2011年12月31日土曜日

日記

皆、今年の3冊、なんてなことをブログで発表したりしている。ぼくは、年をまとめるなんてするまいぞと思う。

その代わり、一番最近の収穫。アルフォンソ・レイェスの『日記』全7巻中の最初の3巻。

レイェスの日記はかつてグワナフワト大学出版会から出ていた。ぼくがレイェスを読み始めたころには、しかし、1969年刊のその本は手に入らなくなっていた。したがってぼくは日記をコピーで読んだ。しかもその日記は1930年までのもの。この7巻本の第2巻までの部分だ。

まだすべての配本が終わってはいないが、この新しい校注による日記の完全版、これはとても楽しみに待たれたもの。

たとえば1926年12月12日にはパリにあったレイェスをポール・モランが訪れ、今度メキシコに行くし、ついでにニューヨークにも行って黒人についての小説を書きたいのだが、と言ったので、それならぜひキューバにも寄れと、レイェスがアドバイスする。1月16日には今度はレイェスがモランを訪ねてメキシコでどこに行けばいいというような話をする。そしてついでにヴァレリーに挨拶を、……なんて記述に満ちているのがこの日記なのだ。

付録や注なども充実。レイェスの周辺の人物は一読の価値ある日記だと思う。

2011年12月28日水曜日

想像力の変質について

サンティアーゴ・パハーレス『キャンバス』木村榮一訳(ヴィレッジブックス、2011)

もう何年も前に筆を折ってしまったが、その功績において名高い名画家エルネスト・スーニガが、自分の財産の管理のようなことをしている息子のフアンを通じて持ち絵をオークションに出す。それをプラード美術館が落札する。この美術館が生きた作家の作品を買うのははじめてのことだ。それだけの価値のある画家なのだ。これはたいそうな話題になった。ところが、除幕式の日、エルネストはその絵の瑕疵に気づき、息子にあの絵を描き直したいと言い出す。息子は、当然、断る。そこでエルネストは自分の学校時代の先生で、贋作画家としての顔も持つベニートに相談を持ちかける。ベニートは美術品の盗難を生業とするビクトルに話しを持ちかける……

帯には「驚異のストーリーテラーの真骨頂」とある。「精緻な構成力/圧倒的な筆力/心震えるラスト」とある。ストーリーの面白さがウリの小説なのかとの予断を、読者は抱く。実際、上のようにまとめたストーリーは面白い、いくつかどんでん返しも用意されている。

しかし、この作家を読んでぼくが感じるのは、ストーリーの巧みさではなく(いや、巧みではあるので、それはそれでいいのだが)、むしろ、ある種の設定の作り方、トポスの作り方の特徴だ。たとえば、絵を描き直したいと言い出したエルネストを諭すために、フアンがプラード美術館の館長に掛け合い、館長はふたりの訪問を受ける。その場面。

 開館前の午前八時四十五分にゴヤの『カルロス四世の家族』の絵の前で会うことになった。(78ページ)

ぼくはこの一文を読んでぶっ飛んでしまった。これはもう小説の時空間というよりは演劇的、いや映画的演出だ。このシーンの視覚的要請によってこうした設定が可能になっているのだ。

これがパハーレスのみの特徴だとは思わない。恐らく、前々から少しずつ気づきつつあったようには思う。映画的想像力が文学的想像力に先立ってあるのだ。この現象は、何かじっくり考えてみる必要があるのではないか?

2011年12月23日金曜日

みーんな悩んで大きくなった

イラン・デュラン=コーエン『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』(フランス、2006)

意外にサルトリアンなのだよ、ぼくは。といっても、サルトルの書いた本やサルトルについて書かれた本を数冊読んだという程度の話だが。そしてまたカルペンティエールやらバルガス=リョサやらといったサルトリアンも読んでいるという程度の話だが。

で、なんだかみんなが真剣にサルトルの書いた本の内容についてばかり語っていることが腑に落ちなかったのだ。サルトルが流行らせた実存主義という言葉が、ファッションの用語でもあったということ、つまりモードであった、流行であったということが置き去りにされているような気がしていたのだ。少なくともメキシコでは、実存主義はモードだった。とホセ・アグスティンが言っている。

『サルトルとボーヴォワール』が成功しているのは、この二人の作家の関係を気難しく哲学的に捉えようと躍起になることをせず、これがモードなのだということを示しているところだろう。ジャズが流れる(ジャンゴ・ラインハルト風のギターの入ったトリオの生演奏)酒場、どこぞのサロンでのパーティ。原題を『カフェ・ド・フロールの恋人たち』というわりに、フロールよりはそうしたシーンが印象的だ。

少なくとも、メキシコでのモード用語としての実存主義は黒いスーツに尽きるらしい。そうホセ・アグスティンが書いていた。サルトルは実際、黒か濃いグレーのスーツを、年に5着あつらえ、とっかえひっかえそれを着ていたそうで(つまり着替えているのにいつも同じスーツに見える)、そのわりにロラン・ドイチェマン演じるサルトルの服は多様に過ぎたように思うが、でもそれも、モードとしての彼の存在を誇示するのに役立っていたというべきか。

とはいえ、この映画はボーヴォワールに焦点が当てられているというべきで、そこが第二の成功点。友人の死で結婚のイデオロギーに帰着するブルジョワ嫌悪を植え付けられ、サルトルによって自由の希求を開眼され、ネルソン・オルグレンによって『第二の性』の視点に目覚め、最後は自身とサルトルの神話に殉じる決意をする。思うにとても多義的で複雑な印象を与える役だ。ヤン・クーネン『シャネル&ストラヴィンスキー』でココ・シャネルを演じたアナ・ムグラリスは、すっかりモダンな女性の代名詞となりそうな勢いだ。

ちなみに、この文章タイトルはサルトルを読む以前からぼくらの世代の者の脳裡にへばりついたひと言。サルトルと言えば、野坂昭如の声と、このひとこと。昨日、学生と話していてこのセリフを言ったら、当然のことながらわかってくれなかった。

2011年12月18日日曜日

セレンディッポの王子さま

昼間(日付が変わってしまったが)読んでいたセサル・アイラの小説『試練』(César Aira, La prueba, México, Era: 2002 /1992)にこんな小話があった。

老いぼれスペイン人がやってきて、彼(ポルセル)にサン・フェルミンの祭りでの経験を話した。牛が放たれたので彼も走り出した。彼は走った。すると後から牛が追いかけてきた。彼が前、牛が後だ……ある角に来たところで、王が通りかかった。良き廷臣である彼は王にお辞儀をした……すると牛は……そこで太っちょポルセルは訊いた。そんなに早くかい? その前に酒に誘うこともしなかったのか? (24ページ)

こんなところを読んでいたからだろうか? 夜、ある情報を探して昔のノートを捲ったら(といってもPDF化されたものを見たのだが)、大学2年生のぼくが、ある人物と話していて、うん、やっぱりなんか礼儀正しく、最初はデートに誘うところからはじめるべきじゃないかな、とアドバイスしたという記述があった。

ふむ。シンクロニシティだ。セレンディピティだ。

ところで、この小話の意味、わかるだろうか? 

「もちろん」とマオが言った。「牛が角を尻に突っ込んだのよね。それがおかしいってのなら……」(24ページ)

この小説でセサル・アイラは ¡¿ ?! という配置を採用していた。 !?ではなく。

2011年12月16日金曜日

カラカス宣言6

カラカス宣言

9. ラテンアメリカおよびカリブの声を揃え、グローバルな規模の集会や会議においても、他の地域や国との対話においても、大きなテーマについて議論し、重要な出来事に対する当地域の位置を明確にしていくことを決意すること。


今日は年内最後の金曜日。金曜日は卒論ゼミのある日。ということは、卒論を執筆する学生にとっては最後の授業。ぼくの務める大学は卒論が必修なので、学生たちはこれから1月5日、6日の提出日まで根を詰めて執筆に取りかかることになる。がんばれ、というしかない。

何年か前にそうした苦労を潜り抜け、今では働いている卒業生からの連絡。企業説明会に関係してのこと。

2011年12月15日木曜日

カラカス宣言5

7. ラテンアメリカとカリブが政治的、経済的、社会的、文化的に統一され統合されることは、ここに代表を選出している諸国民の基本的な望みだが、それにも増して、地域としての我々の前に差し出された危機にうまい具合に直面するためにも必要なのであると納得すること。

8. ラテンアメリカおよびカリブにおける独立の先駆者たちの200年祭を祝うことは、我々が結束するのに格好のきっかけであり、ラテンアメリカ、カリブ諸国家共同体(CELAC)のスタート地点となることを自覚すること。

2011年12月14日水曜日

カラカス宣言4

カラカス宣言

6 国際的経済・財政危機が我々の地域に対して目の前に差し出す難問に意識的であること。この難問は、社会的に繋がっていたい、だれも平等に、かつ持続可能な発展をともなって大きくなりたい、そして統合されたいという、我々にとっては当然の欲求に対する挑戦であるのだと。

「持続可能な発展」などを盛り込んでいるところは、この宣言の新しさだろうなと思う。うむ。この辺はとてもいいのじゃないだろうか。

2011年12月13日火曜日

漱石をめぐるプルースト的記憶?

先日、関川夏生が『坊ちゃん』はずいぶん悲しい小説だと力説しているのを聞いた。「無鉄砲」の例として、冒頭近くにナイフのエピソードが出てくる。関川はそれを「切れないだろうというから『坊ちゃん』は親指を切るわけです、それが骨まで達したとある。このひとは危ない人ですよ」と言っていた。

気になったので、『坊ちゃん』、当該の箇所を見てみた。漱石というのはずいぶんとうまい書き手だな、と改めて感心した。

親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないといった。切れぬ事があるか、何でも切って見せると受け合った。そんなら君の指を切って見ろと注文したから、何だ指位この通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸いナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。(岩波文庫、7ページ、ルビを削除)

「骨まで達した」とは決して言っていない。「今だに親指は手に付いている」というのだ。唸らせるじゃないか。そしてこの小説が悲しいというなら、直後、「しかし創痕は死ぬまで消えぬ」の一文が悲しい。

この第1章、主人公が女中の清(きよ)に見送られて東京を発つところで終わる。ずっとプラットフォームに立って見送る清を見て、主人公が「何だか大変小さく見えた」と慨嘆するところで終わる。

ここを読んだ瞬間、ぼくははじめてこの小説を読んだ30年以上前のわが家の、ぼくが主に読書していた部屋のじめっとした感じや、西日の暑さを思い出した。ぼくにとってのコンブレーの屋敷のクローゼットの中だ。忘れている細部も多いというのに、この一文だけ(いや、もちろん、だけではなないのだが……)は、ぼく自身が自分が大人になったと感じた日の記憶とともに思い出したという次第だ。

2011年12月10日土曜日

カラカス宣言3

「カラカス宣言」

4 チリとベネズエラが共同議長を務め、開かれた構成によって創設されたCALCとリオ・グループの共同フォーラムに歓迎の意を表すること。これがCELAC創設手続きのすばらしい文書の作成を促し、2010年7月3日のカラカスにおける大臣声明を実行に移すことを可能にした。

5 2010年7月から2011年4月にかけて、カラカスで開かれた外務大臣会議が達した合意とその達成の重要度を認識すること。ベネズエラが議長となってCALCで行った社会、環境、エネルギー、財政、商務専門大臣会議も同様に重要である。


こうして訳してみると、CELAC創設にいたる過程をきちんと追っていたわけではない身としては、細部に不安を感じるな。まあこの辺の事実との突き合わせは、おいおい、やっていこう。

今日も2つ訳したのは土日は仕事で埋まるから。今日は日本ラテンアメリカ学会東日本部会研究会。その後は私的な用があるわけだが。で、ともかく、明日は大学の業務だ。やれやれ。なんでこんなことで駆り出されなきゃならないかね……という業務。ぼくに仕事をする時間をくれ。

2011年12月9日金曜日

カラカス宣言2

きのうさぼったので、今日は2項目。「カラカス宣言」、第2弾。

2 1986年12月、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで創設された、地域的かつグローバルな一連の政治課題の中心テーマを協議し、政治協定とするための常設機構――リオ・グループ――の貴重な貢献を認識すること。そしてまた機構はわが諸国の最も高次の野望にも好意的であった。それがこの地域の協働のみならず統合と発展にも弾みを与えてきたのだった。そしてその結果が、2008年12月ブラジルのサルヴァドール・デ・バイーアで創設されたCALCに結実した。

3 ラテンアメリカ、カリブ統一サミットの宣言(メキシコ、リビエラ・マヤ、2010年2月23日)を再確認すること。特定するならば、わが地域の33の主権国家を含むラテンアメリカ、カリブ国家共同体(CELAC)を建設するとの決定を。

2011年12月7日水曜日

カラカス宣言1

ある方にあるところで、「カラカス宣言」を訳せと言われた。

なるほど、いい考えだ。

……でもなあ、ぼくは約束だけしてなかなか進まない翻訳原稿など抱えているのだよなあ。これ、訳している暇ないな。

しかたがないから少しずつ、1、2項目ずつやっていってみよう。飽きないで続けられるかな? 原文はここで取得。

カラカス宣言

独立闘争200周年記念の年に

我々の解放者たちの道に向けて

1 ラテンアメリカおよびカリブ諸国の国家元首ならびに政府首班は、2011年12月2日から3日にかけて、ベネズエラ・ボリバル共和国カラカスに、第3回ラテンアメリカ・カリブ諸国統合と発展のためのサミット(CALC)、さらには第22回リオ・グループ・サミットとして、ベネズエラ独立200周年記念の年に、解放者シモン・ボリーバルの歴史的偉業を記念し称えるために参集し、以下の合意に達した。


訳注)リオ・グループ: 1986年12月31日、アルゼンチン、ブラジルなど8ヶ国で発足し、毎年会合を持つことを取り決めたラテンアメリカの地域連合。

今日はここまで。

2011年12月6日火曜日

積年の夢

12月の2日と3日に開かれたラテンアメリカサミットでカラカス宣言が採択され、ラテンアメリカ、カリブ諸国家共同体Comunidad de Estados Latinoamericanos y Caribeños (CELAC)が発足した。日本のテレビなどではこれを「シー・イー・エル・エー・シー」と読んでいるところもあったが、スペイン語圏の報道では「セラック」と読んでいる。

そういえばぼくは『ラテンアメリカ主義のレトリック』などという本を書いて、「ラテンアメリカ」がひとつであるとする言説の生成と変遷を分析したのだった。そこで「市場のブロック化が進んだ後に、再び古い物語が立ち上がり、ラテンアメリカの国民としての統一が唱えられないとも限らない」(96)と書いたのだった。そんな身としては気になるじゃないか。

カラカス宣言、読んでみた。

リオ・グループやCALCの達成を踏まえること、などといった前提を置くところ、「統一と多様性」を重視すること、国際社会の司法=正義に敬意を払うこと、国際的経済・金融危機がもたらす将来の危機に対処すること、などを掲げることによってこれは、新しい形の統一を目指しているようにおも思える。

一方で、独立戦争200周年を視野に入れていることやシモン・ボリーバルの思想を想起させることによって、またぞろナショナリズムの拡大版としての「古い歌」のようにも思える箇所がある。そこに、トゥーサン・ルヴェルチュールによる革命を端緒とすることが盛り込まれることによって、しかし、この「古い歌」も調子が変わっていることがわかる。「カリブ」を置くことによって、もはやスペイン語圏の統一、といった夢を描いていないことがわかる。33ヶ国参加というから、当のハイチその他、アンティール諸島の島々もこの共同体には含まれるのだろう。言語による統一という夢は前面に押し出されてはいないのだ。

けだし、「統一と多様性」、「ひとつであることとたくさんであること」、「多様性における統一」を掲げたことが、この宣言のひとつの見どころだろうと思う。対話の場であるこのCELACの向こう3年分の開催地までを明記して宣言は結ばれている。

まあぼくが『ラテンアメリカ主義のレトリック』を書いたのは「ラテンアメリカ」という概念がひとつの言説に過ぎない、と同時にその言説によって我々が現在「ラテンアメリカ文学」等々を論じているのだ、ということを示すためであって、つまり、もう「ラテンアメリカ」なんて言わなくてもすむようになるための事前準備なのであって、実際に「ラテンアメリカ」の共同体ができるかできないかにはほとんど興味ないのだが、でもまあ、言説には時代による修正が作用したり、それでも「古い物語」の残滓が残ったりすることが見て取れる。

これに対する対抗言説がアメリカ合衆国の側から形成されなくなれば、CELACはひとつのブロックとして有効に存在しうると思う。そしてたぶん、合衆国の側からの対抗言説は形成されない……?

