2010年2月28日日曜日

幼時の記憶

チリのコンセプシオンで大地震があり、津波が来るというので、朝から警報が出されていた。津波を待った1日だった。

津波についての話は、台風の話と並び、子供のころ親から聞かされた自然の脅威を巡る最大の恐怖の物語のひとつだった。フィクションや民話という意味での物語を別にすれば。

大地震の後には津波というのがやってくる。津波はとても大きな波で、高い場所に避難しなければ人はそれにさらわれてしまう。いったん潮が引き、干潮か? と思った後に迫ってくるのだ。等々。そんな話を聞かされ、ぼくは心底震えた。それを語られたときを思い出すと、台風か何かでできたような大波が海岸を洗う映像がオーヴァーラップする。

今回、津波に注意を向けるついでに、1960年のやはりチリの大地震で、津波が日本にも押し寄せ、140以上の死者・行方不明者が出たとの記憶が呼び戻された。

ぼくが親から津波の話を聞かされたのは、きっと、その60年の記憶が親に残っていたということなのだろうなと気づいた。ぼくは63年生まれで、上のような話に震えおののいたとすれば、物心つくかつかないかの2、3歳のころのはずだ。だとすれば地震と津波から5年しか経っていないことになる。親がその津波を経験したとは思わないが、きっとそのニュースは聞いていただろう。それを物語って子供に伝えたのだ。

もちろん、その話を聞く光景に、大波のスペクタクルな映像が重なるのは、その後のぼくの映像体験によるもののはずで、しかも、台風ではないのだから、波しぶきが高く上がる絵などは津波の現状にもあっていないはず。津波というのは水位があがる現象なのだから。局地的な波のしぶきではなく、海面がせり上がる感じだ。

でもやはり北斎の富士の絵みたいに波が立っている方がドラマティックに思えるから、そんな絵を思い浮かべて自ら物語にしているのだろう。ぼくなりに様々な記憶が混入する物語となっているのだ。

記憶と言えば、チリのコンセプシオン。ここには大学があり、この大学で1962年、作家会議が開かれた。この会議が1960年代のラテンアメリカ文学のいわゆるブームの到来を告げたようなものだと、チリの作家ホセ・ドノソは位置づけている。誰にも害を及ぼさない大きな揺れが始まったのだ。

2010年2月27日土曜日

最終講義

昨日は秘密のミッションで朝から夕方まで大学に閉じ込められた。

帰りしなに買ったのは、サンティアーゴ・パハーレス『螺旋』木村榮一訳(ヴィレッジブックス2010)

なんと1979年生まれの若い作家だ。

今日はこれから同僚にしてぼくの共編著者である谷川道子さんの最終講義。

2010年2月25日木曜日

1日で終わった

入試の2次試験。監督。外語は2科目だけなので(ちなみに、ぼくのときは3科目。そしてもちろん、センター試験の前身の共通一次は一律5教科7科目受けねばならなかった。念のため)、1日で終わる。実際、1日で終わった。

300人以上収容の最大の部屋での監督ははじめてのこと。300人以上といっても、ぎっしりつめての話。入試の場合は間を空けるから、180人ばかり。余裕を持たせて160数人の部屋だった。全員がロシア語専攻の受験生。

ロシア語専攻は英語専攻やスペイン語専攻同様、最大多数派。入学定員70人、前期日程定員50人。3倍強の倍率だから、この人数になる。おのずと疲れる。実際、疲れた。

大学に行って受け取った。ご恵贈いただいた本。坂田幸子『ウルトライスモ――マドリードの前衛文学運動』(国書刊行会、2010)

デザインがとてもかっこいい本だ。

ラファエル・カンシーノス・アセンス(マルガリータ・カンシーノ、つまり、リタ・ヘイワースの遠縁の親戚に当たるそうだ!)によって創始されたスペインの前衛詩運動ウルトライスモ。若きボルヘスがこれにかぶれ、アルゼンチンに帰国後、アルゼンチン版のウルトライスモを立ち上げたことで知られるこのムーヴメントをたどった本。

