2010年12月31日金曜日

年の瀬に思う/思わない

先日、友人と話していて、これがとてもいいのだと話題に出ていた、Diccionario de americanismos (Asociación de Academias de la Lengua Española / Santillana)。話を聞いた翌日に注文して、もうやってきた。いつもながらのスペイン書房の迅速な対応には助かる。年の瀬だというのに。

残念なのは、今はこの辞書が活躍しそうな仕事でなく、なんでこんなことまで俺がやらねばならないのだ、という種類の仕事に追われてその有用性を充分に確認できない。我が身の不幸を嘆く。環境を呪う。

いろいろな人がブログやツイッターで今年をまとめようとしている。ぼくはそんなこと、できない。それどころではないし、そもそもそんな気はない。どうせ3ヶ月後にまた区切りがやってくるのだし(学年末)。

そういえば、先日観た『人生万歳!』は、いろいろあってくっついたり離れたりした幾組かのカップルが揃って新年を迎えるシーンで終わるのだったが、そこで主人公のラリー・デヴィッドが、「正月の何がめでたい? またひとつ年を取って死に近づくことか?」というようなセリフを吐いていた。

どこかの僧のようじゃないか、と思ったのだが、それが誰の言葉だったのかが思い出せなかった。「門松は墓場への一里塚」。どうせ、一休とか雪舟とか沢庵とか、その種の子供向け読み物の主人公になりそうな人物の言葉としてぼくは認識したに過ぎないはずだが(だからこそ、本当にそれはその人が言ったことなのか、怪しいものだが)、ともかく、この言葉、正月でひとつの年を迎える、いわゆる「数え年」のシステムだから成り立つ考え方だと思っていた。それが、同様の考え方がウディ・アレンの映画の主人公の口から出てきたのだから、驚いたという次第。

ぼくは、ともかく、3月が区切りだと思っているので、まだ年は取らない。

2010年12月30日木曜日

関わりたいにもかかわらず……

ツイッター上で紹介されてこんな記事を読んで、それはそれで面白いと思ったのだが、にもかかわらず、……引っかかってしまうんだな、なんというか、とても細かいことに。……にもかかわらず。

「にも関わらず」だ。引っかかってしまうのは。今、この誤字があまりにも氾濫している(先日、これが誤字であることを卒論の学生たちに指摘したら、心底驚いていた。感動すらしていた)。この連語は、今どきの活字メディアでは開いて(つまり、平仮名で、という意味)使用するのが主流だと思うのだが、あえて漢字で表すなら「にも拘わらず」だ。『広辞苑』でも『大辞林』でも『大辞泉』でも『日本国語大辞典』でも、この字か、せいぜい、それに加えて「にも係わらず」という漢字が載っているだけだ。「にも関わらず」なんて、ない。「関係する」からの転用だろう、「関わる」としては出てくる。それの打ち消しだから「関わらず」だと思ってこの字を使うのだろうが、ともかく、主な辞書には登録されていないのだ。だからぼくも「こんな誤字には関わらず読み飛ばす」という用法なら気にならないけど、「誤字であるにも関わらずよく使われる」なんて使用された日にゃ、肋骨の周りの神経がむずむずしてならない。教授会の資料などにこんな字が出てきたら、その場で赤ペンで訂正して、周囲の同僚たちに笑われたりする日々だ。

ま、ともかく、昨今の活字文化の主流は、こうした語は開くのだから、「にもかかわらず」としておけばいいのだよ。と、これだけ言っているにも関わらず……もとい! にも拘わらず……にもかかわらず、誤字は後を絶たないのだな。……おっと! 跡を絶たないのだな。

あ、ちなみにもうひとつ、おなじその記事の中で「ナイーブ」という語が出てくる。「アフターグッドは、理想に燃えるウィキリークス主催者側の姿勢を「ナイーブな人たち」と評した」と。引用元がnaiveという語を使っているのだから(I just think they're naive)、この「ナイーブ」(ぼくは「ナイーヴ」と書く)、「単純な」の意味だということはくれぐれもお忘れなく。「繊細な」の意味は英語にもその基になったフランス語にもない。そのことをわかって「単純な」の意味で使う人と、そうではなく、日本語で受け入れられているような「繊細な」の意味で使う人がいるから、ややこしてくしかたがない(にもかかわらず〔!〕、かく言うぼくも、「単純な」の意味で使用して話をややこしくすることがあるわけだが)。もういっそのこと、「ナイーヴ」なんて外来語は使わない方がわかりやすい、とナイーヴなぼくなどは思ってしまう。

2010年12月29日水曜日

詩的錯乱(delirio)とはこのことだ?

ちょうど暦の一回り、12年前、ぼくはギラン・バレー症候群の疑いがあると言われて入院した。そのとき、忘れないようにこのことの経緯を書きつけようと思って、病院のベッドでノートに書きつけた。その記録が、まるでシュルレアリストたちの自動筆記(オートマティスム)の詩のようだ。今では冷静に思い返すことができるので、書いておく。

不思議なことのみ多かりき。
1998年10/21(水)神田外語、授業中、いささかの疲れを感じる。前の週、発表準備のために、たいした風邪でもないのにサボったのがたたったのか? ーー帰途、電車の席に座って読書した(眠り込んだ)のはもっと直接に作用したろうか。ぼくは風邪をひいてしまった。
翌日、法政を休講し、医者へ。……医者に連れるからといって、必ずしも適材適所に切れるわけでもない。T家の機能、「伝統」の継承ーー支離滅裂になった。26(月)早稲田、27法政、28(水)神田外語を休講にし、29(木)法政へ出講。学生たちに惨々にいたわられる。風邪というよりはその後遺症という感じ。体はいうことをきかず、まっすぐ歩行できず、反動が追い越してゆく。ーー結局、1、2限ほとんど授業をせず、2限、法政側、ぼくとアメリカン・スタイル・ファミリー・ダブルス。を引き出そうなんざ、……あほうが、よほどCono Surについてのお化けは抜き述べね。術が法政はよほど←You Teach は目を覚めるほどこれだけすごい連中Only Only You Only You?  の中に隠していたことは、連鎖はどうなった……連陵寧夢辺中程レイバばかりだぼくは関連多料業のひっぱられるかという柳原孝敦

奇跡とは邂逅だ。ぼくは邂逅を求め街を歩く……偶然というのは1/nの出来事なのだから、n のうちにはいらなければならないのだ。ーーところが、よほど疲れたのか、ぼくの体は絶対必然の雲の中を漂うーー10/30に寝る。翌日はタクショクで学会だったが、K(注:これは実名)に行かないのか、案内しろと、電話でさいそくされる。しかし、異常なまでにつかれていたぼくは、電話を切り、無視……ーー目が覚めた。夕方の鈍い光が重いカーテンの向こうに認められる程度のわかりにくい瞬間 夢。ちくしょう。何時だよ、と呟いたかどうか知らないが、とにかく、そう呟きたくなるほどに、ぼくは直前の記憶と現在の時空の近接性を疑ってはいない。しかし郵便受けにたまった新聞の数は、ぼくに経過した日数を過ちなく告げていた。5枚……5部はあるかに見えたそれらの新聞を、最初から辿り直すでなく最終日付を確認するでなく、コンビニで買った弁当を食いながら、ただ、ばくぜんと数日を眺めるだけだった。この事実が、早稲田と神田外語の授業をすっぽかしたことを意味するという避けがたい認識と共に、新聞の最終の日付が11月4日(水)であることをぼくが確認するとほぼ同時に『ニュース・ステーション』のオープニングが日付を告げた。

11月11日(水)MRI検査をする。テクノロジーの最先端というのは、森の中のようだった。しかし、あんなペースであんな被験者を苦しめるのなら、まだテクノロジーもーー
脳や体の断面、断片をうつすこのMRIというのは、受ける立場から言えば、首を固定され、非常に狭いドームの中に入れられ、きつつきの音を人工音にしたような、工事中の電動ドリルの音でもあるような、そんな音がそのドーム中を走り回る。ぼくらがやるべきは、気が狂わないよう、なるべく頭を殺すこと。

そしてまた、なんと言っても、長い! 小一時間ばかりもそんなことをさせられちゃあ、本当に気が狂いそうだった。
淀川長治 死亡。

どうだろうか? がんばってまだかろうじて論理に踏みとどまっているだろうか? 最初の区切りの前に名前を書いたのは、書類の署名のつもりなのだろうか? そして今思い出したことは、ここに書かれていない10/25には当時の東京都立大であるワークショップに参加し、ひどく具合が悪かったので、自分の発表だけして帰り、10/30には人事関係で面接をひとつこなし、11/7(金)に法政の事務の人の勧めにしたがって診療所に行き、そこから病院に直行と相成り、即入院、その晩に11月11日という日付以前の部分を書いたということだ。この4年後、ぼくはパニック障害に陥る。つまり、このときからの12年間は、ぼくにとっては、失われた12年間なのだ。暦の一巡、ぼくは生きずして生きてきた。

2010年12月28日火曜日

さらに張り裂けそうな胸

昨日書いた「胸が張り裂けそう」なノートには、ぼくの先生の死の前後のことも書かれている。ぼくは自身体調を崩し、師の死を知り、それからもうひとつ個人的にとても悲しい出来事に遭遇し、三重の意味で苦しかった。しかもそのとき患った病気というのが、自分はこのまま死ぬかもしれない、死ぬのは怖い、こんな怖い思いをするくらいだったら死んだ方がましだ、いっそのこと死んでやる、という矛盾した思考法をぼくに強いるものだったので、余計に、本当に苦しかった。その後、ぼくは4年間、抗鬱剤を飲んでつらい日々を送った。

それからも4年が経ち、ぼくはどうにか通常の体調に戻った(といっても、いろいろと失ったけれども)。しかし恩師は亡くなったままだ。ぼくたちは年中行事として、今年も、遺影に線香をあげに行った。先輩や後輩、友人たちを伴って。

ぼくがその「胸が張り裂けそう」な年のノートを見返したのは単なる偶然で、この年にこれらのことが起こったということを忘れていたのだけど、でもともかく、そこにある種の奇遇を読み取り、今年はことさら感慨深かった。

生き残った者の義務として、ぼくらは亡くなった人たちの記憶を、こうして毎年新たにしている。ぼくたちが死んだ後、ぼくたちの次の世代の者たちが、ぼくたちのことをこうして記憶してくれるかはわからないけれども、そしてぼくはその点に関して、かなり悲観的な観測を持っているし、それはそれでいいのかとも思うけれども、少なくともこういった価値観を植え付けられた者として、線香をあげ、手を合わせる。

2010年12月27日月曜日

社会主義について考える?

昨日、ノートを一冊使い終わり、新しいノートを卸そうとしたら、未開封のモレスキン・スモールがあることに気づき、久しぶりに小さいノートを携帯してみようと思った次第。やはり小型を使っていた2002-2004年、パニック障害で苦しんでいたころのノートを読んで、自分自身を哀れんで胸が張り裂けそうになったことも関係しているのかも。(右が胸が張り裂けるノート、左は映画のパンフ)

さて、社会主義について考える、と言っても、要するに、観てきたということだ。

ジャン-リュック・ゴダール『ゴダール・ソシアリスム』(スイス=フランス、2010)
パンフレットも近年ではまれに見る充実の作品。さすがはフランス映画社配給。3部(3楽章)構成。第1部「こんな事ども」は豪華客船内の何組かのカップルや人々の情景。第2部「どこへ行く、ヨーロッパ」は田舎町の一家とTVクルーの情景。第3部「われら人類」は第1部に立ち返って話を一気にまとめる断片の数々。

つい最近、もうひとりのJ.L.G.ことホセ・ルイス・ゲリンが、サラウンド・システムのステレオを駆使して街の喧噪(つまり、ノイズ)を、嫌味にならないよう、端正に秩序立てて構築した世界にぼくは驚嘆したのだった。さて、今回、本家本元(というのはゲリンに失礼だが、少なくとも順番では)のJ.-L.G.、ジャン-リュック・ゴダールは、もう嫌味になることもいとわずノイズをノイズとして放置して、ぼくらに歴史を提供した。

タイトル・ロールからノイズは現れる。いかにもゴダールらしいおびただしい引用からなる本編のその引用の源泉を紹介する字幕の画面が2度切り替わるごとに現れるビープ音だ。これが耳障りで、3分ごとに痰を切っていた斜め後ろの老人のノイズが気にならなくなったほどだ。

豪華客船での船旅を扱った第1楽章では、海の青が鮮やかなデジタル映像を見せてくれているかと思ったら、突然、解像度が低すぎて輪郭さえおぼつかず、色もにじんだ映像が挿入される。あるいはかすれたり、コンピュータのCPUだかメモリだかの不足でフリーズしたような映像も出てくる。ノイズとは映像のそれでもあるということだ。

この第1部では、かろうじてスペイン内戦中、スペインからソ連に渡る最中の金が紛失した話を巡って、その鍵を握るらしい人物ゴールドベルクとその孫娘らしい人物らの会話がなされるのだが、突然の風の音や船内放送(サラウンド・システムを利用したノイズの氾濫)などによって話がかき消され、いったい何をしゃべっているのかわからなくなる。ノイズとはこうして意味を剥奪されたセリフの内容でもある。

こうした三重のノイズが、やがて意味をなしていくかのように思えるから、この映画は不思議だ。もちろん、ノイズとして立ち現れ、挿入される映像が『戦艦ポチョムキン』やら『オーソン・ウエルズのドン・キホーテ』(!)などからの引用であることは、あまりにもゴダール的でもある。どんなものが引用されているかは、公式サイトでも確認できる。引用ではないが、船の中の誰の部屋だったか、絵を描いている誰かの船室の机の上にはナギーブ・マフフーズの本が載っている。こういうところがゴダールだ。

ノイズの重なりが作り出す偶然のエピソードがふたつある。いずれもぼくの観ていた1回きりの出来事だ。終わり近く、船の甲板に吹きすさぶ風の音に混じり、映画館内のファンが壊れて立てる強い風の音が聞こえてきた。終わってから館内の人がお詫びを言っていたが、なに、これこそこの映画にぴったりの出来事だ。

本編前のCMで、成海璃子によるクラレのものが流れた。アルパカが出てくる、あのCMだ。例の痰を切ってばかりの老人が連れの人に、「なんだあれは? 何の広告だ?」と大声で訊いていて微笑ましかったのだが、映画の中でもアルパカが出てきた。さすがにその老人、映画中だけあって、そのことについて特にコメントはしていなかった。本当は欲しかったところ。「ああ、さっきのあれか」と。

2010年12月24日金曜日

小説とは情報だ。あるいはサツマイモで世界を考える

村上春樹や島田雅彦も言っているように、小説とは情報だ。プロットとは別個に、どれだけ考えさせられる情報が詰まっているかが問題だ。優れた小説はちょっと読んだだけでいろいろなことを考えさせられる。

原書には目を通していたし、映画化作品も見ている(順序は逆だが)、何より来年、授業で読もうと思っているので、今すぐに読む必要もなかったのだが、バルガス=リョサ『チボの狂宴』をパラパラとめくってみる。やっぱり面白いんだよな。いろいろと考えさせられる。

……緋色の花弁と黄金色(ルビ:こがねいろ)のめしべをつけたハイビスカス(ルビ:カイエナ)、別名“キリストの血(ルビ:サングレ・デ・クリスト)”の花を見つけるのは気分がよいものだ。(14ページ)

の一文を見つける。メキシコではハイビスカスはjamaica(ジャマイカ。ただしスペイン語風にハマイカと発音)だ。少なくともハイビスカス・ティーは té de jamaica (ジャマイカ茶)。ジャマイカの向こう、ドミニカ共和国ではカイェナ(つまり、カイエンヌ。もっと向こうだ)と言うのだろうか? と立ち止まる。

内地でサツマイモと呼ばれるものは、サツマ、つまり鹿児島ではカライモと呼ばれる。カラとは唐のこと、として「海南の道」の交易を辿った柳田国男が思い出されるところ。

サツマイモと言えば、メキシコではcamote、キューバではboniato、スペインではbatata……などという語法を辿りながらヨーロッパとアメリカの植民の歴史に違う光を当てたのは、まさにドミニカ共和国の作家ペドロ・エンリケス=ウレーニャだった。

ジャガイモがヨーロッパに根づくのは意外に最近のこと。18世紀だ。一方、サツマイモはもっと早くにもたらされた。コロンブスその人が第一回目の航海から持ち帰ったともされている。で、ジャガイモpapaがヨーロッパにもたらされたときにサツマイモbatataの影響を受け、patata(英:potato)と語が変形した。一方でサツマイモは、アメリカからヨーロッパにもたらされたものの、原産はアメリカとは特定されず、オセアニアや中国などにはあったとされるが、でもフィリピンにはスペインが、日本にはポルトガルが持ち込み、……と考察を展開している。(Pedro Hinríquez Ureña, Para la historia de los indigenismos , Buenos Aires, Instituto de Filología, Universidad de Buenos Aires, 1938

サツマイモという言語がアンティール諸島と日本のアンティール(南西諸島。ハイビスカスの島々だ)との広がりと交易をともに知る手がかりとなるというこの一致、興味深くはないか? ぼくはもう10年くらい前にそう発想して、何か書きたいと考えていたのだけどな、うまく実を結んでいないな……ということをバルガス=リョサの小説から思い出したのだった。

でも、それとは別個に、このエンリケス=ウレーニャのような人の翻訳なんかもたくさんあれば、ぼくの授業も楽になるのだけどな。

2010年12月23日木曜日

迷って恵比寿

見に行かなければと思っていたが、今朝、起きてみてたら行けそうだったので意を決し、さて、ではどちらにしようか悩んだのだった。

ジャン=リュック・ゴダールとウディ・アレン。

結局、より近い方に(というわけではないが、ともかく、そんな気分だったので)。恒例のシャンデリアの飾られた恵比寿に。

ウディ・アレン『人生万歳!』(アメリカ、2009)

監督40作品目だそうだ。本当は70年代半ばにゼロ・モステルのために書いた脚本。モステルの死によってお蔵入りになっていたのだが、2008年、俳優組合のストが見込まれたので、撮影時期を早めなければならないという理由で、この古い脚本を引っ張り出してきて、手を加え、ラリー・デヴィッド(『となりのサインフェルド』だ)を主役に仰いで撮ったということのようだ。

これが意味していることはただひとつ。ウディ・アレンは毎年一本は映画を撮るとのノルマを自らに課し、それを守っている。

実際、円盤形をした今回のパンフレットにはフィルモグラフィーが載っているが、69年の監督デビュー作『泥棒野郎』と71年の第2作『ウディ・アレンのバナナ』の間に空いた年があるけれども、その後は確実に年1本以上のペースを守り続けている(91年も途絶えているが、前年に2本撮っている)。書き続けること、1本書き、次の1本を書いたら、君はもうシナリオライターだ、と言った(引用はうろ覚え)この人物ならではの偉業。

もちろん、ウディに浴びせられるであろう批判は、予想できる。同じ歌が歌われている。若い女性を見出しては使っておきながら(今回はエヴァン・レイチェル・ウッド)、彼女たちを馬鹿にしすぎだ(『誘惑のアフロディーテ』のミラ・ソルヴィーノがその極端な例)、等々。

でも、いつかも書いたが、アレン自身が何かの映画で描写している。絶望したときにひょっこり入った映画館で見たマルクス兄弟の映画に救われた男の話を。彼は自身の映画がそんなものになるようにと考えているかのようだ。年に1度の救い。

デヴィッド演じるボリスが客に向かって話しかける(他の登場人物はそれをおかしな行動として眺める)シーンなど、よくよく考えると、実は単なるメタフィクション的要素とは言えない何かを含んでいるようでもあるのだが、それが些細なことのように思われるほどに、ウディ・アレンはウディ・アレンなのだ。

ノーベル賞級の量子力学の研究者だったボリスがパニック障害に陥り、自殺未遂を引きおきしてから零落、それがいかにもアメリカ南部的家庭で育ってそこを家出してきた少女メロディ(ウッド)を泊めてやることになり、結婚し、彼女を捜してきた母親はボリスの友人によって写真と性に開眼、すっかり人生を変え、さらにメロディの父親までニューヨークにやって来て……というコメディの細部(メロディの母マリエッタ〔パトリシア・クラークソン〕が写真に目覚め、コラージュによるヌード写真の個展を開く、などというところ)が、なるほど、70年代半ばでもおかしくはないな、と思わせる。

見ていたらスーザン・ソンタグを思い出したので、帰りに書店に寄って買ってきた。

スーザン・ソンタグ、、デイヴィッド・リーフ編『私は生まれなおしている:日記とノート1947-1963』木幡和枝(河出書房新社、2010)
編者のリーフは、ソンタグのひとり息子。ソンタグがレズビアン、もしくはバイセクシュアルであることはいわば公然の秘密だったが、性に関する欲望までも赤裸々に(日記だから当然だ)綴ったもの。編者による序文の結びはこういうもの:

 確信をもって言おう、読み手としても書き手としても母は日記や手紙を好んだ——親密なものほど好んだ。とすればたぶん、作家としてのスーザン・ソンタグは私のしたことを了解するだろう。ともあれ、そう願うしかない。(12ページ)

2010年12月22日水曜日

日暮れまでに二度叫ぶ水曜日

夕方、帰宅後、TVの夕方のニュースを見ようとしたら、あるぼくと同年代くらいの女性タレントが、元夫が別の2、3歳年上の女性タレントと不倫をしていたとツイッターで呟いた、そのことを受けてその年上女性タレントが会見をした、というニュースが流れていた。こんなこと、ニュースでやることか? と思ってチャンネルを変えたら、まったく同じ情報を流していた。

あほか! 

