2016年3月8日火曜日

あ、そうだ、サインもらうの忘れた!

昨日7日(月)には、今度はホルヘ・ボルピがセルバンテス文化センターで講演するというので、行ってきた。

セルバンテス文化センターは読書会Club de lectura を定期的に開いていて、ボルピが来るというので、彼の作品を読んだらしい。その参加者向けに特別回で講演前の30分ほど、著者に直接質問のコーナーがあった。僕は読書会には参加していないのだけど、なぜか最初からその時点からの参加者ということになっていた。

4月からの学期で『クリングゾールをさがして』を読む予定なので、何か参加者たちへのコメントをとお願いしたら、色々と話してくれた。本当は科学者になりたかったし、もっと最近の科学に関する小説にするつもりだったんだ、とか、メキシコのことは一切書いてないけれども、常にメキシコを意識していたんだ、などと。

ガルシア=マルケスに関しても、一般的にはガルシア=マルケス嫌いだと思われがちだが、そうではなくて、ラテンアメリカ文学というとガルシア=マルケスに、あるいは彼の『百年の孤独』に集約するかのような思い込みに抗しているのだ、との言葉も納得。

第二部は『クリングゾールをさがして』を最初から高く評価している中森明夫が、この小説の優れた点を述べ、補足するように安藤哲行が『狂気の終焉』(安藤さんは「終わり」と言ったかも)や『地球にはあらず』(安藤さんは「ではない」と言ったかも)などの話もしながらボルピの構想力を讃えた。


過去二度、直前で来日がキャンセルされたので危惧していたのだが、今回は叶ってよかった。当初僕が抱いていた偏見に反し、気さくな人だった。

2016年3月7日月曜日

御礼

昨日はTwitter文学賞の結果発表の日だった。

ツイッターのユーザーのツイッターを通じての投票による賞だ。ツイッターのアカウントを持っていれば誰でも投票できるが、ただし、ひとり1票だけ。国内部門と海外部門がある。

これが始まったのが2010年で、2011年3月に最初の発表があった。2010年には僕は松本健二との共訳でボラーニョ『野生の探偵たち』を出している。これが第5位に入ったのは嬉しいことだった。

翌年はカルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』が、そしてさらに翌々年にはセサル・アイラ『わたしの物語』が、それぞれ海外部門トップ10に入った。嬉しいことだ。

その後、2年間、僕には文学作品の翻訳の単行本がなかった。久しぶりに2015年には2冊出した。エドゥアルド・メンドサ『グルブ消息不明』セサル・アイラ『文学会議』。この2冊が今回、いずれも、またトップ10に入った。『グルブ消息不明』が9位に。そして『文学会議』が5位に。


素晴らしい。得票数にしてみればわずかなものだし(それぞれ12と19)、読者に占めるツイッターのユーザーがどれほどのものかも不明なので、これをして世界全体の反映とみることはすまいが、それでも、イシグロを、ウエルベックを抑えてアイラが5位に入るなど、画期的なことだと思う(僕自身はウエルベック『服従』に投票したのだった)。苦労が報われた思いだ。

2016年3月6日日曜日

休憩時間にトイレに立つとホワイエでボルピが立ち話していた

東京国際文芸フェスティヴァルのプログラムで、今回、唯一スペイン語圏で固めたと言っていいイベントに行ってきた。


マヨルガはパトリス・ルコントの『危険なプロット』の原作『最後列の男の子』を書いた劇作家。その彼が聖女テレサと異端審問官の対話の形式で作った短い劇『粉々に砕け散った言葉』La lengua en pedazos を本谷有希子と谷原章介の2人が演じる朗読劇。最初に市川真人による本谷への芥川賞受賞インタビューがあり、それから、朗読劇、そして母親の手術で急遽来られなくなったマヨルガと俳優陣とのスカイプによるトークセッション。

異端が取り沙汰されたこともあるテレサ・デ・アビラ(聖女テレサ・デ・ヘスス)と異端審問官のやりとりであるので、カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』のように、誰が言葉を牛耳、司るのか、という駆け引きが展開される内容なので、確かに、朗読劇という形式はいいのかもしれない。田尻陽一の訳によるその難しい言葉のやり取りを、谷原章介の美しく朗々たる声と、本谷有希子のクライマックスの法悦の叫びが伝えていた。僕は実は谷原章介という人はTVで何度か見たことがあるという程度の認識しかなかったのだが、実によく通る声で、感服した次第。

ただ惜しむらくは、本谷も谷原も、そして通訳の人までが、実在の人物としてのテレサのことを知らないという体裁でトークを進めたこと。ベルニーニの「聖テレジアの法悦」やら『完徳の道』など日本語で読むことの可能なテレサ自身の著作などは、役作りの段階で読み、触れていてもおかしくはないのだが。

第二部『選ばれし少女たち』Las elegidas は、ある家族の者が恋人として内部に引き入れた少女を売春させているという内容の映画。Jorge Volpi, Las elegidas (2015)の映画化作品……と思って望んだのだが、もう少し複雑らしい。ボルピがトラスカラのテナンシンゴの家族が、20世紀、娘たちを売春させていた、そしてその手法を全国に拡大して、ある家族が娘たちを誘拐し売春させる商売をやっていたという事実を知り、映画にすべきだと思い、シナリオを書いたのが最初らしい。そしてパブロスと準備を進めていたが、パブロスはボルピのオリジナルの脚本から離れて自分のものを執筆、映画化。他方、ボルピはこれを米墨をまたぐプロジェクトとして『四つのコリード』というオペラにもし、加えて、映画ともオペラとも弁別する形で韻文による小説『選ばれし少女たち』を発表したということのようだ。

韻文による小説は、こうした売春の起源をトラスカラのインディオの伝説に求め、だいぶアレゴリカルな雰囲気だし、映画は、セックスをあえてあからさまに描かず、少女の驚いたような表情と音、あえぎ声などのみで表現し、生々しさをやわらげていた。この映画の処理はボルピも気に入ったようで、トークではそう言っていた。

過去二度、来日の予定をキャンセルしていたボルピ。三度目の正直というやつで、来日。パブロスとともにそうした製作過程を語った。

2016年3月2日水曜日

長編小説を読む

編小説を読むにはノルマ化するのがいい。

僕はこの500ページばかりの小説を5日くらいで読まなければならないのだが、そうした場合、1日に100ページくらい読むことを決めるのだ。幸い、この小説は100ページ前後のところで章が切れる場所がある。良い具合に五等分ができた。

区切りごとに付箋やインデックスを貼り、ともかく、1日のうちに次の付箋まで到着するように、読む。

これは二日目のノルマが終え、二枚目の付箋を剥がしたところ。今、200ページちょっとのところに到達した。明日はまた、ひとつ付箋が剥がれる。


これが誰の何という小説かは、今は内緒。要するに書評を書かなければならないのだな。