2011年12月31日土曜日

日記

皆、今年の3冊、なんてなことをブログで発表したりしている。ぼくは、年をまとめるなんてするまいぞと思う。

その代わり、一番最近の収穫。アルフォンソ・レイェスの『日記』全7巻中の最初の3巻。

レイェスの日記はかつてグワナフワト大学出版会から出ていた。ぼくがレイェスを読み始めたころには、しかし、1969年刊のその本は手に入らなくなっていた。したがってぼくは日記をコピーで読んだ。しかもその日記は1930年までのもの。この7巻本の第2巻までの部分だ。

まだすべての配本が終わってはいないが、この新しい校注による日記の完全版、これはとても楽しみに待たれたもの。

たとえば1926年12月12日にはパリにあったレイェスをポール・モランが訪れ、今度メキシコに行くし、ついでにニューヨークにも行って黒人についての小説を書きたいのだが、と言ったので、それならぜひキューバにも寄れと、レイェスがアドバイスする。1月16日には今度はレイェスがモランを訪ねてメキシコでどこに行けばいいというような話をする。そしてついでにヴァレリーに挨拶を、……なんて記述に満ちているのがこの日記なのだ。

付録や注なども充実。レイェスの周辺の人物は一読の価値ある日記だと思う。

2011年12月28日水曜日

想像力の変質について

サンティアーゴ・パハーレス『キャンバス』木村榮一訳(ヴィレッジブックス、2011)

もう何年も前に筆を折ってしまったが、その功績において名高い名画家エルネスト・スーニガが、自分の財産の管理のようなことをしている息子のフアンを通じて持ち絵をオークションに出す。それをプラード美術館が落札する。この美術館が生きた作家の作品を買うのははじめてのことだ。それだけの価値のある画家なのだ。これはたいそうな話題になった。ところが、除幕式の日、エルネストはその絵の瑕疵に気づき、息子にあの絵を描き直したいと言い出す。息子は、当然、断る。そこでエルネストは自分の学校時代の先生で、贋作画家としての顔も持つベニートに相談を持ちかける。ベニートは美術品の盗難を生業とするビクトルに話しを持ちかける……

帯には「驚異のストーリーテラーの真骨頂」とある。「精緻な構成力/圧倒的な筆力/心震えるラスト」とある。ストーリーの面白さがウリの小説なのかとの予断を、読者は抱く。実際、上のようにまとめたストーリーは面白い、いくつかどんでん返しも用意されている。

しかし、この作家を読んでぼくが感じるのは、ストーリーの巧みさではなく(いや、巧みではあるので、それはそれでいいのだが)、むしろ、ある種の設定の作り方、トポスの作り方の特徴だ。たとえば、絵を描き直したいと言い出したエルネストを諭すために、フアンがプラード美術館の館長に掛け合い、館長はふたりの訪問を受ける。その場面。

 開館前の午前八時四十五分にゴヤの『カルロス四世の家族』の絵の前で会うことになった。(78ページ)

ぼくはこの一文を読んでぶっ飛んでしまった。これはもう小説の時空間というよりは演劇的、いや映画的演出だ。このシーンの視覚的要請によってこうした設定が可能になっているのだ。

これがパハーレスのみの特徴だとは思わない。恐らく、前々から少しずつ気づきつつあったようには思う。映画的想像力が文学的想像力に先立ってあるのだ。この現象は、何かじっくり考えてみる必要があるのではないか?

2011年12月23日金曜日

みーんな悩んで大きくなった

イラン・デュラン=コーエン『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』(フランス、2006)

意外にサルトリアンなのだよ、ぼくは。といっても、サルトルの書いた本やサルトルについて書かれた本を数冊読んだという程度の話だが。そしてまたカルペンティエールやらバルガス=リョサやらといったサルトリアンも読んでいるという程度の話だが。

で、なんだかみんなが真剣にサルトルの書いた本の内容についてばかり語っていることが腑に落ちなかったのだ。サルトルが流行らせた実存主義という言葉が、ファッションの用語でもあったということ、つまりモードであった、流行であったということが置き去りにされているような気がしていたのだ。少なくともメキシコでは、実存主義はモードだった。とホセ・アグスティンが言っている。

『サルトルとボーヴォワール』が成功しているのは、この二人の作家の関係を気難しく哲学的に捉えようと躍起になることをせず、これがモードなのだということを示しているところだろう。ジャズが流れる(ジャンゴ・ラインハルト風のギターの入ったトリオの生演奏)酒場、どこぞのサロンでのパーティ。原題を『カフェ・ド・フロールの恋人たち』というわりに、フロールよりはそうしたシーンが印象的だ。

