2010年5月31日月曜日

過去に驚かされる

 白水社エクス・リブリスのブログに掲載された、4月23日(金)の『野生の探偵たち』紹介。このスナップは、おそらく、御大N氏が、両端の2人に「君たち、これ、調べてないでしょ? だめだよ」と言ったあたり。


 ぼくはこの日、おおよそ、次のような話をした。

 私は訳者を代表して「あとがき」を書いた。あとがきでは、1、この小説が疑似ドキュメンタリーの手法を用いていること、2、さまざまなテクストとの関係で面白みを作り出している小説であること、という2点から『野生の探偵たち』の面白さを説明した。ここでは、同じ論点の違う例を出して話す。

 J・M・クッツェーの最新作、Summertime(2009)というのが、やはりインタビューを取り入れた疑似ドキュメンタリーの形式を取り込んでいる。この2つの例だけでこんなこと言うのは早計だが、ひょっとして、この形式は流行なのかも。一方で、この2つを読み比べるとそれぞれの特異さ、面白さがわかるかも。ざっとクッツェーの小説に目を通して思うことは、ボラーニョの方がはるかに奔放で放恣、謎が多く、魅力的だということ。

 インタビュー形式ということにとらわれなければ、疑似ドキュメンタリーと呼べそうな小説は他にもある。たとえばハビエル・セルカス『サラミスの兵士』。ここでは作者と同じ名の主人公が、ボラーニョと知り合いさえする。こうした傾向は興味深い。

 『野生の探偵たち』の面白さの第2点。他のテクストとの関係ということ。第一部でエルネスト・サン・エピファニオという人物が文学には異性愛文学と同性愛文学が存在する、という説を披露する箇所がある。詩は同性愛文学だと。そして、「詩の大海にはいくつかの潮流が見て取れる。ホモ、おかま、ヘンタイ、痴カマ、隠れホモ、フェアリー、ニンフ、オネエ。だが、いちばん大きな潮流はホモとおかまだ。たとえば、ウォルト・ホイットマンはホモ詩人だ。パブロ・ネルーダはおかま詩人だ」(上巻118ページ)等々、等々。

 これを読んで思い出されるのは、レイナルド・アレナスであり、セネル・パス(『苺とチョコレート』)だ。先人が実際のホモの分類を行ったのを受け、ボラーニョはここで、その分類をさらに推し進め、加えてそれを詩の存在様態に適用するという、実に野心的な試みを行っている。文学(他者のテクスト)によって文学(詩)を脱文学化(おかまなどのカウンター文化化)する、実に革命的試みだ。

 などと、このまとめではよく言いたいことがわからないかもしれないが、ともかく、ぼくはこんな話をした。まさかそれが写真に撮られているとは! 

 いや、写真に撮られていることくらい知っていたけど……

2010年5月30日日曜日

サンデル先生に訊いてみよう

『朝日新聞』一面に不思議な記事が載った。これだ。「DPIを使って広告を配信していい」という法律ができるというもの。DPIというのは、「ディープ・パケット・インスペクション」のこと。アマゾンなどでクッキーを基に勝手にユーザーに「お勧め」を提供する(おかげで自分の著書や訳書などが薦められたりする)仕組みをプロバイダーに利用していいと認めるという話。


わからないのは結びの文章。この法案についての作業部会では、「総務省の事務方は積極的だったが、参加者の間では慎重論がかなり強かった。ただ、『利用者の合意があれば良いのでは』という意見に反対する法的根拠が見つからなかった」(太字は引用者)と参加者のひとりが話しているという文章。

利用者=消費者=市場主導に反対する「法的根拠」がここで必要なのか? 国民はプライバシーを守る権利があるという権利条項だけで、この場合は充分ではないのか? 市場主導の狂乱の20年を生きてなお、このことの異常さに「総務省の事務方」や、その連中に呼び寄せられるなんとか「作業部会」の有識者たちは気づかないのか?

こんなことでいいんですか、サンデル先生?

