2011年5月31日火曜日

比喩で世界を開く

今日はまず博士論文の審査に行った。ぼくが学位を申請したわけでもない(2003年に取得済み)し、審査したわけでもない。一聴衆としてだ。主査の人が来てね、と言っていたので。申請者は松久玲子さん。ぼくなどより先輩だ。タイトルは「メキシコにおける近代公教育の形成とジェンダー・ポリティクス」。タイトルからうかがい知れるように、教育によってジェンダー役割などが制度化・規範化される過程を記述しようとの試み……とぼくは理解した。

次いで東京大学へ。

……と言っても、本当はこれを読んだということ。辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社、2011)。

そして辻原さん自身は東海大学の専任の先生のはずだ。が、東大での講義を本にしたもの。

リアリズムというのを、ただ現実模写というふうにとらえてはいけない。それは散文の本質なのです。今まで見なれていたもの、見なれたせいで見えなかったものを、新しい隠喩、新しい表現で揺り動かす。これがリアリズムの基本です。(29ページ)

第1講義のタイトルは「我々はみなゴーゴリから、その外套の下からやってきた」。ドストエフスキーのこの言葉を説明するのに、辻原はナボコフを引く。ナボコフが、ロシア語の散文はゴーゴリから始まると、彼のおかげでわれわれは夜明け前の水平線が緑色であることを知った、と言ったことを引く。水平線は本当に緑色なのではない。読者はゴーゴリの言葉に触れてはじめてそれが緑色であったことに気づくのだというのだ。それがリアリズム。それが新しい隠喩。すぐ近くで辻原はこれを始原の問題だとも言っているのだけれども、始原とはそういう意味だ。一文から世界が開けるのだ。開闢だ。言葉でもって世界を開く。それが文学の問題。

2011年5月29日日曜日

今度はイタリア、というかポルトガルについて?

君は「というのも」で始まる本を読んだことがあるか? それがアントニオ・タブッキ『他人まかせの自伝:あとづけの詩学』和田忠彦/花本知子訳(岩波書店、2011)だ。(他人には「ひと」とルビ)

これもご恵贈いただいたもの。恐縮至極。和田さんもカルヴィーノに続いて間を置かずにこれだ。すごいのである。

さて、この本が「というのも」で始まるのは、その前に献辞があり、そこには「マリア・ジョゼへ、あとづけでなく」とあるからだ。そして「あとづけでなく」という献辞は「あとづけの詩学」という副題があるからだ。前書きと献辞とタイトルがメタレヴェルで絡み合っている。それだけでこの本の特徴が活き活きと提示されているようなものだ。

タブッキが自作についてその成り立ちと意義を語ったエッセイ5編(うち1作は未邦訳)を集めたもの。

タブッキは何作か持っているが、そのうち読んだことのある『レクイエム』(というのは、持っている本すべてを読んでいるとは限らないからだ。もちろん、持っていないからといって読んでいないとは限らない)についての章が最初に置かれている。

『レクイエム』(鈴木昭裕訳、白水Uブック、1999)は、語り手「わたし」がリスボンでフェルナンド・ペソアの幽霊に会うという捉えどころのない話で、タブッキがポルトガル語で書いた小説だが、そこに父の幽霊とも会うシーンがある。これが、つまり父の幽霊との邂逅がそもそもの小説の着想の始まりだし、それをポルトガル語で書いた理由でもあると、それ自体が小説的な語りで説明するのが本書の第1章だ。

パリのカフェで、前の晩、既に咽頭ガンで死んだ父の夢を見た、その思い出を記したところ、それはシュルレアリストたちの自動筆記(オートマティスム)のようなものになり、しかも、ポルトガル語を知らないはずの父がポルトガル語で話したという夢だった、と。だからこの小説はポルトガル語で書いたと。

しかもこの小説自体、まずポルトガル語で出版されるのだが、イタリア語版を出す際には、自分で翻訳はしなかったとタブッキは述べている。というのも、父がポルトガル語で話しかけてきた夢を記述したメモを、後でイタリア語に訳してみて考え直したときに、別ものだと感じたからだという。「無意識のうちに川を渡り、ほかの言語の岸に辿り着いた以上、意識下では逆向きに戻れないのだ」(30ページ)。

そして父の知っていた唯一のポルトガル語はrapaz(少年)という語の略語であるpáだけだった。「私」は父をイタリア語の略語であるpa' で呼んでいた、つまり私たちはpa' 、páと呼び合っていた、と結ぶならば、本当に短編小説のようではないか?

