2011年10月29日土曜日

死者たちを葬る


恵比寿駅でホルスタインみたいな格好をした父親と緑のなにやらよくわからないモンスターに扮した母親に手を引かれた、赤毛のカツラをかぶったそばかすの女の子がとても不機嫌そうだった。帰りに寄った中野で、メイドの格好をした母親に手を引かれた、白いタキシード姿の男の子が、なんで俺はこんな格好をさせられているのだ、と目で訴えていた。ハロウィーンというのは、いったい、子供たちを幸せにしているのか? 日本で急速にハロウィーンが広まったのは、コスプレの広まりが基底にあるのだろうなと思った土曜日。

恵比寿に行ったのは、東京都写真美術館でのショートショートフィルムフェスティバルに行ったのだ。東京国際映画祭連動企画のこのフェスティバル。今年は短編映画に加え、河瀬直美提唱の3.11 A Sense of Home Films も上映している。A、B、Cの3つのプログラムに21本のオムニバスを7本ずつ割り振っているのだ。

で、Bプログラムにエリセの「アナ、3分前」が含まれているので、観に行った次第。既に、先日、NHK-BSのドキュメンタリーの一部として流されているので、観たのだけれども、ともかく、スクリーンで観てみた。

タイトルに名前の出ているアナはアナ・トレントのこと。彼女が楽屋で準備をしているところに、「アナ、あと3分だ」と声がかかる。彼女はマックでビデオチャットのようなことを始める。「今日は8月6日……」として、どうやら日本人らしき人に向けて、原子力の被害に2度も遭った日本を悼み、原子力批判をする。地震を報じるメディアの「ビデオクリップ」のような作りを批判する。それからまた鏡に向かってメイクを仕上げ、緑色の紗のストールを広げてから楽屋を出て行く。テープルの上には『アンティゴネー』が載っている。ただそれだけの作品だ。ひとり3分11秒なのだから、しかたがない。

エリセのこの作品の、メッセージのストレートさに驚く人もいるかもしれない。しかし、たとえば同じくカメラに向かっての女優の独白という形で撮った桃井かおり「余心 Heartquake」と比べてみれば差は歴然だ。桃井のものも良かったのだけれども、エリセはマックのビデオチャット機能による対話という形を取ることによって、フレーム内にフレームを現出させ、優れている。最後にアナが「死者たちに見つめられていると感じる」とつぶやくとき、映画がついてにフレーム内フレームの外に死者を想定するという次元に至ったことに気づかされてはっとする。世界がぐんと広がるのだ。そして最後の『アンティゴネ―』の表紙。アンティゴネ―というのがオイディプス王の娘で、父や兄らの家族を弔うものであることを思えば、エリセはこのたった一瞥で、一気に自身の原子力についての思いとテーマのHomeとの解決をつけていることがわかる。この密度が素晴らしい。

2011年10月25日火曜日

アフターケア


さすがに『野生の探偵たち』の後だけあって、燃え尽きたわけではないが、少しこぢんまりとの観を抱きつつ訳した『ブエノスアイレス食堂』。出足は好調のようで何より、評判も、ぼくの知り得たところでは悪くはないので、何より。

ところで、「あとがき」に触れようと思って、バルマセーダが『ブエノスアイレス食堂』の次に書いた小説『ディードーの懐剣』El puñal de Dido (Planeta, 2007)のことを忘れていた。せっかくだから、ちょっとだけ。『ブエノスアイレス食堂』を読んで興味を持った人もいれば、参考までに。

主人公はマル・デル・プラタ大学で文学を教えるパウリーナ。図書館で知り合った同僚(ブエノスアイレスから越してきたばかり)のホナスと恋に落ちる。ホナスは離婚調停中で、もてそうなやつで、教え子との関係も怪しまれている。パウリーナは博士論文を準備中で、テーマは恋愛の物語について。ホナスと出会った日から悪夢を見るようになるのだが、あたかもそれに導かれるように現実の恋愛や行動、心の動きが進んでしまう。友人の分析によれば、それらの夢はみな、古今の恋愛の物語(小説やオペラ)を下敷きにしたものになっている……というもの。その友人が恋人との間のDVに苛まれているというサブプロットもある。