2011年12月5日月曜日

pluma

モンブランのマイスターシュテュックである。軸が太い奴。おそらく、作家の名前のついたような限定もの以外、つまり、通常のラインナップのなかでは一番高いものではないか。

ぼくはこれを8年ほど前に質屋で買った。定価の半額以下でだ。

それが壊れたので修理に出していた。修理ができあがってきたので、取りに行った。もともとペン先は14Kだったのだが、今ではそれは作っていないそうで、壊れたペン先を18Kに変えた。たぶん、それだけ高いものになった。加えて吸い上げ器が悪くなっていたので、交換。

やれやれ。定価の半額より少し高くついた。そのへんの万年筆などよりも高くついた。

やれやれ。

でも書き心地はいいのである。最高なのである。ま、これと引き替えなら、しかたがないではないか。また10年しか保たなかったとしても、その間にそれ以上のものをこのペンで産み出せばいいのである。

2011年12月4日日曜日

京都で目覚める

3日(土)には2週連続の講演@京都外語大。この大学の出身者などが作る京都イスパニア学研究会にて。雪山行二さんによるゴヤのお話の前座(とぼく自身は位置づけているのだが)として。グレー・フランネルのスラックスに紺のブレザー、クレスト&ストライプ・タイなんて、まるで高校の制服みたいな格好で話してきた。

ボラーニョの描写がある希薄さによって特徴づけられること。希薄さと思えたものの一部はボルヘス的というかカルヴィーノ的というか、ともかく描写の簡略化であること。また希薄さの理由のひとつは、心象を重視するかの立場のゆえであること。心象の中心にはウインドウがあること(〈カフェ・キト〉=〈カフェ・ラ・アバーナ〉のウインドウ。クリスタル書店のウインドウ)。などを話してきた。

雪山さんはゴヤが同時代の版画などからモチーフやテーマをどれだけ得ていたかという話。ふむ。興味深い。

その晩は酔っぱらい、あらかじめ予約していただいたホテルに帰ったらすぐに寝入ってしまった。起きたときには、おれはどこにいるのだ? と思った次第。

散歩してから帰った。紅葉を見に行く余裕はなかった。

2011年11月30日水曜日

罵倒する愛

ついに出来。フェルナンド・バジェホ『崖っぷち』久野量一訳(松籟社、2011)

「ついに」というのは、松籟社の「創造するラテンアメリカ」のシリーズがついに配本開始という意味で、かつ、バジェホがついに翻訳されたという意味でもある。ご恵贈くださったので感謝もこめるなら、ご活躍著しい久野さんの意外なことに初の単独訳という意味でも「ついに」。

2003年のロムロ・ガジェーゴス賞受賞作品だ。2002年にぼくがベネズエラに行ったときに、酒場で会った批評家に最近では何か面白いのあったかい、と訊いたところ真っ先に名が挙がったのがこの作品。エイズで死にかけているホモセクシュアルの弟に会いに久しぶりにメデジンに戻ってきた兄の独白。作品中の弟の名が作者の実の弟と同名で、表紙にもフェルナンドとその弟の幼いころの写真が使われていて、自伝的な装いなのだ。泣ける。

来年度、これら新しい作品について授業で取り扱う予定なので、どこをどう扱うか、これからじっくり吟味したいところ。しかし、誰もが目にする書き出しは、すばらしい。

 ドアが開くなり挨拶もなしに飛び込んで階段を駆けあがり、二階のフロアを横切って突き当たりの部屋に押し入るとベッドにくず折れてそのままぴくりともしなかった。思うに、あいつはいずれ身投げする死の崖っぷちまで来て自分から解放され、久しぶりに子供のころみたいに安らかな日を過ごしたんだ。(5ページ)

訳者久野量一は、「あとがき」でコロンビアの作家にとって避けては通れないガルシア=マルケスとの対比を持ち出しているが、この書き出しなど、ガボと比べて豊かな比較ができそうだ。ガルシア=マルケスは最初から寝そべっている人間に死のイメージが去来する書き出しをいくつかの作品で用いているが、これはどうだ! 水平と斜め上への移動があり、暴力的な伏臥があり、しかる後に、垂直方向への落下のイメージがあって他者の死が重なる。静的なガルシア=マルケスの死とみごとに対比を描きながら、かつ、読点の少ないリズムある文章が読者に心地よく響く。

読点の少ないのは、翻訳の勝利。原文はむしろコンマが多く、それが逆にリズムを作っているのだが、翻訳は逆にすることで日本語のリズムを作っている。

いいね。

そしてまたこの小説。汚い言葉遣いが切ないのだな。久野によれば、「人が何かを憎むこと、否定することができるのは、その対象を限りないまでに愛した経験があるから」(「あとがき」、208)とのこと。

2011年11月28日月曜日

亀裂を入れる

先日、ゼミでちょっとうろ覚えで正確でないままに挙げた書が、幾人かの学生の興味を惹いたらしいので、確認。

ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』大浦康介訳(筑摩書房、2008)

そうそう。バイヤール。で、こんなタイトルであった。

本気でタイトルどおりのマニュアルだと思われてもこまるのだが、そういうマニュアルのふりして、小説や映画の中の登場人物が読んでもいない本についてコメントする場面を分析し、本は読まなくても大丈夫、と言う本だ。つまり、立派な文学作品分析なのだ。

で、おそらく、この本の最大の主張は、本は「複雑な言説状況」の「対象というより結果にすぎない」(161)ということと、本について語ること、つまり書くことは、そこに第三者(他者)が介入してくる行為なので、「この第三者の存在が読書行為にも変化を及ぼし、その展開を構造化するのである」(142)ということ。

いったんどんな本でも一種の言説の網の目に捕らえられてしまえば、読者としてはその網の目を捉えていれば読まなくても読んだふりはできる。そして、事実、そのように本は流通する(だから書いた本人は、違う、違うぞ、俺はそんなことを言おうとしたのじゃない、と叫ぶ)。もし「読む」という行為が他の人々を驚かせるようなものになり得るとすれば、ある特定のテクストが捉えられている言説の網の目を移し替えたり、そこに亀裂を入れたりすることによってのみなのだろう。

そしてそんな読みができるとすれば、反語的だが、「読む」という行為とは相容れない、それを変質せざるを得ない書く行為によってのみだ。

読んでばかりいると書けない。書くためには読めない。読めないけど読んで書くしかない。たくさん書く人がたくさん読む人であるのは、そういう道理なのだよな。

ボラーニョとベンヤミンなど読まなくても、ボラーニョのメキシコ市記述におけるフラヌール的な要素についてはいくらでも云々できる。が、それがうまくできるだけでは、つまらなくなっていく。実はボラーニョのメキシコ市がそんなものですらないということを示したなら、ぼくは、ひょっとしたら、ボラーニョやらベンヤミンやらボードレールを読んだと言える……のだろうな。そしてアルフォンソ・レイェスを。

立教での講演を終え、ボラーニョとアルフォンソ・レイェスが近づく様子が見えたように思ったので、今度の土曜日はそんな話を京都でしてこようと思う。

2011年11月27日日曜日

講演と公演

そんなわけで、隣の芝生は常に青い立教大学に行ってきた。第42回現代のラテンアメリカ 講演会。

ぼくは原稿を用意し、しかもそれを読まずにだいぶ端折って話し、大御所原広司は気持ちよさそうに思い出を手繰りながら、自らの仕事を顧みた。

ぼくが話したのは集合的記憶の場としてのメキシコ市の3つの広場を巡るテクストの数々、国家と宗教、宗教と民衆、国家と個人、などが記憶を巡って思い思いのテクストを紡ぐ場。こうしたメキシコ市のスポットをあと6つ7つまとめて、本にする予定だ。

日曜日は燐光群『たった一人の戦争』作・演出、坂手洋二@座・高円寺。檜谷(ひのたに)地下学センターという、やがて核廃棄物処分場となるべく、そのための研究を行う地下1,000メートルの施設で、施設公開の見学に来た客のうち、反逆的なグループが、政府の思惑を晴らすどころか、それぞれにさまざまな思惑を抱えた人物であることが露呈されていくという近未来SF。観客(つまりわれわれ)もこのセンターの見学者のひとりとして、まずはツアーに参加、劇場の漆黒を経験するというおまけつき。加えて、事前に取ったアンケートによっても、参加が可能。最近翻訳が出たばかりのナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』幾島幸子、村上由見子訳(岩波書店、2011)なども匂わせながら、福島以後の日本を考えるSFに仕上がっている。

パンフレットの「ごあいさつとお願い」の文言が優れている。

そこは蛍光灯に照らされた無機的な灰色の世界です。同じ目的の施設なので当然なのですが、フィンランド映画『100,000年後の安全』に登場する「オンカロ(隠れ場所、の意味)」を想起させる、静謐な回廊があります。

影響というか原典を逆転の上、こんなふうにさりげなく示唆するこの感覚は、すばらしい。開始前、読みながらくすっと笑うと、もう『たった一人の戦争』の世界に入っている、という仕掛けだ。

2011年11月23日水曜日

42年後の恋人

この9月にラテンビート映画際で黒木和雄『キューバの恋人』(1968)というのを見た。実はこの映画の撮影から40数年経って、マリアン・ガルシア=アランが『アキラの恋人』(2010)というドキュメンタリー映画を撮っている。当時のキューバ側の関係者にインタビューした作品だ。その編集フィルムを見せてもらった。実に興味深い。

『キューバの恋人』製作に関係する証言(主役の女優は最初、デイシー・グラナドスが考えられていたとか、彼女が実は、結局プロの女優ではないオブドゥリア・プラセンシアがやった役の吹き替えをやっているのだとか、マグロ漁でキューバに滞在して悪さしていく日本人船乗りがたくさんいたのだとか……)もさることながら、黒木の映画を迎え入れることになるキューバの映画事情を、当時の関係者や批評家が説明するくだりなどは、本当に貴重だと思う。

キューバでは1961年に短編記録映画 PM の上映禁止という出来事が起こり、映画芸術機関ICAICにいたギジェルモ・カブレラ=インファンテが辞職するという騒ぎがあった。カストロが知識人を集めて「革命内にとどまるならすべてが許される。外に出たら何も許されない」との演説をすることになった決定的な事件だ。

その後に68年が来る。PM事件があったけれども、キューバ国内ではヌーヴェル・ヴァーグだのブラジルのシネマ・ノーヴォだのが受容されていた。62年に社会主義路線を取ることを正式表明し、10月危機(いわゆるキューバ危機)などを経験して東西冷戦構造の真っ只中に引きずり込まれたキューバではあるけれども、しかし、たとえばチェコ侵攻に対してはカストロが批判するなどして、ソ連との関係も独自さを保っていた。これがソ連にさらに接近するのは71年くらいのこと(この年、悪名高いパデーリャ事件が起きる。キューバはCOMECONのへの参加に向かっていた)。つまりキューバはずっと難しい時期にあったのだ。この難しい時期、いわば第三の道として日本の映画を取り入れ、学ぼうという動きがあったらしい。だから『座頭市』などが受け入れられ、大きな人気を博すことになったとのこと。そんな雰囲気が、関係者たちによって示唆されているのが、『アキラの恋人』だ。そしてこの関係者たちは40数年経ってはじめて『キューバの恋人』を見せられ、口を揃えて当時のキューバを正直に映し出すドキュメンタリーのようだ、と評価している。

2011年11月18日金曜日

十字架の墓参りに行ってきた

今日は学祭(外語祭)の準備日なので、授業はなし。ほっと一息。

それで、行ってきた。清水透写真展『マヤの民との30年』@神保町ギャラリーCorso

清水透さんはいわずと知れた、ぼくの先生だ。別にぼくは彼に卒論や修論の指導を乞うたわけではないが、まあなにかと目にかけてもらっているし、ぼくとしてもなついている。

彼はメキシコ南部チアパス州のチャムーラという町で、30年(以上?)にわたってフィールド調査をして、オーラルヒストリーを書いている。文化人類学というよりは歴史学者と自認している人。その彼が研究の成果としての本ではなく、その余滴として撮り続けた写真を並べて個展を開いたわけだ。最後は慶應で教師人生を終わり、引退したのだが、引退後は教え子の写真家などにも教えを乞うたりしながら、写真の腕も上げたらしい。

定点観測のようにある一地点からの風景を、時間順にならべ、村・町の発展のさまを印象づけたり、村の役職者の盛装を飾ったりして、一種、学問的(?)雰囲気も作り出し、面白い。

ポスターに使われている写真は、カメラ自体もディジタルに替わってからのものだろう。80年代の写真と見比べると、いかにもディジタル的な深みが印象的だ。

こうした写真につけているキャプションが面白い。女性が靴を磨かせている写真のそれなど、楽しんで考えたのだろうな、と思う。あるいはものによっては学問的な(たとえば著書からの引用)説明をつけたり、慶應の学内報みたいなものに書いた文章を添えたりして理解を助けている。

こういうキャプションや補助のテクストを読んでいると、この人はそういえば文章がうまいのだと、今さらながら実感する。十字架の墓場という場所を写した3枚の写真はとりわけ印象的だが、こうした場所を見つける感性と、それを伝える文章の雰囲気とが実にマッチしている。

十字架の墓場は標高二千何百メートルだかの山の木々に囲まれた場所にある。それ自体が木々のうろか、でなければ洞窟の中かと見まがうかのような鬱蒼たる木々に抱かれて眠る十字架たち。

2011年11月12日土曜日

inconmensurableな世界

ちょうどひとつ仕事が終わった(正確には終わっていない。つまり、区切りがついた、という程度)ことだし、行ってきた:

国際シンポジウム「世界文学とは何か?」@東京大学

同名の本の作者デイヴィッド・ダムロッシュと池澤夏樹を迎え、柴田元幸、沼野充義、野谷文昭の東大現代文芸論教室が主催するシンポジウム。

基調講演のダムロッシュは「比較できないものを比較する——世界文学 杜甫から三島由紀夫まで」として杜甫、芭蕉、ワーズワース/モリエール、近松/三島、プルースト、紫式部、という三部構成で共約不可能(incommensurable)なものの比較を行った。

池澤夏樹は自らの編んだ河出書房新社の「世界文学全集」にこと寄せて、現代の世界を表したかったと述べた。ダムロッシュの本に勇気づけられ、自分が読んできたその行為こそが世界文学であったのだと気づかされた、とも。

ふたりの基調講演の後は名前をあげた全員が登壇し、まず迎える側の3名が、それぞれ自分の側からのコメントや質問を発し、後にフロアからの質問を受け付けた。

休憩を挟んで、4時間以上の長丁場。楽しいひとときであった。フロアからのコメントには翻訳家や作家などが手を挙げ、なるほど、「翻訳によって豊かになる」世界文学への関心の高さをうかがわせたのだった。

incommensurable:スペイン語ではinconmensurable。いつも訳に困る単語だ……と思って『リーダーズ英和辞典』を引いたら「同じ基準で計ることができない」とあった。あれ? リーダーズの定義って、さすがにわかりやすい。