さすがはタブッキなのである。

2011年5月28日土曜日

もう一言、キューバについて

さて、『週刊読書人』実物はやっと今日になって送られて来たことだし、もう少しキューバについて。

というより、『低開発の記憶』について。

小説『低開発の記憶』は映画『低開発の記憶』の原作だ。映画は原作にだいたい忠実に作られている。主人公の「僕」(映画ではセルヒオ)が革命後のキューバに残り(家族や友人は続々と合衆国に逃げる)、使用人のノエミに夢想したり街で引っかけた若い女の子エレーナに翻弄されたりする話だ。クライマックスが十月危機。いわゆるキューバ危機。ケネディのラジオ・メッセージやカストロの演説などが引用され、主人公によって目撃された夜の街を行く戦車などが緊迫感を高める。

映画との違いは、小説では「十月危機は過ぎ去った」で始まる数行が小説を閉じていること。

また、小田訳と今回の訳の最大の違いのひとつは、小説内で「僕」が書いたことになっている3つの短編が、そのまま同じタイトルで添えられていること。

はっとさせられるのは、十月危機を告げるラジオ。歌が流れていたラジオが中断され、ケネディのメッセージが流れてくる。その直前には、「アメリカのラジオ局の雑音も邪魔だった。耳障りにならないように、そしてすべてがとても気持ちよく感じられるようにと、自分のための放送みたいに快く思える局を選んでいたら、偶然ダイアルが合ってしまったのだ」(134)

家政婦のノエミとついに関係を持ち、ベッドにともに寝転がっていた「僕」は、つまり、アメリカの、アメリカ合衆国のラジオを聴いていたのだ。

ぼくが子供のころ、ラジオを聴いていると(ぼくはTVなんかよりラジオをよく聴く方だった)、よく朝鮮語の放送が雑音として入って来た。韓国のものなのか北朝鮮のものなのかまではわからない。でも、ともかく、朝鮮語だ。そのくらいの距離なら、ラジオは入るのだ。キューバでは……ハバナではフロリダあたりのラジオなら入るのだ。90マイルしか離れていないのだから。だから反革命派のキューバ系アメリカ人(「ウジ虫」たち)はラジオ・マルティなんてメディアでUSAからハバナに向けて反革命キャンペーンを張ることができるのだ。

長距離の(つまりUSAからの)電話が混戦するようになったりと、メディアの混乱も騒擾の存在を強く感じさせて緊迫感のあるクライマックスだ。

2011年5月27日金曜日

「見ざる」の前で「なんでも見てやろう」の人を思い出す

オリエンテーション旅行で鬼怒川温泉に行った。二日目の今日は日光東照宮界隈を散策。「見ざる、聞かざる、言わざる」のいわゆる三猿。

その間に、先日、伊高浩昭さんと行った対談の掲載された『週刊読書人』が発売された。

旅行の間に読もうと思っていたけれども、思ったほど読めなかったのは、ご恵贈いただいた本。

エドムンド・デスノエス『低開発の記憶』野谷文昭訳(白水社、2011)

これは、同『いやし難い記憶』小田実訳(筑摩書房、1972)の新訳。そしてもちろん、トマス・グティエレス=アレアの映画『低開発の記憶』の原作。小田訳は作者本人による英語版からの翻訳。

ヘミングウエイ批判やエドムンド・デスノエス(!)批判が展開されて楽しいパッセージがあるのだが、その中に、こんな一節がある。

(カルペンティエルは)アメリカ大陸の野蛮の記録者として悪くない。彼は低開発の中から新世界の風景と馬鹿げた歴史を引き出すことに成功している。(76)
カルペンティエルは自分の才能を示すために革命を必要としない唯一の作家だ! (78-79)

ぼくはこの小説はずっと以前、小田訳で読んだきりだったのだが、はて、こんな一節あっただろうか? すっかり忘れていたな、と思って見てみた。表記は「カルペンティエ」。まあこれはいいだろう。この作家の名に注がついていて、説明がある。

現代キューバを代表する作家だろう。作家で革命に加わったと言える人物は少ない。カルペンティエとそのほかひとりか二人ぐらいだと、共産党のえらいさんが私に言ったことがある。(99、太字は引用者)

カルペンティエール(ぼくはこの表記で行く)の『失われた足跡』が訳されたのが1975年。それよりも前の72年の時点でのキューバ、もしくはラテンアメリカの文学の認知度が知れるというもの。「現代キューバを代表する作家だろう」……

2011年5月22日日曜日

最近の収穫

金曜日は卒論の学生の相談を受けるうちに、そのまま大学近くのプロペラ・キッチンで夕食。ワインのサービス券をもらってきた。こんなものをいただいては、また行ってしまうじゃないか。

土曜日は研究会。その後大学時代の友人たちと夕食。いと数年で大学入学30年になるのだと話した。

ご恵贈いただいたのが、管啓次郎×小池桂一『野生哲学:アメリカ・インディアンに学ぶ』(講談社現代新書、2011)。

管さんの「インディアンになる試み」を展開した5章の文章に、ナバホの創世神話を扱った小池さんの劇画を添えた一冊。おそろしく幅広なオビがまた秀逸。第1章に取り上げたニュー・メキシコ州のアコマだろうか? 「メーサ」(テーブル)と呼ばれるテーブルマウンテンなのだろうか? プエブロ・インディアンの土地を歩きながら考えるこの章で秀逸なのはこの洞察。

