2017年8月23日水曜日

ディジタルの勝利/アナログの写真家

試写会に呼んでいただいたので行ってきた@TCC試写室

小田香『鉱 ARAGANE』(ボスニア・ヘルツェゴビナ、日本、2015)

小田香は『ニーチェの馬』のタル・ベーラのもとで学んだとのこと。この映画も彼が監修として名を出している。

サラエボからは北西に約30キロというから、つまり、近郊、ということだろうか。ブレザという町にある炭鉱に「圧倒的な美しさ」を感じたという監督が、その炭鉱での人々の仕事を撮ったドキュメンタリー。

暗い鉱山での仕事が、ディジタルの映像に捉えられると、なるほど、きれいだ。坑道をトロッコのようなものに乗って下りていく抗夫を(たぶん)カットせずに最初から最後までただ映した冒頭、逆に地上に戻る姿を映した後半、そして今度はエレベーターで彼らが降りた後に、彼らの姿が見えなくなった後も動き続けるケーブルをずっと映したラスト。それらの間がいい。

その後、恵比寿の東京都写真美術館で「写真家チェ・ゲバラ」展へ。盛況であった。写真は絵葉書。僕は美術展に行くと絵葉書を買うことにしている。

今回の写真展は映画『エルネスト』とのタイアップ企画。会場のロビーにはこんなものもあった。


2017年8月20日日曜日

始まりはいつも気紛れ


ついでに、Twitter上に



そして、


を投稿した。

実際、気紛れで始めたものの、飽きっぽい僕の性格だから、投稿を連動させる気が一切ない。きっと違うことを書き続けるのだ。他に書くべきことがあるのに(今のところはInstagramの昨日の投稿に書いた書評を、本当に終えなければならない)。

僕の理解が間違っていなければ、Instagramは基本的に写真を投稿する場だ。次なる問題は:

だいたい常に持ち歩いているカメラの問題。いわゆるコンデジ。これを取り出すと、今どきこんなものを持ち歩くなんて珍しいと言われる。

そりゃそうだ。iPhoneのカメラなど、今では素晴らしい。画質もいい。撮ればすぐに写真(アプリ名)に収まって、そのままInstagramと連動させてシェアできる。

一方、この愛するCanon PowerShot G9X で撮った画像は、今ではWi-FiでiPhone やiPadに取り込めるけれども、少なくとも一手間余計だ。やがてその作業が億劫になったとしてもおかしくはない。コンパクトでないカメラを持ち歩く人は逆に飛躍的に増えたから、この一手間は決して嫌がられているわけではないと思う。写真がInstagramに掲載するためのものだと思えば、スマートフォンでないカメラは無用の長物で、無用の長物としてのカメラを持つなら本格的なものを、というわけなのだろう。


さて……
(いや、僕だってミラーレス一眼レフなど持っているわけだが……一方で、この二つくらい前のモデルを持ち歩いていた頃、同席したさる写真家が、やはり同型のものを持ち歩いていることを知り、なんだか誇らしく思ったものなのだよ)

2017年8月17日木曜日

悲鳴を上げる財布

これは何だ? 

昔から、身軽さへのオブセッションがある。徒手空拳という言葉への尽きせぬ憧れがある。前提その1。

かつて、マネークリップを使っていた。なかなか気に入っていた。が、いつしかカードなどを持つようになり、財布を使うのが当たり前になっていった。今ではマネークリップは使っていないものの、何となく、また使いたいなという漠然とした憧れがある。これが前提のその2。

で、こうなった。


これまで使っていた財布(これはこれで気に入っている)と比べると、こんな感じ。おそらく厚みは大差ないかもしれないが、大きさがだいぶ違う。

これでボーナスは使い果たした。後は水を飲んで生きる。(というのは、もちろん、噓だけど)


以前、iPadやら何やらを衝動的に買う僕を見てたしなめていた教え子が、先日、会ったときにこのThe Ridgeのマネークリップの話をしたら、あっさりと「買っちゃえばいいんじゃない」と言っていたので、その態度変更に戸惑いつつも、背中を押されたような気になったので、買った。

