2009年12月31日木曜日

Por fin

何か忘れていると思ったら、年賀状を書くのを忘れていた。慌てて書いて投函。書くべき人のうち、緊急性の高い人から10人ほど。

学生たちの卒論を読み、チェックし、送付。そして……

スティーヴン・ソダーバーグ『チェ 28歳の革命』(スペイン、フランス、アメリカ、2008)。かつ、これについてさらさらと書き、原稿送付。

終わった! 脱稿だ。

以前からほのめかしている仕事。スペイン語圏の映画37本(当初35本を予定していたが、最終的な打ち合わせで2本増えた)を選び、その紹介をし、1カ所セリフを選んで解説し、訳と文法解説までつけるというもの。シリーズもので、既にロシア語や英語圏のものについては出ている。第3段としてスペイン語圏のものがでるはず。

1本につき4ページで構成されるので、本文だけで148ページになる。それを、今日、書き上げたという次第。選んだ37本のほとんどはいちど見たことのある映画なのだけど、当然、今回改めてじっくり見ることになった。当初の印象より面白かったものもあればそうでなかったものもあり、改めて面白いと思ったものもあり、改めて面白くないと思ったものもあり……

日本でDVDソフト化されているものの中から選んだ。必ずしも映画の映画としての面白みのみが選定基準ではない。だから『ダックシーズン』とか『ある日、突然。』なんてのが選ばれていなかったりする。いろいろな思惑があって選んだ37本。

たぶん、先日脱稿した翻訳と同じ時期か、それに前後する時期に出るはず。少なくともそのつもりだと、編集者はおっしゃる。……いいよ。何月でも。何度でも。

年末を無理矢理まとめてみる

28日には元教え子たちと忘年会。その後、同期のもっと大きな集まりに合流。呼んでいただけるうちが花なので、こうした集まりには可能ならば行こうと思う。

ん? 君は鳩山由紀夫の後ろをとことことついて歩いていなかったか? TVニュースの映像に一瞬、君が映ったような気がするぞ? そうなんです~ などという会話を交わしたり、いつ辞表を書くかとか、辞表の書式は決まったものはないとか、そんな話をしていた。

それからセバスティアン・コルデロ『タブロイド』(メキシコ、エクアドル、2004)、フアン・パブロ・レベージャ、パブロ・ストール『ウィスキー』(ウルグアイ他、2004)、マヌエル・ウエルガ『サルバドールの朝』(スペイン、2006)などを見て、さて、残りは1本だ! 今年中にこの仕事は終えることができそう。

ちなみに、『サルバドールの朝』でサルバドール(ダニエル・ブリュール)の最後の恋人を演じるのはイングリッド・ルビオ。カルロス・サウラの『タクシー』でデビューした女優だ。それを上映したスペイン映画祭に招待されて来日し、ぼくがその映画を見たときには、舞台挨拶していた。ということを実に久しぶりに思い出した。

そうこうする間も、卒論の学生たちが原稿を送ってくる。ぼくの1年がまた暮れていく。

そういえば去年の年末は、ある翻訳の仕上げにかかっていたのだが、その翻訳は、出版社の人とのコミュニケーション不足から、まだ本になりそうにはない。おかげで今年は目に見える業績らしきものはなかった。

2009年12月27日日曜日

大学は終わらない

国際理解のための高校生講座、とかなんとかいうやつに協力しなければならず、大学に行った。このように、業務は続くのだ。こんなことをやっているということを、それにかかわらない人たちがどれだけ知っているだろう? 大学はまだ終わらないのだ。

ま、ぼくはちょっとした協力だけなので、大した労力も要らなかったのだが。

ニコラ・トゥオッツォ『今夜、列車は走る』(アルゼンチン、2003)なんてものを見て、それについて書き、原稿送付。

そして引き続き、ビセンテ・アランダ『carmen.カルメン』(スペイン、イタリア、イギリス、2003)など。

『カルメン』は版が多いので、こんなへんてこりんな邦題をつけて差異化しなければならないのね、とため息。ぼくはアランダは3作ばかり見てどれも辟易した記憶があるけれども、そんな彼の作品にあっては、これは良いと思う。

