2017年6月17日土曜日

散歩で乱歩

立教大学にラテンアメリカ研究所というのがある。そこがラテンアメリカ講座という市民講座を開設している。その講座には文学の授業があって、今年、それを担当している。最初の3回くらい軽く講義のようなことをして、後は実際の本を読んでいる。

まずはジョシュ『バイクとユニコーン』見田悠子訳(東宣出版)の短篇を一篇ずつ読んできて、今日が最後の一篇だった。話すと長くなる理由から2番目に掲載されている「生ける海」が最後の1作。なかなか面白かった。

終わって向かい側の歩道(中高や五号館のあるところ)に渡って歩いていると、「乱歩邸公開中」とある。

熱心な読者でもないので致し方ないのだが、実は江戸川乱歩がこの近くに居を構えていたことは知らなかった。その住居が立教大学に譲渡され、大学の大衆文化研究センターの管轄下にある。通常の公開日でもないのだが、今日は特別に公開していたようだ。

見てきた。

応接間の隅にはライティングデスク。その前面にはブリタニカの百科事典が並べてあった。

土蔵は書庫。そういえば、以前、何かのTV番組でこの中にカメラが入ったのだった。みたことがある。整然とした書庫は羨ましい。

この蔵全体が書庫なのだ。

びわもなっている。

枯れているものの池であることは間違いない。


で、帰宅後、エドガー・アラン・ポーなど読んで過ごしている。来週の授業に関係する事柄だ。

2017年6月15日木曜日

Id est...

つまり(……昨日の続き。『笑う故郷』のダニエル・マントバーニが1976年に故郷を出てバルセローナに渡ったらしいということは)、ダニエルは政治亡命者かもしれないということだ。故郷も石もて追われた身かもしれないということ。彼は自身の小説の題材としては一貫して故郷のことを選んでいる。映画内で紹介される作品のストーリーを見るに、田舎の閉塞性やそのように閉塞した社会で起きた凄惨な事件などを扱っているらしい。それは故郷にとっては不名誉な事件であり、それを暴くダニエルは不名誉な存在であるだろう。

その不名誉市民ダニエルが、今、ノーベル文学賞という、いかにもわかりやすい、大衆的な名誉へと変換した。故郷の町サラスは、実はダニエルが自分たちにとって不名誉であり得るということを知ってか知らずか、彼に名誉市民の称号を与えたのだ。

逡巡の末にダニエルが帰郷を決意したのは、あるいは昔の恋人イレーネが忘れられないからかもしれない。ダニエルは独身だとされるが、彼は彼女を思い、結婚してこなかったのかもしれない。そう考えるのがドラマティックでありロマン的(小説的)でありロマンティックだ。彼女と別れねばならなかったということは、ダニエルの出国が不可抗力によるものであったことを示唆しているようだ。ダニエルが亡命者だとの解釈を強化する要素だ。

1976年の軍事独裁政権による人権弾圧(いわゆる「汚い戦争」)や、それに先んじるペロンらのポピュリズムによって国を出たアルゼンチン人頭脳は少なくない。エルネスト・ラクラウやワルテル・ミニョーロ、ミゲル・ベナサヤグらのように、他言語(英語やフランス語)で執筆する(した)知識人もいる。亡命者1・5世のラウラ・アルコーバもフランス語で書いている。彼らは国の体制には必ずしも都合の良くないことも書く。不名誉市民だ。と同時にアルゼンチンという国を世界に知らしめもする。名誉市民だ。ダニエルはそうした(不)名誉市民のひとりなのだ。

今日、9月15日、共謀罪法案が参議院で可決され、成立した。これからこの国でも人権弾圧が始まるだろう。そして頭脳が流出するだろう。

そういえばこの国は「グローバル人材」などという不思議な言葉を造り、若い連中を外に出て働かせたがっているのだった。簡単な話だ。人権弾圧すれば若い優秀な人材(頭脳)は外国に出て行く。彼らは日本にとっての不名誉を、その逃亡先で描き続けるだろう。日本にとっての不名誉市民となるだろう。そのことによって日本の知名度は高まる。日本に名誉をもたらす。不名誉という名誉を。実にこの政府は首尾一貫している。