2017年8月16日水曜日

悲鳴を上げる島

Facbookで繫がっている方が他のある方の記事をシェアしていて知った、こんなニュース。


僕は高校進学と同時に家を出て、その後、ほとんど帰省もせず、今後もUターンなどさらさら考えていない。僕はきっと、さして故郷思いでもないだろう。それでもこうしたナンセンスな話には腹立ちを禁じ得ない。

記事には地図と候補地の上空からの写真がついている。一番北の候補地、「笠利湾東(奄美市)」と書いてある場所は、僕が子ども時代、たまに遊びに行った場所だ。もしくはその近くだ。

山を越え、木々の中の小径を抜け、最後にマングローブのアーチをくぐり抜けると眼前に開ける白い砂浜だ。関東の黒い砂浜と比較すると目の覚めるほどに真っ白いそのビーチは、確かに美しい。その名も白浜(するばま)という。

が、はっきり言ってそのビーチは狭すぎる。山がすぐ背後まで迫っているので、ビーチ周辺も狭すぎる。つまり、ここにリゾート施設を作るのはナンセンスなのだ。それは、地図に添えられた航空写真を見るだけでよくわかるだろう。

これは、そのちょっと先にある岬から撮った白浜の写真だ。

記事によれば、「珊瑚礁がないなど環境への負荷が小さいこと」などが候補地の条件とのこと。写真に描き込まれた赤い鉤型の直線が、想定される埠頭だろう。そこに作れば珊瑚を傷つけない、もしくは、傷が最小限で済むということかもしれない。

埠頭はそうなのだろう。しかし、滞在型のリゾートを作るということは、近くにホテルなどの施設を作るということだ。この狭い土地にホテルを作るためには珊瑚礁の海を埋め立てなければならないだろう。でなければ山を潰さなければならないだろう。「環境への負荷が小さい」などと言えるだろうか? 

何よりも気になるのは、「回頭域は、現時点における世界最大のクルーズ船の全長(L)361m(ロイヤル・カリビアン・インターナショナルのオアシス級客船)を想定し、その2倍(2L)の722mを回頭場の直径にしている。」(強調は引用者)というところ。

ロイヤル・カリビアン・インターナショナルはつい昨年のこと、この「笠利湾」の西側、龍郷町に同様のリゾート施設を作る計画を打ち上げ、地元からの反対運動に遭って断念した会社だ。いろいろとリンクを貼りたいところだが、とりあえず、このNAVERまとめで(リンク)。

語るに落ちるとはこのことだ。要するに直接開発しようとして失敗したロイヤル・カリビアン・インターナショナルが、国交省にロビー活動をかけてこんな計画を作らせたのだろう。

環境破壊阻止などに熱心な者ではない。単に無駄だと思うのだ。100人集まればいっぱいになる砂浜に1,000人も2,000人も連れてくることはない。この楽園に来たければ、お椀の船を箸の櫂で漕いでくればいいのだ。

白浜から岬を回ったところが僕が2,3歳のころから15の歳まで住んでいた集落だ。その目の前の小さな湾の光景がこれだ。

さっきの白浜の写真を撮った場所の近くで、後ろを振り返ればこの写真の光景が見える。そういう位置関係だ。

位置関係はともかく、何が言いたいかというと、この埠頭と防波堤だ。こんなものは僕が子供の頃にはなかった。入江になっているから、波なんか高くない。防波堤など必要だと思ったことはない。小さな漁船が繋留されている程度の浜に、こんな埠頭は必要ない。この埠頭はおそらく(たまに帰省したときに見る限りでは、ということ)、利用されていない。


これが国交省の仕事だ。

2017年8月15日火曜日

Bocadillos

TwitterやFacebookのステレスマーケティングにはうんさせりさせられることも多く、腹の虫の居所が悪い時には、削除して報告したりするのだが、ステマといっていいのかわからない情報ページでは、実はひそかにいいアイディアをいただくこともある。