冒頭、カルメンの働く葉巻工場で、女たちに本を読んで聞かせる係の人物が出てくる。キューバの葉巻工場ではこうした読書係の者がいたことは、アルベルト・マンゲルが書いていたし、当時の絵などに明らか。スペインでも事情は同じだったのか、この細部が描かれていることに、ぼくは改めて気づいた。

単純労働者たちはこうして耳を楽しませながら仕事していた。ぼくの母は大島紬を織っている。ぼくが子供のころ、集落内に2つほどある「工場(こうば)」で仕事していた。その後「工場」は解体し、各自がそれぞれの家で織るようになった。母とて例外ではない。工場で働いている時からの習慣として、家に移ってからも、母はずっとラジオを聞きながら仕事をしていた。後に、テレビを見ながら仕事をするようになった。母や周囲の人間にとってのラジオは19世紀たばこ工場における読書人のひとつの変形なのだろう。

以前ここに購入したことを記した菊地成孔、大谷能生『アフロ・ディズニー』は、聴覚と視覚が独立に発達し、やがてそれが統合されることによって人間は世界観を得る、つまり大人になる、しかし、その統合には常にずれが含まれるのであり、視覚と聴覚とのこのずれによって成り立つ大人の社交の場が19世紀的・演劇的スペクタクルなのであり、そのずれが消失して子供的十全感に回帰した瞬間は映画におけるトーキーの到来なのだ、というような説を展開している。けっこう面白い。で、菊地が取り上げなかったひとつの「ずれ」の事実として、こうした、工場における読書人がいるのだろうな、などと考えながら見ていた。

で、ともかくアランダのこの『カルメン』は、メリメのドン・ホセやカルメンとの出会いも描かれていて、それだけに「原作に忠実」だとされるもの。ついでに原作など読んでみた。新潮文庫版はいまだに堀口大學訳だった。この堀口訳、なかなかいい。ここにも大學の永続性が確認される。

2009年12月26日土曜日

クリスマスに夏のガリシアを思う

ぼくの車にはGPS、いわゆるカーナビがついている。あまり使うこともないのだが、つけっぱなしにしてあることが多い。エンジンをかけると、だから、立ち上がる。立ち上がると挨拶を送ってくる。挨拶は時に、季節ものとなる。「今日は節分です」とか。

24日、前にぼやいたように会議があるので、大学に向かうべくエンジンをかけた。

メリー・クリスマス

カーナビが語りかけてきた。クリスマスは明日だぞ。気が早くないか? よせばいいのにぼくは独り言を言う。スクリーンを見ると、若い女の子がサンタクロースの格好をしたイラストが現れた。

頼むよ。

というのが、ぼくの反応。何を頼んだのかは定かではない。たぶん、頼むからやめてくれ、とでも言いたかったのだろう。まったく、安っぽい風俗店じゃあるまいし。サンタのコスプレをした女の子が、こちらを振り返る姿勢で立っているなんて。事故でも起こしたらどうするんだ。

白ひげのじいさんの衣装を若い女の子が着るのだから、これはもう定義として服装倒錯travestiだよな。「安っぽい風俗店じゃあるまいし」という感想はたぶん、そこから来るんだよな。

イマノル・ウリベ『キャロルの初恋』(スペイン、2002)では、主人公のキャロルは、誕生日を除き、男性のような格好をしている。髪も短くカットして、ボーイッシュだ。キャロルを演じた女優クララ・ラゴは、映画製作から3年後(だったか?)、プロモーションで日本にやってきたときには、だいぶ成長していたし、髪も伸びていたけれども。

