2019年5月26日日曜日

夏が始まった


土曜日には2週連続で博士論文予備審査があった。

博士論文提出のちょっと前に、でき具合や方向性などを確認する審査だ。実際の博士論文の審査よりはカジュアルなものとはいえ、それはそれで大変だ。


南鳥島に、10年も前の瓶詰めの手紙が漂着したという話。朝日の記事が出る前にはNHKがニュースにしている。それを最初に流す直前、NHKに勤務する教え子がこの手紙の画像を送ってきて、いろいろとコメントしてくれそうな人を紹介した。それが流れた翌日には朝日に勤務する教え子がコンタクトを取ってきて、こちらでは僕がコメントしたという次第。

最近、時々、ネルドリップでコーヒーを淹れる。

それはともかく、毎朝、ほぼ欠かさずコーヒーを2杯飲む。サーバーに入れっぱなしでは2杯目を飲むころには冷めている。それで、保温できる水筒に入れ替えたりしている。

けれども、水筒に入れ替えるなんて、なんだか大げさな気もしたので、魔法瓶式のマグカップを買ってみた。2杯目はそれに移しておく。

保温がきくということは保冷力もあるということだ。これだけ暑くなってくると、作業中、冷たいものを飲みたくなる。コーヒーに氷を入れ、アイスコーヒーとして飲むこともある。これに入れておくと、助かる。

写真は文庫化された佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』(角川文庫)とともに。

2019年5月6日月曜日

ついに歌手デビュ!? 



『たべるのがおそい』Vol.7に掲載した「儀志直始末記」についての最初の評だ。これが最後にならないとは限らないけれども。ともかく、評価してくれる人がいてよかった。

昨日(5月5日)には『たべるのがおそい』のファイナルパーティー@abc本店に行ってきた。出てきたのだ。西崎憲さんと高山羽根子さんと3人でのトークショウ。

トークショウといっても、そこはミュージシャンでもある西崎さんのこと、ギターとフルートを持ってきた。朗読の時には伴奏してくれた。僕は自分のテクストの導入部分を読んだのだが、事前の打ち合わせで本当は島唄を引用した部分を歌つきで読みたいのだが、切れがよくない、というようなことを言ったものだから、では朗読とは別個、歌おうではないかという話になった。困った困った。

で、困ったなどと言いながら歌う僕もいかがなものかとは思うのだが、歌ったのだった。臆面もなく。

やれやれ……

部屋のレイアウトを変えてみた。こんな風に。わかるだろうか?

左端に見えているのは枕。つまり、作業用の小さい方の机をベッドの頭の上に置いてみたのだ。

ベッドの足から見ると、こんなだ。
この後、スタンドは作業しやすいように左に移した。

2019年4月16日火曜日

これもジェンダー・バイアス?


髪の薄さはもはやごまかすべくもないので、髭、眼鏡、ハンチングの三点セットでごまかそうと思い、作業用および授業用はいわゆる「中・近」の眼鏡は持っているのだが、それとは別に、かつて作った遠近の眼鏡をかけるようになったのだ。

実は「遠」の部分はただのガラスであるこの眼鏡、「近」の部分、つまり凸レンズの度が合わなくなっているのだった。まあ、早く言えば、老眼が進行したということ。電車などに乗っているときに「中・近」は今ひとつ合わないし、このままの「遠近」では読書もままならない。だから思い切って買い換えることにした。

が、眼鏡店を回っても、オーバルの眼鏡を試しにかけていると、大抵はそれは女性ものだと言われる。男性ものはこの辺ですね、と言われた場所を見れば、どれも角形のものばかりだ。

そうはいっても、仕方がないので、まあ角形の方が本来の僕の属性である鋭敏さなどが強調されていいか、などと自らに言い聞かせ(自らをごまかし)、買ってしまったのだ。角形。(右が度の合わなくなったもの。左が新しく買ったもの)

今度は「遠」の側も単なるガラスではなく、度が入っている。

『文学ムックたべるのがおそい』Vol.7 が届いた。僕の短篇小説「儀志直始末記」が掉尾を飾っている。「儀志直節」「芦花部一番節」のふたつの島唄を結びつけるフォークロア風の短篇と、それの作者と思われる人物についてのエッセイ「編者注」から成り立つ二段構成だ。