以前、コーヒーのペーパーフィルターは油漉しとかハンバーガーやサンドウイッチの包み紙にも使える、なんてアドバイスを見て、これはいいと思ったのだった。

最近はもっぱらフレンチプレスコーノ式ドリッパーとを使っているので、カリタ式のドリッパー用フィルターが余っていて、アドバイスに従っていろいろと使っている。

今日はバゲットサンドを作ったので、そのホールダーに使ってみた。バゲットサンド。スペイン風に言うとbocadillo。で、スペインのbocadilloは縦に切って具を挟むという印象があったのだが、最近、何かの写真で水平に切って具を挟む例も見たので、今回、バゲットを水平に切ってボカディーヨを作ってみたのだ。

レタス+生ハム+チーズ+キュウリ
レタス+オイルサーディン+キュウリ

昨日作ったキュウリとパプリカのピクルスも添えてみた。

僕は常々、なぜ日本のバゲットは外皮が柔らかいのかと不満に思っていたのだが、焼いてみたら硬くなることに気づいた。もっとも、中身も硬くなるのだが。


でもいいや、ともかく、うまい。

2017年8月9日水曜日

使い初め

以前購入を報告したブックノート。いよいよ使い出した。

サイズはB6、いわゆる四六判の本の大きさ。だから先代のモレスキンのノートと比べると、背が低い。

だからふだん使っているインク吸い取り紙も、こうして少し切ることになる。

いいことがひとつ。そもそも僕がひとつのノートにすべての情報をまとめることを始めたのは、以前も何度か書いているが、大学2年の冬、クリスマス・プレゼントにローラー・ボールペンをもらったことがきっかけのひとつだった。ところが、モレスキンの紙だと、ローラーは裏に滲んで使えない。だから万年筆と油性ボールペンを使っている。普通は万年筆。本や新聞をメモを取りながら読む時にはボールペン。しかして、ブックノートはローラーで書いても滲まない。だから油性ボールペンの代わりにローラーが使える。

すべてを1冊にまとめるとはいっても、今では日々の買い物のメモはiPhoneのメモに書きこみ、買い終えたら消すようにしている。論文などを書くための読書メモも、メモはノートだけれども、引用などは直接PCのソフトに書きこんだりしている。だから以前に比べてノートの使用頻度は減った。それでも、まだまだ重宝しているのだ。年に数冊のペースでノートを使っている。

今、取り組んでいることのひとつはこれ:

『ドン・キホーテ』についての短めの(400字×10枚ばかりの)文章。

こういうのがいちばんむずかしい。これだけ長い本について、比較的短い文章を書くというのが。

そういうときには、まとまりや構成など考えず、ともかく、いくつか、紹介したい箇所についての文章を一段落ずつ書いてみる。今回も3つか4つのポイントについて文章(段落)を作ってみた。

そうしているうちに道筋が見えてくることもある。今回も少し見えて来た。ただし、作った段落のうちひとつだけが使えそうだ。他の3つは惜しみなく捨てる。今回は使わない。いつか使えるかも知れないけれども、気にせずに放置だ。

文章を書き慣れない者は往々にして書いたものを捨てたり書き換えたりすることに抵抗を感じる。これまでも何度か、削除や書き換えを頑なに拒む学生にほとほと参ったことがあった。

今日、FB上で、とある新聞社の写真部に勤める友人が他の友人に写真がうまくなるこつを伝授していた。そのひとつは「いっぱい撮ること」。数十枚撮ればそのうち1枚くらいはいいのができるかもしれない。――さすがはプロ。そういうことなのだ。僕らの目に触れるたった1枚の背後には、使われなかった数十枚数百枚の写真がある。

