2018年2月11日日曜日

最近の新書から

別に「最近の新書から」なんてシリーズを設けようとしているわけではない。先日、ある原稿を書くために、まだ読んでいなかったはずのある本(それはたまたま新書だった)を開いたら、実に、まさに読みたかった箇所に線が引いてある。書きこみもある。つまり僕は、この本に既に目を通していた(あくまでも、続けてアドラー&ドーレンの用語を使うなら、点検読書をしていた)のだった。

ふむ。やるじゃないか、俺……

でも、目を通した事実を忘れてしまっていては困る。そんなわけで、最近買った新書についての備忘録を、と思った次第。あくまでも思いつきだ。どうせまた気紛れに備忘録を残したり残さなかったりするのだ。今までもそうだったのだから。

野澤道生『やりなおし高校日本史』(ちくま新書、2018)

野澤さんは高校の日本史の先生で、自身の板書ノートをウェブサイトで公開したところ、それが評判となったのだそうだ。

「一時間目▼律令国家「日本」誕生までの道 ヤマト政権の時代――それはまったく道理にあっていない。改めよ」の冒頭では『万葉集』冒頭の歌(「籠もよ み籠持ち 堀串もよみ堀串持ち この丘に」……)を引用し、「清々しいほど見事なナンパの歌でございます。」と書き、大学で教わった犬養孝の言葉「天皇がナンパなんてはしたない、と思ったらダメです。万葉集の時代は、恋多きことは素敵なことだったのです」(13)を引いている。

さらに、生類憐れみの令を扱ったところでは、「犬小屋に収容するための犬を追いかけまわす武士を、冷やかしてはならない」という法もあったと説き、要するに生類憐れみの令が悪法なのは武士にとってのみなのだと解説する。

こうした断片を読んで買ってみたのだが、「はじめに」を読んで別の意味でびっくりした。野澤さんは1997年に「文部省日米国民交流若手教員米国派遣」の一期生としてUSAイリノイ州に長期出張したのだそうだ。事前に当時の文部省に呼び出されて言われたことは、「目的は日本を伝えてもらうことです」(8)。

USA一辺倒化と夜郎自大な自己主張、「クールジャパン」の押し売りの始まるのは、1995年に前後することなのだろうと思うのだが、文部省(当時)は、97年にこんにことを始めていたのか!

広瀬隆『カストロとゲバラ』(インターナショナル新書、2018)

ついこの間ロシア革命について同じ新書から出した広瀬隆が今度は、キューバ革命を扱っている。

残念ながら文献一覧がなく、わずかに最後の「資料」のページに7冊の書名(基本的な文献。近年の収穫は含まず)が上がっているだけなので、判断しづらい。「あとがき」を「人格者のカストロとゲバラは、一種冒しがたい風格と知性を備え、この地球が生んだ類稀なる偉大なる人物であった。二人に、永遠の敬意を払いたい。そして私たち日本人は、国家や国境という狭い料簡を捨てて、カストロとゲバラの意志を継ぐキューバ国民の人道的救済活動を世界的に支え続けなければならない。いま強く、そう思う」と結ぶのだから、二人へのシンパシーの表明なのだろう。カストロの裏も表もある政治家としてのあくどさにどれだけ斬りこんでいるだろうか? 

とても些細なことだが、やはり「あとがき」にこうある。「軍隊を持たない中米の平和国家コスタリカが「軍隊がなければ侵略を受けないのだよ。これこそがプーラ・ビーダ!(素晴らしい人生!)」と説きながら」……

うむ。この「 」が誰からのどこからの引用か確認できていないのだが、 "pura vida" という表現はコスタリカで多用されるもののようである。だが、「これこそがpura vida」と続くと、まるで "Así es la pura vida" と言っているみたいだ。そしてこれだとまるでpura(「純粋な」) はvidaを強調しているだけ(「純然たる」)のようにも取れる。つまり、"Así es la vida" (「そんなもんさ」)を強調しているかのようだ。ましてやこの文脈だと。

鳥飼久美子『英語教育の危機』(ちくま新書、2018)

