2022年12月21日水曜日

えぐられる肉体

子どものころ、掻爬という言葉の意味を知ったときにその生々しさ(「生々しさ」という言葉では表しきれないような痛み。肉体を削り取られる痛々しさ)にショックを覚え、その痛々しい感覚のままに頭にこびりついたものだ。そんなことを思い出させる映画を観に行った。映画の日で1200円だった。


オードレイ・ディヴァン監督・脚本『あのこと』フランス、2021、アナマリア・バルトロメイ他


今年のノーベル文学賞受賞者アニー・エルノーの「事件」菊地よしみ訳(『嫉妬/事件』堀茂樹・菊地よしみ訳、ハヤカワepi文庫、2022)の映画化作品。エルノーの経験に基づく(オートフィクションなどと称される)話で、人工妊娠中絶が法的に禁じられていた時代(小説の設定は1963年)のフランスの、地方都市の大学に通う女子学生が妊娠し、中絶の道を模索する話だ。飲食店の娘である彼女(映画の中の役名はアンヌ・デュシーヌ。バルトロメイが演じている)は卒業後教師になり、ステップアップすることを望んでいたので、ここでドロップアウトするわけにはいかないと思っていたのだ。


人工妊娠中絶の痛々しさ、そこへ向かうアンヌの焦り、大学都市の寮の雰囲気、いかにもフランス映画の大学のシーンに出てきそうな教室の雰囲気。映画がその観客による「体験」の感覚を謳うのはこうした要素の積み重ねによるものだろう。


ところで、これ。



よしだたくろう(吉田拓郎)『今はまだ人生を語らず』(CBSソニー、19742022


一曲目の「ペニーレインでバーボンを」に「テレビはいったい誰のためのもの/見ている者はいつもつんぼ桟敷」という歌詞があり、そのために長いこと再生することができなかった。CBSCBS時代の拓郎の全曲集を出したときはこの曲だけ外され、全てのアルバムがシャッフルされて再編されていた。2006年のつま恋でひさしぶりに歌ったときには「見ている者はいつも蚊帳の外」と歌詞を改変して歌った。


このたび、拓郎の引退宣言をきっかけに、「ペニーレインでバーボンを」のオリジナル歌詞もそのままに、74年のアルバムをリマスターして発売するというので、買ったのだった。パネルつき特別版(左下)。僕はもともとのオリジナルのアルバムを持ってはいたのだが、もうなくしてしまったので。


ところが、ふと気になってわが家のCDをかき回したところ、見つかった。CBSソニーが「CD選書」のシリーズ名の下に1990年ごろにリリースした『元気です』、『ライブ ’73』とともにこれを買っていたのだった(左上)。


そこまでのコレクターではないので、CD選書版は、よかったら、どなたかに差し上げます。ご連絡ください。


そして、去年の大晦日に見た映画、國武綾監督『夫とちょっと離れて島暮らし』(リンク)DVDが発売されたので、買ってしまった(右)。


2022年12月20日火曜日

ジョニー・アッベスの鞄

授業で以下の小説を読んでいる。


Mario Vargas Llosa, Tiempos recios, Alfaguara, 2019.


仮に『難儀な時代』と訳しておこう。1950年代、軍政を脱却して民主化され、農地改革などによって近代化の道を歩もうとしていたグワテマラを、ユナイテッド・フルーツとCIAが共謀して共産主義の、ソ連の橋頭堡になろうとしているとのキャンペーンを張った上で再び軍政化する話。民主的に大統領に選ばれて農地改革を進めたものの退陣させられるハコボ・アルベンス、その彼に恨みを抱いてCIAと手を組み、「解放軍」を名乗って政権転覆、その後大統領になるものの暗殺されたカルロス・カスティーヨ=アルマス、彼の愛人になるマルタ・ボレーロ、その家族、らの半生と、カスティーヨ=アルマス暗殺に関与したかもしれないエンリケ・トリニダー=オリーバやジョニー・アッベス=ガルシーアらの暗躍が交互に描かれてバルガス=リョサらしい展開だ。


