2009年7月27日月曜日

33

25日はオープン・キャンパスで、盛況であった。その後、杉浦勉さんの一周忌兼出版記念パーティ。2次会、3次会とハシゴして帰り着いたのは3時であった。

(翌日、杉浦さんのカルペンティエールの翻訳の担当だった編集者、津田新吾さんの訃報を受け取った。ぼくは一度しかお会いしたことがなかったが、『春の祭典』を訳していると言うと、余勢を駆ってホセ・レサマ=リマ『パラディソ』も行きませんか、と誘いをかけてくださった。結局、その仕事はしていないが。死ぬ年齢じゃない人物の訃報に触れるのは、常につらいものだ)

日曜日は元教え子たちと食事。昼食のつもりが夕食まで。

今日はこれから講演会。

表題、「33」の意味はこういうこと。「ああ忙しい」とかなんとか打とうとして、半角アルファベット出力になっていることに気づかず、「33」を打った。カナ入力だと変換せずにひらがなのままにするために楽なしかたはすぐにenterキーを押すこと。だから押した。そしたら表示されてしまった。誤入力(出力)に気づいてタイトルを書き換えようとも思ったけど、意味不明な「33」が掲げてあるのも悪くはないのではないかと思い直し、そのままにした。説明してりゃ世話ないのだが。

2009年7月24日金曜日

その続き

杉浦さんに関連して、こんな引用記事があります。

ちょっとPCの不具合で、もらったメールをいくつか紛失している。大切な用でメールしたのにぼくから返事をもらってない方、もういちどメールください。

明日はオープン・キャンパス。専攻語別説明会に立ち会います。

2009年7月23日木曜日

出来!


ぼくが校閲に協力した、亡き同僚杉浦勉さんの本ができてきました。

杉浦勉『霊と女たち』(インスクリプト、2009)

ほぼ3年周期で本を出してきた杉浦さん(そのことをかつて『水声通信』に書いた)のジンクスを守るかのように、『ブニュエル著作集』から3年目の今年、出版。杉浦さん初の単著だ。

2009年7月21日火曜日

重い

法政の最終日。最終日なので無理せず、むしろ早めに終わったのだが、さすがに疲れが出たのか? 家に帰ると体がグンと重くなり、椅子に縛りつけられたようになる。

まだ終わりではない。明日もある。金曜日まである。土曜日はさらにオープンキャンパスだ。

2009年7月20日月曜日

3作目

岩波文庫にボルヘスが入るのはこれで3冊目だ。

ボルヘス『続審問』中村健二訳(岩波文庫、2009)

それから、なんと!

サルトル『自由への道 1』海老坂武、澤田直訳(岩波文庫、2009)

6分冊になるのだそうで、つまりは『ドン・キホーテ』なみの長さじゃないか。これは新訳だ。サルトルがこうして岩波文庫に入るなんて……

フローベール『ホヴァリー夫人』山田𣝣訳(河出文庫、2009)

は、かつての中公の世界文学全集の一冊を文庫化したものらしい。自社のでなく、中公の。

もうすぐ日食が見られるのだという。実家の近辺は大わらわだと。日本で見られるのはぼくが生まれた年以来だとのこと。

ぼくは1991年、メキシコ在住時に皆既日食に立ち会っている。大学のキャンパスにいたら誰かがやってきて、日食を見るための眼鏡を買わないかと言ってきたので、それで見た。太陽が隠れた瞬間、そこらへんの人間たちが遠吠えをしているように思われた。自動車は一斉にクラクションを鳴らした。3分ばかりも暗くなっていると、少し寒くなった。

2009年7月17日金曜日

終わった!

地域基礎が今日、終わった。やれやれ。

ただし、膨大な量のレポート採点が待っているが。

いつからか知らないが、1年生たちはそれを「チキソ」と呼んでいる。なんだか悪態をつかれているみたいだ。チキソ。

2009年7月15日水曜日

今月は水色

届きました。『NHKラジオ まいにちスペイン語』2009年8月号。

今月の「愉悦の小説案内」はカルメン・マルティン・ガイテ『マンハッタンの赤ずきんちゃん』。最初「です・ます」調で書いたら違和感があると言われたので、書き直した。

つい最近、その2ヶ月先の原稿を出したばかり。そんな風に時間は進んでいく。

2009年7月14日火曜日

もう20年以上前のこと

法政の演習の授業ではスティーヴン・フリアーズ『マイ・ビューティフル・ランドレット』(イギリス、1985)を見た。

この映画あたりからなのだ、原題(?)のカタカナ表記が映画の邦題として使われて気持ち悪いな、と感じ始めたのは。少なくともぼくは。

サッチャー政権下の新自由主義経済政策下で仕事がなく暴徒化し、移民排斥に動く白人下層階級と移民、その愛憎とホモセクシュアルな関係、そういったものを扱っていまだに有効な映画。ダニエル・デイ・ルイスに注目したのもこれが最初だった。

1985年。近頃何かと話題の村上春樹の小説の設定より1年後の映画。ぼくは大学生だった。

2009年7月12日日曜日

リベンジ!