そういえば、噴水が勢いよくあがっていたが、写真を撮ったら直後に止まった。ぼくがとどめを刺したみたいだ。

2011年11月8日火曜日

不勉強を恥ず。

先日告知の立教での講演だが、そこでトラテロルコのことも話そうと思う。68年10月のトラテロルコ事件のことにも触れないわけにはいかない。するとそれについて書かれた文物も気になるわけだが、やはり先日紹介した安藤哲行『現代ラテンアメリカ文学併走』によれば、トラテロルコについて書かれた小説は、ルイス・ゴンサレス・アルバ『日々と歳月』(71)、スポータ『広場』(71)、レネ・アビレス=ファビラ『官邸の深い孤独』(71)、マリア・ルイサ・メンドーサ『彼と、わたしと、わたしたち三人と』(71)、ゴンサロ・マルトレ『透明のシンボル』(78)(以上が直接に扱ったもの)、フェルナンド・デル・パソ『メキシコのパリヌーロ』(77)、ホルヘ・アギラル・モーラ『きみと離れて死んだら』(79)、アルトゥーロ・アスエラ『沈黙のデモ』(79)(間接的な言及、あるいは背景)とあるのだそうだ(18-19ページ)。

まいったな、ほとんど読んでいないな。本当に不勉強を恥じるのみだ。

などと考えていたら、『群像』12月号にはエナ・ルシーア・ポルテラ「ハリケーン」(83-93)なんて短編が久野量一訳で出ていた。岸本佐知子によるジョージ・ソンダーズ「赤いリボン」(72-82)の隣に。こちらも面白そうだが、ともかく、ポルテラ。

ハリケーン〈ミシェル〉の上陸する夜に家を出た「わたし」が事故に遭って死にかけるという短編。そしてその間、家では置き去りにした弟がハリケーンの犠牲になって死ぬ。親は亡命してUSAにいるし、兄は何年か前に殺されている。

ハリケーンの名前からビートルズの曲を思い出したり、「スティーヴン・キングでさえ、これほど身の毛のよだつ状況を描き出すことはできないにちがいない」とか、「でも弟にはアリョーシャ・カラマーゾフのような一面があって、それがはっきり言って耐えられなかった」(85ページ)という、比較的オーソドックスな、引用に基づく世界を作っていったかと思うと、弟がプロテスタントに入信したという話をしながら、「入信したのは福音派だったと思う。当たっているかどうかはわからないけれど。ルター派だったかもしれないし、アナバプティスト派だったかもしれないし、ペンテコステ派だったかもしれない……本当のところは知らない」(87)といった判断中止の描写をするところなど、実に面白い。今風だな、と漠然と思う。それを「今風」と言っていいのかどうかわからないけれども。ボラーニョとかアイラとか、そんな気もするし、そうでないような気もする。本当のところはよくわからない。

まったく知らない作家だった。こうした新顔の紹介を受けると、自らの不勉強を恥じるのみだな……と、2回目か。不勉強なのかどうかもわからないけど。

2011年11月6日日曜日

背中が痛い

11月26日と12月3日、2週連続して講演などをやるのであった。おこがましいのだ。

11月26日は立教大学ラテンアメリカ研究所での、「第42回 現代のラテンアメリカ」というやつ。2005年にもこの会でお話しをしている。

今回は、外語の出版会から出せと言われているあるシリーズの一巻としての本をまとめるために道しるべとなるような話にしようと思っている。それで、原稿を書いているのだ。土日はいずれも、午前中、これに取りかかっていた。午後と夜はなるべく翻訳の時間を作るようにしているが、ともかく、その原稿を書いている。

姿勢が悪いのだろう。背中が痛い。

2011年11月3日木曜日

訂正


やれやれ、あたしも焼きが回っちまったかね、昨日は「十大小説」と書かなきゃいけないところを「十代小説」なんて書き間違いをしちまって、これじゃあまるでYAみたいだ。

おや、ご隠居、今日はのっけから落語口調で、いってぇどうしたってぇんです?

いや、なにね、木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』(岩波書店、2011)なんていう本の紹介文を書けっていうから、あたしも忙しい身、急に言われたって困るんだが、幸い今日は休日、ひとつやってみようじゃないか、ってんで、すらすらすら……と書いたはいいんだけどね、書いてるうちに、この木村御大という人が、どうも落語家かなんかじゃないのかと思い始めてね、で、思い始めたら最後、もうそのことが頭から離れなくなって、それであたしの口調までこんなふうになっちまったってわけなのさ。

へぇー、なるほどね。で、なんですか、その木村屋榮吉さんとか御大山とか太田胃散とかいう人は、何をしている人で?

木村屋じゃなくて木村だよ。榮吉ではなくて榮一。お前さん、木村榮一も知らないのかい? まったく、近ごろの若い衆は本を読まなくなったというが、本当だねえ。木村榮一も知らないってんだからね。いいかい、木村榮一というのは、そりゃあ偉いラテンアメリカ文学の先生でね、翻訳もたくさん出していらっしゃる。もう定年でおやめになったけれども、神戸市外国語大学では学長まで務められたというお方だ。

その偉いお方が、定年でやめて、笑福亭一門にでも弟子入りなさったと……?

そうじゃないんだよ。そのお方が、先ごろ『ラテンアメリカ十大小説』なんて本を上梓なさって、それを読んでいると、あたしゃきっとこの人は落語家に違いない、ラテンアメリカ文学者とは世を忍ぶ仮の姿に違いないと、そう思うようになったってわけなのさ。

そりゃまたどういう了見で?

たとえばこの人はある章をこんなふうに始めるんだね。いいかい、読み聞かせるから、耳の穴かっぽじってよーくお聞きよ。

へい。

私たちは夢という言葉をよく使いますが、いろいろな意味で使い分けています。「昨夜これこれの夢を見たんだ」という時と、「子供の頃の夢は何だった?」というのでは意味がちがいます。彼はぼんやりと夢想にふけっていたという場合も、夢という言葉が用いられていますが、とりとめのない空想にひたることを意味しています。(153ページ)

どうだい? 

どうだいって言われましても、……あっしには何のことかさっぱりで。

ああ、もうこれだからいやだね、無学の人ってのは。いいかい、これはマヌエル・プイグってアルゼンチンの作家の『蜘蛛女のキス』という小説を紹介する章の冒頭だ。だいたい本なんてものは、こんなふうに始まったら、この章は夢の話かな、と思って読者は読み進めるものなんだ。するってえとプイグという人は、夢をテーマにした小説か何かを書いた人なんだな、と思うわけだよ。

違うんですかい?

これが違うんだね。ぜんぜんそうじゃないんだよ。何しろこの『蜘蛛女のキス』ってのは、政治犯とホモの性犯罪者が刑務所のひとつ部屋の中で映画の話ばっかりしているって話なんだから。

へえ。そりゃあ楽しそうな話ですね。でもそれが夢とどう繋がるんですか? 

そこだよ。さっきの書き出しに続けて、何しろフィクションというのは叙事詩から小説まで夢を語ってきたようなものだ、なんて話を始めるんだね。『ギルガメッシュ叙事詩』や聖書や『オデュッセイア』やと、プイグそっちのけでそんな話をしちゃうんだよ。そしてさんざん壮大な話をしていたかと思うと、

叙事詩、小説、映画、と夢の物語を語り伝える乗り物は変化してきました。ここにひとり、スクリーン上の映画を通して人々に夢を見させ、楽しませたいと考えて映画の世界に飛び込んだものの、挫折して映画を捨て、小説に活路を見出した作家がいます。それがこの章で取り上げるマヌエル・プイグです。(156)

なんてまとめて、ついっと本題のプイグの話に入っちまうんだよ。その語り口がなんだか見事でね、これはもうお堅い本というよりは、まるで落語の「まくら」みたいじゃないか、って思ったのさ。ちょいと世間話をして、ひとつ笑わせておいて、ちょっと無関係にもみえなくもない本題に入っていくけど、実はこのまくらと本題は話が繋がっていることも多い、というね……たいした名人芸じゃあないか。

(……)

うーむ。落ちが作れない! もちろん、書評はこんな口調で書いたわけではない。ま、以上は思いつきの戯れ言だ。ともかく、『ラテンアメリカ十大小説』の紹介、書いて送りました。日本ラテンアメリカ学会の会報、「新刊案内」のページだ。

2011年11月2日水曜日

揃い踏み


えっ? 木村榮一『ラテンアメリカ十大小説』(岩波新書、2011)ですか? そりゃあ、読んでいますとも。職業柄、目は通してますよ。いや、目を通すってことは読んでるんですよ。でもね、だからっていきなり20日までに書評を書けってのは急な話じゃありませんか。なにしろ、今年の11月は殺人的に忙しい。本務校の授業が8コマ、リレー講義という名のオムニバス授業が当たっているから、今月は軒並みもう1コマ。そして非常勤が2コマ。合計11コマの授業です。年末までに終えなければならない翻訳は200ページ以上。締め切りすぎて書かねばならない原稿が100枚。11月26日と12月3日には講演をしなきゃならないんで、その準備もある。今日も今日とて本1冊読んでレポートをまとめたばかり……忙しいんですから。

でもね、こういうことは、あっしが断るとまた誰かのところにたらい回しで……ってんでしょ、わかりましたよ。書きゃあいいんでしょ、書きゃあ……書きますよ。明日は休みだっていうじゃありませんか。だからね、明日のうちにすらすらと……

と文字どおりそう言ったわけではないが、そんなやりとりをしたところに送られてきたのが、

安藤哲行『現代ラテンアメリカ文学併走:ブームからポスト・ボラーニョまで』(松籟社、2011)

安藤さんといえば翻訳もいくつもあるのだが、同時に『ユリイカ』に「ワールドカルチャーマップ」なんて連載をしていて、既に知られた作家の新作やまだ知られていない作家の作品などを紹介してきた人でもある。ぼくもたまには眺めて、自らの不勉強を反省し、新たな作家の存在を教えてもらったりしたものだった。その『ユリイカ』連載のものを中心にした短い文章を第2部に置き、それを挟むようにして比較的長い文章(やはり『ユリイカ』などに折に触れて書いてきたもの)6本を集めたのが、本書。木村榮一の本がいわゆるラテンアメリカ文学の〈ブーム〉とその直後のアジェンデまでを扱ったものであるなら、この本はそれ以後の展開を同時的にルポルタージュしたもの。並べて読み、20世紀を一気に駆け抜けるというのもひとつの読み方。

ちょっと開いて目をやるだけで、自分の勉強不足が実感される。ああ、俺はやっぱり本を読まない人間だったのだなあ……

2011年11月1日火曜日

マハはかつてマヤと言った


歯医者と仕事の合間に行ってきた。ゴヤ展@国立西洋美術館。火曜の昼ごろだというのに、人はだいぶいて、ゆっくり観てもいられなかった。まあ、ちょっと慌ててもいたのだが。で、西洋美術館の外。空の青がとても鮮やかだったので。

さて、このゴヤ展。いちばんの目玉は「着衣のマハ」ということになるのだろうか。大きな絵は数えるくらいしかなかった(ちなみに、「プラド美術館展」のときに来ていた「魔女の飛翔」は今回もあった。今回も、「ちゃちゃいな」と叫びそうになった)。むしろ版画の数々の充実に注目した方がいいのかもしれない。

版画なら大量生産可能な技術だから、美術館で観る必要もないだろう……というのは、間違い。そのための素描などを並べて版画制作の過程をうかがい知ることのできる仕組みになっている。

それにしても、人は多かったな。これはゴヤだからなのか、東京には芸術を愛する人がこれだけいるということなのか? 途中の電車で読んでいた論文などに影響されて、ガルシア=カンクリーニなどを思い出したのだった。メキシコの国立近代美術館で開かれたピカソ展に集まる人々、という話。

ところで、もうひとつ思い出したこと。ゴヤ展に寄せてシンポジウムなどが開かれるのだが、ある席上で同僚のスペイン史家、立石博高さんが、話す予定だとのこと。その原稿というか、メモのようなものをFacebookで公開していたのだが、そこに、彼がはじめてスペインに行った当時、1970年代、ゴヤの題材としてたびたび出てくる「マハ」の語は、日本では「マヤ」とされていた、との記述があった。こういう証言というのは貴重だな、と思う。

2011年10月29日土曜日

死者たちを葬る


恵比寿駅でホルスタインみたいな格好をした父親と緑のなにやらよくわからないモンスターに扮した母親に手を引かれた、赤毛のカツラをかぶったそばかすの女の子がとても不機嫌そうだった。帰りに寄った中野で、メイドの格好をした母親に手を引かれた、白いタキシード姿の男の子が、なんで俺はこんな格好をさせられているのだ、と目で訴えていた。ハロウィーンというのは、いったい、子供たちを幸せにしているのか? 日本で急速にハロウィーンが広まったのは、コスプレの広まりが基底にあるのだろうなと思った土曜日。

恵比寿に行ったのは、東京都写真美術館でのショートショートフィルムフェスティバルに行ったのだ。東京国際映画祭連動企画のこのフェスティバル。今年は短編映画に加え、河瀬直美提唱の3.11 A Sense of Home Films も上映している。A、B、Cの3つのプログラムに21本のオムニバスを7本ずつ割り振っているのだ。

で、Bプログラムにエリセの「アナ、3分前」が含まれているので、観に行った次第。既に、先日、NHK-BSのドキュメンタリーの一部として流されているので、観たのだけれども、ともかく、スクリーンで観てみた。

タイトルに名前の出ているアナはアナ・トレントのこと。彼女が楽屋で準備をしているところに、「アナ、あと3分だ」と声がかかる。彼女はマックでビデオチャットのようなことを始める。「今日は8月6日……」として、どうやら日本人らしき人に向けて、原子力の被害に2度も遭った日本を悼み、原子力批判をする。地震を報じるメディアの「ビデオクリップ」のような作りを批判する。それからまた鏡に向かってメイクを仕上げ、緑色の紗のストールを広げてから楽屋を出て行く。テープルの上には『アンティゴネー』が載っている。ただそれだけの作品だ。ひとり3分11秒なのだから、しかたがない。

エリセのこの作品の、メッセージのストレートさに驚く人もいるかもしれない。しかし、たとえば同じくカメラに向かっての女優の独白という形で撮った桃井かおり「余心 Heartquake」と比べてみれば差は歴然だ。桃井のものも良かったのだけれども、エリセはマックのビデオチャット機能による対話という形を取ることによって、フレーム内にフレームを現出させ、優れている。最後にアナが「死者たちに見つめられていると感じる」とつぶやくとき、映画がついてにフレーム内フレームの外に死者を想定するという次元に至ったことに気づかされてはっとする。世界がぐんと広がるのだ。そして最後の『アンティゴネ―』の表紙。アンティゴネ―というのがオイディプス王の娘で、父や兄らの家族を弔うものであることを思えば、エリセはこのたった一瞥で、一気に自身の原子力についての思いとテーマのHomeとの解決をつけていることがわかる。この密度が素晴らしい。

2011年10月25日火曜日

アフターケア


さすがに『野生の探偵たち』の後だけあって、燃え尽きたわけではないが、少しこぢんまりとの観を抱きつつ訳した『ブエノスアイレス食堂』。出足は好調のようで何より、評判も、ぼくの知り得たところでは悪くはないので、何より。

ところで、「あとがき」に触れようと思って、バルマセーダが『ブエノスアイレス食堂』の次に書いた小説『ディードーの懐剣』El puñal de Dido (Planeta, 2007)のことを忘れていた。せっかくだから、ちょっとだけ。『ブエノスアイレス食堂』を読んで興味を持った人もいれば、参考までに。

主人公はマル・デル・プラタ大学で文学を教えるパウリーナ。図書館で知り合った同僚(ブエノスアイレスから越してきたばかり)のホナスと恋に落ちる。ホナスは離婚調停中で、もてそうなやつで、教え子との関係も怪しまれている。パウリーナは博士論文を準備中で、テーマは恋愛の物語について。ホナスと出会った日から悪夢を見るようになるのだが、あたかもそれに導かれるように現実の恋愛や行動、心の動きが進んでしまう。友人の分析によれば、それらの夢はみな、古今の恋愛の物語(小説やオペラ)を下敷きにしたものになっている……というもの。その友人が恋人との間のDVに苛まれているというサブプロットもある。

料理、もしくは食人の次には、こうして恋愛の物語についての蘊蓄をちりばめながら、心理劇としての恋愛ではなく、あらかじめ書き込まれていた物語をなぞるものとしての恋愛の物語が語られているのだ。ちなみに、タイトルになっているディードーとは、もちろん、『アエネーイス』の登場人物。

今日、受け取ったのはSWITCH 11月号。これに河瀬直美とビクトル・エリセの対談が載っている。河瀬の提唱した3・11に寄せたオムニバス映画A Sense of Home に参加したエリセが、その奈良での上映に際して来日、河瀬と対談したもの。通訳の音声を基に編集者が起こしたものを、音声を手がかりにぼくが修正した。それで、翻訳として名を入れていただいたのだ。まあ、いつものごとく、途中から面倒になってほとんど最初から訳すのと変わらないくらいの文章にしてしまったけれども、ともかく、そんな仕事をしたのでした。この記事には出ていないけれども、インタビューの最後には次回作のことも語っていた。その中身はSWITCHのサイトで、やがてインタビューのロングバージョンが掲載されるらしいので、それに出るのかもしれない?