買ってきたキャベツを床に落としながら叫んだ。

その数時間前にも叫んだのだった。昨日報告した『フィガロ・ジャポン』の記事のことだ。確認した。『野生の探偵たち』翻訳者の名前が

柳原考敦

となっていた。

もうネット上では何度も書いている。何度も書かねばならないほどにぼくはこの誤字に苦しめられている。うんざりだ。こんな誤字を犯して毫も恥じない者が活字文化の世界で暮らしていてはいけないと思う。

編集長宛に苦情の手紙を書いた。かなり怒っていたけれども、必死になって抑えて書いた。「私の名前を正しく表記していただきたい」と。

正しい名前を名乗る権利が欲しい。私の正しい名前……

2010年12月21日火曜日

旅に出よう

旅に出よう、という感じの写真で『野生の探偵たち』を推してくれたのは雑誌『フィガロ・ジャポン』。実物はまだ確認していないが、白水社エクス・リブリスのブログで

昨日から肋間神経痛がぶり返し、内蔵が圧迫されるように感じてどうも調子が悪いのだが、癒される。

もう疲れた。そうだ、旅に出よう。

まずはドミニカ共和国だ。

エドウィージ・ダンティカ『骨狩りのとき』佐川愛子訳(作品社、2010)
マリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』八重樫克彦・由貴子訳(作品社、2010)


いずれもドミニカ共和国の独裁者レオニダス・トルヒーリョを扱った小説。これらが届いた。これにジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短くも驚くべき人生』(新潮社、予定)が出ればトルヒーリョを取り上げた小説三作のそろい踏みだ。来年、授業に使おう。

2010年12月20日月曜日

フィクションの不自由と本当らしさ

教え子がエキストラで出るから見ろと言われ、TBSのドラマ『獣医ドリトル』というのを見た。最終回だった。教え子は、ああ、エキストラの悲しさ! よくわからなかった。

で、話は少しずれるが、ちょっと気になることがあった。

やたらとクールだけど偏屈な小栗旬演じる獣医の傍らで、直情的でやさしい看護士井上真央が成長していく(井上には少し小栗に対する憧れというか、恋心が芽生えている)というのがメインプロットで、小栗の友人で大学の助教の成宮寛貴とその先生石坂浩二などが獣医師会との軋轢を起こしているというのがサブプロットのドラマ。サブプロットの一要素として、獣医師会の重鎮國村隼に対して息子たちが反抗しているというエディプス的ドラマも展開されていた。

その最後の要素の話。國村隼が息子たちの反抗に気づき、次男の部屋に入って屋探ししていた時に見出した書き留め封筒。「東大医学部の願書」と驚く國村隼は、この子も俺を裏切り、獣医ではなく(人間の)医者になろうとしているのか、と落胆するというシーンがあった。

うーん、でもなあ……。別に医学部希望でなくとも、たとえ文系でも、国立大学進学を考えたことのある人なら、東大が学部別の入学募集でないことは知っているはずだ。いや、東大のことを知らなくても、願書を送る先が学部とは限らないということはわかるはずだ。「入試課」などの部署であるはず。つまり、これから出そうとする願書の、あらかじめ印刷された宛名だけを見てその封筒の持ち主(差出人)が「東大医学部」に志望しているかどうかなど、わかりようがないはずなのだ。

そんなわけで、このシーン、現実の観点、本当らしさvraisemblableの観点から言うと、不自然だ。

でも一方で、ストーリーの流れから言って、ここでこの息子が父の意志に反して獣医学部や農学部でなく医学部を志望しているらしいということがわかる要素がなければここの場面は成り立たない。ここは見ている者に、コールリッジの言う「不信の中断」を要求しても、少しくらい不自然でも、「東大医学部の願書」のセリフを吐かせなければならないというわけだ。それがフィクションの弱み。不自由。

別に「東大」でなければこの不信感は一段下がったと思うのだけど(そもそも東大に獣医学部はあるか?)、まあ何しろ医学会重鎮の息子の獣医学会重鎮の反抗的な息子の話。ここはひとつ、入るのが一番難しいと言われている「東大医学部」である必要があったのだろうな。この要素を決定するのも、いわばひとつの本当らしさ。フィクション内部での本当らしさの追求というわけだ。

うむ。難しいなあ……なんてことを考えていたから、教え子の姿を見落としたのではない……と思う。

2010年12月16日木曜日

オマージュへのオマージュ

ふっふっふっ、この話、面白いじゃないか。

そうか。やはり早くも気づいてしまったか。そりゃあそうだろう。本人だかなら。

種明かしをしよう。あの小説をくだんの若手俳優の作品としてリライトさせ、彼の名で発表させたのは私だ。つまり私が山田洋一だ。

何しろ盗作を主張しているこの人物は私の教え子だ。彼の書いた小説なら、たいていは持っている。彼は新人賞に応募する前に私に必ず原稿を持ってきて、意見を求めるのだ。私はそれを読み、彼自身のオリジナルは落選したけれどもリライトしたら良くなりそうだという作品があれば、時々、別の売れない作家志望の人物に売ったりしていた。私はいわばそういう裏の作家エージェントのような仕事をしているのだ。大学教師というのは世を忍ぶ仮の姿だ。

ちょうど、この人物の書いた小説『UTSUTSU』の落選の事実を知ったころ、その若手俳優の妻である人気歌手から夫が小説家になりたがっているという話を聞いた。私とその若手俳優の妻がなぜ知り合いなのか、どのような知り合いなのかは聞かないでほしい。大人の事情というものがある。私から口に出して言えることは、その若手俳優の妻こと人気歌手の、私はファンだということ、そして、私が彼女の中で気に入っているのは、その透明な歌声と、同じくらい透明な上腕部の柔らかい筋肉の肌触りだということくらいだ。

ともかく、私はその妻から話を聞き、P社の編集者にその話を持ちかけた。私は本名でP社から翻訳を2冊ほど出している。そのときの担当編集者に話したというわけだ。担当氏は今回の新人賞にも関わっている。『UTSUTSU』をリライトし、タイトルを変えて、その若手俳優の作品として例の賞をあげるというのはどうだろう、と。話題になるかもしれない、と。

「『1Q84』方式というやつですね?」編集者は電話の向こうでニヤリとした。
「『空気さなぎ』方式のように思えるかもしれないが、少しねじれがある」私は電話のこちら側で眉をひそめた。「私の教え子の名はふかえりの名と違って、いっさい表に出ないのだから」
「なるほど。失礼。でもともかく、面白いですね」
「だろ?」
「ひとつ賭けてみますか」

そんなわけで『UTSUTSU』は『MABOROSHI』と名を変えて世に出ることになったのだよ。許してくれ。確かに、若手俳優が賞金を返上すると言ったのは彼のスタンドプレーで計算外だった。本当は賞金の1割を、「原作者」として君にあげることになっていたのだけどね。それができなくて君は怒るかもしれない。だが、若手俳優は今度は印税を私の故郷に寄付すると言った(これでこの寄付の理由がわかっただろう? 私がかんでいるのだよ)。つまりは、先日の水害で被害を受けた私の実家に寄付するのだ。その金で実家を修復したら、残りを君に全額やろう。それで手を打ってはくれないか?

2010年12月12日日曜日

シンポジウム終了

東京外国語大学総合文化研究所と東京外国語大学出版会共催のシンポジウム「世界文学としての村上春樹」終了。

柴田勝二はポスト日露戦争の漱石の意識とポストモダンの村上春樹の意識を対比させ、藤井省三は村上作品にみる魯迅の影を浮き彫りにし、亀山郁夫は父殺しのモチーフに始まるギリシャ悲劇的な根源を熱く語り、都甲幸治はアメリカ文学の担い手としての村上春樹をドン・デリーロ『マオⅡ』と対比させた。

主催者である柴田さんがいきなり予定時間を20分も超過する発表を行って、予定の時間はだいぶ延びたのだけど、まあ内容としては皆さん面白かった。白状すると藤井省三の書いたものは読んだことがなかったので、彼がこれまでに書いたことの繰り返しなのか、新たな指摘なのかわからないけれども、魯迅と村上春樹の比較は目からウロコ、という感じだった。

実際、ぼくもデビュー当時から村上春樹の小説はすべて読んではいるのだが、研究者として、あるいは批評家として読む態度をこの作家に対して保持したことはないので、村上春樹論のたぐいはたまに目についたものしか読んでいない。そんな身からすれば、どれも教えられることの多い読みだった。うーむ、やはりすぐれた小説というのは豊かな読みを換気するのだな、と。

観客の入りを危惧していたのだが、ぼくの予想に反し、かなり来ていた。200人近かったのではないか? 大盛況。やはり村上春樹だ。討論の時間には慶應で村上春樹で卒論を書いているという学生から質問というか、コメントがあった。うむ。必要なことではあるだろうが、この時期だけに、卒論書いてる方がいいのでは、と心配にもなった。

2010年12月9日木曜日

シャンプーは使うな、という話?

アーサー・ビナードさんによる講演会「もしも文字がなかったら:未知のことばを求めて」。終了。

ぼくが『空からきた魚』(集英社文庫)所収のエッセイ「ミスった?」を引用して、フランス移民の子孫である彼の姓Binardが移民の登録の際のスペルミスから来た可能性がある、という話をして彼の紹介をしたので、それを受け、綴り字と発音が一致しない英語と漢字を輸入してかなにした日本語とのもともと文字のなかった(と思われる)言語の話から説き始め、言葉のリアリティと言葉が表すもののリアリティの話をしながら昆虫からイラク、アフガン戦争の話にまで展開し、そうした言葉の難しさ、大切さを保証するものとしての文字に表記することまでの考察を展開。最後は詩を朗読された。

懇親会では図書館の若い職員らが歯は朝起き抜けに磨くか、それとも朝食後に磨くかという質問におよび、ついでにビナードさんの出身大学コルゲートは歯磨きを思い出させるが、その名はどこに由来しているのか、という話題にまでなった。結局、あの歯磨きの財団の名だそうだ。そういえば、講演会の最後ではビナードさん、シャンプーなど使うだけ無駄だと言っていたが、歯磨きペーストは使うのだろうか? 

久しぶりにスーツなど着ていったのだが(茶色いホームスパンのスリーピース)、スーツそのものというよりは緑色のシャツと緑に金色のストライプのネクタイがすてきだと、何人かの学生に褒めていただいた。えへへ。でもシャツもネクタイも締めていったことはあるのだけどね。

気づいたら木曜日は、冬休み前はもう1回しかない。

さ、明後日11日(土)はシンポジウム「世界文学としての村上春樹」です。ぜひ!

2010年12月7日火曜日

あまり知らない学生の将来を心配する

で、ともかく、月曜日には慶應に行った。自主ゼミという形式の勉強会。ここで何か映画について話せと言われたので、先日『コヨーテ』に書いたことに少し肉付けし、実際の映像なども少し見ながら話した。

ぼくはその『コヨーテ』の記事でリプステインの『死の時』(1965)がマカロニ・ウエスタンを思わせると書いたのだけど、このことの意味はもう少し考えてもいい、と思いながら話していた。

大学近くの沖縄料理店で懇親会。

そして今日は法政で代講しているゼミの二次募集面接。ちょっと気になることがあった。仮にも少しでもこの面接に受かりたいと思うなら、嘘をついてでも、そのための方便を弄しなければなるまいにと思うところで、何だか屈託なく素直に調子外れなことを言う学生が数名いた。うーむ、「戦略」という単語を知らないのかな、と言いたくなった。

そんなことを現役のゼミ生たちに話したら、嘘をつくなんていやだ、と即座に反応する学生がひとり。

もちろん、これは一部の例だ。一般化するつもりはないし、世代の問題かどうかもわからない。けれども……どうしたものかな、と思う。

戦略的に語るということを「嘘をついてでも」と装飾することは、一種の偽悪趣味だ。嘘などつきたくない、というのは一種の自己陶酔だ。ぼくが「嘘をついてでも」と言ったのに対して「嘘はいやだ」と応えるなら、それは単なる2つの言説の衝突だ。挑発的に言うぼくも悪いと思う。でも、「嘘をついてでも」と偽悪的に語られる以前から嘘をつけない(いや、つまり、戦略的になれない)という人がいるのなら、それは何かイデオロギー的だと思うのだな。

面接で嘘のつけない人の将来が心配だ。

2010年12月5日日曜日

痛いところを突かれて考えさせられる

このところ評判になっているのが、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を:〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』(河出書房新社、2010)。で、まあぼくも手に入れて読んでみた(と言っても、まだ1/5だが)。

まだ途中だが、いきなりそんなぼくのスケベ心が批判されていた。『夜戦と永遠:フーコー、ラカン、ルジャンドル』(以文社、2008)で話題になった著者が、河出の編集者に語った五回のインタビューというか独り語りというか、そうしたものをまとめたもの。第一夜は「文学の勝利」。

どんな分野のどんなことがらについてもそつなく、しかしある種のパターン化された言辞を弄して語ってしまう「批評家」と他のことはからっきしわからないが、あるひとつのことについては何でも知っている「専門家」とをともにファロス的な欲望と切り捨て、自分のやってきたことはただ読むことなのだと、そしてその読む行為に、望むらくは少ないものを何度も何度も読む行為こそが重要なのだと説いた夜。

レイェスだってルルフォだって、メキシコ映画だって論じられるばかりか、佐々木中だってよく知ってるぞ、というような態度を取ろうとするぼくは、こうして、その当の佐々木中に批判されているという次第。とほほ、である。てへへ、である。

さて、そんなことより注意を喚起したいのは、今、佐々木が、この「批評家」的態度の由来、というか、少なくとも同年代の者にはびこるこの「批評家」的態度の蔓延の理由を、彼が学生時代を過ごした東大の教養部の改革後の雰囲気に求めていることだ。彼が大学に入学した当時、「上からの大学改革の嵐が吹き荒れていた。それが可能にしたある種の教育の典型的なものに触れ、それに反撥した」(15ページ)のが彼だという。

90年頃から教養部の解体が叫ばれ、いや、命じられ、東大がその改編に打って出た。とはいえそこは教養学部が存続を勝ち得た数少ない例なのだが、というのも、おそらく、専門課程としての教養学部の強化によって勝ち残ったのだろう。『知の技法』やThe Universe of English などのシリーズでいち早くリメディアル教育ののろしを上げ、表象文化などの新しい分野を作った。そのころ学生として東大に入った73年生まれの佐々木中が、その時代の大学改革の弊害を唱え(「大学の教養学部のカリキュラムが最も貧しい意味で「批評家」を生み出すようなシステムになっていた」同ページ)、そこへの反撥から自身の批評活動が出発したと言っているのだ。

ぼくたちは好むと好まざるとにかかわらず、その「上からの大学改革」後の大学に勤めている。この指摘には耳を貸した方がいい。

2010年12月4日土曜日

かわいい子供(たち)

別にぼくの趣味ではないが、いくつかぬいぐるみのようなものを持っている。学生からもらったのだ。まあ、こうしたものをくれるのは女子学生だけど、男子学生からもらったらおかしいな、と思う。

で、ともかく、もらいものだから、持っている。捨てるわけにはいかない。ちょっと恥ずかしいな、と思いながら持っている。くれぐれも、ぼくの趣味ではない。でも捨てない。もらい物だから。教え子の分身だからだ。子供みたいなものだからだ。これを捨てるくらいなら着なくなった服を捨てる。身軽になりたいから。

で、先日、ちょっとした服を買ったときにもらった熊。ぬいぐるみを捨てるくらいなら服を捨てるといっていたぼくが、服を買ってぬいぐるみをもらった。さすがに服屋らしく手脚がボタンで留まったこのぬいぐるみ、置き場所もなく所在なさげにマックの隣に座っているのだが、ふと何かを思い出させた。以前、卒業する学生たちにもらった熊のぬいぐるみがこれに似ていると思ったのだ。さすがにこんなチェック柄ではなかったと思うけど。

2010年12月3日金曜日

いろいろと勉強になる金曜日

中野達司『メキシコの悲哀:大国の横暴の翳に』(松籟社、2010)。ご恵贈いただいたのだ。先輩なのに、恐縮。

メキシコ独立から1976年のハニガン事件まで、米墨関係の社会史とでも言えばいいだろうか。テキサス・レンジャーやフィリバスター、ブラセロ・プログラムといった、ぼくも少しは扱わざるを得ない問題について色々と教えてくれる。

フィリバスター(スペイン語ではフィリブステーロ)とは、合衆国から南下、メキシコ以南の国々で革命を起こすことを目的とした人とその行為のこと。ニカラグアで大統領就任を宣言したウィリアム・ウォーカーが有名。ぼくはこれに反応した知識人たちの話をかつて書いたことがあるが、実は、ウォーカー前後に同様の行為がたくさんあったことは詳しくは知らなかった。というか、それが「フィリバスター」と用語化して言いうることだとの意識はなかった。ウォーカーへの非難のみがそういう意味合いを持ったのかと思っていた。これが用語化されるほどの現象であるならば、当然、それにもっとも苛まれたのはメキシコをおいて他にはない。ソノラ州のような北部の州にほかならない(たとえば、『野生の探偵たち』で語られるエピソードのいくつかは、そうしたフィリバスターに対する恐怖の記憶を伝えているように思えるところがある)。

テキサス・レンジャーは、テキサスの国境地帯の治安を守る司法官だが、これが、メキシコ人と見れば見境なく殺す。そのことの恐怖をもとに、反逆者としてのメキシコ系住民を称える民衆詩(コリードという)などが生まれるのだが、それの研究で合衆国におけるチカーノ研究の礎を築いたのがアメリコ・パレーデス。今福龍太の先生だ。この人が採録したコリードが、実は今でも歌い継がれて、録音されていることを知り、先日、注文したのだった。で、そのパレーデスらも引きながら、その後の研究の成果も踏まえて、中野はメキシコ系住民とテキサス・レンジャーの(そしてアングロ系テキサス人の)緊張関係を描いている。

ふむ。いろいろと勉強になる。なにしろぼくは、ある授業とあるシンポジウムで、このテキサス・レンジャーの記憶とルイス・バルデスの映画『ズート・スーツ』が通底しているという見解を述べたことがあったのだった。

そして「序」の次の一文を読むとき、このパレーデスの採取したコリードとの(そしてバルデスの映画との)パラレル関係が見出され、一気にフィクションと米墨関係の緊張とが結びつけられるはずだ。

 映画やTVドラマでお馴染みの「怪傑ゾロ」は、米国が獲得したばかりの頃のカリフォルニアを舞台とするフィクションである(時代などの舞台設定は作品によって様々ではある)が、ゾロのモデルとなったのではないかと考えられているメキシコ人がいる。その人物は、妻を米国人に陵辱された上に殺され、復讐の鬼となって神出鬼没で米国人を襲い、恐怖させたと云われ、米国に住むメキシコ人の間で、これも英雄譚として語られたものだった。(11-12ページ)

ほら。ゾロを読みたく、見たくなるでしょ?

2010年12月2日木曜日

カメラ・アイ

ぼく自身の授業ではやっとジャームッシュの『デッドマン』を語るための準備が整い、他のちょっとお手伝いしている授業でギジェルモ・アリアガ『あの日、欲望の大地で』(2008)を終わりの10分ほどを残して鑑賞。うむ。わかってはいてもシャーリーズ・セロンよりもキム・ベイジンガーの方が若いと思い込んでしまうのはなぜだろう? 

家に着くと届いていたのが:アルベルト・マングェル『奇想の美術館:イメージで読み解く12章』野中邦子訳(白水社、2010)

あくまでもマンゲルだと思うのだが。マングェルでなく。でもまあ、『架空地名辞典』が彼の翻訳の最初だろうか? それ以来のずっとマングェルで表記されているからしかたないのかな。アルゼンチン生まれでスペイン語話者なのだが、英語で著作を出している。ぼくはこの人の本はスペイン語版で持っているものが多いが、これは持っていなかった一冊。

ジョーン・ミッチェル、ロベルト・カンピン、ティナ・モドッティ、ラヴィニア・フォンターナ、マリアナ・ガードナー、フィロクセノス、パブロ・ピカソ、アレイジャディーニョ、C-N・ルドゥー、ピーター・アイゼンマン、カラヴァッジョ。——さて、このラインナップからどんな全体像が描けるか?

各章にはエピグラフがついている。それがなかなかいい。

「よい物語とはもちろんすべて絵と思想からなる。それらがよく混ざりあうほど、問題はうまく解決する」(ヘンリー・ジェイムズ「ギ・ド・モーパッサン」)
「もしも、すべてが正しいとしたら、鏡から鏡へと、まったく虚栄が映らないとしたら、私は世界が造られる前に私がもっていた顔を探す。」(W・B・イェイツ「若く、年老いた女」)

などだ。そして極めつけ:「自分のカメラのレンズになってしまえば、もはや動けず、硬直したまま、干渉さえできない」(フリオ・コルタサル「悪魔の涎」)

コルタサルの「悪魔の涎」はアントニオーニの映画『欲望』の原作になったもの。ある日、写真を撮ったら、その写真の中で殺人事件が起きてしまった、という話……と思わせながら、実は語り手がカメラのレンズになっていた、という話。そのあたりからの引用。ぼくは凍りつく。固まる。カメラ・アイになり、しばらく右のページにあるモドッティの写真を見つめた。

2010年12月1日水曜日

地を這って想像力をはばたかせろ

先刻予告のごとく、アーサー・ビナードの講演会を行う。図書館主催だ。ぼくはこの委員である。で、当日には演者の紹介をしなければならない。本来図書館長の仕事で、図書館長がやっていたのだが、どういうわけか今年はぼくがやらなければならない。そんなことがあっていいのかどうかはわからない。ともかく、ぼくがやらねばならない。

そんなわけで、何冊か彼の本を読んでみた。とおり一辺の紹介ではなく、作風などを紹介するというのが慣習だからだ。

なかなか面白い。斎藤美奈子はアーサー・ビナードを「おそるべき言葉のコレクターである」と評価している(『空からきた魚』解説)。立川談四楼は必ずオチをつけると、彼の文章の特徴を分析している(『出世ミミズ』解説)。ふむ。どれもそのとおりだと思う。でもぼくは実際の講演会の紹介では、ちがう話をしようと思う。

その話をここで書いてはしかたがないので、さらに違うことを。

長江朗は「自転車と徒歩の視線がアーサー・ビナードの文章の根っこにある」と断じている。そして、すぐに続けて、「彼の文章は自転車のペダルをこぐようにして紡ぎ出される」と。つまり、話がリズムへと移っていく。そこに移らず、「自転車と徒歩の視線」のことにも気を留めてほしいものだと思う。地上を這わせる視線が作り出す想像力。

そんな想像力を彼が持っていると感じさせるのは、ウォレス・スティーヴンスの詩 Tea  とそれの福田陸太郎による翻訳「お茶の時間」を比べるときに発揮されている。

 原作は映像的で、カメラアイが低いアングルで寒い公園をうつしてから、暖かい室内へと移動、明かりの下のぬくぬくしたクッションにズームインして、紅茶を飲む男女二人を画面に出さずに、間接的に艶っぽく描く。巧みな比喩は、読者のイマジネーションをくすぐるけれど、表現される世界は全て日常の範囲内だ。それに引き替え、日本語訳のほうはいきなりファンタジーへと飛び立ち、帰って来ようとしない。それぞれの出だしは次の通り。

When the elephant's-ear in the park
    Shrivelled in frost
公園の象の耳が
霜でちぢまったとき (『日本語ぽこりぽこり』小学館、2005、44-45ページ)

この比較のしかた! 

まあ、オチは、要するに "elephant's-ear" というのはベゴニアのことであって、「象の耳」ではないぞ、視線を下に落とせ、ということなのだけど。

2010年11月30日火曜日

綺麗は汚い、便利は不便

MSVファイルなるものが送られて来た。送られて来てから開けるまでに2日かかった。やれやれ。

MSVファイルというのはソニーのICレコーダーの音声ファイルの形式。これはソニーのプレーヤーでないと再生できない。そのことに気づくのに1日、そしてソニーでこのファイルをウィンドウズ・メディアプレーヤーのファイル形式にコンバートするソフトを無料でダウンロードできるということを知るまでに1日。その間にいくつかのフリーソフトなどをダウンロードしたり廃棄したり……。

やれやれ。

で、どうにかファイルを開くことができたのが、深夜。

やれやれ。

入っていたのは、ぼく自身がある場所で話した話の内容。自分の話し方の稚拙さと声の悪さにうんざり。

やれやれ。

「やべぇ、ちょー楽しい」なんて話し方にうんざりしている場合ではないな。ぼくもいい加減、新しい表現の方法を見出さなければな。

仕事が増えた。やれやれ。

2010年11月29日月曜日

疲弊

昨日、ちょっとTVをつけた。どこかの民放局で自局の番組の宣伝を流していた。木村拓哉がいた。木村拓哉は言った。「やべぇ、ホームセンター、ちょー楽しい」

何かが切れた。

ぼくは特に木村拓哉に含むところはない。好きではないが嫌いでもない。どうでもいい。ぼくたちの世代の女性には彼のファンが多く、いろいろ聞かされていて、そんなファンからの話を聞く限り、なるほど、尊敬に値する人物だろうとは思う。かっこいいとも思う。でもぼくにはまったく無縁の人だから、まあ、どうでもいい人物なのだ。彼が主演する『ヤマト』も、とりあえず、どうでもいい。空気のようなものだ。どうでもいい人物に対しては、恨みも抱きようがない。やっかみすら感じない。だから木村拓哉に切れたのではない。でも、確かに、何かが切れたのだ。

もういい加減にしないか? その木村拓哉みたいな発話。「ちょー」とか「まじ」とか「がち」(「がち」は木村拓哉的ではないが)とか「やべぇ」とか、どちらかというと北関東的な、似非北関東的な平坦イントネーションとか。その種の語り口に、もういい加減、彼らより下の世代は軽蔑の眼差しを向け始めてはいないのか? いないのなら、そろそろ向け始めないか? 