料理、もしくは食人の次には、こうして恋愛の物語についての蘊蓄をちりばめながら、心理劇としての恋愛ではなく、あらかじめ書き込まれていた物語をなぞるものとしての恋愛の物語が語られているのだ。ちなみに、タイトルになっているディードーとは、もちろん、『アエネーイス』の登場人物。

今日、受け取ったのはSWITCH 11月号。これに河瀬直美とビクトル・エリセの対談が載っている。河瀬の提唱した3・11に寄せたオムニバス映画A Sense of Home に参加したエリセが、その奈良での上映に際して来日、河瀬と対談したもの。通訳の音声を基に編集者が起こしたものを、音声を手がかりにぼくが修正した。それで、翻訳として名を入れていただいたのだ。まあ、いつものごとく、途中から面倒になってほとんど最初から訳すのと変わらないくらいの文章にしてしまったけれども、ともかく、そんな仕事をしたのでした。この記事には出ていないけれども、インタビューの最後には次回作のことも語っていた。その中身はSWITCHのサイトで、やがてインタビューのロングバージョンが掲載されるらしいので、それに出るのかもしれない?

2011年10月22日土曜日

漏れた


たぶん、漏れた。

といっても出してはならないものを出したのではない。出なかったのだ。選に漏れたのだ。

別にカメラに凝るつもりはないが、だから、がんばって買うには及ばないが、あれば欲しいな、と思っていたのがリコーのGR Digital。このたび、IVが発売されるに際して、モニターを募集していた。ブログを運営していることが条件で。そのブログに3度以上GR Digitalによる写真を掲載、アンケートに答えれば、そのカメラをいただけるという、嬉しいプレゼントつきモニター。それに応募していたのだ。当たったら10月の半ばくらいに連絡があり、実物が送られてくるはずだった。

まだ送られてこない。まあ正確には忘れていたのだが、思い出していろいろと検索したら、当たった人のところにはもうカメラは送られているようだ。ぼくのところには来ていない。ということはぼくは、選に漏れたのだ。

あーあ。

選考基準にブログにおける写真掲載の頻度もあるといけないと思って、応募した日からできるだけ掲載するようにしたのだけどな。さんまの塩焼きの写真なんか、傑作だったと思うのだけどな。

残念。

2011年10月18日火曜日

ブラジル宣言の人々を堪能する


いや、なに、感慨深いことがあったのだ。立て続けにご恵贈いただいた本。

管啓次郎『コロンブスの犬』写真:港千尋(河出文庫、2011)
今福龍太『薄墨色の文法:物質言語の修辞学』(岩波書店、2011)

これに旦敬介を足せば、『ブラジル宣言』ではないか。

1980年代の末、弘文堂がラテンアメリカ・シリーズのようなものを出した。ついでに、牛島信明『反=『ドン・キホーテ』論』なんていうものも出して、ぼくたちはしばし弘文堂の動向に注意を向けた。その弘文堂のシリーズひとつとして出された『ブラジル宣言』に集った上の人々のその後の活躍は言うまでもない。

さて、その『ブラジル宣言』に続いて、同じ版元から管啓次郎が出した単著が『コロンブスの犬』。それに港千尋の写真を添えて河出文庫が復刊したというわけだ。やはり同じシリーズからのジル・ラブージュ『赤道地帯』の翻訳作業中だった管さんが、ブラジルを旅して見つけ、感じ、書いた記録だ。ぼくも20数年ぶりにその懐かしいテクストを開いてみる。

「どこの土地を訪れたとしても、ぼくらの誰ひとりとしてその土地をありのままに見ることはできない。すでに聞いたこと、読んだことのあることばの記憶にしたがって、ぼくらはひとつの風景を理解しているにすぎない」(134)からこそ、〈悪い文学〉に引きずられまいと戒める管さんは、ブラジルで新たに見出しているのだから、この旅行記はみずみずしいのだ。石川達三の描写したサン・パウロのことを論じながら、石川が鞄に入れて旅の伴にしたかもしれない「昭和初期に出版された堀口大学訳のポール・モラン」を「サン・パウロの裏ぶれた日本語の古書店」(93)で管さんは見つける。時間を隔てた遠い作家と、若き管さんがここで交錯する。こういう交錯を作り出すのがうまい。唸ってしまうのだな。