スペイン内戦の時代を背景にしたこの映画、クララ……キャロルのアメリカ人の父ロバートは共和国支持者として国際旅団に参加している。母が死んでキャロルが預けられた先の叔母とその夫はフランコ支持者だ。門限を破ったキャロルに対して叔母は、「そんな民兵milicianaみたいな服装はやめろ」と怒鳴る。キャロルは祖父(こちらは、やはり共和国支持)に直談判して、彼の家に暮らすことになる。それでも、田舎町の雰囲気に鑑みて、初聖体拝領を受けろと迫る神父にあっさりと折れたキャロルは、ただし1つだけ条件を提示する。水兵の服を着るというのだ。

キャロルは父がアメリカ人なので、プロテスタント。初聖体拝領というのは、カトリックの子供にとって最も重要な儀式のひとつ。キャロルはプロテスタントだからそれに参加する義理はないのだが、なにしろスペインの田舎町(ガリシアかカンタブリア、あるいはカスティーリャ北部)。みんながカトリックみたいなところだ。ましてやフランコ優勢の時勢下、守旧派のカトリックは強い。で、妥協してその儀式に参加するのだけど、衣装だけは別のものを着るという。初聖体拝領では女の子は花嫁衣装のような白装束に身を包む。男の子は水兵の服。つまりキャロルは男の格好をすると言っているのだ。この映画、『キャロルの初恋』などと邦題をつけているが、こうした設定がなかなかに倒錯的でよい。

でも、ところで、キャロルが着ることを選択する(ラストの別れのシーンでも着ている)「水兵の服」って、早い話がセーラー服だ。セーラー服といえば、この国では中学や高校の女子生徒の制服としてすっかり定着しているのだった。うーむ……やはりぼくらは服装倒錯の社会に生きているのだなあ、などと考えながら6時までの会議をやり過ごした。そして、その映画についての原稿を仕上げた(それとも、それはその前日だったか?)。

2009年12月22日火曜日

終わった(2)

非常勤で出講している法政の授業、年内が終わり。これで授業は終わった。法政は年明けは1回だけなので、ラストスパートだ。

今回の翻訳は共訳なので、チェックの作業をやっている。こういう仕事は案外、時間がかかる。法政の授業でだいぶ多数のレポートが提出されたので、これも採点せねばならず、やれやれ、冬休みは来ないな。

2009年12月20日日曜日

妖異!

こういうのはすばらしい。M・A・アストゥリアス『グアテマラ伝説集』牛島信明訳(岩波文庫、2009)。

岩波文庫はボルヘスも新たに文庫化し、今度はこれ。初版から30年を経て文庫化された。昨日亡き訳者に線香をあげに行ってご恵贈いただいた。亡くなって7年経ってなお文庫化される訳書があることの幸せを思った。

「フランシス・ド・ミオマンドル宛のポール・ヴァレリーの手紙」というのが序文として付されている。「これらの物語=夢=詩ほどわたしに妖異と思われる――わたしの精神に、思いがけないものを感じとるわたしの能力に、いかにも妖異に思われるという意味ですが――ものはまたとありませんでした」(5ページ)と評している。

ボルヘス、アストゥリアスと来たのだから、次はカルペンティエールにしてほしいな。

2009年12月18日金曜日

終わった(1)

外語の授業は今日が年内最後。ほっと胸をなで下ろす。まだ火曜日の法政が残っているけれども。そしてなにより、24日には1時から6時までの会議が待っているけれども。そもそもその他の仕事はたくさん残っているけれども。

文科省からの授業週を半期15回確保しろとのお達しは厳しく、来年以降は年内は24日とか25日まで授業があるらしいぜ、と言ったら、1年生のクラスは大パニック(実際には、来年度は24日が土曜なので、そんなことはない)。えっ、君たちは何か12月24日とか25日とかに特別な意味を置いているのかな? 当然じゃないですか! ふふふ、そんなこと言ってられるのも学生のうちだけだぜ、だから大いに言ってくれ。