これの最大の収穫(のひとつ)はいわゆる平泉・渡部論争を検討し直したところだ。当時の参議院議員・平泉渉が自民党政務調査会に提出した英語教育改革の試案に対し、渡部昇一が(『諸君!』誌上で!!)噛みつき、まるで「実用英語」対「教養英語」の対決であるかのように論争を戦わせたものだ。ここから英語教育の「実用」志向、リスニング、スピーキング志向が始まったとされる。

しかし、実際の平泉試案を読んでみると、日本人は英語を「ほとんど読めず、書けず、わからないというのが、いつわらざる実状」であるとし、実際に読み書き聞く話すの4技能に熟達する目標は「国民師弟の約五パーセント」であり、他は多言語・多文化の「常識」と英語についての「「現在の中学一年生修了程度まで」を外国語の一つの「常識」として教えることを提案した」のだそうだ。つまり、「今でいうなら「多文化学習」ともいうべき斬新な案」だったと。


元同僚だった一方の当事者に遠慮したのか、鳥飼さんはそこまでは言っていないが、要するにこれも渡部昇一がミスリードの上で論争相手を非難した、彼によくある事例なのだろう。

2018年2月8日木曜日

謬見の哀しさ

今日、あるところで、精神科医の方にご指摘いただいた。『野生の探偵たち』翻訳上巻413ページにある「境界性人格障害」は正しくは「境界知能」だろうとのこと。

ふむ。迂闊にも使ってしまったタームであった。反省しきり。

誤訳、ではなく、これは多くの人と共有しているだろう謬見、パースペクティヴの歪みについて:

昨日届いた本は以下のもの。

箕輪優『近世・奄美流人の研究』(南方新社、2018)

これの内容を大雑把に把握するために、パラパラと読んだ(ふたつ前の投稿に名を挙げたアドラー&ドーレンの用語で言う「点検読み」本はまず、こうして読む時期を決める)。そこに引用されていた他の文献に蒙を啓かれた。松下志郎『鹿児島藩の民衆と生活』からの引用だ。ここで、通常使われている「薩摩藩」ではなく、「鹿児島藩」を使うことについての理由づけの箇所。

江戸幕府が「藩」の公称を採用したことは一度もなく、旗本領を「知行所」というのに対して、一万石以上の大名の所領は「領分」と公称されていた事実を思い浮かべるべきである。「藩」という呼称が行政上のものとして歴史に登場してくるのは、徳川将軍の大政奉還にともなう王政復古後、一八六八(明治元)年閏四月、維新政府が旧幕府領を府・県と改め、元将軍家を含む旧大名の領分を「藩」として、その居城所在地を冠して呼んだ時が初めてである。行政区画としての「藩」はしかし短命で、版籍奉還から一八七一(明治四)年七月の廃藩置県まで存続しただけである。(13)

ふたつの謬見に気づかされた。はるか昔、何かで、通常「加賀の国前田藩」などの言い方をするものだが、薩摩だけは「薩摩の国島津藩」でなく「薩摩藩」を名乗った、というようなことを読んだか聞いたかしたような記憶があるのだが、藩は「「その居城所在地を冠して」呼んだのだそうだ。つまり「加賀藩」「薩摩藩」と。

ただし、ただし、ただし、それは明治維新後、廃藩置県までのわずか三年ばかりのことであると。

びっくりして調べてみれば、『日本大百科事典』の「藩」の項目にもそのことはごく当然のごとく書かれている。おそらく、これは日本史に通じた人にとっては当然の常識なのだ。

うむ、明治維新とは実に作られた伝統を我々に信じ込ませ、歴史へのパースペクティヴを歪ませるシステムであったのだと痛感させられる。

ちなみに、当該の図書、箕輪優のものは、呼称はともかくとして、奄美諸島が薩摩にとっては流人の島であったことに衝撃を受け、そんなふうに薩摩の領分の陰であった、植民地であった奄美の実態を、焼却されてしまった資料などの隙間から明るみに出さねばとの執念で遂行した歴史研究の成果だ。ベンヤミンの言う「野蛮の歴史」を回復する試み。これなくして何の明治維新150年か、との思いが溢れる。流人の種別(キリシタン、一向宗、ノロやユタまでも!)や数などを列挙した後に、一番有名な二人、名越左源太と西郷隆盛の残した文書『南島雑話』と書簡などを分析したもの。西郷の差別意識が浮き彫りにされる。それから、教育的貢献なども検討されている。