さて、最後に名をあげたアッベス=ガルシーアはドミニカ共和国の独裁者ラファエル・レオニダス・トルヒーヨの秘密警察SIMの長官だった人物(カルロス・カスティーヨ暗殺にトルヒーヨが関与していた、という解釈なのだ)。つまり、この小説はまた『チボの狂宴』(2000/八重樫克彦、八重樫由貴子訳、作品社、2011)の続編というか、姉妹編というか、スピンオフというか、そんな趣もある。


トルヒーヨ暗殺後、SIM長官の職を解任され、日本大使館に飛ばされるジョニー・アッベスに関しても『チボの狂宴』で描かれているのだが、そこでは大統領ホアキン・バラゲールの視点から描かれていた。ところが今回はアッベスの立場から、もう少し詳しく描かれているのだ(XXX章)。大統領との会見の翌日、カナダ経由で日本に発つことになったアッベスは、こう叙述される。


 彼についての伝記や新聞記事、歴史書に現れる最後の写真(ただし彼はその後何年か、あるいは何年も生きながらえるのではあるが)は、この日の朝、カナダ行きの飛行機の搭乗口に向かう際に撮られたものだ。そこでの帽子をかぶった彼はそれ以前の写真ほど太っても膨らんでもいないようだが、私服姿、暗い色のネクタイに細身の三つボタンのジャケットを二つ掛けにし、大きな書類鞄を手にしている。まったく不釣り合いな白い靴下が、SIM長官は上品さなど微塵も知らぬ出で立ちだとのトルヒーヨ元帥の言葉を裏づけている。(295-96


 授業は10回から12回でこの小説を読み終えるという主旨のもので、毎回、参加者が内容をまとめて報告し、疑問点などを協議するというものだ。必然的に一度に30ページばかりを読むことになる。今日、このページを担当した受講生がハンドアウトにこの写真を貼りつけてきた(リンク)。現実の出国直前のアッベスの写真だ。小説での記述そのままである。この細部は『チボの狂宴』にはなかったもの。

(ちなみにこのリンクを貼った記事には、アッベスがその後ハイチに行き、デュヴァリエに仕えたとの説が紹介されている)


さて、バルガス=リョサはただ「大きな書類鞄」と書いているが、その手に持っている開口部ががま口式のその鞄は、Top Frame Briefcaseとかローヤーズ・バッグ、ドクターズ・バッグとも呼ばれるが、日本では圧倒的にダレスバッグとして知られている。ジョン・フォスター・ダレスが米国務長官として戦後の日本に来日した際に持っていたので、そう呼ばれることになったバッグだ。そしてダレスこそはサンフランシスコ講和条約後、奄美群島の日本本土復帰を「クリスマス・プレゼント」の言葉とともに伝えた人物であり、その後、弟のCIA長官アレン・ダレスとともにグワテマラへの軍事介入を強行した人物だ。もちろん、『難儀な時代』にもたびたび登場する。


たぶん、ダレス・バッグはこの時代、あるいは一般的な書類鞄だったのだろう。けれども戦後の日本においてはその名を得ることになるほどに印象的に映ったらしいダレスとの繋がりを考えると、アッベスが国を追われるようにして去る(小説の中では日本にということになっている)際に手にしていた鞄には、もう少しの形容詞節がついてもいい。



写真上:僕の愛用するヘルツのソフトダレスバッグ(リンク)。永遠の定番。

また間が開いてしまったのだ

12月16日(金)には大原とき緒監督・主演の短編映画 Bird Woman を観に行ったのだ。シネマ・チュプキ・タバタで。


僕はこれの制作ためのクラウド・ファンディングにも参加したのでオンラインで見ることもできたのだが、小さいながらもスクリーンで、アフタートークつきで見られるし、田端は比較的近い(歩いて行けるし、実際、歩いて行った)ので、出かけていったのだ。