というやりとりをやったせいか、授業が終わっても、24日でも、ぼくは仕事がある。1時から6時まで。

ここには書き記すことのできない理由でしばらく落ち込んでいた。落ち込むのも学生の贅沢。ぼくは学生ではない。そんなわけで日々の仕事に戻ってきた次第。

2009年12月13日日曜日

やっぱりのどが痛い

昨日示唆した『ルシアとSEX』については、今日で仕上げた。だんだん調子づいてきた。あと9項目、36ページ。いや、その後さらに2ページ書いたから、34ページ。

この間の翻訳のときもそうだったのだけど、ある時点まで来ると、スイスイと筆が進むようになることがある。かならずそうなるわけではないだろうけど。ペースがつかめるということだろうか? それにしてはもう後半にさしかかっている。ラストスパートの時期だ。むしろ最後のまくりというやつだろうな。このまま1週飛ばして冬休みに突入すれば、あっという間に仕上げられるのだけどな。でもこの局面に突入すると、大学の雑事を放置しがちなので人に迷惑をかける。寛恕を請う。

明日は卒論の連中と忘年会。……ところで、果たして彼らはそんな余裕あるのか? 

でも余裕なんて、なくても作るものだ。忙しいときこそ余裕を見せなければならない。さすがはぼくの教え子たち、心得ているじゃないか。

2009年12月12日土曜日

のどが痛いような……

今日届いたのは『NHKラジオ まいにちスペイン語』2010年1月号。つまり、「愉悦の小説案内10」。今回は『ナインス・ゲート』。アルトゥーロ・ペレス=レベルテの『デュマ倶楽部』のことだ。もう最終回の原稿を出したことも既に書いたが、これが形になった最後から3番目の回。

サウラの『ブニュエル』には晩年のブニュエルが滞在先のマドリードのアパートでメイドに名前を尋ねるシーンがある。あれ? これは確か、あれだよな、と思って確認したら、案の定、『欲望のあいまいな対象』だった。

それを確認してから原稿を仕上げ、送付。

で、さっそくフリオ・メデム『ルシアとSEX』(2001)を見ながらこれを書いてるが、この映画ってこんなに性描写があったっけかな、と思う。記憶ではそれほどでもなかったように思ったのだけどな。

たいしてセックスシーンのない『アナとオットー』はVHSがあるのみでDVDソフトにはなっていない。日本で公開されなかったはずのこれはDVDになっている。うーむ。エロは強いということか? 劇中でハビエル・カマラが言っていた。「セックスを盛り込め。読者は喜ぶ」。

2009年12月11日金曜日

再会

卒業生が自分の会社の学内での説明会とかでやってきたので、ちょっと顔を覗かせて挨拶。元気そうで何よりであった。

そもそもぼくはこんなことが行われているなどと知らなかったのだ。時々、研究講義等入り口に企業の名前を書いた紙が貼ってあることがある(時々というより、この時期はほぼ毎日か?)。それは企業の側が大学まで出張ってきて、我が社はこういう社でござい、これこれな人を募集します、というプレゼンテーションをやるのだそうだ。たとえば昨日は集英社が来ていた。こんな大手でも大学に向けて自己アピールをするのだな。

さすがに教え子の会社は集英社のように大きな教室ではなかったが、それでも教室には40人くらいは入っていたかな。いずれも将来に希望を膨らませた大学生たちだった。

ふうん。

昨日まで追い込みで忙しくてしかたがなかったと笑顔で話す教え子が、少し痩せたか? さすがに学生たちより大人びて見えるのは、就職活動向けのお仕着せのスーツではないながらも、仕事モードでパリッと決めているからなのだろう。

あと1週授業をつとめれば、もう冬休みだ。

今日は、これ: カルロス・サウラ『ブニュエル:ソロモン王の秘宝』(2001)

ブニュエルへのオマージュ。ブニュエルやダリから借りたイメージ、ロルカの詩からの引用など。ストーリーなど付け足しでしかない、そんな映画。ぼくは最初これをカラカスで見た。

2009年12月10日木曜日

陽気に誘われ

で、その「映画の仕事」、今日は2本仕上げて送付。これで残りは11回になった。ひと月1本だとまだ1年近くかかる。1日1本だと年内に終わる。

陽気に誘われ、散歩。遠出して昼食。帰りに発見した、森の中に浮かぶボート。

2009年12月9日水曜日

打ち止め!