かつて『モダニズム研究』(思潮社、1994)という分厚い VA (多数の著者)の研究書に「ウルトライスモ」という文を寄せていた著者のその後の研究の成果がまとめられた一冊。『セルバンテス』、『グレシア』、『ウルトラ』といった当時の雑誌の復刻版の出版や電子化によって可能になった章などを含み、最後はボルヘスやメキシコのエストリデンティスモ(「絶叫主義」というのが集英社の『世界文学大事典』の採用している表記)にまで目配りを見せる。

エストリデンティスモの幻影を追う者たちの小説の翻訳を出版しようとしているぼくには貴重だ。

ボルヘスは、実際、若いころ、「ウルトライスモ宣言」などというのを書いている。「それがウルトラの美学だ」などとその文章を結ぶものだから、何だ、M78星雲の美学か? と揶揄されたとか。

あ、
  ……もちろん、……
           冗談、
  です。

2010年2月24日水曜日

Por fin


やっと終わったのは、試験の採点。おびただしい枚数の解答用紙だ。やれやれ。

明日は入試2次試験。ぼくも監督に立たねばならない。つらい仕事だ。

2010年2月20日土曜日

お買い物♪

本屋で見つけた。今月の新刊。

種村季弘『魔術的リアリズム――メランコリーの芸術』(ちくま学芸文庫、2010)

1988年、PARCO出版から出た本。出たてのころ、池袋西武の(パルコでなく)書店リブロで立ち読みして、

(……)各時代にくり返し現れる精神史的常数が「魔術的リアリズム」であって、その特殊二〇年代ドイツにおける一局面を「ノイエ・ザッハリヒカイト」とする、という概念規定である。(略)いずれにせよ、それなら「ガルシア・マルケスの魔術的リアリズム」についてはいうまでもなく、「三〇年代アメリカの魔術的リアリズム」という言い方も、あまつさえ「ピエロ・デラ・フランチェスカの魔術的リアリズム」という言い方も、難なく成り立つことになる。(9ページ)

という箇所で、うーむ、どうしようか、買おうか買うまいか、と悩み、

書き残したことがいくつかあると思う。とりわけ一九四五年以後の魔術的リアリズムの動向のことがある。その一部はかつてスペインの魔術的リアリズムについての小文(略)に記したことがあり、バルチュスの中央ヨーロッパ的感性についてのべたエッセイ(略)も一種の魔術的リアリズム論として書いた。(287-288ページ)

の一文で、やはり今は見送っておこう、と思った一冊。貧乏な身には買う本の吟味も必要なことだった。

すっかりナラトロジーの用語のように勘違いされ、「マジック・リアリズム」などと言われるようになった「魔術的リアリズム」。これがその出自において美術用語だったということを思い出すためにも。ポスト表現主義の、ドイツで言う「ノイエ・ザッハリヒカイト」新即物主義とでもいうのか? それだったという話。

ちなみに、マドリードのソフィア王妃近代美術館には「魔術的リアリズム」と称する部屋がある。

それから、ちくま学芸文庫のためのオリジナル翻訳:

ル・コルビュジエ『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』山名善之/戸田穣訳(ちくま学芸文庫、2010)

そうそう。明日はこれです

2010年2月18日木曜日

似たもの同士

法政時代には試験期間ごとに三度ばかり他人の授業の試験監督をしなければならなかった。外語に移ってからはそういうことはなく、たまに准教授以下の教員が人数の多い授業の試験監督手伝いにかり出されるとのことで、ぼくは異動後、今日が二度目のその手伝い。

ソ連・東欧地域社会論という題目の授業。非常勤のY先生の担当だ。主にロシア語専攻や、チェコ語、ポーランド語などの学生が取っている授業。中に数人、スペイン語の学生がいた。あるカテゴリーの授業として受講すればそれも可能だ。

問題を配りながら、2人もの学生から「兄弟ですか?」と尋ねられた。しかもそのうちひとりは、今年、ぼくが分担するふたつのリレー講義を受講していて、レスポンスシートに、「この間の授業でもそうですが、今回もよくわかりませんでした」というようなコメントを書いていた学生。ということはぼくが誰だか認識しているはずで、YはYでも、この授業担当のYさんとは違う苗字だということが分かっているはず。それなのにぼくに向かって「え、兄弟じゃないんですか?」と訊くんだものな……