『笑う故郷』は、おそらく、こうした背景のある映画として、40年後、50年後の日本を扱った映画として見られるべきなのかもしれない。

2017年6月14日水曜日

昨日の予告どおり見てきた


試写に呼んでいただいたのだ。去年の東京国際映画祭で『名誉市民』(これが原題の直訳)のタイトルで上映されたもの。

アルゼンチンで初のノーベル賞受賞作家ダニエル・マントバーニ(オスカル・マルティネス)はバルセローナに在住だが、もう40年ばかりも戻っていない故郷の町サラスから、特別講義と名誉市民の称号授与などのために5日ほど帰郷しないかとのオファーをもらう。最初は断ったけれども、思い直して受けることにした。

そして始まる歓迎の日々。

僕はノーベル文学賞はもらっていない。いや、賞と名のつくものをもらったことはない。もらうほどの業績はない。しかし、それでも文章を書いたり訳したり、講義したりして過ごしているし、結果、周囲には名誉と思われるもの(職)を得てもいる。そして僕はサラス以上の田舎の出身だ。そんな僕には、そんな僕でも、田舎の人たちとの齟齬は身につまされることばかりだ。

こちらの仕事のことなどまったく興味はなくとも、その大袈裟な肩書きのために集まって来る者、あまつさえこちらの意識とは遠く離れた問題についての話を持ちかけてくる者、 こちらの仕事とは無関係に幼馴染みであるために仲良くしてくる者、そしてたまにはこちらの仕事を理解し、読んでくれている者(僕の場合は、これはほとんどいない)や思い入れを込めて読んでくれている者(ますます僕にはいない)……

加えてかつての恋人(アンドレア・フリヘリオ演じるイレーネ)がいて、その彼女を妻とした友人(ダディ・ブリエバのアントニオ)がいて、その友人が、いかにもなマッチョで……などという、僕自身は身につまされないけれども、話の流れとしてはよくわかる要素もふんだん。

これを深刻な物語に作り上げれば、知識人の苦悩の話になる。彼らの多くは自らの出自との齟齬に苦しむものだからだ(おまえは歌うな/おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな……)。しかし、ダニエルのノーベル賞スピーチのシーンから始まってどこかユーモラスだから救われる。


ユーモラスではあっても、背景を考えると、考えさせられる。ダニエルが故郷に帰るのは40年ぶりだ。この映画は2016年の作品。2016年の40年前は1976年。軍事独裁が始まり、「汚い戦争」と呼ばれる人権弾圧の始まった年だ。

2017年6月13日火曜日

目の疲れは映画で癒す……? 

ここ一週間ばかり目がひどく疲れる。視力が落ちようとしているのだ。この場合の視力の低下とは、近視が進むのではなく、遠視がひどくなること。

こんなに目が疲れるのは、神経か精神が、あるいはその両方が参っているのだろう。過去、だいたいそうだった。

6月3日(土)4日(日)は日本ラテンアメリカ学会大会で、僕は4日午後のシンポジウム「キューバ再考」でディスカッサント役を務めた。なかなかの盛況であった……と思う。

そこである人に紹介され、その人と後日、会うことになったのだが、これが一種の神経戦で、それでだいぶ摩耗してしまったようだ。こういう人物への対処を僕はもっと考えなければならないようだ。

おかげで一週間ばかり無駄に過ごすことになる。

金曜日には東京外国語大学でのイベントでトマス・グティエレス・アレア『低開発の記憶』を見た。

昨日、12日の月曜日にはパブロ・ラライン『ネルーダ』を再び見た。今度は字幕つきで。

たぶん、明日も映画の試写に行く。


目は恐ろしく疲れている。映画を見てもPCのモニタを見ても、本を読んでも、空を眺めても目は疲れるばかりだ。

2017年6月1日木曜日

自分ひとりの部屋

何日か前に平凡社のツイッターがヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社ライブラリー)の増刷を伝えていた。

