2017年2月20日月曜日

金に糸目はつけない

最近、こういうのを導入した。

フレンチプレス。コーヒーを作るのだ。こうやって。

原理……というか用法としてはお茶と一緒。コーヒーを入れ、お湯を入れ、一定時間待ってから、プレスする。

ペーパーフィルターよりもコクが出て、うまい。金属フィルターのように澱が出ることはない。少なくとも大量に出ることはない。まだペーパーフィルターが余っているのだけれども、最近はすっかりこればかりだ。

コーヒーのためなら金に糸目はつけない。新しいマシンでも何でも、コーヒーのためならば導入する。


ただし、これは2,000円ばかりだったけれどもね。こんな値段である限り、金に糸目はつけない。

2017年2月15日水曜日

今日が映画の日だとは知らなかった

上京してすぐに住んだ国分寺のアパートのすぐ近くには映画館があった。映画館といっても2番館で、2本立て、3本立てで好きなだけちょっと古い映画が観られるという場所。暇があって金のない僕は、よくここに通った。大島渚の『戦場のメリークリスマス』などはここで観た。が、その映画館でかかっている映画の大半は日活のロマンポルノだった。ポルノ専門館ではないけれども、ロマンポルノがかかることが多かった。ちょうど当時はポルノ出身の女優(白川和子、風祭ゆき等々)が一般の映画やTVドラマに欠かせない存在になっていたり、ロマンポルノ出身のアイドル(美保純とか)が出たり、逆に普通のアイドル女優(早乙女愛など)だった人がポルノに出たりしていた時期で、ここや、東映のピンク映画上がりの若い監督が一般作品で名を挙げ始めたころでもあって、日活ロマンポルノの潰える直前の最後の輝きがみられた時代だったという次第。1983年のこと。

根岸吉太郎『キャバレー日記』竹井みどり主演、なんてのは印象深いのだ。

だから、日活が「ロマンポルノ・リブート」などと称して、行定勲や中田秀夫ら5人の監督の撮るロマンポルノの企画を打ち出した時には、1本くらいは観ようかな、などとぼんやりと考えていたのだけど、今日、思い立って園子温『アンチポルノ』を観てきた。

映画の日だった。新宿武蔵野館の100席に満たないスクリーン3とはいえ、ほぼ満席だった。女性客もかなりの数いた。

周知のごとく、ロマンポルノが面白かったのは、10分に一度濡れ場を入れるという制約さえ守れば何をしてもいいという自由さを大いに生かし、若い監督たちが撮りたいストーリーを思う存分に撮っていたからだった。園子温もその制約=自由を逆手に取り、男の作った「自由」に苦しめられる少女の自我の叫びを撮った。

隷従と鞭打ち(つまりSM)、レズビアン、近親相姦、両親の性交現場の窃視、そしてスカトロまで、ポルノ映画と性のオブセッションに纏わる記号をこれでもかというくらいに挿入しながらも、基調はペドロ・アルモドバル的原色の内装の部屋で繰り広げられるルイス・ブニュエル的反復脅迫の悪夢、どんでん返しによる主従の転換(主人と奴隷の弁証法)なのだった。「10分に1度の濡れ場」の制約も、過ぎ去ってしばらくしてから、そうか、そういえばあれは濡れ場なのか、と気づくものも多く、つまりは、ロマンポルノが脱構築されているのだ。


閉ざされた空間でのセリフ劇だからだろうか、さすがに舞台出身の筒井真理子の存在感が水際立っていた。さすがなのだ。

2017年2月14日火曜日

死んでも『ジュリエッタ』と呼ばないために

日本の一部の映画配給会社の横暴(控えめに言って横暴、僕の本音をいえば人権意識の欠如)には腹に据えかねるところがあって、あれだけハリウッドからも引く手あまたでありながらスペインに、とりわけマドリードの市井の人々の語りに強くこだわるペドロ・アルモドーバル(あるインタヴューでも語り口の重要性を彼は語っていたのだ)が、いかにアリス・マンローの原作とはいえ、スペインを舞台に脚色した映画の、いかにもスペイン風のその主人公と同名のタイトルJulietaフリエータを、どこにもない名前の音に変えるなど、監督への冒涜も甚だしいのだ。

そんな風に腹を立てていたら最初の公開時期に見損なってしまった。それが早稲田松竹で『トーク・トゥー・ハー』との2本立てでやっていたので(早稲田での非常勤の仕事帰りに前を通りかかり、知った)、今日はダリーオ・グランディネッティ祭だとばかりに見に行ってきた。