監督しながら、この授業担当者と兄弟であることの可能性を考えてにまにまとしていた。

……あまり気持ちのいいものではない。

2010年2月17日水曜日

記憶

そして今日はその確定申告の用紙を提出に行った。

そういえば去年も確定申告したのは今頃で(当然だが)、提出の日は雪が降っていたな。今日は雪こそ降らなかったものの、たいそう寒い日だった。寒い日に金を取られに行くのだから、心はすさむ。

遠いところに車を停め、てくてく歩いて提出に行った。帰りしなコーヒーを買い、駐車場近くのオリジン弁当で昼食用にお弁当を買い、大学に向かう。

昼は会議、その後、会議、さらに会議、そして会議。合間に採点。採点の仕事は持ち帰り。果たして終わるのか……

以前ちょっと話だけしていた企画について、いよいよ真剣に考えておけと言われ、構成や文章、資料などについて思いを巡らせながら帰る。今年中にできるかなあ? ……そうそう。記憶についての話だ。

2010年2月16日火曜日

確定申告はお早めに

確定申告の用紙をサイト上で作成し、プリントアウト。非常勤先からもらう額が意外に多いなと思っていたら、源泉徴収額が少ないだけのことで、結果、結構な額を納めなければならなくなる。原稿料やら印税やらといったものも(些少ではあれ)あるので、よけいに大変だ。そして、そんな収入があったというのに、暮らし向きは決して楽になっていない。どうしたわけだ? もちろん、ここには書けないわけがあるのだ。我が身を哀れむばかり。

マリオ・バルガス・ジョサ『嘘から出たまこと』寺尾隆吉訳(現代企画室、2010)

バルガス=リョサに罪はない。『嘘から出たまこと』は重要な著作であろう。エッセイ集、書評集だ。しかし、せっかくスペイン政府とセルバンテス文化センターから助成金を得て、セルバンテス賞受賞作家の翻訳シリーズの一巻として出す、しかもこの翻訳者本人の選定によるものなのに、たとえば『山羊の祝宴』といったいまだ訳されざる長編小説を出さずに、これを出すことの恣意性は問われなければならないだろう。ましてやこのひとつ前の同シリーズの同訳者(兼選定者)による一冊が、エルネスト・サバトの、やはりいまだ訳されざる記念碑的小説『アバドン』ではなく、いささかオールド・ファッションドなエッセイ『作家とその亡霊たち』であったことを思えば(この本に対して『朝日新聞』書評欄で奥泉光がなにやら皮肉な評をかいていたっけ)、ますますのこと。

『山羊の祝宴』はドミニカ共和国の独裁者ラファエル・レオニダス・トルヒーリョを題材にしている。ジュノ・ディアスの『オスカー・ワオの短くも驚くべき人生』でもトルヒーリョは扱われている。ディアスの小説はもうすぐ翻訳が出るはずだ。ぼくならバルガス=リョサの作品の中から好きなものを翻訳しろと言われれば、今なら断然『山羊の祝宴』を選ぶ。ディアスと読み比べができるじゃないか。会話を促進できる。授業で使いたくなる。

くれぐれも言うが、バルガス=リョサが訳出されることは、何であれ嬉しいことではある。そのことに変わりはない。

2010年2月13日土曜日

しばれる東京


三宮から新神戸までゆっくり歩いて行くかと思ったら、どうもその辺がひとつの観光スポットらしく、こんなところに寄ったりしていた。

そのうち、「風見鶏の家」がなんとかという案内板が出てきて、ぼくの脳がむずむずしてきた。

何だっけなあ? 風見鶏。中曽根康弘でないことは間違いないんだが。

ああ、そうだ! NHKの連続テレビ小説に『風見鶏』というのがあった。誰が主役をつとめたやつだったかな?

浅茅陽子? あれは『雲のじゅうたん』という女性パイロットの話だった。

ぼくが子供のころ憧れた手塚理美さんだっけ? 大山巌の妻になった、津田梅子らの留学仲間の話? パン屋をやるという話だったっけ? 