マイケル・サンデル『これから「正義」の話をしよう』鬼澤忍訳(早川書房、2010)。

参ったな。以前、NHK教育で放送中の『ハーバード熱血教室』の話は書いた。そのサンデルの本が翻訳されたんだが、この授業=番組、不思議と人気で2ちゃんねるなんかでもスレッドが立っている。そしてこの人気に便乗して出された本書、ぼくが覗いた時にはアマゾンの売り上げ1位だった。(ためしに見てみた拙著は750,000位台。へへ)そんなものを買ってみるぼくも、われながら情けない。

タイトルに「正義」などと「 」を使うのもいただけないし、オビの惹句を宮台真司が書いているのもいただけない(哲学が社会学に取って代わられた、というようなことを言ったのは東浩紀だが)。なによりもいただけないのは、そのオビのまとめが、実に要領を得ていることだ。さすが。ただし、「パターナル(上から目線)」などという俗情に結託した言い換えをしているところなど、いかにもこの人らしくていけ好かない。

まあいい。ともかく、サンデル先生、こんなんでいいんですか? 

まず、あなたの腎臓の一つを買おうとする人が、まったくの健康体だとしてみよう。その人はあなたに対して(あるいは、発展途上国の貧しい農民に対してというほうが現実的だが)八〇〇〇ドルを提示しているが、それは臓器移植を緊急に必要としているためではない。その人物は一風変わった美術商で、話の種になる卓上用の置き物として人間の臓器を金持ちの顧客に売ろうとしているのだ。こうした目的のための腎臓売買を許容すべきだろうか。自分自身の持ち主は自分だと考えているなら、「ノー」と言うのはかなり苦しいだろう。問題は目的ではなく、自分の所有を望むとおりに処分する権利なのだ。(95ページ。太字は引用者)

法律が経済に遠慮してはならない。その法律は哲学的根拠に基づいていなければならない。

冒頭の記事、ネット上のものには載っていないが、新聞紙上では注があり、アメリカ合衆国ではDPIを広告目的に使おうとして業者を「連邦議会が問題視して調査したほか、集団訴訟も起き、業者は破産したという」とか、イギリスでもEUに問題視されたとの情報が載っていた。これが共同体的リバタリアニズムの二枚腰なところなんですね、サンデル先生!

お、そう言えば今日は日曜日。サンデル先生の授業のある日じゃないか。この本を読みながら授業に臨もう……あ、でも夕方、用事があってちょっと家を出るのだった。むむむ……


へへ、本当はここで全部見られるのだけどね。

2010年5月29日土曜日

睡眠不足

 木・金は恒例のオリエンテーション旅行。今年は石和温泉に行った。睡眠不足のまま翌日は昇仙峡へ。

 帰ったその足で3月に卒業した卒業生たちと新宿で会う。ぼくは毎年ゼミの学生の卒論をまとめて冊子にして配布しているのだが、今年はその製作が大幅に遅れ、今、渡すこととなった次第。ただし、ひとつふたつ不手際があって、回収したくなった。どうにも情けない。

 今日は1日だらだらと過ごす。

2010年5月25日火曜日

盗まれた絵画と吹き込まれた命

 パリ市近代美術館からピカソやモディリアーニが盗まれたというニュースを目にしたときに、(こうしたニュースのときには常にそうであるように)真っ先に思い浮かんだのがハビエル・マリアス『白い心臓』有本紀明訳(講談社、2001)。主人公=語り手の父の話として、こんなのがある。


 プラド美術館で働いているとき、覚えているが、どんな事故にしろ紛失にしろ、いかなる破損また最小の疵でもその狼狽ぶりときたら並大抵ではなかった。従って、父に言わせれば、美術館の監視員や警備員のような人には、報酬を手厚くし特に満足させないといけない、というのも絵画の保全と世話だけでなく、その存在自体も彼らに依存しているからだ。

 ベラスケスの『宮廷の侍女たち』は警備員の心遣いないしは毎日の慈悲心のお陰で存在している、もしその気になればいつだって破壊することができる、だから彼らが誇りを持ち、楽しくゆったりとした精神状態でいられるようにする必要がある、という。(148ページ)

 うーん、なんだかかたい文章だな。まあいいや。ともかく、ぼくはこのパッセージを読んで、夜中、傷つけられたり燃やされたり盗まれたり、手を加えられたりするベラスケスやスルバラン、ゴヤなどを想像して戦慄し、反面、愉快になった次第。

 でも、こうして引用してみようと思って読み返すと、ぼくが印象として抱いていたよりも記述が少ないなと思ってしまう。19世紀メキシコの作家ギジェルモ・プリエトは、ユゴーの小説を読んだ者にとってはノートルダム聖堂は情熱やら表情やらを獲得すると書いているが、マリーアス(とぼくは表記したい)のおかげで獲得された命を、ぼくは記憶していたのだろうな。これを読んで後、行こうと思えば2度ほどプラード美術館に行くことはできたけれども、行ってない。ぼくが「楽しくゆったりとした精神状態」でない警備員みたいでないという保証はない。