今日こそは間違いなく都議選の日で、投票に行ってきた。

でもなあ……こんなわかりやすい二大政党戦なんて、いつからこんな状態になったのだろうな……。ぼくたちの向かう先はそこで良いのか? と思う。自民の没落とか民主の躍進なんてことは問題ではないのだよ。生活者ネットとか社民党とか共産党といった少数政党がますます生きづらくなることが問題なのだよ。あれかこれか。una de dos.

一方、ここ数日で買った本。

セイバイン・ベアリング=グールド『人狼伝説――変身と人食いの迷信について』ウェルズ恵子、清水千香子訳(人文書院、2009)
J. L. ボルヘス『創造者』鼓直訳(岩波文庫、2009)
ヴァレリー・ラルボー『恋人たち、幸せな恋人たち』石井啓子訳(ちくま文庫、2009)


あ、そうそう

ドストエフスキー『罪と罰 3』亀山郁夫(光文社古典新訳文庫、2009)

で、『罪と罰』が完結した。めでたい。

ぼくの訳はなかなか終わらないな……

2009年7月5日日曜日

間一髪

昨日のこと、ちょっとした所用で車で出かけた。帰路、アパートの駐車場までもう数メートルというところで信号が赤に変わった。直前の車が駐車場入り口をふさいでいる。ぎりぎりのところで待ちぼうけを食らったというわけだ。

そのこと自体は珍しいことではない。よくある話だ。目の前で入り口をふさいでいる車に枯葉マーク(というのか? まさかね。高齢者マーク)がついていたことも、まあよくある話。軽トラックで黄色ナンバーだから、何か自営業でも営んでいるのだろう。これもまたいつもの風景。

が、しかし、……信号待ちで停まっているはずの直前の車が少しずつこちらに向かってバックしてくるのだ。

わずかに傾斜がついているので、軽トラだし、ということはマニュアル・トランスミッションだろうから、ブレーキをちゃんと踏んでいなかったりハンドブレーキを上げていなかったりすると、後ずさることもあるだろう、そんな地形だ。この車もそうなのだろう。

ぼくはクラクションを鳴らした。軽く、2度ほど。

気づかない。軽トラはまだ後退を続けている。

少し強めに鳴らした。

……まだ気づかない。

「この☆※*★◎!」と叫びながら(なんと叫んだかは、まあ、秘密だ)力強く、長く鳴らし続けた。事故直後のように。

それでやっと気づいたらしく、慌てて前進し、さらに前にいる車との距離を縮めた。

ふう。助かった。すんでのところで、こちらに何の過失もないのにちんけな事故を起こすところだった。

今日の話、あ、投票日だっけ、都議選? と思って、確認もせずに投票用紙を手に家を飛び出した。

投票所になっている中学の少し手前で、犬ならぬ猫を散歩させていたらしい中年女性が驚いたような顔をしてぼくを見た。ぼくと投票用紙の封筒を見た。彼女はすれ違いざまじろじろと見つめて目を離さない。彼女の連れている太った猫のように胡乱な目だった。

  !

彼女とすれ違い、だいぶ経ってから気づいた。今日は投票日ではなく投票日1週間前なのだ。

やれやれ。子供のころから早とちりで困る。

2009年7月4日土曜日

満身創痍

怪我をしたのはぼくばかりでない。ぼくの愛するマックも何やら気分が悪そうだ。

しかたがないから夕食後は、カール・ドライヤー『裁かるるジャンヌ』(1928)などを見ていた。アントナン・アルトーが告解を聴いてやる時の姿勢が忘れられない。

2009年7月3日金曜日

あっという間に忘れてしまう

もう7月だなんて信じたくないものだから、7月に入ってもブログを更新せずじまい。

ちょっとした怪我をして、もう死んでやると言わんばかりの大騒ぎ。一段落仕事を終え、やっと山を乗り切ったというところか? まだまだ山はあるのか? 

マリオ・メンドーサやホルヘ・フランコの映画化作品のDVDをいただき、最近導入のHDD-DVDプレーヤーでも観れるので大喜び。

さて、ところで、今日、1年生の授業が終わった後、学生が質問に来た。教材に関しての質問。

探偵がいる。その探偵に相談に来たジャーナリストがいる。ジャーナリストはある友人から紹介されてその事務所にいる。その友人からジャーナリストに電話だと、探偵の秘書が告げに来る。その場面の意味がわからないのだそうだ。

幾度か質疑応答があって、それでもどうにも話がかみ合わない。

あはん。なるほど。電気がついた。

「君、ひょっとして、なぜ友人がジャーナリストに電話するのに取り次ぎが必要かと思ってない?」
「思ってます。本人の携帯にかければいいでしょ」
「つまり、秘書は携帯を持ってこの場に現れたと思っているわけね?」
「違うんですか?」
「君は固定電話というものを知ってるかな?」
「知ってますけど……」
「で、この話が携帯以前の話だということに気づいてないのかな?」
「?」
「友人は探偵事務所の固定電話にかけてきたのだよ。ジャーナリストがここにいることを知っていたから。で、秘書が取り次いだ。探偵の事務所で、それを内線で取った。この関係、わかる?」
「ああ、そういうことだったんですね!……」

そういえば村上春樹『1Q84』。1984年を扱っているから、時々携帯も(場合によっては留守電も)ないコミュニケーションが描かれていて、瞬時、戸惑うことがあった。

テクノロジーがもたらす生活の限界なんて、あっという間に忘れてしまう。