「風見鶏の家」、入ってみたら、そこの売店に当時のポスターがあった。主演は新井春美(現・新井晴み)だった。モデルとなったのは別物らしいが。パン屋の話だ。

すっかり観光客だ。

新幹線の中では、こうやって、校正の作業。しこしこと。


家にたどりついたら届いていた。『NHKラジオ まいにちスペイン語』2010年3月号。「愉悦の小説案内」最終回。最後はぼくの人生を変えたかもしれない一冊。アレホ・カルペンティエル『失われた足跡』「比喩で世界の変化を感じる」。文章の最後に〈最終回〉と記されていた。

あさっては修士論文の面接審査。

2010年2月12日金曜日

そして神戸

神戸に来ている。

博士論文の審査のためだ。カルペンティエールについてのもの。いろいろと言いたいことがあったけれども、受け答えを聞いている限り、認識や勉強量の問題というよりは書き方の問題なのだろうなと思われたので、とやかくいうこともなく、がんばってねと励ました次第。

審査に加わったフランス語の先生は、わざわざカルペンティエールの全作品を翻訳で読んで審査に臨まれたとか。そうそう。そういう善意の地道な努力に基づく審査を行うものなのだよな。ぼくはたまたま全部読んでいたからよかった。

ん? ということは『春の祭典』も読んでくださったのですね。どうもありがとうございます。

で、ちょっと時間があったので、中央公園のマリーナ像。震災の記憶。大震災の際に転倒し、時計が止まってしまったので、いつまでも忘れないために、止まったままの時計を抱えるマリーナ像をこうして飾っている。彼女の腹の肉感などに感心しているぼくは不謹慎か? そんなことはない。なにしろカルペンティエールの話をしようとしていたのだ。知覚の拡大だ。

2010年2月11日木曜日

今日は祝祭日なのか?

昨日は配給会社の方に誘っていただいて、トークショーつき試写で以下の映画を。

キャリー・ジョージ・フクナガ『闇の列車、光の旅』(アメリカ、メキシコ、2009)

製作総指揮にガエル・ガルシア=ベルナルやディエゴ・ルナが名を連ねるが、出ているわけではない。彼らの製作会社カナナが加わっているということ。サンダンスをくぐり抜けてきた若い監督の初長編。

ホンジュラスから母親の働く合衆国へと向けて旅立った少女サイラ(パウリーナ・ガイタン)が北・中米全域にネットワークを持つギャング団MS-13のメンバーでありながら裏切ったために追われることになったメキシコ最南部の町の少年カスペル/ウィリー(エドガル・フローレス)と出会い、貨物列車の上で旅をする話。初夏に公開とのこと。

移民問題、その移民の副産物としての少年ギャング団の問題などを扱っている。会場のセルバンテス文化センターには、どうやらその方面に関心を持っているらしい人々がたくさん来ていた。というのは、上映後のトークショーで質問に立った人々がそうだったからだ。

フクナガはVictoria para chino(2005)という、やはり移民を扱った短編でサンダンスの賞を獲ったということで、社会派とみなされるのだろうが、家族を描くことに興味があるのだと言っていた。2週間ほど前に柴田元幸さんがアメリカ文学が家族を書くようになってきたと語っていたことを思い出した。

ところで、ここで描かれた少年ギャング団MS-13(マラ・サルバトゥルチャ)というのは、エルサルバドル移民がロサンジェルスでチカーノの不良たちから身を守るために作ったグループ。これが凶悪化したために強制送還された連中が、内戦ですさんだエルサルバドルでさらに凶悪化し、ネットワークを広げたのだそうだ。

二人称単数の代名詞にvosが使われる、voseoの現象も描かれ、傍系の興味も尽きない作品。フクナガ自身は文法的ミスは多々犯しながらも(典型的なアメリカ人らしいアメリカ英語的訛りのほとんどない)スペイン語で作品を語っていた。

2010年2月9日火曜日

終了

昨日、8日(月)、授業が終了した。カレンダー上は今日までが授業日。ぼくは火曜日は非常勤に出ている日だから(そして非常勤先はもう終わっているから)、今日は授業がない。