何度も見ているのに、『トーク・トゥ・ハー』(このタイトルにもいろいろと言いたいことがあるぞ)でアリシア(レオノール・ワトリング)に意識が戻っていたことが発覚する瞬間には泣きそうになる。

さて、問題の『フリエータ』(スペイン、2016)

2人の人間(列車で話しかけてきた見知らぬ男と夫)を自分の素っ気ない態度がもとで死なせてしまったかもしれないという罪の意識から抑鬱症を患い、娘に助けてもらったと思っていたら、実はその娘は周囲の者からいろいろと聞いていて、ずいぶん複雑な思いでいたらしい。その娘の心理を描かずして(ただ不在によってほのめかす)葛藤から和解にいたるまでを語るという、実に繊細な話。

恋人ロレンソ(グランディネッティ)とリスボンで新生活を始めようとしていたフリエータ(エマ・スワーレス)が、街角で娘アンティーアの親友ベアトリス(ミシェレ・ジェネ)と行き違い、スイスでアンティーアに会ったと告げられる。それで思い直し、マドリードの昔のアパートに引っ越して、娘に向けて彼女の父親との出会いから今までを手記に書きつける、という形式。回想の中の若いフリエータをアドリアーナ・ウガルテが演じている。

列車で話しかけてきた男を避け、避難した食堂車で漁師のショアンと知り合い、男の自殺にほだされ関係を持ったフリエタは、代用教員の時期が終わると誘われてガリシアのショアンの家へ。寝たきりになっていたショアンの妻は死んだところで、そのままそこに住みつき、子どもが生まれ、家庭を持つ。ところがショアンは寝たきりの妻の目を盗んで昔からアバ(インマ・クエスタ)と関係を持っていたらしい。そのことをほのめかされ、問い詰めると、ショアンは漁へ。その日、難破して死んでしまう。娘のアンティーアが夏期キャンプでベアトリスと仲良くなり、マドリードに訪ねたついでに、そのまま転居、出版社の校閲係をしながら鬱病と闘ってどうにか立ち直ったと思ったところで、アンティーアはピレネーの山に瞑想生活に出て、そのまま行方をくらます……という展開。


マドリードのアパートが2種類出てくる。いかにも近代的で無機質、白く、IHコンロなのと、昔ながらの石造り、木の扉が重々しく、壁もみずから塗り替えて住むようなもの。フリエータはそのふたつを棲み分けることになるのだが、やはり、後者がいいのだ。

フリエータが古典文献学の教師だというところがいい。

ロッシ・デ・パルマが出ていた。


早稲田松竹の帰りは高田馬場のオムライスlabo でテキサス・オムライス(ハンバーグつきということ)を食べた。ハンバーグとオムライスって、……好みがどれだけ若い(幼い)のか。

2月14日はふんどしの日だそうだ


フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』木村榮一訳が、新たに翻訳された短篇ふたつを含む文庫本になって河出書房新社から出版された。めでたい。

何年か前(ひとつ前の記事の花嫁が3年生の時)、ゼミで同じ作者、同じ訳者の『狼たちの月』とこれを読もうということになったとき、まだ発売1年にも満たなかったソニーマガジンズの親本が既に手に入りにくい状態になっていて、ずいぶん面食らったことがある。こうして文庫本になってくれると学生にも勧めやすく、助かる。

が、そんなことより、今はこれ:

佐野勝也『フジタの白鳥――画家藤田嗣治の舞台美術』(エディマン/新宿書房、2017)

著者の佐野勝也は大学時代の先輩だ。大変な人だったので、僕は晩年、少し距離を置いていたが、ともかく、一時期、一緒に仕事をしたりした仲には違いない。そんな佐野さんの絶筆。早稲田大学に提出した博士論文を本にすべく書き直している途中、亡くなった。

冒頭に日本における『白鳥の湖』初演の舞台美術をフジタが務めたことと、その経緯、そしてその舞台の詳細が紹介される。それから時代を遡ってパリ時代にバレエ・リュスやバレエ・スエドワらに関わり、どんな活動をしたかが順に述べられる。そして日本時代、ミラノのスカラ座での『蝶々夫人』……

