2011年7月29日金曜日

秋が来た?

スーパーにナシが置いてあった。ナシは好きだ。ナシと聞くと秋になった気がする。

ナシをワインの横に置いてみた。

ナシ、ワイン、と並べてみると、必然的に、山梨を思い出した。

勝沼のぶどう祭りに行きたいと思った。学生のころ、新作のワインと牛の丸焼きが振る舞われているぶどう祭りの映像(静止画だったか動画だったかは覚えていない)を見て、行きたいな、と思ったことを思い出した。

行きたいな。

このワイン(山梨のものではない)、今日、開けられる運命にある。

2011年7月27日水曜日

「あるある」なんてないない

ツイッターのTL(タイムライン:フォローしている人物のツイートがすべて時系列順に表示される)上で、誰かが、自分のTL上に「#外大あるある」があふれている、と書いていた。

「#」はハッシュタグと言って、この形にすることによって、同テーマの検索がしやすくなるということ。つい先日までハッシュタグは日本語ではつけられなかったのだが、最近、日本語ハッシュタグが可能になった。検索欄に「#外大あるある」と打って検索すると、このタグをつけたツイートが表示される。

で、ツイッターには「トレンド」という欄があって、最近よく書かれたり検索されたりするキーワードが紹介されているのだが、気がつくとそこに「#北海道あるある」とか「#漫画家あるある」なんて語が並んでいる。

豊崎由美は自分のツイッターで、日本語ハッシュタグが可能になったことによってTLが大喜利の場と化していると書いていたが、まったくそのとおり。

ところで、しかし、「あるある」ってなんだ? ぼくにはまず、それがわからなかったのだ。しばらく読んでいて、ああ、つまり、「あるある、それってあるよね」と共感できる話題ということだと理解した。「読んでいる者、聞いている者の同意、共感を誘う日常トリビア」、とでも定義すればいいのだろう。

……でも、ところで、ぼくの語感にはその「あるある」を「あるある」と言いながら納得する感覚はないぞ。いったいこの語はどこから来ているのだ? 

で、こんなとき頼りになるのがJapan Knowledge。 http://www.japanknowledge.com/ 「あるある」で引いてみたら、「亀井肇の新語探検」や imidas などのリファレンスに「あるある」にまつわる項目がいくつか出ていた。

まず、80年代に「あるある族」というのがあったらしい。雑誌やTVなどで紹介された飲食店などに出かけて行っては、行ったことが「あるある」を自慢する人々。バブルの崩壊とともに消滅した、と亀井肇は定義している。

次に、「あるある系(芸人)」というのが、最近の流行だと、2003年の時点で亀井は記している。日常に見受けられる、共感を誘うできごとや現象をネタに笑いを誘う芸人たちの芸風のことだと。たぶん、今使われている「あるある」の意味だ。テツ&トモや永井秀和といった人々がこの系列に属すると。

そして、2006年には「あるある探検隊」という語が新語・流行語として imidas に登録されている。こちらは「レギュラー」というコンビのネタとしてだ。いまや「系」ではなく、ネタそのものの名となった。

一方で、2007年には「あるある大事典」というTV番組が情報を捏造したとかで、大きな社会問題になったらしい(覚えてないなあ)。ということは、そういう名の番組があったということで、つまり、「あるある」という語は(このTV番組における意味は知らないが)、こうして2000年代に入ってから定着していったということだろう。繰り返すが、ぼくにはその語を受け入れる感覚はない。80年代に忘れられた、ちょっと違う意味の「あるある族」の行方も気になるところ。

てなことを考えているのは、翻訳の途中、まったく何のことだかわからない一文に出くわし、逃避したくなったからだ。わからなくなるとツイッターに走る。#翻訳家あるある。

2011年7月26日火曜日

prueba

仕事にはフェティッシュがつきまとう。

大学の教室の隅の佇まいを好きだと思えなければ、大学の教師なんてやっていられないことがある。中身もともかく、書物の手触りにぞくっとする経験を持ったことがなければ、読書を仕事に選ばなかっただろう。