今福さんはときどきぼくに本をくださる。お礼を言うと「奄美のことを書いたから」と言い訳のようにおっしゃる。もちろん、今回もそうなのだろう。岩波の『図書』の連載をまとめた『薄墨色の文法』には、ぼくの故郷のことが幾度も触れられている。この流れで、たとえば、ご自身の三線の師、里英吉に触れている箇所を引きながら、今福龍太はある日、里英吉の仕草を繰り返すかのように汀に座し、三線を弾いていたのだ、という証言を書いてみたくなる。

しかし、ここでは、もう少し違う趣向の話を。奄美の東シナ海側の入り組んだ地形の風と土着の楽器の話をする今福さんは、楽器の共鳴の秘密である「カルマン渦列」とそれと同周波で発生する「エオルス音」を解説する。そして言うのだ。「そしてあるとき、驚くべきカルマン渦列が、冬の季節になると済州島から奄美大島に向けて、まさにニシの風に乗って到達していることを私は知った」(126)。この次のページにある図版が、「カルマン渦列」とはいかなるものであるかを例示し、かつ今福の発見(?)を証明している。

さて、ぼくの名前は孝敦(たかあつ)という。ありきたりの文字の組み合わせであり、ありきたりの音の組み合わせだ。だが、この組み合わせはめったに見られるものではない。ぼくはギタリストの木下尊惇以外の同名の人物を知らない。兄は○○厚という名で、これは歴史上の人物から取ったもの。この兄の名と脚韻を踏んで隣のおじさんがぼくにつけた名が「孝敦」。

この同じ語の並びをぼくはひとつだけ見つけた。「孝敦川」。「ひょどんがわ」と読み、済州島を流れているのだという。ぼくの名はまるで済州島からカルマン渦列に運ばれ、東シナ海側から少し奥まった地にあるぼくの生家の隣のおじさんの発想に到達したのだ。きっと。そう考えることにしよう。『ブラジル宣言』から3年後の1991年、メキシコにいたぼくはよく、「お前は韓国人か?」と訊ねられたのだったな、そういえば。

2011年10月17日月曜日

ぼろぼろ、ぼろぼろ


体がぼろぼろで心までぼろぼろ、なんて話しはしょっちゅうしているような気がする。心がぼろぼろで家までぼろぼろなんてのも、しょっちゅうか?

金曜の晩に停電があった。ほんの数分だ。すぐについた。

が、シャワーのお湯が出なくなった。洗面所も、台所も。設定温度よりかなりぬるめのものしか出ない。

給湯器の問題ではないとのこと。油温が上がりすぎないように水を出す栓の可能性がある。それは水道の問題だ。風呂にためる湯の温度は、事実、問題がないのだ。カランも問題ない。シャワーに上げると、しばらくしてぬるくなる。この辺の栓だな。これから冬に向かおうというのに……

ガス屋を呼んだのは日曜日のこと。

日曜。ニュースをチェックしようと、金曜日からつけていなかったTVをつけたら、消せなくなった。ケーブルテレビJCOMのチューナー経由で操作しているのだが、これのリモコンがTVにだけ伝わらなくなったのだ。つい最近もそんなことがあった。DVDを見て、消そうとしたら消せなくなったのだ。TV本体の方を消せば良いのだが、ともかく、そのとき、JCOMに電話して教わった対処法があった。今回は、それをしてみてもうまく行かない。

いいさ、どうせTVなんざ、いわゆるTVなんざほとんど見ないのだから。ニュースとか、映画とか、スポーツくらいしか見ないのだから……でもなあ、それ考えると、JCOM経由で見ているBS、CSだけ残せばいい、と言いそうなものだが、必要のない地上波だけが、常に一番簡単に直接に見られるのだよな。

いいや。いっそのこと、捨てちゃえ。

極めつけ。iPhoneがどうも外で、つまり3G環境でメールを受け取らなくなった。IOS5は、SIMロックフリーiPhoneのdocomoでのデータ通信に適合しないらしい。

