2015年8月29日土曜日

Would があるから「できれば」なんだぜ


ハーマン・メルヴィルの作品は『バートルビー』だ。これは『バートルビーズ』複数形だ。そして実際、複数のバートルビーが登場する。2人、もしくは3人、または4人だ。

まずは3.11の津波の害を免れたT病院。そこの事務局長(大西孝洋)が見出した「彼」。最初のうちは仕事をしていたのに、やがて「できれば私、やりたくないのですが」と言いだし、事務局長の言葉によると「ヴァイタル・フィーリング」を失い、病院に居すわり、病院が移転しても居すわり続ける人物。

2人目は父親と婚約者の前で「できれば私、やりたくないのですが」と婚約破棄し、バイト先に籠城するビトーさん(宗像祥子)。

3人目は原作のバートルビー(たぶん。もしくはそれを改変したもの)。

4人目は詳しくは書かないが、ビトーさんのオトーさん、あ、いや、お父さん(猪熊恒和)。

これら4人のバートルビーが絡み合う。その絡み方は想像がつくものもあろう。が、こう書いただけではどうしても想像のつかないものがあるはずだ。2人目と3人目のバートルビーの繋がりだ。この繋げ方が絶妙で、この作品の質を保証している。


アガンベンやビラ=マタスにも言及しているが、ここまで書いて来たように、坂手バートルビーはバートルビーのセリフ「できれば私、やりたくないのですが」に着目したところ(書くことを拒否したこと、書けなくなったことは本質ではない)にかけてビラ=マタスとは異なる。I would prefer not to do... この語がフクシマに接続できることに気づいたのは、さすがだ。唸らざるをえない。

2015年8月28日金曜日

連休の京都を侮るなかれ

4、5日留守にして戻ってみたら、昨日から東京は秋の雰囲気。エアコンの要らない日々だ。

留守にしたのは、まずは京都に行ったからだ。日本イスパニヤ学会の理事会。

翌日は、こんなものをたしなみながら幸せをかみしめた。

その後、伊東に移動。現代文芸論研究室の合宿に参加。合宿初日は誕生日だったので、宴会では祝ってもらったりした。ありがとう。

9月はあちこちに行ってばかりだ。今日、再びの京都行のために部屋を手配しようと思ったら、どこも一杯だった。空いている部屋といえば、一泊7万も8万もする部屋か、ひとりが確保できないユースホステルのような宿のみ。大津あたりでももう一杯で、仕方がないから大阪に宿をとったのだった。

やれやれ。


9月に京都に行くのは、去年同様、世界文学・語圏横断ネットワーク研究会に出るためだ。

2015年8月15日土曜日

縮小は終わらない

昨日、久しぶりに「縮小経済を生きる」というラベルを使って、思い出した。そういえば縮小経済は続いているのだと。まあ安倍晋三が相変わらずの言いたくないことを言うための婉曲語法で下手な文学を展開した直後で、時代はますまきな臭くなるし、ここは緊縮しなければならないのだ。

最近、使うのをやめた電化製品が2つある。炊飯器とコーヒーメーカーだ。

必ず米を炊くとは限らない。家で料理を作る時でも米なしのこともある。だからそもそも頻度は少ないと思うのだが、そんな身にとってみれば、近年の炊飯器は焚くのに時間がかかってどうももどかしかった。鍋で炊けば10分で済むところを1時間近くかけられたのではたまったものじゃない。だから、やめた。

コーヒーメーカーは、非常勤で仕事をするようになって朝の余裕がなくなった20年ほど前に導入したものだ。朝だけこれでコーヒーを淹れる(昼や夜は手で入れるか、エスプレッソ・マシンで淹れる)。

飯にしてもコーヒーにしても手作りに戻ってみると、共通して言えることがある。手で炊いたり淹れたりすると、当たり外れがあるということだ。失敗した時にはかなりつらいが、成功した時には機械で作るものなどよりよほどうまい。逆に言えば電化製品は平均的な美味しいものはできるが、それ以上にはならない。さて……