どれも貴重な資料に裏付けられた記録で、画家フジタのこれまで知られてこなかったもうひとつの顔が明かされている。図像もふんだん。

フジタのことはカルペンティエールも折に触れて書いている。パリ時代、彼らは面識があったはずだ。少なくとも同じ場に居合わせたことは何度となくあった。そしてリオデジャネイロで個展を開いた1931年にはアルフォンソ・レイェス夫妻が彼に似顔絵を描いてもらって喜んでいる。


フジタは当時既に生きる伝説だったのだ。ピカソのように……

2017年2月12日日曜日

パレス・ホテルは本当に宮城の目の前だった


今日は外語時代の教え子の結婚式。

行ってきた。

新婦はちょうど3.11の地震の時に卒業を控えていた人物のひとり。地震直後には、以前ブログに書いたように(リンク)節電と称してピクニックに誘い出してくれたりしたのだった


僕は6年前のこの日、彼女たちの生き方にたいそう感心したのであり、爾来、彼女たちを尊敬してやまないのだ。そんな彼女たちのひとりが結婚するとなれば、嬉しくもあり寂しくもあり、ともかく祝わないではいられないのだ。

よくあることとは言え、披露宴のテーブルには新婦の手書きのメッセージが置いてあった。でもそこに、そんな彼女から「ピクニックも楽しかった」などと書かれていたら、泣いちゃうじゃないか。


メガネをかけずにテーブルに着いてよかった。泣かずにすんだ。

2017年2月7日火曜日

立ちたいとき

昨日は大学院修士課程の二次面接だった。

さて、昇降式の机を買ったからといっていつも立って仕事をするわけではない。それならばスタンダップ・デスクを買うだろう。あくまでも立ったり座ったりしながら仕事がしたいということ。

立って仕事をすることは体に影響することには違いないのだが、立ちたくなるのは精神的な理由。

1) 朝、仕事を始めるときには立つのがいい。

2) たまったメール、返すのが億劫なメールは、立つと書ける。

3) 座っていて興が乗ると、立つといい。「興が乗る」サインは太腿のあたりがムズムズしてくること。これまでは、そんな時、僕は席を離れて水を飲みに行ったり(喫煙していたころは)タバコを吸いに行ったりしていた。

4) 逆に、行き詰まった時も、立つと打開できることがある。

5) 気乗りしない、なかなか集中できない読書には立つのがいちばん。

……しかし、こうして列挙してみると、なんだか常に立っているのがいいと言っているみたいだ……


2017年2月2日木曜日

僕らのZ、永遠のZ

昨日取り入れた昇降式の机。今日は終日大学にいたので、使い心地についてはまだなんとも言えない。

しかし、ひとつだけ言えることがある。昨日のあの体制では、僕の考えた書斎改革にとって欠けているものがあったということだ。

それは何か? 

これだ:

高校時代からずっとゼットライトを使っていた。机の縁にひっかけて、アームを曲げたり伸ばしたりできるあのライトだ。

僕が使っていたのはシェードの丸いやつだった。

ところがある時、今より広い家に住み、大きな机を使っていたころ、卓上に置く大きなライトに換えた。机の配置から、その方が都合がよかったからだ。ライトもだいぶ歳取ってくたびれていたことだし。

その後、生活を縮小し、机も小さくなった時に、そのライトが大きすぎて、小さなLEDライトを買った。昨日の写真に写っていたやつだ。

決して悪くはない。が、やはり照らし出す範囲が狭すぎる。

で、もうだいぶ前からゼットライトが恋しくなっていたのだった。ゼットライトなら、右端で作業していてもアームを伸ばして照らし出すことができる。PCに対して逆光にならないように光の向きを変えることもできる。

昇降式の机とともにゼットライトに換えるぞ、と思っていたのだった。が、昨日、机が届いたのが夕方だったので、もうゼットライトを買いに走るには遅かった。仕方がないので、今日、生協で買ってきたのだ。ゼットライト。LEDのやつ。シェードは横長のやつ。

机の上が見違えるように明るくなった。これまで使っていた机より、奥行きが少し深くなったので、恩恵はますます顕著だ。


さ、仕事仕事……

2017年2月1日水曜日

夢が叶った? 

