2013年11月30日土曜日

もみじをかる

昨日、食後の散歩に近所の旧古河邸に行った。学生時代にも何度か来たことのある庭園だ。バラ園と日本庭園の融合が美しい。そして邸宅が素晴らしい。

で、そのアルバムをフェイスブックに載せて、友人たちからのコメントに答えるうちに、同じくJR駒込駅から近い六義園もお勧めだ、と書いた。

そんな経緯があったので、今日の食後の散歩は六義園に行こうと思った。

が、ふだん閉鎖されている駅側の門の前に長蛇の列ができていた。

萎えた。

諦めた。


さすがに休日は、皆、美しい景色を求めているのだなあ。

2013年11月22日金曜日

落涙す

4月には高校時代の仲間が亡くなったと思ったら、今度は幼なじみが死んだ。小学校入学以前からの、文字どおりの幼なじみだ。癌が見つかったときには、もう5箇所くらいに転移していたそうだ。入院したと思ったらあっという間だった。

小学校で同じクラスだった、と言っても、おそらく、多くの人が抱くような小学校のクラスメイトの概念を超えているはずだ。ぼくらの同期は、それでも前後の学年より多かったほうだが、合計12名しかいなかったのだ(転入し転出したのがひとりいたので、最大13名)。良くも悪くも濃度が違うのだ。

中学を出てからは、別々の高校に進学したし、そんなに頻繁に会ったわけではない。帰省のたびに会った程度(算えるくらい)だ。役場に勤めていたけれども、出張で上京したときに2、3度は会った。その程度だ。が、ぼくは彼に対してはある種特別な思い入れを抱いていた。

彼の母方の苗字は、誰がどう見ても明らかな鹿児島の士族のそれ。ぼくの祖母は、時々、三百数十年の時を飛び越し、その彼の母方の者たちが私たちを征服に来たのだと語っていたらしい。1609年の琉球征伐のことだ。彼の母方のおばには白内障のだいぶ進行した人がいたけれども、それが我々の恨みのこもった返り血を浴びた結果、一族が背負うことになった運命なのだと……

子供時代のぼくは、祖母のそんな話をほとんどまともに受け取ってはいなかったのだけど、祖母も死んでだいぶたったある日、母から思い出話にそのことを知らされ、その時以来、どうにかこの話を文章化したいなと、漠然と考えていた時期があった。

友人とはそんな話をしたことはない。そんな話をする相手ではなかった。ただ酒を呑み、馬鹿を言い、共通の友人の消息を伝え合うだけだった。ぼくの思い入れというのは、一種傍系の想念に過ぎない。でも何だか、祖母が死に、祖母が呪詛した家系の末裔でぼくに一番近かった彼が死んでしまうと、1609年の出来事までが薄れてしまうような気がする。そこから生まれた征服された者たちの恨み節が消えてしまうような気がする。それを何らかの形にしようとしていたぼくの情熱が消えてしまうような気がする。なんだかさびしいのだ。


今日も明日も授業はないから、無理すれば通夜か告別式には出られるのかもしれない。でも、こまごまとした用が入っていて、それをずらすのも後に響いて剣呑だ。弔電だけで済ませることにした。宛名にもう80歳を超えているはずのお父さんの名を入れたとき、涙が出そうになった。

2013年11月17日日曜日

日曜日は休日との通念を棄てて久しいけれども……

〆切りを過ぎた原稿4本(いずれも長め)に〆切り間近な原稿2本(比較的短い)、〆切り関係ないけど、常に念頭にある原稿や翻訳3、4本を抱えているので、日曜だというのに、今日も今日とて仕事場通い。

そのうち1本がもう少しで終わりそうなのだが、肝心のつなぎ目がうまく行かず、こんなときには散歩に限ると、昼食後の腹ごなし(本当に、腹回りは危機的状況だ)も兼ねて大学まで歩いてきたのだった。それに、なんとなく、休日気分も出るかな、と思って。

文京区は寺が多いのだ。神社もあるが、ともかく、寺が多い。

この数は驚異だ。ここならいつ野垂れ死にしても安心だ。

なかでも一番大きいのは吉祥寺かな?

この門の屋根瓦はすごい。

それとも、浄心寺の方が大きいかなあ? 区の葬儀施設もあるみたいだし。

なんたって、こんなものまである。

それから、ビルに埋もれた(?)寺。寺の門なのか? うーん。


素敵なお店もいくつかあって、寄り道の種には事欠かなそうだ。文京区、あなどりがたい。

2013年11月15日金曜日

1976年、ぼくは中学1年生だった。まだ映画館に入ったことはなかった。

『あまちゃん』は80年代アイドル文化へのノスタルジーを掻き立てて話題になった(らしい)が、坂手洋二が『ここには映画館があった』(燐光群@座・高円寺)で回顧してみせたのはその少し前、1976年だった。『あまちゃん』は小泉今日子と薬師丸ひろ子を対決させてあの時代にノスタルジーを感じる人々の心をくすぐった(らしい)けれども、坂手洋二はジュリアーノ・ジェンマを、つい最近死んだあのマカロニ・ウェスタンのアイドルを、「まだ生きている人」として呼び出して、坂手より一つ年下で、坂手よりもっと田舎に住んでいたぼくの心をくすぐった。

