2015年9月22日火曜日

寝心地?

ともかく、京都に行くのに大阪でしかホテルが取れなかったのだ。

しかも、なんというか、その社長のしゃしゃり出てくる仕方がなんだか怪しげだなと思っていたホテル。埼京線の板橋駅あたりに大きな看板があって、ホテルのビルよりも大きな社長の顔写真が出ている、あのホテルだ。

部屋の中にこんなのが置いてあった。

……やれやれ。

京都に行ったのは、去年の今ごろと同様、立命館大学での世界文学・語圏横断ネットワーク研究会に出席したのだ。アフリカ文学、越境文学、戦後70年の3セッション。

今年は果たして本当に戦後70年なのか? ということなど。

初日の懇親会の後にすっかり酔っ払って、12時も回ってからホテルには着いたので、値段のわりに狭いことなど気にはならなかった。酔っ払ってぐっすり寝た。


……でもなあ……

2015年9月14日月曜日

授業開始前の足掻き

昨日は新国立劇場に行ってきた。新国立劇場とは浅からぬ縁がある。いや、とても浅い縁がある。

深浅はともかく、縁あって新国立劇場に行ってきた。劇場の養成所の訓練生たちの最終年度の公演にガルシア=ロルカの『血の婚礼』を演目に選んだというのだ。それで、原作研究のためにいろいろと話を聞きたい、と言われて、テクストを携えて行ってきたのだ。

いろいろと質問を受け、改めて『血の婚礼』のテクストの詩的喚起力にうなり、悩まされてきた。

その時、家ですぐに見つかったテクストがメキシコのPorrúa社の版だったので、それを携えて行ったのだが、面白いことにその版では「花婿」はその母親との会話で敬称ustedを使っていた。他の版では親称túのはずだが。

ところで、クックウェアを減らしていると書いたが、減らしているだけではない。クレジット・カードのポイントでこんなものを買ってみた。電子レンジで揚げ物など(揚げ物だけでなく)が作れる〈デリパン〉。

こんなの作ったり。


明日から授業なのだ。今年は授業の開始が早いのだ。焦っているのだ。逃避しているのだ。

2015年9月5日土曜日

静かな生活

ある方から宇都宮みやげにそばパスタというのをいただいた。

そばなのかパスタなのか判断に迷い、結局、パスタに見立て、カルボナーラにしてみた。

石鹸とかお茶とか食材とか、もらったものはともかく(石鹸、お茶など習慣を変えてでも)使うことにしたのは、つましく生きようとの思いがあるからだ。

つましさとは無関係だが、カルボナーラが載っている皿は木製。食器類も数を減らして最小限にしているのだが、焼き魚などを載せられる横長の皿は買い足さねばと思っていたところに、これを見つけて、買ったもの。

前に書いたように、生活の様態が変わった。1DKでその1が寝室も居間も書斎も兼ねる。DKはこんな風に細長く、テーブルもあるにはあるのだが、ほとんど作業台程度に使っており(アイランド・キッチン?)、皿の下にある盆で食事を部屋まで運び、食べることの方が多い。


酔って帰った翌日土曜の昼、パスタが嬉しい。

2015年9月1日火曜日

船出してきた

昨日、8月31日、文芸フェスのローンチ・パーティというのに行ってきた。

2013年、2014年と、日本財団が主催して文芸フェスというのが開かれてきた。外国の作家なども招聘し、期間中、色々な会場で色々なことが催される。2015年の3月には開催されなかったけれども、第3回が2016年3月に開かれるという。その、船出。

主催者としては初回は主に英語圏の作家ばかりだったが、徐々に他言語の作家も多く参加を呼びかけたいとのこと。もちろん、スペイン語圏の人も、と。ただ、資金が潤沢なわけではないので、……等々。

知り合いやらサイバースペースでは知り合いだけれども会うのは初めてという人やらと話をしていて、太田光の話とか小野正嗣と西加奈子のトークとかをよく聞いていなかった。面目ない。

翌日、つまり今日、ご恵投いただいた。リディア・デイヴィス『サミュエル・ジョンソンが怒っている』岸本佐知子訳(作品社)

短編集だが、中には超短編を含む。スペイン語圏でmicrorrelatoと呼ばれ、すっかりジャンルとして定着した観のある短い文章のことだ。よく引き合いに出されるのが、アウグスト・モンテロソの「恐竜」。「目が覚めると恐竜はまだそこにいた」だ。こうした一行や二行の作品を含むのが今回の短編集。表題作はことに短い。「恐竜」よりも短い。タイトルと一続きではあるが。

もちろん、数ページ、数十ページの通常の短編もあるのだが、こうした短いものを含むので、最後の「謝辞」までが短編ではないかといぶかしく思う。こう書いてある。

付け加えるぺきことは一つだけ
本書に収められた銅版画の
丁寧な再刻はすべて
カフ氏によるものである     (234ページ)


うむ……