というわけで、炊飯器とコーヒーメーカーは捨ててきた。少しだけ身軽になった。

2015年8月14日金曜日

引っ越しとは孤独である

引っ越したのだ。隣の区に。K区からT区に。この移動は大学生の時以来だ。KからT。新しい区役所にはファミリーマートやどこかのレストランだかも入っていた。

これまでの人生で一番の高層階だ。5階だけれども。それだけでなく、この度の引っ越しは重要な変化を伴う。

まず、生活様式の変化。これまでは1LDK(2DKの場合はDKと1部屋の仕切りを取っ払う)を基本として、LDKが書斎を兼ねる形だった。寝室は常に別だった。今回、探した中で一番気に入ったのは、しかし、1DKむしろ1Kと言いたいくらい。居室が広い。居間と寝室(居間は常に書斎を兼ねる)をひとつにした部屋の配置にしたというわけなのだ。『早稲田文学』のグラヴュアで大江健三郎がソファに寝そべって本を読む写真があったので、それに触発され、ベッドでもソファでも寝そべって本が読める部屋を第一義とすることにしたのだ……というのは半分くらい冗談だけれども。

入居してみると、前の部屋よりも収納は格段に多いはずなのに、微妙に寸法が小さかったり、あってほしい場所にはなかったりと、思い描いていたのとは勝手が違ったりするが、それはいつものこと。だんだんと配置を変えていけばいいのだろう。


いつものことだが、引っ越しの準備期間には、古い荷物を見直し、昔の手紙やらノートやらを読み返し、過去を反復していた。引っ越し期間とは、こうして自分の過去に向き合う期間のことだ。時々、「手伝おうか?」と言ってくれる人がいるが、とんでもない話だ。そっとしておいて欲しいのだ。荷造りの間ぼくは、自身の過去を生き直すのだから。誰にも邪魔などされたくはないのだ。

2015年8月11日火曜日

山形とチリに共通点があるとすれば、海に面していること? だけではない……

試写会に呼んでいただいたので、パトリシオ・グスマンの2つの作品を見てきた@ユーロライブ@ユーロスペース。

『光のノスタルジア』(フランス、ドイツ、チリ、2010)と『真珠のボタン』(フランス、チリ、スペイン、2014)の2作品。監督本人が2部作だと位置づけるこの2作を、今度、岩波ホールで2本立てで公開するのだそうだ。

『光のノスタルジア』は山形国際ドキュメンタリー映画祭最優秀賞受賞作。アタカマ砂漠にある天文台で天体観測する者、アタカマ砂漠の地層を観察する者、アタカマ砂漠にピノチェト軍政時代に行方不明者となった家族の骨を探す者。三者三様の過去がチリの砂漠にある、という話。

『真珠のボタン』は水の話。ベルリン映画祭で銀熊賞脚本賞を受賞。西パタゴニアの先住民のボタンにまつわる2つの記憶(植民地時代とピノチェト時代)が水を媒介として語られて鮮やか。水語、と言えばいいのか、idioma de aguaを先住民から学び、発する文化人類学者が印象的。そして、なんと言ってもここにはラウル・スリータが出てくる。ボラーニョの愛したあの詩人が。ニューヨークで飛行機詩というのを実践し、『アメリカ大陸のナチ文学』最後のエピソード、ラミレス=ホフマンに発想を与えたあの詩人が。


『真珠のボタン』は今年の山形映画祭のコンペにも出品されている。今年、山形では彼の『チリの闘い』3部が上映される。『チリの闘い』のみならず、ヘティノ/ソラナスの『竈の時間』など、充実のラインナップだ。