指定された締め切りにはまだ一週間あったが、授業と会議のあいまに仕上げて送付したのが、「愉悦の小説案内」の原稿。第12回、連載最終回だ。最終回はぼくの人生を変えたのかもしれない1冊。

わずか見開き2ページ、400字詰めに換算して5、6枚。たった12回の連載だけど、連載ってそれだけでなんだか神経を使うのだと実感。週刊誌や日刊紙に連載する人ってすごいなと思う。

フエンテスは出しそびれたなとか、ハビエル・マリーアスだって扱いたかったな、せっかくだからリャマサーレスだって、……などという思いもあるが、まあしかたがない。当初、色々と計画していたけれども、現実には書けそうなものから順番に書いていったという感じか? ただ最終回の題材だけは決めて。現在読まれている小説(読まれているなら古典でもかまわない)、必ず1カ所原文(とその訳)を引用・紹介する、というのが条件だった。ぼくはそこに邦訳の存在するものという第3の条件を自分自身で課して書いた。

1カ所原文を引用というのが、何よりも頭を痛めたところ。ちなみに、以前からほのめかしている映画の仕事も、必ずセリフを1カ所引用するというもの。そういう体裁ってわりと好きだが、書く方としては悩む。2カ所も3カ所もというなら、何も問題ないのだが。

担当の方からの折り返しの報告に、単行本化しないのかとの問い合わせもあったが云々と書いてあった。本当のことかリップサービスかは知らない。いずれにしろ、お調子者のぼくとしてはそんな言葉にはニンマリしてしまう。ただし、1項目につき2ページのものを単行本にしようとしたら50、60、あるいは100項目ほども書かねばならない。ちょっときつい話。

さ、その「映画の仕事」もやらなきゃね。これは35回。

2009年12月7日月曜日

散文とは!

先日告知の図書館主催、堀江敏幸講演会。「散文について――読むことと書くこと」

なかなかの入りであった。「散文とは木村拓也(巨人)である」とか「ネズミは温泉が好き」といった話を。

……などと書いたら、なんだか思い切り話の内容をゆがめているように思われかねない。要するに、書き出すまでの心構えの柔軟さをいかに保つかという話。

図書館長には、彼の短編「送り火」がかつて、センター試験に採用され、受験生たちは大いに感動したという話を吹き込んでおいたら、最初の挨拶でそのことを紹介された。すると堀江さんはそのことから語り起こされた。あまり快くは思っておられないようではあったが。でも会場には、少なくともぼくの知り合いの学生で、まさにその試験問題で彼に興味を持ったという者がひとりふたり来ていた。

2009年12月6日日曜日

25

寝耳に水の話で、近々ある博士論文の審査をつとめねばならないことになっていると知り、そのために履歴書と業績表を提出しなければならなくなった。それで、改めて数えてみたら、外語に移ってから、ぼくが業績表に書き込んだ「業績」が25。NHKの連載なんかはすべてで1項目、3枚のDVDの解説であるビクトル・エリセDVD-BOXも1項目としての話。

うーむ。6年目の後半にして25か。……これが多いのか少ないのかはわからないが、少なくとも言えることがひとつある。いわゆる学術論文がひとつしかないということ。そしてまた外見的に大変そうでない割に大変に苦労した仕事があるということ。「監訳」とか「共編著書」ってやつだ。仕上げたけど形になっていないものもある。それからまた、口頭で話したっきり活字化していないものも5つくらいある。

われわれの世界にはわれわれなりの価値基準というのがあって、ぼくは必ずしもそれに同調するものではないが、その価値基準に照らすと、労多くして得るところの少ない仕事をたくさんしているような気がする。あくまでもその「得る」べきものを得たいとは思わないのだけど。

そんなわけで、26番目か27番目になるはずの仕事のために、

アレハンドロ・ゴサレス・イニャリトゥ『アモーレス・ペロス』(メキシコ、1999)を。ガエル・ガルシアが坊主頭にしても似合うのは、頭の形がいいからだろうな、というのが唯一の感想では、あまりにも悲しい。