ある授業でこの一部をコピーして読んでくるように言ったら、結構な割合の学生が1冊まるごと持ってきていた。持ってきていたのは、割合ではかなりだとはいっても、数にすれば5人くらいではあるのだが、わずかとはいえ増刷に貢献した気分。

『自分ひとりの部屋』は年収五百ポンドと鍵のかかる部屋、という条件や、もしシェイクスピアに妹がいたらという話とで語られるフェミニスト的テクストだし、英文学からいかに女性が排除されてきたかというその批評の舌鋒も鋭い。けれども、自らの「自分ひとりの部屋」を想定してそこにある本を順番に取り出しながら批評を展開するというその構成もなかなか面白いのだ。書斎を自らの脳の延長という意味でのメディアにしている。有機的な「自分ひとりの部屋」なのだ。

これがぼくの「自分ひとりの部屋」。あまり有機的メディアとは言えない。

これを僕はスペイン語風に「肘掛け椅子」butacaと呼ぶのだが、一般的にはワンシーターのソファと呼ばれているらしい。立って書き仕事する合間にここに座って本を読むとなかなか読書が進む。

この週末に日本ラテンアメリカ学会の大会が東大の駒場キャンパスであり、その実行委員でもある僕は最終日6月4日(日)の締めのシンポジウム「キューバ再考」のディスカッサントとして参加することになっている。そのシンポジウムのパネルの著書や論文などを近頃は読んでいた。

たとえば:

田沼幸子『革命キューバの民族誌――非常な日常を生きる人々』(人文書院、2014)

冷戦終結・ソ連崩壊後の経済危機の時代(「平和時の非常期間」)のキューバの人々をダブルバインドと理解し、その状況を打開するかのようなアイロニーを「ポスト・ユートピアのアイロニー」と呼ぶ。外に出ていく移民たちは太田心平のいわゆる「絶望移民」と捉え、実は「新しい人間」だった彼らのセンティメントを、自らの映画『キューバ・センチメンタル』では撮りたかったのだと説明する。

学会では彼女のこの映画を始めとして何本かの映画も上映される。楽しみ。

ところで、ダブルバインドって、近年の日本の体制順応派もそうだな、などと思う。「日本を悪く言ってはならない」/「○○は日本の国益を損ねているという(まともな)批判に耳を貸してはならない」(○○に入るのは、何でもいい。変数だ。ABでもUSAでも……)という相矛盾する否定命令の間に追い詰められ、そこから抜け出してはならないとされる。


ダブルバインドという用語を提示したグレゴリー・ベイトソンによれば、この状況はスキゾフレニーを引き起こす。

2017年5月22日月曜日

何が「縮小経済を生きる」だ!

と、表題のようにツッコミを入れてみる(アイロニー)。

1985年以来、日記や備忘録、授業のノート、読書ノート等々、あらゆることを1冊のノートで済ませてきたのは、きっかけがあってのこと。ひとつはサルトルの戦中日記『奇妙な戦争』を読んだこと。あんなふうにノートを取ろう思ったのだ。2つ目がクリスマス・プレゼントにローラー(水性ボールペン)をもらったこと。

で、そのうち使うのは万年筆が主になり、ノートはモレスキンのものが主になった。が、モレスキンはローラーだと裏染みが多い。ふだんは万年筆なのだが、キャップを開けたまま放っておけるボールペンは読書メモなどには便利だからボールペンを使いたいところ。そんなわけで最近は油性ボールペンも使うようになった。

そして最近手に入れたボールペンが、これ。三菱のジェットストリームの芯を利用する、とある軸だけを作るメーカーの逸品。



しばらく前から、しかも、ノートはブルーブラック(万年筆)や青(ボールペン)のインクで書くことにしている。黒いインクに比べ、格段に読みやすいのだ。そして、気づいたことは、このジェットストリームの青が少し濃い目で、なかなかいい色だということ。

どうだ!