で、びっしりと赤の入ったゲラを愛おしく思うことがあるからこそ、著書や翻訳書を出す気になれるのだ。

今日、10月に出版される予定の小説の翻訳、初校ゲラが送られてきた。こんなふうに赤を入れながら仕事をしている。

仕事に疲れると散歩に出る。散歩に出ると本屋に立ち寄る。本屋に立ち寄ると本を買ってしまう。

田澤耕『ガウディ伝:「時代の意志」を読む』(中公新書、2011)

「これまでの本の多くは、ガウディとその作品を時代や社会から取り出して扱ってきた。ならば、ガウディを元の場所に戻してやったらどうだろう?」(i-ii)副題の「時代の意志」とは、ミース・ファン・デル・ローエの言葉。エピグラフに挙げられている「建築は、空間に表現される「時代の意志」である」と。

それから、吉見俊哉『大学とは何か』(岩波新書、2011)

大学は中世からの制度ではあるが、実は近代になってから生まれ変わっていること、そして大学はメディアであること、そのことを踏まえて大学教育の根幹であるリベラル・アーツはどうあるべきか、などを論じたもの。大学はメディアである。いかにも。

2011年7月25日月曜日

悲報

昨日の早朝、というよりも一昨日の深夜、外語の大学院生がひき逃げされて死んだというニュースがあった。苦学生で、かつワールドミュージックの雑誌を自ら発行するような行動的な逸材だったらしい。ぼくは直接の知り合いではないが、知り合いの学生たちの中には親しい者もいたようで、そんなひとりのブログ記事などを読んでいると、泣けてきた。若いやつを殺すなと言いたいな。ひとりの人間がちゃんと生まれて、才能を伸ばしながら育つなんて、奇跡のようなことなのだから、それを断つな、と。

本人のブログ  http://ameblo.jp/hakusann-eki/

と、彼の雑誌に記事を寄せたぼくの知人のブログ。
  http://blog.livedoor.jp/louie19860704/archives/52027987.html




ぼくはどうやら風邪のようで、喉が痛く、熱もあるのか、少しふらつく。

冷製スープ第2弾でヴィシソワーズを作った。

そして、後期の授業で読む、Bernardo Atxaga, Siete casas en Francia (Madrid, Alfaguara, 2009 / 2010) 2010年のポケット版。コンゴが舞台になっているらしい。同じくコンゴを舞台にしたバルガス=リョサの『ケルト人の夢』などとも並べて読みたくなる。


2011年7月24日日曜日

かぶるからかぶらない帽子。かぶらないためにかぶる帽子

着たくたって着られない服がある。似合わないと思うからだ。

で、ぼくは帽子は似合わないと思うからほとんどかぶらない。しかし、夏になると最近では髪の保護も少なくなってきた頭を守るために帽子でもかぶろうかという気になる。ハンチングやレイン・ハットを盛夏にはたまにかぶる。

ところがどうにも似たようなハンチングをかぶっているやつが周りにいる。比較的親しい仲にいる。

困った。

こういう現象を最近の人たちは「かぶる」というからよけいに困る。ダブること、重複すること、同じものを着たり持ったりすること、なんでもかんでも「かぶる」だ。つまりぼくはその友人と帽子が「かぶってる」のだ。

いや、ぼくは帽子をかぶっているのであって、帽子がかぶっているのではない。

やれやれ。若い衆の言語の乏しさにはついて行けないぜ。

……いや、この語法を広めたのは決して若い衆ではないのだが。つまり、ぼくは今、「若い衆」を不当に非難してしまったのだが。……すまん。

ま、ともかく、この単語を聞くたびに、ぼくなぞは男性週刊誌の裏表紙などに載っている包茎手術を勧める美容整形外科医院の広告の、タートルネックの青年のわびしい表情を思い出していけないという話は、以前に書いた(だから、「若い衆」を思い出してしまったんだな、きっと)。だから繰り返さない。

そんなわけで、かぶらないために……いやかぶらないでかぶるために、麦わら帽子。かぶれることはあるまいが、これもだれかとかぶるのか? いや、だから、ぼくがかぶるのだってば。

ところでこれは麦わら帽子なんだが、……まさか、ストローハットと言うんじゃあるまいな? 