で、授業日だというのに、今日は教授会。教授会があるとなんだか水曜日のように思えてくる。教授会終了後、シラバス記入を終え、早くも来年度の態勢作りだ。ただし、これから今学期の試験やレポートの採点に追われることになる。つらい日々。試験の採点はぼくには一番苦手な仕事だ。

金曜日は神戸。


前回書いた、教え子の勇姿を見るためにテレビをつけた際(まだ目当ての番組が始まるだいぶ前の話)、スクリーニングの話をしていて、なんとかという経済学者だかなんだかが就職活動で学生に課されるエントリーシートなど、企業は中身は重視していなくて、文章がちゃんと書かれているかをみるのだという話をしていた。それがその志望者のやる気を浮かび上がらせるのだとか。

当然の話には違いない。ぼくが人名の表記を間違える翻訳者にがっくり来るのと同じ道理だ。学生が「エントリーシートが……」と言ってきても文章の添削くらいしかせず、丁寧に嘘をつけと言っては信頼を失っているぼくとしては、にもかかわらず内容が重要だと思う頑迷な信仰はなくならないのだろうと絶望的に思う。

レポートやリレー講義でのレスポンスシートを読み、いくつかの現象を眺めながら、こうしたことに思いを巡らせていたのだが、まあ具体的な事例は出すまい。出せるはずもない。出すのも面倒だ。

そんな暇があったら採点を一刻も早く終わらせればいいのだろうけれども、ぼくは本当にこれに時間がかかってしまう。いちいちそんなことをしながら採点しているのかと、隣にいる人に笑われたことが過去にもあった。

2010年2月7日日曜日

テレビの力

昨日のリストは当面の仕事のものだが、そこにシラバスの記入、法政のシラバスの訂正、教科書の選定と注文、などという項目も抜けていた。

さて、昨夜の「着信御礼! ケータイ大喜利」。教え子が説明役で出ていたので見たわけだ。この番組自体は何度か見たことがあるにしても、今回はまたしても親心で。終わって「見たよ」などとメールを打ったはいいが、今朝になって返事が返ってきているのを確認して、少し反省した。ぼくとしてはまあいつもの調子だったわけだが、きっとぼく以外の個人的知り合いなどから「見たよ」の電話やメールが引きも切らせずにあったんだたろうなと思う。それに返事をしなければという気遣いをさせてしまったのは、いかにも申し訳ない。

何しろ、非常勤で出講をお願いしているので、数年前に彼女を担当したはずのたこ焼き村先生まで、ご自身のサイトの掲示板でつぶやいていたものな。彼女を応援する2チャンネルのスレッドは当然のことながら、こうして多数の反応が巻き起こるのだろうな。それがテレビの力。

ところで、たこ焼き村先生、あんなに忙しい人がテレビなんか見ていて大丈夫なのかな? と老婆心ながら思う。もちろん、他は一切見ないがあの番組だけは、という意気込みで「ケータイ大喜利」を見ているというのなら話は別だが、テレビなんて見なければもう少し仕事は楽になると思うと言ってあげたいな。

少なくとも、活字メディアを主たる表現場所として選んだ人間のうち、多産な人々には確実に共通する行動特性があって、それが仕事を主に朝することとテレビを見ないことだ。ましてや、加えて教育だの大学運営だのの仕事がある大学教員は、たこ焼き村先生なみに忙しい人は、テレビを断ちきるべきだと思うな。

かく言うぼくは、今、N響アワーでのマーラーなど聴きながらこれを書いているわけだが、それは別の話。

活字メディアを主たる表現場所として選んだ人間は、テレビなど見ない。昼食後、散歩に出て近所の書店を冷やかしながら、永江朗『書いて稼ぐ技術』(平凡社新書、2009)などを立ち読みした直後のぼくとしてはそう思う。

