2021年12月31日金曜日

映画収め、あるいは誰か故郷を思わざる

年末年始は映画を観ることが増える。昨日は江口のりこの初期の短めの映画を観ながら夕食であった。


さて、今日は、これ:


國武綾『夫とちょっと離れて島暮らし』ちゃず他(Amami Cinema Production 〔ACP〕: 2021)


2018年から2年半ほど加計呂麻島の西阿室に暮らし、その生活を漫画にしてきたイラストレーターちゃずの当初の予定では最後になるはずだった2ヶ月ほどを追ったドキュメンタリー。ちゃずには『イラストレーターちゃずの 夫とちょっと離れて島暮らし』(ワニブックス、2018)という漫画本があるが、それとセットで観てみるといいかも。漫画は島暮らしを始めてすぐのころのエピソード集。映画はそれに惹かれて観に行った俳優・國武綾の移住体験収集調査報告、のように読める。彼女はその後、実際に移住したとのこと。


僕は言うまでもなく奄美の出身で、そのことを誇る気もない代わりに恥じるわけでもなく、故郷を愛しているかどうかはわからないけれどもかといって憎んでいるわけでもなく、ただ自身の所与の条件として受け入れているつもりではあって、でもごくごく小さなころから都会に出て暮らすのだと思っていたし、いつまで経っても帰りたいとは思わない、そんな人間だ。この映画の中でも集会の締めにみんなで六調を踊るシーンがあるのだけど、ああいう場所で踊りに参加することはできないけれども、外から指笛で調子を合わせるタイプではある。まさにそんな感じで故郷には接してる……つもり。


で、こんな僕だから特に島に帰りたいとは思わないし(帰るとすれば家族の用で必要な時だけだし)、島に残った連中からやっぱり島はいいだろうといわれれば、ええと答えて調子をあわせはしても、実のところ別にそうは思わない。そんな僕にしてみれば、移住したり、期間限定ではあってもここに暮らしたりする人びとの気持ちというのは興味のあるところである。


たとえば、ごく最初のころ、加計呂麻島に着いてすぐのカメラ・クルー(國武とその夫で映画監督、本作ではプロデューサーの中川究矢)がちゃずに促されるように沈みゆく赤い夕陽をカメラに収める。それからまたちょっと後で、ちゃずが防波堤から海に飛び込み、それに誘われるように國武が続いて飛び込むシーンがある(パンフレットを読めばわかるように、このフッテージは、しかし、だいぶ経ってから撮られたものだ。編集の妙)。こうした細部に自然とふれ合うことによる癒やしを感じる人はいるだろう。


あるいはちゃずのアーティストとしての活動を撮りながらインタヴューをするといういかにもドキュメンタリーらしい展開を見せるうちにちゃずが吐露する父親との関係、鬱病の写真家で、数年前に亡くなったらしい父との葛藤で負った傷を癒やす場としての田舎、という解釈もできるだろう。


しかし、何よりもちゃずの西阿室での暮らしを有意義なものにしていた要素は、ちゃず自身の漫画本や劇場用パンフレットを補助線として考えたときに理解できそうな気がする。


たとえば漫画本の131ページ「島暮らし≠スローラフ」という6コマ。「想像 スローライフ♬/のんびりとした毎日」「現実 集落の行事が忙しい」(略)「そこに流れる時間はなんだかスロ~~♬」言い得て妙である。


ところで僕は、ちゃずの仕事のパートナーであり、移住における先行者であるマムさんというひとがとても気になったのだ。パンフレットなどを読んでいると、ちゃずの仕事をコントロールするのにけっこう気を遣っている模様。ちゃずのインスタグラム(リンク)も、マムさんのインスタグラム(リンク)も、ついでに國武綾のインスタグラム(リンク)もフォローしてしまった。


坂口恭平が主題歌を作り、歌っていた。この人はこんなこともできるのか、という驚き。開場前ロビーで國武綾と思われる女性がいたと思ったら、実際、本人で、終映後、挨拶があったのだ。


コロナ禍で計画が狂い、違う形の映画になったかもしれないところを、島人たちが撮ったフッテージで今の形にできたというのは、ドキュメンタリーの醍醐味。すばらしい集団製作だ。