(写真は、文章とは無関係のもの。ドゥルーズ『ザッヘル=マゾッホ紹介』堀千晶訳〔河出文庫、2018〕。かつて蓮實重彦訳で『マゾッホとサド』として出されていたものの新訳版。これは昨日買ったもの。昨日伝えた『闘争領域の拡大』とともに)

2018年2月6日火曜日

不知火に消ゆ

あるところで打ち合わせというか顔合わせというか、そういうものをして、大学でいくつか細かい仕事を終えてから行ってきた。新国立劇場。

松田正隆作、宮田慶子演出『美しい日々』新国立劇場演劇研修所第11期生修了公演

僕は初見だが、松田正隆の20年ばかり前のこの作品はなかなか面白かった。

二幕構成。第一幕は中央線沿線と思われる六畳一間のアパート。二部屋の話が交互に描かれる、ちょっとしたグランド・ホテル形式かと思わせる。

中心は高校の非常勤講師永山健一(バルテンシュタイン永岡玲央)。専任になれる見込みがあり、同じ高校に同じ非常勤で勤める鈴木洋子(金聖香)と婚約しているのだが、彼女の浮気が発覚、別れることになり田舎で入り婿生活を送る弟の許へと旅立つ。隣の部屋ではニートで社会生活に適合できない兄(上西佑樹)と、身体を売って生活を支えているらしい妹(川澄透子)の出口なしの生活が繰り広げられている。この兄弟の生活の破綻を経て、東電女子社員殺人事件や地下鉄サリン事件を思わせるアナウンスと、何らかのカタストロフを生き延びたらしいカップルの短いやり取りの幻想的な短い場が挿入され、幕。

第二幕は健一の田舎暮らしを描いたもので、近所に住む独身女性美津子(佐藤和)との切ない思いの交錯が次第に前面化していく。

第一幕での健一のちょっとした台詞(女の子の胸に火を当てたことがある)と健一の教え子堤佳代(高嶋柚衣)のさりげない示唆(ストックホルム症候群についてのもの)が第二幕に繫がっている。健一が田舎に越した理由は失恋だけではないだろうとの示唆も、正解が得られないままただほのめかされて終わる。それがこの劇の面白いところ。


主役のバルテンシュタイン永岡玲央は、さすがにこの期の一番のスターといったところだろうか? 名前が示唆するとおりの外見。上の段落に書いた「ちょっとした台詞」というのは、興奮の極でつい過去を思い出して言ってしまうひと言なのだが、その興奮の表現が面白くて、だからその台詞を記憶することができたのだと思う。二幕への繋がりがそれで分かりやすくなった。うむ。やるじゃないか。

本日の収穫は、文庫化された、これ。

ミシェル・ウエルベック『闘争領域の拡大』中村佳子訳(河出文庫、2018)


2018年2月5日月曜日

本が届いた!

今日は大学院修士課程の2次面接の日。

それとは別に、午後、ひとつ嬉しいことがあったのだが、これはその出来事の性質上、公言することはできない。

その代わり、「日本の古本屋」を通じて頼んでいたある本が届いた。

ある学生の修士論文を通じて、ある本の翻訳が存在することを知ったのだ。それで取り寄せていた。

翻訳の出版は1989年。僕が大学院に入った年だから、このころにはもう将来のことを考えてできるだけスペイン語圏の小説からの翻訳は買うようにしていたはずなのだが、それでも気づかずに見過ごしてしまっていた1冊だっのだ。

で、それを「日本の古本屋」で探したらあったので、注文した。それが、九州の古本屋から、今日、届いた。

ある大学図書館の除籍本だった。

いくら『泥棒の息子』だからって、そんなにつれなくすることないじゃないか……

マヌエル・ロハス『20世紀民衆の世界文学 泥棒の息子』今井洋子訳(三友社出版、1989)