やれやれ。

2011年7月20日水曜日

そうそう

これがL.L.Beanのトート・バッグ。MサイズとSサイズの差。この間のサイズが欲しいというのがわかってもらえるだろうか? 

東大と京大には世界文学があるらしい

で、まあ授業も終わり(今日は会議が怒濤のごとく)、土曜日にはオープンキャンパスで模擬授業をしなければならない。スペイン語の授業ではなく、総合文化コースの授業の代表としての模擬授業だ。さて、何をしたらいいのだろう? 

という思いからだけでもないのだが、こんな2つを対比させたりもしている。
池澤夏樹『世界の文学をよみほどく:スタンダールからピンチョンまで』(新潮選書、2005)
辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』(集英社、2010)

後者については既に紹介済み。そのタイトルのとおり、東大での講義を本にしたもの。前者はその5年前に出た本。さらにその2年前2003年の京大での講義を本にしたもの。

うーむ。京大やら東大やらの日本を代表する大学では世界文学が読まれているらしい。池澤も辻原も「世界文学」を、たとえばダムロッシュのように明瞭に定義(文学として読まれること、翻訳によって流通すること)はしていないが、近似性と独自性を発揮していて、読み比べると面白い。二人とも自作も語っている。一方が『アンナ・カレーニナ』を嫌いだといいながら紹介し、今回はやめておくとした『ホヴァリ―夫人』を他方が扱っていたり、池澤が『百年の孤独』を挙げれば辻原がボルヘスやコルタサルを扱う……うむ。読み比べると面白い。

さあ、ではこの「世界文学」的流通を考えながら、他方でスペイン語圏に足を留めてみよう。それがぼくらの大学の特徴ではないか。そう考えたときぼくらが見出すのは『ドン・キホーテ』の、『ドン・フワン』の翻訳による流通とジャンルの壁を越えての流通だ。文学として読まれ、文学として翻訳され、文学の運命として多ジャンルに取り込まれた『ドン・キホーテ』。まずはミハイル・バリシニコフ版『ドン・キホーテ』(アメリカン・バレエ・シアター)あたりから観てみようか……

……ってな授業でもやればいいのかな? 

2011年7月17日日曜日

L.L.Beanのトート・バッグ

通常使うカバンに荷物が入りきれないことがある。授業のための資料や教材などが多めになるときだ。そんなとき、もうひとつカバンを持ち歩く。通常のものは背負う(リュック)か掛ける(ショルダー・バッグやメッセンジャー・バッグ)かしているので、2つめは手持ちのトート・バッグにする。

今年度は大学生協で売っていたものを使っていた。しかし、荷物の量が少なかったりするとぐったりしてしまうものだった。それに何より、大学の名前入りだから、非常勤先などに持っていくと、他流試合であることがばれてしまう。道場破りかと胡乱な目で見られかねない。
そういえば、L.L.Beanのトート・バッグを持っていたのだったと思い出した。ここのトートはとても厚手のキャンヴァスを使っているので、くたっとなることがない。……で、引っ張り出してみた。……ちょっと大きかった。一回り小さめのやつが欲しいと思った。

一回りどころか、二回りくらい小さいものしかなかった。が、これで充分だろう。そう思って注文したL.L:Beanのトート・バッグ(ボート・アンド・トート)Sサイズ。しっかりと立っている。どうだ! (手前はすっかりしなだれたTokyo University of Foreign Studiesのロゴ入りの大学生協トート)