2019年4月8日月曜日

定冠詞の不在


先週の金曜日、5日には荻窪の本屋Titleでのトークショーを聴きに行った。久野量一さんと星野智幸さんによるもの。つまり、以下の小説を巡る対談。

カルラ・スアレス『ハバナ零年』久野量一訳(共和国、2019

1993年の最大の経済危機を迎えていたころのハバナが舞台。その前年くらいに初のハバナを体験した久野、星野のふたりがいかにこの小説に感情移入したかという話題から始まって、いわゆる「ネタバレ」のないよう注意を払いながら、ふたりでこの小説の世界を追体験していた。

小説はアレクサンダー・グラハム・ベルよりも前に電話を発明しながらも特許申請の手続きなどの問題で手柄を横取りされてしまったイタリア人技師アントニオ・メウッチの失われた文書を巡るミステリー仕立て。久野・星野両氏が「ネタバレ」のないように注意していたというのは、そういう理由。

メウッチが最初に電話の原理に気づいたのがハバナの劇場で勤めているときのことで、その後の再現実験に関する文書を、それぞれの目論見を胸に秘めて(腹に抱えて)探す人々の話。中心人物は皆、偽名ということにされるのだが、語り手は数学者のジュリア。彼女が恩師にして元愛人のユークリッド、作家のレオナルド、美男子エンジェルの三人の男(文書保持が疑われる容疑者)に翻弄されながら、それぞれ三人のために問題の文書を探す。

メウッチのことを小説にしようと思い、そのための決定的な資料として問題の文書を探している作家のレオナルドの話を聞いたジュリアがそれをユークリッドに語ったところ、彼もまたその文書を探しているとのこと。ユークリッドの子供の友人でジュリアとレオナルドを引き合わせたエンジェルも実はその文書にはひとかたならぬ興味があることがわかったあたりから、展開が加速する。同じ文書を欲しがっているらしいイタリア人バルバラやエンジェルの元妻マルガリータ(彼女は一度も登場しない。ただ常に言及されるだけ)らも絡み、登場人物相互の知られていなかった関係が露呈し、ジュリアはそのたびに三人の男たちのそれぞれに裏切られたと感じ、態度をコロコロ変える。論理的な数学者の頭脳で推理しておきながら、感情に基づく思い込みで自らの立場を変えて宝探しに挑むジュリアの視点から描かれるので、問題の所在が明らかになったり紛糾したりという一進一退を繰り返す。そういったところが読ませるポイント。

NHKラジオのテキストでの連載、7月号はこれで書こうかと思っている。それだけでなく、今学期の授業も、まずはこの問題から入っていこう。

で、タイトルの「定冠詞の不在」というのは、この小説の原題のこと。

Habana año cero

La Habana ではなく Habana だ。定冠詞がついていないのだ。それもまた意味深。訳者の久野さんはこの小説で重要なポイントのひとつは3という数字なので、三語にこだわったのではないか、との見解。

写真はイメージ。黒胡椒たっぷりだからこその alla carbonara 。うまそう。自画自賛。

2019年4月1日月曜日

昨日のこと


昨日は英文の大橋洋一さんの退職を記念した現代文芸論主催の特別講義があった。実質、最終講義だ。最終講義という名目のものは英文主催で、英文の流儀に則り、東大英文学会として開催された。閉じたものだったので、ここはひとつ、現代文芸論の協力教員として長年ご尽力いただいた大橋さんには、公開で最終講義をしていただこうというのが、趣旨。

題目は「21世紀批評理論における4つのターン」。

「生態学的」「動物(論)的」「認知(論)的」「情動的」という4つの転回(ターン)について、代表的な論者の主張をまとめながら、主にカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』をそうした理論の転回の後の地点から読み直すという内容。近年、あまり理論の展開を追っていない身としては勉強になったのだ。

とりわけ、『わたしを離さないで』に「不在の原因」としての動物論を見るなど、うむ、なるほど、と唸るばかり。大橋さんは類似の例のひとつとして挙げていなかったけれども(志布志のうなぎのうなこのCMには言及された)、AGFのブレンディのCMで、とある学校の卒業式で、どうやら牛であるらしい卒業生たちが自分の行く先を示されて一喜一憂する(食肉になる者は泣き、ミルクがブレンディとなる者は喜び)というのがあったけれども(案の定、炎上した)、あれを見て『わたしを離さないで』を思い出した僕自身の連想に合点がいったのだった。