活字メディアがナショナリズム生成に果たした役割について論じて明快だったのがベネディクト・アンダーソンだが(そもそも、マクルーハンだって言っていたはずだが)、彼が分析したのは主に19世紀の話。テレビは活字以上にナショナルなメディアだ。ハイチの大地震のその後のことよりも、トヨタのリコール問題よりも何よりも、朝青龍の引退問題がトップに来るのがテレビのニュースの特性。日本の場合。相撲? 嫌いではないし、なにより相撲は日本のプロ・スポーツの中では奇跡的なまでに外国人に対して開かれた(その後、また閉じたのだが)存在だから(ところで、アマチュア相撲の指導者たちがばんばん海外に出向いていって指導し、普及活動をしていることを知っているか?)、朝青龍問題も確かに大きなものには違いないのだが、でもその取り上げ方が品格の有無といった次元である限りにおいて、やはりナショナルなニュースだろうな。

そんなわけで、教え子のテレビ出演の話に始まって、テレビは見るなという話に終わる。これが何よりも彼女に対して申し訳ない話か? 悪いね。でもだからといって君の仕事場が解体の危機に陥ることはないと思う。ぼくがなんと言おうと人はテレビを見続けるのだから。ぼくだって映画やスポーツやニュース番組くらいは見る。演劇やらコンサートやらも。「ケータイ大喜利」? うーん、どうだろう。君が4月から放送が月3回に増えると告知したばかりなのだけどね……


あ、そうそう。本屋を冷やかしたついでに、無印良品の店で買った電波時計アラームつき。欲しかった一品。そしてなんと! レジには現役の教え子の姿が……

2010年2月6日土曜日

途方に暮れる

残りの授業は月曜日の大学院前期と後期、ふたコマだけ。木曜には「表象文化とグローバリゼーション」の試験を行った。

さて、その授業の答案が250枚ばかり+出席チェックの済んでいない毎回のレスポンスシート。「比較文学 テクストの宇宙を行く」の受講生が100人ばかり(全員がレポートを出すわけではないし、レポート読みは分担だが、ともかく、まとめるのはぼくの役目)。レギュラーで持っている「アメリカ文化論II」が50人弱。スペイン語が70人ほど。修士論文残りが1本。卒論12本。博士論文1本(ふう)。いつまで経っても終わらないゲラ(なぜだ?)。ホテルの予約と新幹線の手配。見たい映画。出願締め切りと奨学金の通知の時期のずれで途方に暮れる研究生候補への対処(ぼくの問題なのか?)。新型インフルで試験を受けられなかった学生のための新たなテスト問題作成。締め切りを過ぎた気の進まない原稿。誘われたイベント。交換留学の学生たちに関する、まったく仕事をしようとしない先方の大学への、気の進まない連絡。

やれやれ。誰かに教えて欲しいものだ。いったい何から手をつければいいのか? 

すべてから逃避する、というのが一番現実的な案。で、卒論の学生と夕食に行ったりしているから(昨日のこと)ますます事態は紛糾する。

お、卒論の学生と言えば、元学生、ここに出る予定だとの噂が…… がんばれ。かくしてぼくはまた逃避する。

2010年2月2日火曜日

慌てるな、もうすぐ終わる

1月31日(日)にはさっそくスタジャンを着てお出かけ♪ 卒業する学生や卒業した元学生たちと。

で、本屋で見つけたのが、マルコス・アギニス『天啓を受けた者ども』八重樫克彦、八重樫由貴子訳(作品社、2010)。

『マラーノの武勲』のアギニス、2作目の翻訳。訳者も前作同様、八重樫夫妻。二段組みで500ページの大作だ。みんな長いのを書くし、長いのを訳すなあ、と感心ひとしきり。今度神戸に行くときにでも読んでおこう。

昨日、2月1日は図書館主催の講演会「読書への誘い」。通常の2時限の時間に行った。講演は永井進さん。「環境と経済」。「環境経済」の思想が1970年に既に提示されたこと。しかも日本発で。都留重人などが。という話など。永井さんはぼくのかつての同僚で、外語のドイツ語学科(当時)の出身。知り合いの学生が、感銘を受けたようで、そのようなコメントをしていた。

雪だというのに、いや、雪だから車を放置して帰り、明けて今日、取りに行くついでに、試験問題の印刷などを済ませて、いよいよラストが見えてきた。