もう授業は終わったのだけどな……

2011年7月15日金曜日

だらだらと歯止めなく隠語を流す

九州電力が玄海原発の再開のために開いたケーブルTVでの説明会番組、これに寄せられる意見の中に、九電から指示を受けて社員が出したものがあったとのこと。これをしてネット上でのニュースが軒並み「やらせメール」と報じていた。昨日の夕方、夕食の準備をしながらTVのニュース番組を流していたら、やはり「やらせメール問題」と言っていた。

いいたいことは2つ:

「やらせ」とは、ぼくが知る限り、「過剰演出」のこと。ドキュメンタリー番組などで再現ドラマのように演じさせておきながら再現ドラマと名乗らないこと、のはず。会社からの指示で社員が自分の意見ではない意見のメールを送ることは、果たして「(過剰)演出」なのだろうか? もっと重大な何かを意味してはいないだろうか?

2点目:「やらせ」とはあくまでも放送関係者の使うジャーゴン、俗語であって、ニュースなどに無前提で使える単語なのか? 

気になった。チャンネルを回すと、NHKではさすがに「やらせ」という単語は使っていなかった。「メール問題」だった。他の民放局(たぶん、日本テレビ)では、「いわゆるやらせメール問題」と言っていた。まだ、かろうじて「やらせ」という単語が俗語だとの意識があるようだった。

何よりも情けないのは今朝の『朝日新聞』。見出しには「 」すらつけずに「やらせメール」と出ていた。本文ではまだしも「 」つきだったけれども。

ぼくには職業柄、アカデミック・ライティングのオブセッションがあり、俗語と思われるものを俗でない場所で使うことへの激しい反発がある。かりにもニュースにおいて自分たちの業界の裏のジャーゴンを使うことに対する自己規制のかからないメディアへの軽蔑の念がある。それをだらしなく広めてしまう他メディアへの憤りがある。(内側の事情と社会性とを区別できない幼児的なメディアや、その幼児の幼児性を認めるばかりか、迎合すらするメディアに何が期待できるというのか?)

何よりこの問題、「やらせ」つまり「過剰演出」というレベルのみではなく、上に述べたように、もっと重大な論点を含むように思うのだ。会社は従業員の思想信条に反する行動を強制しうるか、という問題。経済は倫理に先んじるべきか、という問題。「やらせ」なんていう俗語で表現しているようでは、こうした問題が隠蔽されるように思うのだ。「強制メール」、「無理強いメール」、「偽造投書」、「世論操作」、「思想統制命令」問題とでも呼んだらどうだろうか。

2011年7月14日木曜日

これでも夏を乗り切る。

また調子に乗って、今日も夏を乗り切るのに良さそうなもの。

キュウリのピリ辛和え。

と、キャベツのコールスロー。

ちょっと今、そろそろまた料理に意識的にならねばという時期なのだ。料理小説(?)の翻訳ゲラがやがて上がってくるというので

……なのか? 

2011年7月13日水曜日

夏を乗り切る

試験がひとつ終わった。

今日は会議のない日だったので、早めに帰ってガスパチョを作った。

トマトの冷製スープ。

これで夏を乗り切る。

2011年7月12日火曜日

感慨深い


これがごうごうの非難を浴びたのだが、でも、これを見ていると、音楽の解釈がよくわかるし、何より、カルペンティエール『春の祭典』における主人公ベラの思想が実によくわかるというものだ。

カルペンティエールの小説『春の祭典』は、もう10年ほど前に翻訳が出た。ぼくが3年ばかりもかけて訳したものだった。ぼくは特にバレエ好きというわけでもなかったので、ずいぶんとバレエについて学んだし、そこで言及されているバレエ作品なども観るようにしたことはした。でも、ニジンスキー版『春の祭典』というのは、ついぞ見ることはできずにいたのだった。もう訳も終えてから、『春の祭典』の告知を見たように思うが、ニジンスキー版ではなかったはずだし、終わったことだったので、実際にはそれは見に行かなかった。

カルペンティエール『春の祭典』では、主人公のベラは、このバレエ作品初演に参加したわけではないけど、モンテカルロ・バレエ・リュスに参加していて、初演の15年後くらいに新解釈による『春の祭典』に挑もうとして叶わなかったという経験を持つ。