通勤電車での痴漢に悩まされている女性とき(大原)が友人のアーティストの作った鳥のマスクをかぶり、「バードウーマン」を名乗って電車内の痴漢を撃退、女たちの共感を得ていくという20分ほどの話。


最初に着替える(変身する)場所が都内に2箇所ほどあるらしい透明のトイレ(鍵をかけると壁が白濁して中が見えなくなる)であるところが、僕が気に入った点のひとつ。スーパーマンが電話ボックスで変身することの向こうを張っているのだ。


翌17日(土)、立教の授業後、受講生の方からその存在を教えていただき、昼は他の用があったので、それが早めに終わったからソワレには間に合ったので観に行ったのが、


神里雄大作・演出、『イミグレ怪談』岡崎藝術座東京公演@東京芸術劇場シアターイースト。上門みき、大村わたる、ビアトリス・サノ、松井周出演。


英語、スペイン語字幕つきの劇は、そのスペイン語のタイトルをHistorias de fantasmas inmigrantes という。3人の移民幽霊たちの話だ。


戯曲の段階では登場人物たちは番号で示され、それぞれ一人称はeu、二人称はvoce とポルトガル語で書かれている。さすがだ。ただし、上演にあたっては名前は「それぞれの俳優の名で演じられる」し、人称代名詞は「普段使うもの/使いたいもの」を使うとの指示である。実際、松井周は松井周を名乗っている。


沖縄とブラジル及びボリビアの移民に加え、ラオスへの移民を扱い、神里のふたつのルーツに第3極が加わったというところだろうか。そのラオスがヴェトナム戦争の影をいまだに引き摺っていることが語られ、「似たような話」を抱える沖縄と繋がる。

2022年12月4日日曜日

久しぶりなのだ

だいぶ長いことブログの更新を怠っていた。


いろいろと心を悩まされることがあって……というのは嘘で、単に愚図にしていただけだ。「していた」と過去形で書いたが、これから先もその愚図に陥らないと決まっているわけではない。


さて、そうは言っても最低限の仕事はしていた。


たとえば、これ。


ペドロ・アルモドバル『パラレル・マザーズ』(スペイン、フランス、2021。これの劇場用パンフレットにちょっとした文章を書いた。その一部が宣伝用コメントとして使われたりもした。


病院における子どもの取り替えの物語と思わせておいて、実際は1) 子どもや親といった関係が血縁による必要はないこと、 2) 劇中で演劇が用いられていること、の2点において『オール・アバウト・マイ・マザーズ』(1999の続編と言っていい。


一方、特にスペインの歴史との関わりを明示する必要のなかった前作との差異は、この作品のもうひとつのプロットであるスペイン内戦時の無縁仏(「仏」という語が彼らにふさわしいかどうかは別として)の発掘と再埋葬の作業に存する。内戦中ならば敵対する側であっただろう2人の母親が一度は子を取り替え、その後、それぞれにふさわしい子を持った上で和解し、無縁仏を手厚く葬るラストは、親子関係と国家の歴史(伝統)の類似と差異を暗示しているようでもある。


アルモドバルに特徴的な(カメラのホセ・ルイス・アルカイネに特徴的というべきか?)真上からのショットというのが少なかったという指摘をネット上で見かけたが、なるほど、言われてみれば1カットだけだったかもしれない。でもまあ、衣装やセットは相変わらずすばらしい。


つる子と二葉は相変わらず追いかけている。1118日には二葉の東京での独演会@日本橋公会堂に行ってきた。「子はかすがい」は2度目だが、巷間言われている子どもの役のうまさもさることながら、実はおかみさんの役割に独特の色気を出しているのだと気づかされた。女物の着物を着ていることもその一因だろうか?