2010年5月23日日曜日

アルムニ、とラテン語読みしてはいけない

 土曜日は大学でホームカミングデイというものがあった。卒業生たちがカムホームする日だ。ぼくは卒業生としてではなく、ぼくの属するアラムナイ事業部というものの委員として、つまり、お迎えする側として、出た。出たといっても、会場に突っ立っているだけの話。アラムナイというのは、alumni、つまり生徒の集団だが、要するに同窓会みたいなものだ。一応、東京外語会という同窓会組織はあるのだけど、それとは別個、同窓生のネットワークを大学の事業に活かしていこうという部署。そこが、同窓会の総会とは別に、卒業生たちを母校に呼び寄せようというのが、ホームカミングデイ。結局のところ、こういう集まりに来る人は多くは同窓会活動に熱心な人と重複するのだけれども。でもともかく、別の催し。


 501人収容のホール、プロメテウスを含む多文化交流施設アゴラ・グローバルのお披露目の会みたいなものだ、今回は。

 散会後、職員の方にクレームをつけている人がいた。関わり合いになりたくなかったので、遠巻きにしていたのだが、聞こえてくることから判断するに、会の進行に不手際があったとか、学長の講演が予定の時間を超過したこととか、そんなことにケチをつけていたようだ。

 悪意に解すれば、クレーマーだ。この手の人物は、外語の卒業生でなくとも必ずいる。善意に解すれば、このような形でしか対象に愛情を表明できない人物がいる。

 今朝の『朝日新聞』に遠藤周作の未発表の小説草稿が遠藤周作文学館で確認されたという記事が出ていた(東京第14版、36面)。若いころのもので、フランスの日本人留学生がサド侯爵研究をする話と、対独レジスタンスで拷問を受ける人物の話が平行して語られているのだとか。「サディズムや拷問を通して、初期の遠藤文学のテーマである人間の『悪』を見つめている」と「同館学芸員の池田静香さん」は述べているそうだ。そうなのか?

 そういえば、以前、本屋で立ち読みした沼正三の自伝で、遠藤周作がマゾヒストたる沼の本性をたちどころに見抜き、なにやら怪しげな女性に紹介したというエピソードを読んだな、と思い出した。沼も彼の本性を見抜いて会いに行ったわけだが。

 『朝日』ではなく、こちらは『日経』に、『野生の探偵たち』の書評が掲載された。野谷文昭さん評。「ページを埋め尽くさんばかりに卑語・猥語を羅列する過剰さは、言葉の実験や遊びともなり、ユーモアを生むとともに詩的ですらある。しかもそこに多くの文学が参照されていることが厚みを与えると同時に、一種の昇華をもたらすのだ。メキシコから出発し、新旧大陸を股にかけ、学生運動弾圧事件やキューバの亡命作家の生涯さえも包摂しながら続く、危険で魅力的な旅の切なさと豊穣さに、ため息が出る」。

 うまいなあ、このまとめ。ため息が出る。いや、ありがたい。ちなみに、この方も外語のアラムナイ、のひとり。

2010年5月19日水曜日

知的なものの終焉

 デイヴィッド・ヘアー作、常田景子訳、坂手洋二演出『ザ・パワー・オブ・イエス』(燐光群、ザ・スズナリ)。


 2008年の金融危機についての劇を書くように依頼を受けたデイヴィッド・ヘアーが、金融関係の人々にインタビューして回る話。そこで金融危機の原因(数学的未来予測の視野狭窄、ヘッジファンドやレバレッジ、債権の証券化というまやかし、神話化された市場……等々)を多方面からレクチャーされるのだが、理論通りに行かない市場にメンツを潰されたように感じる証券マン、金融関係者たちの錯綜した矜恃に出くわし、それが劇作家の矜恃とどう違うのだと問われて佇むヘアー。これをジョン・オグリヴィーというイギリス人が日本語で演じていた。金融のことなどちんぷんかんぷんという感じがこうしてわかりやすく提示された。神話化された市場の概念の終焉。知的なものの終焉(というセリフがあったと思う)。そんな時代を浮き彫りにする作品。