それから、これ。

コンヴァースのジャック・パーセル。

僕は学生の頃からこの靴を、一足履きつぶすと買い換えて、というようにして、ほぼ絶え間なく持っている。しばらく白のものを履いていたのだが、ソールに穴が開いているのを発見したので、今回、久しぶりにネイヴィーのものを買ってみた。

以前、NHKのラジオ番組「英語で読む村上春樹」で、ある短篇内で語り手がテニス・シューズを履いた、という描写を捉え、当時解説を務めていた小澤英実さんが、このジャック・パーセルなど、テニス・シューズの流行りのことを書いていた。で、その番組にゲストとして呼ばれた時に、それを履いていこうかと思っていたのだが、当日、失念してしまった。

……まあ、どうでもいい話。


ともかく、これからこれを履いて出かけるのであった。

2017年5月21日日曜日

「勉強とは、自己破壊である」とギャル男風哲学者は言った

こんな催し(リンク)をやるから現代文芸論の学生にも告知してくれと頼まれ、快諾し、ついでに、僕も読んで、行けるようだったら行く、と言った手前、読んだのだった。

千葉雅也『勉強の哲学――来たるべきバカのために』(文藝春秋、2017)

一応、大学生向けに本当に勉強の仕方を説く体裁ではあるものの、巻末の「補論」にドゥルーズ/ガタリの「器官なき身体」論やマゾッホ論などの、いかにもドゥルージアン的前提を披露して手の内を明かしている。これは、逆に言うと、ワンステップ上の上級者学生に向けての示唆ということだろうか。

けれども、この本の最大のインパクトは「勉強とは、自己破壊である」という冒頭のテーゼによって言語を媒介として自己を、環境を解放する知的マゾヒストの快感を伝えているところだろうか。さらにはアイロニーとユーモアをツッコミとボケという、すっかり一般化したお笑い芸用語でたとえ、アイロニーからユーモアへの折り返しを推奨する。それを中断、有限化によってしめる論法はオーソドックスなようでいて、他のいくつかのテーゼがいちいち刺激的に響くのだから面白い。「難しい本を読むのが難しいのは、無理に納得しようと思って読むからである」とか、「アイデアを出すために書く。アイデアができてから書くのではない」とか。

ノートのとり方や本の読み方、「ある概念や考え方が「誰のどの文献によれば」なのかを意識し、すぐ言えるように心がけてください」などのプラクティカルな指南を含むのだが、なんだか画期的に見えるから不思議だ。

一緒に買ったのは、

松崎久純『大学生のための速読法――読むことのつらさから解放される』(慶應義塾大学出版会、2017)

こうしたものを買ってみるのも、ひとえに学生にむけて論文や本の読み方、書き方などをどう伝えればいいか、との思いからだ。

「プレビュー」「オーバービュー」「スキミング1」「同2」「スピードリーディング」「レビュー」の6段階で本の内容を把握する仕方を説く本ではあるが、こうした「速読」の指南書がことごとく速読できちゃうのはなぜだろう? 答えは、この本の中に書いてある。いや、すべての読書指南書の中に書いてある。それはまた勉強法の本にも書いてある。問題はそれを「スキミング1、2」と呼ぶか、「スキャニングとスキミング」と呼ぶか、「α読みとβ読み」と呼ぶかの違いだ(少しずつずれているけど)。


僕としては、読書の(学術的)指南書は

アドラー&ドーレン『本を読む本』外山滋比古、槇未知子訳(講談社学術文庫、1997)

にとどめを刺すかな、と思うのだが。どうだろう? 