ところで、出がけにポストに見出したのは、写真左の本。



管啓次郎『PARADISE TEMPLE』(Tombac/インスクリプト、2021)。


「ボロート、ポーレ(沼、野)」は沼野充義さんの退職記念号の『れにくさ』に掲載されたもの。「沼野さんがどこの人かは知らない」と始まり、バリー・ユアグロウの語るオデッサを「知らないままに/そんな情景を想像していた」(125、132)。知らないところへのノスタルジーをチェーホフに乗せた詩。僕はチェーホフのその作品を知らない。が、「ボスフォラスへは行ったことがない/ボスフォラスのことは、君、きいてくれるな」と、同じく知りもしないエセーニンを引用することはできる。


加計呂麻島とは、僕にとっては、やはりそういう知りもしないノスタルジーの対象なのだと言っていいかもしれない。加計呂麻島へは行ったことがない。加計呂麻島のことは、君、きいてくれるな、という感じ(注:本当は行ったことがあるけど)。


そういえば、管さんは僕にかつて「奄美のことを書こうよ」と言ってくれた人だ。そこからいくつかの発想の連鎖の後に僕はいくつかの文章(「儀志直始末記」と「高倉の書庫/砂の図書館」)を書いたのだった。


管さんはもちろん、今福龍太さんの主宰する奄美自由大学を機に奄美に行ったのだろうと予想する。以前、やはり何かの用で母の家に行っていたころ、今福さんから電話がかかってきて、今請島(与路島だったかも)にいるから、翌日加計呂麻まで迎えに来いと言われたことがあった。加計呂麻島の港で今福さんが乗ってくる予定の海上タクシーを待っていると、地元の兄ちゃんたちがいやらしく笑いながら小指を突き立て、「これか? これを待ってるのか?」と訊いてきたことがあった。そのとき感じた嬌笑。さげすみとおかしみ、反発と安心感。そのアンビヴァレンツゆえに僕は故郷を好きだとも嫌いだとも言えないのだろう。


今夜は(明日かな?)アレクサンドル・ソクーロフ『ドルチェ――優しく』島尾ミホ他(日本・ロシア、1999)をもう一つの参照系として見直しておこう。


映画が終わったのが11:40ほど。K’s Cinema前のラーメン屋でラーメンを昼食とした。生まれて初めてのこれが年越し蕎麦だ(これも年越し蕎麦なのか?)。

2021年12月21日火曜日

届いたものたち

かつてこんな記事(リンク)を書いた。災害時の備えなどほとんどしていない僕もコーヒーに関してだけは備えがないと不安になるらしい。



ずっとこれを使っている。ラッセルホブズの電子やかん。湯の注ぎ口が細長いくちばし型になっていて、コーヒーを淹れるのに適した型。


ところが、これが昨日、スイッチが作動しなかった。しばらくいろいろと試しているとどうにかついたのだが、そうなるまでの不安は底知れぬものであった(というのは大袈裟か?)。


これを使うようになってからわが家にはやかんがない。ガスコンロの火で沸かすやつが。それがなくても鍋はあるから、鍋で湯を沸かして、このラッセルホブズに移せばいいのだと思いついた。


そう思いついた瞬間に飛躍が生じた。



これだ。コーヒーを淹れるためだけにやかんの湯を移して使うためのポット。なんなら淹れた後はこれにコーヒーを移してサーヴするのに使ってもいい。ともかく、コーヒー用のポットだ。


そして、思い立ったが吉日で、それをさっそく手に入れたことは、写真を提示したのだから言うまでもなくわかるだろう。ふふふ……


そうしてコーヒーを淹れているときに届いたのが、これ:



野崎歓、阿部公彦編著『新訂 世界文学への招待』(放送大学教育振興会、2022)


前回のポストで報告したとおり、その講義の収録に行ってきたのだ。その印刷教本が出来したというわけ。放送大学受講生でなくても、一般の書店で買えるはず。


2021年12月18日土曜日

修了ご報告

そんなわけで僕は、来年度、放送大学の授業を担当するのだった(シラバス)。


朝早くから1日かけて2回分、収録してきた。


5時までには終わらせる予定と聞いていたので、そのくらいまでやる覚悟でいたのだが、3時半には終わった。良かった良かった。


僕は授業や講演などではきちんとした原稿を書くことはあまりない。あるいはあったとしても、そのまま読むことはない。今回も当然、原稿は用意したわけで、いつものようにそれをベースに適当にふくらませて、……というつもりでいたのだが、そんなわけにはまったく行かず、きっちりとした計算通りに内容が進行し、プロンプターもばっちり出されてみると、案外原稿どおりに読んだのだった。


つまり、いつもよりおすまししてしゃべっています。


僕の話以外にも非常に興味深い動画を挿入しているのだ。活字教材にはない、実際の講義の特典。


テクストの朗読を濱中博久さんにお願いしたのだが、これがさすがに実にかっこいい。


ひと晩家を空けたので、帰宅後の部屋に暖房を灯しても温まるのに時間がかかったのだ。



1回目の収録は、このジャケットで臨んだのだ。

2021年12月17日金曜日

シンプルがいちばん

ジャン! 