木村拓哉ももう30代半ばだ。たぶん。30代半ばで「やべぇ、ちょー楽しい」でいいのか? と思うのだ。18歳ならまだそれも許されただろう。あまりいい気もしないが、まあ若い連中というのはそうしたものだ。それが20年近く経ってもまだ同じ口調でいるのなら、それではいくら何でも社会性に欠けるだろうと思うのだ。「やべぇ」と思うのだ。語の正当な意味(元来俗語である「やばい」に「正当」な意味があるとすればの話だ)において。

「おやまあ、なんということでしょう、ホームセンターというのはずいぶんと楽しゅうございますね」

とそこまで言うのも、今となっては冗談みたいだが。でもともかく、いい大人が「やべっ」なんて言うのを聞くのは、ぼくはもう疲れたな。

2010年11月28日日曜日

告知、まとめて

すごく赤い。

このところ、長めの記事を連投したので、今日はぼくの関わるイベントをまとめて告知。

1)図書館主催の講演会。アーサー・ビナードさん「もしも文字がなかったら」

2)総合文化研究所主催シンポジウム。「世界文学としての村上春樹」
奇しくも、『ノルウェイの森』映画公開の日です。

リンクをクリックすれば告知のページに飛びます。

2010年11月27日土曜日

読んでも言えない本がある

読んでなくてもコメントしなければならない本もあるかもしれないが、読んでいてもそのことを隠さなければならない本もある。ただし、この場合の本というのは雑誌論文(あるいは雑誌以前の論文。論文原稿)も含むけれども。

読んだことを隠さなければならない本や論文がある。秘密の仕事にかかわるものだ。大学の教員がかかわる主な秘密の仕事は2つ。入試と人事。

人事の場合、○○の分野の研究者で▽▽が教えられる人、という要件が決定され、公募が始まると、数人からなる人事委員会が形成される。5人とか7人とか、そのくらいの人数だ。この委員会のメンバーで、応募してきた候補者の主要業績(とは論文や著書のこと)を読み、候補者を決める。最近では最終候補者の面接を行ったりすることも多い。こうして決定された候補者を教授会の審議にかけ、決定する。理事会の強い私立大学などだったら、さらに理事会の決定も重要なイベントになるかもしれない。単にシャンシャンと手打ちで終わりかもしれない。ともかく、だいたいにおいて、こんな手順で決定される。

つまり、人事委員になると、候補者の論文や著書を読むことになる。何しろ人事だ。何人、何十人(場合によっては何百人のときも)の応募者の中からひとりを選ぶ。つまり、残りの何十人もの就職の機会を奪うために、その人の書いたものを読む。いきおい、迂闊なことは口にできない。ぼくもこれまで、何度か人事にたずさわったことはある。法政時代には委員長を務めたこともある。1つのポストに何十人もの人々から,ひとりにつき3点くらいの業績が送られてくる。数十ページの論文もあれば数百ページの著書もある。分厚い博士論文もある。ひとりひとりの貴重な研究活動と夢が詰まったページだ。選考の結果選ばれたひとりならばいいけれども、選ばれなかった数十人のものを読みました、などと言ったら、そしてあろうことか、それを批判などした日には、まるでそれがその人が職に就けなかった理由であるかのように取られかねないじゃないか。とてもそれを読みましたなどとは言えない。

さて、必ずしも大学の教員でなくてもいいが、学会誌の査読などという仕事もある。これは秘密というか、匿名性が要求されるので、やはりなかなか口に出せない仕事。

どの学会もその会員が書いた論文を掲載する雑誌を持っている。雑誌に論文を掲載するには査読を受け、掲載可の許可をもらわなければならない。その査読をするのは同じ学会の会員だ。雑誌の編集委員や、その委員から委託を受けた人々だ。1つの論文につき2人とか3人の査読者で審査する。論文のできが良ければ問題ないが、できが悪ければ大幅に書き直しを迫ったり掲載不可と断じて載せなかったりする。何しろ人ひとりの研究活動の評価にかかわる問題だ。誰が査読したのかは秘密にされる。査読者は匿名の評価者となる。匿名だから、査読する側はその論文を読んだなどとは言えない。掲載されることになった論文なら、掲載後に読んだと言えばいい。でも掲載不可になった論文を読んだなどと言ったら、査読したことがばれてしまう。

何しろ、掲載されればその論文はその筆者の業績になるのだ。ぼくたちはそういった業績を積み重ねて、たとえば教員の職に応募したり、あるいは昇進のさいの審査にかけてもらったりする。ひとつひとつの論文が、つまり、その人の人生を左右しかねない。であれば、その論文が掲載されるかされないかは死活問題だ。掲載されないなら、それだけのものしか書けなかった、つまり業績として評価されるほどのものにならなかった、と割り切れる投稿者はいいのだが、人はなかなか自分に対してそんなに客観的にはなれない。ましてや人文科学だと、判断基準は曖昧だ(と思われがちだ。本当はそうでもないのだけど)。掲載不可にされたら、投稿者の側には遺恨が残る。学会誌の編集委員長のところには、ときに、脅迫めいた手紙や電話が来ることもある。あくまでも、たまにそういう話を聞く、ということ。都市伝説かもしれない。怖い話だ。

ぼくたちに読んでもそのことについて語れない本(や論文)がある。日本のどこかで、世界のどこかで、今ごろ、読んでも口に出せない本を読まねばならず、そのために読んでそのことを口に出さねばならない本を読めずにいる人がいる。必ず。だから彼・彼女らは、その本を読まずしてそれについて語る……というわけではないか?

2010年11月26日金曜日

そもそも本を読まない話

辞書は本当は読むときでなく書くときに使うという事実も重要だが、どうしても辞書を使う/使わない話だと本を読む話になってしまう。

でも本当の本当は本を読むという行為そのものが書くときに行われるものでもある。数多ある読書の指南書などを読んでいるとそうなのだと確信される。本を読む話だけでは一冊の本が成り立たないということなのか、たいていのものがインプットと同時にアウトプットを勧めるものだから。そんなものを書く人は、たいていはまあ売れっ子の作家なわけで、彼らのようにアウトプットする必要のある人がどれだけいるのかと考えると、いったい彼らのそうしたマニュアルは誰のために書かれているんだろうと疑問に思ってしまう。『15分あれば喫茶店に入りなさい』(斎藤孝の本のタイトルだ。ぼくは立ち読みだけした)、そしてそこで勉強とアウトプットにいそしみなさい、と言われても、ぼくらはそこまで忙しいのか?

さて、ともかく、本は書くときに読むものである。まず目次を確認しろ、どこに何が書いてあるかあたりをつけてから読め、などというインストラクションはそのことを勧めている。そしてこんなインストラクションをしない読書指南書は珍しい。つまり、本というのは一部だけ読めばいいということだ。逆にいうと、本は全部読まなくても読んだことになる。これは実にぼくたちの心を安らがせる命題だ。

本は全部読まなくてもいい。そりゃそうだ。たとえばスペイン史の専門家が新しく出た『スペイン史概説』なんて本を一字一句読んでいたら、無駄だ。新機軸だとか新事実だとかを確認すればいい。(少なくとも一部のひとにとって)全部読まなくてもいい本というのが、かくして、確かに存在する。たとえば月に百冊読んでますよと豪語する人は、どうやら、90冊くらい(という数字に根拠はないが)はそんなものを読んでいるらしいのだな。本を元手にアウトプットしなければならない人は多かれ少なかれ、そういう、全部読まなくてもいい本をたくさん読んでいるはずだ。

これを敷衍すると、一部どころかまったく読んでいなくてもいい本があるということになる……のか? 少なくとも、読んでいない本について語ることの効用を説く人もいる。加藤周一などもその『読書論』でそんなことを書いていた。そしてまったく読んだことのない架空の本の話で盛り上がるインテリのパーティー参加者の話などを書いてた。もちろん、そんな書物談義の最たるものはボルヘスの「トゥレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」なわけだが。

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦康介訳(筑摩書房、2008)なんていう本があって、ここでバイヤールはかくして、ななめ読みする本、内容を知っている本、等々に分類して見せて、読んでいない本について話すことを指南する構えを見せるふりをして、実は読んでいない本について語る人の話を扱った小説やら映画のシーン、その他の本の一部などを分析し、ほらね、本なんて読んでいなくても本質的なことが語れるでしょう、と目配せする。なんだか小憎らしい本だ。

ぼくらは読んでいなくてもある本について本質的な疑義を突きつけ、実り多い議論を誘発することができる(こともある)。一方で、読んでいない本について言及して、とんでもない事実誤認を犯してしまうことがある。「『ポールとヴィルジニー』も結局は『大いなる野蛮人』を扱ったさくひんだ」とかだ。これをしてこの発話の人物を愚か者と断じるのは少しばかり厳しすぎるか? でもセンスはないと思ってしまう。そして、隅々まで読んだ本に関して、とんでもない誤認を犯し、的外れなコメントをしてしまう者もいる。これはまあ愚か者と断じてもいいか? ……うーん、でもな、ぼくらは目の前に展開されているものが何なのか本当には理解できな存在でもあるものな……

2010年11月24日水曜日

辞書を引かない話

ところで、昨日書いた『文学テクストにいかにコメントするか』のような本が日本語でもあればいいなと思ったのであった。

河野哲也『レポート・論文の書き方入門 第3版』(慶應義塾大学出版会、2002)第2章は「テキスト批評という練習法」というもので、この「批評」が「コメンタリー」のことであって、文学の授業などから敷衍されるようになった方法であることが明記されてはいるが、いかんせん、コメンタリーは主題の提示に始まって云々、とコメントを書く際の構成の話に重点が行き、面白くない。辞書を座右に置く、なんてインストラクションから始まるコメンタリーのしかたの本。それが欲しいとぼくは言っているのだ。

であれば「辞書を座右に置く」ことの指示は、日本には多くあふれる読書論、読書のしかたマニュアルのようなものに求められるべきなのだろうか? でも辞書を引くことを説いた読書マニュアルはそう多くはないように思う。平野啓一郎『本の読み方——スロー・リーディングの実践』(PHP新書、2006)は「『辞書癖』をつける」という項(62-65)を立ててはいるし、そもそも「スロー・リーディング」を勧めているのだから、「ゆっくり読まなければならない」と書いたラサロ=カレテールとコレア=カルデロンに近いかもしれない。しかしこれはインストラクションと実践例がそれぞれ離れた場所に書いてあって、どうにも歯がゆい。「辞書癖」云々にしても余計な個人的例が書いてあって脱力する。

こうした読書論の多くは自己啓発本のようなもので(と平野自身も書いている)、実際に本を読んだりそれについて書いたりする人のためのマニュアルではないので、個人の実践のしかたなどでページが水増しされるのはしかたのないことかもしれない。そして同じく平野が書いているように、その種の読書論の多くは、速く読むことを勧めている。いわゆる「速読術」とは違うものであったとしても、速く読めと勧めている。これでは辞書を引くことなど勧めようがない。

矛盾するように響くかもしれないが、前にも書いたように、ぼくだってふだんはあまり辞書を引かないし、「速読術」というようなものは身につけていないが、それでもだいぶ速く本は読む方だと思う。寝室専用とか、電車内専用とか、いくつかの読み方をするので一概には言えないが、ともかく、速く読む。一度目の読みだからだ。いずれゆっくり読み、翻訳し、論文に書かなければならないとしても、とりあえずはひととおり目を通して、おおざっぱに内容を把握する。内容を把握していなければ、ただゆっくり読むと、想像が暴走しかねないからだ。想像の暴走。すてきなことだが、まあ徒労のときも多い。

思うに、対象が外国語だと、この「速く読む」ことと「ゆっくり読む」ことのメリハリがついてわかりやすいのではないだろうか。なまじ母語だと速く読んでもゆっくり読んだ気になって始末が悪い。「始末が悪い」は言い過ぎだろうが、少なくとも、速く読んでも、その次にゆっくり読むことを忘れがちだ。まあ「ゆっくり読む」ということは二度目の読みをするということだから、二度目に読めばいいのだが、それを忘れてしまいがちだ。外国語だとわかりやすい。「速く読む」とは辞書を引かずに読むということであり、「ゆっくり読む」とは一字一句辞書を引きながら読むということだ。

さて、こうして2つの矛盾する当為の命題が現れる。「速く読め」と「ゆっくり読め」。しかしこれらは特に矛盾するものではない。「まず速く読め、そしてゆっくり読め(読み返せ)」と併存するものであったり、「二次資料は速く読め、しかし批評の対象はゆっくり読め」と棲み分けるものであったりするからだ。このように使い分けながら本は速く読んだりゆっくり読んだりしている。辞書を引かなかったりうんざりするほど何度も引いたりする。

ところで、以前、ある大学院生に「一字一句辞書を引け」と言ったら「そんな暇はない」と笑われた。その同じ学生に「二次資料は速く読め、1日以上かけるな」と言ったら「そんなんじゃ研究なんかできません」と言われた……うむ。一見矛盾するような当為命題を掲げると、向こうも矛盾するような反論をしてくるものだ。でもなあ、これ、かなり本気で言ったんだけどな。

2010年11月23日火曜日

辞書を引く話

翻訳が大詰めである。辞書を引いてばかりである。

我々、外国語学習者には奇妙な意地のようなものがあるのではないかと邪推する。語彙を増やすオブセッション、単語を覚えなければという強迫観念、そういったものから来る意地。知っている単語は辞書でなど引いてたまるものかという、辞書に対する対抗意識のようなもの。「我々」と書いたけれども、少なくとも20代のころのぼくにはそんなものがあった。妙に負けず嫌いな性格だし、当時は記憶力に関しては絶大な自信があったから。

そんなぼくのこと、意地を張って辞書を引かずにいて意味を取り違えたことも多かったのだろう。大学院時代、恩師からは、お前のような者は一字一句辞書を引かなければならないのだ、と諭されることになる。そして現在、結果として師の教えで一番残っているのはこれだろうと思う。

一方、ぼくが辞書を引くことはこうした子供じみた意地とは無縁で、必要なことなのだと悟ったのは、恩師の教えばかりによるのではない。他の授業の参考資料として読んだ一冊の本も、ぼくの翻意におおいに与っているだろうと思う。

Fernando Lázaro Carreter, Evaristo Correa Calderón, Cómo se comenta un texto literario (Madrid, Cátedra, 1974) 

ラサロ=カレテール、コレア=カルデロン、いずれ劣らぬ文献学の大家が、おそらくは大学学部生向けに書いた指導書『文学テクストにいかにコメントするか』。「文学史を学んだだけでは文学を学んだことにはなりません」というテーゼに始まり、個々のテクストにコメントする訓練を一から手ほどきした入門書だ。これのごく最初の方、テクストへのコメントの大前提たる「注意深い読み」の章で、次のように述べられているのだ。

 あるテクストにコメントするためにそれを研究する際に、まずやらなければならないこと、それは当然のことですが、そのテクストを注意深く読んで、それを知りつくすことです
 そのためには、テクストはゆっくりと読まなければなりません。そしてそこにあるすべての言葉を理解することです
 ということはつまり、テクストを説明する準備をするときには、絶対に、手もとにスペイン語辞典を置いておかなければならないということです。そして、意味がわからない単語があったり、中途半端にしか知らない単語があったら、それらのすべて、ひとつひとつを調べなければなりません。(26ページ。下線は原文のイタリック)

そしてロベ・デ・ベガのテクストを引き、このテクストで言えばわからない単語とは、たとえば、manso(おとなしい)、mayoral(現場監督)、decoro(慎み)、prenda(服、アイテム)、等々かもしれない、と例(今こうしてぼくも、辞書など引かずとも意味を添えることのできる単語の数々)を挙げる。

これはあくまでも外国人向けでなく、スペイン人に向けてスペイン語で、スペイン文献学の大家(書かれた時点ではまだそうではなかったかもしれないが)が書いた文章だ。ラサロ=カレテールらはこうして、辞書を引くことを諭しているのだ。

これを読んだときぼくは、一方で、ヨーロッパの大学も、こうしたことを教えなければならない程度に(アメリカ合衆国の大学などと大差なく)レベルが低いのだなと思った(だからといって日本の大学がレベルが高いと思っていたわけではない)けれども、他方では、奇妙な感動を覚えたものだ。そういえばスペインに留学していた友人は、つき合いのあった文献学専攻の大学院生が常に車の中にアカデミアの辞書を置き、何かあると引いていたとのエピソードを教えてくれた。辞書は知らない単語をぼくたち初学者に教えてくれるものではなく、ある程度知っている者たちでも常に利用することが望ましいツールなのだと悟ったのだ。そしてぼくたちは人間である限り、「ある程度知っている者」の範疇を超えることはできない。

辞書を引かなければ、たとえば上のprendaは、実はロペの時代には「担保」であり「最愛の人や物、たとえば息子」であったことなど知らないまま意味を取り違えてしまう。意味を取り違えた上でなされたテクストへのコメントは、それはそれで面白いものであり得るかもしれないが、とんでもなく的外れなことにもなりかねない。はたして我々はある個別の事象やら個別の単語のことを本当に知っているのか、と不安にさせる(異化する)のが文学テクストであるなら、ますますもって辞書を引かなければ不安だ。かくしてぼくは、たかだか1ページの文章を訳すのに、1日2日とかけてしまう。1日あれば読み終えるはずの本を訳すのに半年も1年もかけてしまう。

……と書いたら、仕事が遅いことの言い訳に響くか?

2010年11月22日月曜日

辞書の話

翻訳が大詰めである。ぼくは翻訳する際にはともかく辞書を引いてばかりいる。

ふだん本を読むときはほとんど辞書など引かない。それは最初の読みだからだ。けれども、授業で使う教材と翻訳の対象の実際に訳を作るときにはかなりの頻度で引いている。それから研究対象となるテクストもそうだ。とりわけそれについて何かを書こうと思うときは、辞書は引いてばかりだ。大げさに言えば、一字一句引いている。首っ引きになっている。意味がわかるとかわからないとかの問題ではないからだ。その語が持ちうる可能性について知らないことが多すぎるからだ。ましてや文学作品となれば、考えれば考えるほどひとつの単語が曖昧に見えてくるからだ。

辞書というのは、『現代スペイン語辞典』とか『西和中辞典』とかの話ではない。スペイン語に関して言えば、たとえば、語の最もオーソドックスな定義がなされているのは王立アカデミアの辞書だと言われている。Diccionario de la lengua española. 通称DRAE (Diccionario de Real Academia Española)。古典などを読むときに参考になるのは、このアカデミアが17-18世紀に出していた辞書の最終版のファクシミリ版 Diccionario de autoridades (『権威の辞典』! とよく驚かれるのだが、この辞書によるautoridadの第一義は、「洗練、上品、上等」)だ。セルバンテスやケベードなどからの用例にあふれ、実に嬉しい。ちなみに、オクタビオ・パスは何度かこれに依拠して語の定義などをしていた。

しかし、我々外国人にとって、そしてまたスペイン語を使いこなそうとする人にとって、なんと言っても役に立つのは María Moliner, Diccionario de uso del español. 『スペイン語語法辞典』。通称、マリア・モリネールの辞書だ。マリア・モリネールという図書館司書が、独りでこつこつと20年間かけて作った辞書。その名の通り、語法などの解説が目からウロコの連続だ。ガブリエル・ガルシア=マルケスがこれを「私のための辞書」と言ったのは有名な話。そう言った文章は以前、田澤耕が訳して岩波のPR誌か何かに掲載したはず。

初版は語源順というその単語の配列が、最初のうちは引きづらい印象をもたらしたけれども、慣れればそれもまた勉強になるし、合理的。ぼくも大学院進学を決意した瞬間に金を貯めて2巻セット3万円くらいだったそれを買い求め、驚きながら使っていたものだ。以後、座右に置き続けている。

第2版で語彙は増えたし、配列はふつうのアルファベット順になったけれども、語彙が増えた分用例が減ったように思うのは残念なことだった。これをペーパーバックにして安価にしたような Diccionario Salamanca de la lengua española が出て、それがなかなかの優れものなので、これを使う頻度の方が増えたかもしれない。

第3版の出たマリア・モリネールの辞書は、その第3版をDVDとしても発売した。実は、最近、それを使用している。上の写真は第2版第2巻とDVDの箱、そして実際のPC上の画面。

第2版はCD-ROM版があったにはあったが、システムとの折り合いがうまく行かず、ぼくは使えなかった。今回もそんなことがありはすまいかと不安だったけど、Macにも(Snow LeopardにあるRosettaというソフトをインストールした上で)インストールできた。そして実に重宝している。逆引きやら表現別の検索やらと、さすがに紙の辞書ではなかなかできない検索ができるので、ますます便利だ。

ところで、先日そんな話をしたら知らない人がいたので、念のために言っておくと、アカデミアの辞書はサイト上で無料で検索できる。ガルシア=マルケスが序文を書いて話題になった(そして、これもなかなかいい) Clave: Diccionario de uso del español actual も無料だ。

日本語で、有料サイトで重宝しているのが、ジャパンナレッジJapan Knowledge。ニッポニカの百科事典や『ランダムハウス英和辞典』、『現代用語の基礎知識』などが横断検索できる。そして何よりすばらしいのは『日本国語大辞典』も検索できるということ。これもぼくは第2版が出たときに買ったのだが、出先でもこれが引けるのは実にすばらしいこと。

2010年11月21日日曜日

逃避

翻訳が大詰めを迎えている。もう読書も勉強も授業準備も外語祭もあったものではない。

といいながら、こんな時期だからこそ、外出している。仕事をしているという意識があるから、ことさらそこからの解放を夢見る。

卒業生たちと青山のスペイン料理店プエブロで食事したり。

ちなみに、その日、着ていこうとしたジャケットを取り出し、ところでこのホームスパンってどういう意味だ? と思ってそのことをツイッターに記したりしていた。とても「大詰めを迎え」た仕事に追われているとは思えないな。ホームスパンとは、これ。

まあ、そんなに夜ごと飲み歩いてばかりいるのではない。翌日、つまり昨日はぼく自身の主催する研究会へ。スペイン神秘思想家の本の日本語訳で、今まで知られていなかったのが、ハーバード大学の図書館で発見された、そのテクストについて発見者本人のお話。貴重。すばらしい。そして大学院生の修士論文のお話。

終わって下北沢で台湾料理。

2010年11月18日木曜日

ああ勘違い

2年生の授業でAntonio Múñoz Molina, El invierno en Lisboa (Seix Barral, 1987) アントニオ・ムニョス=モリーナ『リスボンの冬』を読んでいる。ピアニストのサンティアゴ・ビラルボ(あるいはジャコモ・ドルフィン)が恋愛によるいざこざに巻き込まれる話だ。語り手「私」による旧友サンティアゴの描写から始まる小説で、音楽とその評価をめぐる文章が2年生にはさすがに難しいようだ。

で、この小説、本の宣伝文句によれば、ディジー・ガレスピーを客演に迎えて映画化されているとのこと。ガレスピーは93年に死んでいるので、だいぶ晩年の映画出演ということになる。

ぜひ観てみたいものだと思う。

しかし、ぼくはてっきりこのサンティアゴの役をガレスピーがやったのかと思い込んでいたが、先日の授業中、ふと気づいた。ガレスピーはトランペット奏者なのだから、ピアニストのビラルボをやるはずはない。

小説にはもう死んだとされる孤高のトランペット奏者ビリー・スワンというのが出てくる。ビラルボがよく一緒に組んでいたミュージシャンだ。この人のレコードに参加したりしたと。であれは、きっとガレスピーはこの人の役をやったのだろう。

映画、観てみたいな、と思ったのだった。というのも、今日のぼくの一枚目は Dizzy's Big 4 だったからだ。そして二枚目が Oscar Peterson and Dizzy Gillespie 。オスカー・ピーターソンの代わりにサンティアゴ・ビラルボことジャコモ・ドルフィンがピアノを弾いていたと考えると、楽しくなる。時間に余裕ができたら、学生にも聴いていただきたいな。ものの本によればビリー・スワンは現代最高のトランペッターのひとりとのことだったが、私が聴いたレコードの中で彼は唯一無二の存在だった、というような記述が小説にはあって、そんな箇所を実感できればと思うのだ。

ところで、ビリー・スワンというミュージシャンは実在する。でも、ジャンル違いだし、年齢が違いすぎるし、きっとムニョス=モリーナはこの人のことを知らず、偶然この名をつけただけなのだろう。

ジャズ映画といえばウディ・アレン。ウディ・アレンといえばセントラル・パーク。セントラル・パークといえば、紅葉。セントラル・パークではないが、紅葉と夕陽の公園。ぼくのウィンドウズ・マシンのデスクトップも、これではないが、紅葉の公園だ。