1976年は映画の当たり年だった。岡山の田舎にあっても、街の映画館でその年を享受した彼は、『ロードショー』や『キネマ旬報』に映画評を投稿して掲載されていたらしい。そんな自伝的要素を、マチコ(重田千穂子)、アズサ(岡本舞)、サヨコ(円城寺あや)の客演3人組に投影し、『ハリーとトント』、『JAWS』、『追憶』、『カッコーの巣の上で』、『タクシー・ドライバー』等々、おびただしい数の76年(およびその前後)封切りの映画に言及しながら、理想の映画館をつくる話と、生と死の境というテーマと、沖縄の問題とを絡めた物語を紡いだ。76年を奄美の片田舎にあって、今だ映画館で映画を見ることがなかったけれども、耳学問で暗闇とスクリーンに憧れて過ごしたぼくは、何度も泣きそうになった。

ビブリオフィルが理想の図書館を夢想するように、シネフィルが理想の映画館を夢見るのは当然のこと。当然のこととは思うけれども、実際にはただの映画好きでは理想の映画館を夢見るにはいたらない。中学生のサヨコが中学生の坂手と同様、映画雑誌の懸賞映画評で入選し、その文章が掲載され、映画を見ることが映画を語ることであり、それ自体がひとつの創造なのだと気づくことがなければ、そんな夢を抱くにはいたらないのだ。そして気づいてしまったのだ、円城寺あや演じる中学生のサヨコは。そして自分の文章が読者を呼び、人間関係の環を広げ、遠い沖縄の問題に、沖縄の向こうにあるアメリカの問題に接続されことを知る。こんな中学生の話を前に、泣きそうになるのは当然だろう? 


ゾンビ映画の嚆矢にして日本では実際には公開されなかった『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』をヴェトナム後のアメリカ合衆国の失望の隠喩に転換し、『七人の侍』と自衛隊の成立が同年であることを指摘して論じるなど、言及される映画のそれぞれに対する批評も、唸らせる。

2013年11月14日木曜日

端倪すべからざる奥行き

ぼくのこのたびの引っ越しのコンセプトは、学生みたいな生活がしたい、だ。大学からそう遠くない場所のつましいアパートに住み、ほぼ毎日大学に通う。もちろん、学生の時の条件そのまま繰り返すわけではない(そんなことはできない)、いまではその大学は仕事場であるのだし、充分な広さの研究室があるのだし。ま、ともかく、気分は学生、ということ。

昨日は初めて学食に行った。まあ何というか、学生気分。行ったのは第一食堂というやつ。安田講堂の前庭の地下にある。修学旅行の中学生だか高校生だかと老人の集団がいた。そして今日は銀杏メトロ食堂というのに行った。法文2号館という建物の地下にあるやつだ。

何と! 畳の座敷があった。8-10人くらい座れる座卓が5、6。ここは8時までやっているし夕方にはアルコールも出すから宴会(一次会に限るが)でもできそうな勢いだ。

ぼくも色々な大学に教えに出向いたり、学会で行ったりして少なからぬ数の大学学食を見てきたが、座敷というのは他に記憶にないなあ……


あ、ちなみに、1日の記事に書いた「何とかという洋食野」は松本楼。日比谷公園にあるやつだ。

2013年11月10日日曜日

がんばります

家でTVをモニターにするというのは、つまりこういうことだ。

マックを乗せているのは片側だけで支える形式のラックなので、やはり今ひとつ安定感を欠く。せめてこんな(それこそ、文字どおり演台だ!)のにした方がよかったかもしれない。きちんとしたスタンダップ・デスクを置いた方がいいのかもしれない。座り仕事(本を読むとか、そういうの)用には肘掛け椅子でいいのだ。書斎の配置を根本から変えた方がいいのかもしれない。

さて、ところで、立った方が仕事がはかどるのではとの思いからこんなことをしているのだが、実際に配置の変化などにかかずらっているようでは本末転倒だ。仕事をはかどらせるために仕事をしない。うむ、パラドクサルだ。なんというか、自己啓発本などの並びにある仕事術指南書のたぐいのようだ。いかに仕事を効率化するか、そんなことに悩んでいる間に仕事の時間が過ぎて行く……という感じ。

いやいや、それどころではないのだ。たまった仕事がうんとあるのだ。


ところで、昨日は(いつものことだが)通算で10時間ばかりも仕事をしたのだが、そのうち8割くらいは立っていたと思う。あるていどの運動をこなした後のように疲れた。おかげでぐっすり眠れた。立って仕事をするということは、能率を上げるだけでなく、そんな効果があるのかもしれない。それとも、大塚でうっかり運動部新入生みたいな昼食を食べてしまったために、腹ごなししようと池袋まで歩いて行って(昔よく歩いた、勝手知ったるルートだ)、そこから大学に向かった、その散歩が効いているだけなのだろうか?