ビールと棒々鶏、それにレンコンのはさみ揚げ。このあと棒餃子が来る。



こんな電飾のあったとある駅前のビルの4階の中華料理屋で、今日は夕食。これからホテルに向かうのだ(……いや、この文章はもうホテルの中で書いているのだが、この写真の時点からみれば、ということ)。


放送大学の来年度からの「世界文学への招待」(野崎歓さんと、それから阿部公彦さんが主任ということになるのかな?)という講義を2回ばかり分担することになり、その収録が明日、朝からあるので、いわゆる「前乗り」というやつだ。


僕は初回(第9回)で『百年の孤独』の紹介と作品分析、2回目(第10回)で『百年の孤独』の前後の情勢とこの作品のインパクトについて語る。


講義内であるビデオ教材を使おうと思ったが、その権利問題の調整が手間取り、当初の予定より遅れて、今回収録と相成った。


話は変わるが、



ニトリで「お値段以上」のこんなものをひどく安く買い、置いてみた。「ひどく安い」けれども「お値段以上」だから反発力があって座り心地はいい。



家具の配置を変えていろいろ生活の様態についての内省を重ねた結果、ワークチェアを多機能化して過度な負荷をかけ、肥大化させるような、そんな大仰なものは要らないだろうとの結論に達した。以前、鎌田浩毅を引用したように(リンク)、仕事の椅子(立っている時が多いが、座っている時はダイニング・チェア)とリラックスする椅子がひとつずつあればいいのだ。何の飾り気もない、付加価値もない、普通の椅子。


それまで使っていたワークチェアは今、書庫(というより倉庫の様相を呈してきた)に置いてある。



この肉を食べたときに一緒にいた連中(つまりは教え子だが)にワークチェアを処分しようかと思うと話したら、それはもったいない、売ればいいのだと言われたのだが、売るには自分で発送しなければならないので、それも面倒だ。取りに来てくれる方、あげます。以前も写真にあげた椅子のことだ。




2021年12月10日金曜日

愛する人あるいはMother, Father and Child

ロドリゴ・ガルシア『父ガルシア=マルケスの思い出――さようなら、ガボとメルセデス』旦敬介訳(中央公論新社、2021)



僕はこのスペイン語版Rodrigo García, Gabo y Mercedes: Una despedida, Traducción de Marta Mesa (Random House, 2021)を手に入れて書き出しの2,3ページを読んでいたのだが、そこから先に読み進む前に邦訳が出た。しかも僕はてっきりこのスペイン語版が原版だと思っていたら、英語が原典だそうだ。訳者あとがきを見て改めて見返しみたら、確かに、スペイン語版にはMarta Mesaの翻訳だと書いてある。英語原版もスペイン語版も、そして日本語版も2021年刊。


ガブリエル・ガルシア=マルケスの長男ロドリゴ・ガルシアはアメリカ合衆国に住み英語で映画を撮る映画作家だ。さすがに映画作家らしくⅤ章32節からなるその父と母の死の記録はVつのシークエンスと32のカットと言いたくなる長さと切り取り方だ。Iでは入院し、もう先行きが短いことを告げられたガボを家に引き取り、静かに死なせる覚悟をする話、IIはそうやって引き取った自宅でガボが死ぬまでの話。IIIは火葬までの話。IVが弔問客たちのことやBellas Artesでのお別れの会など、残された者がいかに死者を弔うのかの話。Vではガボの6年後、2020年のメルセデスの死の話。


ガボの認知症のことや彼の仕事のことなど、子供ならではのいろいろなエピソードが語られる。『百年の孤独』のエピソードそのもののような話も出来する。ロドリゴ自身が父の語りをまねるように、「彼ら(ガボとメルセデス:引用者注)の結婚式の日、今のこの瞬間からは五十七年と二十八日前になるが、時刻としてはちょうど同じころ」(69)などと書いたパッセージにも出くわす。その父の息子というよりは、既に映画作家として優れたキャリアを積んだ者ならではのストーリーテリングだ。ロドリゴの語りだから、ロドリゴの映画らしく、父と母への気遣いというか、眼差しが胸を打つ。