少なくとも、メキシコでのモード用語としての実存主義は黒いスーツに尽きるらしい。そうホセ・アグスティンが書いていた。サルトルは実際、黒か濃いグレーのスーツを、年に5着あつらえ、とっかえひっかえそれを着ていたそうで(つまり着替えているのにいつも同じスーツに見える)、そのわりにロラン・ドイチェマン演じるサルトルの服は多様に過ぎたように思うが、でもそれも、モードとしての彼の存在を誇示するのに役立っていたというべきか。

とはいえ、この映画はボーヴォワールに焦点が当てられているというべきで、そこが第二の成功点。友人の死で結婚のイデオロギーに帰着するブルジョワ嫌悪を植え付けられ、サルトルによって自由の希求を開眼され、ネルソン・オルグレンによって『第二の性』の視点に目覚め、最後は自身とサルトルの神話に殉じる決意をする。思うにとても多義的で複雑な印象を与える役だ。ヤン・クーネン『シャネル&ストラヴィンスキー』でココ・シャネルを演じたアナ・ムグラリスは、すっかりモダンな女性の代名詞となりそうな勢いだ。

ちなみに、この文章タイトルはサルトルを読む以前からぼくらの世代の者の脳裡にへばりついたひと言。サルトルと言えば、野坂昭如の声と、このひとこと。昨日、学生と話していてこのセリフを言ったら、当然のことながらわかってくれなかった。

2011年12月18日日曜日

セレンディッポの王子さま

昼間(日付が変わってしまったが)読んでいたセサル・アイラの小説『試練』(César Aira, La prueba, México, Era: 2002 /1992)にこんな小話があった。

老いぼれスペイン人がやってきて、彼(ポルセル)にサン・フェルミンの祭りでの経験を話した。牛が放たれたので彼も走り出した。彼は走った。すると後から牛が追いかけてきた。彼が前、牛が後だ……ある角に来たところで、王が通りかかった。良き廷臣である彼は王にお辞儀をした……すると牛は……そこで太っちょポルセルは訊いた。そんなに早くかい? その前に酒に誘うこともしなかったのか? (24ページ)

こんなところを読んでいたからだろうか? 夜、ある情報を探して昔のノートを捲ったら(といってもPDF化されたものを見たのだが)、大学2年生のぼくが、ある人物と話していて、うん、やっぱりなんか礼儀正しく、最初はデートに誘うところからはじめるべきじゃないかな、とアドバイスしたという記述があった。

ふむ。シンクロニシティだ。セレンディピティだ。

ところで、この小話の意味、わかるだろうか? 

「もちろん」とマオが言った。「牛が角を尻に突っ込んだのよね。それがおかしいってのなら……」(24ページ)

この小説でセサル・アイラは ¡¿ ?! という配置を採用していた。 !?ではなく。

2011年12月16日金曜日

カラカス宣言6

カラカス宣言

9. ラテンアメリカおよびカリブの声を揃え、グローバルな規模の集会や会議においても、他の地域や国との対話においても、大きなテーマについて議論し、重要な出来事に対する当地域の位置を明確にしていくことを決意すること。


今日は年内最後の金曜日。金曜日は卒論ゼミのある日。ということは、卒論を執筆する学生にとっては最後の授業。ぼくの務める大学は卒論が必修なので、学生たちはこれから1月5日、6日の提出日まで根を詰めて執筆に取りかかることになる。がんばれ、というしかない。

何年か前にそうした苦労を潜り抜け、今では働いている卒業生からの連絡。企業説明会に関係してのこと。

2011年12月15日木曜日

カラカス宣言5

7. ラテンアメリカとカリブが政治的、経済的、社会的、文化的に統一され統合されることは、ここに代表を選出している諸国民の基本的な望みだが、それにも増して、地域としての我々の前に差し出された危機にうまい具合に直面するためにも必要なのであると納得すること。

8. ラテンアメリカおよびカリブにおける独立の先駆者たちの200年祭を祝うことは、我々が結束するのに格好のきっかけであり、ラテンアメリカ、カリブ諸国家共同体(CELAC)のスタート地点となることを自覚すること。

2011年12月14日水曜日

カラカス宣言4

カラカス宣言

6 国際的経済・財政危機が我々の地域に対して目の前に差し出す難問に意識的であること。この難問は、社会的に繋がっていたい、だれも平等に、かつ持続可能な発展をともなって大きくなりたい、そして統合されたいという、我々にとっては当然の欲求に対する挑戦であるのだと。

「持続可能な発展」などを盛り込んでいるところは、この宣言の新しさだろうなと思う。うむ。この辺はとてもいいのじゃないだろうか。

2011年12月13日火曜日

漱石をめぐるプルースト的記憶?