2010年11月14日日曜日

中世にいく前に現代世界について考える

今日の『朝日新聞』には奥泉光によるウンベルト・エーコ『バウドリーノ』堤康徳訳(岩波書店、2010)の書評が掲載されていた。

ぼくは奥泉光はわりと好きな作家なので、彼のツイッターもフォローしているのだが、そこで彼が書いていたから、この小説のパイロット版を発売前から読んで書評を書いたらしいことは知っている。でもこの小説、奥付の発行日は11月10日。同じ紙面にはこれの広告が掲載されていたが、それ自体初めてではなかったか? いずれにしろ、異例の速さだ。異例の速さを作るシステムはわかったとして、あらかじめパイロット版を読ませてまでの素早い書評掲載は、異例だ。

いや、ぼくは『朝日新聞』の書評のシステムがどうなっているかわからないので、語の正確な意味で「異例」かどうかはわからない。少なくとも、一読者として見たとき、これはいつにない反応のように思われる。『朝日』の外国文学の書評に関する不満は、20年ほど前からこの方、多くの口から聞いてきたし、ぼく自身、この大新聞の書評欄には今ではほとんど期待を抱かなくなっている。ちょっと前に池上彰がバルガス=リョサの受賞を巡る言説を批判して読ませるための努力を怠っていると「ラテンアメリカ文学者」たちに苦言を呈した記事を話題にしたが、なあに、それを掲載している新聞自体が、この人の邦訳新刊などをことごとく無視して普及に貢献しようとしなかったのだぜ、と言ってやりたい。

そんな思いがあるものだから、ともかく驚いた。で、数日前に書店に並んだことは知ってはいたが、慌てて買いにいった次第。

でも、その前に、いっしょに買った『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集III-06 短編コレクションII』(河出書房新社、2010)。これに所収のミシェル・ウェルベック「ランサローテ」野崎歓訳(455-511)。これはウェルベックのエッセンスが詰まった一編。

冬休みを利用してカナリア諸島ランサローテ島に旅したフランス人の「私」がレズビアン(バイセクシュアル)のドイツ人カップルやベルギー人警官と知り合い、お互いに不自由な英語で会話したり一緒に島を巡ったり、セックスしたりしているのだが、モロッコ人の妻に家出されたベルギー人警官リュディは他の三人の作る輪に溶け込めず、先に帰国、ラエリアン・ムーヴメントに参加することに決めたとの書き置きを主人公宛に残す。そしてやがて、このセクトが起こしたある事件が話題になる、という内容。

フランス人の「私」がノルウェー人やイギリス人やドイツ人やベルギー人に対する悪態を心の中で呟くのはいかにもウェルベックらしい。小気味よい。ただし、そうした悪態は国民国家を前提にした外国人嫌悪というよりは、移民やEUの統合、グローバル化を前提として、その裏で、国というよりもむしろ、それより小さな社会という単位が成り立っていないとの不安を白人たちが感じているところから来るのだとの視点がそこにはある。典型的に現代的なのだ。次のような独白は、外国人嫌悪だと思うと痛快だし、現代的不安だと思うととてつもなく悲痛だ。

いずれにせよ私たちは、アメリカ合衆国が支配し、英語を共通語とする世界連邦という観念に向かってすみやかに前進しつつあるのだった。もちろん、馬鹿な連中によって統治されるという未来図には漠然と不快なものがある。しかしながら結局、そういうのはみな、これが初めてではなかった。(475)

そして、ラエリアン・ムーヴメントがランサローテに地球外生命体とのコンタクトのための基地を計画していると聞いた主人公の観測。

実際、もしいつの日か地球外生命体が登場するならば、ここはCNNのルポルタージュにぴったりの場所となるだろう。(484)

この現代社会の薄っぺらさ! その自覚がこの人の面白さのひとつだ。

2010年11月13日土曜日

コンセプトの大切さを思う土曜日

金曜の授業が捌けてから箱根に行ったのは、夏休みにおこなうはずだったゼミの学生たちとの旅行が色々あってずれ込んだということ。ともかく、箱根に行った。行った晩は軽く宴会をして、翌朝、ポーラ美術館を訪ね、「アンリ・ルソー バリの空の下で:ルソーとその仲間たち」を堪能する。ルソーが世紀転換期の変遷するパリを描いていること、そしてその時代のパリを覆う想像力が飛行機や飛行船と熱帯の猛獣にあったこと、ルソーの想像力がここに依拠していること(彼のジャングルはパリの植物園のジャングルだ)などが明示され、ついで、ルソーの同時代人や信奉者、ルソーが産み出した息子たちまで並べることによって、今度はその想像力の広がり、展開を示してみせた。ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1901)が流れていた。

常設展というか、ポーラ美術館の収蔵品もなかなかのもの。セザンヌ、ドガ、モネ、モジリアニ、ローランサン、トゥールーズ=ロートレック、ピカソ、フジタ、東山魁夷に岸田劉生まで。

とって返して高円寺。座・高円寺で燐光群『3分間の女の一生』坂手洋二作・演出。袖すり合うも多生の縁ということか、ご招待いただいたので、お言葉に甘えて。

30ばかりの場面がすべて3分間から成り立つ、というのが宣伝文句。しかし、ストーリーも3分という時間を巡って展開されるもので、実に発想の勝利というか、コンセプトが際立っていて面白い。1972年、カップヌードル発売の年に、ぴったり3分時計なしに計れる自分の能力に気づいた主人公くりた(竹下景子)が、同じくらい3分という時間にとりつかれたかおる(円城寺あや)と組んで「3分間研究所」というものを旗揚げ、「3分叢書」というシリーズの本ですっかり有名になるが、かおるは父親から暴力を受け、我が子を手放した記憶から、やがて怪しげなセクトのような活動を始め……という話。

クイア、家庭内暴力、幼児虐待、セクトのようなコミューン、代理母、普天間基地、等々、現代的なモチーフがこれでもかと贅沢に込められているけれども、それが嫌味にならないのは、人生において大切なものの持続時間は3分間、という前提条件にインパクトがあり、かつ説得力があるからだ。嘘か本当かわからないが、ナチスのガス室がガスを流している時間(つまり人を殺すのに要する時間)も、ジャンヌ・ダルクが火あぶりにされて死ぬまでも3分間、などと最初の方で吹き込まれれば、それも信じてしまいそうになる。本当なのだろうか?

余談ながら、時代を反映した冗談などが散りばめられていて、もう少し笑いが起こってもよかったかなという気がしないでもない。だって、竹下景子に向かって「3分の女王」だぜ! あの三択の女王に。竹下景子と言えば、ぼくは舞台で見るのは初めてなのだが、生で聞くと声が思っていたよりずっと良いという印象。ヴェテラン女優は伊達ではない。

そういえば、カップヌードルも3分。ということで、初日の特典としてカップヌードルをいただいた。腹が減ったのでこれを夜食にでも食べよう。

2010年11月11日木曜日

親とつき合うのも楽じゃない?

昨日の続き、昨日、その学生とメールでやりとりしていたというのは教授会の最中で、その教授会などで近年の受験生の動向、その行動規範などを統計から分析した話などを拝聴していたわけだ。入試科目が変わると受験者数が減る、とか、後期日程合格者は辞退者が多いとか、

……これが何のためになされた分析なのかは、今はどうでもいい。機密に関係することだし、多くは語らない。でもともかく、こういう分析、解釈を聞いていると何かが忘れられているような気がしてならない。学生……受験生たちの行動規範を理解するのに重要なひとつの因子が、すっぽり抜け落ちているように思うのだ。

親だ。

この人たちは、おそらく、ぼくたちが常識的に考えている以上に親に人生を左右されている。親の意見をあまりにも素直に受け入れすぎている。

本当は○○先生のゼミに行きたいんだけど、そんな世間不要の学を学んでいたのでは就職に不利だと親に言われるから、あんまり面白いとは思わないのだけど▲▽学の☆★先生のゼミに行かなければならない、というような主張をぼくは何度聞かされてきたことだろう。就職で内定を取ったのだけど、そんな名前も知らないところで大丈夫なの? と親が言うから、もう少しがんばる、とか……。オープンキャンパスでも、あまりにも漠然としたことしか質問できない高校生や受験生(それが当然のあり方なのだと思う)に対して、どれだけの親がいわばしっかりとした、しかし紋切り型で実際には杞憂に過ぎない質問をしてくるだろう? 

親が子を思う気持ちは、当然のものだ。それを否定はしない。だが、最大の問題は親たちは大学を、大学の学問を、会社を、会社の仕事を、たいていの場合、ほとんど知らないということだ。親だって大学を出ているかもしれないが、子供の行きたがっている大学のことを知っているとは限らない。子供の行きたがっている大学を知っていたとしても、その実情を知らない。知っているつもりであったとしても、それは親が学生だったころの実情であって、現在を知らない。親だって働いているだろうが、同じ業種、同じ職種とは限らない。人ひとりが生きてきて経験できたことなんて、自分の子供に対してすら当てはまらない程度の小さなものだ。

もちろん、ぼくが知り得た例もあまりにも少数の例だ。すべての受験生、すべての大学生にあてはまるかどうかはわからない。でも、それにしても学生たちの決断に際して親が引き合いに出されることが多いような気がする。それが気になる。親は敬った方がいい。でも親の意見は尊重する必要なんかない。意見を異にしても子供を認めてくれるのが親なのだから。

2010年11月10日水曜日

学生とつき合うのも楽じゃない?

いつだったか、1年生の授業が終わった時に、ある学生が話しかけてきた。外語祭の料理店の衣装として、スペインのサッカーのナショナル・チームのユニフォームのレプリカを作ろうと思う。ついてはお前もいるか、というのだ。(「お前」とは、もちろん、言ってないのだが)。で、お、頼むよ、と言ったら、今日いただいたのが、これ。名前は何にするというから、ホルヘだと言った。なにしろホルヘだ。Jorgeだ。あまりにもスペイン語らしい名前じゃないか。

ホルヘのユニフォームを押さえているカメラは、金曜にゼミの学生たちと箱根に行くことになったので、いつもより長めのレンズをカメラに取りつけてみた、そのカメラだ。いつもパンケーキ型単焦点40mmの小さなレンズをつけている身にしてみれば、これは大きい。タムロンの18-200mmという実に重宝するズームレンズ。その割りに短いのが売りだが、径が大きく、重い。

今日は怒濤の会議に次ぐ会議の日。会議の最中、やむを得ずPCを開いたら、学生からメール。うむ。この議題に比べれば、学生とメールでやりとりしていた方が気が和むやね。

今日、アマゾンからこんな本を薦められた。

2010年11月8日月曜日

追い立てられている

こんな夢を見た。

ふたつ前の夢(いつ見たのだったろうか?)で、ぼくには子供が託された。独りで住んでいるぼくのところに、かつての恋人だか現在の恋人だか、妻だか、元妻だか、あるいは同僚だかの女性が、生まれて間もない赤ん坊を託していった。この子はぼくたちの快楽の代償なのだから、喜んで引き受けようじゃないか、と言ったかどうかは覚えていない。そもそもそれがぼくの子だと言われたかどうかも確かではない。なにしろ夢の話だし、前々回の夢だ。

前回の夢で、色々とゴタゴタがあって、ぼくはその赤ん坊をちょっとの間、押し入れに入れておかねばならず、そうした。そして、そこに放置し、何日かが経った……らしい。細かいことは不確かだ。何しろ夢の話だし、前回の夢だ。

で、今回、ぼくはそのことを激しく後悔している。赤ん坊のおむつも替えなきゃいけないだろうし、何しろ放置したきり何日か(何日だろう?)経過しているのだから、無事に生きているかどうかも心配だ。心配なのだけど、怖くもある。怖いから目を背けたい。ぼくは押し入れを開けて見るより先に、ベビーカーや哺乳びん、おむつなどを求めて外に出た。

ぼくのアパートはよく似たふた棟からなっていて、仮にぼくが住む棟をA棟とするなら、B棟の管理人室周辺に、ぼくはいた。倉庫があって、そこにベビーカーがあるはずだった。入口に知り合いの女性たちがたむろしていた。女性たちがしかける世間話の罠を潜り抜け、ドアを空けた。倉庫だと思ったら管理人室だった。ベビーカーは? と問うと、隣の棟ですよ、との答え。夢の中でも、現実の世界でもそうだが、ぼくはこうして常に余計な迂回をしている。A棟に戻る最中、ぼくは自らを呪詛し、赤ん坊を気遣った。そんなことなら、最初から押し入れを空けてみればいいのだ。でもそうはしなかった。そして今、押し入れまでの道はあまりにも遠い。

赤ん坊が無事だったかどうかは知らない。何しろ夢の話だし、夢はそこで覚めたのだし。

夢は記録を残すなどしていると、望みさえすればその続きやあるいは同じような始まり方をする夢を見ることができる。赤ん坊は気になるけれども、ぼくはこの続きを見たいと望むのだろうか?

そもそもこれは、赤ん坊の生死に関する夢ですらないのだろう。さらに、こんな夢を見たのは、前日、次のような一節を読んだことと関連があるのかどうかもわからない。

……スーダンのヌエル族では、男性が独身のまま、あるいは子供を残さずに死んだ場合、近親者がその男性の所有していた牛の群の一部を用いて妻をめとることが認められています。(C・レヴィ=ストロース『レヴィ=ストロース講義:現代世界と人類学』川田順造、渡辺公三訳、平凡社ライブラリー、2005、90ページ)

2010年11月6日土曜日

学園祭など

国立駅の南口を自転車で通ったら、すごい人出だった。中央線は立川−国分寺間の運行を大幅に間引きしているというのに、すごい人出だった。ロータリーから一橋大学に向かう道路のあたりには種々の屋台も出ていた。何だろうと思ったら、案の定、一橋祭(いっきょうさい)だった。ロータリーに横断幕がかかっていた。

ふうん。さすがに一橋は国立の街全体を巻き込んでいるんだな、と感心したが、今ぼくは立川に向かっているところなのだからと、一橋祭には立ち寄らなかった。たいして興味もなかったし。ロータリーの別の側ではいかにもキャンペーン・ガールといった格好の女の子たちが、清涼飲料水だか菓子だかの名前で「○○大学」というフェアをやっているとかやっていないとか、そんなチラシを配っていた。なるほど、こうして企業も便乗だか協賛だかしているんだな、とふたたび感心。いや、実際、この大学外までの盛り上がりは、意外で驚きだ。

でも、ところで、さらっと流したが、ぼくはさして大学祭に興味がない。自分が学生のころ参加するためにそこにいた場合と、教師としておつきあいでそこにいた場合を除き、他大学の学祭にも一度も行ったことがないのだった。そしてそのことをさして引け目にも感じていない。感じるべきかな? よくわからないが、ともかく、学園祭とは無縁な生活。

だから「行ってみたい学園祭」なんてアンケートが成立することも、それに答える人がいることも、ぼくにとっては謎。ましてや、外語祭が3位に入るなど、謎のまた謎。あ、一橋祭は6位なのね。

ま、謎といっても、ぼくは何も学園祭を否定しているわけではない。きっと行けば行ったで楽しい。外語祭など、まあ、楽しい。たぶん。何年か前にこんなことを書いた人が、また翌年も行っているのだから、リピーターを作るほど楽しいのだろう。近隣に住む作家のOさんなど、学内の講演会でお話ししたときには、外語祭で酒を売るのをやめにしないでくださいね、と言ってから本題に入った。だから楽しいのだろう。きっと楽しいに違いない。ぼくも少なくとも月曜日には行きます。スペイン語専攻の学生たちの劇があるので。今年の外語祭は、今月の19日−23日。

ちなみに、上にリンクを貼ったニフティのサイトの記事は面白いというか、ほほえましい。

2010年11月4日木曜日

言葉の力

山崎佳代子さんの講演会「たゆたう世界」はぼくも関係している授業「表象文化とグローバリゼーション」の一環として行われた。

300人入る教室101で、まずマイクを使わずに詩を朗読することから始めた山崎さん、その後の講演はマイクを使い、外国語環境の中で母語(に近い言語)をかけることの効用、母語でなくても言葉を適切にかけることによって通じるコミュニケーションの例、などを挙げながら言語の大切さを説き、その言語における文学の存在意義を説いて力強かった。話すことと聴くことをきちんとすることから作られる教室という公共空間のことなども話され、おおいに感銘した1時間だった。

山崎さんはベオグラードに住み、あのNATOによる空爆の時代を生きてきた人。質問がその時代の暴力というよりはメディアによる情報操作、言葉による暴力についてのものに及ぶと、その時代にまさに、その時代を乗り切るためにダニロ・キシュを訳していたのだなどとおっしゃった時には、ちょっと呆然としてしまったな。涙のひとつも流していたかもしれない。

帰宅すると日本イスパニヤ学会の会報第17号が届いていた。ぼくがここに『野生の探偵たち』についての紹介を書いた号だ。表紙の「目次」には「ボラーニュ」と誤植があったけど。ぼくが書いたのは、以下のような文章だ。

訳者のとまどい
ロベルト・ボラーニョ『野生の探偵たち』柳原孝敦、松本健二訳(白水社、2010)

私はボラーニョや『野生の探偵たち』の面白みを十全に表す語をまだ見出せないでいる。

なるほど、その価値を文学理論や批評の用語をちりばめながらもっともらしく語ることは出来るだろう。『野生の探偵たち』の翻訳者(松本健二との共訳)として小説の3分の2ばかりを訳し、「あとがき」も書いた私は、その「あとがき」にそれらしいことを書いたはずだ。大学院の授業ではここ数年、連続してボラーニョの他の作品を読んでいる。『野生の探偵たち』のみならず、広くボラーニョの特徴というのもつかんでいるはずだ。でも彼がなぜこんなに面白いのか、それがうまく説明できないのだ。

「はらわたリアリズム」という前衛詩の運動の中心人物の足跡を、第1部と第3部ではその仲間になった17歳の少年の日記を通じて、第2部では50余名にものぼる関係者の証言を通じて辿るというただそれだけの筋の小説が、なぜこんなに面白いのだろう? 

私自身は映画における擬似ドキュメンタリーの手法との比較で価値づけてみた(「あとがき」)。野谷文昭さん(『日経新聞』書評)は二人の詩人の「危険で魅力的な旅の切なさと豊穣さにため息が出る」と評された。沼野充義さん(『毎日新聞』書評)は「貧血気味の現代文学への強烈なカンフル剤、いやちょっとした爆弾くらいの効果はある」と評価してくださった。都甲幸治さん(『読売新聞』書評)は「革命や詩に憧れながらも、革命家にも詩人にもなれなかったすべての人にも本作は捧げられている。それでもいいじゃないか。あのころの友情や夢は本物だったんだから」としてノスタルジーに訴えかける面白さだと言う。越川芳明さん(『図書新聞』書評)は「移民が常態と化し、国境がゆらぐ21世紀の現状を扱うこれからの若い日本の作家たちが目指さねばならない作品である」とグローバル化時代に対応するアクチュアリティに面白さを求めている。おそらく、こうした評価はどれも正しい。どれも正しいと言えるだけの豊かさがこの小説の強みには違いない。でもやはりそれだけでは、陣野俊史さん(『週間金曜日』書評)の「なんだろう、これ」という素っ頓狂な驚きの声に応えることができない。

私自身もこの小説を訳しながら、常に思っていた。なんだろう、これ。なんでこんなに面白いんだろう? わからない。でも、私が面白いと思う箇所は、いくらでも示すことができる。たとえば、次のような一節だ。

うつむきながらの作業で目は少しばかりかすんでいたな、チリ人は書斎の中を静かに歩き回っていて、私はただ彼の人差し指と小指の音だけを聞いていたんだが、やれやれ、たいそう器用な奴でね、私の分厚い本の背をさっと指で撫でていくんだが、肉と革の、肉と紙の擦れる音がして、これがまた耳に心地よくて、夢を見るのにちょうどいい、きっと私も夢見る態勢になったに違いない、というのも、いつの間にか目を閉じた(その前から閉じていたのかもしれない)と思ったら、サント・ドミンゴ広場とそのアーケードが目に浮かんだからだ、……(上巻340ページ)

第2部のキーとなる人物アマデオ・サルバティエラが、「チリ人」ことアルトゥーロ・ベラーノ(小説全体の中心となる詩人)の来訪時の話をしている箇所だが、ここでアマデオは嬉しい酒を飲んで寝てしまい、昔の思い出を夢に見たと言っている。その夢の世界への下降のしかたが甘美だし、この後に展開される夢の内容も素晴らしい。でも何と言っても私が面白いと思うのは、( )内の一文だ。「その前から閉じていたかもしれない」。ただでさえ不確かな夢の話が、その夢さえ見たかどうか不確かだと、いったいいつから目を閉じていたのかわからないと、はぐらかされることになるのだからだ。

こうしたはぐらかしが、ボラーニョを読む楽しみの最大のもののひとつだと思う。しかし私はこれを何と呼べばいいのか、知らずにいるのだ。

2010年11月3日水曜日

記憶の不思議

自転車を買った。マンションの駐輪場に空きができたので。いや。そもそも一戸につき2箇所は確保できるという条件だったので、本来の権利を行使したまでのこと。

ともかく自転車を買った。そんなに高いものではない。むしろ安いものだが、一応それでも、6段変速。変速マシンなんて中学以来だが、ぼくが中学のときに比べて、はるかに洗練された変速機。で、買ってすぐ昼食後の散歩としゃれ込み、近くにあることはわかっているのだけど、歩いて来られる距離ではないし、さりとて車では休日は駐車場待ちがしんどいという公園まで行ってきた。

学部5年目と大学院修士課程の学生のころ、要町に住み、北区西ヶ原(地下鉄西巣鴨近く)の大学まで自転車で通っていたことがある。やがて盗まれてしまったのだけど、そのころは板橋の公園とか池袋、新宿あたりまで自転車で走って行っていたものだ。もう20年近く前の話。それ以後初めて、自転車を買ったわけだ。変速機つきだから、道路を走るときにはギア比を大きくしてスピードを出し、公園の中では3速くらいでゆっくりと、ちょっといい気になって蛇行したりしながら走った。

たのしー☆

そういえば、その20年くらい前に自転車を買う以前、大学時代のぼくは意識したわけでないけどジーンズをはいたことがなくて、自転車とほぼ同時期に、高校以来久しぶりにリーヴァイスの501を買ったのだったと、そんなことまで思い出した。しかも、そのジーンズ、さすがにしょっちゅう自転車に乗っていたものだから、またずれして早々とはけなくなったのだった。そんな忘れていた記憶を取り返しながら走っていた。

歩いていては絶対に来ないだろうと思われるスーパーで買い物をして帰った。

さ、「たのしー☆」なんて書いてないで、仕事に戻ろう。

2010年11月2日火曜日

1年先取りしてみた

ぼくは相変わらず根強い不信感をマイクロソフトに対して抱いている。結局のところ一番使用頻度が高いのはワードでありエクセルであるのだけど、それでもマイクロソフトは信用できないと思っている。とりわけOffice 2007、Office10とバージョンを重ねるにつれて使いづらくなるWordに対する不満はたらたら。

といいながら、早速Office for Mac 2011を買っているのだから世話がない。

だってWindows用よりMac用ははるかに使いやすいし、2007の改悪の影響も2008にはなかったし、アカデミック・パックだったらWord、Excel、Power Point、Outlook(前までEntourageというソフトだったのに)が込みで17,000円くらいなものだし……

でも、不信感を抱いているからこそ、2011によってついにOffice for Macも改悪の道をたどるのじゃないかとの疑心暗鬼があるのだ。とりわけ、Entourageを使っているぼくにとって致命的なことだが、Outlookと名を変えたそのソフトが劇的に悪くなるのではないかと。

結果、Office for MacはMacにやたら気を使った(媚びを売った? 範とした)仕上がりになっていると結論。

Outlookはメールとそれに対する返事の数々をひとつのスレッドにまとめて示し、まるでMailみたいだ。Wordは新規に開くとテンプレート集が示され、まるでPagesみたいだ。このテンプレート集、ぼくにはどうでもいい問題なのだけどな。でもいつか役に立つ日は来るだろうな。

Wordにおいて一番心配だったツールパレットの問題。かつてぼくが使っていたツールパレットの内容(フォントやポイント数、インデントなどの位置調整)は、今回リボンと呼ばれるツールバーの延長になり、収納と繰り出しができるようになった。意外にこれはいい。ツールパレットには検索、引用文献一覧、チェックなどの機能が割り当てられた。

一番面白いのは全画面表示機能。紙を寝かせて縦書きで書いていると、この機能を使ったときとても見やすくなる。ちょっと楽しい。

2010年11月1日月曜日

新たな批評言語の創出を目指して?