話は変わる。数日前、ある人のツイッターでの書きこみに触れ、そこからの連想で、

M.J.アドラー、C.V.ドーレン『本を読む本』外山滋比古、槇未知子訳(講談社学術文庫、1997)

の一節を参照した。これについては以前に読んでこのブログのどこかにも書いた……と思ったら、大して書いていなかった。まあいいや。

で、以前読んだ時には気づかなかったいくつかの箇所が目についた。

 書き入れをする読者には表表紙の見返しはとても重要だ。(59)

ふむ。こんな風にノートなど取っている場合ではないのだ。

まあいいや。

 はじめに一つの逆説を紹介しよう。文学の本をいかに読むかは、知識の伝達を目的とする「教養書」をいかに読むかということよりずっとむずかしい。にもかかわらず、科学、政治、経済、歴史よりも文学の読み方を心得ている人の方が、ずっと多いように見える。これはどうしてだろう。
 小説なら読めばわかると、自分の能力を過信しているためかもしれない。だが、ある小説のどこが好きか、と聞かれて黙りこんでしまう人がよくいる。おもろかったことははっきりしているのだが、なぜおもしろかったか、その本のどこに満足したかは説明できないのだ。良い批評家でなくとも良い読者にはなれるということなのだろうか。しかし、これがすべてだと信じるわけにはいかない。十分に理解しなくては批評的に読むことなどできないのだ。小説のどこが好きかを説明できない人は、おそらく本の字面をなでただけで、その下にあるものを読みとっていないのだ。(198-199)

 最後に、小説を批判的に読む場合の規則であるが、これは、次のような心得になる。「作家が読者に経験させようとしたものを十分に感得できるまでは批判をしてはならない」。作家の創造した世界に疑問を抱かないのが良い読者である。
 (略)
 つまり、小説に対して、読者は、反対したり賛成したりするのでなく、好きであるかきらいであるかのどちらかだということを、忘れてはならない。「教養書」を批判する場合の基準は「真」だが、文学の場合は「美」であると考えてよいだろう。(207)

さ、本を読もう。ロハスを……

2018年2月3日土曜日

また駒場キャンパスに行ってきた

昨日また駒場キャンパスに行ってきた。


昨日は本郷で学部の卒業論文と修士論文の審査の後、夕方、駒場キャンパスに行ってきた。

飯田橋文学会が進める「現代作家アーカイヴ」のシリーズ、今回は松浦理英子のインタヴュー。インタヴュアーは小澤英実さん。

このシリーズは作家本人が代表作と考える作品を3作指定し、それを中心にインタヴュアーが作家の創作活動についてインタヴューするというもの。今回は『ナチュラル・ウーマン』(1987)『犬身』(2007)『最愛の子ども』(2017)の3作。

松浦理英子はほとんどメディアにも顔を出さないし、わずかに数枚の写真を見たことがあるくらいで、声を聞くのも初めてのことだったので、比較的読んでいるはずのこの作家に初めて触れる機会だと、疲労困憊の身体を引きずって行ったのだった。声、というよりも、話し方が、思弁を巡らせるある種のタイプの人を思わせて、最初、意外に感じたのだが、話を聞いているうちに、なるほど、このしゃべり方は松浦理英子その人そのものであるという気になってきた。

話は実に面白かった。彼女が3作……というよりも全作を通じて描いてきたものを単に同性愛だの人間と犬の関係だのといった次元に還元することはなく、たとえば「恋愛である必要はないし人間であるひつようもない心の触れ合い、通い合い」(『犬身』について)というような言葉で語ろうとしていることだ。そうした超越的な何かを目指す関係が、俗な言い方で言うと「支配と被支配」に映るであろう2者関係の、決してスタティックでない関係の流動から得られるのではと模索しているらしいこと。ヘーゲルの「主と奴隷の弁証法」のようなもの、といえばいささか図式的だろうか? 