白人たちが設立したヨーロッパ型の国家は、人間がはじめてこれらの大地に住むようになって以来の約束事である「土地との関係」を、まだ一度として真剣に考えるにいたっていない。これに対して、土地の人々の文化は、それぞれのローカルな区域で、数百年どころかときには数千年にわたって経験的に確立されてきた「土地との関係」を、そのすべての秘密とともに、実践的な知識として継承してきた。(35ページ)

このところ嬉しい文庫化が続いている岩波文庫では、

J・L・ボルヘス『七つの夜』野谷文昭訳(岩波文庫、2011)
コロンブス『全航海の報告』林屋永吉訳(岩波文庫、2011)


『七つの夜』は97年にみすずから出されていたものの文庫化。翻訳者の野谷文昭さんとぼくが初めて言葉を交わしたときに訳しているとおっしゃっていた一冊だ。講演録。この中の第七夜「盲目について」などはいろいろと考えさせられることがあるが、それについては稿を改めて。

コロンブスの方は既に出ている『航海日誌』(第一回目のそれをラス・カサスが編纂したもの)ではなく、書簡や報告書などで全四回のコロンブスの旅を明らかにするもの。〈大航海時代叢書〉のある巻の一部として出ていたものの文庫化。

たとえば第3回の航海ではコロンブスはオリノコ川河口まで達するが、彼の世界認識からいって、そこに大陸があってはならないので、ここは「地上の楽園」だから人間が近づくことはできないとしてそれ以上先に進むことを断念している。このときの論理が実にコロンブスの生きた時代の世界観のあり方を照らし出していて面白い。エドムンド・オゴルマン『アメリカは発明された』青木芳夫訳(日本経済評論社、1999)に分析され批判された詭弁だ。

2011年5月19日木曜日

何度でも言おう

ほんとうに、なんというか、我ながら愚かな性格だと思うが、何度でも言ってやろう。出くわすたびに言ってやろう。

デイヴィッド・ダムロッシュ『世界文学とは何か?』秋草、奥、桐山、小松、平塚、山辺訳(国書刊行会、2011)

なんて本を読んでいる。「世界文学とは、把握しがたい無数の正典のことではなく、流通や読みのモードだ」と、そしてまた「作品は二重のプロセスを経て世界文学の仲間入りをする。第一に、文学として読まれることで。第二に、発祥地の言語と文化を越えてさらに広い世界へと流通することで」(17-18。下線は原文の傍点)と説くダムロッシュの立場は明快で、惹きつけられる。翻訳を通じて作品は世界文学になるというが、その翻訳とは「つねにフェルナンド・オルティスが一九四〇年に「文化変容」(トランスクルトゥラシオン)と表現したものにかかわっている」(46 ( )内はルビ)と明言するところなども共感が持てるじゃないか。ベルナルディーノ・デ・サアグンやリゴベルタ・メンチュのテクストも扱っていることだし、ぼくが読まなくて誰が読む?……というわけで読んでいる。

第一章は『ギルガメッシュ叙事詩』の発見とその伝達を巡るすてきなストーリーを扱っている。世界文学とは流通のモードなのだから、これを冒頭に持ってくるなんざ心憎いじゃないか。楔形文字の書きつけられた石板の発見を、その名も『デイリー・テレグラフ』という新聞が伝える、というところなど、おお、これはもう、これこそメディア論じゃないか、とはらはらさせられる。実に面白い読み物なのだ、これは。

ところが!……

こんなことが書いてあると、その興奮も極度に冷めてしまう:「いつ何時でも調査に反対し、古文書の発見や移動を阻止してやろうと待ち構えているにも関わらず」……

だ・か・ら、……「にも関わらず」は誤字なのだよ。何度でも言おう。見つけるたびに言ってやろう。「にも関わらず」は誤字だ。ぼくが愛用している『大辞林』は「にも拘わらず」のみを掲載している。『日本国語大辞典』は「にも拘わらず、にも係わらず」ふたつを掲載している。いずれにも「にも関わらず」はない。そもそも最近では「にもかかわらず」が主流だろう? と、そのことはまったく前に書いたとおりなのだ。世の翻訳家たちは日本語の辞書を引かないのかな? ぼくはひっきりなしに引くことになるのだけどな。それでもいろいろと間違えるというのに。

先日、ダンティカの『骨狩りのとき』を読んでいたら、「にも拘わらず」との表記を久しぶりに見て、妙に感動してしまったことがある。

ま、そんなことにも関わらず、『世界文学とは何か?』読み応えはある。

2011年5月17日火曜日

雨上がりの六本木

試写会に呼んでいただいた。@シネマート六本木試写室

マリア・ノバロ『グッド・ハーブ』(メキシコ、2010)

つい最近、「メキシコのアカデミー賞」、などという言い方はあまり好みではないが、そんな位置づけのアリエル賞で助演女優賞とグランプリを受賞した作品だ。

原題をLas buenas hierbas という。ハーブだ。良い草だ。そのままだ。つまり薬だが、薬ではあるのだが、薬はまた毒でもある。薬物が軍隊同様、国家の管理下に置かれるゆえんだ。カストロもラモネも、そしてウンベルト・エーコも言うように、現代の紛争の多くはエネルギーを巡る攻防だが、それは軍隊が導入される紛争のこと。軍の導入されない影の紛争の多くは、薬物を巡るものが多い。