先週末の学会の懇親会で2度ほど話題にのぼった新聞記事があった。ぼくは読み落としていたので帰宅後、読んでみた。『朝日新聞』10月29日朝刊、13版17面『オピニオン』欄。「池上彰の新聞ななめ読み」のコラム。タイトルは「ノーベル文学賞 我ら素人にもわかる解説に」。もちろん、池上彰が書いたのだ。

言うまでもなく「ノーベル文学賞」というのはマリオ・バルガス=リョサのこと。彼の受賞決定後、新聞に掲載されたバルガス=リョサ紹介の文章のことごとくが、「我ら素人」にはちんぷんかんぷんで、これでは読む気にならない、ということを説いたもの。

いやあ、耳が痛いなあ。ぼくは引用されて批判された対象ではないけれども。批評の対象になっているのは、同業者。先輩たちだ。だから懇親会で話題にのぼるわけだ。こうした批評に対して、批評された側を党派的に擁護する気はない。でもだからといって、池上彰の言うことを受け入れるわけでもない。

たとえば池上は「バルガスリョサ氏の存在は、日本ではあまり知られていません」とことさら無知を装い、もっと知られるように専門家たちは努力すべきだと、そのためにやさしい解説をすべきだと言うのだが、彼が匿名で引用し批判している対象たちがバルガス=リョサの作品の貴重な翻訳者たちであることには触れようともしない。わずかに『緑の家』の翻訳文庫本があることはほのめかしているものの、これでは翻訳がどれだけあるのか、言い換えればどれだけ日本の出版界や読書界で認知されているのかを知らしめることはできていない。読んでもらうための第一歩を、彼自身示していない。

だいたい、ぼくは無知を装い知識人のジャーゴンを批判する知的カマトト戦略を信用していない。池上彰など、どう「我ら素人」の側に立っても、インテリであることを誰もが知っている人間が、そんなものを装って何になるというのだろうか? 大半の人間が仮にも大学に入学する時代に、あまりものを知らない大衆でござい、なんて態度が許されていいものだろうか? インテリならインテリとしてインテリたちの言語に対峙し批評してもらいたいものだ。もはやありきたりの紋切り型である知的カマトトの言語など使わないでいただきたいものだと思う。

ま、でも、確かに池上の言うことにも一理あるのだろうな。バルガス=リョサの小説の魅力を、短い新聞の記事で紹介するなど、至難の業だと思う。リアリズムだのナショナリズムだのフラッシュバックだの、等々といった語など使わずに的確に表現する。それが問題なのだろうな。

マリオ・バルガス=リョサはとても真面目な作家だ。真面目な作家だということはどういうことかというと……

2010年10月31日日曜日

学会に出る

日本イスパニヤ学会第56回大会(@関西大学)に出てきた。台風が近づいていたけど、ぼくはそれほど濡れなかったし、新幹線のダイヤグラムに乱れもなかった。ものすごく寒かったのだけど、大阪に着いてみたらそれほどでもなく、持ってきたコートが所在なさげだった。当然、Mac Book Airも持っていって、自慢した。

梅田にホテルを取って先にチェックイン。ここでゆっくりし過ぎたので、研究発表には少し遅れて行った。東大の大学院生2人の発表を聞いた。ルルフォとダリーオ。記念講演は鼓直さん。「テネリフェ派のシュルレアリストたち」。記念講演なのに、まるで研究発表みたいな内容で、1935年にカナリアス諸島テネリフェで開かれた国際シュルレアリスム展と、それを主宰した雑誌、Gaceta de Arte の話など。鼓先生、今年、御年取って80歳。若々しい態度だ。

懇親会では主にワイン。幾人かの方々から『映画に学ぶスペイン語』の話を出していただいた。恐縮。紹介された若い研究者はぼくを『春の祭典』の翻訳者と認識してくださっていた。ますます恐縮。

気のおけない仲間たちと二次会、南方のスペインバル。さらに焼き鳥屋。

2日目は、いや、2日目も少し遅れて行った。昨夜の仲間の何人かと駅で会う。お互いもう年だ。教え子の発表を聞き、コルターサルについての発表を聞き、帰ってきた。今日は大阪も帰宅後の東京も雨が少し降っていたので、昨日持って出た傘を使うことができた。間抜けにならずにすんだ。

もはやこの学会の理事ではないので知らなかったのだが、年少の友人が論文を出して掲載が認められ、それが若い研究者に送られる学会の奨励賞を受賞したのだとか。ぼくの出なかった総会で授賞式があったのだという。新幹線代を引けば賞金もほとんど残らないのだけど、まあそれでもめでたいには違いない。

2010年10月30日土曜日

雨の日には長靴を履こう

台風だ。台風だというのに、大阪に向かっている。台風は雨を連れてくる。雨が降ると傘をさす。傘をさしながら歩くと、自然と視線は下に向かう。下を見ていて気づいた。これ、なんだろう? 何か懐かしいような……

そうだ! 思い出した。長靴だ。ゴム長だ。けっこうな数の人がゴム長を履いている。

ゴム長というと、黒や茶色や黄色いのや、なんだかそれが野暮ったく思えていたものだが、今日、すらっとした女性がジーンズの裾を黒い何の変哲もないゴム長靴の中に入れて歩いていると、ぼくがこれまで知らなかった類のブーツであるかのように見えた。

レインブーツ、などと言えば少しはおしゃれになった気がする、なんて本気で考える人が本当にいるのかどうか、ぼくにはわからない。ぼくはそうした思想を鼻で笑う。ゴム長靴はゴム長靴だ。そしてそれは時に、子供時代のぼくの印象を裏切り、とてもすてきに見える。それに反して、ぼくのデザート・ブーツはどうやら底から雨水がにじみ始めたように思えるぞ。やはり砂漠用では雨には弱いのか?

そんなことを考えながら歩いていたら、今度は向こうから焦げ茶色のゴム長靴が歩いてきた……いや、つまり、ゴム長を履いた女性が歩いてきた。女性の脚が。足が。

2010年10月28日木曜日

浪費?


うん。わかってる。浪費だ。こんな浪費をするのは、何かに追い立てられてるんだ。

でもね、買っちゃったんだよな。Mac Book Air 新タイプ。

マルチタッチトラックパッド搭載だし、形も初代にくらべてずっといいし。11インチというやつが出たし。それが魅力だったので。

で、到着。Mac OS X はこうやって古いマックからデータを簡単に転送できる。設定なんかもまったく同じものが再現される。転送中。13.3インチのMacBookを向こうに眺めながら、この大きさだ(上)。1時間弱ですべてのデータの転送が終了。

そして手に持ってみる。この手軽さ(右)。

ぼくは以前、日立のものすごく薄いPCを持っていたが、それは薄すぎて少し不安だったけど、Mac Book Air、キーボードの感触もいい。

さっそく、ちょっと前に報告した今年の語劇のパンフに寄せる原稿を仕上げて、送付。

今週末のイスパニヤ学会にも、来年の帰省にも携えていこう。Mac Book Air。

ところで、なんだかこのBlogger、以前に比べて使い勝手が悪くなったな、と写真を貼ってみて思う。

2010年10月21日木曜日

シマとシマの間の島に雨が降っている

昨日教えていただいて気づいた。奄美大島での雨が激しく、甚大な被害をもたらしているという。とりわけ、奄美市住用や龍郷町というところでは死者も出たとか。

奄美市というのは、例の「平成の大合併」で名瀬市、笠利町、住用村が合併してできた市。今回の被害の甚大だった場所は旧住用村。土砂崩れがあったというのは名瀬市と笠利町の間にある龍郷町(合併に応じなかった共同体)。ぼくが生まれたのは名瀬市。現在の実家は笠利町。名瀬からは間に龍郷を置いて分断された、北の外れだ。

住用村(ぼくの感覚では、やはりこれがしっくりくる)はマングローブの原生林などで有名な名瀬の南の共同体。水が近くにある感じだ。奄美は日本本土を小さくしたように、山がちの地形、海沿いにわずかな平地がへばりついている、その平地に集落が点在する島だ。各集落を島(シマ)と呼ぶけれども、そのようにシマとシマが連なってできたような島だ。つまり島はひとつにして群島なのだ。今回、土砂崩れで道路が分断されたというが、ほんの半世紀ほど前、戦後、いや、復帰後の1950年代にバスが通るまでは「てんま」とよばれるはしけの回船が存在していた。それがシマとシマを海伝いにつないでいたのだ。そうした交通のなくなった今、陸の交通が水にしっぺ返しされている。

今し方、ニュース映像で見たところによれば、懸念されたとおり、旧・笠利町の中心地からぼくの実家のある集落に向かう道路が不通になっているらしい。ぼくの実家の集落(屋仁という)は比較的川とそれが作る平野(河岸段丘、というほどではない)がゆったりしているし、通常は川の水位が低い(昔は一部でとても高かったけど)。ぼくの実家は川からも海からも山からも遠い、集落の中心あたりで、避難勧告が出たとしても、避難所になるはずの公民館のすぐ隣だ。だからさして心配はしていない。たとえ79歳になる母が独りで住む実家に、電話が繋がらなくても。

2010年10月20日水曜日

悪魔も人間を支配などできない

これまでも何度か書いているが(それとも、毎年の話題か?)、ぼくが勤務する東京外国語大学には通称「語劇」と呼ばれるものがある。秋の学園祭(外語祭)で、学生たちが専攻語による劇を上演するのだ。スペイン語の学生ならば、スベイン語による劇。

なんだか大げさなホールができて最初の記念すべき今年は、カルロス・ソロルサノCarlos Solórzanoの『神の手』Las manos de Dios(1956)に決まった。パンフに何か書けというので、読んだ。佐竹謙一編訳『ラテンアメリカ現代演劇集』(水声社、2004)pp. 159-210. に翻訳が掲載されている。ソロルサノ自身が編んだEl teatro hispanoamericano contemporáneo (México, FCE: 1964), pp. 301-358.にも掲載。

ページ数からわかろうが、長い作品ではない。時間制限のある学祭にはちょうどいいかもしれない。

『神の手』と言いながら、悪魔が出てくる話。悪魔が人間に自由をそそのかす。領主が強大な権力を持っている共同体で、領主を悪く言ったために投獄された弟を助けたいと願う少女ベアトリスが、悪魔にそそのかされて看守に賄賂を渡すが、それでお気に入りの娼婦を身請けしたいと願う看守は要求額をつり上げ、ベアトリスは教会に忍び込み……という話。

台詞の分量など、あっさりとした小品だが、人間の自由と信仰、権利を扱い、なかなか難しい。しかも台詞を補うかのように無言の人物のパントマイムが要求され、幻影まで登場するのだから、これは演出の腕の見せ所。さて、学生たちはこれをどのように舞台に掛けるのか?

2010年10月11日月曜日

Bastan las que por vos tengo lloradas

イルダ・イダルゴ『愛その他の悪霊について』(コスタリカ、コロンビア、2009/オンリー・ハーツ、2010)

『文學界』10月号で田村さと子がそのカルタヘナ映画祭での上映を見ずにその地を後にしたと報告していたガブリエル・ガルシア=マルケス原作の映画化作品。DVDになって発売された。

18世紀のカルタヘナ・デ・ラス・インディアスで貴族の娘シエルバ・マリア(エリサ・トリアナ)が犬に噛まれ、狂犬病の疑いをかけられて修道院に収監され、その後見を預かった若い神父カエタノ・デラウラ(パブロ・デルキ)と恋に落ちるが、狂犬病の嫌疑がかけられていたはずの少女には、いつの間にか悪魔払いが強要され、追い込まれていくというストーリーの、中編というほどの短い作品ながら、様々な方向性の示唆に富む実に豊かな小説が原作。DVDジャケットの宣伝によれば、これを観た原作者は「この作品には原作のエッセンスがある」と言ったとか。

「原作のエッセンス」のひとつは、なんと言ってもカルタヘナの街並み。雨に煙る沿岸地帯のこの街の雰囲気は、湿気でむせかえるようなカリブのそれを確かに伝えていると思う。

カエターノがヴァチカンで図書館つきになることを夢みるビブリオフィルであるところから、この小説では様々な書物への言及、そこからの引用などが散見されるのだが、原作を読んだときにはたいして記憶に残らなかったのに、こうして映像で再現されると改めてその重要さに気づかされたのが、表題に挙げたガルシラソの詩からの引用。「汝のために流せし涙にて充分なり」と旦敬介は雅やかに訳しているが、これを発しながらカエターのがシエルバ・マリアを愛撫するシーンなどは官能的。原作を普通の速さで読んでいたのでは不覚にも気づかなかったな。なるほど涙は官能の表現なのだと、改めて気づかせてくれる。

最初の方で、朗読するカエターノを司祭のドン・トリビオがたしなめるシーンがある。「そんな風に読んだんではアリストテレスが台無しだ」とかなんとか言いながら。これに相当する記述なりシーンなりが原作にあったかどうか、覚えていないが(確かめておこう)、とても印象に残るシーン。これもまたひとつの「原作のエッセンス」だろう。

2010年10月9日土曜日

続・祝! ノーベル賞

取り寄せたまま観ていないDVDがいくつかあるので、観なきゃなという気になり、まずは、この時期なだけにこれを。

フランシスコ・ロンバルディ監督『囚われの女たち』(ペルー、1999/パイオニアLDC)
「我々に奉仕せよ!」とか「復讐か、恋か。美しい奴隷の誘惑」、「緊迫のエロティック・サスペンス」などと謳っているが、これはマリオ・バルガス=リョサ『パンタレオン大尉と女たち』Pantaleón y las visitadoras(1973)の映画化作品。

ペルーのアマソニーア地方で若くて性欲を持てあました兵士たちが地元の女性たちをレイプする事件が相次ぎ、頭を悩ませた軍が、士官学校を主席で卒業した真面目な軍人パンタレオン・パントハに命じて、兵士たちの性欲処理の任務をさせる。民間人のふりして娼婦たちを派遣するという任務だ。真面目すぎるパンタレオンは、あまりにもうまくやってのけたものだから、やがて地元のラジオ局の告発を受けることとなり、なにしろ秘密の任務なので軍も知らんぷりを決め込み、パンタレオンは追い詰められていくという話。原作は皮肉とユーモアのきいた短めの長編小説だ。それの映画化作品。

まあイサベル・アジェンデの『愛と影について』の映画化作品に『愛の奴隷』などというタイトルをつけた前科のあるパイオニアLDCのこと、誤解をわざと狙っているかのようなコピーのつけ方には、今は目くじらは立てるまい。画質の処理なども、もう少し丁寧にやっていいんじゃないか、という文句も言うまい。お手軽にソフト化したかったのだろう。しかし、原題にもあるvisitadoraを英語風に「ビジター」と訳してしまう字幕翻訳種市譲二の語感はどうかと思うな。いや、きっと、実際、シナリオの英訳から翻訳は作られたのだろう。でもそうであったとしても、「ビジター」はない。サッカー・チームじゃないんだから。せめて「慰安婦」くらいの訳語は使ってほしいもの。

さて、原作の原書も翻訳(高見英一訳、新潮社、1986)も手もとにない。研究室だ。読んだのもだいぶ前の話。だから、正確に確認はできないけれども、脚色は思い切ってなされており、好感が持てる。原書は73年で、パンタレオンは報告書をタイプライターで書いているはずだが、1999年作品の映画ではPCのワープロソフトを使っている。携帯電話も登場し、現代的だ。慰安婦ビジネスの背後にパンタレオンがいることを突き止めて告発するのがラジオのパーソナリティであることは変わりないけれども、人気の娼婦の葬儀をTVが中継している。TVが加わることによってパンタレオンはTV以後の時代なりの追い詰められ方で立場をなくしていく。

もちろん、70年くらいの話だとして歴史的に描写することもできただろうが、アクチュアルであることを選択したのだろう。であればやっぱり、もう少し丁寧に画像の処理をしてほしかったとも思う。パイオニアLDCに願うべきなのか、発売のクロックワークスか?

2010年10月7日木曜日

祝! ノーベル賞受賞

授業が始まってちょうど1週間。くたくたになって帰宅し、PCを開くと、ツィッターのTLに不穏な動きが。

むっ?

マリオ・バルガス=リョサのノーベル賞受賞が決まったとのことだった。

1960年代には「ラテンアメリカ文学」のブームがあった。ブームとは結局のところ、バルガス=リョサの鮮烈なデビュー、フエンテスの暗躍、ガルシア=マルケスの爆発的売れ行き、だった。作家の側だけを見れば、そうなる。たぶん。バルガス=リョサはブームの片翼だった。『ラテンアメリカ文学の〈ブーム〉』という本を書いたホセ・ドノソによれば、ブームはキューバでの言論弾圧(「パディーリャ事件」として知られる)をもとに起こったイデオロギーの分裂だとのことだが、ガボはカストロの側につき、バルガス=リョサはカストロへの公開書簡を送り、このふたりの仲にも亀裂が入った。最後はバルガス=リョサがガルシア=マルケスを殴ったというのは、有名なエピソード。その意味でも、ふたりは両翼だった。

一方、作風も、一見、ふたりは双璧をなす。……のかな? 奇想天外のガルシア=マルケス(これも本当は違うといいたいが)に対し、バルガス=リョサは複雑な仕掛けをほどこすけど、それを解きほぐせば実にリアリスト風で、わかりやすい(そしてまた、これも表面的、部分的に過ぎる印象)。

『緑の家』が岩波文庫から再版を果たしたばかりだ。年明けには大作『チボの狂宴』も翻訳が出る。それなりに遇されているのだけど、しかし、やはりガルシア=マルケスのひとり勝ちの観が強い状況下では、過小評価されているような気がしないでもない、そんな存在だった。

もちろん、ガルシア=マルケスも面白いが、バルガス=リョサも面白い。『密林の語り部』とか『パンタレオン大尉と女たち』などは、とりわけぼくは好きなのだけどな。

ぼくが望むことは、たぶん、絶版になっているこれらの翻訳が再版されることと、まだ翻訳されていない作品がひとつでも多く翻訳されること。

2010年10月4日月曜日

そう書かせているのは誰だ?

ぼくはスペイン語を教えている。スペイン語専攻の学生たちに対する読解の授業を担当している。ついでに言えば、今年は副専攻語と呼ばれる、ようするに第2外国語のスペイン語も担当している。で、気になることがある。

「私たちはその先生に質問をする」
「その喫茶店に入ろう」

こうした訳語が少なからずある。それぞれ、

Hacemos unas preguntas al profesor.
Vamos a entrar en la cafetería.

の訳。うーむ、と唸ってしまう。つまり定冠詞(el, la, los, las)のある単語に機械的に「その」をつけて訳語をつくる学生がいるのだ。少なからず。

きっとこれが、悪名高い「受験英語」の弊害なのだろうなと予想する。定冠詞に何らかの特定性というか有徵性を認め、それを示すために「その」をつけるというわけだ。

でもねえ、有徵であるならば、何もかも「その」で済ませるのはあまりにも芸がない。それが第一点。そしてなにより、スペイン語においては定冠詞なんて、たんなる添え物なのだよな。というのが第二点。そのことは何度も口を酸っぱくして言っているつもりなんだけどな。

「その」なんてつけるな。君の人生の悲しみが、その「その」一点に集中しているのだぞ。

以上は前期の試験を見直して、改めての感想。

2010年10月3日日曜日

まだまだ続くサンデル先生人気

先日書いたように、アクセスが一番多いのはサンデル先生の名を出した記事だったのだ。今日のTV欄にも先生来日時の東大での講義の様子を番組にしたものがあると書いてあった。しかしこれは、先週の日曜の夜に放送したものを少し編集したものだった。確認する限りそう見受けられた。

ところで、この人気、何が根底にあるのだろう? サンデル自身は、政治から哲学的基盤が抜け落ちがちになり(経済主導になり)、経済は脱政治化している現況(グローバリゼーション)への反省として政治哲学の復権を考えているような節が見られる。それはおおいに慶賀すべきこと。どんどんやっとくれ。受け取る側、つまり日本の読者や、こうした催しに駆けつける人は、何を求めているのだろう? イントロダクションとして流された参加者たちの発言は、大学の授業としてこうした対話型のものが成り立つことへの驚きを口にしているものが多いように思った。そうした意見が多くなかったとしても、NHKはそう思わせるような編集をしていた。

確認しておかなければならないことがある。ハーヴァード側(あるいはアメリカ合衆国の大学全般の側)の事情と日本の大学の事情だ。

ハーヴァード側の事情:あれがマイケル・サンデルの開く「正義」の授業の全貌ではないということ。あの講義の授業の他にリーディング・アサインメントなどがあって、受講者たちは事前にリーダーという資料集の当該の箇所を読んでくることが義務づけられている(それを他の時間にチェックされている)こと。議論の根底にあるテクストを共通の基盤として持っているのだ。講義とはつまり、学生たちの読書の理解を助けるもの。

日本の事情:少なくともあの東大での講義に集まった者のうち、学生たちは、例外的な存在だと考えた方がいいということ。彼らにあらかじめリーダーが与えられていたかどうかは知らない。たぶん、みんな、あるいは多くが、サンデルの本は読んでいる、でもこの講義のために指定されたテクストはなかったのだろう。内容から判断するにそう予想される。ともかく、放送に乗る発言をした者たちのうち学生と思われる人々は、例外的な存在だ。帰国子女らしい者と、そうではなく勉強によって英語力を獲得したのだろうが、だとすればかなりできる方だと言っていい者を合わせた割合が多い(全員が東大生だとも思わないが)。そして、そういう人たちは、確かに発言するものなのだ。

次なる事情。日本の大学のほとんどは、ひとつの授業が週1回きりで、1回90分(がほとんど。今でも東大の本郷は100分か110分のはずだが)。それを学生たちは週に十数コマも取るものだから、すべての授業で毎回何ページも何十ページも指定して読ませると、とても体が持たない。いきおい、個々の授業では、その学にとって重要なテクストを学生に読ませるのでなく、それを教師が解説だけする、という形になってしまう。場合によっては、重要なテクストを解説した教科書を解説する、という授業になることもある。

少なくともぼくが学生だったころの大学の授業は、そんな感じだった(だからぼくはある日、これならほとんどの授業は、サボって自分で本を読んだ方が話が早い、と思った)。今もこの事情はそれほど変わっていないとは思う。でも、最近では、同業者のシラバスなどを読んでいると、読ませたり議論させたり、といったことを取り入れる先生たちは少なからずいる。大勢の面前での議論は苦手だけど、グループ単位でディスカッションさせたり、あるいは議論ではなく発表をさせたりすると、学生たちも下手なりにやってはくれる。問題は、だから、それをすべての授業でやると学生たちの体がもたないということだ。

本当は、講義一辺倒の授業を補うのが演習とかゼミとかいうものなのかもしれないのだけど、……うむ、この話をすると、ますます事情は複雑になってくるのだろうな。そんなことをしている時間は今はなく、ぼくはその自分のつまらないかもしれない授業の準備に粛々と取りかからねば……

2010年10月1日金曜日

統計

今日は都民の日。映画の日。授業の開始日。大抵の日本企業の内定式の日。

……内定式? なんだそれは? 日本企業の求人活動における横柄さと滑稽さは!…… 入社式があるというのに、その前に内定式などと囲い込み以外の何ものでもない儀式を執り行うなんざ、内定者に逃げられまいと必死な下心を隠せない。そのくせ、夕方のTVニュースで流れていたどこぞの大企業の社長だか重役だかは、「狭き門を潜り抜けてきたのだから、さぞかし自信になっただろう」云々などと、ずいぶんと偉そう。何かを思い出させるぜ。