またしても(去年に続き今年も)NHKの新人落語大賞、3位くらいの点数で大賞獲得ならなかったつる子も、今度、念願の「芝浜」おかみさんバージョンを聴きに行く予定だ。


今の家ではフレッツ光を使っていたのだが、今年に入ってから接続が悪くなっていた。一方で母の家などネット環境のないところに行くことも増えたので久しぶりにモバイル・ルーターを手に入れた。使ってみると家の中もこれ1台で充分用を果たすことが確認された。それで光を解約し、家の中でもモバイル・ルーターで済ませることにした。


もうひとつ最近の出来事としては、Audible を導入したことがあるだろうか。アマゾンの主宰するオーディオブックだ。サブスクリプションで聴き放題というのがあるので、たとえば、買うだけ買って積ん読中のものを、隙間時間に読み聞かせしてもらったりしている。なかなかいい。


ところで、原文に「視線」とあるのにそれを「めせん」と読む事例があった。「しせん」ではなく「めせん」と。俗語(かつての映像業界の俗語)「めせん」の横暴はここまできているのか? 

2022年9月22日木曜日

黒い弦に替えたのは……♪

今日問題にしたいのは、



これだ。


鉄弦とナイロン弦のギターを一本ずつ持っている。ナイロン弦のものは、そうは言ってもカッタウェイの入ったいわゆるエレガットではあるが。ともかく、それらを時々思い出したように引っ張り出してきてつま弾くくらいのことをやっていたのだが、最近では机の近くにおいて仕事に行き詰まったり疲れたりした時の気分転換に弾いている。つまり、少しだけ手にする頻度が増えた。仕事と気分転換では後者の方が楽しいから、気分転換の合間に仕事をするなんてこともある。


久しぶりにレパートリーを増やすことも考えた。そこでふと気づいた。


楽譜が読めなくなっている。


いちばん頻繁にギターを弾いていた中学生の頃は、楽譜が「読める」とまでは言わずとも、アルペジオやフィンガーピッキングの音は楽譜を見ながらたどっていったので、ある程度の勘は身についていたように記憶する。当時はTAB譜などないのが普通だった。


高校時代の寮生活でギターを持ち込めなかったので、そこでほとんどギターのことは考えなくなった。とはいえ、卒業後、しばらくの間は増やしたレパートリーはやはり楽譜を読んで練習したものだ。


大学に職を得て少し余裕も出たので思い出したように買ったギターとそのための楽譜類にはTAB譜がついているのが当たり前になっていた。20世紀の末におそらくTAB譜は標準となったのだ。


確かに楽ではあるし、僕もそれで何曲かは身につけたはずだ。


が、あらためて振り返ってみると、楽譜を見ていないと忘れたりしたときの再現性が格段に低くなって困る。やはりTAB譜などではなく楽譜を見て覚えた方がはるかにいい。TAB譜は、なんというか、外国語辞書の発音記号代わりに掲載されるカタカナ表記のようなもので、現実的には使いものにならないのだ。


で、どうにか楽譜を読みながら勘を取り戻していこうと言う気になっている。そうやってタレガの「ラグリマ」とかフリオ・サルバドール・サグレーラスの「マリア・ルイサ」といった比較的易しい曲を練習していた(そして少し、ほんの少しだけ勘が戻った……かも)。


そういうときにはやはりナイロン弦を使いたくなるもの。愛用のエレガットが活躍していた。


そのナイロン弦の張り替えの際に試してみたのが、上記写真。タダリオD’Addarioのその名も「ナイロンフォーク」。


鉄弦は弦の先にエンドボールと呼ばれるものがあり、これをピンで突き刺してブリッジの穴に埋めて固定する。簡単にできる。一方、ナイロン弦はエンドボールがなく、端を巻き付けるようにしてブリッジに固定する。弦交換は慣れないと面倒だ。慣れても面倒だ。


それで、上記のような、写真のような、エンドボールつきナイロン弦があることを知り、手に入れてみたのだ。


そしたら、1-3の高音弦3本が黒いものであった。このことは知らずに買ったのだが、意外な喜び。


昔、少年時代、日本在住のフランス人ギタリスト・クロード・チアリのギターに黒い弦が張ってあるのをTVでみてあれは何だろうと思った記憶がある。通常の白いナイロン弦ではない黒い弦。それが欲しいと思ったりもしたのだが(当時もナイロン弦と鉄弦を持っていた)、ついぞ手に入れることはなかった。それが今、思いがけない形で手に入ったのだ。


しかも、この弦の音が、心なしか通常のそれとは違い、より透明な感じがして、いいのだ。


これは頻繁に使うことになりそうだ。

2022年9月17日土曜日

月が出た!