 ぼくはつい最近、インタビュー形式という疑似ドキュメンタリー映画の方式を取り入れた小説を翻訳し、それがその小説の面白さだと説くあとがきを書いたけれども、この戯曲も疑似ドキュメンタリーとでもいいたい手法で、効果音や照明など、CBSドキュメントみたいな感じを出していた。

 終わった後のアフタートーク(坂手洋二と常田景子)もいろいろと考えさせられることがあった。会場から、常田さんの翻訳がすばらしいとのコメントが出て、本人、逆に力をいただいたと喜んでいた。

 劇場に向かう途中、同僚と、「先生の本を読みました、なんて言われると嬉しいよね」と話していた身としては、常田さんの気持ちはよくわかる。

 で、嬉しい話は、そのぼくが翻訳したという小説(共訳だが)、重版決定! 今朝、メールをいただき、帰宅してみたら郵便でも連絡をいただいていた。嬉しい。

2010年5月18日火曜日

国境を超える?

 このところ法政のゼミで読んでいたのは内藤正典『ヨーロッパとイスラーム――共生は可能か』(岩波新書、2004)。ユダヤ人とかムスリムとか、国境を超えた団結の原理を持つ人々が、ナショナリズムという「想像の共同体」を作り上げてきた国々の内部で共生する困難。


 ドイツ、オランダ、フランスの例を対比的に描写していてわかりやすく、西洋世界とイスラームの対立が宗教の対立ではなくイスラム教の(たぶんに反進歩史観的な)実践と西洋近代の(たぶんに進歩史観的な)意識(力)の対立なのだと説く。(写真は黒板風景)

 イスラームとヨーロッパの関係史から説き起こし、最終章をマドリードの2004.04.11の爆破でしめるのだから、ここにはあってしかるべきヨーロッパの国がないだろうと、つまりスペインが忘れられているだろうといいたいところだが、イスラームを国家という枠組みにとらわれたヨーロッパの思考でとらえるのが間違いの基だというのが内藤の主張なのだから、まあそのことは問わないでおこう。

 ダニエル・ブルマン『僕と未来とブエノスアイレス』(アルゼンチン、フランス、イタリア、スペイン、2003)がブエノスアイレスのユダヤ人たちを描いているところから始まって、ユダヤ人かムスリムを、……と思ったのだが、バレンボイムの自伝なんてのも違うような気がするし、……と逡巡しながら読んだ本。

 

2010年5月17日月曜日

心のつかえがとれた

 先日ご報告した、机のキャビネットの引き出し。上の引き出しが簡単にレールから外れない仕組みになっているから苦労していたのだが、下から揺すっているうちに、つっかえていたものの位置がずれ、開くようになった。心のつかえが取れた気分。机のつかえも取れた。


 土曜日には大学で仕事のあと、夕方、前日の書き込みに書いた伊集田實も修行していた前進座の前進座劇場に。別に劇を観に行ったのではない。知り合いの習い事の発表会みたいな興業。でも充分楽しかった。

 ところで、その伊集田實、犬田布騒動の話を最初に聞いたのは那須でのことだというから面白い。「書架をひっくりかえす。昇曙夢の『大奄美史』には、「犬田布の騒動」とわずかに数行。その時、那須の林間講座の「砂糖一揆」の言葉がよみがえってきた。/あれやこれ、創作興奮は極度にたかまり、劇場前の"熱風座"の事務所に、上演予告。/『犬田布騒動』と大きく掲げた」(『犬田布騒動記』海風社、197)。

 その「那須の林間講座」というのが、1944年のこと、もともとフランス古典劇の話があるということで聴きに行ったら、急遽、演題、演者が変更になり、土屋喬雄「九州の一揆」という話になって、そこで出た話題であったらしい(同176)。徴兵されて戦場に行く直前の話とのこと。

 ちなみに、昇曙夢とはロシア文学者。山口昌夫の『「挫折」の昭和史』か『「敗者」の精神史』に1度だけ名を挙げられていたように思ったが、今、索引を見てみたら、出ていない! どこに失われてしまったのだろう? 今のぼくたちの学長はこの昇の直径の孫弟子とはいわないが、その兄弟弟子くらいにはあたるはずだけどな。

 昇の『大奄美史』は昭和24年12月25日発行。この4年後の同じくクリスマスの日、奄美群島は日本本土復帰。クリスマスプレゼントだ。

2010年5月13日木曜日

抵抗の象徴の島

 徳之島に普天間基地機能の一部を移転させるだのさせないだのが取り上げられて久しい。この島に何をしようというのだ?