けれども、何よりも今の僕にとって響くのは、延命治療をせず、自宅に引き取る決意をするガボの家族の決断だ。メルセデスと同年で、まだ生きているものの、先日も入院して、一時は生命の危機が危ぶまれた母を持っているので、つまり、身につまされるのだ。僕の気苦労はその親が有名人であるがゆえにその対処にも気を遣うロドリゴのそれには及ばないものの、彼が相談したという医師のせりふは僕にもつらい。「何があっても絶対に病院にもどさないことだ。病院生活は、君ら全員をうちのめすことになる」(17-8)。このせりふに、むしろうちのめされる。



ブログのタイトルは、もちろん、ロドリゴの作品からのもじり。

2021年12月9日木曜日

ティッシュは逆さに吊すとボックスから引き出しにくいって知っていたか?

先日報告したとおり、ダイニング・テーブルを買ったわけだが(リンク)、その日の報告に添えた写真のランプ(これは以前から持っていて、ベッドサイドで使っていたもの)だと光源が低いので、ここで作業するには不向きだと思ったので、これ:



実は土台はスマートフォンの接続型充電器にもなっているというすぐれもの。



こんな感じの明かり(昼間なので雰囲気が出ない)。この写真には写っていないが、以前の丸型ランプはステレオの隣に置くことにした。


写真を撮るのを忘れたが、こんなもの(リンク)も買ってみた。テーブルの下に取りつけて物置代わりにする。穴が開いているので、ティッシュ・ペーパーの箱を置き、下から取り出すこともできる。下から取り出すことは難しいけれども。


ところで、数日前の外出時についでに買ったものが、これ:



リーヴァイス505。31インチ。


昨年の7月に、僕はこんなことを書いた(リンク)。そして念願叶い、2インチ縮め、往年のウエストを取り戻したという次第。実際は、かつてはもう少し余裕があったように思うので、これが以前のようななじみ方をするようになるといいのだが……


ともかく、冬はジーンズにジャケットという出で立ちが多くなる。グレーのヘリンボーンのジャケットなどはジーンズによく合うように思うのだ。


2021年12月7日火曜日

詩人は21歳にして死ぬ

ペルー映画祭@K’s シネマ(椅子がゆったりですてき♡)で観た:


ハビエル・コルクエラ『ある詩人への旅路』(ペルー、スペイン、2019年)


ペルーのランボーになる、21歳まで詩を書いて、やめる、と言って実際に21歳でやめた……のではなく死んだ詩人ハビエル・エローJavier Heraud (1942-63)の生前、キューバから母親宛に書かれた手紙をきっかけに姪(なんというのだろ、孫姪だ。sobrina nieta)に当たるアリアルカ・オテーロが、親戚やエローの元恋人、友人、戦友、死の証言者らをたどって彼の人生を再構築する。


カトリカ大の学生時代に最初の詩集 El río を出版したエローはパリに留学するなどした後、「詩人の家」というのを組織し、ネルーダら先達と交わり、友人たちとグループを組織した。キューバに映画を勉強するとの理由で行き、ゲリラ訓練を受け、ペルーの国民解放軍に参加、アマゾン地帯のプエルト・マルドナードで国軍に射殺された。


詩を志す青年として、イタズラ好きな青年で、でも写真に写るときは常に真顔だった人物として、わずか18歳で最初の詩集を出した早熟な詩人として想起されるエローが、やがてゲリラ戦士として、国民解放軍の同士として語られていく。そして最後には、プエルト・マルドナードを訪ねたオテーロに対して、当時エローに食事を供した者や銃撃を目撃した者、死体を運んだ者たちが証言する。


証言者によって少しずつ情報が異なる。エローが受けた銃弾を11発という者もいれば19発と言う者もいる。銃撃の瞬間をカメラに収めた写真家の未亡人は、一部のネガを現像せずに保存しており、自分が病気になったらそれを焼き捨てるつもりだという。武器をもっていなかったとされるハビエルが武器を手にした写真などもあるのだと。記憶よりも感情としてハビエルは存在すると言う者がいれば、感情ではなく記憶が残っているのだと言う者もいる。こうした記憶と感情の歴史が実に興味深い。