娘と認知症を発症した母の話だ。そういえば、叫んだりわめいたり泣いたり、つまり、修羅場と愁嘆場が順繰りにやって来るというものが想像されるかもしれない。そういったシーンがなくもないが、そういったものは最小限に抑えられているのが良い。

娘ダリア(ウルスラ・プルネダ)はシングル・マザー。息子の名はコスモス。子供の父親とは結婚せず、若い男を自分から誘ったりするような人物。肩や腕に入れ墨を入れ、鼻にピアスをしている。コミュニティ・ラジオのDJをし、仲間たちとはマリフワナだってやっている。「コミュニティ・ラジオ」というのはradio alternativa「オルタナティヴな」という形容詞で形容されるラジオだ。以上が重要な細部。

母親ララ(オフェリア・メディーナ)は先スペイン期からの薬草文化を研究する研究者。植物園かと見まがう家に住み、さまざまな植物を育てている。これも重要な細部。ちなみに、彼女は娘や孫をよく植物園らしきところに誘うが、これはメキシコ最大の国立大学UNAM(メキシコ国立自治大学)のキャンパス内にある植物園らしい。ぼくもその植物園には行ったことがある。

さて、つまりこれはヒッピー文化の中で教養形成し、文明に背を向けて自然と共生するオルタナティヴな生き方を選んだ(世代の)人々とその娘世代の話だということ。この世代の者が老いに直面しなければならない時代になったということ。サパティスタと政府の仲介役にも立ったらしいオフェリア・メディーナにはぴったりの役と言うべきか? その彼女が急速に老ける役をやり、おむつ姿までさらして鬼気迫る。加えてジョン・レノンらも師事したという呪術師マリア・サビーナの映像まで挿入されるから、この理解は強化される。

有機的で持続可能な、自然と共生を意識した生活をしていても認知症になる人はいる。認知症になれば娘の名前も忘れるし、妙な幻覚も見る。失禁もすれば周りに迷惑をかける。でも恍惚の人になっていく過程で、娘の父親とは違う男との関係をほのめかしてしまったりするところが、この世代の人たちの利点(?)。だからもうすっかり意識のなくなった母親に娘は、「何人恋人がいたの?」と訊いたりして切ない。

冒頭のシーンで母親がやっていたように、娘がアロエの樹液を掻き出す作業をしはじめたところで、物語の円環が閉じることが告げられ、こちらはそろそろ映画の終わりを意識するのだが、その瞬間から実際の映画の終わりまでの1、2分のシークエンスは、人によっては衝撃の展開と見るかもしれない。娘が枕カバーにほどこしていた刺繍が皮肉で悲しげだ。

7月23日よりシネマート新宿にてロードショー。

2011年5月16日月曜日

スタイリッシュ!

奥泉光が、しかも文藝春秋から、こんなスタイリッシュな本を出した。その名も:

奥泉光『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』(文藝春秋、2011)

桑潟幸一だクワコーだ。『モーダルな事象』の主人公。あの関西のぱっとしない女子大のばっとしない日本文学部のうだつの上がらない助教授(当時)が、こんどは千葉のたらちね国際大学という、乳房を象った校章をもつ、これまた負けず劣らずぱっとしない大学に移り、そこの文芸部の不思議な女の子たち(いちおう、この表紙の絵に描き込まれているのがその中心人物ふたり)と繰り広げる推理。

本格ミステリーというよりは、ミステリー仕立てのコメディ学園小説、といった感じ。3つの短編からなり、なにしろスピンオフものなので、まだミステリーとして読み応えのあった『モダールな事象』よりは軽い感じ。肩の力が抜けていて、読んでいて面白い。

3つの短編のうち最初の「呪われた研究室」を電車の中で読んだ。クワコーがたらちねに移った先で割り当てられた研究室が409で、ここには幽霊がでるとか、ここに入った教員が必ずおかしなことになるとか、そんな噂が持ちきりである。文芸部の学生たちも、ここをミステリー同人誌の共通テーマにしようとして嗅ぎ回っている。この部屋の謎が文芸部員ジンジンこと神野仁美によって解かれる、という話。

ミステリではなく、学園ものだ。大学ものだ。昨今の少子化、全入時代の厳しい競争にさらされる私立大学の悲哀などを自虐的に書いていて、笑えるし身につまされるのだ。大学生の会話や若い教員の発話など、これがあの『石の来歴』の重厚にして流麗なる文体の主かと疑うほどに軽妙で面白い。「桑幸より五つ年下で、短大時代からたらちねで日本語学を講じてきた」坊屋准教授なる人物は、「茶色に染めたさらさらの髪とジーンズにパーカーという服装」なのだそうだが、彼の発話など、電車の中で読んでいてげらげらと笑ってしまった。こうだ。