 徳之島は奄美群島の一部。ぼくは大島の出身で徳之島には2度ほどしか行ったことがない。でも、闘牛(牛同志の押し相撲)が盛んだということ以外に、少なくとも以下のことを、誰もが知っているように、知っている。

 奄美群島の一部だから、そこはかつて琉球に支配され、1609年の琉球征伐以後は薩摩の島津家に支配されていた。薩摩の支配下で、幕末、砂糖(きび)の取り立てが厳しくなった時期、この圧政に異議を申し立てる一揆があった。犬田布(いんたぶ)騒動という。

 犬田布騒動の碑は、今も(たぶん)、現場となった犬田布岬近くにあるが、それはそれはひっそりとしたものだ(たぶん、今でも)。犬田布岬は、その沖合で、太平洋戦争中、戦艦大和が撃沈した地点としても知られ、岬にはそれを慰霊する碑が建っている。合掌の形をした、メタル製のそれはそれは立派なものだ。

 さて、犬田布騒動を基に劇が作られたことがある。太平洋戦争後、GHQ……北部南西諸島軍政部の支配下にあったころのことだ。作者は伊集田實。当然のことながら徳之島出身。もちろん、民衆抵抗の史実を隠喩的に想起し、軍政部への抵抗の意志を表明しようとの意識だ。

 とりわけ軍政への抵抗(そのころはもう民政部だったが)はワシントン講和条約が発効して、日本本土がGHQの監視下から自由になった後に盛り上がりを見せた。奄美群島本土復帰運動だ。彼らのレジスタンスだ。このレジスタンスでリーダーとなったのが、伊集田の先輩でもある徳之島の出身の詩人、泉芳朗(いずみ ほうろう)。終戦を大島視学の立場で迎えた教師でもあった。復帰運動中に名瀬市長になっている。この人は残念ながら、比較的早死にしてしまうのだが。

 徳之島とは、ひとり徳之島にとどまらず、このように、日本の国内植民地の歴史の中で(少なくとも奄美群島、南西諸島全体の歴史の中で)、抵抗の象徴の島であった。そんな島に何をしようというのだ?

2010年5月12日水曜日

何かが引っかかっている

 ツイッター上での高橋源一郎のメイキング・オブ・『「悪」と戦う』。一昨晩は、彼がデビュー作を書いていたころの話。周囲とのかかわりを断ちきって孤独の中で書いていた。辛かった。つらくて続かないときには吉本隆明なら読めばわかってくれるだろうと思って書いていた。選外佳作のような立場で雑誌に載り、それが当の吉本隆明に好意的に評され、単行本化も決まった、とのこと。


 幸福な体験だ。

 この文章はこの人に読んでもらうべきだと思った、その相手に届いたという思いを本当に抱くことのできる人がどれだけいるだろう? 聞いて欲しいと思っている人に言葉が届いたという実感を持てる人がどれだけいるだろう? 

 ぼくは被害妄想やら卑屈さやらの塊なので、自分の言葉は届けるつもりのない人にしか届いていないのじゃないかとの疑心暗鬼を抱くことしばしばだ。まあ、届けるつもりのなかった人が思いがけない反応をしてくれれば、それはそれでとても嬉しいことではあるのだが。

 ぼくの言葉が届いているのかいないのかはわからないが、ともかく、卒業してからも転機に訪ねてきてくれる学生はありがたいもので、転機と言っても早過ぎはしないか? という転機を迎えた元学生に会う。それは今日の話。

 学生や元学生はともかく、大学の会議は出れば出るほど仕事が増えるもので、うーむ、こうした仕事をぼくに課している同僚たちにぼくの言葉は届いているか? などと愚問を発する気はさらさらないので、逆に粛々として仕事に打ち込む気もなく、……ますます愚図になるばかり。

 たまには仕事をしなきゃと思って、それにしてもいろいろなところに連絡しなければならないなと、ため息混じりに昔もらった名刺を探したら……ない!

 他の引き出しを探そうとしたら……開かない!