10月1日は、今年はさらに国勢調査の開始日。国もすなる統計てふものを、国民たるぼくもしてみようか。このブロガーには来訪者の数を記すカウンターのようなものがない。その代わり、きづいたら、ログイン画面に「統計」のタブがあり、そこにログ解析の結果が出るようになった。日、週、月、「全期間」の来訪者数、ページ(記事)ごとの閲覧者数、トラフィックソース等々が示される。

たとえば、7月から始まったらしいこのサービス、その月から3ヶ月、ぼくのブログにはほぼ毎月3.600-3,900人くらいの来訪者がある。多くはぼくのサイトのリンクやグーグルなどの検索エンジン、ツイッターなどをたどって来ている。日本のみならず、インドネシア、フランス、イギリス、スペイン、北米3国、コロンビア、などからアクセスがある。3ヶ月で最も多く参照されたページ(記事)は5月30日の「サンデル先生に訊いてみよう」。これが199回、これだけをめがけて来た人に見られている。2位、3位はいずれも映画の話題。9月20日の「家族の物語」(コッポラ『テトロ』のレビュー)、127回。『シルビアのいる街で』のレビューが第3位の121。面白いところでは、今日になって1度だけ6月20日「そんな中」が参照されている。

ふむ。マイケル・サンデルはやはり話題なのだなと、改めて実感される。ぼくは彼の著作に関して、特に大したことを書いたわけでもないのだが。そしてまた映画も強い。それともこれは、ある人のツイッターからやって来た人々と思われるからなのか? いずれにしろこの程度の「統計」上の数字など、ほとんど限りなく無意味に近い。これが最高199人ではなく、19,999でも、おそらく、大差ない。たとえひとりでもいい、誰かの心の中に何らかの足跡を残さないなら、閲覧者が何万人でも何百万人でも虚しいだけだ。誰かの心の中に残した足跡は、これだけの通り一遍の統計の数字には表れない。

そして最大の問題は、ぼくのこんな文章など、きっと誰の心にも何の足跡も残さないだろうということ。この記事前半を読んで、内定式などというしきたりを廃止する企業は1社としてない。このことは請け合える。

2010年9月28日火曜日

怒れるぞ

法政のゼミでは、多民族、多文化の視点を提供してくれそうな映画を観るということをやっている。そういったら、今日学生が持ってきたのが、ニキータ・ミハルコフ『12人の怒れる男』(2007)。

もちろん、シドニー・ルメットのあの映画の翻案なわけだが、裁判で罪が問われているのが、チェチェンからモスクワに養子にもらわれてきた少年という設定であることが問題なのだな。

陪審員ものだから罪が立証されるかという論理が問題になるのだが、その論理を感情にすり替え、あげくに「ロシア人は感情がないと動かない」「法律は死んだ」などと登場人物に言わせているのだから、そんな「ロシア人」を口実に、変な風に作られちゃったかな、と思っていたのだが、そのうち何だか様子が変わってきた。陪審員ひとりひとりが論理を考える代わりに自らの人生を語り、それがまた必ずしも切羽詰まったものでなかったりして、……うーん、これをしてアネクドートと言うのだろうか、と唸りながら観ていた次第。最後はミハルコフ自身が演じる陪審員2が目の覚めるような主張をし、彼のその主張の裏にある感情を示唆するようなシークエンスが入り、……疑問点も多々うまれてくる。

外国人恐怖のタクシー運転手やハーヴァードを出たというマザコンのボンボンやらと、ステロタイプに堕しているかと思われた人物がその人に用意された見せ場の後に態度を変更するという論理(?)の展開などは、そのうち、奇妙に面白く感じられる。

2010年9月25日土曜日

ペンタックスは青がきれい

生活を変えたいと思った。郊外の暮らしに疲れた。たとえば自転車が欲しいと思った。自動車なんか、近頃増えたカーシェアリングでいい。

自転車が欲しければ買えばいいのだが、自転車置き場に場所を確保できるかどうかも問題。すぐには買えない。でも、自転車が欲しいと思ったら、どういうわけか、散歩に出なきゃと思った。散歩に出た。数枚、写真を撮った。

結果、ストレッチ不足を感じた。背中も痛くなった。その前もその後も翻訳やら何やら。

来週にはもう逃れられない。授業が始まる。

2010年9月22日水曜日

空虚なイメージなどではなく、一個の実在なのだ。

もう日付が変わったので、昨日のことになるが、火曜日は法政の後期初日。ゼミの連中とバーベキューをしてきた。法政多摩キャンパスにはバーベキュー施設が2箇所にあるのだ。そのうちのひとつで。

で、帰りの電車で読み終えたのが、

奥泉光『シューマンの指』(講談社、2010)

ピアノの鍵盤に血のついた模様の装丁が素晴らしい1冊。

一旦は音大に入ったものの、ピアニストの夢を断念し、医学部に入り直して今は医者をしている里橋優が、高校時代の友人からの手紙をきっかけに、30年前の天才少年ピアニスト永嶺修人とのつき合いを想起し、彼の周りに起こった殺人事件を回顧する手記を書くというもの。

いわゆる謎解きを主眼とするミステリではない。犯人は最初から直感されている。この小説の真骨頂は、ミステリではない殺人事件の謎解きにリアリティを与える心理と知覚と記憶との不確かさを巡る描写だ。長男を青年時代の自分自身が殺していた(かもしれない)という小説で芥川賞を獲ったこの作家の、さすがの手並みだ。ちなみにこの記事のタイトルは小説本文からの引用(294ページ)。

なんといっても小説内を埋め尽くすシューマンに関する蘊蓄や演奏批評も素晴らしく、フルート奏者でもある作家の音楽家への愛が伝わってくる。最後の数ページでどんでん返しがあり、最後まで残された謎にも解決がつけられるというしかけ。電車が最寄りの駅に着いてからも、数分間プラットフォームのベンチに座り込んで読み終えてしまった。

2010年9月20日月曜日

家族の物語

以前、柴田元幸さんをぼくの関係する授業にお招きして、お話しいただいたとき、かつてアメリカ文学には家族が不在だったのに、ここ10年(だったっけ?)ばかりは家族の話ばかりが書かれている、というようなことをおっしゃっていた。映画はどうなんだろう? でもこの人の場合、「アメリカ映画」といえるのだろうか? だいたい『ゴッドファーザー』の人だ。家族が不在も何も、一族郎党全部ひっくるめてって話じゃないか。『ランブルフィッシュ』なんて兄弟ものもあった。だからまあ、そんな一般論で考えない方がいいんだろうな。

フランシス・フォード・コッポラ『テトロ』(アメリカ、イタリア、スペイン、アルゼンチン、2009) 昨日に引き続き、ラテンビート映画祭にて。

ニューヨークにある親の家を出てブエノスアイレスにやってきて、小説を書こうとして挫折、精神を病み、何度か事故にもあってふさぎ込んで暮らすアンジェロことテトロ(ヴィンセント・ギャロ)のもとに、年の離れた腹違いの弟のベンジャミン(オールデン・エーレンライク)が訪ねてくる。どうやら詩人を目指しているこの弟、兄に捨てられたと思っているようで、最初は兄弟の確執と愛の話かと思わせる。ましてやテトロの書いている小説は、彼の父親とその兄の芸術面におけるライヴァル関係と確執を題材としているようで、2つの世代にまたがったパラレルな兄弟の話が展開するのかとの予想も成り立つ。しかし、実際にはそれが父殺しの話だったのだということがわかってくる、というストーリー。

大抵が白黒で展開されるストーリーに、たまに挟まるカラーのシーンは、テトロの回想かと思ったら、実は彼の書いていた小説の内容(事実に基づくものではあるらしいが)。テトロの父は、彼は一緒に暮らすミランダ(マリベル・ベルドゥー)には隠していたけれども、1901年にイタリアからアルゼンチンに移住した家族の子で、エーリヒ・クライバーに目をかけられて大成した世界的な指揮者カルロ・テトロチーニだということが、白黒のシーンとカラーのシーン両面からの説明で次第にわかるようになってくる。左右逆転した鏡像文字で書いていたテトロの小説の草稿をベンジャミンが書き継ぎ、書かれないままだった結末も自分で見つけ出すのだが、しかし、そうではない本当の事実としての結末がクライマックスで兄から弟に告げられる。観ているうちに観客の誰もが予想するような結末だが、この展開は面白くて飽きない。

父親殺しの話で、クライマックスにはアローンという批評家(カルメン・マウラ)の主催する文学賞の発表会があるのだが、この賞、日本語字幕では「反逆文学賞」と訳されていた。Premio parricida(父殺し賞)なのだけどな。不自然だと思ったのだろうか? でもそもそも、影響力絶大なる批評家のペンネームがAloneなんて設定は、不自然といえば不自然(この不自然さはボラーニョを思わせる。『チリ夜想曲』のフェアウェルだ)。それを思えば、「父殺し賞」で良かったのではないか? ただし、セリフのスペイン語のパートには英語字幕がついていて、そこにはParricide Prizeと明記されていたので、わかるといえばわかる。(今、『リーダーズ英和辞典』を引いたら、parricideの項に「反逆者」という訳語があった。なるほど、スペイン語の辞書にはでていないはずのこの訳語、こうしてできたのだな)

ところで、コッポラってこんなにうまい人だっけ? と感心するシーンがいくつも。サービス精神もたっぷりで、巨匠はさすがに巨匠なのだと、納得(近年は娘の話題ばかりなもので、忘れていたのだな)。テトロのアパートで兄弟が口論するところは映画館内であることも忘れて唸りそうになった。終わって拍手が起こったのもうなづける話。

余談だが、ヴィンセント・ギャロ。ギャロなんてカタカナで書くとわからないのだが、Galloじゃないか。つまり鶏だ。オンドリだ。そう考えてひとりほくそ笑んだ。

もうひとつ余談。ロドリーゴ・デ・ラ・セルナが出ていた。『モーターサイクル・ダイアリーズ』でゲバラと一緒に旅するアルベルト・グラナドの役を演じていた俳優だ。

最後の余談。テトロがベンジャミンを見舞った際に持っていった差し入れは、本3冊。うち1冊は架空の人物(映画内の「アローン」)によって書かれたもの。残りの2冊の著者は、それぞれ、レオン・フェリーペとロベルト・ボラーニョ。

2010年9月19日日曜日

旅の疲れを佳作に癒される

以前観た『シルビアのいる街で』のことを、知り合いは「すごいイケメンがすごい美人さんをストーキングする話」と聞いたと言っていたが、これはさしずめ、むくつけきことこの上ない男がかわいい女の子をストーキングする話。何かと言えば、アドリアン・ビニエス『大男の秘め事』(アルゼンチン、ウルグアイ、ドイツ、オランダ、2009)。ラテンビート映画祭(新宿バルト9)にて。

背が高く恰幅もいいくせに同僚からはJaritaと、いわゆる縮小辞つきで、しかも、-a で終わるのだから女の子を思わせる愛称で呼ばれるハラ(Jarra——ジョッキ——のことではない。-r-はひとつだ)(オラシオ・カマンドゥレ)はモンテビデオ(ウルグアイ)の大型スーパーの警備員。監視カメラで店内のゴタゴタを盗み見て楽しんでいる。ある日、ヘマをして商品管理の上司にお目玉を食らうフリア(レオノール・スバルカス)に恋をして、彼女のストーキングを始める、という話。

監視カメラのストーリーへの絡めかたが実にうまい。小説は活字よりも古いメディアである手紙や日記を裡に取り込む。神の視点を目指した小説に比して手紙や日記は一人称で語られるのが自然だから、いきおい、視界が限られ、見えないもの、語られないことが出てくる。その見えないものや語られないことが謎を産み、嫉妬を掻き立てる。だから物語が発動し、心理が立ち上がる。これと同様に映画も、自分より古いメディアである鏡を裡に取り込んで視覚の迷宮を作る、というと加藤幹郎(『鏡の迷宮』)の指摘だ。鏡よりは新しいかもしれないが、原理的に決して映画より新しいものではないはずの監視カメラが映画に取り込まれたとき、やはり死角ができ、その見えない場所がハラの嫉妬を産み、物語を発動させる。フリアが仲良くしているらしい食肉係の男と、監視カメラの眼の届かないところにしけ込んだとき、ハラはある行動を起こし、ストーキング行為にもあらたな展開が生まれる。ハラが逆に監視カメラに捉えられ、フリアに見られる存在になったときに、またひとつの展開を引き起こして物語が集結に向かう。

今年のラテンビート映画祭、他の前評判の派手さに隠れて目立たないと思われた(あるいはそう思っていたのはぼくだけか?)『大男の秘め事』、なかなかどうして、佳作だ。ベルリンの銀熊賞は伊達ではない。

静岡のホテルで残り少ない席をネット予約し、東京に戻ってすぐに新宿に向かって観たのだった。

ちなみに、これが今回お世話になった静岡大学人文学部(部分)

2010年9月16日木曜日

雨男が色男を論じる

つくづくと雨男だと思う。今日は静岡は終日雨。時にはどしゃ降り。時には小降り。

モリエールの『ドン・ジュアン』の面白さは、ドン・ジュアンと従者スガナレルの契約関係の面白さ(封建的主従関係でなく)もともかく、シャルロットとマチュリーヌの二人の漁村の女が鉢合わせする、いわゆる修羅場のシーンにある。そこで、ドン・ジュアンの女たちに対する言葉による支配のしかたが明らかとなる。ドン・ジュアンのあくどさと巧みさが光るシーンだ。シャルロットの婚約者ピエロのことはびんたで(つまり暴力で)支配し、女たち二人からは発話の機会を巧みに奪い、互いのコミュニケーションを断ち、自らの論理で説き伏せる。うーむ、策士だ。

一方、ホセ・ソリーリャ『ドン・フワン・テノーリオ』の面白さは、ドニャ・イネスを外堀を固めながら口説くその策略(イネスが付き人ブリヒダの囁く流言に恋をする)とそれに自分自身ではまってしまってイネスへの恋心を抱くにいたるドン・フワンの動揺ぶりだ。ふたりとも言葉に恋をしてしまっている。

てな話を必ずしもしたわけではない。重点は少しずれた。でもともかく、ソリーリャのドン・フワンがロマン主義的だと言われるのは、イネスの愛によって魂が救済されるからではない。ここでふたりが言葉を通じて恋に落ちているからだと言うべきだろうと思う。

1日5コマはさすがに疲れる。

2010年9月15日水曜日

ホテル

消耗的な教授会が長引き、さすがに新幹線の時間に遅れそうだったので、途中で抜け出してやって来た。静岡だ。

明日から静岡大学で集中講義。ぼくにとっては初めての経験。5コマ×3日なんて、体力もつかな? 

国鉄はJRになってから鉄道以外の事業(レストランとかホテルとか、いずれにしろ駅に近い立地を利用した接客業)にも手を出し、それなりにうまくいっているのだろう、今回泊まることにしたのも、そんなJR系列のホテル。デスクのスペースが広くて、ぼくには助かる。準備をしてきたとはいえ、改めて必要な本を読んだり、メモを取ったり、通常の仕事をしたりするのに使い勝手がいい。

DVDやら本やら、色々と持ってきたので、荷物はだいぶ多くなった。小さめのキャスター付きスーツケースに大きな革のトートバッグ。周辺機器を収納したPCショルダーバッグ。汗びっしょりだ。

向かいには静鉄の経営するホテルが。こちらよりもこぢんまりとしてはいるが、建物の外観はむしろいい。部屋も悪くなさそう。こちらにすれば良かったか? 今度静岡に来るときはそっちに泊まって確かめてみよう。

ところで、「句読点」といっしょくたにして言うが、どっちが句点でどっちが読点か、君は知っているか? てな話が昨日は持ち上がったのだった。ある場所で。句というとフレーズだから、句点とはテン(、)か? いやいや、句がフレーズなのはある体系(西洋語の文法論や言語学)のなかでの話であって、この場合の句はかならずしもそういう意味ではないのではないか? 等々。

正解は句点がマル(。)、読点がテン(、)。

お、この文章、(。)、(、)。という続きがいい。ま、ともかく、新幹線の中でうとうととしながら、昨日のそんな議論を思い出した次第。読みかけの小説を読んでいたはずなのに。

2010年9月12日日曜日

訂正と反省

9月9日の記事末尾にさりげなく告知したイヴェント、キューバ文化の日の件。どうも中止になったとかなるとか……。

残念ではあるが、少なくともその日までに何冊かの本を読まなければならないという義務からは解放された。それを義務だと思ってしまうとなかなか読み進められなくなるという、典型的な愚図のぼくにとっては、ほっとしもする事実。

ところで、青山南『本の雑誌』の連載コラム「南の話」で、2009年6月号「カルペンティエル記念館」という記事を書いているという事実を遅ればせながら知り、家から一番近い市立図書館に雑誌のバックナンバーが所蔵されていることがわかったので、読みに行った。

キューバに行ってみたら、それまで気にも留めていなかったカルペンティエールの記念館のことが気になって見に行った、修復中だった、カルペンティエールのヘミングウェイとの関係はどんなんだったのだろう、気になるところ、という内容。

まあ「キューバに出かけるまではぜんぜん頭になかった」というのだから、「記念館ができるほどのひとだったのか、と認識をあらたにした」という認識不足はしかたがないし、「第二次世界大戦がはじまると、キューバにもどってジャーナリストとしての仕事をはじめている」(強調は引用者)という誤認も可愛らしいものだと笑って済ませるにしても、「ラ・ボデギータでモヒートを飲んでいた有名作家ヘミングウェイを、カルペンティエルが、あれがヘミングウェイか、とながめていた可能性もある。(略)そういう出会いって考えると楽しい」なんて書かれると萎えるなあ。カルペンティエール(の分身たる小説の主人公)とヘミングウェイの接触と前者の後者に対するアンビヴァレントな思いは、『春の祭典』を読んでくれれば、もっと豊かに想像できるのだけどな。読んでいただいていないというのは悲しいし、営業努力が足りないのかなあと反省もすることであった。

2010年9月11日土曜日

63年8月の出来事。あるいは記念日嫌い

63年8月の出来事といっても、何のことはない、ぼくが生まれたというだけのことだ。乙女座だ。わざわざ「63年」と書いたのは昨日の記事のタイトルにつられてのことだ。

8月生まれの者は夏休み中に誕生日を迎えるので、多感な学校時代に友だちから祝ってもらえないという運命を背負うことになる。ぼくもひょっとしたら昔は、誕生日を好きな友人たちに祝ってもらいたいと思いながらわくわくと待ちわびていたかもしれない。でも時期は夏休み中。みんなあちこちに出かけたり、だらだらと過ごして他人のことを忘れたり、あるいはぼくの場合、もう8月も終わろうとするころだから、ため込んだ夏休みの宿題に追われていたりしたのだろう、祝ってなどもらえなかった。……そうこうするうちに、誕生日は誰かに祝ってもらうものだという思い込みを捨てるにいたった、のかもしれない。

ま、この推測が正しいかどうかはわからない。ぼくだってたまには誕生日を祝ってもらう(ありがとう!)。でもまあ、ともかく、そんなわけで、記念日には無縁でいることが多かった。何であれ、何かの記念式典などには立ち会ったためしがない。あまり。記念日・祈念日にそのことを想起する感慨にふけることもない。コロンブスの新世界到着五百年の年が始まると、ぼくはそそくさとメキシコを出て日本に帰った。たとえばの話。

さて、今日、以前泊まったメキシコのホテルからのダイレクトメールを見て思いだした。もうすぐメキシコの独立記念日で、しかも今年は独立二百年祭なのだった。

メキシコの正式な独立年は1821年。でもこれを勝ち取るための戦争が始まったのは1810年。ドローレス村のイダルゴ神父が蜂起したときに始まる。その蜂起が9月16日のことで、だからメキシコの独立記念日はこの日とされる。パレードが開かれ、大統領が大統領府バルコニーから、目の前にある広場ソカロに集まった人に向かって、「メキシコ万歳!」等と叫ぶ。これが「グリート」Grito(叫びの意)と呼ばれる独立の日の儀式で、これはTV中継されるし、ソカロに集わない人々はTVの前で大統領とともに叫ぶ。

独立記念日だけでなく、独立の年も1810年と見なすのがメキシコの公式見解ということか、1910年には100年祭というのが開かれた。『ラテンアメリカ主義のレトリック』第1章「ルベン・ダリーオの災禍」は、この100年祭をめぐるエピソードから語り起こした。そんなぼくがそれからさらに100年後の今年、メキシコにいなくてもいいのかなあ、という気がしないでもない。でも記念日嫌いなぼくのこと、本当はそんなに行きたいわけでもない。

独立100年の際には、過去の総括として、たとえば、『100周年アンソロジー』Antología del centenario という本が何年か前から準備され、出版された。これに携わったペドロ・エンリケス=ウレーニャらを中心としたグループがメキシコの知の変革を迫った。ぼくが『ラテンアメリカ主義のレトリック』に書いたことはそんなことだった。そんな言わば潜在的な動きを知るには、数日滞在して行事に立ち会うだけでは足りない。逆に言えば、無理してそこにいなくても、努力次第で知ることはできる。

記念日嫌いなのはそういう理由だ。誕生日が8月だからではない。たぶん。

……でもなあ、それでも行きたいな。メキシコ。

今年の独立記念日は、ある大学の集中講義の日だ。みんなでやっちゃおうかな、グリート……

2010年9月10日金曜日

64/65年の断絶

あるところに短い原稿を書いて送った。それがどこかは、後ほど告知する。で、それに関係して、ある2本、ないし3本の映画を観た。原稿には2行ほどしか反映させられなかったけど、本当は200行、いや2000行でも書きたいくらい色々と考えるところがあった。そのことをさわりだけ。

観た映画は:
ロベルト・ガバルドン『黄金の鶏』El gallo de oro(1964)
と;
アルトゥーロ・リプステイン『死の時』Tiempo de morir(1965)

この2本は、連続した年、実に短い期間に連続して撮られていながら、間に大きな断絶を横たえている。

しかもこの2本、いずれもメキシコに移住して間もないガブリエル・ガルシア=マルケスが関係した作品だ。前者はフアン・ルルフォが書いた中編小説をガルシア=マルケスとカルロス・フエンテス、それに監督のガバルドンが脚色したもの。後者はガルシア=マルケス自身の原案を彼とフエンテスが脚色したもの。

『死の時』の方は以前、メキシコのフィルムライブラリーで観たことがあった。『黄金の鶏』は、実は、初見。この作品、後者の監督、リプステインによって、ほぼ20年後の1985年、新たな脚本でリメイクされている。タイトルは『財宝の帝国』El imperio de la fortuna。ただし、日本では『黄金の鶏』として(確かフェスティヴァルで)上映されている。これは見たことがあった。でも今回、改めて見直した。「ないし3本」とはそういう意味。

さて、『黄金の鶏』。これはランチェーラComedia rancheraと呼ばれる、いかにもメキシコ的なメキシコの国民映画、当時、凋落の一途を辿っていたそのジャンルの雰囲気たっぷりで、まあ確かに随所におもしろいところはあるし、名作の誉れ高いものではあるが、やはりどう見たって凋落の途にある映画。そして『死の時』の方は、今回改めて気づいたのだが、当時まだ22歳という若いリプステインの野心に充ちた、同時代のマカロニ・ウエスタンのテイストたっぷりの実にかっこいい作品だ。原作者のルルフォとガルシア=マルケスの違いではない。ウェスタン(というか、マカロニ・ウエスタン)など、概要だけ話してしまえば典型的なランチェーラと変わりない内容だ。ハリウッドのウエスタンをマカロニ・ウエスタンが刷新したように、『死の時』はマカロニ・ウエスタン的視点からランチェーラに新たな光を当てたのだ。製作体制や監督の作家性の違いに他ならないのだ。

ここに当時のメキシコ映画の潮流とか、先日書いたチュルブスコ・スタジオのこと(『黄金の鶏』はまさにチュルブスコで撮った)、65年という年がガルシア=マルケスが『百年の孤独』についての啓示を得て書き始めた年であることなどを書けば、容易に200行、いや2000行に達しそうだろう? ……ま、きっとそのためにはもう少し勉強が必要なのだろうけど。

ちゃんとこつこつと書きためて行こう。

2010年9月9日木曜日

一抹のさびしさ?