『ナチュラル・ウーマン』の冒頭が経血の処理シーンであることを問われると、「月経を書きたいという野心」があったと、あるいは「志」があったと述べた時にはモチーフに対するにしては強烈な印象の語の採用にハッとさせらた。

一方で、『ナチュラル・ウーマン」の表題作のタイトルは作中に使われるアリサ・フランクリンの曲から取ったものだが、これに何か意味を読み取ろうとする小澤さんの野心をそぎ落とすかのように、松浦さんは他に思いつかなかったからとかわしてみせた。読者と作者の態度の差が鮮明になるこうした瞬間がいくつかあった。たとえば、『犬身』から『最愛の子ども』の流れでテーマが家族に移っていったと考えようとする小澤さんに対し、家族に今日的な問題があることはわかっているから書くのであって、それは目標や目的ではないときっぱり言い返し、「分かってもらっているか心配」だと呟いた時が一番の緊張の瞬間だっただろうか。

一方で、問われて各作品の登場人物たちの話をする際に「……だと思うんですね」と推測調で答え、まるで他人事のような態度であるのは、きっと松浦さんが今では自分の作品を相対化しているということだろう。もうすぐ出るという新作については、「まだ書いてすぐだから面白いかどうかわからない」と言っていたことからも、作家と作品とのその距離が推し量れる。

打ち上げで出てきたコロッケの写真。


ところで、またマフラーを忘れてきた。「また」というのは、つい最近、マフラーを大学の研究室に置き忘れて帰宅の途についたことがあったからだ

2018年1月30日火曜日

お勉強♡

昨日は駒場キャンパスで博士論文審査に行ってきた。

審査される側ではない。する側だ。

審査というのはされる側よりもする側が大変だと最近は思う。

いや、もちろん、1本の博士論文を書くことは大変な作業であるのだが、書くことを別にすれば、つまり、口頭審査の準備はする側が大変だということ。

だって、読まなきゃいけないんだもん。しかも批判的に。当たり前のことだけど、批判的に読むというのは、意外に大変なのだ。

金曜日には学部の卒論と修士論文の審査会があって、その場合、卒論や修論ならたいては1枚のメモ用紙でも済むかもしれないが、博士論文だとかなりのメモが必要になる。1章につき1枚といったところだろうか。

こんな風にコーネル大学式を気取って二段組みでメモを取ってみた。

コーネル大学式というのはノートテイキングの方法のひとつだ。文字どおりコーネル大学が発祥。1枚のノートをちょっと左寄りの Iの文字で区切る。上の横棒の上にはタイトルなどを書く。縦棒の左側にはトピックやキーワード、章タイトルなど、右側にはその内容をメモ。下の横棒の下は、自分の言葉でまとめの文章を書く、という感じ、と僕は理解している。

で、ふだん、あまりそうした内容把握のようなメモは取らないのだけれども、少なくとも、審査をするために論文を読むにはこの方式はいいかもしれないと最近思ったのだ。だからそうしている。


もちろん、このレイアウトはワープロソフトやエディタではできない。そういうテンプレートもない……と思う。それで、ともかく、二段組みでやってみたという次第。博士論文は長く、かつ残るものでもあるから、やはり手書きよりもファイルで残しておきたいじゃないか。

2018年1月24日水曜日

東京でいちばん高い山

水曜日は3限に早稲田の教育学部での授業、5限には東大に戻って(「戻って」という動詞は正しいのか?)授業、という日。ところが今日はもう東大は授業がない。早稲田はある。つまり、3限後は、いわば空き時間。

で、授業後、久しぶりに戸山公園に足を向けてみた。早稲田の戸山キャンパス(文学部キャンパス)の隣にある公園だ。それを取り囲むように都営住宅の団地がある。

さすがに、まだ雪に覆われていた。

僕がてっきり戸山富士だと思っていた箱根山は、登山道はたいていはきれいに雪かきされていたのだが、一箇所、氷結していて、結局、上るのを諦めた。回り込んでもうひとつの側から行けばどうだったのだろうかと帰り道に考えたが、後の祭り。

ついでに穴八幡にも寄ってきた。

なぜ戸山公演に行く気になったのだろう? 