やれやれ。つかの間のぬか喜びだ。

でも、これもいいや。つい最近まで、携帯電話なんて持たなかったじゃないか。メールなんて、外出先でチェックできなかったじゃないか。どうしてもというときには、まだE-Mobileのルータを解約せずに持っているのだから。

……いや、E-Mobileも忘れよう。身軽になろう。

本でも読もう。『密林の語り部』の岩波文庫版は、もう出ているのだ。

2011年10月15日土曜日

それは突然始まった


今日はホームカミングデイというやつだ。大学が卒業生をもてなすという催しだ。ぼくはそれに業務として参加していなければならない。こんなものに参加しなければ、仕事ははかどるのだが。締め切りを過ぎてなお終わらない原稿を書き終えられるのだが……こんな業務にぼくを引き込む人物と、終えようのない原稿を依頼する人物が同一であるというジレンマ。いやダブルバインド。

仕事がはかどらない理由はもうひとつある。iCloudだ。仕事を効率的にするはずの仕組みだ。

昨日、昼休み、MacBookAirが突然、ソフトの更新を始めた。OSXの更新だった。更新が終わると、iCloudに参加するかと訊いてきた。突然、始まったのだ。それが。つまり、iCloudのサービスが。

iCloud、あるいは一般的にはCloudというのは、ある種の情報の共有をインターネット経由で楽にしようという仕組みだ。いくつかのディバイス(PC、iPad、iPhone)で共有すべき情報を、ディバイス間の接続や面倒な手続きなしに共有しようというシステム。たとえば、iPhoneで撮った写真を、iPhoneとMacを接続することなく、自動的にMacに移す、というもの。ダウンロードした音楽(ここが味噌。CDから取り込んだやつは、著作権法上の問題で、移動できない)、住所やスケジュールなどが簡単に同期できる。

ファイルの同期も可能だ、というのが売りだった。ぼくはこれまで、Dropboxに入れて作業中のファイルを共有していた。これが要らなくなるのかな、と期待していた。が、実際のところはそんなことではなかった。AppleのソフトiWork('09以降のバージョン)のファイルが、それに対応しているということなのだった。事務手続きなどそれが多いので、ぼくは現在では、仕事に使うファイルは、ほとんどはMS OfficeのMac向けのものを使っている。これは、たぶん、iCloudに対応していないし、どうやらiWorkもぼくが持っている旧バージョンでは対応しない模様。つまり、Dropboxはその役目を終えていないということ。

iCal が同期可能になったので、Googleカレンダーは要らなくなったにはなつた。どっちがいいのかはわからない。


と、こんなことを確かめるためにいろいろとやっていて(さらには可能にするためにiPadやiPhoneのOSを更新していて)、昨日は仕事がはかどらなかったということ。

2011年10月10日月曜日

本来の体育の日の今日、家に籠もって本を読む。


昨日、「先行するテクスト」とそれとの出会いのことを触れた。それについて、もう一言。

2、3回前の書き込みでパラグラフ・ライティングの話をしながら、「闘牛」についての原稿を例に出した。

実は、実際に闘牛について書かねばならないのだが、そこに伊丹十三が闘牛を「田舎くさい」と評したと引用した。

かなり鮮明なものとはいえ、記憶に基づく引用だった。学術論文は情報源を明らかにしながら論を進めるものだ。だから学術論文ならば記憶に基づく引用など許されない。けれども、これはいわゆる啓蒙書だし、注はつけないとしているから、いいか、とも思った。それでもさすがはふだんのオブセッションから自由になるのが難しい。ちゃんとどこからの引用なのか、文言が正しいのか、確認しなければ気が済まなくなった。

ところが、わが家に伊丹十三の本など置いていない。で、近場で一番大きな本屋に行ってきた(ついでながら、『ブエノスアイレス食堂』、平積みにされていた。おお。感動だ。みんな、買っとくれ)。問題の文章は、確認された。

伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫、2010〔原書は1965〕)。ここの48ページにこうあるのだ。