さて、今日から新学期。そろそろ新学期のことを考えよう。








(写真はNHKラジオ『まいにちスペイン語』のテキスト4月号。ここに、この号から「スペイン語文学の現在」という連載をするのだ)

2019年3月30日土曜日

ひどい時差ぼけに悩まされた


表題のとおり、アルゼンチンから帰国後、ひどい時差ぼけに悩まされ、しばらく身体が重かった。

3月10日(日)には野崎歓さんの最終講義に行ってきた。その日はまた、大学の合格発表の日でもあった。

3月16日(土)には共立女子大でのシンポジウム「アメリカ大陸のブラックミュージック」に参加してきた。ふむ。勉強になることばかり。

3月24日(日)には同僚の沼野充義さん発案になる「野崎歓と世界文学の仲間たち」というイベントに参加してきた。野崎さんの20分ばかりのスピーチの後に、くじ引きで順番を決め、11人の話者が7分ずつ(実際には皆、10分くらいかかったと思う)話すというもの。僕は「魚」というテーマをもらったので、魚以外のことを語ること、魚を語らないこと、などから魚を定義する話をした。

これはそのときの籤。色鉛筆。僕は黒だったわけだ。

翌26日(月)には飯田橋文学会の現代作家アーカイヴズで、インタヴュアーとして池澤夏樹に話を聞いてきた。公開。2番大教室はほぼ満員になった。

これらの作品を中心に語ったのだ。

コンピュータのOSをアップロードすると、それまで使えたディヴァイスが使えなくなることがある。Scan SnapがマックのMojaveに対応していないというので、無線LANで接続可能な新しいシリーズに替えた。

やれやれ、出費がかさむのだ。でも、おかげで快適。

2019年3月15日金曜日

悩ましいことばかり


既に何度も書いていることだが、例外はあるものの、情報はひとつのノートに集中させている。日記、メモ、読書記録、草稿、等々。理科系の研究者にとっての実験ノートのような用途も担わせている。

基本的にはモレスキンのソフトカバーを使っている。が、そればかりだと飽きるので、最近は他のノートと交互に使うことも多い。渡邊製本謹製BOOKNOTEが最近のお気に入り。今使っているモレスキンがあと十日もすれば使い終わりそうなので、新しいノートを注文した。

が、そんなときに限って、この渡邊製本、新商品をこれ見よがしに繰り出してきた。悔しいじゃないか、万年筆向けのノートと来た。何やら万年筆愛好家の間で評判のトモエリバーとかいう薄くて軽くて、しかしにじみの少ない紙を使ったノートらしい。

うむ。ふだん万年筆を使う身ではあるが(ペリカンのスーヴェレーンとモンブランのマイスターシュテュックを交互に)、中途半端なこだわりしかないので、知らなかったぜ、トモエリバー。さっそくそれも注文したさ。

なるほど、書き心地はいい。吸い取り紙までついている。

しかしなあ……

これまで方眼ノートを使っていた僕はこの方眼をちょっと重く感じるようになって、久しぶりに無地に回帰しようと思ったのだよ。だからBOOKNOTE は無地のものを注文したのだ。それなのに、この万年筆用新作CROSSFIELD は方眼紙なのだな。うーむ……

世界はなぜ僕を悩ませようとするのだろう? 

まあいいや。さて、問題は、この新作をどんな用途で使うか、だな。普段使いのノートにはその場に応じて鉛筆やボールペン、ローラーなどで書き込むこともある(基本は万年筆だが)ので、従来のBOOKNOTEを充てるとして、CROSSFIELD はどうすべきか? 

きっとこれも普段使いに回すのだろうな。

2019年3月4日月曜日

これも聖地巡礼。たぶん。


観光旅行のようなことはあまりしないのだが、ホテルはコロン劇場

のすぐ前だし、中心街なので、大統領官邸Casa Rosada

なんてのも歩いてほどなく行ける。エビータとペロンが邂逅を果たしたルナ・パーク

なども。

今日は、セサル・アイラの作品によく出てくるフローレスFlores地区に足を運んでみた。雰囲気を知っていると知らないでは違うかなと思ったのだ。

なるほど、瀟洒、とは言えないが住宅街で、なんと、地上の鉄道まで走っている。

公園にはこんな(見えるだろうか?)

緑の鳥までいた。鳩に混じって。

ところで、北からの日差しが方向感覚を狂わせると2日前に書いた。もうひとつ感覚の狂うことがある。何か?