たぶん、これだ。

そして、その中心には、山がある。標高四十四メートル。山手線内でいちばん標高が高いとはいえ、見た目はちょっとした丘という程度だから、遊歩道の脇に設置された「登山道入り口」という看板を大げさだと千歳は笑ったが、実際に上ってみるとけっこうな急斜面で、確かに「山」だと思った。(略)
 今、山の頂上には、その来歴や「登山証明書」を発行する旨が書かれた案内板がある。欅の梢で視界が遮られるが、それでも団地の高層棟、すぐ近くにある大学の校舎、新宿の超高層ビルが、ぐるりと見渡せる。欅の大木に覆われた斜面は森のようで、ここが新宿からすぐの場所とは思えない。

これは柴崎友香『千の扉』(中央公論新社、2017)13ページからの引用。


千歳という大阪の似たような団地で育ち、結婚して夫の祖父のものだったこの団地に住む女性の話を軸に、グランド・ホテル形式で交錯する他の人生をも描いていくこの小説が面白く、いい感じだったので、きっと気になっていたのだろう。戸山公園を取り囲む戸山団地がモデルだとどこかで聞き知って、それが念頭にあったに違いない。もう何十年ぶりになるかわからないけれども、ともかく、久しぶりに足を向ける気になったのだな。

でも、それは意識の表面にはなかったことだから、帰ってからこの記述を読み返し、実にこの箱根山の記述が素晴らしいと確認すると同時に、ああ、どんなことをしても山頂まで登っておくのだったと後悔した次第。


雪が溶けたら時間のあるときに行ってみよ。

帰りがけに、文庫化された『パノララ』(講談社文庫)も買ってきた。
『世界イディッシュ短篇選』西成彦編訳(岩波文庫、2018)
山本義隆『近代日本一五〇年——科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書、2018)
とともに。

2018年1月23日火曜日

銀とプラチナはどう違う?

最近、こんなのを使っているのだ。

この写真のなかではピントの合っていないブツを問題にしたいのだ。

左手前。モンブラン・マイスターシュトュック、ル・グラン♯146 プラチナ・ライン、M字。

ずっとマイスターシュトュック(どうでもいいが、この表記はおかしいと思う。シュテュックかシュトゥックならわかるが)の♯149ゴールドラインを使ってきた。一番軸の太い奴だ。ペン先はEF。一番細い奴。小さな字を書いていたころ、どんなペンも鉛筆も、先は極細のものでなければならなかった。

僕はがさつな人間だし、筆圧も強いのだろうか? EFだと折ってしまいそうで怖かった。最近は字もあまり小さくなくなってきた(理由は、主に読む自分を考えてのもの。要するに老眼だな)。そんなわけで、MかせいぜいFのペン先のものが欲しいと思うようになった。

最近はペリカンのスーベレーンの800のMを使うようになっていた。スーベレーンでも2番目に太いもので一番人気のものだ。たぶん。実に使い心地はいい。

さらに最近は、モンブランも復活させ、ペリカンと交互に使うようになっていた。

ある日、モンブランの代理店に行った時(ローラーのカートリッジを買いに行った)に、マイスターシュトュック万年筆のペン先を変えるといくらするかと訊ねた。けっこう高くて、お店の方も、他のものを買った方が早いのではないかとおっしゃっていた。

ちょっと前に思い立って探してみたら、意外と簡単に見つかった。中古で半額くらいの値段の♯146(ちなみに、♯149は質屋で、つまり質流れ品のディスカウントショップで買ったもの)。しかもやはり金よりはプラチナだか銀だかがいいと思っていたので、ぴったりのプラチナライン。ペン先はM。♯149よりはひとまわり軸が小さい(長さはほんのわずかに短いだけ)のだが、スーベレーン800程度ではある。書き心地もいい。

サインも弾む……のか? 隣は♯149。


でも、こうやって使うと、やっぱりEFのペン先もいいかな、なんて思ったりするのだから、僕はつくづく優柔不断なのだ。あるいは浮気性なのだ。

2018年1月15日月曜日

僕ならメキシコ市の書店ガンディーを選ぶ

今回もバスケスの話。

ヘンリー・ヒッチングズ編『この星の忘れられない本屋の話』浅尾敦則訳(ポプラ社、2017)にはフアン・ガブリエル・バスケス「ふたつの本屋の物語」(69-82ページ)という文章が載っている。バスケスはここで、ボゴタのふたつの書店のことを書いている。ラーナー書店とセントラル書店だ。