「しかも学生数が読みより大幅に少ない、少ない。新入生、いきなりの定員割れ! 五割に満たず! って、なんかダメっスよね。一年目で立ち上げが遅かったからしょうがない面はあると、上は自らを慰めているんだと思うんスけど、アマ〜イ。甘すぎ。せっかく共学を看板に掲げたってのに、来た男子は結局一名、オンリーワン。ナンバーワンにならなくても、つったって、オンリーワンじゃマズいっしょ、やっぱ。たらちねってネーミングがねえ。いまどきないっスよね。逆にありかもって、一瞬は思ったけど、やっぱなし。結局はなし。変えようって話はちょっとあり。でも、いまさら変えてもきっとダメっスよね。カンペキ手遅れ状態、もはやとりかえしつかず」(28ページ)

こんな人々につられて、クワコーもだいぶいじけた性格が進行している模様。わらっちゃう。でも、この表紙の自転車にまたがるこの人物がひょっとして彼なのか? だとすれば、これはすごいぞ。

2011年5月15日日曜日

強風にめげず

教え子に暇かと訊かれたので、暇ではないがすてきな音楽を聴く時間ならあるよ、と答えて向かったのが、

中央区交響楽団第17回定期演奏会@第一生命ホール

勝ちどきにあるトリトンスクエア内のコンサートホールだ。さすがに海風のきつい地域であった。

演目は

リスト/ミュラー=ベルクハウス編『ハンガリー狂詩曲 第2番』
チャイコフスキー『大序曲1812年』
ベートーヴェン『交響曲第3番 〈英雄〉』

ナポレオンの栄光と悲惨というわけだな。

『1812』では「ボロジノの戦い」の部に入ってからのストリングスにまず独自性を出そうとしているとの印象を持った。クライマックス(教え子たちが助っ人として参加した管楽器を加え)はさすがに生で聴くと圧倒される。大砲は使っていないのだけど。舞台が狭かったせいか、シンバルの女性が縦方向に楽器を動かして激しく見え、迫力を増していた。

ベートーヴェンの3番ではホルンがナチュラルホルンというこの曲の当時の楽器を取り入れており、さすがに音色が柔らかく印象的だった。そのぶん音程を取るのは難しそうだったが。会場で会った、大学のオーケストラに所属する学生によれば、トレーナーの先生が参加してからぐっと音程もしまるようになったとのこと。「トレーナーの先生」とは河野肇。外語の学生たちも教えてもらっているとかで、その縁で教え子は参加することになったのだろう。

指揮は木村康人。

これも文化のありかたか?

どこの大学・学部にも独自の文化というのがある。同様に独自の外部からのアプローチがある。

外語に勤め始めてうんざりさせられたことは、外線でかかってくる電話の多くがセールス電話だということだ。不動産だの株だの保険だのを買えと。うるさくて仕方がないから、外線のときにはめったに電話に出ない。

しばらく法政の経済学部に非常勤で出講していた。以前勤めていた場所だ。メールアドレスを提供してくれた。かといって、そのアドレスにメールが来る可能性などほとんどないので、転送サービスをお願いしていた。そしたらスパムメールが来るようになった。スパムメールおよび、スパム撃退を報告するメールが。これがうるさくて叶わない。

そういえば、専任として勤めていた時からそうだったと思い出した。

やがて、外語からもスパム撃退報告メールがくるようになった。法政からのスパム撃退報告メールをスパムと認識して報告してくるようになったのだ。

ということは、外語のサーバーにもこうしたサービスがあるのに、今初めて起動するようになったということであり、つまり、外語のアドレス宛にはスパムメールはほとんど来ていないということだ。

法政にいるころはセールスの電話などほとんどかかってこなかった。さて。どっちがマシなのか……

2011年5月11日水曜日

一仕事終える。

昨日ちょっと書いた神楽坂での仕事というのは、会場が神楽坂だったというわけ。日本出版クラブ会館。

ラモネ『フィデル・カストロ』を訳された伊高浩昭さんと、訳書のこと、キューバの今後のこと、過去のことなどをいろいろとお話ししてきた。あるところに掲載される。

で、その前に受け取ったのが、MDノートのカバー。革製のもの。ペンホルダーつきで、こうしてポケットのようなものもできた。すばらしい。

2011年5月10日火曜日

二ヶ月かけてやっと会えたね

さて、その震災の日に見ようとしていて、結局見られなかった映画を見に下高井戸シネマまで行ってきたのだ。

ロドリゴ・ガルシア『愛する人』(USA、2009)

冒頭、若い女の子が男の子とベッドでキスをして、服を脱ぐシーンがある。次のカットでその子はもう子供を産んでいる。色々な前評判から、てっきり別々になった母親(アネット・ベニング)と子供(ナオミ・ワッツ)が巡り会う物語だと思ったので、これは不要じゃないかな、その後のいくつのシーンで母カレンが14歳にして子を産み、子エリザベスを養子に出し、……という状況設定は充分にわかるのだから、……と思っていたが、実際には、二人が探し合って巡り会い、再会を果たすという話でもなかった。本当に妊娠したお腹をさらすナオミ・ワッツや、三つ目のプロットを形成するルーシー(ケリー・ワシントン)の存在(子供ができずに困っていて、養子をもらおうとしている)などから、話はむしろ、出産と育児による命のリレーの話になっていることがわかる。ストーリーはだいぶ違うものの、アルモドーバルの『オール・アバウト・マイ・マザー』などを強く喚起する。