ブエノスアイレスの地下鉄は左側通行なのだ! 少なくとも僕がこれまでに乗った3路線はいずれもそうだ。

これにはびっくりだ。僕はてっきり、車が右側通行である都市では地下鉄や鉄道も右側通行なのだと思い込んでいた。東京は車も電車も左側通行。メキシコは車もメトロも右側通行。しかし、ブエノスアイレスは違ったのだ!

これはあれかな? 丸ノ内線の車両を払い下げて使っているということと関係あるのかな? ただし、僕は丸ノ内線の車両は見ていないのだが。

地下鉄の表示は面白い。「現在地」を示すのに "Usted está aquí" (あなたはここにいます)などと書かず、"VOS" 

である。「お前」なのだ。なんかすてきだ。

2019年3月3日日曜日

聖地巡礼……なのか?


こちらはまだ2日土曜日。この日はお定まりのコースとして書店 El Ateneo に行ってきた。

劇場を改修した書店で、BBCが世界で最も美しい書店のひとつに選んだ奴だ。実際の El Ateneoはもう何店か存在していて、僕はそのうちのひとつに到着初日に行ったのだった。フロリダ通りにふたつある店舗のひとつ(あとで訊いたら、ひとつはもう閉店したのだそうだ。つまり、フロリダ通りにはひとつしかない)。あの「フロリダ派」と「ボエド派」(ボルヘスのころのふたつの対立する文学グループのことだ)のフロリダだ。繁華街なのだ。で、BBCで話題のこの店はサンタ・フェという通り沿いにある。

サンタ・フェ通りには Galería がたんさんあった。ひとつの建物の中にたくさんの小さな店舗が軒を連ねる商業施設だ。セサル・アイラの「試練」では、こうしたGalería内のスーパーマーケットを主人公たちが襲うことになる。映画『僕と未来とブエノスアイレス』の舞台になったのも、galería内の店だった。

さて、El Ateneo。さすがに観光客がいっぱいで、皆、写真を撮っていた。

かくいう僕も撮ったわけだが……

そして何より感心したのは、1階桟敷席が読書室になっていること。

2階に行くと、桟敷だった場所がこのように仕切りを取り払われて全体が回廊になっていることがわかる。

僕が探しているたぐいの本は古本が主なので、あまり新刊には興味がないのだが、それでもカタログ・ショッピングだけではわからない雰囲気をつかみ、見逃していた本を買うために行く。

フィクションではセサル・アイラとサマンタ・シュウェブリンを買った。アイラはSFなんて書いてあるものだから、絶対に変なSFだろうとの確信をもって。シュウェブリンは冒頭が「三人が最初にしたことは胸を見せることだった」なんてな感じだったので、ついつい、なんだか、引き込まれて……

もちろん、店内のカフェで食事をしたのだった。(下はカフェから見た店内)

その後、古本屋巡り。


2019年3月2日土曜日

時差を抱きしめて


東京とブエノスアイレスの時間差はちょうど12時間。無理して時計を変えずともいい。その意味では楽だ。旅行中は時差ぼけをあえて直そうとはせず、早寝早起きの生活を送る。ホテルの朝食の前にかなりのまとまった仕事をする。

それから出かけていく。地下鉄はSubeというカードで利用する。街角のキオスクで120ペソだっただろうか? 180? まあいいや、それにさらにいくばくかチャージする。

今日、1日を過ごしたのは、ここ。

空の青と芝生の緑の対照が鮮やかなのは、ブエノスアイレスの空が美しいのか、写真の映りがいいのか。ともかく、国立図書館だ。これはその前庭、というのかな?

おや? あそこに何やら見覚えのある人物が……

アルフォンソ翁ではありませんか!

アルフォンソ・レイェスは1927-19301936-1938年の間、在アルゼンチンのメキシコ大使をしていた。その間にボルヘスらと親好をむすび、彼に影響を与えたことはつとに知られている。そのレイェスの銅像がブエノスアイレスの国立図書館の庭にはあるのだ。教えられて知っていたけれども、あらためて見ると、感無量。

思ったほどの成果は得られなかったけれども、ともかく、ある種の雰囲気をつかむことはできた。アーカイヴ調査は、そこが大事だったりするのだ。成果としての情報もともかく、時代の雰囲気を感じ取ること。

それにしても、もう眠くてしかたがないのだ。