2011年10月22日土曜日

漏れた


たぶん、漏れた。

といっても出してはならないものを出したのではない。出なかったのだ。選に漏れたのだ。

別にカメラに凝るつもりはないが、だから、がんばって買うには及ばないが、あれば欲しいな、と思っていたのがリコーのGR Digital。このたび、IVが発売されるに際して、モニターを募集していた。ブログを運営していることが条件で。そのブログに3度以上GR Digitalによる写真を掲載、アンケートに答えれば、そのカメラをいただけるという、嬉しいプレゼントつきモニター。それに応募していたのだ。当たったら10月の半ばくらいに連絡があり、実物が送られてくるはずだった。

まだ送られてこない。まあ正確には忘れていたのだが、思い出していろいろと検索したら、当たった人のところにはもうカメラは送られているようだ。ぼくのところには来ていない。ということはぼくは、選に漏れたのだ。

あーあ。

選考基準にブログにおける写真掲載の頻度もあるといけないと思って、応募した日からできるだけ掲載するようにしたのだけどな。さんまの塩焼きの写真なんか、傑作だったと思うのだけどな。

残念。

2011年10月18日火曜日

ブラジル宣言の人々を堪能する


いや、なに、感慨深いことがあったのだ。立て続けにご恵贈いただいた本。

管啓次郎『コロンブスの犬』写真:港千尋(河出文庫、2011)
今福龍太『薄墨色の文法:物質言語の修辞学』(岩波書店、2011)

これに旦敬介を足せば、『ブラジル宣言』ではないか。

1980年代の末、弘文堂がラテンアメリカ・シリーズのようなものを出した。ついでに、牛島信明『反=『ドン・キホーテ』論』なんていうものも出して、ぼくたちはしばし弘文堂の動向に注意を向けた。その弘文堂のシリーズひとつとして出された『ブラジル宣言』に集った上の人々のその後の活躍は言うまでもない。

さて、その『ブラジル宣言』に続いて、同じ版元から管啓次郎が出した単著が『コロンブスの犬』。それに港千尋の写真を添えて河出文庫が復刊したというわけだ。やはり同じシリーズからのジル・ラブージュ『赤道地帯』の翻訳作業中だった管さんが、ブラジルを旅して見つけ、感じ、書いた記録だ。ぼくも20数年ぶりにその懐かしいテクストを開いてみる。

「どこの土地を訪れたとしても、ぼくらの誰ひとりとしてその土地をありのままに見ることはできない。すでに聞いたこと、読んだことのあることばの記憶にしたがって、ぼくらはひとつの風景を理解しているにすぎない」(134)からこそ、〈悪い文学〉に引きずられまいと戒める管さんは、ブラジルで新たに見出しているのだから、この旅行記はみずみずしいのだ。石川達三の描写したサン・パウロのことを論じながら、石川が鞄に入れて旅の伴にしたかもしれない「昭和初期に出版された堀口大学訳のポール・モラン」を「サン・パウロの裏ぶれた日本語の古書店」(93)で管さんは見つける。時間を隔てた遠い作家と、若き管さんがここで交錯する。こういう交錯を作り出すのがうまい。唸ってしまうのだな。

今福さんはときどきぼくに本をくださる。お礼を言うと「奄美のことを書いたから」と言い訳のようにおっしゃる。もちろん、今回もそうなのだろう。岩波の『図書』の連載をまとめた『薄墨色の文法』には、ぼくの故郷のことが幾度も触れられている。この流れで、たとえば、ご自身の三線の師、里英吉に触れている箇所を引きながら、今福龍太はある日、里英吉の仕草を繰り返すかのように汀に座し、三線を弾いていたのだ、という証言を書いてみたくなる。

しかし、ここでは、もう少し違う趣向の話を。奄美の東シナ海側の入り組んだ地形の風と土着の楽器の話をする今福さんは、楽器の共鳴の秘密である「カルマン渦列」とそれと同周波で発生する「エオルス音」を解説する。そして言うのだ。「そしてあるとき、驚くべきカルマン渦列が、冬の季節になると済州島から奄美大島に向けて、まさにニシの風に乗って到達していることを私は知った」(126)。この次のページにある図版が、「カルマン渦列」とはいかなるものであるかを例示し、かつ今福の発見(?)を証明している。

さて、ぼくの名前は孝敦(たかあつ)という。ありきたりの文字の組み合わせであり、ありきたりの音の組み合わせだ。だが、この組み合わせはめったに見られるものではない。ぼくはギタリストの木下尊惇以外の同名の人物を知らない。兄は○○厚という名で、これは歴史上の人物から取ったもの。この兄の名と脚韻を踏んで隣のおじさんがぼくにつけた名が「孝敦」。

この同じ語の並びをぼくはひとつだけ見つけた。「孝敦川」。「ひょどんがわ」と読み、済州島を流れているのだという。ぼくの名はまるで済州島からカルマン渦列に運ばれ、東シナ海側から少し奥まった地にあるぼくの生家の隣のおじさんの発想に到達したのだ。きっと。そう考えることにしよう。『ブラジル宣言』から3年後の1991年、メキシコにいたぼくはよく、「お前は韓国人か?」と訊ねられたのだったな、そういえば。

2011年10月17日月曜日

ぼろぼろ、ぼろぼろ


体がぼろぼろで心までぼろぼろ、なんて話しはしょっちゅうしているような気がする。心がぼろぼろで家までぼろぼろなんてのも、しょっちゅうか?

金曜の晩に停電があった。ほんの数分だ。すぐについた。

が、シャワーのお湯が出なくなった。洗面所も、台所も。設定温度よりかなりぬるめのものしか出ない。

給湯器の問題ではないとのこと。油温が上がりすぎないように水を出す栓の可能性がある。それは水道の問題だ。風呂にためる湯の温度は、事実、問題がないのだ。カランも問題ない。シャワーに上げると、しばらくしてぬるくなる。この辺の栓だな。これから冬に向かおうというのに……

ガス屋を呼んだのは日曜日のこと。

日曜。ニュースをチェックしようと、金曜日からつけていなかったTVをつけたら、消せなくなった。ケーブルテレビJCOMのチューナー経由で操作しているのだが、これのリモコンがTVにだけ伝わらなくなったのだ。つい最近もそんなことがあった。DVDを見て、消そうとしたら消せなくなったのだ。TV本体の方を消せば良いのだが、ともかく、そのとき、JCOMに電話して教わった対処法があった。今回は、それをしてみてもうまく行かない。

いいさ、どうせTVなんざ、いわゆるTVなんざほとんど見ないのだから。ニュースとか、映画とか、スポーツくらいしか見ないのだから……でもなあ、それ考えると、JCOM経由で見ているBS、CSだけ残せばいい、と言いそうなものだが、必要のない地上波だけが、常に一番簡単に直接に見られるのだよな。

いいや。いっそのこと、捨てちゃえ。

極めつけ。iPhoneがどうも外で、つまり3G環境でメールを受け取らなくなった。IOS5は、SIMロックフリーiPhoneのdocomoでのデータ通信に適合しないらしい。

やれやれ。つかの間のぬか喜びだ。

でも、これもいいや。つい最近まで、携帯電話なんて持たなかったじゃないか。メールなんて、外出先でチェックできなかったじゃないか。どうしてもというときには、まだE-Mobileのルータを解約せずに持っているのだから。

……いや、E-Mobileも忘れよう。身軽になろう。

本でも読もう。『密林の語り部』の岩波文庫版は、もう出ているのだ。

2011年10月15日土曜日

それは突然始まった


今日はホームカミングデイというやつだ。大学が卒業生をもてなすという催しだ。ぼくはそれに業務として参加していなければならない。こんなものに参加しなければ、仕事ははかどるのだが。締め切りを過ぎてなお終わらない原稿を書き終えられるのだが……こんな業務にぼくを引き込む人物と、終えようのない原稿を依頼する人物が同一であるというジレンマ。いやダブルバインド。

仕事がはかどらない理由はもうひとつある。iCloudだ。仕事を効率的にするはずの仕組みだ。

昨日、昼休み、MacBookAirが突然、ソフトの更新を始めた。OSXの更新だった。更新が終わると、iCloudに参加するかと訊いてきた。突然、始まったのだ。それが。つまり、iCloudのサービスが。

iCloud、あるいは一般的にはCloudというのは、ある種の情報の共有をインターネット経由で楽にしようという仕組みだ。いくつかのディバイス(PC、iPad、iPhone)で共有すべき情報を、ディバイス間の接続や面倒な手続きなしに共有しようというシステム。たとえば、iPhoneで撮った写真を、iPhoneとMacを接続することなく、自動的にMacに移す、というもの。ダウンロードした音楽(ここが味噌。CDから取り込んだやつは、著作権法上の問題で、移動できない)、住所やスケジュールなどが簡単に同期できる。

ファイルの同期も可能だ、というのが売りだった。ぼくはこれまで、Dropboxに入れて作業中のファイルを共有していた。これが要らなくなるのかな、と期待していた。が、実際のところはそんなことではなかった。AppleのソフトiWork('09以降のバージョン)のファイルが、それに対応しているということなのだった。事務手続きなどそれが多いので、ぼくは現在では、仕事に使うファイルは、ほとんどはMS OfficeのMac向けのものを使っている。これは、たぶん、iCloudに対応していないし、どうやらiWorkもぼくが持っている旧バージョンでは対応しない模様。つまり、Dropboxはその役目を終えていないということ。

iCal が同期可能になったので、Googleカレンダーは要らなくなったにはなつた。どっちがいいのかはわからない。


と、こんなことを確かめるためにいろいろとやっていて(さらには可能にするためにiPadやiPhoneのOSを更新していて)、昨日は仕事がはかどらなかったということ。

2011年10月10日月曜日

本来の体育の日の今日、家に籠もって本を読む。


昨日、「先行するテクスト」とそれとの出会いのことを触れた。それについて、もう一言。

2、3回前の書き込みでパラグラフ・ライティングの話をしながら、「闘牛」についての原稿を例に出した。

実は、実際に闘牛について書かねばならないのだが、そこに伊丹十三が闘牛を「田舎くさい」と評したと引用した。

かなり鮮明なものとはいえ、記憶に基づく引用だった。学術論文は情報源を明らかにしながら論を進めるものだ。だから学術論文ならば記憶に基づく引用など許されない。けれども、これはいわゆる啓蒙書だし、注はつけないとしているから、いいか、とも思った。それでもさすがはふだんのオブセッションから自由になるのが難しい。ちゃんとどこからの引用なのか、文言が正しいのか、確認しなければ気が済まなくなった。

ところが、わが家に伊丹十三の本など置いていない。で、近場で一番大きな本屋に行ってきた(ついでながら、『ブエノスアイレス食堂』、平積みにされていた。おお。感動だ。みんな、買っとくれ)。問題の文章は、確認された。

伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫、2010〔原書は1965〕)。ここの48ページにこうあるのだ。

闘牛を見る。おそろしく田舎臭い見世物だった。

ちなみに、この『ヨーロッパ日記』、ニコラス・レイ監督『北京の55日』(1963)をマドリードで撮影するために、スペインを始めイギリス、フランス、イタリアなどに行った、そのときの記録である。

そういえば映画についての原稿も書かなければならないのだった。そこであることに触れたいのだが、この伊丹の証言はそのための傍証にもなるかもしれない。思いがけない出会いで、自分の文章のための「先行するテクスト」がこうして、またひとつ見つかった。ひとつの「先行するテクスト」がふたつの後続のテクストに役立ちそうだ。こうした出会いが、貴重なのだ。

ま、あれとこれを結びつけて、伊丹の文章を自分のテクストのための「先行するテクスト」と指定できるかいなかは、ひとえにこちらの想像力にかかってくるわけだ。この想像力だけに頼って、それを文献検索で補わなくていいと勘違いしているかのようなのが、昨日言った「そうでない発表」をするひとの勘違い。

それはともかく、こんな出会いを求めて学会には行くわけだが、今回、途中の電車で読んでいたのは、ご恵贈いただいた、

野谷文昭編『日本の作家が語る ボルヘスとわたし』(岩波書店、2011)

ボルヘス会の主催になる講演会の記録を1冊の本にまとめたもの。多和田葉子や奥泉光、高橋源一郎ら、作家たちの語るボルヘスが実に面白いのだ。

ここで、星野智幸(「ボルヘスの不可能性と可能性」)は、ボルヘスがオースチンのテキサス大学キャンパス内の溝掘り人夫が英語で話している(英語をそういう階層の人がしゃべっている)ことに驚いたと書いている(『自伝的エッセー』)のを引用している。「現実の世界よりも文学の世界のほうがリアルだと感じるボルヘスらしさが炸裂している」(108ページ)と。

伊丹十三はボルヘスのこの驚きを相対化するようなことを書いている。空港での話。

 わたくしが、白人の下層労働者の姿を肉眼で見たのは、これが初めてであって、彼らのみすぼらしい、無知な様子が、わたくしには、よほど珍しい、不思議な、予知しなかった存在として写ったようである。白人が、あんな雑役をやってるぞ! と心の中に叫んで、わたくしは密かに恥ずかしくなった。これでは、例の、ロンドンでは乞食でさえも英語をしゃべる、という古臭い冗談から一歩も出ていないのではないか。
 自分の心の中のどこかに潜んでいた白人崇拝の念が、わたくしをひどく驚かせたのである。(65ページ)

ちなみに、伊丹十三は日本におけるブニュエル好きの代表格だ。ブニュエルがボルヘスを嫌っていたのは有名な話。星野さんも引用しているとおり、わざわざ自伝に書いている。ぼくはブニュエルもボルヘスも伊丹十三も好きだ。

2011年10月9日日曜日

断末魔のさんま


心の準備も体の準備も教材の準備もできていないのに授業が始まったものだから、何かとせわしなく、ブログを持っていたことなど忘れかけていた。

実際には第1週に本格的に授業が始まることはないので、忙しいというわけでもない。心が落ち着かないのだ。学生たちもいい加減、久しぶりなものだからそわそわとして、授業が終わったら食事に行ったりしている。さんまだ。箸の餌食になるさんま。