僕らが読む1ページの文章の背後には、捨てられたり変形されて原型を留めなくなったりした何十ページ何百ページもの文章がある。


そしてその背後に何ページものノートのメモがある。モレスキンが、ブックノートが。

2017年8月3日木曜日

満島ひかりの歌や島中響(とよ)まるる……

園子温『愛のむきだし』(2008)を見て以来(つまり、それ以前は良く知らないのだが)、満島ひかりのファンなのだ。顔も体つきも、その演技にも惹き付けられてならないのだが、最近つらつらと思うことは、誰かに惹き付けられる時にたいていそうであるように、僕は満島ひかりの声が好きなのだろうということ。

そんなわけで、満島ひかりの声を活かすために作られた映画を観に行ってきた。


いや、もちろん、島尾敏雄、ミホ夫妻への僕なりの興味があるのだが、ミホ役を満島がやるのだから、もはやどちらに対する興味に導かれたのかはわからないのだ。

映画『海辺の生と死』は島尾ミホの同名のエッセイ集と島尾敏雄「島の果て」が原作だと書いてある。「島の果て」は新潮文庫『出発は遂に訪れず』に収録された短篇だ。

島尾敏雄は特攻艇震洋の部隊を指揮するために加計呂麻島の呑ノ浦にやってきた海軍中尉。そこの国民学校で教師をしていたのがミホ。二人は恋に落ち、夜な夜な浜の突端を回ったところにある塩作り小屋で逢瀬を重ねる。結局、島尾敏雄に出撃命令は出ないまま戦争は終わる。

以上が、おそらく、事実のあらまし。敏雄はそれを「島の果て」という短篇に書き、さらに後年、ミホは『海辺の生と死』に収めたいくつかのエッセイでそのことを彼女の視点からの思い出として書いた。

敏雄の短篇はあくまでも創作で、加計呂麻島を「カゲロウ島」と呼び、自らを朔中尉、ミホのことをトエと名づけている。こうした命名と小説内のいくつかの台詞やエピソードなどを盛り込みながらも、基本的にミホの回想を基に脚色したのが今回の映画。

したがって、島尾文学のいかにも島尾らしい要素の一部は脱落することになる。「島の果て」ではトエは集落の出身の者ではないことがほのめかされ、教師ではなく「部落全体のおかげで毎日遊んでくらして行くことができました」と表現され、かなり謎めいた娘として提示される。

一方で、部下たちの統制に悩む文弱な将校ぶりは、ミホのエッセイからは見えてこない部分なのだが(ミホのエッセイでは島尾隊長のカリスマ的人望が印象づけられる)、映画は敏雄の短篇からそうした要素は取り込んでいる。

結果、凛とした小学校教師ミホの声が映画全編を通して響きわたることになる。敏雄の短篇よりも大人なミホが立ち上がる。朔は「島の果て」よりも少しだけ人望を集めることになり、その代わり、深く悩んでもいる。

トエことミホ、こと満島ひかりの声の響く映画は、島尾敏雄の短篇以上に多言語的でもある。トエが子供たちに歌って教える浜千鳥の歌は、「島の果て」ではわずか2行のみ(浜千鳥、千鳥よ/何故お前は泣きますか――〔ルビ:ぬが・うらや・なきゅる〕)なのだが、ミホのエッセイでは、終戦の前々日、島尾隊長を待ちながら歌ったことになっているこの歌は、こう記される。

チドリャ ハマチドリャ(ルビ: 千鳥 浜千鳥)
ヌガウラヤナキュル(ルビ:何故 お前は 泣き居る)
カナガ ウモカゲヌ(ルビ:君が 面影の)
タチドゥ ナキュル(ルビ:立つ故に 泣き居る)
(……)

という具合に一連まるごと再現されている。


そして映画では、最初の塩作り小屋での逢瀬の時に、これがまるごと、満島ひかりの声で歌われるのだ。(歌唱指導は朝崎郁恵。たぶん、一度、彼女自身の歌が映画内で流れている……と思う)

2017年7月27日木曜日

なぜだろう? 涙が出る

若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(KADOKAWA、2017)