闘牛を見る。おそろしく田舎臭い見世物だった。

ちなみに、この『ヨーロッパ日記』、ニコラス・レイ監督『北京の55日』(1963)をマドリードで撮影するために、スペインを始めイギリス、フランス、イタリアなどに行った、そのときの記録である。

そういえば映画についての原稿も書かなければならないのだった。そこであることに触れたいのだが、この伊丹の証言はそのための傍証にもなるかもしれない。思いがけない出会いで、自分の文章のための「先行するテクスト」がこうして、またひとつ見つかった。ひとつの「先行するテクスト」がふたつの後続のテクストに役立ちそうだ。こうした出会いが、貴重なのだ。

ま、あれとこれを結びつけて、伊丹の文章を自分のテクストのための「先行するテクスト」と指定できるかいなかは、ひとえにこちらの想像力にかかってくるわけだ。この想像力だけに頼って、それを文献検索で補わなくていいと勘違いしているかのようなのが、昨日言った「そうでない発表」をするひとの勘違い。

それはともかく、こんな出会いを求めて学会には行くわけだが、今回、途中の電車で読んでいたのは、ご恵贈いただいた、

野谷文昭編『日本の作家が語る ボルヘスとわたし』(岩波書店、2011)

ボルヘス会の主催になる講演会の記録を1冊の本にまとめたもの。多和田葉子や奥泉光、高橋源一郎ら、作家たちの語るボルヘスが実に面白いのだ。

ここで、星野智幸(「ボルヘスの不可能性と可能性」)は、ボルヘスがオースチンのテキサス大学キャンパス内の溝掘り人夫が英語で話している(英語をそういう階層の人がしゃべっている)ことに驚いたと書いている(『自伝的エッセー』)のを引用している。「現実の世界よりも文学の世界のほうがリアルだと感じるボルヘスらしさが炸裂している」(108ページ)と。

伊丹十三はボルヘスのこの驚きを相対化するようなことを書いている。空港での話。

 わたくしが、白人の下層労働者の姿を肉眼で見たのは、これが初めてであって、彼らのみすぼらしい、無知な様子が、わたくしには、よほど珍しい、不思議な、予知しなかった存在として写ったようである。白人が、あんな雑役をやってるぞ! と心の中に叫んで、わたくしは密かに恥ずかしくなった。これでは、例の、ロンドンでは乞食でさえも英語をしゃべる、という古臭い冗談から一歩も出ていないのではないか。
 自分の心の中のどこかに潜んでいた白人崇拝の念が、わたくしをひどく驚かせたのである。(65ページ)

ちなみに、伊丹十三は日本におけるブニュエル好きの代表格だ。ブニュエルがボルヘスを嫌っていたのは有名な話。星野さんも引用しているとおり、わざわざ自伝に書いている。ぼくはブニュエルもボルヘスも伊丹十三も好きだ。

2011年10月9日日曜日

断末魔のさんま


心の準備も体の準備も教材の準備もできていないのに授業が始まったものだから、何かとせわしなく、ブログを持っていたことなど忘れかけていた。

実際には第1週に本格的に授業が始まることはないので、忙しいというわけでもない。心が落ち着かないのだ。学生たちもいい加減、久しぶりなものだからそわそわとして、授業が終わったら食事に行ったりしている。さんまだ。箸の餌食になるさんま。

そして土日は日本イスパニヤ学会第57回大会。前日、あまりにもさんまがおいしかったものだから、この日もさんまを食した。写真のさんまは初日のそれ。

学会ではすぐれた発表があり、そうでない発表もあり、面白い発表があり、そうでもない発表があり……

勘違いされがちなのだけれども、われわれの仕事というのは、ひたすらに先行するテクストを読むことから成り立っている。先行するテクストというのは、対象に対する研究であったり、それに適用可能な理論の書であったりするだろうが、ともかく、先行するものだ。先行するテクストは読んでも読んでも尽きない。他の研究対象に対するテクストがぼくらの研究にとってもそうなり得るかもしれないから、少しくらい対象が違っても、ぼくたちは人の話を拝聴する。新たなテクストとの出会いを求めているのだ。

そういう新たなテクストとの出会いの得られない発表を、「そうでもない発表」という。つまり、すぐれてもいない、面白くもない発表。そういうものもあった、ということ。もちろん、新たなテクストとの出会いの得られた発表もあった。

