたように、引っ越して困ったことのひとつは、宅配ボックスがなくなったことだ。留守の間に荷物が来ると、再配達を頼んだり自ら取りに行ったりしないといけない。

そんなわけで、土曜日に不在配達された荷物の再配達を頼み、今日、待っていたわけだが、思いがけず、他の荷物を受け取ることになった。

電子レンジ圧力鍋だ。圧力鍋だけど電子レンジで使うやつだ。クレジット・カードのポイント交換で得た。

そういえば昨日は、お歳暮にいただいたカタログで注文した桐の箱入りのバスタオルが届いた。バスタオルがどれも擦り切れてきたのでそれを頼んだという次第。

うむ。確実に貧しさの中での精一杯の豊かさを追求している。

やはり昨日のこと、学部時代に3年半住んだアパートの近くを通りかかり、寄ってみたら、まだ当時のままつましく建っていたのを見て、少しばかりノスタルジーに浸っていたのだった。四畳半一間、風呂なし、トイレ共同、家賃17,000円也のアパート。都電荒川線の線路脇で、引っ越してすぐのころには始発の音で目を覚ましていた、そういう日々。

当時ほどの生活ではないけれども、広さの面でも設備の面でも生活のグレードを落とし、学生気分のぼくには、こうした贈り物は、ともかく、助かるのだった。


さ、何を作ろうか……

2014年1月24日金曜日

21世紀を問う

今年の春の選抜高校野球大会に大島高校が21世紀枠によって選ばれ、出場することが決まった。

大島高校は名瀬市(現・奄美市)にある高校。ぼくの兄の母校だ。ちなみにぼくは鹿児島市の高校に進学した。兄と同じ高校になど行きたくなかったから……? まあいい。ともかく、そんなわけで、周囲は色めき立っているわけだ。

ぼくは高校野球にたいして興味ない。だからといって頭から否定しているわけでもない。そうした大会に出る高校生たちに対する敬意は払いたいと思う。出身者や、出身者ではないけれども近しい者が出場を喜ぶのもわかる。その気持ちに水をさすつもりはない。それどころか、ぼくだって喜ぶ気持はある。

ただ、気になったのだ。

21世紀枠って……なんだ? 

主催者である『朝日新聞』の説明にはこうある。

各都道府県秋季大会で8強、加盟校が多い地区は16強入りした学校を対象に、困難の克服、マナーの模範、文武両道などを評価する出場枠。2001年の第73回大会から採り入れられた。

なるほど、よくわかった。うん。なんの異論もない。

が、これを検索したときに、こんな記事を見つけた。日刊スポーツのサイトだ。

第86回選抜高校野球大会(3月21日から12日間、甲子園)の選考委員会が24日、大阪市内で行われ、21世紀枠は、小山台(東京)、海南(和歌山)、大島(鹿児島)の3校が選ばれた。 
 小山台は限られた練習時間や狭いグラウンドなどの練習環境を克服。都立校としては初のセンバツ出場となる。海南は4つの分校舎あり、片道9キロを自転車移動する部員もいる進学校。大島は鹿児島市から380キロ南にある奄美大島の進学校。グラウンド周辺にはハブも生息。部員23人で昨秋鹿児島大会で4強入りした。
 今回の三校はいずれも「進学校」とのことで、「文武両道」が評価されているらしいことはわかる(「文武両道」などという概念への疑問は、今はおいておこう)。が、21世紀枠は「困難の克服」をも評価するものだそうだ。小山台の場合は「練習時間や狭いグラウンド」などの不利を克服したのだろう。海南は「片道9キロを自転車移動する部員もいる」という地の利ならぬ地の不利を克服した。

が、しかして、大島高校が克服した困難は何だ? 「鹿児島市から380キロ南にある」離島に位置することか? 言っておくが、奄美大島というのは日本の数ある離島では佐渡島の次に大きいのだ。別に週に一便の船だけが頼り、なんて土地ではない。「部員23人」と少ないことなのか(そもそもこの人数は少ないのか)? まさか、「グラウンド周辺にはハブも生息」することではあるまい?