そして土日は日本イスパニヤ学会第57回大会。前日、あまりにもさんまがおいしかったものだから、この日もさんまを食した。写真のさんまは初日のそれ。

学会ではすぐれた発表があり、そうでない発表もあり、面白い発表があり、そうでもない発表があり……

勘違いされがちなのだけれども、われわれの仕事というのは、ひたすらに先行するテクストを読むことから成り立っている。先行するテクストというのは、対象に対する研究であったり、それに適用可能な理論の書であったりするだろうが、ともかく、先行するものだ。先行するテクストは読んでも読んでも尽きない。他の研究対象に対するテクストがぼくらの研究にとってもそうなり得るかもしれないから、少しくらい対象が違っても、ぼくたちは人の話を拝聴する。新たなテクストとの出会いを求めているのだ。

そういう新たなテクストとの出会いの得られない発表を、「そうでもない発表」という。つまり、すぐれてもいない、面白くもない発表。そういうものもあった、ということ。もちろん、新たなテクストとの出会いの得られた発表もあった。

2011年10月3日月曜日

出来


いただいてきた。カルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』(白水社)

TwitterやFacebookでは書いたし、口頭でも何度かいっているが、これは、ぼくの名が表紙に載る10タイトル目の本。上下巻がひとつあるので、冊数としては11冊目。国内9タイトル目。翻訳としては7タイトル目だが、意外にも単独訳は2タイトル目。ともかく、区切りの10作品目だ。めでたい。

『ブエノスアイレス食堂』というタイトルだけあって、料理についての記述が生命線のひとつ。自分のやったことに対してはどうしても客観的に見られないので、そのへんがうまくできているかどうかはわからないが、編集者の方の承認は得ているわけなので、少なくとも問題はないのだと思う。

2011年10月1日土曜日

新学期を前に呻吟する


こんなふうな街角の小さなビルの2階、3席ほどしか席のないカフェで昼食。CDよりもレコードの数の方が数倍も多い、雰囲気のあるお店だった。

週が明けると新学期だというのに、まだまだその準備ができないでいる。夏休みにやり残したことが山積しているのだ。

原稿がある。

詩作するのでない限り(そして詩作などしたことはないのだが)、文章は段落単位で書きためておくことにしている。パラグラフ・ライティングというやつだ。あることについて書かなければならないとする。たとえば闘牛について書くとしよう。参考文献を読む。アンドレス・アモロス(どうでもいいが、この人の業績は、イスパニスタたちの間で正当に評価されているのだろうか?)の文章などを読むと、いろいろと自分なりに考えるところで出てくる。それを、主張内容ごとに段落に展開して保存しておく。もちろん、段落が複数になってもいい。最低限一段落ということだ。ともかく、読みながらそうした段落を作って、それらのファイルを「闘牛」というフォルダに入れておく。それらのファイルをまとめたり、繋げたり、繋げるために書き換えたりして、最終的に数十枚の原稿に仕上げる。

そんなことをするようになってから、比較的締め切りに遅れることが少なくなった。執筆の時間というのは、積み重ねた段落を整え、必要とあらば新たに書き足す時間だからだ。執筆に費やす時間が、圧倒的に少なくなるのだ。

ひとつだけ確実なことがある。どんな文章にしても、文章をその書き出しからはじめて順番に最後まで書こうとすれば、絶対にどこかの時点で詰まってしまう。そこから先に進まなくなる。ぼくらは知覚するようには表現はできないのだ。でも、はじめから書こうとしてしまう習性を抜け出すことは難しい。だから、ついついはじめから書き、途中で躓き、うんうんと唸り、机の前で無為な時間を過ごして、いつまで経っても文章はできあがらない。こんなことばかりだ。

で、5年くらい前から、従来のカード……というか読書メモなどやめてしまって、パラグラフの積み重ねをやるようになった。いろいろな文章がスムーズに仕上がるようになった。そんなわけで、近年は、卒論や修論や博士論文の学生にもパラグラフ・ライティングを勧めている。

なかなか伝わらない。中には反発まで示すものがいる。そんなこと、やったことがない。不安だ……等々。

おっと、学生たちについての愚痴を言うつもりはない。まあ、がんばれ、というだけだ。問題は、こうした実績から、少なくともぼくは、パラグラフ・ライティングを積み重ねるようにすれば、すんなりと原稿が書けることは自覚している。だから、それをやればいい。

……のだが、ついつい、はじめから順番に書く誘惑に駆られることもある。いや、駆られてもいいのだが、この誘惑に必ずつきまとうのが、躓いたら机の前で呻吟し、無為に時間を過ごすという行動パターンなのだ。このパターンにはまると、もういつまで経っても仕事ができないスパイラルに陥る。そこから目を背けるために、外出する。カフェで昼食など食べながら、後の席でおしゃべりしている近所の大学の学生たちを盗み聞きしたりする。

そんなふうにして、書き終えなければならないのだけど、まだ書き終えていない原稿があるのだった。

もちろん、こんな文章を書くのも逃避の一形態に決まっているじゃないか。

2011年9月30日金曜日

光を捕らえる


昨日、光を捕らえた写真のことを書いたので、思い立って光を捕らえる努力をしてみた。
といっても、大学に行ったときにカバンの中に入れているCanon S90で撮ってみたということだ。光はやはり捕らえきれていないか?

大学に行ったのは、別に写真を撮るためでも何でもない。それなりに仕事があったからだ。仕事に必要な本を借り、仕事のための書類を受け取り(読まねばならないのだ。何百ページをも)、10月からの準備を少し。

昨日は右の腰が痛かったのだが、今日は左が痛くなっていた。度合いはだいぶ小さく、痛みというよりは違和感というていどだけれども。これで均衡が取れた……?

2011年9月29日木曜日

秋の夜長は読書をしろと……


朝、腰痛を感じた。無理して歩いたら、足首がおぼつかない。倒れそうになった。今日はラテンアメリカの都市の修復やらバルセローナの都市化やらの話を聞きに行く予定だったが、大事を取って取りやめた。夕食後には腹までこわした。

やれやれ。要するに踏んだり蹴ったりだ。

腰痛は動けないというほどではないが、気になるところ。学期開始直前に腰痛に見舞われた十数年前、冬に大病を患ったのだ。因果関係があるのかないのかわからないけれども、以後、どうにも怖くて仕方ない。

徴候としての腰痛はともかくとして、その十数年前の大病以来、ぼくはどうにも現実感がなくていけない。目の前で起こっていることに自分が参加しているという感じがしないのだ。悪く言えば、そのとき以来、感情が麻痺し、小説などのストーリーに対する感覚がなくなり、記憶力が悪くなっている……ような気がする。

記憶力が悪くなっても、読むしかない。悪くなったら、記憶の中にためこんでおくためでなく、外部に出力するために読むしかない。腰が痛いのだし、夜は長いのだし、秋は読書の季節だからなのか、3冊も献本をいただいたのだし。
順に:八木久美子『グローバル化とイスラム:エジプト「俗人」説教師たち』(世界思想社、2011)
 イスラムが不変だと思ってはいけない。19世紀には西洋からの近代化の波、20世紀後半にはグローバル化の波、などを被りつつ、イスラムへの回帰も見せつつ、知識人としてのウラマーの存在のしかたが代わり、かくしてエジプト社会の今がある、という内容。

アルセーニイ・タルコフスキー『白い、白い日』前田和泉訳、鈴木理策写真(エクリ、2011)
 アンドレイ・タルコフスキーの父にして「その日、僕は世界を見たのだ」(13ページ)の詩人であるアルセーニイ・タルコフスキーの詩集。鈴木理策の写真が光を捉えて美しい。

管啓次郎『島の水、島の火:Agend'Ars2』(左右社、2011)
 詩集Agend'Arsの第2集。「私たちの目が光の受容器なら/すべての木の葉は目」(26ページ)。これなどは先の鈴木理策の写真にむしろ添えて謳いたい。グリッサンの追悼の詩を含み、クレオールへの志向性の強いものとなっている。

移動は歴史の要請
移住は心の冒険
マングローヴのもつれが四世紀の記憶を
火として野に放つ(64ページ)

そういえば管さんはグリッサンの『第四世紀』を訳すはずだ。その話をうかがったことがあったのだった。

学校に夜はなく夜に学校はない
砂糖黍の死者のための焚火のまわりに集い
闇の中でMaître-la-nuit(夜の親方)の語りに目を輝かすだけ
幾千の通夜がそうして遠い土地の記憶を伝えてきた
Yé, kric!
Yé, krac!
パトワ(島言葉)が語るありえない不思議の物語を
デレクとその双子の弟は隣の島で英語で聴き取り
おれたちはフランス語で震えながら聴き取った(66-67ページ)

2011年9月27日火曜日

見えないけど見える

試写会に呼んでいただき、拝見した。ダニエル・ブスタマンテ『瞳は静かに』(アルゼンチン、2009)
1976年に始まるアルゼンチン軍政時代、多くの反対派を弾圧した時代だ。この時代のこの人権弾圧が背景になっている。舞台は地方都市サンタフェ。離婚した母と兄と三人で住んでいたアンドレス(コンラッド・バレンスエラ)が、母ノラ(セリーナ・フォント)の死によって、大好きなおばあちゃんオルガ(ノルマ・アレアンドロ)の家に移り住むことになった。父親のラウル(ファビオ・アステ)が売却のためにノラの家を整理していると、反体制運動に参加していた証拠となるような書類が出てくる。どうやら彼女はアルフレド(エセキエル・ディアス)と関係を持ち、彼に引き込まれて運動に手を染めるようになったらしい。大人たちの会話などから、アンドレスは少しずつ母親の死の真相を理解していく、……という話。

ただし、これは軍政における人権弾圧のことを扱った話ではない。恐るべき子供(アンファン・テリブル)の話でもある、というところがこの映画の面白いところだ。

フレーミングがいい。子供の視点を表現するために、見えるものと見えないものをはっきりと作り出してさまざまな効果を上げている。学校の先生が、子供に説教するのに背中しか見せないシーンなどは、滑稽でもあり恐ろしくもある。最後のシークエンスで脚しか見えない二人の大人(たぶん、ひとりは警官のセバスティアン〔マルセロ・メリンゴ〕)が、地べたに座ってゲームに興じるアンドレスに「おばあちゃんはどうしている?」と訊ねるのも恐怖だ。

この限られた視界の中で、登場人物たちの視線が多くを伝えていて、印象深い。アルフレドが葬式に現れた瞬間、大人たちの視線と態度だけで、人間関係の複雑さが示唆される。「空気が変わる」などと言うが、本当に空気が変わる瞬間が見えるようだ。こうした作りが実にうまい。

限定され、見えないことも多い子供の視界だけれども、その中に子供たちは見えないはずの空気の変化を見て取ったりするものだ。そんなことを思い出させてくれる。秋になって伸びた髪を撫でつけると、女の子にも見える中性的な8歳の少年アンドレスの視線が、最後、実に怖くて怪しい。

秋、冬、春、夏の4つの章からなるこの映画。もうひとつ確認しておかなければならない前提は、夏とはクリスマスであり正月であるということだ。アルゼンチンは南半球にあるのだよ。

生ハムを偏愛する

今日は会議が一つ。そして学生との面接。その後、3年のゼミの連中と、大学近くのプロペラ・キッチンで、飲み。生ハムとサラミの盛り合わせ。パン付き。

2011年9月25日日曜日

テピート


何の因果か、今週2回目となるメキシコ料理店テピート

テピートというのは、メキシコ市中心街の北に隣接する名だたるスラム街。『野生の探偵たち』では、ある人物が、酔っ払ってテピートのクラブに行ったときのことを、テピートに行くってことは前線にいくようなものだ、というふうに表していた。

オスカー・ルイス『貧困の文化』が叙述した家族の幾組かはこの地区にあるベシンダーと呼ばれる集合住宅に住んでいた。上で『野生の探偵たち』を引き合いに出したが、あの第一部では語り手の少年が、やはりこのベシンダーに住む女性の部屋に入り浸りになるのであった。

1985年の地震で甚大な被害を受けたけれども、ここに住む人たちの互助活動は模範的なものとして注目を集めたとのこと。地震後、この地域を活性化して立て直そうという都市計画が実践されている。

そんなテピートの名をなぜつけたのかはわからないが、店主のドン・チューチョ・デ・メヒコが、単純なコード進行のはずのスタンダード・ナンバーを手練れのギター・プレイで歌ってくれる。「ククルクク・パロマ」(『オール・アバウト・マイ・マザー』でカエターノ・ヴェローゾが歌っていたやつだ)のトマス・メンデスは彼の付き人だったそうで、その曲も彼のメキシコの家のリヴィングで生まれたそうだ。

2011年9月23日金曜日

鶴は千年、……人は死ぬ


先日書いた集まりで千羽鶴を作った際にもらった別の鶴。写真に撮ってみたら思いの他絵が美しかったので。

昨日はスペイン大使館に『侍とキリスト』宇野和美訳(平凡社、2011)の著者ラモン・ビラロの講演会を聴きに行った。

講演会というよりは、ジャーナリストのゴンサロ・ロブレードとの対話による本の紹介という感じだ。日本語版に解説をつけたルイス・フォンテス神父(ザビエルの子孫)や弥次郎の子孫なども参加。

ビラロは1986年だったか87年だったか、バブルに突入するころの日本に『エル・パイス』紙の特派員として滞在していたそうで、そのときのことや、小説にこめた思い、次にでる、日本をめぐる3冊目の本となるエッセイの話しなどをしていた。16世紀の異文化体験、といった調子で読めるこの小説、なかなか面白いので何かの授業で使えないだろうかと考えている。

授業と言えば、今日見つけたのは、ホルヘ・マンリーケ『父の死に寄せる詩』佐竹謙一訳(岩波文庫、2011)

15世紀の名作詩だ。往年のサンティアーゴ騎士団長であるロドリーゴ・マンリーケ(ホルヘの父)の前に〈死〉が現れて、「永遠に続く生ともなれば/風塵を逃れぬかぎりは/実現しまい」(421-423行)などといい、それに答えて騎士団長が「神がもたらす死の命に/背いて今世にこだわるのは/狂気の沙汰」(444-446行)などと覚悟を決めるのだ。潔い無常観。

ペストの流行によって中世ヨーロッパに広まった『死の舞踏』。これの作者未詳によるスペイン版も併載。


訳者の佐竹さんによる解説もたっぷりな上に、マンリーケの詩は原文まで掲載されている。うむ。勉強になる。

2011年9月19日月曜日

連休の最終日だからと焦っているわけではない

下北沢のテピートにて店主ドン・チューチョや八木啓代さんらのライブを聴き、千羽鶴を完成して、メキシコの平和を求めるグローバルネットワークへの協力をした。

とって返してラテンビート映画祭、新宿での最終日。ダニエル・サンチェス=アレバロ『マルティナの住む街』(スペイン、2011)は遅れて入ったので細かいことは言わない。佳作コメディだ。

ヘラルド・ナランホ『MISS BALA/銃弾』(メキシコ、2011)は最初から見た。主演女優ステファニ・シグマンとプロデューサーのパブロ・クルスの挨拶も聞いた。

『ドラマ/メックス』で何年か前のラテンビート映画祭の監督賞をもらったナランホの作品。麻薬マフィアの犯罪に巻き込まれたミス・バハ・カリフォルニアの話。BALAは弾丸だが、MISS BAJA ( CALIFORNIA )との言葉遊びとなっている。ミス・バハを目指すラウラが、クラブで犯罪組織エストレージャの襲撃に遭い、そのボスのリノ(ノエ・エルナンデス)の顔を見たことから、逃げても逃げても捕まって、犯罪に荷担させられてしまうという話。組織はさらなる悪事のために背後から主宰者を操って彼女をミスに選ばせ、その地位を利用して重要人物殺害計画に出向く。