2015年8月7日金曜日

里アンナちば、あがしがりきょらさぬ……

様々な詩人たちの詩にホセ・マリア・ビティエールが曲をつけてピアノを弾き、パブロ・ミラネスが歌ったCanción de otoño (Beans, 2014)の輸入盤にそれらの詩の訳を作った。その関係もあって輸入元のAHORAコーポレーションとはつき合いがあるわけだが、そのアオラが今一押しのディーバが里アンナ。彼女の島唄だけのアルバム『紡唄』(Primitive Voice、2015)発売記念ライヴの本番前ショーケースにご招待いただいたので、それならば、とライヴまで聴いてきた。

場所は代官山「晴れたら空に種まいて」なんだかすてきな名前の豆腐ライヴハウス。

特筆すべきポイントは三つ。まずは同姓の里国隆ばりの竪琴を奏でながらの曲。そのうち「行きゅんにゃ加那」はショーケースと本番では少し2番以降の歌詞を変え、つまり2バージョン聴くことになったわけだ。このポピュラーと言えばあまりにもポピュラーな曲が竪琴に乗ると新鮮だ。

アルバムは個人のものだが、今日のライヴは前山真吾と里歩寿、ふたりのゲストを迎えてのものだった。南部(古仁屋)の出身のふたりとのコラボレーションが二つ目と三つ目のポイント(ちなみに、ショーケースでの「行きゅんにゃ加那」は前山とふたりで歌ったので、里のソロでやったライヴ本番とは違ったという次第)。

一口に島唄と言っても南と北では違うのだと説明し、その証拠に「長雲」という曲を里アンナ、前山真吾が同時に歌い、まれに見るフーガを紡ぎ出して見せた。逆に、「請けくま慢女」(カサン節)と「豊年節」(ヒギャ節)が異名同曲であるそうで、これをメドレーで演じた。この2つの演目のコントラスト、および演目内部でのコントラストが印象的。すばらしい。

そしてまた、すばらしいといえば、その「請けくま慢女」で「請けくま慢女ちば、あがしがりきょらさぬ♪」と歌う里アンナにうっとりとしてつけたのが、今日のブログのタイトル。

……いやいや、そういうことではなく、里アンナの声量としっかりとした音程、声の張りたるや……会場の壁は、彼女の裏声に入る直前の高音域のところで震えていた。間違いない。

開演前の土盛海岸の映像。


終わってCDにサインしてもらったら、みんなそうしていたので、ぼくも一緒に写真を撮ったのだった。でもその写真は、もっぱらぼく自身が照れるので、Facebookだけにあげておこう。むふふ。

2015年8月4日火曜日

夏休みは始まらない

7月27日から8月1日にかけて、アテネ・フランセ文化センターではクリス・マルケル・セレクションが開催されていた。二度ほど見に行った。『サン・ソレイユ』日本版(池田理代子がナレーターをつとめる)と『笑う猫事件』を見たのだ。911以後に突然パリの街のあちこちに現れた笑う猫の落書きの謎と、911以後に行われたいくつかのパリのデモの様子を追ったもの。

『笑う猫事件』は8月1日のことで、その日は2つのレクチャーとシンポジウムまであった。半日をアテネ・フランセで過ごしたことになる。写真集『パッセンジャーズ』の写真における鏡としての窓の使い方(鏡像を映さない)を指摘する千葉文夫さんの話などに唸ったのだった。

8月3日は早稲田文学新人賞の授賞式。受賞作は中野睦夫「贄のとき」と桝田豊「小悪」。中野睦夫は前回の黒田夏子の受賞に刺激をうけたか? なんと同い年だそうだ。父親からなされる送金が父の退職後も彼の勤務していた役場名義になっていたことに不信を抱いた語り手が裏役人の裏秘書課なんて存在を知らされ、役場内に導かれ……という物語は、さすがにこの種の受賞作が常に持っているある種新鮮な魅力を発散している。そして、何よりも70歳代後半の文章が実に若々しく思える。面白いのだ。


この新人賞発表の『早稲田文学』には安保法案についての緊急アンケートが掲載されているが、ささやかながら僕も少しく意見している。