やがて恋人のエンリケと共に、ヨーロッパの戦争を逃れてキューバに渡り、そこで黒人たちの高く垂直に飛ぶ踊りの可能性を見出し、これによって『春の祭典』の新大陸バージョンを考える。それもまた独裁制によって潰えてしまって……という話だ。

カルペンティエール『春の祭典』というと、革命万歳を主人公たちが叫んでしまう体制順応主義みたいな結論部分が非難されることが多く、なかなかベラの到達するストラビンスキー解釈の局面に目を向ける人が少ないように思う。みんなきっと、バレエを見ていないのだろうなと思う。

これを見て新たに解釈しなければ。

2011年7月11日月曜日

ラストスパート?

まったく、授業最終週の前の週で、試験問題を作ったりといろいろ忙しいはずなのに、木、金、土、日と連続で社交生活を送っているものだから手に負えない。

木曜日はスペイン大使館。東京国際ブックフェアのテーマ国であるスペインから、6人ばかり作家がやって来たので、その歓迎レセプションだ。なぜか招待状をいただいたので、行ってきた。やって来たのはカルメン・アルボルク、イサベル・コイシェ、フリオ・リャマサーレス、アルフレド・ゴメス・セルダ、サンティアーゴ・パハーレス、フェルナンド・サンチェス・ドラゴ。

リャマサーレスには数年前でゼミで邦訳された二作品を読んだこと、そのときの学生のひとりは卒論に彼の作品を取り上げたことを話した。日本語は読めないけれどもおみやげにくれよ、と言ってきたので、翌日、差し上げた。

翌日、金曜日はセルバンテス文化センター。6人の作家たちが次の日のブックフェアで何を話すのか、そのさわりを話した。コイシェは東京での映画撮影のこと、サンチェス・ドラゴは教師として日本にやって来てここがふるさとだと感じたこと、……等々。

やや遠方から友人が来ていたので、レセプションを途中で抜け出して、四ッ谷で食事。けっこう遅くまで呑んで、酔っ払った。

土曜日はブックフェア。朝も早くからの連続講演で、ぼくは午前中は用があったし、12時に始まるコイシェのセッションから参加。映画というのは撮影の体験をも含むものだというコイシェが、東京体験中に書き綴ったものを読み、対話相手の都甲幸治が映画の道具立てなどについて実にすばらしい質問をして、話が進んだ。

リャマサーレスはさすがに一番人気で、対話であるよりも前に表現であるという自らの文学を語った。最も印象に残ったのは、「声を持たない者に声を与えるために書く」という言明。これには次のカルメン・アルボルクも賛意を表明していた。アルボルクは『シングルという生き方』の翻訳があるが、翻訳者の細田晴子さんもマイクを向けられ、経緯を語った。パハーレスはリャマサーレス同様、翻訳者・木村榮一との対談形式。書くペースや書いていないときの作家のあり方、書くべきことは向こうからやって来るということなどについて語った。

卒業生が来ていたので、夕食を。また遅くなった。

日曜日は朝から東大で博士論文の審査。知人の審査の傍聴に行ったのだ。すばらしい論文だったようで、こういう論文の口頭試問というのはだいぶ手厳しい批判や質問が飛んだりするものなのだが、優れたできであることについては審査員全員が意見の一致を見ていたもよう。終わってからお祝いの食事会。

夕方は、さらに、ぼくは中学の同級生たちと集まって、以前紹介した土濵笑店に。とても親しくしていた年長の友人の娘さんのお店であることが発覚。

やれやれ、酒が抜けきれない。

2011年7月7日木曜日

まだまだ週の半ばの木曜日、きつい1日

大学院生でふたりほどベルナルド・アチャーガというバスク作家を扱う者がいる。そのうちひとりが『孤独な男』という、かつてETAのテロリストだった人物を扱った小説を読んでいる。そんなわけで、

ベルンハルト・シュリンク『週末』松永美穂訳(新潮社、2011)