話の一番怖い点は、警察に助けを求めても、あるいは警察に逮捕されても、身の安全は保証されないということ。下っ端の警官は組織に買収されていたり、公式発表では銃撃戦で殺されたはずのリーダーが生きていることがほのめかされたりと、実に、スリラーである。

女優とプロデューサーとの質疑応答の時間には、質問というよりは感心した、そのことを伝えたい、とのコメントが相次いだ。その気持ちはわかる。それだけテーマの面でも作りの面でも優れた映画だったということだろう……でもなあ、せっかく来ているのだから、ゲストたちの話を聞こうよ、と思ったのであった。

2011年9月17日土曜日

かゆみ

とにかく、かゆいのだ。掌蹠膿疱症(しょうせきのうほうしょう)というやつだ。手のひら(掌)と足の裏(蹠)に膿疱ができ、やがて皮がむけて、また膿疱ができ……というようにしてなかなか治らない皮膚病だ。ぼくの場合、足の裏は無事だけれども、手のひらがひどい。皮がむけてぼろぼろ落ちてくる。あまりにもひどいので、写真に撮った(しかも現時点ではその写真よりもひどい状態になつている)。それをここにアップしたくてしかたがないのだが、そんな醜いものを見せるのもいやだ。美しいものだけを見ていたいじゃないか。

でも、人にはそうしたグロテスクなものを明るみに出したいという気持もある。露悪趣味。露出狂。スカトロジー。ネクロフィリア、等々。それを発露したいけれども、不謹慎だと思ってしないでいる。でもしたい。こういう感情もかゆみに似ている。

そのかゆみを和らげてくれるのが、こうした趣味を文学作品にまで昇華させたもの。その種の文学作品であるカルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』の装丁色校が、さっき届いた。すばらしいできだ。いわゆる「ジャケ買い」してしまいそうだ。前に何かのときに書いたかもしれないが、この瞬間がぼくは何より好きだ。これも見せたいけど見せられない。別のかゆみを抱えてしまった。ああ!……

と喜んでばかりもいられない。今月末が締めきりですよ、と催促が来たのだ。不幸と幸福は一緒くたになってやって来る。ある文章。三本合計で130枚ばかりの原稿を、ぼくは書かなければならないことになっている。らしい。今月末までに。

かゆい。仕事のことを考えたらかゆくなってきた。やりたいけどやれない、むずむずとした感情なんだろうな。Mac Book Proを前にして感じるかゆみ。これも実存のめまいなのだ……?

2011年9月16日金曜日

民営化を巡る劇は日本にもあったっけか?

今日もラテンビート映画祭。イシアル・ボリャイン『雨さえも:ボリビアの熱い1日』(スペイン、フランス、メキシコ、2010)

特にアレハンドロ・ゴンサレス=イニャリトゥに感謝を、というクレジットがエンドロールに入っていた。どういうことだろう?

2000年4月にボリビアで起こった水戦争。つまり水道の民営化によって水が断たれてしまった先住民たちの抗議行動とそれへの軍による弾圧などの騒動を描いたもの。といってもそれを正面から扱うのではない。スペイン・メキシコのチームによる映画クルーがボリビアにコロンブスのアメリカ到着とバルトロメ・デ・ラス・カサスらの聖職者の活動を題材にした映画を撮るためにやって来る。ケチュアの先住民をタイノのそれと扮装させて、安上がりに撮ろうという腹づもりだ。エキストラに必要な先住民たちのオーディションから映画は始まる。

中にひとり反抗的だけれどもとてもいい目をした人物ダニエル(フワン・カルロス・アドゥビリ)がいて、プロデューサーのコスタ(ルイス・トサール)は渋るけれども、監督のセバスティアン(ガエル・ガルシア=ベルナル)は気に入って登用する。この彼が水の権利を求めての抗議行動でも中心に立つからややこしくなる。タイトルの『雨さえも』は雨さえも利権の対象として先住民の自由にさせないとの、ダニエルの抗議の言葉から取ったもの。

ゴヤ賞ではコロンブスを演じる俳優を演じたカラ・エレハルデが助演男優賞を獲ったとか。確かに彼がいい。読み合わせからすっかり役に入り込み、しかし、映画と現実とを混同してラス・カサス役の俳優(カルロス・サントス)に食ってかかったりする。撮影中の映画と現実が混同され、先住民たちの苦難の始まりの時代と、その結果としての現在の彼らの態度が平行関係を描く。巧みな脚本だ。

この現実とフィクションの混同を倍加しているのが、メーキングを撮っているドキュメンタリー作家マリア(カサンドラ・シアンゲロッティ〔チャンゲロッティ?〕)の存在。気になるところだ。名前のない女優役でナイワ・ニムリが出ていたらしいのだが、気づかなかったな。また、カサンドラ・シアンゲロッティはカルロス・ボラードの『トラテロルコ』(2010)という映画に出ているらしい。この映画、ぜひ見たい!

新自由主義経済政策の浸透による公共事業の民営化が引き起こす問題。『今夜、列車は走る』がアルゼンチンの国鉄の民営化を扱ったものだった。デイヴィッド・ヘアーは『パーマネント・ウェイ』というイギリス国鉄民営化の劇を書いている。こういう問題を扱ったもの、日本にもあったっけかな? 電電公社がNTTになったことによるドラマ、国鉄がJRになった悲劇、専売公社がJTになったサスペンス……?

明日は何だか人前で話さなきゃいけないのだけど、映画なんかみてて大丈夫か? そんなことより、掌蹠膿疱症による手のささくれとかゆみと痛みが激しく、仕事をする気にもなれない……ま、言い訳だ。ということになるのだろう。ぼくとしては切実なのだが。

2011年9月15日木曜日

津川雅彦はやはり長門裕之の弟なのだと実感

京都外語大の坂東省次さんのスペイン文化協会の出す雑誌 "acueducto" 6号をいただいた。立林良一さんやアンヘル・モンティージャさんなどが京都でのバルガス=リョサの活動のことなどを報告している。

今年も巡ってきたラテンビート映画祭。今日はオープニングの日で、黒木和雄『キューバの恋人』(日本・キューバ、1968)津川雅彦、ジュリー・プラセンシア他

次に上映されるアルモドバルの新作用に来ていたマリサ・パレーデスも登壇して挨拶。そのかっこよさにあてられた。すごい! 1946年生まれ。それがほっそりとした長身に、白いストッキングに包んだきれいな脚をこれ見よがしに出したミニ・ワンピースなんか着てきて、さすがこれこそ女優だ、という感じ。

さて、『キューバの恋人』。革命10年を記念して代々木系の黒木が撮った映画で、革命の勝利を前面に押し出すあまり、セリフなどは(異文化間コミュニケーションでもあることだし)いささか鼻白み、活気にかけるような気がするけれども、いろいろと唸らせるシーンや設定などがあって、面白く見た。グティエレス=アレア『低開発の記憶』との同時代性を強く感じる。船乗りで休暇をハバナで過ごす軽薄なアキラが、マルシアという女の子を追ってヒロン海岸、トリニダー、どこかの農村、サンティアーゴ・デ・クーバ、サンタ・クラーラと旅する物語。カストロやゲバラの演説の記録映像を取り込み、クライマックスにサンタ・クラーラでの革命10年祭の祝祭を持ってきて興味深い。

旅の途中の農村でのカストロの演説は、激しい雨の降りしきる中でなされたもので、実に面白い。しかも、めずらしく演説を始める前からの映像を挿入しているので、つい身を乗り出してしまう。

上映後に津川雅彦の話を聞いた。だいぶカストロにほだされたようだ。そのことを語っていた。

2011年9月12日月曜日

私は今のところ人類最高の学歴を誇る……?

昨日、やはり気になったことは、言葉に関するもの。ツイッター上である知人がある書き込みを引用していた。それが、ナントカという女性3人組のユニットのメンバーが、それぞれ中央・慶應・外語のドイツ語の出身だというもの。

そもそもそのユニットを知らなかったので、ネットで検索、映像なども見た。見なけりゃよかった。芸もなければ品もない、さりとて下品を極めるきざしもない、物珍しさだけで持ち上げられているらしい、見るに堪えない連中だった。1年後にはきっと誰も覚えていないだろうこんな人々のことを、だから、相手にしようというのではない。こんな人たちにかかずらわるほど、おじさん、暇ではないのよね。(と言ってるわりに3行も書いた)

問題は、この人たちのことをこの出身大学を引いて「高学歴」と表現していたことだ。ためしに検索したときに引っかかった、同じ情報についての他の反応(ブログ記事、他のツイッター記事)も「高学歴」だと驚いていた。

ある知人の学生が、この記事を引いて「問題は外語が『高学歴』と呼ぶに値するかどうかだ」などと書いていたことからみてもうかがい知れるのだが(こういう自虐的でゆがんだ自意識持つやつ、たまにいるのだよ)、この記事を流布させている人たちは「高学歴」の意味を、どうやら取り違えているらしいのだ。

大学全入時代だ。たいていの人が大学に入り、そして卒業する時代だ。もはや大学卒は、本来の意味での高学歴ではありえない。だからその空いた意味を流用してのことだろうが、どうやら人は「高学歴」を「成績優秀」、「難関大学の出身」というような意味で使っているらしい。東大卒は日大卒より高学歴(名前のスケールは日大の方が大きいのにね)、という考えかたなのか? 冗談じゃない。両者は学歴の点では同等だ。

やれやれ。これが単に学歴差がなくなりつつあることの結果だけならば目くじらたてることはないのかもしれない。「そんな誤法をするなんざ、君ら、学歴が低いな? 大学出やがれ」とでも言っていればいいのかもしれない。でも、ひょっとしたら、これも「成績優秀」(あくまでも受験段階での話だけど)という語を使わないための婉曲語法だったら、と危惧するのだ。

「成績優秀」、「頭いい」という語すらも使えない、その使用が避けられているのだとしたら? それくらい言ってやれよ、と思う。どうせ受験段階での話なのだから。どうせどこの大学を出ようとも大卒は大卒という同じ学歴なのだから。

怒鳴るな

鉢呂吉雄経済産業大臣が就任一週間ほどで辞めたそうだ。理由はいつもの失言問題らしい。が、その失言問題、今回は少しばかり様相が違っている。

最初は福島原発付近を「死の町」と表現して、メディアや野党、与党内野党政治家らに叩かれたらしい。ところが、原発の事故で人が住めなくなった町を「死の町」と表現するくらいは正しい言語表現だという擁護論がツイッター上などで形成されていった。すると次に出てきたのが記者団との私的なやりとりの最中に「放射能をつける」とかなんとか、それに類する表現をした、とのリーク情報。これで騒ぎが蒸し返された。そして失言の責任をとる形で辞任した。鉢呂吉雄は原発をゼロにすると明言したり、大臣就任後、資源エネルギー調査会のメンバーを入れ替えるように要請した人物だった。それで、このたびのバッシングは東電と結託したメディアおよび、官僚・政治家による陰謀説がだいぶ有力な説としてささやかれてもいる。

まったく、へそで茶を沸かすとはこのことだ。本当にやっていられない。絶望的な気分だ。

政局やらメディアと役人の陰謀やらのことは今は語らない。言いたいことはひとつ。人の住まなくなった町はゴーストタウンという。ゴーストタウンとは幽霊の町だ。つまり死者の町。死の町。こんな正統な語法を口に出したときに不謹慎だとの攻撃の糸口を与えているものは何なのか? これは問い続けていくべき問題ではないのか。その何かが、この国にはびこる数々の不要な婉曲語法や迂言をのさばらせているものだ。この不気味な力に対して死の国は死の国と言い続けなければならない。パンはパンであり、ワインはワインなのだ。

それにしても、鉢呂(鉢呂は鉢呂だ鉢呂元経産大臣などと言ってはいけない)の辞任会見は、Ustreamで見たのだが、何ごとかを考えさせた。例の「放射能」云々の発言内容に関してはよく覚えていないと主張する鉢呂に対し、激高して「説明しろ」とすごんだ記者がいた。その不可解な激高……というよりも恫喝口調に、他の記者がその彼をたしなめる始末だった。あの罵声に対しても怒鳴り返すことをせず、落ち着いて対処した鉢呂の態度には敬意を表していいと思う。

つい十数年前までTVのニュースショウには何がそこまでさせるのかはわからないけれども、怒鳴り散らしてすごみ、恫喝する政治家たちがときおり映し出されていた。あまつさえそんなやくざものが人気者に祭り上げられさえしたのだ。そんな悪夢のような光景を忘れられないでいるぼくにしてみれば、記者の恫喝に冷静に対処する政治家がいるということは、感動的な事実と思える。ぼくなら怒鳴り返しちゃう。

そういえば、今週末、怒鳴る人をもうひとりぼくは見た。玉木宏だ。いや玉木宏と佐々木蔵之介、西村和彦などだ。松本清張の『砂の器』の何度目かのTVドラマ化作品というのを、ぼんやりと見ていたのだ。

恥ずかしながらぼくは『砂の器』を読んだことがないし、過去のTVドラマ化や映画化(されたのか?)作品も見ていない。だから、実は今回はじめてその話の内容を知ることになったわけだし、原作や前作との差異などもわからない。けれども、犯罪の動機を野心の点から説明しようとするヴィジョンや、被害者の素性を辿るヒントとしての方言(これの変種が『人間の証明』におけるニューヨークの英語のバリエーションというもの)という道具立てなど、ある種の警察小説の型が、ここで作られたのかな、などと思いながら見ていた。

クライマックスは刑事(玉木)と犯人(佐々木)の心理戦だった。物的証拠と状況証拠を半々で積み上げていって、自白を得ようとする刑事と、その手にはかかるまいと耐える犯人。戦災孤児、生き別れになった父、捏造された戸籍……こうしたものを前にしての心理戦で、ついつい声が荒げられ、2人は怒鳴り合う。

そういえば、やはり、うんざりするほど大量生産された刑事物のTVドラマなどでは、やたらと刑事たちは怒鳴っていた。この怒鳴り声による取り調べというトピックも、松本清張原作ドラマが作り出したものなのだろうか? でもなあ、単なる恫喝ではなく、こうした息詰まる心理戦のあげくの激高だから、怒鳴り声も受け入れられるのだ。恫喝にしか響かない怒鳴りながらの取り調べは、やはりついて行けないのだよ。やってはならないことなのだ。

公共の場で怒鳴る者を信じてはいけない。称賛してもいけない。怒鳴る者は単にやましさを抱えている者だ。怒鳴るときはついに犯罪が吐露されるときなのだ。

2011年9月8日木曜日

MVLl滞日の記録は、集英社が抑えた

マリオ・バルガス=リョサの日本での講演の記録が、集英社の2冊の雑誌に載っている。今月は集英社はバルガス=リョサの月だ。

1冊は季刊なので、「今月」というのは当たらないかもしれない。季刊『kotoba』2011年秋号(コトバ第5号)には「ノーベル文学賞作家が語る 言葉のリアリズム」(訳・解説 立林良一)(160-165)として、京都外語大での講演の記録が載っている。京都の会はぼくは聞けなかったので、まずはこちら。

 英語と同じことがスペイン語でも起きています。英語にも互いに大きく異なる変種が存在しますが、文学作品の大部分は、その共通性の基盤の上に成り立っています。そのように書くことはスペイン語作家にとって、文学的というよりは道徳的義務と言ってよいと思います。(165)

というのが、いわば結論で、そのために、ガルシア=マルケスから始まり、ボルヘスやルルフォ、そして自分の例を出しながら、さまざまな変種を超えて、世界中のスペイン語話者が読むことができるような言語を編み出すことの重要性を説いている。

自分自身の例として『緑の家』におけるピウラとアマゾン川支流密林地帯の言語的対立や、『世界終末戦争』のカヌードスの反乱農民と共和主義者たちの言語的対立(しかもポルトガル語だ!)を、世界中のスペイン語話者の理解可能なしかたでいかに表すか、それが問題だったのだと。

そういえば『緑の家』では、アマゾンから連れてこられたボニファシアという女性に対して、彼女を連れてきたリトゥーマの仲間たちが、ピウラの、その中でも1街区であるマンガチェリーアの言語と彼女の言語がいかに違うかを説いて聞かせるシーンがある。たとえばろばをどう表現するか、その差異が浮き彫りになる(木村榮一は「ろば」と「馬っこ」と訳していたように記憶する)。続いて言語の対立(多様性)を都会と田舎の生活様式の差に帰結させてボニファシアを都会に馴染ませようとするリトゥーマと、土地柄の差異だけに回収してリトゥーマのしかける支配を逃れようとするボニファシアの対立が生まれ、そこからピウラでの章のストーリーの重要な転換点が記される章だ。多様な地方語をリーダブルな普遍語に書き換えることは、かくも緊張に満ちたものになるのだという例といえるだろうか。

文芸誌『すばる』10月号には「文学への情熱ともうひとつの現実の想像」(150-165)と題して訳・解説 野谷文昭で、東大での講演録が掲載されている。これについては、ぼく自身も書いた……んだっけ? お忍びで行ったから口をつぐんだのだっけか? 人類学者フワン・コマスに同行した密林への旅、『緑の家』が誕生したことで名高いその旅から生まれたもうひとつの傑作、『密林の語り部』(岩波文庫から近々、復刊)の誕生について話した講演だ。

2011年9月7日水曜日

届いた!

