2022年7月27日水曜日

ドアノーが迎えてくれた

フェルナンド・トゥルエバ『あなたと過ごした日に』ハビエル・カマラ他(コロンビア、2020は、


Héctor Abad Faciolince, El olvido que seremos (2006) の映画化作品だ。1987年、暴力の時代のメデジンで殺された父のことを小説化した作品、その映画化。脚本を息子のダビ・トルエバが、プロデューサーをシーロ・ゲーラの2作品をプロデュースしたダゴ・ガルシアが務めている。


大学の医学部教授であるエクトル・アバド=ゴメス(カマラ)が衛生面から予防医学に貢献し、しかし、そのリベラルな態度から大学を一度は追放され、アジアでの仕事の後にまた復職し、退職(実質的な免職)し、そして政治的なリーダーとなり、自由党から市長に立候補、殺されるまでを、息子のエクトル(ニコラス・レジェス=カノ/フアン・パブロ・ウレーゴ)の視点から語る。


アバド家には10人もの女たち(と原作小説では紹介される)がいて、男はふたりのエクトル(父と息子。下から2番目の子ども)という構成。この家族のメンバーが揃っているシーンが多く、これの描き方が良かったように思う。初孫が生まれ、それを見に家族全員が病室に揃うシーンなどは印象的だ。なぜ、どのように印象的なのかは、ストーリーに関わってくるので詳しくは言わないが、ある人物を目立たせるための全員の細かな動きが、きっと綿密に計画されたものなのだろうなと思わせる。


そういえば、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」が印象的。



こんなものをもらった。東京都写真美術館で数量限定で配っているらしい。


そして、これ:


佐藤究『爆発物処理班の遭遇したスピン』(講談社)


これは短篇集だ。8篇からなるのだが、扱っている題材の幅の広さに驚かされる。量子力学から映画のクリーチャー、戦後日本の混乱、零落する暴力団……等々。いずれも凄惨な事件を扱っていながら道具立てが面白く、引き込まれるのだ。


そういえば僕は昨年末、佐藤さんと立教大学で対談したのだが(そしてその際の記録のゲラをつい最近見ていたのでそのことに気づいたのだが)、その際、クリーチャー作家の片桐裕司さんに会ったという話題を出していたが、それはつまり2作目「ジェリー・ウォーカー」の取材か何かだったのだろうな、と思い至ったりする。まあ、これは二次的な豆知識。


僕はやはり、知性がない分、理知的なふりをしたい人間なので、「猿人マグラ」と「九三式」に強く惹かれた。それぞれ(前者はタイトルからわかるだろうが)夢野久作と江戸川乱歩を特集した雑誌が初出のようだ。それらふたりの作家――というより、彼らの時代――を扱っている。とりわけ前者は作者自身が夢野久作と同郷であるので、必然的にオートフィクションになるのだが、このジャンルとして読むと興味はますます尽きないのである。

2022年7月5日火曜日

紙は神である

学生時代、僕が住んでいた北区は、可燃ゴミは専用の紙のゴミ袋を購入し、それに入れて出す決まりになっていた。ゴミ処理の煙が問題だとして東京都全般が炭カル入りポリ袋に換えられた時には、それは一種の後退だと感じた。当時はそのゴミ袋には氏名記入欄があって、名前を書くようになどととんでもないことが言われていたので、僕はこれを決定した当時の東京都知事・鈴木俊一の名を書いて出していたものだ。


スーパーなどのレジ袋が有料化されたとき、これもまた民にのみ苦労を強いるこの国の官の圧政だと思ったし、何しろレジ袋はゴミ袋として使えるので、素材があやしくどこがエコなのかわからない「エコバッグ」を持つくらいならと金を出して買い続けている(レジ袋が無料の時代、不要にポリ袋を入れてくるスーパーの過剰サービスに辟易していたので、まあ、一長一短ではある)。


ところで、昔、イメージとしてのスーパーマーケット(つまり、フィクションや広告での買い物帰りの風景)は紙袋を提供していたものである。実際には、紙袋に入れてくれるところはほとんどなかったけれども。