フェデリコ・ガルシーア・ロルカ『血の婚礼』田尻陽一訳、杉原邦生演出、木村達成、須賀健太、早見あかりほか@シアターコクーン


大手ホリプロが、今、シアターコクーンで『血の婚礼』をやるというのは驚きではあるのだが、まあ、ともかく行ってみた。若いアイドル級の俳優たちだし、花婿の母親役は安蘭けいだしで、客のほとんどは女性であった。


僕の頭の中には最悪の改編の事例として、2007年のTBSとアトリエ・ダンカンによる上演がある。白井晃演出。音楽に渡辺香津美を起用したのはファンとしては嬉しいが、レオナルドと花嫁が逃げた後の森のシーンでは月と乞食という配役を廃して、その代わり「死」という新たな人物を登場させたりして、台なしであった。こうした改編はきっとある種のわかりやすさを模索した結果だったのだろうけれども、詩がそれだけで悲劇なのだということを忘れさせる。


そんな事例を思いだしたものだから、怖い物見たさのようなところもあったのだが、結果的に、このホリプロ版は、そうしたキャストの手入れをすることなく(レオナルドの妻の母親は削除されていたが)、ちゃんと月も乞食も出していて、良かった。しかもこの月、声が良いと思ったら安蘭けいが二役で演じているのであった。レオナルドと花嫁の韻文の台詞によるやり取りには、生演奏の音楽——ギター、チェロ、パーカッション——に合わせているのでダンスに見える動きを取り入れていて、これも良かった(白井版における森山未來の腰の据わっていない疑似フラメンコ的な踊りと違って、良かった)。男ふたりの殺し合い(原作では「叫び声が聞こえる」とのト書きで処理している場面だ)に殺陣を取り入れて、これがこの版が模索して得た「わかりやすさ」だったのだろう。


パネルのようなものを組み合わせて作った壁を一枚ずつ押し倒していくセットの仕組みも面白かった。


ちなみに、僕が演出した時には、ふたりが逃げた瞬間に壁を壊すという演出を試みたのだった。1985年のこと。



9月は名古屋で集中講義をし、アルモドバル『パラレル・マザーズ』の試写を観た。写真は名古屋のホテルにて。

2022年8月9日火曜日

エッフェル塔の文鎮

昨日、読み終えたのは以下の小説:



河内美穂『海を渡り、そしてまた海を渡った』(現代書館)


著者は中国研究者でこれまでに研究者としての著書もあるのだが、今回は、小説。


いわゆる中国残留孤児(さすがに現在では「孤児」は使わないか?)三代にわたる女性の話。三人がそれぞれ自分の人生と家族について二度ずつ語る形式。


王春連(ワンチュンリェン)は戦争で満州に取り残され、養父母に育てられた。自身の意志とは無関係に連れ添うことになった蒼東海(ツァントンハイ)とのあいだに三人の子をもうけたが、文革の時期に「日本鬼子」とされ迫害を受けた。その後、例の「残留孤児」帰国計画により日本に「帰国」。だいぶ年上の夫は、しかし、その直前に病死。本人は今では老人施設に入っている。


春連の娘が蒼紅梅(ツァンホンメイ)。知識欲旺盛で中国にいる頃は医者になりたいとも思っていたが、それもかなわず、母とともに日本に「帰国」後も学校でいじめなどに遭い、夜間学校を出て後、資格を取って今は医療機関で中国人たちの通訳をしている。一緒に帰国した夫の楊立軍(ヤンリージュン)は少数民族エベンキの出で、日本には馴染まず、中国に戻る。