それにしても久しぶりだ。下高井戸シネマ。最近、そういえば二番館にはほとんど行ったことがないものな。でも来てみるといつも思うことがある。ここはマンションの2階に作られた映画館なのだが、この映画館の上のマンション住みたいものだな、ということ。今月はエリック・ロメールの回顧や『暗殺の森』などが予定されている。仕事に疲れたらふらっと2階まで降りて、『緑の光線』なんかを見る。すてきじゃないか?

明日は午後から仕事で神楽坂。神楽坂なんていうと、何やら艶な感じだが、仕事だ。あくまでも。

2011年5月7日土曜日

代償(4日間の代わりに13日間)

ある人から間接的に、このたびの震災で見損なっていた映画が、さる二番館で上映されるという情報を得て、見に行くなら今日から火曜日までの4日間だと思っていたのだが、今日は起きるのが遅くなった(朝1回きりの上映だから)ので行けず、仕方がない、代償として見たのが、これだ。

ロジャー・ドナルドソン『13デイズ』(アメリカ合衆国、2000)ケヴィン・コスナー他


キューバの10月危機(キューバ危機)のホットな13日間のホワイトハウスでの駆け引きを映画化したもの。

フィクションとして見た場合(つまり、史実との突き合わせなどを今は措くとして)、ソ連側の動向を詳しく描写せず、徹底してホワイトハウス内部のドラマとして描いている点は、正解。フルシチョフ側からしかけられるメッセージの謎を巡ってケネディたちが右往左往するのだから。国務長官ロバート・マクナマラの「これは戦争ではない。言語なんだ。これまで誰も知り得なかった言語。それを通じてケネディとフルシチョフがコミュニケーションを取っている」という台詞が水際立つことになる。

ただし、たとえば合衆国の戦闘機が一機、キューバ領空内で撃ち落とされているのだが、それがソ連のミサイルによって撃墜されるまでに2-3分のシークエンスをわざわざ設けているのは、いかにも冗長なドラマティズムといった感じだ。劇場で見ていたらむずむずしただろうなと思う。外交駆け引きのドラマにスペクタクルは要らない。

この13日間に関しては官邸内にいた弟ロバート・ケネディの回想録があり、その翻訳も存在する。これが原作だと思われがちだが、映画が明示しているところによると、原作……というか、依拠したのは、以下の一冊。

Ernest R. May & Philip D. Zelikow, The Kennedy Tapes: Inside the White House During the Cuban Missile Crisis, Harvard U. P. 1997

しかし、これがキューバ危機であることを思うとき、キューバの存在感があまりにも希薄であるのは、十分予想しうることとはいえ、残念なこと。カストロは、そういえば、ラモネに対して、そのことに腹を立てているかのようなことを言っていた。つまり、キューバの頭ごなしに米ソの交渉が進んだことに対する憤慨。あれがグワンタナモ返還のための交渉に発展しなかったことへの失望。

事実かどうか知らないが、映画の中では、国連大使アドレイ・ジョンソンが、危機のごく初期に提案していたのだ。トルコのミサイル撤退とグワンタナモの返還を交換条件にしよう、と。トルコからの撤退は実現した。グワンタナモは残された。

先日のビン・ラディンの暗殺に際して、彼の居所の決定的な証拠となった情報はグワンタナモに収容されたテロリスト仲間からもたらされたものだとのこと。メキシコの新聞La Jornadaはそう報じていた。

2011年5月5日木曜日

電子書籍リーダーとしてのiPad

さて、iPad2を買うかどうかはともかくとして、現在使っているiPadは、とうぜん、e-Readerとしても使っている。電子ブックリーダー。コピーとして持っていた本もPDF化してリーダーで電子ブックのように読んでいる。

アプリは2つ使っている。Mac純正(?)のiBooksとi文庫HDだ。後者は右開きもできるので、縦書きの和書はこれで使っている。

内蔵する本は2つのアプリとも、多数だ。iBooksの場合、ダウンロードしなければならないが、古典的文学作品などは無料のものが多い。アクチュアルなものがどれだけあり、どれだけの値段なのかは、知らない。i文庫HDは内蔵本も多く、加えて青空文庫などからもダウンロードできるので、同じく、古典作品は無尽蔵に無料。これはいずれも素晴らしい。

ふたつのアプリとも「しおり」の機能があるが、iBooksは、どうやら本当にブックマークとしてのしおり。その代わり、ページ途中でメモを挟んだり、テクストをコピーしたりできる。i文庫HDはこの機能がないけれども、付箋のようにいくつものしおりを差し挟み、しかも、それにメモを添えることができる。いずれもこうした機能は捨てがたい。