ハビエル・エローについては、ほぼ同時期、フィクションとしての映画も撮られているようだ。エドワルド・ギヨー監督『ハビエルの情熱/受難』(トレーラー)


終映後、ロビーではおそらくこの映画祭を組織した長沢義文さんだと思うのだが、エローの第一詩集『川』のレプリカ(コルクエラのあとがきつき)を観客に見せていた。あげることはできないけれども、手に取ってみるだけでも、と。



上映前、少し時間があったので、近くのブルーボトル・コーヒー・ショップで。

2021年12月6日月曜日

無事終了

報告が遅れたが、12月4日(土)には立教大学の第54回現代のラテンアメリカでの佐藤究さんとの対談を終えた。


最初、僕が『テスカトリポカ』の内容を紹介して、書評に書いたことをかいつまんで紹介、コルタサル「夜、あおむけにされて」を引き合いにだしたので、その書評を補足する形で『テスカトリポカ』内でコルタサルを想起させた場所を紹介したりした。こういう前置きは少し長かったかもしれないと反省。


ついでに僕がアステカイザーを挙げたところからプロレスの話にもなり、少し脱線したりしながら、発想としてのコーマック・マッカーシーのこと、どうやら佐藤さんが拙著『テクストとしての都市 メキシコDF』をかなり参考にしてくれたらしいこと、友人の丸山ゴンザレスさんの『世界の混沌を歩く』なんて本も挙げていた。そして僕はそれをいただいたのだった。それから同じく丸山ゴンザレス『González in New York』なども。


丸山さんがエスコバールのカバに興味を抱いているとの話が出たので、ついでにバスケス『物が落ちる音』拙訳、の紹介もしてしまった。


僕はElmer Mendozaの名前も挙げようと思ったのだが、忘れていた。人前で(といっても今回はヴァーチャルだが)話すといつもそういう後悔が残る。


でも、佐藤さんから、実は詩がやはりなによりも一番に来るべきだと思うとの意見を引き出せたことは最大の収穫ではないかとひそかに自負しているのだ。


ところで、話はそれるが、話がそれて行きそうになったとき、僕が、ここは池袋だから、立教大学だから、すぐ近くには元・極真会館総本部、現・大山倍達記念館がある、格闘技のメッカなのだから、かまわないのだ、と冗談を言ったら、佐藤さんは緑健児に会ったことがあるが、ひと目見た瞬間に強いとわかる人であった、と返した。緑健児は大山倍達の死後、案の定分裂した極真会館のうち新極真会の代表だ。で、思い出したのだが、先日、母の家に行ったときに、奄美空港の荷物を載せるカートの広告がことごとく「新極真会 緑健児道場」であった。さすがにそのことは言わなかったけれども。



やはり作業用机をダイニング・テーブルにするのは収まりが悪い。近所の家具屋に入ってみたところ、色合いといい大きさといいぴったりのダイニング・テーブルがあったので、買ってしまった。しかもだいぶ安く! 



むふふ。いい感じ。

2021年12月3日金曜日

気ぜわしいことばかり

ジャン!



みき  である。米とサツマイモ発酵させて作った飲み物。アルコールはない。しかし発酵が進むと酸っぱくなる。酸っぱくなりかけがいちばんうまいと言われている。僕は個人的にはオルチャタ(どこの国のオルチャタも同じものなのか知らないので、メキシコのそれである)に似た飲み物と説明することにしているのだが、残念ながらオルチャタを知らない人のことがおおいので、伝わらない。


ともかく、みき、である。故郷に人的なものをのぞけばしがらみなどないはずなのに、ついつい手にしてしまう飲み物なのだ。


今回は、そのしがらみのある人間関係のために母の家に行っていた。要するに老母のさまざまな世話である。一度は衰弱して命が危ないと思われたので飛行機の座席を予約したのだが、持ち直した。持ち直したはいいがリハビリ後、独居は難しいかもしれず、何らかの介護施設に入ってもらうことになるのだろう。そんなことの相談で訪ねていったのだ。一泊で。


そして帰りの空港で、いつものようにみきを飲んでしまった。


そして、明日は、いよいよ、これだ:



聴いてね。

2021年11月28日日曜日

既成の規格からの自由について

昨日は博士論文の審査であった。僕は主査なので司会をし、かつ、これから報告書をまとめなければならない。


TVをアンテナに接続することをやめ、書斎コーナーを小さく区切ることをやめて、生活がだいぶ楽になった。


本当は今の家に越してきたときには遅くとも気づくべきだったのだ。何しろ古い家だから、たとえば電話回線は玄関についている。そこには電源がない。つまり、かつての、黒電話を玄関の下駄箱の上に置くという生活様式に即した配線になっていたのだ。TVのアンテナも寝室に使っている部屋の壁から引かなければならなかった。


僕らはLDKにはダイニングテーブルとソファがなければならないという思いにとらわれすぎている。書斎や仕事部屋には書き物机(テーブルmesaではなく、書き物机/勉強机escritorio)がなければならないと思い込みすぎている。表通りに面したベランダに洗濯物を干さなければならないのだとの思い込み(家の構造が強要してくる思い込み)からは自由になったはずの僕も、これらの思い込みにとらわれていることに気づかなかったのだ。


かつてデリダの書斎を記録映画でみたことがある。ずっしりとしたダイニング・テーブルのような広いテーブルに本をたくさん載せていた。――1


いつだったか、たまたま見ていたあるTV番組で、ある女優(山口智子だったと思う)が自宅のリビングには大きなテーブルがあると言っていた。そこでくつろぐのが好きだと。つまり彼女にとってはくつろぐ場所はソファである必要はない。――2


僕も今よりはるかに広いLDKのある家に住んでいたことがある。あまり大きくないダイニング・テーブルと、ちゃんとしたソファがあった。でも思い返してみると、僕はソファでくつろいでなどいなかった。ダイニング・テーブルに座ることが多かったのだ。――3


リビング・ダイニングの充分でない家にはロータイプ、ソファ・タイプのダイニング・テーブルがお薦めですよ、という売り文句に吊られ、それに類するものを使っていたことがある。悪くはない。本当はそのときに気づくべきだったのだ。要するに僕はソファでくつろぐことができないのだと。――4


ところが、このソファ・タイプのテーブルを手放した時点で、自分が単にそのソファに馴染まなかっただけなのだと気づいてはいなかった。


鎌田浩毅『新版 一生ものの勉強法――理系的「知的生産戦略」のすべて』(ちくま文庫、2020)は、仕事場の机をダイニング・テーブルにしているという。椅子もダイニング・セットの椅子で充分。「リラックスするためのイスと勉強のためのイスは、それぞれ使い分けるべきだと思います」(106)とのこと。


ジェニファー・L・スコット『フランス人は10着しか服を持たない』神崎朗子訳(だいわ文庫、2017)のシックなマダムのリビングには「クッションの並んだ大きなソファもリクライニングチェアもなければ、薄型テレビの巨大スクリーンもなし。その部屋に置かれていたのは、アンティークの4脚のアームチェアだった」(22)。


これだけの前提(1-4)と情報を得ていながら、僕は自分の欲しているものに気づくのが遅かったと臍を噛む次第である。僕が必要としていたのは、1)広いダイニング・テーブル(80cm × 150cmくらい)もちろん、ダイニング用の椅子つき、2)モニターやマックなどを置く作業台(天板の高さは1メートル。下は引き出しなど)、3)くつろぐためのラウンジ・チェアだけなのだった。


で、それに気づいた僕はこんなこと(リンク)こんなこと(リンク)、さらにはこんなこと(リンク)をしたのだった。


結果、今は1)作業用兼ダイニング用のテーブル(75cm × 120cm)可動式天板で、63cm - 130cmくらいまで変わる、2)モニターなどを置いている書き物机(60cm × 110cm)、3) 折りたたみ式の簡易ラウンジ・チェア(その他、折りたたみ式のパイプ椅子やディレクターズ・チェアらがある)、4)キャスター付き、リクライニングもする作業用椅子。今はほとんどリクラインしてリラックスするのに使っている。この4)は、究極的には要らない。以上の体勢は理想とは少しずれるが、次に買い換えるときにでも修正していきたいものである。



MacBookAirは3)か4)のリラックス用の椅子で文字どおりラップトップで使ったり、1)で立ったり座ったりしたりしながら、あるいは2)でモニターに繋ぎながら、と多様に使うことによって気分転換になり、以前より少しだけ仕事がはかどっているような気がする。


頭脳の延長である部屋のあり方、欲望の形、自分のスタイルを見出すというのは、ずいぶんと時間のかかることなのだなあ。

2021年11月22日月曜日

みなさん、どうしてる?