このふたりの末娘の楊柳(ヤンリュウ)が三人目の語り手。日本人の翔太と結婚しいつきという子ももうけている。小説の終章では彼女が家族で父を訪ねていく。だから「そしてまた海を渡った」なのだろう。


女三代の物語を、それぞれの代の人物に焦点化して語るというのは、いってみればオーソドックスな形式だろう。たとえばイサベル・アジェンデ『精霊たちの家』。これは初代のクラーラのノートを三代目のアルバが読んで辛い時代を耐えるという話題から始まる話であった。つまり書き継がれ、書き換えられる物語だ。それに対してこの『海を渡り、そしてまた海を渡った』の女たちはまともに教育を受けられなかった者たちであり、つまりは『精霊たちの家』の対極にある。


その意味であくまでも興味深いのは二代目の蒼紅梅だ。無医村無文字の文化状況で、派遣された医師を通じて医学に興味を抱き、文字を覚え、知識欲を掻き立てられ、医師への道は開けることはなかったけれども、言語を変え、医療の現場で二言語の橋渡しとして生きる彼女と、結局のところ日本社会に溶けこむことの出来なかった夫・楊立軍のつがいのあり方がいろいろな意味でこの小説の構造を支えていると言えそうだ。



表題のもと。

2022年7月27日水曜日

ドアノーが迎えてくれた

フェルナンド・トゥルエバ『あなたと過ごした日に』ハビエル・カマラ他(コロンビア、2020は、


Héctor Abad Faciolince, El olvido que seremos (2006) の映画化作品だ。1987年、暴力の時代のメデジンで殺された父のことを小説化した作品、その映画化。脚本を息子のダビ・トルエバが、プロデューサーをシーロ・ゲーラの2作品をプロデュースしたダゴ・ガルシアが務めている。


大学の医学部教授であるエクトル・アバド=ゴメス(カマラ)が衛生面から予防医学に貢献し、しかし、そのリベラルな態度から大学を一度は追放され、アジアでの仕事の後にまた復職し、退職(実質的な免職)し、そして政治的なリーダーとなり、自由党から市長に立候補、殺されるまでを、息子のエクトル(ニコラス・レジェス=カノ/フアン・パブロ・ウレーゴ)の視点から語る。


アバド家には10人もの女たち(と原作小説では紹介される)がいて、男はふたりのエクトル(父と息子。下から2番目の子ども)という構成。この家族のメンバーが揃っているシーンが多く、これの描き方が良かったように思う。初孫が生まれ、それを見に家族全員が病室に揃うシーンなどは印象的だ。なぜ、どのように印象的なのかは、ストーリーに関わってくるので詳しくは言わないが、ある人物を目立たせるための全員の細かな動きが、きっと綿密に計画されたものなのだろうなと思わせる。


そういえば、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」が印象的。



こんなものをもらった。東京都写真美術館で数量限定で配っているらしい。


そして、これ:


佐藤究『爆発物処理班の遭遇したスピン』(講談社)


これは短篇集だ。8篇からなるのだが、扱っている題材の幅の広さに驚かされる。量子力学から映画のクリーチャー、戦後日本の混乱、零落する暴力団……等々。いずれも凄惨な事件を扱っていながら道具立てが面白く、引き込まれるのだ。


そういえば僕は昨年末、佐藤さんと立教大学で対談したのだが(そしてその際の記録のゲラをつい最近見ていたのでそのことに気づいたのだが)、その際、クリーチャー作家の片桐裕司さんに会ったという話題を出していたが、それはつまり2作目「ジェリー・ウォーカー」の取材か何かだったのだろうな、と思い至ったりする。まあ、これは二次的な豆知識。


