2009年4月26日日曜日

悲愴なる運命

昨日、25日(土)は雨の降りしきる中、東京外国語大学管弦楽団第77回定期演奏会というものを聴きに杉並公会堂(荻窪)まで行ってきた。

朝、その曲をかけたのだった。学生から定演のチケットをいただき、演目のCDを探したらカラヤン指揮、ベルリン・フィルのものがあったので買った、それを、その日の朝、かけたのだった。その日、その定演があることなどすっかり忘れていたというのに、かけたのだった。第3楽章の盛り上がりのあたりで、ふと気になってチケットを見たら、その日が当日だと書いてあった。

運命を感じた。

運命には身をゆだねるタイプだ。だから、雨だというのに、荻窪まで出かけていったというわけ。

運命といっても、曲目は悲愴。悲愴といってもチャイコフスキーの6番、「悲愴」のことだ。「パテティカヤ」というロシア語をそのまま他のヨーロッパ語の「パテティカ」(スペイン語の場合)に訳したので、「悲愴」と伝わっているが、実はこれは誤訳で、「情熱」という程度の意味だという、あの「悲愴」。

そして同じくチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。この曲、ぼくは意外に好きだ。さらにリムスキー=コルサコフ「ロシアの主題による序曲」。列挙したのとは逆の順に演奏。

カラヤン、ベルリン・フィルのアルバムはチャイコフスキーの2曲を挙げた順に収録したもの。名演奏の誉れ高い。聞き比べた。

1,000人ばかり入る杉並公会堂大ホールは、あの雨だというのに、ほぼ満員だった。見上げたものだ。演奏も見上げたものだった。

同僚が来ていて、その彼と食事。