 何かが引っかかっているようだ。引き出しの中に。ぼくの心の中に何かが引っかかっているようだ。

 さて困った。どうしよう。この引き出しの中に入っている物の数々を、どうすれば取り出せるだろう? 教えていただきたい。この言葉だけは真摯に誰かに届けたいと思う。

2010年5月9日日曜日

母でもないのに……あるいは、時には母のある子のように

 6日(木)は表象文化とグローバリゼーションでお招きしているKさんを囲んで関係者で食事。遅れてきた別のKさんは、その主賓Kさんに、着くなりスクワットがいいらしい、八代亜紀は3ヶ月で7キロ痩せたとのこと、などと切り出す。コスプレで『アリス』を観に行く話やら『オーケストラ』の話やらナボコフ『賜物』の話やらと賑やかであった。こういうノリはなんと言えばいいのかなあ、などと思っていたら、主賓Kさん、ご自身のツイッターに「文芸部の部活のり」と書いておられた。


 うまいことを言う。

 7日(金)は学生を誘って……学生に誘われて吉祥寺びいどろ。ここは以前、入ろうとして満杯ではいれなかったので、リベンジなる、ということだ。食べ過ぎた。飲み過ぎた。当分の間、絶食してつじつまを合わせよう。

 8日(土)乗り捨てた車を取りに行く途中、ぼくの好きな小説家のOさんが、比較的近くに座った。携帯に向かって難しい顔してなにかを打ち込んでいる。もしやと思って帰宅後、ツイッターを見たら(ぼくは彼をフォローしている)、電車の向かいに座った人物の腕時計がやたらと大きいことに驚き、「軽薄短小の時代は終わったのか」と書き込みしていた。ぼくは文学の誕生の瞬間に居合わせたのだった!

 今日、近所の本屋で買い物したら、「母の日ですので」とカーネーションを一輪、手渡された。ぼくは母ではないし、ぼくの家には母はいないのだけどな。ましてや母の日なんて、軍事要員増強のための産めよ増やせよ作戦としてナチス・ドイツが奨励した、そんな忌まわしい日を祝うなど、私にはできない、と突っぱねるのも馬鹿みたいだし、おとなしくもらうことにした。帰り道、ぼくは母を愛する息子か、でなければ愛する娘また息子の母、つまり妻をいたわる夫のように見えたのだろうな。

 もらったはいいが、カーネーションなど持っていてもしかたがないので、イエス・キリストが一塊のパンからそこにいる全員の分のパンを作り出し、分け与えたように、この一輪のカーネーションを世界中の母親たちに分けてあげることにしよう。

 で、その本屋で何を買ったかというと、

永井良和、橋爪紳也『南海ホークスがあっころ――野球ファンとパ・リーグの文化史』(河出文庫、2010)

 これは2003年の単行本発売時に買っていた本ではあるが、文庫化されたので。関西人たるものタイガース・ファンでなければならないなどと思い込んでいる連中はこれを読め!

 ぼくは関西人ではないけど。

 帰宅後、見てみると、ちょうど南海の後身(というのか?)福岡ソフトバンクが福岡西鉄ライオンズの後身埼玉所沢西武に負けが決まったところだった。かつて(1950-60年代)ともに日本シリーズで読売を倒すことを至上の目標として、しのぎを削った2チーム(92-96ss)が、すっかり変わり果てた姿で戦っていた。

2010年5月5日水曜日

GWは映画と相場が決まっている

昨日のこと。カルロス・サウラ『ドン・ジョヴァンニ――天才劇作家とモーツァルトの出会い』(イタリア、スペイン、2009)ロレンツォ・バルドゥッツィ他


邦題副題(原題はIo, don Giovanni)に謳うように、天才劇作家、すなわち『ドン・ジョヴァンニ』(や『フィガロの結婚』)のロレンツォ・ダ・ポンテに焦点を当てたもの。

史実かどうかは知らないが、カザノヴァの友人で、カザノヴァや当のドン・ジョヴァンニ/ドン・フワンもかくやというほどのプレイボーイ(にして改宗ユダヤ人、キリスト教聖職者、かつフリーメイソン)のダ・ポンテが、ジェノヴァを追放され、カザノヴァの計らいでサリエリの面識を得、当然、その後モーツァルトとも知り合い、オペラを作っていく過程で、あこがれの思い姫アンネッタとの恋愛を成就させるべく努力するというもの。ドン・ジョヴァンニの地獄落ちの終結部を、ドン・フワンであった自らを葬るものとして書いた、という解釈。悪魔払いとしての書くこと。