僕はやはり、知性がない分、理知的なふりをしたい人間なので、「猿人マグラ」と「九三式」に強く惹かれた。それぞれ(前者はタイトルからわかるだろうが)夢野久作と江戸川乱歩を特集した雑誌が初出のようだ。それらふたりの作家――というより、彼らの時代――を扱っている。とりわけ前者は作者自身が夢野久作と同郷であるので、必然的にオートフィクションになるのだが、このジャンルとして読むと興味はますます尽きないのである。

2022年7月5日火曜日

紙は神である

学生時代、僕が住んでいた北区は、可燃ゴミは専用の紙のゴミ袋を購入し、それに入れて出す決まりになっていた。ゴミ処理の煙が問題だとして東京都全般が炭カル入りポリ袋に換えられた時には、それは一種の後退だと感じた。当時はそのゴミ袋には氏名記入欄があって、名前を書くようになどととんでもないことが言われていたので、僕はこれを決定した当時の東京都知事・鈴木俊一の名を書いて出していたものだ。


スーパーなどのレジ袋が有料化されたとき、これもまた民にのみ苦労を強いるこの国の官の圧政だと思ったし、何しろレジ袋はゴミ袋として使えるので、素材があやしくどこがエコなのかわからない「エコバッグ」を持つくらいならと金を出して買い続けている(レジ袋が無料の時代、不要にポリ袋を入れてくるスーパーの過剰サービスに辟易していたので、まあ、一長一短ではある)。


ところで、昔、イメージとしてのスーパーマーケット(つまり、フィクションや広告での買い物帰りの風景)は紙袋を提供していたものである。実際には、紙袋に入れてくれるところはほとんどなかったけれども。


さて、僕は廃棄時に分別を強いられるような肉や魚のプラスチック・トレイが大嫌いである。卵のも。プラスチックの廃棄が問題ならば、レジ袋を有料化して消費を減らそうなどとけち臭いことをいわず、パッケージの紙化、もしくは紙への回帰を推進すればいいのではないかと思う。もっとも、商店街の肉屋や魚屋でもいまではプラスチック・トレイを使う時代だ。コストもはるかにこちらの方が安いのだろう。



あることがきっかけで、ここ1年ほど、生ゴミはこんな紙袋に捨てている。水切りもできるし、丈夫な紙なので破れることはない。


ある日、ふと思ったのは、卵はまだ紙パックで売っている商品があるはずだということ。いつも使ういちばん近くのスーパーには、しかし、残念ながら、それがなかった。で、少し足を伸ばして別の所に行ったら、あった。



案の定、割高な商品ではある。でもまあ、100円くらいの差ならば、僕はむしろ喜んで差額を払いたいと思うのだ(いや、本当は決して喜んではいないけれども、それはまあ、言葉のあやというやつで……)。ついでにここのスーパーの弁当も紙の容器入りのがあったので、買ってきたのだ。こういうところが増えるといいな。


ちなみに、レジ袋は金を出して買うと言ったが、それはゴミ袋に使えそうな大きな袋だけだ。人のいるレジでお願いすると何も言っていないのについてくる、肉魚等の汁漏れを防ぐためらしいビニールの中袋は断固拒否する。コンビニのパン程度の買い物のためには、紙袋を持ち歩くこともある。これはある日、あるお菓子屋が商品を入れてくれた紙袋をついでに使ってから気づいたこと。遠い昔のイメージとしてのスーパーでの買い物のようだ。

2022年7月1日金曜日

自炊なら子供のころからやっている

自宅では


このキャノンのインクジェット・プリンタを使っていたのだが、コロナ禍、授業準備なども家でやることが増え、やはり文書のプリントアウトはレーザープリンタにまさるものはないので、2年ほど前に