2017年5月19日金曜日

すてきなひと言:「来ました」

いとうせいこう『どんぶらこ』(河出書房新社、2017)

これの書評をあるところに書いた。原稿は今し方送付したばかりなので、まだ読めない。

書評というのは常にそうしたものだが、分量が短い、この小説についてはもっと言いたいぞと思うことしばしばであった。

肝心の書評が活字になるのはまだ先の話なので、あまり本質的なことは書けない。重複のないように、でも言えなかったことを言うにはどうすればいいか? 

僕はメモ(カード)を取っていたのだった。で、ともかく、まったく書評に使わなかったカードの中から、いくつか面白いものをあげておこう。引用とその説明だけだ。ここから作品の面白さを想像していただきたい。

1) 書誌情報
いとうせいこう 2017:『どんぶらこ』(河出書房新社) 研究室蔵
「どんぶらこ」7-90  初出:『文藝』2016年春号
「蛾」91-158     初出:『三田文学』2014年春季号
「犬小屋」159-234   初出:『三田文学』2014年夏季号
 掲載順に注意。冒頭の「どんぶらこ」が最後に書かれている。


2) 自殺を看取る
 這って移動してきた母は、救急車を呼べと私のすねを叩いたが、私は(自殺した父が:引用者注)しっかり死んでからだと思った。もし中途半端に生き延びてしまったら、私たち全員の明日がないのだった。三人とも生活保護を受けることは確実で、それは近所の手前、絶対あってはならないことだった。なんとかそこを食い止めるためにこそ、私はアルバイトに追われていた。父もそのために縄をなったはずだった。(72


3) 不老不死
「Sちゃん」の父。「自分が不老不死かと思うぞやい。不老不死ちゅっても衰えちまって動けねえで点滴の針を腕に入れられてベッドへ横になって、トイレへ生きたくても動くと怒られて磔にあったようでどうしようもねえだよ。(86
 (略)こんな不老不死なら要らねえさ、俺は要らねえだよ、Sちゃん、人間は簡単に絶滅出来ねえだぞ、苦しみの時間は長(ルビ:なげ)えで、お前一代の言葉なんかじゃ届かねえほどあるで、ほいで、そのうちお前も必ずこうなるだでな、(略 86)これはお前だで。(87
 この逆説! 

4) 魂の永続
 作業場での会話の前日。お盆でその地方の習慣に従い、藁束を燃やしながらゲント伯父が言ったこと。
「(略)将来Sちゃに息子でも娘でも出来りゃあ、ここへ帰(ルビ:けえ)って来てもれえてえだが。あめさんの孫にもひ孫にも、生まれてこねえ子供にだって帰って来てもらいてえと俺は思う」
「生まれてこなくても?」
「そりゃそうせ。血はつながってるだで。伯父さんの焚いた火を見て、うちへもう来てるかもしれねえぞやい。Sちゃのずっとあとのホトケサマが、ぞろぞろと」(152 太字下線は原文の傍点)

5) 来ました
 トランスジェンダーの美術家サナさんが「私」とともに「私」の母方の伯母の戦死した夫の名が刻まれた戦没者の碑の前で言ったすてきなひと言。
そして事情を知りもしないのに、来ましたよと言った。空の上にカモメのような白い鳥が飛んでいた。私はサナさんを真似て座り込み、両肘をアスファルトにつけて胸の前で十字を切った。来ましたよ、と私も心の中で言った。だからなんだ、今頃になってと遠くから責められれば答えようはなかった。目を閉じた。鳥が悲鳴のような声をあげる中、風がゆるやかに吹いていた。(136


どうだい? 面白そうだろう?