2013年11月9日土曜日

ゲーテのように、サイードのように

立ったまま仕事がしたいと思った。ゲーテのように、ヘミングウェイのように、サイードのように。

サイードの『人文学と批評の使命』には机の上にさらに小デスクをおいて立ったまま仕事をするサイードの写真が口絵として載っていた。いいな、と思ったのである。

まず、家の机に、台所の細々とした物入れに使っていた箱を置いてみた。その上に大判の本をいくつか置き、ちょうどいい高さにして、立ったまま書くことをしてみた。

なかなかいい。

で、研究室では、ゴミ箱を机の上に置き、コルクボードを渡してみた。

うむ。

! 

が、もっといいのがあるじゃないか。

前任者・野谷文昭さんが残していったラック。辞書などを載せて机の脇に置いてあったのだか、それの天板がスタンダップ・デスクにぴったりの高さ。こうして使ってみた。


なかなかいいのである。

2013年11月4日月曜日

ピチピチ チャプチャプ ランランラン♪

ジャン!

レインブーツである。

てやんでぇ、雨靴だろ? 早い話がゴム長じゃあねえか。

うむ。ちげぇねぇや……

が、最近は単なるブカブカの黒ゴム長でなく、このように意匠を凝らして、それをレインブーツと呼んでいるらしいのだ。

ちょっと前に大雨が降ったときにほとほと困った。履いていく靴がない。どれも履いたら水が浸透して靴下がぐしょ濡れだ。雨靴が欲しいと思ったのだ。

数年前から女性もののレインブーツがずいぶんと豊かになってきたことに嫉妬を覚えていたのだった。男性ものでも何かいいものはないかと思っていたのだった。思い立って検索してみたら、何のことはない、いろいろとあるのだった。ま、そりゃそうだよな。

で、ウィングチップ好きのぼくとしては、これなどが良かろうと思って買った次第。

ところが、買ったと思ったらなかなか雨が降らない。あるいは降りそうで降らない。で、今日は大した雨でもないが、たまらず試しに履いてみた。「あめあめふれふれかあさんが♪」などと(あくまでも心の中でだけ、だと思う)歌いながら、僅かばかりできた水たまりにわざと足を踏み入れたりしている。


まるでガキんちょだ……

2013年11月2日土曜日

常に衝動的

換えてきたのだ。iPhoneをガラケーに。

しばらく前から電源ボタンの接続が悪くなっていたが、ここ1ヶ月、まったく機能しなくなった。映画館でも電源が切れなくなった。後で知ったことだが、それらのボタン機能を画面上に表示することができる。が、それでは電源を切ることはできても、入れることはできないらしい。ともかく、そんなわけで、煩わしいと思うようになった。

Appleショップに相談に行ったら、保証期間を過ぎているので、取り替えるのに結構な額の料金が発生するとか。それで、それならいっそ、機種交換してしまえと思った次第。

今のiPhone5にした直後、iPad miniを購入。それがだいぶ調子がいいので、ネット接続など、ぜんぶそれでいいじゃないかと思うようになった。モバイルルーターも持っているので、それとiPad miniとの組み合わせでいいじゃないか、と。次に機種変更するときにはもうiPhoneでなくてもいい、と。

そんなわけで、言うところのガラケーに戻ったという次第。

戻ったはいいが、この種のものは使うのが久しぶりなので、勘を取り戻すのに時間が必要だ。……加えて、アドレス帳とか、一からやり直しなのよね。やれやれ。。


そんなわけで、もうほとんど使わないと思うが、gmailに換えて、ezweb.ne.jp も使えるようになった。親指によるメールなど苦手なので、あまり使いたくはないし、返事も遅れがちになろうが、こちらにいただいてもかまわない。

2013年11月1日金曜日

隣の芝生が青く見えることについて

昨日のこと。慶應義塾大学日吉キャンパスに出向いてきた。論文審査に行ったのだ。

学部によって異なるようだが、少なくとも慶應のある学部の教員は昇格する(専任講師から准教授、准教授から教授に)にはそのための論文を提出し、審査員によって公開で審査を受けなければならない。すごいのだ。今回ぼくは、ある人の論文の審査委員のひとりとして出向いたという次第。

審査は滞りなく済み、対象となったその方を昇格させるにやぶさかでない、との結論が出たので、少しばかり祝い酒を飲んだ次第。キャンパス内のHUBで。

キャンパス内? 

法政の多摩キャンパスや外語の府中キャンパスなど、ぼくがこれまで勤めてきた場所には考えられないことだが、慶應の日吉キャンパスには、キャンパス内にローソンだのHUBだのがある。キャンパス内と言っても、いちばん駅に近い場所であり、つまり近隣住民にとってもアクセスが容易な場所だが、ともかく、駅に東急が入っているほどの大きな駅、つまり周囲にも多数の住民のいる場所にあるこのキャンパスは、もっと郊外にあるぼくの知ってきた大学とは異なるのだ。さすがなのだ。

と、話していたら、ふと気づいたのだった。今ではぼくの勤める大学は、やはり大学内にローソンだのドトールだのスターバックスだのサブウエイだの、それからなんと言ったか、洋食屋の店舗を抱えるところなのだった。


うむ。大いに利用しない手はない。