ただし、検索は、いずれも自分で読み込んだPDFファイルでは使えない。これが残念。iBooksのメモ機能もおなじくPDFでは使えない。i文庫HDのしおりメモ機能は、PDFでも大丈夫。

ぼくは現在、和書のコピーはi文庫HDに、洋書のコピーはiBooksに入れているが、こうしたコピーは、以上の機能の差を考えるに、あるいはi文庫HDにまとめて入れる方がいいのかもしれない。ただし、これまでにこれらのリーダーに読み込んだコピーは、いずれも読了済みで、ぼく自身の引いた線や書き込んだメモがそのまま残っているものだから、どちらでどれを読んでも、取り立てて問題はない。

ぼくは残念ながら他のe-Readerやタブレット機を持っていないので、比較はできないが、iPadは音楽と辞書のアプリにおいて優れているし、電子書籍リーダーとしても、優れて及第点を得ていると思う。

なんて書いているのだから、きっとそのうちiPad2、買っちゃうんだろうな……

2011年5月4日水曜日

演説とテクスト

昨日記事内に組み込んだYou Tubeの映像、もう削除されてしまったようだ。残念。目障りだから外しておこう。

演説と言えば、やはり昨日引用したフィデル・カストロ。長く魅力的な演説で知られるカストロは、伊高浩昭をして「フィデル・カストロの演説を聴くためだけでも、スペイン語を学ぶ価値がある」(『キューバ変貌』〔三省堂、1999〕)と言わしめたのだが、そのカストロの演説を、アメリカ合衆国は革命成就当初、すべて傍受してテクストに起こそうとしたことがあったのだとか。そのことを紹介しながらブライアン・ラテルは言っている。「フィデルが過去一〇〇年間で最もカリスマに富んだ世界的人物の数少ない一人であるのは疑いない。だが彼の言葉は劇的な演説の流れから離れて一度文字化されると、驚くほどに凡庸なのだ。」(『フィデル・カストロ後のキューバ』〔伊高浩昭訳、作品社、2006〕

ええ、ええ、どうせぼくはその「凡庸」なテクストを「監訳」(という形ではあったけど、ほとんど自分でやったようなものだ)したりしましたよ……ま、ガルシア=マルケスも、フィデルが70年代に演説原稿を書き始めたらつまらない演説に堕したと言っていた。

過去に一度だけ授業で1962年に『P・M』という映画が検閲を受けて上映禁止になり、フィデルが知識人たちの前で演説を行い、それが革命政府の文化政策を規定することになったという話をしたことがある。そのときに発された有名な言葉が、「革命の範囲内なら何をやってもいい、革命の範囲外ならば一切が許されない」Dentro de la Revolución, todo, fuera de la Revolución, nada だ。これなんかも、字面だけ見ればあっさりとしたものだが、フィデルがあの独特の身振りを交えながら言ったら、とてもインパクトがあるだろうな、と思ったものだ。で、学生の前で真似して見せた。

……何をやってるんだろう、おれ?

まあカストロはともかくとして、逆のことは常に考えなければなるまいと思う。ぼくらは……我々の職業のものは良く、論文の原稿を書いてからそれをそのまま口頭発表として読み上げるということをやってしまいがちだ。そういう発表が聴いていてえらく退屈に聞こえることがある。書かれたものが面白くても、だ。

書き言葉と話し言葉は別もの、と言ってしまえばそれまでのことだが、常に念頭に置いておかなければならないこと。

2011年5月3日火曜日

Justice has been done...?

昨日の昼、ニュースでも見ようかと思ってTVをつけたところ、第一報が入ってきたのだった。オサマ・ビン・ラデン死亡、とのニュースが。

夕刊には既にそのニュースが掲載された。夕方以降のTVのニュースもそれを報じた。ビン・ラデンは死んだのではなく、殺されたのだということがわかった。

オバマの演説だ。

(ここにはオバマの演説を再生したYouTubeの画像が埋め込まれていたのだけど、一夜にして削除されてしまった。暗い画面をそのままにしておくのも見苦しいので、削除した)

演説としてはうまいなと思う。結論を述べ、そのことの意義を説明するために、911を想起させるべくその日の描写をするところから始める。実に抜かりない演説だ。

そして言う。 "Justice has been done". 「正義は為された」

でもなあ、justiceは(スペイン語のjusticiaもそうだが)「正義」のみでなく「裁判」「司法制度」の意味もあるのだよな。はたして裁判は行われたのか? 生きて捕まえることができないような修羅場だったのだろうか? 