で、ともかく、iPhoneが欲しいと思っていたわけだ。

今、話が煩雑になるので、iPadのことは除外する。iPod Touchは持っている。これのアプリはほぼiPhoneと同一だ。優れものが多い。『西和中辞典』とか『リーダーズ英和辞典』とか。これらは重宝している。電話と別にiPod Touchを持ち歩いているのだが、それをするくらいなら、いっそのこと、iPhoneにすればいいのでは、と思い続けていた。

一方で、iPhoneは日本ではソフトバンクのみの専売で、ソフトバンクだと、さすがに、ぼくのような田舎の出は、実家で使えなかったりする。それが剣呑だった。

そこへもってきてNTTがロック解除したSIMカードを発売するようになった。つまり、SIMロック解除されたiPhone(日本以外の国では売っているところも多い)にこれをさしこめば、NTTdocomoの回線でiPhoneが使える。

なるほど! これにすればいいんだ。ネットなどで調べたところによると、SIMフリーのiPhoneはデザリングといって、これを通じてPCもネット接続できる機能もあるらしい(ソフトバンク版はない)。つまり、Wi-Fiルータも、これでいらなくなるのだ。iPod Touchとルータのふたつをリストラできる。使用料やらバッグの重量やら体積やらが、これで少し楽になる。

で、ニューヨーク出張のついでに買ってきました……などと言えば、格好良いのか? 残念ながら、ニューヨークやら香港やらに出張の予定はない。これを買うためだけに交通費を使うのもばからしい。しかたがない、いろいろ探して、いちばん信頼が置けそうな業者を通じて、SIMフリーのiPhoneを海外から取り寄せた。

それが今日届き、使い始めたという次第。この小さい写真で見えるだろうか? 回線がNTTとなっているのだが……

2011年9月6日火曜日

はっとする午後1時

ロマン・ポランスキー『ゴーストライター』(フランス、ドイツ、イギリス、2010)

ポランスキーの映画にはたいてい原作がある。『ローズマリーのあかちゃん』も『テス』も『死と処女』も『戦場のピアニスト』も……『チャイナタウン』は違うのか? 実際、『テス』あたりからポランスキーをそれとして認識した人間としては、原作を読まずに観るのもどうかと思ったのだけど、原作のロバート・ハリスをぼくは『羊たちの沈黙』のトマス・ハリスと勘違いして、あれの原作は映画への色目が目に余るものがあってだめだったとの意識がよみがえってきて、まあ今回は映画だけでいいや、と思った次第。もちろん、ロバートとトマスは別人だ。

元イギリス首相アダム・ラング(ピアース・ブロスナン)の回顧録を書くことになったゴーストライター(ユアン・マグレガー)が、USAマサチューセッツ州の島マーサズ・ヴィンヤード(ただし、ポランスキーは合衆国には入国できないので、他の場所でロケ)の別荘にこもることになる。前任者は首相の右腕だったのだが、不審な事故死をしたというこの仕事、引き受けた瞬間から、主人公は荷物を奪われ、ラングにはスキャンダルが巻き起こり、その妻ルース(オリヴィア・ウィリアムズ)は夫と秘書アメリア(キム・キャトラル)との関係を疑っているわで、不穏な空気たっぷりだ。

巻き起こったスキャンダルというのは、おそらく、実際にあった、無実の英国籍のパキスタン系の青年たちが9・11以後のテロ警戒網にひっかかって捕まり、拷問を受けたという事件にヒントを得たものが発端。実際の事件で拷問が行われた場所がキューバのグワンタナモ基地。『グアンタナモ、僕達が見た真実』という映画にもなっているし、関連の書籍などもある。だが、この映画では、特にそれが大きな問題ではない。ともかく、この問題に端を発して、ラングがCIAの工作員に操られ、その意向を受け、繰り出すことごとくの政策をCIA、つまり合衆国追随型のものにし、それによって不当な戦争を起こした罪があるのではないかと、国際司法裁判所に告訴されるという話。主人公は、前任者がラングとCIAの癒着の証拠を握っていたのではないかと思い至り、発見したいくつかの証拠をたぐって真相を探ろうとする、という話。

名人技と言っていい語り口で、前半の実に雰囲気のある語り口と後半のスピーディーな展開を同居させ、飽きさせない。うまいな、と思う。さすがはポランスキーだ。この映画を何よりも面白くしているのはピアース・ブロスナン。かりにも元ジェームス・ボンドなのに、今回はスパイに操られて傀儡に成り下がってもしかたがないかと思わせる政治音痴な馬鹿なオヤジぶりを発揮してすばらしい。はじめて主人公と出会うのは、専用ジェットでマサチューセッツの空港に降り立ったときなのだが、そのとき、いかにも外遊先についた国家元首といった風情であたりを睥睨して手を振ろうとして我に返ってやめる、その仕草が、滑稽ですばらしい。この仕草は、わずかに違うしかたで、後半のクライマックスにもう一度繰り返されるのだが、こうした作りが心憎いのだ。

映画が始まる前に見たスチール写真の1枚に、ベッドに入ってこちらを見つめるオリヴィア・ウィリアムズを写したものがある。一目見たとき、ぼくはこの女性がシャーロット・ランプリングかと思ってはっとした。ランプリングにしてはとても若かったので、思い直した。

ぼくはシャーロット・ランプリングを見ると、はっとしないではいられないのだ。

2011年9月4日日曜日

書誌……ではない、何情報というのだ?

昨日NHK-BSで『コットンクラブ』をやっていたものだから、ついつい見てしまったのだが、キャブ・キャロウェイの「ミニー・ザ・ムーチャー」が歌われるシーンで『ブルース・ブラザーズ』を思い出した。まあそれは当然の成り行き。

が、昨日は加えて別のものへと思念が飛んだ。

レゲエ・フィルハーモニック・オーケストラ『レゲエ・フィルハーモニック・オーケストラ』(Island Record、1988)

これの一曲目が「ミニー・ザ・ムーチャー」だった。聴きたくなってCDを探したが、昨日は見つからなかった。Amazonで調べたら中古品がたくさんあったのだが、そんなことより、その情報が気になった1992年リリースとなっていたのだ。

おかしい。ぼくは1991年にメキシコに留学に行く際に、いろいろと迷ったあげく、これをジャンゴ・ラインハルト&ステファン・グラッペッリSouvenirsらとともに持っていったのだから。ウォークマンで聴くために、これらをダビングしたテープを、ということだ。

どういうことだろう? と思っていたら、何のことはない、今日、本格的に探してみたら出てきたそのCDは1988年だった。

でもなぜAmazonの情報では92年になっていたのだろう? 版の違いかな? レコード……CDも「版」というのかな、初版、第2版、等々と? 

ミカエル・ライリー(マイケル・ライリーでもテリー・ライリーでもない。ウエストミンスター大学の先生などもしているらしい)がストリングスなどを募って編成したアンサンブルで、この後、2枚くらいはアルバムを出しているみたいだ。それらは聴いたことないけれども、ともかく、ずいぶんと久しぶりにこのアルバムを聴いたという次第。

2011年9月2日金曜日

暗闇にすすり泣く声

『ベルナルダ・アルバの家』はぼくが読んだ最初のガルシア=ロルカの戯曲だ……と書いて思い出した! 2番目だった。でも、少なくとも一部、原文と対照した最初の戯曲だ。大学1年のときの教科書に、最後の部分が載っていたのだ。

フェデリコ・ガルシア=ロルカ『ベルナルダ・アルバの家』長谷トオル演出、神田晋一郎音楽、ウンプテンプカンパニー@シアターχ。

スペイン的対面感情とキリスト教的純潔概念、それに抑圧的な母が支配する女だけの家(父親が死んだばかり)の中で、その母と使用人ふたりに娘五人が繰り広げる葛藤の心理劇だ。『血の婚礼』のように悲劇のクライマックスで詩を多用するわけではないし、音楽的素材もふんだんなものではないけれども、いくつか出てくる歌や効果音をモチーフとした音楽(第8回公演『血の婚礼』のときと同様、神田晋一郎の)をつけ、生演奏でシンクロさせた音楽劇。

ストーリーはいたって簡単だ。五人の娘のうち、種違いの長女アングスティアス(中川安奈)がペペ・エル・ロマーノという男(一度も舞台には登場しない)と婚約するのだが、次女のマグダレーナ(こいけけいこ)はアングスティアスに嫉妬して快く思っていないし、四女のマルティリオ(森勢ちひろ)はペペに横恋慕、そしてペペは現実には末娘アデーラ(薬師寺尚子)に恋しているようで……そういった人間関係がカタストロフを招く、というもの。

ベルナルダが娘たちの上にしかける専政以外に、アングスティアス×マグダレーナ、マルティリオ×アデーラ、アデーラ×アングスティアスという娘たちの間の対立軸があって、それも劇の駆動力となる。今回出色はベルナルダ役の新井純(『血の婚礼』では母親役をやっていた)で、鬼気迫る演技であったけれども、それに負けずにこの娘たちの対立が表現されていたので、つまりは娘たちもたいしたものなのだと思う。

娘たちの対立を際立たせるのに役立てようとの演出なのだろう。4人の性格づけのために、たとえばマルティリオの背中に瘤を作り(原作にそうした指摘はなかったように思うが……調べておこう)、マグダレーナをとても背の高い女性に演じさせたりしている。こいけけいこはプロフィールによれば182cm。比較的長身の中川安奈よりもなお頭半分高く、水際立っていた。それが実によかった。

舞台は壁をあらわす紗の布が三方にかかっているという作り。ひとつ屋根の下で2人の女が同時にひとりの男と関係を持つという話だ。家には壁がいくつもあり、部屋があるのだから、見えないといえば見えないけれども、やがてはばれる。その見えそうで見えない緊張状態をうまく表象した作りだと思う。最終幕でその布に浮かび上がった模様が、怪しげで何ともよい。

ベルナルダのセリフで劇が終わり、照明が落ち、音楽が鐘の音をモチーフとしたテーマの最後のバリエーションを弾いている間、最後のシーンで泣いていた4人の娘たちのうちの誰かがまだすすり泣く声が聞こえた。つまり、役者のうち少なくともひとりは本当に泣いていたということ。そんな細部が、劇場で観ることの楽しみのひとつ。

『血の婚礼』の舞台がDVDになって、2000円で売られていた。買った。

2011年9月1日木曜日

先取り

もう紀伊國屋BookWebにもAmazonにも予告が出て、予約可能になっていた。

カルロス・バルマセーダ『ブエノスアイレス食堂』の翻訳。

昨年の12月には脱稿していたやつだ。シリーズ内での順番などもあり、10ヶ月後に出版と相成る。現在、再校校正中。一方で、その10ヶ月の間に、次の原稿も残すところ50ページ弱だ。まだ邦題すらも決まらない、次なる傑作。昨日もげらげら笑いながら訳していた。

一方、睡眠の調節はうまくいかず、またいつもの夏休みのように昼夜が逆転したり、それをどうにか取り戻そうと徹夜したり……

やれやれ。脂漏性皮膚炎で頭皮がかゆく、かつ、あるいはそれ以外のものなのか、手がかゆく、おかげで神経が逆立って眠れなかったりしているのだ。

明日は台風の最中、両国に劇を観に行く……はず。

2011年8月30日火曜日

頭痛に逆光

授業が終わってからというもの、扁桃炎をやり、歯を痛め、最近は脂漏性皮膚炎(「要するにあせもみたいなものですね」……と)とかで皮膚科に通い、まったく、体調が万全の日はあったためしはないな、と思っていたら、今日も思い立って出かけた後で、頭が痛くなってくる始末。

頭が痛いのは逆光に練馬区立美術館を写したりしたからか? 

「磯江毅=グスタボ・イソエ:マドリード・リアリズムの異才」。

「マドリード・リアリズム」というと、ビクトル・エリセの『マルメロの陽光』(92)のアントニオ・ロペス=ガルシアなどだ。エリセは「イペルレアリスモ(ハイパーリアリズム)」などと呼んでいた。ジャスパー・ジョーンズらのスーパーリアリズムの向こうを張るような、本当にハイパーに、スーパーにリアルな(リアルを超えるのでなく)タッチの画家たちのことだ。その一派に数えられる日本人画家磯江毅ことグスタボ・イソエ(1954-2007)の回顧展。新聞の広告には、皿の端に置かれた骨になった鰯の絵(『鰯』)が掲げられていた。これが代表作なのだろう。ザクロやマルメロ(ここでもだ!)、トウモロコシ、ブドウなどの静物画もリアルの極みだが、とりわけすばらしいのは裸婦像だ。

「深い眠り」(これがチケットの絵柄)、「ロシオ」、「新聞紙の上の裸婦」などの白黒による裸婦像は、とりわけ、その肌触りまで感じられそうですばらしい。

いくつかあるうちの晩年の自画像2枚くらいはエドワルド・ナランホのそれ(長崎県立美術館に所蔵の全裸の自画像のみならず)などを思わせて、この流派の人々の通底性が確かめられる。

未完に終わった「横たわる自画像」の肘の下あたりには、「肌の内側(静脈)は大袈裟なまでに暗く/腕はもっと暗く」のメモがスベイン語で書いてある。この書き込みはアントニオ・ロペスの製作途中の線のように生々しい。

「アントニオ・ロペスの線」というのは、『マルメロの陽光』での話。この映画のDVD、紀伊國屋書店の人はこれもクリティカル・エディションで復刻したいのだと言っていたが(『ビクトル・エリセDVD-BOX』のときの話)、まだならないな。いろいろと難しいのかな……

2011年8月29日月曜日

今日は焼き肉の日?