読もうよ。

2017年5月18日木曜日

ガエルが国境の砂漠に迷うのは二度目だ


米僕国境で不法入国したグループが、合衆国人で、そうした入国者を殺すことに喜びを感じて銃殺しまくるサム(ジェフリー・ディーン・モーガン)の魔手からひたすら逃げる話。こうしたサヴァイヴァルもののお決まりのパターンを踏襲し、遅れを取った者が助かり、助かった者の中からひとり、またひとりと脱落していくという内容なのだが、ソノラ砂漠だかチワワ砂漠だかのヒリヒリとする環境の中でチェイスが繰り広げられると、否応なしに手に汗を握ることになる。

最後の対決の処理は、僕は好きだ。


このエントリーのタイトルの意味は、ゴンサレス=イニャリトゥの『バベル』のこと。『ネルーダ』では雪原に消えたのだったが。

2017年5月9日火曜日

おふざけはどこまで許されるか? 

まあともかく、こんなふうに(リンク)『方法異説』の翻訳の悪さに腹を立てているわけだが、今回は、そうではなくて(相変わらず手抜きは感じられるものの、僕だって何かを悪し様にばかり言うのはつらい)、純粋におかしいと思った箇所。「おかしい」というのは、「怪しい」の意味ではなく、「可笑しい」、つまり笑ってしまった例だ。

竜巻による突風――地元民の言う「ヒラヒラ」――(56)

という表現があった。僕の語感では「ヒラヒラ」は突風を表現するにしてはのどかだ。いったい、何の訳語だろう? 確かめた。

la ventolera de tromba --la "gira-gira" como decían los lugareños-- 

「ヒラヒラ」に相当するのは "gira-gira" だ。giraは動詞girarの現在形・三人称単数の活用。もしくは二人称に対する命令形。girarは「曲がる」とか「回る」の意味なので、きっと竜巻trombaを表す俗語だろう。僕なら「ぐるんぐるん」とか「回れ回れ」とでも訳すだろうか? 

しかして、この "gira-gira" 、スペイン語に即して音表記するなら、「ヒラヒラ」だ。つまり、音が同一だといっておふざけで「ヒラヒラ」としているのだ。

これに賛同する気はさらさらないが、かといって批判したり否定したりする気もない。ただ笑っただけだ。そして考えさせられた。

僕はかつてこの種の悪ふざけを試みたことがある。

スペイン語の敬称にDonというのがある。「ドン」。男性の個人名につける敬称だ。ドン・フアンやらドン・キホーテの「ドン」。

ドン・フアンやドン・キホーテはもうほとんど「ドン」とセットで認識されているので、いまさら変えるつもりはないが、僕はできるだけこの「ドン」を「ドン」と表記したくない。たとえば、Don Joaquín を「ドン・ホアキン」と書きたくない。大抵は「ホアキンさん」などと書く。

一度、ある小説を訳しているとき、ちょっとふざけた文章で出てきたDon Joaquínを「ホアキンどん」と訳してみた。「どん」だ。西郷どん(「せごどん」と読め)の「どん」。「どの」が撥音便化した「どん」。

編集者には即座に却下された。

僕としてもどれくらいの悪ふざけが通用するか試したかったという程度で、固執する気もなかったので、「へい。わかりやした。「ホアキンさん」で行きます」となったわけだが。

たとえば、メキシコにhuaracheというものがある。先住民由来のサンダルだ。他の国にはない単語だ。読みは「ワラッチェ」「ワラーチェ」「ワラチェ」等々。きっと僕はこれが出てきたら「わらじ」と訳してしまうと思う(そして編集者との攻防が……?)。

幸い、僕はまだhuaracheの出てくる本を訳したことはない。


さて、僕は問いかけたいのだ。音が同一で、意味は少しずれるかもしれない語を、音に合わせてさも日本語の単語のように表記することは、どこまで許されるのだろうか? 

(追記:書き終えてずっと経ってから思いついたこと。あ、そうか、「ヒラヒラ」って日本語のオノマトペでなく、"gira-gira" の音だけを転記した、外来語(?)としての表記だったのだろうか? だとしたら、以上の話はまったくの無駄になる。そして、もしそうだとしたら、この部分の訳は、やはり良くないと僕は言いたい。でもなあ、僕はともかく、これを読んだ時、「ヒラヒラ」は日本語だと思ったのだよ……)