本は個別の生命を持つので、それとのつきあい方も一様ではない。読み方や使い方は一冊ごとに異なる。


それでも大雑把な分類は可能ではあるし、類型化はされることもある。


長篇小説とのつきあいはなかなか難しい。もう何度も挙げている書名だが、アドラー&ドーレン『本を読む本』外山滋比古、槇未知子訳(講談社学術文庫、1997)では「小説は、一気に読むものである」(208)と端的に命じている。「速く読むこと。そして作品に没入して読みふけること」(209)と。


まあ、そうではあるのだが、それでも2日、3日と時間がかかることがある。あるいはもっとかかることがある。長さの問題もあるが、やはり1日で読み終えるのに適したものと、数日、数週間かけても大丈夫なものとがある。『カラマーゾフの兄弟』や『ファウスト』は、僕の場合はだいぶ時間をかけたけれども(1月くらい。しかも、途中、中断をはさんだ)、特に問題はなかった。


日数が必要(もしくは、かけても大丈夫)だと見た場合は、だいたいの目安で、1日に50ページとか100ページとか、あるいはページ数ではなく章数を決めて読み進むことにする。あくまでもだいたいだ。超過してもかまわないし、目標に達しなかったからといって気に病むことはない。


さて、問題は、そのように時間をかけることにして読んだ小説でも、最後はだいたい2日分、3日分を一気に読んでしまうことになるということだ。100ページずつ、今日と明日で読んでしまうつもり、だったのが、一気に200ページ、今日で読み終わり、という感じになるわけだ。


何が言いたいかというと、前回もほのめかした佐藤究『Ank: a mirroring ape』(講談社文庫、2019)を(これも今回は中断があった)あと2、3日かける予定だったのだけど、昨日のうちに読み終わったということ。鏡と言語が問題になる小説で、最後にナルキッソスとエコーの神話を持ち出してきた時には虚を突かれる思いであった。同時に僕はミゲル・アンヘル・アストゥリアスを思い出したりしているのだから、来週への心の準備が整いつつあるということ。


で、話を戻すと、そのようにして、最後は結局一気に読むことになるのは、もちろん、あくまでも1度目の読みの話であって、上のようにコメントしたりそれを広げたりするために/することによって、2度目、3度目の読みをすることになるわけなのだが、中にはそうしないものもある。1度目の読みで終わるものもある。その1度目の読みで、最後だけスパートをかけたとなると、何か濃淡の差、読みの濃度の差がそこに出るのではないかと、常になんだか後ろめたいような気になるのだな。


……でもまあ、気になるようなら2度目を読めばいいというだけのことか? みなさん、どうしてる? どんな時でもペースを守る? 



今日もこうして読んでいる(写真はイメージ)。

2021年11月20日土曜日

記憶の神秘についてもうひとこと

立教ラテンアメリカ研究所のサイトでは講演会情報が更新され、僕らのトークのお知らせが載っている(リンク)


少し前にFacebook上でかつての教え子たちが何やら事前にシェアしていたのだが、昨日、フジテレビ「爆買い☆スター恩返し」という番組で鈴木亮平が学生時代に住んでいた調布と、それからついでに通っていた東京外国語大学である決められた額の買い物を一日でできるかという試みをやっていた。サイコロを振って出た金額は70万円。


鈴木亮平は東京外語大の英語専攻出身で、だから大学近くのアパートに住んでいたという次第。そこで劇団ダダンというサークルのOBである鈴木が、後輩たちに大道具を作るための工具類を買ってプレゼントするというシークエンスがあった。それを観た同期の友人が、そういえばダダンというのは僕らのスペイン語学科(当時)の先輩が立ち上げた団体ではなかったか、とMLで問い質してきた。


はっきりとは覚えていないのだが、ともかく、そういうことが
話題に上ったので、確かめたところTVerで配信していたその番組を僕も観ることになった。


大学のことや劇団のことはともかくとして、気になったのが、ごく最初のころに出て来た一情景。鈴木亮平がここでアルバイトをしていたのだ、と立ち止まったのが、今はなきあるレストランバーが入っていた、調布駅近くの建物。その映像がどこか僕の記憶を刺激した。