焼き肉の日、なのだそうだが、焼き肉など食べていない。歯医者、皮膚科医、学生の書類に署名捺印……そして映画に行ってきた。

アレハンドロ・ゴンサレス=イニャリトゥ『ビューティフル』(スペイン/メキシコ、2010)

離婚して子供アナとマテオを引き取っているウスバル(ハビエル・バルデム)が、前立腺ガンで肝臓にも転移があって2ヶ月くらいしか生きられないとの宣告を受けて、死ぬ準備をする物語。といっても、単純な「死ぬ準備」の物語ではない。むしろ、大切な人には言えないまま、否応なしに死んでいく物語。周囲もそれに合わせるように崩壊していく。

重要なのは、ウスバルがセネガルや中国からの移民のインフォーマル経済の元締めみたいな仕事をしているということと、彼が死体のメッセージを聞き取ることのできる特殊能力を有していること。前者の要素が物語を一気にカタストロフへと導き、後者の要素がストーリーに短編小説のような謎を付与し、いくつかのセリフの対応が生きてくる。

ゴンサレス=イニャリトゥは、ギジェルモ・アリアガと組んで、3つの相異なるストーリーがやがて絡み合っていく話を作ってきた人物。アリアガと決別して彼が選んだストーリーの作法が、ひとつのプロットにこうした三重の意味合いを持たせて深みを出すことだったというわけだろう。

彼がかかわっている移民のうち、セネガルからの住民たちは、禁止区域で商売するばかりか、薬物まで扱っているらしい。ウスバル自身も薬物使用経験があることがほのめかされているし、別れた妻マランブラ(マリセル・アルバレス)は双極性人格障害(つまり、躁鬱病)で入院経験があり、ときおりDVにも及ぶ。問題ありな人ばかりだ。ウスバルは警察に賄賂を渡してセネガル人たちを大目に見るようにと頼んでいるのだが、ついには検挙、集団強制退去にいたり、ボス格の人物の妻イベ(ディアリアトゥ・ダフ)を引き取ることになる。一方、中国人たちは建設現場に無理矢理送り込んで働かせるのだけど、気遣いからプレゼントしたストーブによって集団一酸化炭素中毒、25人もが死んでしまう……もうカタストロフに向けて一直線だ。つらい。

前立腺のガンだから何度かウスバルは何度か失禁するのだが、しまいには大人用紙おむつまでして、いたたまれない。ゴンサレス=イニャリトゥの映画は、いつもながら、つらいなあ。

ところで、映画とは関係ないのだが、ちょっと気になったこと:冒頭近く、雪山でハビエル・バルデムが若者と言葉を交わすシーンがある。後に繰り返されて、その意味がわかるこのシーン、ふくろうの死体を見つめるバルデムに、若者がタバコを吸いながら話しかけてくる。ひとしきり言葉を交わした後、ふたりは打ち解ける。打ち解けたしるしに、握手なんかしたらいやだな、と思っていたら、そんなことはせず、若者がバルデムにタバコを勧めた。バルデムは受け取って火をつける。うん。これでいいんだ、と思った。思ったはいいが、ところで、ますますタバコを吸うシーンに厳しくなる昨今だ。これから先はこのつくりは難しくなるだろう。では、代わりにどんな行動があり得るのだろうか? ふたりの初対面らしい人物が打ち解け、握手でなしに、その打ち解けたことを示す動作……?

ま、なんでもあるか。ぼくが考えることではない。ストーリーテラーたちに考えてもらえばいいことだ。

2011年8月25日木曜日

肉にめまいを覚える(性的に?)

デヴィッド・マッドセン『カニバリストの告白』池田真紀子訳(角川書店、2008)

は、2年ほど前、出版された直後に読みかけで少し紹介したことがあったが、実は、そのまま放っておいた。たぶん、次に出る翻訳に競合する作品だろうとの思いから、続きを読んでみた。

天才料理人オーランド—・クリスプは人を殺し、あまつさえそれを料理して食べた罪で投獄されている。その彼の回想録に、ときおり彼を鑑定した精神科医の書類や手紙などが挿入されながら綴られる、その逮捕までの経緯(本当はそれ以後もある)。

生まれてすぐに母親の乳首を噛みちぎろうとした、生来の食人者であるこの人物、早くから人肉および肉全般に魅了され、料理人になることを決意する。乳首を噛みちぎろうとしただけでなく、美しい母を愛し、崇拝し、その反面、みじめな父親を憎んで育つのだが、母が急逝したために、耐えられなくなって家出、エグバート・スウェインのもとで修行を開始する。

オーランド—というのはとても魅力的な人物らしく、師匠のエグバートに言い寄られ、いやいやながら関係を持ち、それをテコに昇進し、顧客の老未亡人にも言い寄られ、やはり不承不承関係を持ち、財産をせしめて念願の店を持つ。店には前のオーナーの置き土産のような男女の双子、ジャックとジャンヌがいて、このふたりが実にいい働き(実利的に、という意味でもあり、裏で上客に体を売って剰余価値を産み出しているという意味でも)する。

順風満帆だったオーランド—も、なぜか料理評論家のアルトゥーロ・トログヴィルには悪し様に書かれ、いさかいを起こすのだが、あるとき、再婚するからと金をせびりに来た父親を、オーランドーは衝動的に殺してしまい、ばれないようにとその婚約者も殺し、そのふたりを使った料理をトログヴィルおよびその他のクライアントたちに食べさせたところ、とんでもない効果が現れて、……。

食人を巡る話なので、猟奇的なのかと思えば、それほどでもない。何しろ、食人鬼自らがその経緯を語り、その語る過去というのが典型的なエディプス・コンプレックスを思わせる母への愛と父への憎しみだったりするものだからわかりやすい。エグバートもトログヴィルもでっぷりと肥ったホモセクシュアル(後半にはネオナチのホモで、加えてSM趣味なんて人物も登場する)、ジャックとジャンヌは瓜二つで神秘的な雰囲気を漂わせ、と、登場人物の(今風に言うなら)「キャラが立っている」ものだから、おかしくさえある。加えてどんでん返しを含む大団円で話がまとまるのだから、実に楽しい一編のエンターテイメントといった感じだ。

もちろん、料理と食人をめぐる話なので、各章に料理のレシピを掲載しており、それもまた楽しい。しかしこのレシピ、やはりこうした小説である以上、普通ではありえない。そのうち現れるレシピは人肉を使ったものになっていくし、「ノワゼット 燃え盛る情熱のクリーム添え」という料理では、「肉の入ったフリーザーバッグを世紀にかぶせ、ジッパーを締め直す。バッグはかなり大きめのものにしておくこと。ペニスは勃起させる(ただし射精はしない)必要があるからだ。勃起しないままだと、気の抜けたような仕上がりになってしまうので要注意」(231ページ)などという指摘まである。

猟奇的というよりば、ゲラゲラ笑える。少なくともぼくは笑いながら読んだ。

2011年8月23日火曜日

街に出たら映画を観よう

エミリオ・アラゴン『ペーパーバード:幸せは翼に乗って』(スペイン、2010)

スペイン内戦末期をプロローグに置き、その終結直後を主な時代設定とする。ホルヘ(イマノル・アリアス)とエンリケ(ルイス・オマール)のコンビが主な活動の場とするバラエティ劇団に、両親を亡くしたらしい子供ミゲル(ロヘル・プリンセプ)が引き取られることになる。ホルヘはフランコ側の空爆によって妻子を亡くしているので、子供にはつらくあたる。このふたりの交流が大きな軸のひとつ。ホルヘは共和派の戦士でこそなかったけれども、どこかの党派の工作員ではあったもようで、書類の偽造なども手慣れたもの。劇団には他にも同志がいて、総じて共和派シンパか、そうでなくてもフランコには批判的な者ばかり。これはこの時代を扱う以上、なくてはならない要素。軍はこうした不穏分子を監視するために、パストールというスパイを大道具係として送り込む。

ときおり、軍の監視を受け、ひやひやさせられる試練をくぐりながら、劇団は地方公演に出る。そしてある日、フランコの前で彼らの公演を行うことになる。ホルヘよりも戦闘的な同志、大道具のペドロ(ハビ・コール)は色めき立つ……

ストーリーはここから二度ほどのどんでん返しがある。中身は言うまいが、とうぜん、ハッピーエンドではない。それを補うかのようにエピローグがある。負けてしまった側の者を描くときに、こうしたある種の来世志向のようなヴィジョンが産み出されるのはしかたのないことだと思う。あまり好きではないが悪くはない。作り方もうまい。最初のころにホルヘが子供を亡くしてしまうのだけど、瓦礫に埋まった腕だけを映して死体を描かないところなど、安心して物語に入り込むことができた。化粧していかなくて本当に良かったと思う。あやうくパンダになるところだった。

老婆心。これからクライマックスに向かうことを予感させる不穏な出来事が劇場で起こる。劇団の若い団員を気に入ったらしい軍人が、任務でもないのに興業を観に来たので、ホルヘが「フランコとは暮らせない」という歌を歌う。この歌、たとえば「パインを買いたいのにザクロも買えない」「1フランでは生きていけない」というダブルミーニングの単語を使っていて、なかなか難しい。ザクロgranadaは手榴弾のことでもあり、ホルヘはこれを投げる格好をしながらこの部分を歌う。そしてフランスの通貨であるフランはfranco、つまり総統と同じ名のだ。この部分は2番では「フランコとは暮らせない」と訳されていて、それが歌のタイトルにもなっているのだけれど、

他にも気になったところがあったような気もするが、はっきりとは覚えていない。ともかく、ゴヤ賞の楽曲賞を受賞したこの印象的な歌は、そういう多義性をうまく利用した抵抗の歌としての機能を果たす。解説は蛇足ではないと思う。

授業のない日は街に出よう

10月に出す翻訳の初校ゲラは先週末に出した(と思ったらもう今日には再校が届くという!)。昨日が締め切りだった採点は、どうにか終えた。晴れて夏休みと言っていい期間に突入したわけだ。夏休みと言っても、毎日読んだり書いたり翻訳したりしているわけだが。少なくとも授業と大学の業務のない期間に享受できることは、街に出ることだ。

そんなわけで、行ってきた。エドムンド・デスノエス『低開発の記憶』出版記念映画上映+トークショウ@アップリンク・ファクトリー。

翻訳者であり映画の字幕製作者である野谷文昭さんと、映画の配給会社代表の比嘉世津子さんのトーク。

野谷さんによる、翻訳にいたる経緯の説明から始まって、ふたりでの映画と小説の違いの検討へと話が移っていった。いまだにこの作品が映画学校などではドキュメンタリー・フィルムとフィクションの融合の例として、教材に使われるという比嘉さんの指摘、主人公が引用するネルーダの詩が小説と映画では異なるという野谷さんの指摘などは教えられるところがあった。最後にふたりが一致して言っていたことは、10月危機の恐怖を主人公が感じているのに誰にも伝わらないという恐怖、これが(小説でも映画でも)いちばんの主張ではないかということ。

2011年8月20日土曜日

あえて核から一歩引いて考える

昨年、坂手洋二さんと仕事をする機会があったというのに、彼、および燐光群の代表作「だるまさんがころんだ」は観たことがなかった。このたび、江東区文化センターで3日限りの上演があるというので、行ってきた。ふだん燐光群がよく使う下北沢のザ・スズナリの小さな空間でもともと上演されたこの作品を300人くらいはキャパがあろうかというホールでの最初の公演とのこと。

海外派兵で地雷処理を拝命した自衛官、対抗する組との抗争に備えて地雷で自営しようとする暴力団、日本で唯一地雷を作る会社のとある会社員の家庭、片足が義足で、地雷処理の仕事をしようとしている女子大生と先の暴力団のちんぴら、国際紛争で住む村が地雷原になってしまい、難民となる前に地雷をしかけることにした、南洋のどこかの国の集落の者たち、などを中心に、90年代から2001(つまり、9・11)前後の紛争の時代を描いた傑作だ。

坂手が燐光群を立ち上げる直前ぐらいに小劇場を席巻していた劇団のレパートリーは、当時のサブカルチャーに歩調を合わせるように、黙示録的ヴィジョンに満ちていたように思う。核の存在を前提とした想像力に縛られ、核戦争後の終末の世界を描く、『マッド・マックス』的、永井豪的(『バイオレンス・ジャック』)物語だ。川村毅(第3エロチカ)の『新宿八犬伝』などだ。核という切り札に目が眩まされがちだけれども、ほとんど使われない核などよりも、90年代、よほど問題になったのが地雷やクラスター爆弾だった。前の世代の想像力に見切りをつけるように、現実の問題としての地雷を題材に、地雷についての蘊蓄をふんだんに盛り込みながら、地雷が存在することにより可能な思考を盛りだくさんに盛り込んで、これは新時代を画したというにふさわしい。フクシマによってまた核に考えが行ってしまいがちな現在だけれども、地雷を巡るこの考察はないがしろにしてはいけない。

義足が義手義足になり、やがてサイボーグ化していく女を演じる小山萌子がいい。

2011年8月19日金曜日

夢見るは1日1冊

10月に出る翻訳の校正に追われていた。校正が終わってもまだ採点が終わらないので、これにも追われている。どうしても1日のうち2、3時間は活字が頭に入らない時間帯があるので、根を詰めて、というほどではないにしても、だいたい机につきっぱなしだ。勘違いされがちだけど、ぼくらにはお盆休みやら夏休みやらといったものは無縁だ。

校正は一度、原文とつき合わせて細かく見た後に、ざっと一渡り原文なしで、語調とか細かい統一などをチェックするつもりで読み返したが、その二度目の読みに2日かけてしまった。200ページばかりのあまり長くない小説のゲラなのに。つまり、1日につき100ページくらいしか読めなかったということだ。

もちろん、原文から離れてとは言っても、実際には、その2回目の読みの最中も、何度も原文を見返していた。それでも、ずいぶんと少ないものだな、と悲しくなる。そういえば、学生のレポートだって、せいぜい2、3枚だ。それが100通あったとしても300ページだ。それに何日もかけているのだものな……

学生のころ、1日1冊、必ず本を読むのだと決心したことがあった。何が何でも、1冊、読む。厚さや難易度に無関係に1冊だ。読めなかったら、その場合は、読んだことと見なして、もう二度とその本は読めないものとする。そう思うと何が何でも読まなきゃと思うだろうから、そういうことにする、と決めた。例によって三日坊主になると困るので、あまり厳しすぎないように、たとえば読まない日があってもいい、とか、あまりにも面白いので絶対に読み終えたいけれども、1日で読めないものは2日かけることを許す、といった例外措置は設けながらではあったけれども。

そうしてみてわかったことは、意外にそのくらいはできるものだということ。場合によっては2冊だって可能だということ。そして、むしろそのくらいのスピードで読んだ方が頭に入ってくるものがあるということ(ということは、逆に、ゆっくり読んだ方が頭に入るものもあるということだが)。

さて、それで、校正の読みというのが、どうにも曖昧だからいけない。時間をかけなければならないことは間違いない。だから、まあ1日100ページしか読めなかったとしてもしかたがない。いや、1日10ページでもいいかもしれない。でも、速く読んだ方が誤植など見つかったりする(校正の主な目的のひとつは、これだ)ことがあるから困るのだ。あんなに何度も声に出して繰り返し読んでみても見つからなかった誤植やら「てにをは」の脱落やらが、ページに目をやっただけで次を捲ろうとした瞬間に見つかったりする。だから二度読むのだが、その二度目の読みで日に100ページしか読めないとなると、ずいぶんとゆっくりだなと落胆してしまうのだ。

もちろん、その間には採点対象の学生のレポートとか、他の本とか新聞、「あとがき」を書くための資料なども読んでいたのではあるが。

若いころ1日1冊、などと勢い込んだのは、おそらく、若さなりの焦りとか、スピードへの強迫観念とか、そういったものだろうと思う。今となっては本当に忙しくなって時間がなくなったし、人生の残りの時間なんてものもあまりないな、と思うからでもある。

ところで、……だから、1日1冊の原則。実は今でも堅持している。問題は、例外措置と見なすものが多いということだ。今日の1冊は……