スペイン人カルロス・サウラが、あたかもドン・フワン劇の原型としてのティルソ・デ・モリーナ『セビーリャの色事師と石の招客』のストーリーがなかったかのように(というのは、実際のところ、この地獄落ちはティルソ版から連綿と続く伝統)ダ・ポンテにストーリーを考えさせていることを、今は非難することはない。これは『カルメン』や『タンゴ』などでサウラが採った、舞台芸術作品とそれを作る者たちのストーリーを錯綜させるという物語の新たな一例だ。

ヴェネチアやウイーンの街をセットで再現してるのだが、そのセットというのが書き割りで、つまり映画そのものを舞台作品のようにしようとの意図が見えるかと思いきや、映画内オペラの『ドン・ジョヴァンニ』、地獄落ちのシーンでは当時の舞台設備では絶対に表現し得ない背景を作っていて、舞台と外部、フィクションと現実の境目がわからなくなるという映画の内容を補強していた。

ガーゼのカーテンを使って向こうとこちらに違う世界を作り出すシーンのあり方などは『ゴヤ』を思い出させる。撮影はその『ゴヤ』や『タンゴ』のヴィトリオ・ストラーロ。

文化村ル・シネマのサービスデイ、入場料1000円の日で、満員。隣に3人組みできていた年配の女性のひとりが寝息を立てていた。

2010年5月3日月曜日

勘違い

ぼくはてっきりビセンテ・ブラスコ=イバニェスはノーベル文学賞を受賞していると思っていたのだが、受賞していなかった。代わりに、というのも変だが、先日買った岩波文庫のホセ・エチェガライが受賞していることを知った。ベナベンテの受賞は前から知っていたと思う。


高橋源一郎のツイッター@takagengenで、彼が新作小説の予告編を書いている。いや呟いている。昨夜はその2回目。ツイッターは1回につき140文字の制限つきだから、毎回10数度にわたっての連続投稿となる。そして、ツイッターの特性を利用して、感想や反応には返事を書いたりもしている。

さて、新作『「悪」と戦う』は次男の病気に端を発するものらしい。昨年、急性脳炎で病院に運ばれた息子が、小脳性無言語症とかで言語障害を患ってしまったと、そして『「悪」と戦う』は、「悪」と戦う代償に言葉を失う子供の話なのだとのこと。奥さんからはそんな小説書いていないで、とっととハッピーエンディングにして実際の息子を助けろと言われるのだが、小説ではそれはできないのだとのこと。大江健三郎の『個人的な体験』のことなどを持ち出して、小説の世界の作者からの他者性についての話を、高橋さんは展開していた。

ちょっと話はずれるかもしれない。が、あることを思い出した。

ガルシア=マルケスが『百年の孤独』を書いていたころ、脇の下のリンパ腺が腫れて難儀したことがあった。彼はその同じ苦しみを小説内の登場人物アウレリャーノ・ブエンディーアに背負わせた。すると、作家自身のリンパ腺の腫れが引いたのだそうだ。牢獄にいるアウレリャーノに母のウルスラが面会に行くシーンを書いているころの話。

文章は悪魔払いとしてある。ニーチェはそう言った。実際、悪魔払いでない文章は書いていて面白くない(たとえば、「啓蒙的」な原稿。たとえば官僚的書類)。ただし、この場合の「悪魔払い」というのは、たぶんに精神的なものでしかあり得ないはずだ。だが、こうして実際のリンパ腺の腫れが引いたという話などを聞くと、それは物理的に世界を変革することもあるのじゃないかと思いたくなることがある。

ま、本当は単なる偶然なんだろうけど。

さて、「啓蒙的」な文章を書き終えて、では次なる翻訳にでも取りかかるか。それとも悪魔払いとしての文章に移るか……

夜からは卒業生たちに会う。呼んでいただけるうちが花。とことこと出かけていこう。

2010年5月2日日曜日

昨日書いたことを今日も書いてみる

朝から軽い吐き気を抱えながら生きていた。風邪か? それとも実存の空虚を前にしためまいか?