そう。そこはかつて僕が外語大で勤めていたころ、教え子たちと一度だけ行ったことのある店なのだった。思い立って過去の写真を見てみたら、外観の写真はなかったけれども、店内のロゴが鈴木亮平が名前を告げていたその店の名と同じだった。写真の情報によれば2011年8月8日、僕はそこに行ったのだ。たった一度だけ行った店をよくぞ思い出したものである。何枚か撮った写真に鈴木亮平は写り込んでいなかったけれども(もう卒業はしていたはず。『HK/変態仮面』で名をあげる前ではある)。20歳を少し過ぎたばかりの若い女性ふたり(あ、つまり、教え子)とまだ40代の僕はしっかり映っていた。そして料理や酒のグラスも。


そんなわけで、同期の友人たちと、Facebookでその番組についての情報を共有していた教え子たちと、そのお店に一緒に行ったふたりの女性(あ、つまり、教え子)たちと、そしてやはり鈴木亮平がその番組内で立ち寄った深大寺そばの店〈湧水〉の思い出を共有する者たちと、昔話に花が咲いている……というのは大袈裟か? 



一番下のBookNoteを10月に使い終え、次のMoleskineを使っているのだが、紙質が変わったのか、万年筆の裏染みが多くなった。以前使ったことのあるMDノートの新書サイズというのがいい感じだと思ったので、次はこれを使ってみたいと思う。一番手前にあるのは福田和也をはじめ、愛用者の多い伊東屋の手帳のリフィル。母の家に行ったときに使ってみたのだが、悪くはないけど、これはさすがに僕には小さすぎる。あくまでも旅行用と考えよう。

2021年11月19日金曜日

情報解禁

先日、類人猿についての小説を読んでいると書いた(リンク)。


それはつまり、佐藤究『Ank: a mirroring ape』(講談社文庫、2019 / 単行本は2017)のことだった。京都にできた民間の霊長類研究所のチンパンジーが引き金となって起こる謎の連続暴動事件の小説だ。面白い。


ことしの初頭、同じ作者の『テスカトリポカ』(KADOKAWA、2021)を読んで書評を書いたことは紹介済み(リンク)。その佐藤さんと、こういう



催しをやるのだ。立教大学ラテンアメリカ研究所(リンク)主催の第51回「現代のラテンアメリカ」講演会。講演というよりは、対談。対談というよりは、インタヴュー、かな? 


前に書いたように、『テスカトリポカ』はメキシコの麻薬カルテルのボスだった人間がインドネシアを経て川崎で闇ビジネスを行うというもの。そのボスの脳裏にすり込まれるアステカの神テスカトリポカの影、そしてそのボスと関係を持つことになるもう一人のメキシコ系の住民、……といった筋立て道具立てがメキシコに関連しているというので、ラテンアメリカ研究所としては、これは話していただくにしくはないと考えたのだろう。僕が話を聞き出す係となったという次第。


他の佐藤作品も読んで、どれも面白いので、僕も楽しみにしているのだ。


ところで、翻訳中の小説にオリヴァー・サックスが出てくるので、昨日はペニー・マーシャル監督『レナードの朝』(1990)を観た。サックスの本をドラマに作り直して映画化したものだ。第一次大戦後に流行した嗜眠性脳炎(ねむり病)とパーキンソン病との共通点に気づいた医者が後者のための新薬Uドーパを投与したところ、多くの患者が一時的に回復したという事例を物語化してロビン・ウィリアムズとロバート・デ・ニーロとで実現したもの(※)。


二次情報に多く触れているし、原作本にも目を通しているので、すっかり観た気になっていたが、初見であった。


映画や本にはそういうことがよくある。二次情報をたくさん得ているため、観た/読んだ気になる。そして時間が経つと忘れることも多いから、実際に観た/読んだものも観た/読んだんだかそうでないのだかわからなくなる。でも案外、映像に触れ、ページを開いた瞬間に、ああこれはたしかに既に知っていると記憶が甦ったりもする。そう考えると、数日前に記した(リンク)、何本観たかという問題はますます特定が難しくなるのだ(そしてもちろん、何冊読んだかという問題も)。


佐藤さんとの対談に際してはコーマック・マッカーシー原作の映画なども再見しておこうかと思う。でもそれはひょっとして初見なのか? 



おととい作った茄子のトルティーヤ(エスパニョーラ)。


(※ 当初、間違えて「パーキンソン病」であるべきところを「アルツハイマー」と書いていた。ご指摘を受け、訂正)