自らを不遇だと思っている人間は環境を嘆き、自身の不遇をそのせいにする。こんな国に生まれなければ、こんな職場でなければ、こんな学校にいるから、こんな家では……等々。

仕事上のツールも環境の一部だ。こんなトロいPCでなければ、この楽器では、この鞄がつらい、鉛筆が手に合わない……等々。

裏を返せば、こだわりとは、こうした不平を言わないための予防線だ。住みやすい家、働きやすい仕事場、理想の書斎、手に馴染む万年筆……等々。

僕は、自分では環境適応能力が高い方だと思うので、あまり環境に対するこだわりはない。どこでもいつでもやりたいことをやるだけ、という姿勢。

が、仮にも住むため部屋を持っている(先日、ある女性に「すてきな部屋ですね」と感心され、有頂天になっている)。そこには仕事をするための机がある。机に座って仕事をしていると、体が疲れてくる。

……

ヘミングウェイは立って執筆していた。ゲーテも立って執筆していた。

ヘミングウェイもゲーテも、それほど好きではない。

サイードも立って読む姿がある写真から確認できる。

立って執筆したいのだ。いや、僕は怠け者だから立ってばかりだと疲れて、やがていやになる。そんな時には座って仕事をする。立ったり座ったりとどの姿勢でも仕事ができる環境が欲しいのだ。


その後、折りたたみ式の小さなテーブル(卓袱台と言いたい)を必要とあらば机に載せて立って書き、それを取り払って座って書き、していた。しかし、まあ、それも面倒だ。

でも、ともかく、立ったり座ったりしながら書ける机が欲しいというのが、僕のここ数年のオブセッションだったのだ。教え子の中にはオフィスの机がそうであることを自慢している者もいて、うらやましさに身を捩る思いだったのだ。

で、ふと気づいてみれば、国産メーカーでも昇降式のデスクを作っているところはあったのだった。僕が数年前に夢見始めたころにはなかったと思ったのだが、今では、アマゾンでだって買える。

そんなわけで、買ってしまったのだ。昇降式の机。えへへ。月賦だけどね。

わかるかな? 椅子の高さと比較してくれればどれくらいの高さかわかると思う。

さあ、これで、体の凝りも解消して、バリバリ仕事をするぜ! たまった仕事も、すぐに片付くぜ! 

……だといいな。


今まで使っていた机は、こうして、本棚の前に置き、当面の仕事に使う資料などを置くスペースとなる予定。

追記: こんなふうに並べた方がわかりやすいかも。


2017年1月14日土曜日

教えることは誘惑すること

町山智浩『映画と本の意外な関係!』(インターナショナル新書、2017)は、「意外な関係」などと俗情と結託したタイトルをつけているけれども、「意外」でもなんでもなく、どんどん論じ欲しい論題。映画で引用される書物、あるいは映像に映り込み、登場人物が読んでいる書物からそれぞれの映画を語るというもの。フェデリコ・ガルシア=ロルカやランボーの詩から『気狂いピエロ』を語るようなものだ。町山は取り上げていないけれども。このコンセプトで、実際、町山の取り上げなかったフランス映画やイタリア映画、ロシア映画、スペイン映画など、シリーズ化して欲しいくらいだ。

このコンセプトで論じたくて仕方のない映画を、ついでに、見てきた。


これがフィクションだとわかってしまえば、詩と詩神ミューズ、恋愛を講じるバルセローナ大学のイタリア人文献学教師ラフェル・ピントが、教え子と次々関係を持って妻にばれる、という話で、たまたま会場で会った教え子(男)など、出しなに「先生はあんなことしちゃいけませんよ」などと言ってきたわけだが、そんな不倫のストーリーがゲリンの手にかかると実に緊張感を孕んだ実験映画になるのだからすごい。

最初のシークエンスはピントの授業。ダンテ『神曲』地獄編第五歌のフランチェスカとパオロのエピソードを取り上げ、『アベラールとエロイーズ』にも話を広げたりしながら、恋愛とミューズを熱く語っている。次のシークエンスでは受講生のうちのふたりが、授業でのテーマを取り上げ、自分の恋愛に絡めながら議論している。そしてピントと妻らしい人物が自宅のリヴィング兼書斎で、議論している姿が窓の外からのカメラに収められる。『シルビアのいる街で』で素晴らしい効果を発揮した、外の映像の映り込むガラス窓と、それに遮られる室内の映像だ。妻は、恋愛なんて作り物だから、あなたの言うミューズによる女性のエンパワーメントなど無意味だというような反論をしている。

さらには次のシークエンスではピント教授は、妻の意見に感化されたかのように、恋愛は文学作ったものだというドニ・ド・ルージュモンのような話をして、学生たちから意見をもらっている。