昨日紹介した田村さと子などを読んでいると、時々思うことがある。ぼくはこうして生きた作家と関わりを持ったことはないな、と。時々、外国ものの翻訳などで、「訳者あとがき」にわからない箇所を著者に質問した、などという記述がみられるが、そんなことも書いたためしがない。書けたためしがない。

ぼくがこれまでに翻訳を出した作家は、死んだ人ばかりだった。古い順に言うと、ホセ・マルティ:1895年に死んでいる。アレホ・カルペンティエール:1980年に死んだ。ぼくがカルペンティエールを読み始めたのは彼が死んで4年後のことだ。フィデル・カストロ:これは作家ではないし、生きているけど、何と言うか、そもそもアンタッチャブルだ。ロベルト・ボラーニョ:2003年に死んだ。先日書いた、訳したっきり本になっていない小説の作者はベニート・ペレス=ガルドス:1912年没。

ロベルト・ゴンサーレス=エチェバリーアというのは、Alejo Carpentier: The Pilgrim at Home という研究書を書いたイェール大学の先生で、その彼はこの本の第2版前書きにカルペンティエールとのつき合いを披瀝した後で、批評家は対象となる作家とはあまりべたべたし過ぎても行けない、ある程度距離を置かねば、というようなことを書いていた。

キューバ革命を逃げた家族の子供であるゴンサーレス=エチェバリーアと革命内に危うくも留まり続けたカルペンティエールの間には、ときおり、革命が介在して、うまく会えないことも多々あった、というような事情なのだが、それは措くとしても、まあそのとおりだろうなとは思う。ぼくはそもそも人見知りする人間だから、何かの仕事の都合で知遇を得ることがあったとしても、わざわざ出かけていって会おうとは思わないというのが本当のところでもある。だから本当はガボに会ったと言われても、それほどうらやましくはないのだ。基本的には。

作家ではないが、たとえばぼくは、愛してやまないシネアスト、ビクトル・エリセが『マルメロの陽光』のプロモーションで来日したとき(1993)に、1週間ほど通訳として張り付いた経験があり、そのときに名刺などもいただき、別れ際にはマドリードに来たらいつでも寄ってくれ、と言われたこともある。この1週間はぼくの人生の中で最も幸せな日々だったと言ってもいいのだけど、だからといって本当にマドリードに行った時に彼を頼っていったわけではないし、その気も起きなかった。そういう人間なのだな、ぼくは。何かの仕事の関わりで会えるならそれはそれでいい。でもその関係をがんばって保つ必要はない。関わりあいのあった時間が幸せであればいい。

おっと、そういえば今、ぼくは初めて生きた作家の小説を翻訳しているのだった。わからない箇所も少なからずある。著者に質問すべきかな? そのことを「あとがき」に書くべきかな。

それ以前に、そういえば、あるキューバの作家が日本にやって来て、その人と仕事をするのであった。10月20日(水)の話。「キューバ文化の日」という催しがセルバンテス文化センターである。その後ふたりの友情をあたため、はぐくみ、どちらかが死ぬまで持続させるべきかな? 作家というのは、あの『アディオス、ヘミングウェイ』の著者だ。

2010年9月8日水曜日

カルタヘナにガボを訪ねる

昨日買ったことを報告した『文學界』10月号、田村さと子「ガルシア=マルケスを訪ねて——ラテンアメリカ文学の旅」(pp. 196-205)は、今年の2月、ニカラグアの詩のフェスティヴァルに招かれて行き、エルネスト・カルデナルと話し、その後ついでにカルタヘナまで脚を伸ばし、ガルシア=マルケスに会い、田村さんが出すことになっている彼についての本の話などをした、という内容。それから帰りにメキシコ市に寄ってフアン・ヘルマンにも会った、と。カルタヘナが『愛その他の悪霊について』と『コレラの時代の愛』の舞台なので、ということで、前者についての思い出や論評を絡めながらカルタヘナの街を描写している。

これからわかることは以下の3つ。1) ガボは元気だ。2) 田村さんのガルシア=マルケス論は来年の3月(望むらくは作家の誕生日の3月6日)ころに出版される。3) 『愛その他の悪霊について』が映画化され、どうやらそれがカルタヘナ映画祭で上映されたらしい(田村さんが帰国の途についた後なので、彼女は観ていない)。2) については、今年の4月、『野生の探偵たち』のイヴェントでお会いしたときにうかがっていたが、いずれにしろ、慶賀すべきこと。

サンタエーリャの短編2つを含む、「来るべき世界の作家たち」は中島京子が去年、アイオワ大学の主催する国際創作プログラムIWPで知り合った若い作家たちを一挙に翻訳紹介したもの。

田村さと子の文章の次に載っていたのが、吉田修一の『悪人』を映画化した李相日監督のインタヴュー。この雑誌を読んでいるころ、これに出演した深津絵里がモントリオールの映画祭で最優秀女優賞を受賞したというニュースが舞い込んだ。

2010年9月7日火曜日

祝! 文庫化

これが文庫化だものな。感慨深いな。

ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー——資本主義と分裂症 上』宇野邦一、小沢秋広、田中敏彦、宮林寛、守中高明訳(河出文庫、2010)

ぼくは世代の上からはしかたがないのだが、ドゥルーズ(+ガタリ)を浅田彰の明快で鋭敏な紹介に教えてもらった。この『千のプラトー』の序文となる「リゾーム」が、単独で出されたときのヴァージョンが雑誌『エピステーメー』の特別版として豊崎光一訳で出ていたので、それを古本屋で見つけて買い、「われわれは『アンチ・エディプス』を二人で書いた。二人それぞれが幾人かであったから、それだけでもう多勢になっていたわけだ」(『エピステーメー』版)という書き出しから、「なんだこれは! かっこいい!」と叫び、「速くあれ、たとえその場を動かぬときでも!」という終わり近くの文章には「動かない者が一番速いんだよ、そうだよ!」と叫び返して興奮したりした。「器官なき身体」(アルトー)とか「戦争機械」とかいった、この書に由来する概念を駆使する人(中沢新一とかだな)の文章などを読みながら二次的に情報を得、そのうち、ミニュイのフランス語版を買い、フランス語の練習にと辞書を片手に断片的に読んだりしたものだ。『カフカ——マイナー文学のために』の翻訳から「言語の脱領土化」の概念を教えてもらい、彼らの書いていることが、それを起点にわかったような気になったりした。その後、法政時代にかかわったある人事案件のために『差異と反復』なんてのの邦訳も必死で読んだ。そんなわけで、本当に理解しているとは思わないが、ドゥルーズまたはドゥルーズ+ガタリには苦労させられた記憶がある。既にいくつものドゥルーズおよびドゥルーズ+ガタリの著作を文庫化してきた河出が、今、この大作を文庫化したというわけだ。めでたい。

フランス語で読んだときの印象が強く残っている箇所のひとつが、「学校の女性教師は、文法や計算の規則を教えるとき、何か情報を与えるというわけではなく、また生徒に質問するときも、生徒から情報を手に入れるわけではない。彼女は「記号へと導き」ensigner、指図を与え、命令するのだ」(165ページ)という4章の最初の文。ensignerという語に頭を抱えた。enseignerでないのか! が、これはしばらくして、妙に感心することになった。

さて、今日、もうひとつ買ったのが、『文學界』10月号。田村さと子が「ガルシア=マルケスを訪ねて——ラテンアメリカ文学の旅」を寄稿している。かつベネズエラのフェドーシ・サンタエーリャ「ブルンダンガの絵葉書」、「猫たちの愉楽」が尾河直哉の手によって訳されている。中島京子監修「来るべき世界の作家たち」特集の一環として。

2010年9月6日月曜日

チュルブスコの思い出

チュルブスコと言えば、言いたいことはふたつ。

まずひとつめ:メキシコ市にはリオRíoと名のつく通りが少なからずある。ぼくがメキシコ在住時に住んでいた家はリオ・ミスコアックとインスルヘンテス通りが交わるあたりだった。リオとは川だ。6月くらいから12月くらいにかけての雨季には、ほぼ毎日午後になると雨が降る。水はけが悪いので、通りには水たまりができる。リオ・ミスコアックは文字通り川となった。

メキシコ市はかつてテスココ湖という湖上に浮かぶ水上都市テノチティトランで、植民地期を通じて灌漑工事が重ねられた。実に1900年までだ。この途中で、水も捌けられず、埋め立てもされないまま、運河のように使われていたから、これらの道路を川と呼ぶのじゃないのだろうか? というのが、ぼくがぼんやりと考えていること。(裏付けはとれていない)

ミスコアック川はイスルヘンテス通りと交差すると、その先(以東ということ)リオ・チュルブスコと名を変える。チュルブスコ川。

このチュルブスコ川、しばらく東に進むと、コヨアカン保養地などを抜け、やがて北にカーヴし、かつてF1メキシコグランプリが開催されていたロドリゲス兄弟サーキットのあるスポーツ施設の横を抜ける。つまりは、環状線になっている。環状内回り(?)Circuito Interiorだ。この環状線が北に大きく曲がるあたりの先には(今ではあまり機能していないのかもしれない)運河がある。チュルブスコ川は本当にかつて川だったのだろうと思わせる状況証拠だ。

ふたつめは映画のことだ:メキシコやその周辺国(合衆国も、ちもろん、含む)の映画をエンドロールまで粘って観ていると、撮影所や現像所、編集スタジオとしてチュルブスコ・スタジオEstudio Churubuscoまたはチュルブスコ・アステカスタジオ株式会社Estudios Churubusco Azteca S. A.の名を目にする確率が高い。インスルヘンテスを渡り終え、ミスコアック川がチュルブスコ川と名を変えてから、15分ばかりも歩けば、左手に国立フィルムライブラリー、そしてそれと同じくらいの時間歩き続ければ(もちろん、車で行ったっていいわけだが……)、カントリー・クラブの手前に、それに負けないくらいの広さ5.3ヘクタールを誇る撮影所が姿を現す。チュルブスコ・スタジオだ。現在では公教育省SEP文化庁Conaculta配下にある施設だ。ラテンアメリカの映画のメッカにして、「映画界」の代名詞となった地名だ。

このチュルブスコ・スタジオを巡る何か面白い話がないかな、と嗅ぎ回っているのが、最近のぼく。いや、もちろん、概略とか略年譜とかでなく。

こうしたところを巡るメキシコ人たちの記憶というか、心象風景というか、そういうのを1冊にまとめられたら、と考えている次第。

2010年9月5日日曜日

冬を待ちわびて

それを紺ブレというらしい。最近では。ATOKでもすぐに変換されるのだから、定着しているのだろう。紺ブレ。コンブレという音だけ聞くとプルーストみたいだが、そうではなく、紺のブレザーのことだ。

ブレザーBlazerというのだから、そもそも燃えるようなblazing色の上着、つまり、赤のジャケットのことだったのだろう。それがフランネル製、金または銀ボタン、パッチポケットのスポーツジャケットの意味に転化し(『リーダーズ英和辞典』では「色物フランネル製スポーツ上着」と定義されている)、赤でなくても良くなったのだろう。ゴルフやテニスのチャンピオンに贈られる様々な色の上着となった。

「様々な色」と言っても、現実に着るもの、日常のアイテムとなったら、やはり紺やキャメルが妥当だということになり、やがて紺のブレザーは定番中の定番の地位を獲得した。

それを最近では「紺ブレ」というらしいのだ。ぼくも、高校時代にJ.Pressの紺のブレザー(当時は「紺ブレ」なんて略しかた、しなかった)を買って以来、ブランドやシルエットは変わっても、大抵、紺のブレザーを持っていた。

大抵がくたびれたり時代遅れになったりしつつあるので、新たなブレザーが欲しいと思った。夢にまで見た。久しぶりにJ.Pressのブレザーにでもしようかと思った。これならかつてガールフレンドらからもらったラペルピンやカフスボタンが良く似合いそうだし(カフスボタンというのは、当然、シャツにつけるものだが、つまり、カフスボタンつきシャツに似合いそうだということ)、ともかく、紺のブレザーを買おうと思った。

今日、新宿伊勢丹で紺のブレザーを買い、その後、元教え子やまだ教え子、もう教え子(ってのはいたっけ?)などとの食事の席に出向いた。

「何スか、それは?」

ぼくのジャケット・ケースを見て教え子が訊ねる。

「紺ブレだ」

「紺ブレって何スか? 知らないっすよ? そんな言い方、しないっすよ」

そこでまあひとしきり「紺ブレ」に対する講釈を垂れ、ともかくはそれを買ったのだと、自慢していたのだった。

でもまあ、まだそれを着るには早すぎる。早く冬が来ないかな♪

これがもらったおまけのボールペンと切り取った袖のタグ。

2010年9月4日土曜日

翻訳の楽しみ=味わいgustosa traducción

料理がとても重要な役割を果たす小説を訳している。

まだトップ・ギアには入り切れておらず、思ったよりはかどらない。

昨日、あるところを訳しながら、あることを思いついた。そうだ! この料理を実際に作ってみればいいのだ。毎晩小説内の料理を作ることを目標に、1日の間に、次の料理の叙述があるところまで訳す。いい考えじゃないか。翻訳を楽しみ、料理を楽しむ。こんな贅沢な話はない。さっそく実行に移そう。

まず、舌平目のフィレ、シャンパン・ソース和え。

小ぶりの舌平目二匹を切り分け、パン粉をまぶして下ごしらえしてから、鍋にかける。シャンパンをボトル半分、マッシュルームを何個かに白種タマネギ、細切りのにんじん一本、ニンニク一かけ、コショウ少々、ナツメグ、エシャロット(小)、細かく刻んだ香草。

舌平目なんて久しぶりだな。近所のIY堂には売ってるだろうか? 捌いたことないけど、できるのかな? ナツメグなんてのも、そもそも売っているのか? 自分で料理に使ったことないぞ、などとワクワクしながら材料を書き出そうとした。が、舌平目だのナツメグだのの前に、そもそも躓いた。

「シャンパンをボトル半分」

リッツ・ホテルでの高級料理なのだった。シャンパンをボトル半分も使うなんて、できるはずないじゃないか! ぼくの一ヶ月ぶんの食費が飛んでしまう。

やれやれ。しかたがない。今日はくろ黒亭で豚シャブだ。えへへ。これはこれでうまい。

2010年9月3日金曜日

カンニング

これが戸塚スペイン語教室のサイトに載った先日の講演会についての記事。

今朝、ツイッターのぼくのホーム画面のTL(タイムリスト:ぼくがフォローしている人々のつぶやきが時間順に並んで出てくる。そこからぼくは場合によって有益な情報を得る)に松籟社がリンクを貼っていたのが、東浩紀がツイッター上でカンニングを告白した学生を摘発(?)したことに始まる一連のトピックを集めたサイト。トゥゲッターという、ツイッター上の同一話題を巡るツイートを一覧表示したものだ。

この話題が、夜にはYahooのトピックに記事としてあがっていた。

まあ、早稲田ほどのマンモス大学になれば、カンニングの違法性にもネットの公共性にも無頓着な愚か者のひとりやふたりはいる。この点に関して何も言いたいとは思わない。

ちなみにぼくは、大学教師としてはだいぶ甘い方だと思うのだが、カンニングにだけは厳しい。カンニングが発覚したら即刻退学にしてもいいとすら思っている。そこまでの厳しい罰則を敷く大学は、日本にはほとんどないと思うけど。少なくともぼくがこれまでかかわった大学にはなかったけれども。

自分の授業で試験をすることはほとんどなく、レポートなのだが、そうなるとカンニングに匹敵するものとして、コピー&ペーストに目を光らせることになる。なるべくそれが成り立たないような課題を出すようにはしているが、それでも疑わしいものがあれば、ネット検索をかけたり、関連書籍の一部をひもといたりして、採点に時間がかかってしょうがない。

外語に来てから、一度、あからさまなコピー&ペーストでごまかそうとした学生を落としたことがある。いや、一度ではないが、ともかく、そういうことがあって、後から発覚したのだが、その学生、あるネット上の授業評価のサイトに、ぼくの授業を、というかその授業の担当者たるぼくを「ゆるい」人だと評価していた。

担当者なりその授業や試験の形態なりが「ゆるい」と見なすや、タガを外す人物が確実にいるのだ。そんなものだ。その人の「ゆるい」との価値判断が正しいとは限らないのに。

ぼくら個々の人間がぼくらなりの独自性を主張するよすががどこかにあるとすれば、それは脳の働きをおいて他にはない。思考のうねりをおいて他にはない。(それですら、そのうねりを表現しようとするとき、ぼくらは紋切り型に囚われてしまいがちだというのに)その唯一のよすがをあっさりと捨て去るような行為は唾棄すべきだ。

2010年9月1日水曜日

お知らせ

今、けっこう長々とあることを書いたのだが、ある人物の個人情報にかかわるかと思い、削除した。

よかったら9月2日NHK《Bizスポ》を見てください、という話。それにこと寄せてちょっとした言語学的な疑問を展開した。が、ともかく、削除。

しかし、削除したということを明記するのはちょっと意地が悪いか? 

ちなみに、話題は変わるが、先日の講演会の模様。こんな感じだ。

2010年8月29日日曜日

ひとつ終了

そんなわけで、戸塚に行ってきた。戸塚スペイン語教室というNPOの毎年の恒例行事、夏期講座、それで話してきたというわけ。題目は「"ラテンアメリカ"を巡る攻防:もうひとつの南北アメリカ関係史」。『ラテンアメリカ主義のレトリック』で書いたようなことを少しやさしくして話しては、ということだったので、視点を変え、切り口を変え、そうしないといやなので、新たな情報を加え、やってみた。ジョン・オサリヴァンの「われわれの明白な運命」(1845)とか、エマ・ラザルス「新たなる巨像」(1883)とかも紹介した。時間が来たのでアレックス・コックスの『ウォーカー』(1987)の最後を見せたかっのが、できなかった。それが悔やまれる。

なるほど、それがうまく行ったどうかは別として、ともかく、このタイトルでやってみると、色々と見えてくることがあるな、と我ながら感心。うーむ。この切り口でまとめ直すということ、いつかやっておくべきかな? つまり、「アリエル主義」から語り起こすというオブセッションをやめて、編年体で、スポットごとに書く。「1810:イダルゴ神父の演説」「1845:テキサス併合、『明白なる運命』」とか。前回の書き込みとの兼ね合いで言うと、こつこつとやっておいた方がいいことかな? 

ま、ともかく、仕事がひとつ終わった。一安心。

2010年8月28日土曜日

逃避

映画や小説にはストーリーとは無関係に心に残ってしまう場面、一節というのがある。ストーリーを忘れてもそこだけ忘れないちょっとした細部だ。最近観た『瞳の奥の秘密』では、ごく最初のころのワンシーンがそうなるだろう。主人公が忘れられない事件を小説に書いていることを示すシークエンスの一部で、寝ていた彼が突然何か思いつき、枕元にあるメモパッドにある語を書きつける、という場面だ。

書いた語は "Temo" (私は恐れる)で、これが後半、この中にあるひと文字を挿入することによって違う意味を持つフレーズとなり、主人公の行動を動機づける。そのことの伏線であり、同時に小説化しつつある事件の不気味さに彼自身が恐れをなしているということを観客に知らしめる語となるメモだ。それがこの場面のプロットに対する機能。だが、ぼくがこのシーンを気に掛けるのは、そんな機能のゆえではない。機能とは無関係にこのシーンが告げていることは、主人公のベンハミンが一心不乱に小説を書いているということだ。夢は記憶と思考を整理する。起きている間、ひたすらあることを考えていれば、寝ている間に行き詰まりを打開するようなアイディアが湧くこともある。彼はそこまで書きかけの小説に没頭していたということだ。

既に書いたことだが、たとえばボラーニョの『野生の探偵たち』には、毎朝最低でも6時間はものを書くことを自らに課すことによって作家になった人物というのが出てくる。バルガス=リョサも似たようなことを言っている。毎朝6時間くらいは執筆するのだと。たとえ筆が進まなくても進めようと努力するのだと。昨日、NHKの「スタジオパークからこんにちは」というトークショウで高橋源一郎が言っていたことは、彼が小説を書こうと決意してから、毎日最低3枚書くことを自らに課し、それができなければ作家になることはあきらめようと覚悟し、書き続け、2年後にデビューできたのだということ。

書くばかりではない。かつてどこかに紹介したかもしれないが、ぼくの恩師は、この道に進もうと決意してからというもの、毎日最低でもスペイン語の小説を30ページ読むことを自らに課したという。それを聞いてある先輩は、それならと毎日40ページ読んだという。

ぼくはこのように努力する人たちのその努力を美しいと思う。ぼくも似たようなことをしたいと思うのだが、そうしたことができたためしがないのだ。で、こうした努力ができていれば、ぼくだって立派な作家になったか、もう2冊くらいは本を出しているか、もう3冊くらいは翻訳を出しているかしたんだろうな、と仮定法の思想を展開して悲しんでいるばかりだ。高橋源一郎の毎日3枚(1200字だ。今ならA4用紙1枚というところだ)なんて分量は、肉体労働をしながらの話だから、つつましく現実的な目標で、授業を抱えながらのぼくらにも参考になる。毎日最低でも1枚訳せば、年に1冊以上の翻訳は出せる。毎日1枚書けば、1冊本は出せる。毎日30ページ読めば、10日で1冊読み終わる。それくらいの努力がなぜできないかなと自らを呪う。

きっとぼくはロマン派的な天才の概念にとらわれているのだろうな。インスピレーションを得て一気呵成に書き上げる。一気呵成だから、それは締めきり直前でなければならない。だから締め切り直前まで何もしなくてもいい。締め切り直前になればすべてが解決するはず。だってぼくは天才なんだから(!?)……

明日、29日、あるところで講演しなければならいのだけど、ということはその準備をしなければならないのだけど、まだ終えていないのだ。なぜ毎日少しずつでいい、こつこつと着実に準備を続けて来なかったかな? と後悔しているという話だ。出るのはため息ばかり。

明日、がんばります。

2010年8月27日金曜日

オーケストラ!

『グレン・ミラー物語』以来というべきか、フェリーニの『オーケストラ・リハーサル』以来というべきか、ともかく、音楽(家)を題材にした映画はついつい観たくなる。『無伴奏シャコンヌ』とかイシュトヴァーン・サボーの『ミーティング・ヴィーナス』とか、『バード』(イーストウッドだ!)とか、オリヴァー・ストーンの『ドアーズ』とか……

で、今回、見逃しちゃうかもなとあきらめていたけど、追加上映のおかげでまだ観ることのできた、ラデュ・ミヘイレアニュ『オーケストラ!』(2009)をシネスイッチ銀座で。

ブレジネフ時代の1980年、体制批判をしたユダヤ人演奏家をかばったことで不興をかこつことになりボリショイ劇場の清掃夫にみをやつしていた往年の名指揮者アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)が、正式のオーケストラに対する出演依頼のファクスを盗み出し、かつての仲間たちとボリショイ・オーケストラを騙って再起を期す話。演目となるチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」にまつわる団員たちやアンドレイの思い出が、ソリストとして出演を要請したヴァイオリニスト、アンヌ=マリー・ジャケ(メラニー・ロラン)の人生、ペレストロイカ前夜のソ連邦の暗い時代の出来事と絡まってくるところが泣かせどころ。全体としては喜劇仕立てで楽しい。

マリオ・バルガス=リョサの『チボの狂宴』(作品社)とか、エンリケ・ビラ=マタスの『ポータブル文学小史』(平凡社)とか、色々と楽しみな新刊の知らせが届く。

2010年8月23日月曜日

何と言おう?