タイトルに惹かれて手に取った。

まったくTVを見ないわけではないから、若林正恭が漫才師であることは知っている。彼らの漫才も見たことがある。あまり面白いとは思わなかったが、台本を書く若林は本好きでもあり、BSでは小説家たちとのトークショウも持っている(その成果が本にもなっている)こともかろうじて知っている。

僕の若林正恭に関する予備知識はその程度だ。若林正恭のキューバに関する予備知識より少しは多いと思う。若林は、ほとんど予備知識もなくキューバ行きを決意する。最初、旅行代理店で動機を尋ねられ、アメリカとの国交が回復したから、と適当に答えては、皆さんそう言う、と返される。しかし、しばらくしてから、家庭教師に新自由主義の概念を学び、自らの人生を振り返り、新自由主義に侵されていない社会に行きたくなったから、との動機を明かす。そして最後の最後に、本当の動機を明かすのだが、それはここでは書かないでおこう。泣いちゃうから。

ともかく、そんなわけで、さしたる予備知識もなく、バウチャーひとつで本当にホテルの予約ができたのかと不安に思いながらも、やっと取れたチケットを手に若林はハバナに向かう。

さて、新自由主義体制の浸透である種の疎外感を味わったことが冒頭に明かされて始まるのだが、それでも若林は芸人として、TVタレントとして言わば傍系とはいえ勝ち組に収まったのだな、と思えるのは、彼がハバナでガイドを頼んでいるからだ。僕はそんなものに頼って旅行したことはない。

でも、そのガイドの描写が面白い。初日に頼んだのはマルチネスという、流暢な日本語をしゃべるキューバ人。彼は案内すべき箇所についての説明は饒舌にこなすのだが、いったん、そうした場を離れると無口になってしまう。

「革命博物館まで何分ぐらいですか?」
「……15フングライ」
 また無言。
「暑いですね」
「……オヒルハモットアツクナル」
 それから革命博物館に着くまで二人はずっと無言だった。
 ぼくは気づいた。
「マルチネス、人見知りだわ」(65-66)

若林は、そういえば、『社会人大学人見知り学部 卒業見込み』という本を書いているのだった。人見知りは人見知りを知る。そして人見知りにやさしい。そんな人見知り芸人の人見知りガイドに対する心遣いが暖かい。人見知り読者としては何だかほっとする。日本のガイドブックを見せたら1cuc(兌換ペソ)と1センターボの写真キャプションが逆であることを教えられ、この間違いに気づかず、10cucをチップとして置いてきたことを笑い話として提供する。「それからマルチネスは気持がほぐれたのかよく喋るようになった。マルチネスが明るくなったから10cucも痛くないなと納得した」(91)。「公式レートでは現地の人の1ヶ月弱の収入にあたる」額をチップにしてしまったことを「痛くない」と感じるほどにマルチネスを明るくさせたかったのだから、やさしいのだ。あるいは、人を笑わせることを職業とするお笑い芸人のプロ意識が感じられるのだ。(一方で、やはり勝ち組なのだとも思う)

本書のタイトルは、カバーニャ要塞で野良犬を見て、著者が

 東京で見る、しっかりとリードにつながれた、毛がホワホワの、サングラスとファーで自分をごまかしているようなブスの飼い主に、甘えて尻尾を振っているような犬よりよっぽどかわいく見えた。(77)

と感想を抱くところから来ているのだろう。ハバナの観光地で抱く若林の感想は優れている。第1ゲバラ邸にゲバラの存在が感じられないとつぶやき、革命広場でカストロの5時間、10時間に及ぶ演説のことを考えて、そんな異常なことがあり得るのだろうかと疑問を抱く。そして「いろんな芸風の人を舞台袖で見てきたけど、芸人には元々声に力を持っている人とそうでない人がいる」、「ラッパーの方でもそうだ。声、リズム、そのものに快楽を呼び起こすものを持っている人がいる」、「カストロの声やリズムには、長時間人を惹き付ける力があったはずだ」、だから「カストロが10時間ラップで演説をして、それを聞きながら10万人の聴衆はサルサを踊る」(86)そんな光景を妄想する。こうしたコメントのひとつひとつがとても新鮮で面白い。