うーむ……。


大島高校は21世紀枠によって選抜された。がんばれ、大島高校。

2014年1月17日金曜日

隔靴掻痒

野崎歓『フランス文学と愛』(講談社現代新書、2013)は愛を語るのに17世紀を始点に据え、しかも太陽王ルイ14世の身体性から語り起こしている。そこから演劇(コルネイユらモリエール)に話を移し……

うむ、こういう展開を読んでいると、さすがにジャン=マリー・アポストリデスらの研究の蓄積を頼れるフランス研究ならではだなと思う。同時代のスペインの王、たとえばフェリーペ4世(ベラスケスが絵に描いている)の髭とか、その息子カルロス2世の病弱すぎる身体とかと王制の問題、芸術の問題、なんてのは研究の主題になっているのかな? エル・エスコリアルの分析とか……

ぼくの友人にはこういう論文を書いた者もいる。

ぼくは実はカルペンティエールが事務長となって1953年と56年、57年にカラカスで催した音楽祭のメインの開催地がベージョ・モンテの丘という場所の野外音楽堂であったことを、それがコロンブスが地上の楽園とみなしたその場所だからこそである、ということを主張したいのだが、そうした論を展開するためのどこかに、アポストリデス的研究が参照されなければならないように思っているのだ。

思っているのだが、うまく繫がらないのだ。言えそうで言えない。靴の中の足が痒い。爪が甘い……じゃなかった、詰めが甘い。


うーむ……

2014年1月11日土曜日

写真を見て、話を聴いて……

清水透写真展 マヤの民との30年パートII @ 立教大学

および、

公開講演会 日本におけるラテンアメリカ研究・報道の50年 @ 立教大学

に行ってきた。後者は立教のラテンアメリカ研究所主催の講演会で、同研究所の講座で講師を務めてきた二人、伊高浩昭と清水透の対談、という形式。司会は飯島みどり同研究所長

2人の最初のラテンアメリカの記憶、ラテンアメリカとの出会い、その後のかかわり、評価、ラテンアメリカ観などを拝聴した。

清水透さんはぼくも教わっていた先生で、そのことは何度もここで書いてきたとは思うが、事実として知らなかったことは、彼は『週間エコノミスト』に頼まれて1973年3月の中間選挙のリポートに出かけ、ピリピリした雰囲気のサンティアーゴで軍人にカービン銃を突きつけられたことがあったとか。クーデタ前夜の出来事だ。


あこがれのあの人も来ていた。実は清水先生、こんなこともやっていたのだった。

あ、そうそう。こんな映画のチラシももらった。トニー・ガトリフの映画。『怒れ! 憤れ! ——ステファン・エセルの遺言——』(フランス、2012)

2014年1月8日水曜日

新年最初の大仕事

大仕事、といってもぼくがしたということではない。今日は学生にとって大仕事。卒業論文の〆切り日だったのだ。昨日と今日のうちに出せねばならなかった。今日が最終日。

どうだ!

右は修士論文の山だけれども、そして修士論文の〆切りは12月だったのだけれども。加えてこの山には博士課程受験生(つまり今年の東大の修士論文とは限らないもの)の論文もあるわけだが。

さて、卒業論文と言っても、外語にいるころとは異なるシステムで提出されるもので、東大はどうやら研究室という単位がとても強固なようだ。ぼくはまだ外語にいたので参加できなかったけれども、夏学期の間に研究室全体で卒論の中間発表というのをやる。そして研究室全体で口頭試問もやる。そんな具合だ。だからぼくの読む現代文芸論研究室の卒論もボラーニョ、ボルヘス以外に、カルヴィーノ、タブッキ、バーセルミ,フラバル、etc., etc...

修論になるとさらに、大江、サルトル、ピンチョン、ムロージェク、ピンチョン、etc., etc...


ふむ。

2014年1月1日水曜日

節目の年に突入する

明けてしまった。2014年になった。フリオ・コルターサル、アドルフォ・ビオイ=カサーレス、オクタビオ・パス、フワン・リスカーノらの生誕100年の年。第一次世界大戦開戦から100年の年。この事実が何より怖い。

先ほど、というのは12月31日の昼間、昔のノートを見返してみたら、ちょうど10年前の2004年、面白い記述があった。7月21日、『朝日新聞』は小学生の4割が天動説を信じている、と報じた。さらにそれから4日後、25日には、それを受け、斎藤美奈子が天動説は科学の問題ではなく文化の問題だと、文科省は「科学離れ」を引き起こしたのでなく、「文化の破壊」を遂行したのだと論じていた。

小学生は6歳から12歳。10年前の6歳から12歳は今年の16歳から22歳。高校生から大学生くらいの年齢。その連中の4割がいまだに天動説を信じているわけではあるまいが、文科省によって破壊された文化を生きてきたかもしれない世代をぼくらは相手にするのだ。


……さ、がんばろう。とりあえず地球は動いている。