……この辺で気づくべきだったのかもしれない。これはこれら恋愛と文学との関係をめぐる文学を下敷きにしたフィクションなのだと。ところが、ここまでの雰囲気から、観客はこれがピント教授の授業を題材にしたドキュメンタリーではないかと思ってしまう。だから受講生のひとりローザとサルデーニャ島に取材旅行を装った不倫旅行に行くシークエンスでも、最初はすっかり研修旅行か何かかと勘違いするのだ。

それにしてもこのサルデーニャ旅行のシークエンスは素晴らしい。牧童たちが自然と一体化し、その声を聴き、それを音楽に表現し、そしてまた身内の者たちを記憶するために詩作を実践していることが語られ、歌が歌われ、詩が詠まれる。象徴派の詩人たちの目指していた万物照応(コレスポンダンス)というやつの可能性がこうして今も生きているのだ。しかも知的な詩としてではなく、生活に根ざした民衆詩として。映画全体から独立してこのシーンを見るためだけに見てもいいくらいだ。

ストーリーに戻れば、そんな話をしてくれた牧童にすっかりうっとりしたローザは、どうやら彼と関係を持ったらしく、ピントから嫉妬されるのだが、性描写などは一切なく、キスシーンすら挟まずに、ただほのめかすだけで男女の関係を語るものだから、まだこれが作られた物語だとは気づかない。

……そんなふうにして観客は詩と自然、詩と愛とをめぐる大学教師の知的探求についてのドキュメンタリーかと思いながら、いつまでも騙されて見続けている。そしてこれがフィクションだとわかった瞬間に、何もかもがおかしくて仕方がなくなる。少なくとも僕は途中からくすくす笑っていた。終わってすぐにまた最初から見返して、笑いそびれた箇所を笑って借りを返したい気分になる。


ダンテらをバルセローナ大学で講じるピント教授の授業ゆえに、イタリア語、カタルーニャ語、スペイン語が入り混じる。ヨーロッパの多言語状況も見逃せないバックグラウンドだ。これだけ独立して見たいと言ったサルデーニャ島では、たぶん、トスカーナ語とは異なるサルデーニャ語も発されている。サルデーニャ語にはamoreという語はない、amoreは翻訳不可能なのだ、サルデーニャ人たちはイタリア人以上に愛するというのに、なんてな科白も実に印象的。

2017年1月7日土曜日

ついに牧人気分


タコス・アル・パストールのレシピだ。

タコス・アル・パストールは大好きだ。メキシコに行くたびにこれを食べないうちは帰れないという思いで街に出る。この動画ではわからないが、店頭ではケバブの店のようなロースターでこの肉を焼いていて、その場で削って出しくれるのだ。

おいしそうだろう?

ところが、東京のタコス屋ではこれを出す店がめったにない。ちょっと前に金沢に行った時にこれを出していただいて、そんなわけで、感激したものだ。

で、漠然と、そのうち作りたいな、という思いが募ってきた。友人が作って食べさせろと催促することだし。


同じアマゾンでアル・パストールの食材のうち、スーパーなどではめったにお目にかかれないベニノキAchioteも売っていることを知った。それからグワヒージョ唐辛子も。(ただし、レシピではパウダーになっているが、これは唐辛子そのもの)これらを注文してみた。トルティーヤのプレスはまだ踏ん切りがついていない。

食材が届いたら早速作りたくなるのが人情というもの。作ってみた。サルサ・ベルデのためのグリーン・トマトなどまで手に入れるのが面倒なので、普通のサルサでいいか、と思った。くやしくて仕方がないのだが、同じくアマゾンでタコス用の小ぶりなトルティーヤも注文した。これはまだ来ない。

さて、肉は準備できた。が、サルサに入れるハラペーニョがないことに気づいた! まあいいや、明日考えよう。


目が覚めた瞬間、閃いた。駅ビルには成城石井があるのだった。成城石井ならハラペーニョくらいあるだろう。

案の定、あった! 

そして、小麦粉のトルティーヤも。

どうしよう? 小麦粉だと雰囲気が出ないし、この大きなサイズも、タコス用じゃないしな……でもアマゾンに注文したトルティーヤはまだ来ない。

いいや、背に腹は代えられない。

で、ハラペーニョと小麦粉のトルティーヤを買ってきた。そして、完成。

う、……うまい!

自分で作ったというひいき目はあろうが、それにしてもうまい! 


市販のカゴメのサルサをかけてみたもの。これもうまい。