運動不足だろうと仮定してみた。

散歩に出た。

近所の本屋で買った本:

ジル・ドゥルーズ『批評と臨床』守中高明・谷昌親訳(河出文庫、2010)

菊地成孔+大谷能生『憂鬱と官能を教えた学校――【バークリー・メソッド】によって俯瞰される20世紀商業音楽史』上下(河出文庫、2010)

いずれも単行本発売時には買っていなかった一冊。ウラゲツ☆ブログではGW明けだと書いてあったのだが、既に近所の書店にあったので。ここでGW明けまで待つ必要もないだろうと思って買った。

そういえば昨夜、「スコラ・坂本龍一・音楽の学校」(NHK教育)がジャズの回に突入、坂本や山下洋輔とともに大谷能生が出て高校生相手にブルーノートやコール・アンド・リスポンスの話を、実践を交えながらしていた。いいなあ、こういうの、と嫉妬を交えながら見ていた。ぼくもいつの日かカルペンティエール『キューバの音楽』を楽器を手に実践しながら解説する、なんて授業でもやりたいな。

でもピアノもサックスもできないものな。

で、まあともかく、後者のこの魅力的なタイトル! バークリー音楽学校のメソッドから振り返って平均律との格闘であった音楽を見直してみようという希有壮大な試み。

でも実は、買わずに立ち読みだけした本も妙に印象に残っていたりする。たとえば、これだ。


白石嘉治『不毛なる教養』(青土社、2010)

要するに国際人権条約13条、教育の無償化に関する条項をマダガスカルとともに批准を保留している野蛮な日本の現状下(世界の趨勢に逆行)、大学教育にネオリベラル的市場原理至上主義の価値観が導入され(世界の趨勢に乗る)、古くからある上位/下位、実学/虚学、専門/教養の2分法の下位項目が危機にさらされている現状に憤り、大学は無償であるべきであり、無償制とは虚学の存在を保証するものなのだ、と説いていた。

大学の無償化。これは常識。高校の無償化などと言わず、大学もやっていただきたいもの。やらなければ民主党政権は何もやったことにならない。

ただし、このネオリベラル的市場原理至上主義の価値観というのは、それを既に内面化している学生や、内面化まではしていないものの、そういった趨勢になんとなくプレッシャーを感じている学生なども多くいる現状を加味すれば、きっと議論が煩雑になってくるのだろうなと思う。それでもなお、大学の無償化は保証されなければならない。

ぼくが戦慄とともに思い出す光景がある。ある委員会である教育方針についての提言を作成しなければならなかった。その提言の素案に「欧米に比べて授業料が安価であるという日本の大学の利点を」云々と書いてあった。ちょっと待て、とぼくは言った。いったいここにいう「欧米」とはどこのことなのだ、ぼくの知る限り欧でも米でも、授業料なんて、少なくとも国立なら限りなくただに近いところが多い、人権条約云々を批准していない数少ない国のひとつである日本の大学がこんなこと言えるか、確認しろ、と。文科省の役人であるなんとか課課長が恥ずかしそうに反応したと思ったのはぼくの思い違いではあるまい。

後でわかったことは、その書類を作成したのはイギリスに留学経験を持つ人物であったということ。

その次に提出された「提言」素案、推敲版からは、しかし、その文言は削除されていなかった。泣きたくなった。どうせ実効性を欠く「提言」だ。作るために作っている書類だ。どうにでもなれ、とさじを投げた。その後その素案がどう書き直されたか、もう知らない。

ぼくもぼくなりに絶望している。

2010年5月1日土曜日

昨日書いたことは今日書いた

「昨日書いたことは今日書いた」とは『野性の探偵たち』第3部の1行目、謎の言葉だ。

さて、昨日のこと。紀伊國屋書店本店やジュンク堂新宿店に立ち寄った。前者2階では「ワールド文学カップ」開催中。キューバ代表の「驚異の2トップ」はレイナルド・アレーナスとアレホ・カルペンティエール。『春の祭典』も面出しで置いてあった。しかも1冊売れた形跡あり。うふふ、であった。

ジュンク堂でわかったことは『野性の探偵たち』、売れてるかも、ということ。2箇所で面出しになっていて、いずれも、数冊分のスペース、つまり売れた形跡があった。ナボコフの『賜物』とこれだけが、この売れた形跡としてのスペースがあった。この2つが双璧のもよう……というか、ほぼ同時に発売になった最新刊ということだが。でもやはり、うふふ、であった。

で、岩波文庫復刊シリーズ、スペイン人作家のもの3点:

アラルコン『三角帽子』会田由訳(2008/1939)
ホセ・エチェガライ『恐ろしき媒』永田寛定訳(2009/1928)
ベナベンテ『作り上げた利害』永田寛定訳(2010/1928)


エチェガライの戯曲、タイトルの漢字は「なかだち」と読む。「恐ろしき」とあるので、ぼくはてっきり「はかりごと(謀)」かと思って買ったのだが、家に帰って見返してみると「媒」だった。