に興味を覚えたら、ちょうどご恵贈をいただいたのだった。アチャーガの参考になるかどうかはともかく、しかも、アチャーガ以前に、読んでみた次第。

ドイツ赤軍のテロリストだったイェルクが恩赦を得て釈放され、姉のクリスティアーネのはからいで、大学時代の友人たちとともに郊外の別荘で週末を過ごす、という話。ジャーナリストで、イェルクに自分を警察に売った当事者ではないかと疑われているヘナー、かつてイェルクに憧れていた学校教師で、自殺したテロリスト、ヤンの小説を執筆しているイルゼ、歯科技工士で俗物である自分に屈折したルサンチマンをいだくウルリッヒとその妻、有名人と寝たいとイェルクに近づくその娘、牧師のカリン、弁護士のアンドレアス、クリスティアーネの同居人マルガレーテといった面々だ。

役者松永美穂は「密室劇」と呼んでいる。これがコメディだったらシットコムと言うのだろう、ある場所に複数の人が集まってきて、そこに人間関係が展開されるという話。上に挙げた仲間だけでなく、イェルクをまたテロリズムに復帰させようとするマルコや、建築を学ぶ学生ゲアトなどが、途中からなんらかの秘密を抱えて加わり、登場人物たちのやりとりはますます緊迫していく。

周囲の人々に問い詰められ、納得のいく答えをださないままのイェルクの秘密……というか、その態度の原因のようなものが少しずつ明かされ、最後には最大の秘密が、可能な限り最も大袈裟なしかたで明かされる。こうした作り方はうまいと思う。一方で、イェルクの取り得たかもしれないもうひとつの道を辿ったようなテロリストの小説を書くイルゼの存在が、典型的に「文学」的だ。

この表紙の写真は、デジタルカメラの普及でやたらとみんなが撮るようになった、絞り値を小さくして焦点以外の場所をぼかしたもの。68年の世代の者たちが郊外の別荘に閉じ込められる密室劇ではあっても、携帯電話にメールを駆使し、「キャラクター」作りに専念する少女の出てくるこの小説は、現在のものなのだぞ、と訴えているかのようだ。

……さ、そんなことより、授業に関係する本も読まなきゃ。

2011年7月5日火曜日

自分が怖い

若い二人組に取り囲まれというのは、基本的には恥ずかしい話だ。

直接に暴力がふるわれたわけではない。金銭のやりとりがあったわけでもない(示談、あるいは恐喝)。だからたいした問題でもない。時々、もめている人々を道路脇や駅で見かけるが、今日、ぼくがそんなことをしでかし、周囲から胡乱な目でみられたということだ。恥ずかしいだけだ。

でも、それをすぐ前に書かざるを得なかったのは、これまで経験したことのないある種の興奮をぼくが覚えていたからだ。書き終えて前腕部の張り(なぜかそんなものを感じていた)はなくなったし、興奮はだいぶおさまったように思う。でも、まだ収めきれない何かが、ぼくの裡にはある。

ぼくだって若いころ、スポーツくらいしたことはある。だから興奮がどんなものか知っている。高校生くらいまでのうちに何度か殴り合いの喧嘩もしたことがある。暴力への衝動がどういうものかもわかっている。それがもたらす恐怖もわかっている……はずだ。

でも、ぼくは今日、数時間前、今までのどの経験においても感じ得なかった何かを感じた。だいたい、面と向かって言い合いをするときには、どちらかといえば言葉が出てこないで苦労するタイプだが、今日は何かに支配されて二人組の若者に言葉の上でも対抗していた。あまり面と向かって人と目を合わせないタイプだけれども、正面からふたりを睨みつけていた。異様なまでに興奮し、かつ極めて冷静だった。金髪の運転手の腕の入れ墨がやけにカラフラだ、なんてことさえ考えていた。

ぼくはたぶん、そのとき、いわば極限状態にあったのだ。それまで自分がそんなものを裡に抱えているとも知らなかった何者かを解放したのだ。その何者かにみずから律されることを受け入れたのだ。これから先、二度とまた解放しようなどとは思わないその何者かを、大袈裟に名づけていたずらにスキャンダルを起こすつもりはないけれども、そんなものを発見した自分が驚きだ。これを飼い慣らしていかなければならいのかと思うと、心底つらくなる。

なんだか厄介な人間だと、自分でも思う。

……もうこのくらい書けば、いい加減、仕事に戻れるだろうか? 自分を取り戻せるだろうか?