ラーナー書店は大型店で、作家になりたいとの思いを抱えてそこに通っていた「ノスタルジアをかきたててくれる店」として紹介される。「自分の出発点となった思い出の本屋」。法学部の学生でありながら、やはり自分の天職は文学であるとの自覚を得、いつか敬愛する作家マリオ・バルガス=リョサの隣に自分の本が並ぶことを夢見ていた、そういう場所。

セントラル書店はハンスとリリーのウンガー夫妻が経営する、父の代からツケで本を買っていた馴染みの本屋。彼はこれを実名で『密告者』に登場させた。「一九九五年の補遺」という第五章に相当する章だ。「ふたつの本屋の物語」ではその部分が引用されている。自己引用。こんな部分だ。

 本が出版されると、書店まで来てほしいというリリーからのメッセージが留守番電話に入っていた。他人行儀の、有無を言わせぬ調子の声で、たぶんサラ・グーターマンのことだろうと、私は思った。少なくとも、彼女から話を聞けずに終わってしまった、コロンビアの政治家がひた隠しにする反ユダヤ主義に関することにちがいない。なにしろハンス・ウンガーは、コロンビアにやってくるユダヤ人をできるだけ少なくするためにロペス・デ・メサが実施した禁止令の、最も直接的な被害者のひとりだったのだ(そのことは誰もが知っていた)。彼はインタビューだけではなく、常日頃から、彼の両親がドイツの強制収容所で亡くなったのは、彼自身が取得したようなコロンビアのビザが両親に発行されなかったせいだと公言していたのだ。ビザを取得したハンスが故国オーストリアからコロンビアに到着したのは一九三八年のことである。そういうわけで、約束の時間に赴くと、ハンスとリリーが私を待っていた。ふたりの横にはボゴタのドイツ人がよく待ち合わせ場所に利用している、がっしりとしたグレーのテーブルがあった。ふたりはこのテーブルと、ダイヤル式の電話、そしてタイプライター――レミントン・ランド製の、巨大スタジアムの模型のように大きくてずっしりしたやつ――を使って、本屋を営んでいた。メインの陳列キャビネットには、私の本が三冊飾ってあった。リリーはバーガンディ色のタートルネックのセーターといういでたちで、ハンスのほうはというと、ネクタイを締めて、スーツ・ジャケットの下にアーガイルのセーターを着込んでいた。(77)

これは英語に訳されて編まれたエッセイの中での引用。訳者の浅尾敦則が英語から訳した、言わば重訳だ。現在、日本語に訳されている『密告者』の当該箇所(411-412)と比較してみると、スペイン語や英語が読めずとも、翻訳というのがいかに人によって異なるのかが分かるのではあるまいか。『密告者』の服部綾乃・石川隆介訳は、独自に改行を設け、間接話法はほとんど用いず、引用符も分かりやすくつけることによって意識や発話と叙述とを書き分けて、実に懇切丁寧な訳だ。そのことの善し悪しは問わないが。ともかく、そんなわけで、この引用と比べると違いは鮮明だ。繰り返すが、善し悪しの問題ではなく、その差がとても興味深くはある。

さて、バスケスが『密告者』出版後はじめてセントラル書店を訪ねたところ、「リリー・ウンガーから、国を愛する気持になんら変わりはないと、文句を言われてしまった」のだそうだ。今ではハンスはコロンビア政府を非難してはいないのだと。「それに、実在の人物を何の許可も得ないでフィクションの中に登場させて、勝手なことを喋らせてもらっては困る、とも言われた」。そして極めつけは、こう言われたのだそうだ。「それにね、ハンスはアーガイルのセーターなんて、一度も着たことがないのよ」(78)と。


この話を先週土曜日の授業でするつもりだった僕は、アーガイルのセーターを着ていったのだが、なぜアーガイルを着ないことにこだわるのか、と大変活発に議論がなされたのだった。こうした細部へのこだわりというのは、意外に大切なことなのだ。