CIAなどの絡む暗殺計画の対象に六百回もされた人物のことを考えている現在のぼくとしては、そのCIAを擁する国の長がこれだけ声高にだれかを「殺した」と言うと、さすがに肋骨あたりの神経が痛む。ましてや、その報に喜ぶ市民の姿がニュース映像として流れてきたら、もっと辛い。

キューバは、対人テロの最大の被害国の一つで、これまでに三五〇〇人が殺され、二〇〇〇人が負傷し障害者になった。キューバはまた、過去四〇年間にテロリズムによる被害が最も多かった国の一つである。(ラモネ『フィデル・カストロ』伊高訳、上巻、xi-xii)

 フィデルは、米国による執拗な攻撃にさらされ、六〇〇回もの暗殺の陰謀の標的になりながらも、暴力をもって反撃することはなかった。(二〇〇六年末までの)過去四八年の間、キューバに起因する暴力行為は米国では一件も起きていない。それどころかフィデルは、二〇〇一年九月一一日にニューヨークとワシントンで起きた憎むべき「9・11事件」の後に、「米国による反キューバ活動があるにせよ、9・11事件の犠牲者に対する我々の深い哀悼の気持が弱まることはない。米政府とキューバ関係がどのようなものであろうと、米国でテロ活動をするために出国するキューバ人はいない」と明言した。さらに、「米国人を貶(ルビ:おとし)める言葉をたった一言でもキューバで見聞きすることがあれば、私の片手を切ってよい。我々キューバ人が、両政府間にある立場の違いを米国人のせいにしたとすれば、我々は狂信的なほど無知だと指弾されても仕方ない」とも語っている。(xiii)

2011年5月2日月曜日

言葉が言葉を産む

昨日、かつて紹介したMDノートのカバーに使った紙がぼろぼろになったので、外すことにした。で、気になってGoogleやらTwitterやらでMDノートを検索してみたら、もっといいのがあるぞ、との情報が。それが、これだ。Lifeのノーブル・ノート。誰かがものすごく紙の質が良くて書きやすいと紹介していた。

頭の隅の引っかかるものがあったので思いを巡らせ、吉祥寺アトレにある文具屋で見た記憶があったと思い出した。それで、仕事に向かう途中に買ってみたのが、これ。オレンジのやつがノーブル・ノート。白いのはMDノートだ。これにもポケットはないが、確かに書き心地は良さそうだ。

ところで、先日、エルネスト・サバトが死んだ。もう1、2ヶ月で100歳だったのに、その手前で死んだ、とことさら書いていた新聞があった。これにもなにやらもやもやとした思いが……思い出した! ボルヘスの母親だ。ボルヘスの母も100歳を目前にして死んだ。そのことを問われ、ボルヘスは「あなた方は十進法にとらわれすぎている」と答えたというエピソードが残っている。それを思い出したのだ。さすがはボルヘスは発想の転換をぼくらに迫ってくる。なるほど、十進法にとらわれなければ、99歳は百引く一で白寿の年だ。

何か書いてしまうと、こうしてそれに付け加えたりそれを修正したりしたくなって、文章は文章を産む。言葉は言葉を産む。昨日はしかし、絵が絵を産む話が話題だった。

これだ。渋谷駅の井の頭線と山手線を結ぶ通路に展示された岡本太郎の壁画「明日の神話」に福島第一原発を思わせる絵が付け加えれていたというもの。それについてツイッター上で書かれた記事を集めたものが、さっきのリンク先のページ。すっかりだまされて太郎が予言をしていたとつぶやく人もいれば、バンクシーみたいだという人もいれば……

そのいたずらはもう撤去されたらしいが、残念だ。宮沢章夫は本当にバンクシーが来たんじゃないのか、と書いていたけれども、それもすてきな考え。ちなみに、バンクシーというのは、「浴室の窓からぶらさがる裸の男」などで知られるイギリスの覆面アーティスト

2011年5月1日日曜日

今日はメーデー

マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」に味をしめた(?)NHKが日本の大学の参加型で行われている授業を取り上げ、「白熱教室inジャパン」などとやっていることは知っていたけれども、何しろ慶應のビジネス・スクールとか、そういった分野を取り上げていたので、さして興味も沸かず、見てもいなかったのだが、昨日、ちょっとした勘違いで、見てしまった。再放送の枠だと思うけど、ICUのなんとかという人の国際協力やらなんやら、そんな感じの授業。なんだか笑っちゃったな。だって何やら重要らしいポイントがことごとくカタカナ語なんだもの。

その昔、アカデミズムはその専門用語の濫用のために批判されたりしたものだ。それはどの学問分野を問わずそうだった。悪名高いのが哲学だ。これらの専門用語は、西洋語からの翻訳の努力の成果であることもあって、よけいにわからないと言われた。前に書いた、こんな現象もその一環か?

で、まさかそんな翻訳専門用語への反動ではあるまい? 今ではまるで専門用語とはカタカナの外来語のことであるとでも言いたげな勢いだった。ある種の戯画を見ているような気がした。まだ先生は時々学生の言葉を日本語に置き換えて言い直したりしていたけれども、そのわりに学生たちの言語表現の統語上・語用上の曖昧さを指摘しようとはしない。学問の究極の目的が曖昧さの排除にあるとするなら、用語・概念の規定と同様に重要なのは、その運用のしかただと思うのだがな。

で、さて、そのNHK、今日からは「スタンフォード白熱授業」だと。「企業家養成講座」ねえ……。食指を動かされることはないな。