さて、僕は廃棄時に分別を強いられるような肉や魚のプラスチック・トレイが大嫌いである。卵のも。プラスチックの廃棄が問題ならば、レジ袋を有料化して消費を減らそうなどとけち臭いことをいわず、パッケージの紙化、もしくは紙への回帰を推進すればいいのではないかと思う。もっとも、商店街の肉屋や魚屋でもいまではプラスチック・トレイを使う時代だ。コストもはるかにこちらの方が安いのだろう。



あることがきっかけで、ここ1年ほど、生ゴミはこんな紙袋に捨てている。水切りもできるし、丈夫な紙なので破れることはない。


ある日、ふと思ったのは、卵はまだ紙パックで売っている商品があるはずだということ。いつも使ういちばん近くのスーパーには、しかし、残念ながら、それがなかった。で、少し足を伸ばして別の所に行ったら、あった。



案の定、割高な商品ではある。でもまあ、100円くらいの差ならば、僕はむしろ喜んで差額を払いたいと思うのだ(いや、本当は決して喜んではいないけれども、それはまあ、言葉のあやというやつで……)。ついでにここのスーパーの弁当も紙の容器入りのがあったので、買ってきたのだ。こういうところが増えるといいな。


ちなみに、レジ袋は金を出して買うと言ったが、それはゴミ袋に使えそうな大きな袋だけだ。人のいるレジでお願いすると何も言っていないのについてくる、肉魚等の汁漏れを防ぐためらしいビニールの中袋は断固拒否する。コンビニのパン程度の買い物のためには、紙袋を持ち歩くこともある。これはある日、あるお菓子屋が商品を入れてくれた紙袋をついでに使ってから気づいたこと。遠い昔のイメージとしてのスーパーでの買い物のようだ。

2022年7月1日金曜日

自炊なら子供のころからやっている

自宅では


このキャノンのインクジェット・プリンタを使っていたのだが、コロナ禍、授業準備なども家でやることが増え、やはり文書のプリントアウトはレーザープリンタにまさるものはないので、2年ほど前に



これを買ったのだった。モノクロだけど、プリントアウトするものはだいたいテクストなので、問題はない。で、キャノン、どうしようかなと思っていたところに、


鎌田浩毅『新版 一生ものの勉強法』(ちくま文庫、2020にカラーのインクジェットとモノクロのレーザー、2台のプリンタを持って使い分けるのが良いと書いてあったので(109-12)、それもそうかと思い、使い分けている。幸い(?)コロナ禍で印鑑を押した書類をメールでやり取りすることも増えたので、カラープリンタはあるに越したことはないので。


プリンタはいずれもスキャナつきなので、本などをスキャンするときはレーザープリンタのそれを使っていたのだが、キャノンのそれの方がiPad miniで操作できるし、そうなると操作性がより良いので最近はこれを使っている。


書類のスキャンには、僕は以前からScan Snapを使っていた。大学にはix1500があり、それは今では最上位ではなくなったけれども、充分に満足する速度と機能なので、問題がなかった。そして家ではこの



ix100 というモバイル型のものを使っていた。両面ではないし、自分で給紙しなければならないのだが、大量のスキャンならば大学でやればいいだけのことだった。


が、やはりコロナ禍で家での作業が増えたので、常々、家にも大量スキャンできるScan Snapが欲しいと思っていたところ、出たのだ。



ix1300(既に上の写真に写り込んではいたのだが)。最上位ではないが、コンパクトで、実に使い勝手がいい。何しろ、



開いたときに給紙のために紙を支える板が自動的に飛び出すし、スキャンを始めると排紙用の板がやはり自動的に出てくるのだ。Uターン型で、手前にせり上がってくる形なので、場所も取らない。


昨日はこれでさっそく古いノートを裁断してPDF化していたのだ。いわゆる本の「自炊」のノート版。


これでコピーしたまま紙が黄ばんでいく一方の論文や雑誌記事などを次々とPDFにしていくのだ。