2018年1月9日火曜日

ある邂逅について

土曜日には立教大学のラテンアメリカ講座でフアン・ガブリエル・バスケス『密告者』服部綾乃、石川隆介訳(作品社、2017)を読んでいる。先日読んだところにガイタンの暗殺の話が出てきた。

コロンビア自由主義陣営のスターで、ゆくゆくは大統領になると目されていたホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺されたのは1948年4月9日午後1時。これを機に暴動が起き、ボゴタには混乱が生じた。ボゴタ騒動あるいはボゴタソと呼ばれるものだ。バスケスの2015年の作品La forma de las ruinas は、このボゴタ騒動を扱っている。

残念ながら(恥ずかしながら)この最新作を僕は読むに至っていないので、代わりに、ガルシア=マルケスの自伝『生きて語り伝える』のボゴタ騒動についての記述をコピーして配布、比較した。

近くの「グラナダ薬局」Droguería Granadaというところに匿われていた犯人が、大群衆に引き出され、引きずられて大統領官邸前広場まで行った、とバスケスの小説には書いてある。そして語り手はそのときの写真を見たことがあると言う。

引っ張られていく犯人の遺体と、遺体のうしろに点々と打ち捨てられている犯人の衣服。俺はそれを見るたびに必ずと言っていいほど、蛇の脱皮のシーンを思い出してしまう。写真はピントが微妙にずれていて、犯人フアン・ロア・シエラの遺体も、単なる白っぽい塊、それもほとんどエクトプラズムのようなぼんやりした塊にしか見えない。ただし、エクトプラズムと違うのは、塊の真ん中あたりに黒っぽい染みのようなものがついていること。その染みのようなものとはもちろん、犯人の性器である。(381)

犯人を引きずるこのシーンをガルシア=マルケスは目の当たりにしたらしい。『生きて、語り伝える』ではその情景を克明に描いている。犯人が匿われた店の名は「ヌエバ・グラナダ薬局」Farmacia Nueva Granadaになっているが、このくらいの差は、一方がフィクションなのだから、特に気にならない。だが、ガルシア=マルケスは、この犯人の身体にはパンツと片方の靴、それにネクタイが残っていたと記しているのだ。そしてこのほとんど裸なのにネクタイだけが残っているという記述は、何らかの文学的効果をもたらしているような気がしてならない。自伝であると素直には語りたくなくなる瞬間である。

ところで、フィデル・カストロもこの日、ボゴタの犯行現場近くにいた。午後2時にはガイタンはフィデルと会う約束をしていたのだ。

フィデルは、しかし、この犯人が引きずられているシーンは目撃していないようである。少なくとも、本人の回想の中ではこのシーンは語られない。ガボとフィデルは近くにいながら、巡り会ってはいないようである。

ところで、ガルシア=マルケスはこの騒動の最中、弟と一緒に質屋に走り、タイプライターが無事かどうか確かめた。質屋は無事だったが、タイプはなくなっていた。

同じころ、フィデルはタイプライターを目にすることになる。

細かく覚えていることがあります。最初のころのことですが、小公園に着くと、どこからか奪ってきたらしいタイプライターを壊そうとしている一人の男の姿を認めました。タイプライターを壊していたのですが、怒り狂ったその男は、手でそのタイプを壊そうとして、おそろしく苦労していました。それで私は声をかけたのです。「きみ、貸してみなさい」と。私は彼の手助けをして、タイプを受け取ると高く投げ上げ、地面に落としました。その男の絶望した様子を見ている、ほかに考えが浮かばなかったのです。(『少年フィデル』177-178)

フィデルが壊したタイプこそが、ガボか安否を確かめ、失ったことを知ったタイプだ。

……と思う。そんな話を後年、二人がどこかでしていたように思ったのだが、今回、授業の前に探してみても見つからなかった。

したがって、というか、それ以前に、これら2つのタイプライターが同一のものなのかどうか、実際にはわからない。でも僕は、これは同一に違いないと思っている。そうであって欲しいと願っている。


フィデルとガボ。年の近い、仲のよかったこのふたりは、かくして、ごく若い頃、邂逅を果たした(ようなものである)。