大学で仕事をし、ついでにさる方にお会いして、別れ際、何かを言われた。何を言われたかわからなかったので、

えっ?

と素っ頓狂な声を出してしまった。間抜けだ。しかしその方はすぐに立ち去り、もう廊下の向こうに見えなくなったころに、

あ、なるほど!

と思い至った。その人が何を言ったか、理解できた。そのひとの発した音の連なりが、そのときになって初めて意味を担った言語に変じたのだ。

あ、なるほど!

とすぐにまた思い至ったのは、もうその人の発話内容に関係ないことだった。

ぼくは外国語の聴き取りにあまり自信がない。第三者間で話されているときには問題ないのだが、突然、質問が自分に向けられたりすると、たちどころにわからなくなることがある。聞き返して初めて、実は大した質問を受けていなかったことがわかる。一番困るのは、聞き返して、言い直してもらわないうちに直前の発話内容がわかってしまい、相手の言い直しを遮って答えてしまったりすることがあるということだ。

ぼくはつまり、日本語といわず外国語といわず、自分に対して発された発話を理解するのが遅れてしまうという傾向を有する。日ごろ漠然と感じていたこの法則に、今日、確信が持てたという次第。

これは言語運用能力の問題というよりは、心理的な何かだと思うのだが、ぼくはこのことを説明する原理を持たない。ともかく、自分に対して発された言葉の理解が遅れる。それともこれはぼくのみに固有な現象ではないのだろうか? みんなそうなのだろうか?

ところで、思い立ってカメラにこんなものをつけてみた。ハンドストラップだ。ぐっと軽くコンパクトになったような気がする。下にある本の表紙のジャングル写真をこのカメラで撮ったのだと言いたくなる。ちなみに、下にある本は、

マリオ・バルガス=リョサ『緑の家』上下、木村榮一訳(岩波文庫、2010)
新潮の単行本および文庫本で絶版になっていたバルガス=リョサの代表作、復刊だ。めでたい。

2010年8月21日土曜日

なるほど!

ツイッターにはtwilogというのがあって、ブログ形式で表示できる。ツイッターに登録していないけど、この人の情報を得たいと思う人がTwilog登録していれば、ブログを見るのと同じ感覚で閲覧できるというわけだ。ぼくのは、ここ。

……いや、そうではない。そもそもぼくのツイッター画面にアクセスして、ぼく以外の人間が見ることができるのは、ぼくのツイートの羅列だ。twilogはむしろ、やはり、ブログのように見られるということが特徴。

2010年8月19日木曜日

理不尽の夏

千野帽子がちょっとした災難に遭ってそのことを嘆いている。大変でしたね、と同情するばかり。

要するにこの編集者の人というのは自分可愛さに嘘をついたということなのよね。愚図なぼくなんかも、こんなこと(とはつまり、糊塗)してしまいそうだから怖い。自分が怖い。

でも一方で、そういえば、確かに受注したと思ったので始めて、終わらせまでしたのに、編集者とのディスコミュニケーションのせいでいまだに印刷に回っていない翻訳がまるまる一冊分あるなあ、と思いだし、ぼくも我が身を哀れんだりしている。あれを優先させるという義理を働いたおかげで、本当は今ごろ出ていてもおかしくない別の翻訳の催促をうけたりしているんだよな、とますます我が身を哀れむ。このことに関して、ぼくは正当性を主張していいのかな? 

あ、つまり、こういうこと。翻訳A、B、Cがある。B、Cは同一出版社の企画。翻訳Aに取りかかろうかというころ、翻訳Bの話が持ち上がった。場合によってはある人との共訳になるかもしれない。そんなわけもあって、当然、Aを優先させた。終わって送った。さて、Bに取りかかろうとしたら、こんどはぼくの参加する予定のなかったCに参加してくれという。しかも、優先的に。共訳だ。そしてそれは無事、出た。つまり、Cというのは『野生の探偵たち』だ。で、今、2度までも先送りされたBをやっているということ。翻訳Aは、そして、いまだ本になっていないということ。連絡不足で。ぼくからの連絡不足らしい。B、Cの順序の逆転は、今、問題ではない。Aがいまだに出版されていないことに対して、ぼくはどういう態度をとればいいのだろう、ということ。Cの後には翻訳Dや翻訳Eが控えているのだけどな。そしてAとついでに約束した、同じ叢書から翻訳Fを出すという企画、あれも没になったということなのかな? 翻訳Eとの関連でどうしてもこれもやりたいのだけどな。

そんなあれやこれやに追い立てられているというのに、ところで、ぼくがこのところ何をしているかというと、さる方の蔵書整理みたいなもの。もちろん、これだってぼくが今のように愚図でなければ、ここまで長引くこともなかったかもしれない。一方で、ぼくが本当にここまでする必要があるのか、との根源的疑問も湧かないではない。まあゆっくりと、1日3時間くらいずつ、息抜きみたいにしてやっているので、さして嘆くほどでもないのだが、ましてやこの問題に関して、ぼくはそのくだんの編集者のような嘘はつかなかったまでも、100%誠実で潔白であったわけでもないから。

さ、採点やら翻訳Bやら講演の準備やらに取りかかろう。

でもなあ、翻訳A、本当に出ないのかな? これが19世紀スペインの小説でなければ、少しは話が違っていたのかな?

2010年8月15日日曜日

司法ってどんなものか、わかるさ

最近のぼくの大きな情報源のひとつとなってしまったツイッターでまたしても知らされて、観てきた。

フワン・ホセ・カンパネラ『瞳の奥の秘密』(スペイン、アルゼンチン、2009)

アカデミー賞外国映画賞受賞作品。なるほど、いかにもハリウッド好み。というのは、決して悪く言っているのではない。洗練されたカメラワークと編集、音楽などがただひたすらショッキングなストーリーを見せるために与しているという意味だ。面白い。とても面白い。そしてそれ以上かどうかはわからない、ということ。でも面白いのだから、いい。

裁判所書記官の仕事を定年で辞したベンハミン・エスポシト(リカルド・ダリン)が、25年前(というのは、1974年だ)の担当事件の思い出を小説に書こうとする話。その事件で彼は恋(のチャンス)と友だちと首都での仕事を失ったのだ。

当の事件は新婚の妻が強姦されて殺されたというもの。担当するはずでなかったのにベンハミンにお鉢が回ってきて、冤罪で済ませようとする裁判所の方針に納得がいかず、アル中の部下パブロ・サンドーバル(ギジェルモ・フランチェラ)をうまく手なずけ、ともに独自に捜査を続けることになった。同時期にやってきた直属の上司、判事補のイレーネ(ソレダ・ビジャル)とはお互いに惹かれ合っているようだが、言い出せない。イレーネはやがて婚約する。

このレイプ殺人の犯人捜しは、しかし、メインプロットではない。犯人が捕まったはいいが、刑務所内の取引によって恩赦に紛れて出獄し、報復を恐れたベンハミンが地方(フフイ)に転勤することによってイレーネとの仲は終わりを告げる。そして25年の空白を隔てて小説が書かれるというわけだ。小説を仕上げるために、ベンハミンが納得のいかない点を関係者に確かめて回るというのがもうひとつの大切なプロット。ここで犯人や被害者の後日譚が語られ、ベンハミンとイレーネの結ばれなかった恋のその後が模索される。

エドワルド・サチェリの小説を原作として、サチェリ自身が脚本に加わっているこのストーリーは、この第2のプロットの展開を第1のプロットにおけるいくつかのセリフが暗示する形になっている。このセリフをどう聞かせるか、それがこの映画の最大の難関だったのだろうなと思う。それもうまくできていて、面白かった。

死刑のないアルゼンチンで実際死刑など望まないと言っていた被害者の夫リカルド・モラレス(パブロ・ラゴ)のセリフの真意などが25年後に明かされる。深刻に考えるなら、司法システムへの問題提起とも取り得るだろう。「司法ってどんなものか、わかるさ」というのも、映画のセリフのひとつ。

帰りにデッキモカシンを買った。これだ。

2010年8月14日土曜日

オペラは長い

画期的なことなのだろう。NHKはBS-Hiでバイロイトの音楽祭を生中継するという。1876年、ワグナーが自作オペラを上演するためだけに作った劇場で、自分のオペラを上演する音楽祭を始めた。それがバイロイト。何年も待たなければチケットも手に入らないと言われている催し。それがTVでの生中継が初だというのだ。画期的じゃないか。

ラジオの生放送は1936年が最初。アレホ・カルペンティエールが小説の中で証言している。

夏の訪れとともに、初めてバイロイトの音楽祭がラジオ放送されるというニュースが伝わった。僕は上等な受信機を買い、その日の午後は暑かったので二人裸で並んで『トリスタンとイゾルデ』を聴いた。長い幕間には愛を交わし、音楽祭の終わり、「イゾルデの愛の死」の最後の和音の後にはもう一度抱き合っていた——それは音楽のゆったりとしたテンポに合わせて重ねられた最良の、最も長い抱擁だった……(『春の祭典』拙訳、87ページ)

この直後、主人公は同じラジオからスペイン内戦の勃発のニュースを聞くというのだから、それは36年の話なのだとわかる。

それから74年経って、やっとTV生中継なのだという。21日(土)。

しかしなあ、夜の10時過ぎに始まって翌朝の5時まで続くのだから、やはり長いな。さしてオペラ好きでもないし、ワグネリアンでもないぼくとしては、起きていられない。『ワルキューレ』がもう少し短ければな。

ワグナーのオペラに短さを求めるのは、木によりて魚を求む、というもの。19世紀とは長さの別名なのだ。たぶん。

ある授業でドン・フワンものの比較というのをやってみた。『セビーリャの色事師と石の招客』『ドン・ジュアン』(モリエール)『ドン・ジョヴァンニ』(モーツァルト)『ドン・フワン・テノーリオ』などだ。ひとことで言って、『ドン・フワン・テノーリオ』は長い。セリフが過剰だ。おそらく、19世紀的な「近代」「深さ」「内面」の概念というのは、言葉でもってなにもかも説明しつくしてしまおうというこの劇作の態度だ。セリフが長くてト書きが多い。

一方で、ワグナーのように長いものではないオペラ『ドン・ジョヴァンニ』は、ドン・ジョヴァンニ(ドン・フワン)のいまわの際の独白の長さが印象深い。韻文による悲劇の世俗化したジャンル(スタイナー風に言うなら)であるオペラがこうした心情吐露の歌の長さで人間の内面の深さ(時間の長さ)を開拓した。

授業ではそんな話をしたわけではないけど、そうなんだろうなと思う。

2010年8月9日月曜日

地下鉄に乗って

試写会に呼んでいただいた。@松竹試写室@東劇会館。

ゴンサロ・カルサーダ『ルイーサ』(アルゼンチン、スペイン、2008)

脚本コンテストで一番になったロシオ・アスアガの脚本を、映画の監督としては新人のカルサーダが撮ったフレッシュな一作。とはいえ、初老の女性の悲哀を描いて身につまされる。一方でところどころに笑いを織り込むので深刻になりすぎるわけでもない。つまりは手練れの作品という感じ。新人コンビにして手練れ。すごい。

夫と娘をいっぺんに亡くしたルイーサ(レオノール・マンソ)は、午前中は墓場の連絡係、午後は映画スターの家政婦として働いていた。早朝に出勤し、勤務先に葬られている夫と娘にバラの花を1輪ずつ手向けるのが日課。友は猫のティノだけ。そんなルイーサがティノに死なれて仕事に遅れた日、解雇を告げられ、女優も引退するからもう来なくていいと言われ、つまりは一度に3つの生活の糧を失ったという次第。

退職金も20ペソ50しかもらえず、猫の火葬代300ペソの持ち合わせすらない。銀行に行くときに初めて地下鉄に乗り、そこで多くの物乞いや物売り、ストリート・ミュージシャンらがいることを知り、自らも物売りや物乞いに身をやつしていく。

老後に不安を抱えるすべての現代人にとって、身につまされる辛い話。これを見ているわれわれ日本人は、さすがにストリート・ミュージシャンはこの十数年で常態と化したものの、地下鉄内の物売り物乞いなどほとんどいないので、この手段すら残されていないのかと、恐怖しながら見ることになるはず。ただし、上に書いたように、ところどころ笑いながらではあるけど。

ブエノスアイレスの美しい街並みと地下鉄がとにかく印象的(映像処理がうまいんだな)。ここの地下鉄(スブテSubteなんて変な略しかたをされるんだよな)、アルヘンティニスタたちが良く言うことには、東京の丸ノ内線車両が払い下げられているとのこと。残念ながら映画の中の地下鉄は黄色い車体で統一されていて、丸ノ内線らしき車両は見つけられなかった。

2008年の時点でいまだにダイヤル式の固定電話を使い、銀行の頭取名で何かの文書が来たから頭取に会わせろと窓口ですごみ、地下鉄の乗り方を知らないばかりか、エスカレータすらこわごわ乗るオールドファッションドなルイーサが、冒頭、起き抜けにぞうきんつきスリッパを履いてすり足で歩くずぼらさを見せているところなどが可愛らしい。ついに猫を葬ることになったルイーサの号泣も印象的だ。

帰りは地下鉄丸ノ内線に乗った。猫というグループの歌った「地下鉄に乗って」が耳もとで流れてきた。

2010年8月8日日曜日

心残り

昨日報告した『シルビアのいる街で』。間違いではなく、映画中、男が探していた女の名前はシルヴィーだ。シルビアSilviaはスペイン語名、シルヴィーSylvieはフランス語名。映画はスペインとフランスの共同資本、俳優も、主要登場人物の2人はそれぞれ、スペイン人とフランス人。だが、映画の中の重要なセリフはフランス語だ。舞台はフランス(ストラスブール)だ。だからシルビアでなくシルヴィーという名の女性を捜す話になる。

そもそもこの映画が観客を飽きさせないサービス精神はタイトルクレジットから明らかだ。最初、TVEなどのスペインの出資者を提示するときにはスペイン語で、フランスのそれを提示するときにはフランス語で提示している。言語が切り替わるのだ。そして、タイトル。En la ciudad de Silvia とスペイン語が出る。やがて"En la ciudad de" の部分がフランス語に変わる。Dans la ville de

が、待てよ、前半部分の変化だけに気を取られて、名前が変化したかどうか、気づいていない。不覚だ。Silvia はSylvieに変わったのだろうか? i がy に変わるなど、けっこうな変化だと思うのだが、もっと大きな変化に気を取られて、気づかなかった。

ああ、悔しい。

どうしよう? これを確かめるためだけにもう一度観に行こうか? でもなあ、今日はさすがに行けない。明日は違う映画に行く。うーん……

なんのことはない。公式サイトを見たら、フランス語のタイトルが出ていた。

Dans la ville de Sylvia

……Sylvia? 

SilviaでもSylvieでもない、Sylviaなのか! うーむ。これはまた、なかなか興味そそられる折衷案だ。

2010年8月7日土曜日

行列嫌いなぼくが列を作って観た

起きてすぐ思い立って、公開初日第1回上映にと、青山のシアター・イメージフォーラムに行ってきた。何かのBL映画の整理券待ちと一緒にされて、炎天下、並ぶ羽目になった。

ホセ・ルイス・ゲリン『シルビアのいる街で』(フランス、スペイン、2007)。傑作だ。

6年前にストラスブールのバー《飛行士たち》Les aviateursで出会ったシルヴィーという女性を捜してその街に逗留している男(グザヴィエ・ラフィット)が、彼女が入学したと言っていたコンセルヴァトワール前のカフェで彼女を捜し続けるという話。客の女たちをスケッチして過ごすうちに、それらしき女(ピラール・ロペス・デ・アヤーラ)を見つけ、後をつける。トラムに乗った彼女に話しかけると、人違いと発覚、その夜、思い出の《飛行士たち》で知り合った女性客と行きずりの関係を持った男は、翌日もいつものカフェで女たちの顔をスケッチして過ごす。

ただそれだけのストーリーだ。題材として短編映画に似つかわしい。これが短めとはいえ、かりにも85分の長編として作られるのだからすごい。要するに、ストーリーなど問題ではないのだ。セリフもほとんどなく、それなのにとてもはらはらドキドキさせられる映画だ。これだけの他愛ないストーリーを見せるその見せた方がすばらしいのだ。何と言ってもこの映画は主人公やわれわれ観客の視界を遮ることによってやきもきさせる作品だ。カフェにたむろする多くの女たちをスケッチするために眺める主人公の視界は、他の女に遮られる。焦点を当てた人物の手前にまったくピンぼけな他の人物が割り込むことによって、見たい相手をまっすぐ完全に見ることのできない隔靴掻痒の感覚が観客にも伝わる。あるいはカフェのウィンドウの向こう側は光と外の景色が映り込んでよく見えない。わずかに影がさし、ガラスが鏡の役割をすることをやめた瞬間に、店内に探していた女の姿が映る。しかし、一瞬目を離すと、また光が差し込んでウィンドウの向こうは見えなくなる。再び見えたときには彼女はいない。こういう風に人物や観客の視界を欺き、「やきもき」させる、実につれなくて楽しい映画だ。

視界だけではない、音もわれわれをどぎまぎさせる。街の喧噪、というか、サウンドスケープとでも呼ぶべきものの処理が繊細で、観客を飽きさせない。靴音や車輪の音、フランス語のみならず時にスペイン語やドイツ語、英語が飛び交う街の人々やカフェの客の話し声(ただし、字幕もなく、聞き取れるほどの大きさでないものも多い。つまり、発話内容は問題とされない。騒音、もしくはサウンドスケープとしての話し声)。そういったものをサラウンド・システムのステレオ装置をフルに利用してうまい具合に絶妙の場所からそれにふさわしいタイミングと大きさで聞かせる。音声およびポストプロダクションの勝利だ。男がシルヴィーだと勘違いした相手を見つけ、追い掛け、話しかけるまでの1時間近い、大半は沈黙の時間が、ぜんぜん苦痛でないのは、この音声処理のおかげだ。

たとえばこうした音声が、視界に見えるものとシンクロしながら、われわれを「はらはらドキドキ」させるのは、男が女を追っている最中、間にトラムが入り込む瞬間だ。少し離れて女を追う男の視線でカメラは回っている。そこにいきなり、トラムが視界を横切り、手前のスピーカーから大きめの車輪や車体の音が流れ、観客はびっくりする。トラムの窓の向こうの女は見えたり見えなかったり、幻のように見えたりで、目がくらむ。これが、10秒くらいのシークエンス。実に絶妙ではないか?

生半なデュアル・オーディオしか持たないのならば、これをDVDで家で見ようなどと考えず、サラウンド・システムを備えた映画館に観に行かなければならない。

ちなみに、大久保清朗が『キネマ旬報』8月下旬号に書いたレヴュー「あわいの官能」は、この映画のインスピレーションがどこから来ているかを示唆していて、実に刺激的。

2010年8月5日木曜日

複雑な愛

ツイッターでフォローしているある人物が、『読売』のオンライン上のこの記事にリンクを貼り、まるでインターンよりゼミを優先させることが悪いみたいじゃないか、と疑義を呈していた。記事になっているのが自分の勤める大学なだけに驚いた。

後で『朝日』を見たら多摩版(13版31面)に同じ記事が出ていた。ちなみに、この記事についての説明は大学のサイト、トップページにも既に掲載されている。ぼくはこの40歳代女性准教授というのが誰のことなのか知らないし、特に彼女を擁護も非難もしない。よく知らないのだから。

『読売』よりも『朝日』の記事の方が少しだけ詳しい。「複数の学生が通学できなくなるといった精神的被害を受けたという」との説明を加えている。さらに、「准教授は、2008年から10年にかけ、学部生、大学院生をゼミで指導する際、同じ内容について長時間しかったり、外国で言葉を学ぶインターンシップへの参加の予定がある学生に対し、その期間内にゼミの発表を割り当てて参加できないようにしたり、威圧的な言動を繰り返したという」と続く。

「外国で言葉を学ぶインターンシップ」とは何だ? なんだか企業がただ働き同然で学生に就業経験をさせるというアレとは少し異なる様相を呈しているようだ。都合が悪いのなら学生から申し出てなぜ順番を変えてもらわないのだ、との疑問が残るが、たぶん、「威圧的な言動」におびえて言い出せなかったのだろうな。もちろん、企業が大学の都合も考えずにあたら学生をただ働きさせることにはおおいに反対ではあるけれども、一方で、学生には労働の厳しさを知れ、とも言ってやりたくはある。

でも今は一般的にインターンシップのことではない。この「外国で学ぶインターンシップ」というのが何だかわからないということだ。しかもそれは授業が開催されるような学期中にあるのだろうか? 日本とは異なるカレンダーで動いているから「外国」ならこういうこともあるということだろうか? 

こうした記事は常にそうだが、謎が残る。

でも、ところで、こんな不名誉なことでも自分のかかわる大学がニュースになると、こうして触れてみるのだから、へんなものだ。先日、ある学生がにこにこと笑いながら、「昨日ぼくの実家のある市が日本で一番気温が高かったとニュースになったんですよ」と話していた。それに類するメンタリティだろうか? 

そしてまた同時に、ぼく自身の言動が「威圧的」に受け取られていないかとの恐れもあるのか? ちょうど昨日、学生がメールをくれて、後期の卒論ゼミはあるのかと訊いてきた。あるに決まってるじゃないかと返事を書いたら、「ご機嫌斜めですか?」と尋ねられた。ぼくのご機嫌は斜めどころか、まっすぐに突っ立っていたのだが、何やら誤解を与えたようだ。

まあ大学における師弟関係の難しさは、とてもとても古くからある問題なのだけどね。

2010年8月4日水曜日

(部分的)電子図書館化計画

それでまあ、遊び呆けていたわけだ。

……あ、いや、そうではない。とりあえず非常勤先の授業の成績締め切りが昨日、3日に迫っていたので、それの採点を優先させることによって、その他の仕事をしないでいたわけだ。仕事関係のメールもタイトルと差出人だけ見て、ろくに確認もしていなかった。

すると、とある編集者の方からのメールがあった。

あれ(次の翻訳)、進んでます? ええ、もちろん、進んでますとも。遅々としたものではありますが。第3章がもうすぐ終わりそうです。2章まで送ります。

というようなやりとりがなされた。さ、本務校(これはぼくらのジャーゴン。ぼくにとっての外語大)の成績つけが終わったら本腰を入れなきゃ。そのためには、電子化だ! と思った。

他の無視していたメールにあった仕事を済ませるために大学に行き、ついでにテクストをコピーしてきた。コピーしたものを見開き2ページでなく、半分に切り、スキャナで読み込んでPDFファイルに落とし込み、それをドロップボックスへ。そのファイルをiPadで読み取り、iBookの本棚へ。これで電子書籍のできあがりだ。iPadさえあれば、これで、出先でも翻訳作業にいそしめる。もっとも、それより軽い、コピーした紙を持ち歩いてもいいのだが。

ちょうどその連絡をしてきた編集者がこの前に担当していた本の翻訳者が、なんでも原書はPDFファイルで受け取る、紙は要らない、と言っているという話を伺ったような記憶がある。それを思いだし、こうしてみた次第。

本当は紙の本が好きだけれども、たとえば、ある仕事に使うために買った本で、でももうこの関係の仕事はしそうにないから、処分してもいいんだけど、というものがだいぶある。けれども、捨てるに忍びないし、捨てる気になったとしても書き込みやら傍線やらがあって、ブックオフみたいなところに売っても嫌がられるし、お得意、というほどのつき合いのある古本屋もないし、……などと悩むことがある。悩んだ結果、捨てられないでいる。iPadの電子書籍に触れて(ただし、電子書籍自体はiPad以前からあることはちゃんと言っておかなければならない。なにもiPadがすべての始まりではない。Biblioteca Virtual Miguel de Cervantesなど、どれだけ重宝していることか)、かつこのごろ急に増えた書籍のPDFファイル化サービスのことなど聞きかじりながら、こういうのもいいかもしれない、と思っている。用済みの本をPDFとして残す。また必要がでてくれば、電子書籍として読む。

ちょっとまじめに考えてみよう。

では手始めに……