自戒する夏

明日の準備ができていなくて、午前中、大学に寄った。その途中のこと。

東八道路を走っていた。試験場を過ぎたあたりだ。ぼくは追い越し車線を走っていた。走行車線を鼻ひとつ先んじてワゴン車が走っていた。きっと試験場の駐車場待ちをする車たちをかわそうとしたのだろう。ウインカーも出さずにこちらに割り込んできた。ひやりとしたぼくはクラクションを鳴らした。そして車内で右手をかざし、身振りも大げさに気をつけろ、というような仕草をした。

走行車線に戻ったワゴン車はぼくと並ぶと、大声で文句を言ってきた。最初、気づかなかったのだが、たいそう大声だった。気づいたぼくは、「ウインカーを出せ」というつもりで、左手でまばたきするジェスチャーをした。ワゴン車はぼくの後につき、煽りをかけてきた。

二枚橋の歩道橋下を右折、野川公園の横を走ったが、ついてくる。煽ってくる。アメリカンスクールの角から住宅街に入ったところで、助手席の男が降りてきて先回り、ぼくの行く手を阻んだ。

降りろ、だの、謝れ、だのと言っている。ぼくは瞬間、窓を開けて言いたいことを言って、閉じた。つまり、ウインカーも出さずに割り込んできては危ないじゃないか、それでクラクションを鳴らしたまでのことだ、その程度でここまで追い掛けてくるとは何ごとだ。

運転手も降りてきていた。金髪で腕に入れ墨をしている。

窓を閉めても彼らの言い分は聞こえてくる。いわく、ぼくが中指を突き立てる仕草をしたというのだ。車を脇に寄せて、降りてきて謝れ、と。

狭い住宅街の道だ、対向車が立ち往生している。迷惑だろう、とこちらが言っても、知るか! と相手は取り合わない。運転手は車の中からバイクのサドルのようなものを取りだしてきた。いっそのことそれで車に傷をつけてくれれば、出るところに出られるのだが、と考えたけれども、さすがにそれは口にしなかった。

やがて正面の白いワゴン車の中から出て来たあんちゃんは、この目の前の二人と知り合いではないみたいだっが、なぜかその二人をうまくなだめるようにして、ぼくの車に近づいてきた。「ともかく迷惑だから後に下がってそこで話し合いしろ」

ぼくは応えた:「やつらの車がすぐ後にあるので後退もできないのだが」

男はふたりに指図した。素直に従った運転手は車をバックさせた。助手席の男はあくまでもぼくを逃がすまいと、にらみをきかしながらぼくがバックするのについてきた。

だいぶ興奮していたけれども、同時に不思議と冷静だった。さて、観念するか、という思いと、でもこちらから手を出してはならない、という思いが交錯していた。

対向車やその他の車がぜんぶ捌けてから外に出た。

「なんだってんだ?」車を下りたぼくは、よせばいいのに、ふたりを睨みながら強気に出る。
「なんだじゃねえよ、謝れよ。中指突っ立てて死ねって言ったろ」
「死ねなんて言っていないし、中指も突き立てたつもりはない。そう見えたのなら謝るが。しかし君たちはウインカーも出さずに割り込んできて危なくぶつかるところだったんだぞ」

などとやりあっていたら、警官がやって来た。どうしました、と訊ねられたので、ぼくは自分の側からの説明をした。二人は不思議とおとなしく聞いていた。手を振り上げる仕草をした、というところで、こうやったろう、と反論したのみだ。「こう」というのは、中指を突き立てたということだ。どうやら、彼らの怒りの中心は、本当にそこにあるらしい。