文章の工夫も唸らせるものがある。自身の話す挨拶程度のスペイン語は「オラ」「グラシアス」などとカタカナで表記し、キューバ人たちの話すスペイン語はHolaなどとアルファベットで記す。

冒頭の口絵はともかく、本文中に挿入される写真は白黒だが、苦労してどうにかバスに乗り、30分ほどかけて行ったサンタマリアのビーチにたどり着いた瞬間、その写真だけはカラーで示す。

 ぼくは思わず「ははははは!」と声を出して笑ってしまった。
 なんでだろう、めちゃくちゃ綺麗な海に辿り着けたことがおかしくて仕方なかった。(158)

うむ、読ませる。


(写真は読後行ったメキシコ料理店テピート@下北沢でいただいたうちわと共に)

2017年7月17日月曜日

文学を読み・書き・動いてきた。

昨日は現代文芸論研究室創立10周年記念シンポジウム「文学を読む・書く・動く」に出席してきた。出席というか、開催してきた。

まずは沼野充義、柴田元幸、野谷文昭の三氏による現文創設時の思い出。

次の第一セッション「文学を読む」の司会をした。パネルは福島伸洋さんとマイケル・エメリックさん。

福嶋さんはボブ・ディランの話から始め、詩は元来、音楽であったと文学史に話を広げ、孤独な黙読、韻のことなどを話した。マイケル・エメリックさんは、立命館に留学時代、日本語の本を集中して読んでいたが、ある日、ふとイェイツの詩を紐解いてみたところ、言葉が炸裂するような感覚を得たこと、感覚遮断によるそうした体験から、読まないことについて考え、たとえばまだ読めない子供たちの言語のあり方を紹介しつつ、自身の炸裂体験にも共通するある爆発を感じているはずの子供たちの経験に思いを巡らせた。

第二セッション「文学を語る」は阿部賢一さんの司会。平野啓一郎さんが子ども時分に作文にフィクションを書いていたこと、自身の「分人」という概念から創作する自己を語れば、千野帽子さんがそれを理論的に後付け、中核自己と自伝的自己について語った。

第三セッション「文学を動く」では司会の沼野充義さんが西成彦さん今福龍太さんそれぞれを紹介しながら2008年に出た二人の本のことを紹介、西さんは自身の足跡を語り、脱領域の知性(extraterritorial)が治外法権でもあることを説いた。今福さんは今年死んだ3人の作家のことを語った。

満員であった。(写真は沼野充義さんのFacebookから)


盛況であった。

2017年7月9日日曜日

地獄よりも暑い

7月5日(水)にはかねて予告のとおり、マドリード・コンプルテンセ大学の教授、ダマソ・ロペス=ガルシア博士に「ジェイムズ・ジョイスとフリオ・コルタサル」という題でご講演願った。ロペス=ガルシア博士は博学な人で、『ユリシーズ』と『石蹴り遊び』の似ている点、異なる点、意義の相同性などについて語った。

7月6日(木) メキシコ大使館にプラネータ社(出版社)のプロモーションのためのプレゼンテーションを聴きに。田村さと子さんや宇野和美さん、そしてきたむらさとしさんらの話を聴きに行った。

この日、大学で受け取ったのが、これ。

『文藝』秋号。ここに「戦後文学が読みたい」という1ページの文章を書いている。特集の一環だ。特集は堂々の読み応えだ。

7日(金)にはあるところに行ったのだが、その途中、公園に寄った。

鯉ってこうしてみると、意外に……

8日(土)は立教の口座。『ポーランドのボクサー』の表題作を読んだ。僕が気づかなかったある読みについての示唆をいただいた。皆さん、なかなか鋭いのである。


9日(日)溶けている。