先日、関川夏生が『坊ちゃん』はずいぶん悲しい小説だと力説しているのを聞いた。「無鉄砲」の例として、冒頭近くにナイフのエピソードが出てくる。関川はそれを「切れないだろうというから『坊ちゃん』は親指を切るわけです、それが骨まで達したとある。このひとは危ない人ですよ」と言っていた。

気になったので、『坊ちゃん』、当該の箇所を見てみた。漱石というのはずいぶんとうまい書き手だな、と改めて感心した。

親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないといった。切れぬ事があるか、何でも切って見せると受け合った。そんなら君の指を切って見ろと注文したから、何だ指位この通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸いナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。(岩波文庫、7ページ、ルビを削除)

「骨まで達した」とは決して言っていない。「今だに親指は手に付いている」というのだ。唸らせるじゃないか。そしてこの小説が悲しいというなら、直後、「しかし創痕は死ぬまで消えぬ」の一文が悲しい。

この第1章、主人公が女中の清(きよ)に見送られて東京を発つところで終わる。ずっとプラットフォームに立って見送る清を見て、主人公が「何だか大変小さく見えた」と慨嘆するところで終わる。

ここを読んだ瞬間、ぼくははじめてこの小説を読んだ30年以上前のわが家の、ぼくが主に読書していた部屋のじめっとした感じや、西日の暑さを思い出した。ぼくにとってのコンブレーの屋敷のクローゼットの中だ。忘れている細部も多いというのに、この一文だけ(いや、もちろん、だけではなないのだが……)は、ぼく自身が自分が大人になったと感じた日の記憶とともに思い出したという次第だ。

2011年12月10日土曜日

カラカス宣言3

「カラカス宣言」

4 チリとベネズエラが共同議長を務め、開かれた構成によって創設されたCALCとリオ・グループの共同フォーラムに歓迎の意を表すること。これがCELAC創設手続きのすばらしい文書の作成を促し、2010年7月3日のカラカスにおける大臣声明を実行に移すことを可能にした。

5 2010年7月から2011年4月にかけて、カラカスで開かれた外務大臣会議が達した合意とその達成の重要度を認識すること。ベネズエラが議長となってCALCで行った社会、環境、エネルギー、財政、商務専門大臣会議も同様に重要である。


こうして訳してみると、CELAC創設にいたる過程をきちんと追っていたわけではない身としては、細部に不安を感じるな。まあこの辺の事実との突き合わせは、おいおい、やっていこう。

今日も2つ訳したのは土日は仕事で埋まるから。今日は日本ラテンアメリカ学会東日本部会研究会。その後は私的な用があるわけだが。で、ともかく、明日は大学の業務だ。やれやれ。なんでこんなことで駆り出されなきゃならないかね……という業務。ぼくに仕事をする時間をくれ。

2011年12月9日金曜日

カラカス宣言2

きのうさぼったので、今日は2項目。「カラカス宣言」、第2弾。

2 1986年12月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで創設された、地域的かつグローバルな一連の政治課題の中心テーマを協議し、政治協定とするための常設機構――リオ・グループ――の貴重な貢献を認識すること。そしてまた機構はわが諸国の最も高次の野望にも好意的であった。それがこの地域の協働のみならず統合と発展にも弾みを与えてきたのだった。そしてその結果が、2008年12月ブラジルのサルヴァドール・デ・バイーアで創設されたCALCに結実した。

3 ラテンアメリカ、カリブ統一サミットの宣言(メキシコ、リビエラ・マヤ、2010年2月23日)を再確認すること。特定するならば、わが地域の33の主権国家を含むラテンアメリカ、カリブ国家共同体(CELAC)を建設するとの決定を。

2011年12月7日水曜日

カラカス宣言1

ある方にあるところで、「カラカス宣言」を訳せと言われた。

なるほど、いい考えだ。

……でもなあ、ぼくは約束だけしてなかなか進まない翻訳原稿など抱えているのだよなあ。これ、訳している暇ないな。

しかたがないから少しずつ、1、2項目ずつやっていってみよう。飽きないで続けられるかな? 原文はここで取得。

カラカス宣言

独立闘争200周年記念の年に

我々の解放者たちの道に向けて

1 ラテンアメリカおよびカリブ諸国の国家元首ならびに政府首班は、2011年12月2日から3日にかけて、ベネズエラ・ボリバル共和国カラカスに、第3回ラテンアメリカ・カリブ諸国統合と発展のためのサミット(CALC)、さらには第22回リオ・グループ・サミットとして、ベネズエラ独立200周年記念の年に、解放者シモン・ボリーバルの歴史的偉業を記念し称えるために参集し、以下の合意に達した。


訳注)リオ・グループ: 1986年12月31日、アルゼンチン、ブラジルなど8ヶ国で発足し、毎年会合を持つことを取り決めたラテンアメリカの地域連合。

今日はここまで。

2011年12月6日火曜日

積年の夢

12月の2日と3日に開かれたラテンアメリカサミットでカラカス宣言が採択され、ラテンアメリカ、カリブ諸国家共同体Comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños (CELAC)が発足した。日本のテレビなどではこれを「シー・イー・エル・エー・シー」と読んでいるところもあったが、スペイン語圏の報道では「セラック」と読んでいる。