いや、もちろん、それが唯一の感想ではないのだけどね。あの事故のシーンはやはりなんと言ってもすごいな、とか、色々と……

2009年12月5日土曜日

忘れ物

ミック・ジャガーが何の脈絡もなしに「シュガー」とささやいてから歌い始める曲がローリング・ストーンズにはあった。たしか「ホンキ―・トンク・ウーマン」だ。「ケーキ♪」と意味不明に書き付けて始まるブログの記事は、それ以来の衝撃である、というのが前回の書き込みの評判。ふふふ。

本当は自己評価。大学だって自己評価を迫られるのだ、ぼくだって自己評価ぐらいしなきゃね。

留学から帰ってきた学生を歓迎しての、同期の連中の飲み会。これがそのときいただいたお土産のしおり。ガウディのデザインで有名なバッリョ家をかたどったもの。

卒業生と飲みに行ったとか、友人と飲みに行ったとかは書くのに、わたしたちと飲みに行ったことはブログには書いてくれない、というのが、昨日の主役がぼくに投げかけた難詰。「難詰」というほど強いものではないのだけと、まあともかく、そんなわけで、記す。

なぜか2次会でカラオケに行くことになり(何年ぶりだろう?)、君たち、ぼくの歌声がどれだけ貴重なものだかわかっているのかね、何千円出しても惜しくないと、全国から聴きに来る人が訪れる。それを君たちはただ同然で聴こうというのかね、と念を押してから「わたしがあなたに惚れたのは/ちょうど19の春でした♪」などとがなっていた。(記憶が定かではないので、本当にこの歌を歌ったかどうかは不明)

明けて今日、車を取りに大学に。駅に着いたところで、車のキーを持ってくるのを忘れたと気づく。もう1往復だ。

あーあ、昨日はその学生たちと、落とし物をしない派と落とし物してばかり派の話をして、光栄にも前者であることが確認されたばかりのこのぼくが、忘れ物だもんな。でもおかけで、たっぷり本が読めた。これからそれをもとに一仕事。

そうそう、大学ではこんなことこんなことをやっていた。

2009年12月3日木曜日

告知など

ケーキ♪

そして5時限「表象文化とグローバリゼーション」は『苺とチョコレート』を見た。

ウンプテンプ・カンパニーがシアターΧ(カイ)で『血の婚礼』を上演する。外語祭期間中、スペイン語劇の日に現れてチラシなどを置いていってくださったそうだ。

別の日には劇団四季『エビータ』の広報活動だと言って、飛び込みでチラシを持ち込んできた。劇団四季ほどのところでも、こんな地道なことをやっているんだなと、涙が出そうになった。

『エビータ』も『血の婚礼』もぼくの思い出の一作。

と思ったら、今度は梅田国立劇場が東京芸術劇場中ホールで『蜘蛛女のキス』ミュージカル版をやるのだと。『蜘蛛女のキス』に取り立てて思い出はないが(エクトール・バベンコによる映画版をすてきな女性と見に行ったことくらいだ)、原作は言わずと知れたマヌエル・プイグ、ぼくも好きな小説だ。ストレート・プレイ版も、実は、ぼくは見たことがないのだが、ミュージカルかあ……

来週月曜、12月7日(月)18:00からは図書館主催の堀江敏幸さんの講演会、開きます。@115。こちらもぜひ。

2009年12月2日水曜日

そば祭り

今日は授業の後、とある委員会がひとつあるだけで、しかもそれは2時からだったので、少し足を伸ばして深大寺までそばを食べに行った。

混んでいた。いつになく混んでいた。休日でもない、彼岸でもない。何かの季節でもない。……はずだ。でも混んでいた。入ろうとした店ことごとくに行列ができていた。

どうにか空いた店に入り、おいしく山菜そばなどをいただき、支払いの際に聞いたところでは、なにやらそば祭りなんてのが明日まで開催中とのこと。

明日までです!

これはそぱとも深大寺とも無関係。到着したばかりの大学のドアから見た風景にふと心奪われたので。