「まあ誤解を与えたようだから、謝ったらどうですか」と警官。
「誤解を与えたことについては謝ってますよ……」
「ぜんぜん謝ってねえだろう!」助手席の男がぼくの横にあった電柱にパンチを入れる。
「このことと、それからもうひとりの運転手の彼が肩にバイクのサドルのようなものを抱えている、そのふたつの威嚇行為は、車の中で中指を突き立てる程度とは比べものにならない甚大なものがあるとおもいますが」などと言うものだから話が紛糾してしまう。ますます色めき立った助手席の男とぼくの間に警官が割って入ってとりなす。

それからさらに数分、やった/やってない、謝れ/謝ったのやりとりがあって、やっと事態は収拾した。

こんなことは初めてなのだが(これまでは、一度だけ、なぜか前を行っていた車がぼくに道を譲ったかと思うと、煽ってきたという事件があった。数年前の話だ)、ともかく、こうした事態を自分でうまく丸く収められないのだから、ぼくはつくづくと大人げないと思う。

そして同時に、授業のない日に大学などに行くものではないとも……

2011年7月4日月曜日

池のほとりで矛盾をつぶやく

東大駒場キャンパスには池がある。駒場池だ。通称を一二郎池という。

本郷にある池の正式名称は忘れたが、それの通称が三四郎池。漱石の『三四郎』で、大学に入りたての三四郎が美禰子を見初め、「矛盾だ」とつぶやいた場所だから、その通称がついた。

本郷は3、4年生の専門課程の学生が過ごすキャンパス。それに対して1、2年生の教養学部の学生が過ごす場所だから駒場の池は一二郎池。なのだろう。

ふふふ。

こんな光景が環状6号線・山手通りのすぐ外側にある。木陰で、今日は風もあったので涼しかった。そこにぼくはカラス三羽とともにしばし涼んだ。エアコンなど要らない。

でも、この場所に東大生なんてひとりもいなかった。何をしてるんだろう? 

授業を受けているに決まってる。冷房の効いた教室で。

矛盾だ。

2011年7月2日土曜日

新幹線では眠りこけるものだ

静岡に行ってきた。「ふじのくに せかい演劇祭2011」の一環だが、SPACで上演された『シモン・ボリバル、夢の断片(ソロ・ボリバル)』ウィリアム・オスピーナ作、オマール・ポラス演出・主演、古屋雄一郎翻訳・字幕製作。

独立200周年に作られ、上演されたオスピーナの『ボリバル』を当初上演するつもりだったらしい。ところが、例の地震と原発事故で出演者たちが来日を拒否し、場合によってはポラスのひとり芝居になるかもしれないという危機だったらしい。そんな劇をどう立て直すのだろうと俄然興味が沸いた。

座席数300ばかりの静岡県立芸術劇場のその客席をふさぎ、舞台の中に150くらい(かな?)の客席を作って小劇場の規模のスペースを作って見せた。小劇場全盛のころに演劇的教養形成をしたぼくとしては、むしろ馴染みのつくり。音楽も静岡入りしてから新たに作ったアレサントドロ・ラトッチのオジナル(最後に一曲だけショスタコーヴィチの『ジャズ組曲』の一部が使われていた)。もとはもっと賑やかな編成の音楽がついていたらしい。

ポラスは演出家としてまず概要を説明する人物となり、そしてボリバルになったかと思うと、彼の教養形成を語るためにシモン・ロドリゲスを演じて見せた。ここで活躍するのが、彼が得意とするコメディア・デッラルテふうの仮面。『ドン・キホーテ』で使うはずの仮面だったという。この仮面をかぶって少し老人ふうの演技をするポラスの芸達者は光った。

男女ふたりずつのSPACの役者を聞き手に語り聞かせる形式で話を進めて、ミランダ将軍との確執、妻マヌエリータの悲しみなどを描いてうまくまとめた。

満員の盛況だった。