これを買ったのだった。モノクロだけど、プリントアウトするものはだいたいテクストなので、問題はない。で、キャノン、どうしようかなと思っていたところに、


鎌田浩毅『新版 一生ものの勉強法』(ちくま文庫、2020にカラーのインクジェットとモノクロのレーザー、2台のプリンタを持って使い分けるのが良いと書いてあったので(109-12)、それもそうかと思い、使い分けている。幸い(?)コロナ禍で印鑑を押した書類をメールでやり取りすることも増えたので、カラープリンタはあるに越したことはないので。


プリンタはいずれもスキャナつきなので、本などをスキャンするときはレーザープリンタのそれを使っていたのだが、キャノンのそれの方がiPad miniで操作できるし、そうなると操作性がより良いので最近はこれを使っている。


書類のスキャンには、僕は以前からScan Snapを使っていた。大学にはix1500があり、それは今では最上位ではなくなったけれども、充分に満足する速度と機能なので、問題がなかった。そして家ではこの



ix100 というモバイル型のものを使っていた。両面ではないし、自分で給紙しなければならないのだが、大量のスキャンならば大学でやればいいだけのことだった。


が、やはりコロナ禍で家での作業が増えたので、常々、家にも大量スキャンできるScan Snapが欲しいと思っていたところ、出たのだ。



ix1300(既に上の写真に写り込んではいたのだが)。最上位ではないが、コンパクトで、実に使い勝手がいい。何しろ、



開いたときに給紙のために紙を支える板が自動的に飛び出すし、スキャンを始めると排紙用の板がやはり自動的に出てくるのだ。Uターン型で、手前にせり上がってくる形なので、場所も取らない。


昨日はこれでさっそく古いノートを裁断してPDF化していたのだ。いわゆる本の「自炊」のノート版。


これでコピーしたまま紙が黄ばんでいく一方の論文や雑誌記事などを次々とPDFにしていくのだ。

2022年6月28日火曜日

本当に面白かった


吉田拓郎『ah-面白かった』(AVEX


既にどこかには書いたことだが、僕が生まれてはじめて自分の金で買ったレコードは吉田拓郎(当時はよしだたくろう)『元気です』(CBSソニー、1972だ。僕は決して吉田拓郎のファンらしいファンではなかったけれども、それでも最初に自腹を切って聴く気になったミュージシャンであり、ある一時期の僕を規定した人物のひとりには違いない。その彼が人生最後のアルバムと称して出すものを買わないでいられるわけはない。


タイトル曲が最後にあり、しかもそれはこのフレーズ「あー、面白かった」で終わるのだが、曲内で何度目かになる「あー」のこの最後の叫びが、実によくて涙なしには聴けない。そんなアルバムが、今日、届いた。


何よりも嬉しいのは「雪よさよなら」。これはごく初期の、最初の個人アルバム『青春の唄』に収め、その後、猫というユニットに提供した「雪」という曲に原曲に存在しなかった3コーラスめを加え、小田和正に編曲とコーラス、そしてヴォーカルを頼んだ作。ライナーノーツで言うには、拓郎自身が当時のアレンジを気に入らず、その後歌っていなかったこの曲を小田に頼んで蘇らせたのだとのこと。今回のものは気に入っているらしい。小田とのコラボレーションという意味でも。


実は僕はこの曲がかなり好きで、しかも拓郎自身が気に入らなかったという『青春の唄』のヴァージョンが好きで、折に触れて思い出し、ギターをつま弾いては口ずさんだりする曲のひとつなのだった。ライナーノーツの内容とほぼ同様のことをどこかでしゃべった記録を、実は昨日YouTubeに薦められて聴いて知り、ひょっとしたら拓郎自身と僕の決定的な趣味の違いを露呈する結果になっているのだろうかと、危惧しつつ、待ちきれず聴いたら、まったくの喜憂で、これもまた素晴らしい仕上がりであった。


付属していたメイキング映像のDVDによればヴォーカルのレコーディングを終えて花束ももらった後になって、23、シャウトを入れた方がいいと思いついて新たにそれを録音したらしい。こうした態度がファンには嬉しい。シャウトは彼の持ち味のひとつなのだから。