2011年10月3日月曜日

出来


いただいてきた。カルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』(白水社)

TwitterやFacebookでは書いたし、口頭でも何度かいっているが、これは、ぼくの名が表紙に載る10タイトル目の本。上下巻がひとつあるので、冊数としては11冊目。国内9タイトル目。翻訳としては7タイトル目だが、意外にも単独訳は2タイトル目。ともかく、区切りの10作品目だ。めでたい。

『ブエノスアイレス食堂』というタイトルだけあって、料理についての記述が生命線のひとつ。自分のやったことに対してはどうしても客観的に見られないので、そのへんがうまくできているかどうかはわからないが、編集者の方の承認は得ているわけなので、少なくとも問題はないのだと思う。

2011年10月1日土曜日

新学期を前に呻吟する


こんなふうな街角の小さなビルの2階、3席ほどしか席のないカフェで昼食。CDよりもレコードの数の方が数倍も多い、雰囲気のあるお店だった。

週が明けると新学期だというのに、まだまだその準備ができないでいる。夏休みにやり残したことが山積しているのだ。

原稿がある。

詩作するのでない限り(そして詩作などしたことはないのだが)、文章は段落単位で書きためておくことにしている。パラグラフ・ライティングというやつだ。あることについて書かなければならないとする。たとえば闘牛について書くとしよう。参考文献を読む。アンドレス・アモロス(どうでもいいが、この人の業績は、イスパニスタたちの間で正当に評価されているのだろうか?)の文章などを読むと、いろいろと自分なりに考えるところで出てくる。それを、主張内容ごとに段落に展開して保存しておく。もちろん、段落が複数になってもいい。最低限一段落ということだ。ともかく、読みながらそうした段落を作って、それらのファイルを「闘牛」というフォルダに入れておく。それらのファイルをまとめたり、繋げたり、繋げるために書き換えたりして、最終的に数十枚の原稿に仕上げる。

そんなことをするようになってから、比較的締め切りに遅れることが少なくなった。執筆の時間というのは、積み重ねた段落を整え、必要とあらば新たに書き足す時間だからだ。執筆に費やす時間が、圧倒的に少なくなるのだ。

ひとつだけ確実なことがある。どんな文章にしても、文章をその書き出しからはじめて順番に最後まで書こうとすれば、絶対にどこかの時点で詰まってしまう。そこから先に進まなくなる。ぼくらは知覚するようには表現はできないのだ。でも、はじめから書こうとしてしまう習性を抜け出すことは難しい。だから、ついついはじめから書き、途中で躓き、うんうんと唸り、机の前で無為な時間を過ごして、いつまで経っても文章はできあがらない。こんなことばかりだ。

で、5年くらい前から、従来のカード……というか読書メモなどやめてしまって、パラグラフの積み重ねをやるようになった。いろいろな文章がスムーズに仕上がるようになった。そんなわけで、近年は、卒論や修論や博士論文の学生にもパラグラフ・ライティングを勧めている。

なかなか伝わらない。中には反発まで示すものがいる。そんなこと、やったことがない。不安だ……等々。

おっと、学生たちについての愚痴を言うつもりはない。まあ、がんばれ、というだけだ。問題は、こうした実績から、少なくともぼくは、パラグラフ・ライティングを積み重ねるようにすれば、すんなりと原稿が書けることは自覚している。だから、それをやればいい。

……のだが、ついつい、はじめから順番に書く誘惑に駆られることもある。いや、駆られてもいいのだが、この誘惑に必ずつきまとうのが、躓いたら机の前で呻吟し、無為に時間を過ごすという行動パターンなのだ。このパターンにはまると、もういつまで経っても仕事ができないスパイラルに陥る。そこから目を背けるために、外出する。カフェで昼食など食べながら、後の席でおしゃべりしている近所の大学の学生たちを盗み聞きしたりする。

そんなふうにして、書き終えなければならないのだけど、まだ書き終えていない原稿があるのだった。

もちろん、こんな文章を書くのも逃避の一形態に決まっているじゃないか。