そういえばぼくは『ラテンアメリカ主義のレトリック』などという本を書いて、「ラテンアメリカ」がひとつであるとする言説の生成と変遷を分析したのだった。そこで「市場のブロック化が進んだ後に、再び古い物語が立ち上がり、ラテンアメリカの国民としての統一が唱えられないとも限らない」(96)と書いたのだった。そんな身としては気になるじゃないか。

カラカス宣言、読んでみた。

リオ・グループやCALCの達成を踏まえること、などといった前提を置くところ、「統一と多様性」を重視すること、国際社会の司法=正義に敬意を払うこと、国際的経済・金融危機がもたらす将来の危機に対処すること、などを掲げることによってこれは、新しい形の統一を目指しているようにおも思える。

一方で、独立戦争200周年を視野に入れていることやシモン・ボリーバルの思想を想起させることによって、またぞろナショナリズムの拡大版としての「古い歌」のようにも思える箇所がある。そこに、トゥーサン・ルヴェルチュールによる革命を端緒とすることが盛り込まれることによって、しかし、この「古い歌」も調子が変わっていることがわかる。「カリブ」を置くことによって、もはやスペイン語圏の統一、といった夢を描いていないことがわかる。33ヶ国参加というから、当のハイチその他、アンティール諸島の島々もこの共同体には含まれるのだろう。言語による統一という夢は前面に押し出されてはいないのだ。

けだし、「統一と多様性」、「ひとつであることとたくさんであること」、「多様性における統一」を掲げたことが、この宣言のひとつの見どころだろうと思う。対話の場であるこのCELACの向こう3年分の開催地までを明記して宣言は結ばれている。

まあぼくが『ラテンアメリカ主義のレトリック』を書いたのは「ラテンアメリカ」という概念がひとつの言説に過ぎない、と同時にその言説によって我々が現在「ラテンアメリカ文学」等々を論じているのだ、ということを示すためであって、つまり、もう「ラテンアメリカ」なんて言わなくてもすむようになるための事前準備なのであって、実際に「ラテンアメリカ」の共同体ができるかできないかにはほとんど興味ないのだが、でもまあ、言説には時代による修正が作用したり、それでも「古い物語」の残滓が残ったりすることが見て取れる。

これに対する対抗言説がアメリカ合衆国の側から形成されなくなれば、CELACはひとつのブロックとして有効に存在しうると思う。そしてたぶん、合衆国の側からの対抗言説は形成されない……?

2011年12月5日月曜日

pluma

モンブランのマイスターシュテュックである。軸が太い奴。おそらく、作家の名前のついたような限定もの以外、つまり、通常のラインナップのなかでは一番高いものではないか。

ぼくはこれを8年ほど前に質屋で買った。定価の半額以下でだ。

それが壊れたので修理に出していた。修理ができあがってきたので、取りに行った。もともとペン先は14Kだったのだが、今ではそれは作っていないそうで、壊れたペン先を18Kに変えた。たぶん、それだけ高いものになった。加えて吸い上げ器が悪くなっていたので、交換。

やれやれ。定価の半額より少し高くついた。そのへんの万年筆などよりも高くついた。

やれやれ。

でも書き心地はいいのである。最高なのである。ま、これと引き替えなら、しかたがないではないか。また10年しか保たなかったとしても、その間にそれ以上のものをこのペンで産み出せばいいのである。

2011年12月4日日曜日

京都で目覚める

3日(土)には2週連続の講演@京都外語大。この大学の出身者などが作る京都イスパニア学研究会にて。雪山行二さんによるゴヤのお話の前座(とぼく自身は位置づけているのだが)として。グレー・フランネルのスラックスに紺のブレザー、クレスト&ストライプ・タイなんて、まるで高校の制服みたいな格好で話してきた。

ボラーニョの描写がある希薄さによって特徴づけられること。希薄さと思えたものの一部はボルヘス的というかカルヴィーノ的というか、ともかく描写の簡略化であること。また希薄さの理由のひとつは、心象を重視するかの立場のゆえであること。心象の中心にはウインドウがあること(〈カフェ・キト〉=〈カフェ・ラ・アバーナ〉のウインドウ。クリスタル書店のウインドウ)。などを話してきた。

雪山さんはゴヤが同時代の版画などからモチーフやテーマをどれだけ得ていたかという話。ふむ。興味深い。

その晩は酔っぱらい、あらかじめ予約していただいたホテルに帰ったらすぐに寝入ってしまった。起きたときには、おれはどこにいるのだ? と思った次第。

散歩してから帰った。紅葉を見に行く余裕はなかった。