2009年2月28日土曜日

口中に広がるとうもろこしの記憶

昨日はおととい作成した確定申告の用紙を提出に税務署まで、雪の降る中を行ってきた。

帰りしな、その名もTAQUERÍAというタコス屋を見つけた。「タコス屋」の意味だ。昼食はそこで摂った。

ぼくは研究者たちが研究対象となる地域に自らを同化して盲目的な愛を語るのが信じられない。ぼく自身はメキシコ研究者という意識はないし、そんな思いを持っているものだから、メキシコへの愛をそれらしく語ったことはないと思う。ある学生によると、今年の2年生の間ではぼくはメキシコ嫌いで通っているらしい。その程度にはひねくれている。

が、メキシコ出張が近づくにしたがい、台所に立っている時など、口の中にとうもろこしのトルティーリャ(タコスの皮ね)の味が広がるのを感じ、メキシコ市の街角の屋台のタコスの味などを思い出しては、一刻も早く食べに行きたいと身震いしている。まったく、……体は正直だ。

夜は大学院後期の学生たちと新宿のau bon accueilで食事。

お、そうそう。その前に寄った紀伊国屋での収穫:マルコス・アギニス『マラーノの武勲』八重樫克彦、八重樫由貴子訳(作品社、2009)

アルゼンチンの作家アギニスの本邦初訳。16-17世紀の南米大陸での異端審問と(タイトルから察せられるとおり)ユダヤ人を扱った小説。大部だ。

今日はこれから同僚の最終講義、そしてパーティ。

2009年2月26日木曜日

昔は良かった

ある仕事。明日までかかるかと思ったら、今日で終わった。やれやれ。

出張前に出張費が振り込まれた模様。やれやれ。

しかし、確定申告の用紙にウェブ上で入力したところ、飛行機代程度は税金を取られる模様。やれやれ。

昔は良かった。確定申告の頃にはそう思う。昔は確定申告といえば還付金をもらうためのものだった。今では追徴金を払うためのものだ……追徴金というと、脱税したのがばれて払った金という感じか? いや、別に悪いことしたのではなく……

久しぶりに今年度は非常勤に行ったし、原稿料などの収入もあったし、それらが20万を超えたから、確定申告が必要になったのだ。非常勤先からの給与の税は低い税率で引かれているから、正当に払わなければならないのだ。痛い。

今年は車検もあるので、同様に金が飛ぶ。やれやれ。

「やれやれ」ばかりだ。やれやれ。

何気なく書いたが、出張、行きます。またメキシコに。今度はメキシコ市だ。DFだ。ただし1週間にも満たない。物足りない。でも行くことは行く。ポソーレを食べに行く。タコス・アル・パストールを食べに行く。それが出張の目的……というのはウソ、もちろん。

2009年2月25日水曜日

出来!

25日は国立大学は前期日程入試の日だ。監督に当たっていた。


元来受験者が2人しかいない部屋に割り当てられたが、欠席者が2人。つまり、出席者0! 遅刻を認める30分まで待って、後はお役ご免。

家に帰ると、アマゾンから送られた本に混じって、これが。ご恵贈いただいたのだ。

アデライダ・ガルシア=モラレス『エル・スール』野谷文昭/熊倉靖子訳(インスクリプト、2009)。

そう、あのエリセの映画の「原作」。「原作」としたのは、実際に世に出たのは映画の方が早かったし、異同は多いし、だからだ。しかし、映画に負けず劣らず叙情味たっぷりの中編小説。

先日の『ビクトル・エリセDVD-BOX』のブックレットで既に予告されていたので、訳者の野谷さんとお話ししたときに、あれ出るらしいですね、と話題を振ったのはいいが、出版社までブックレットに明記されていたというのに、そんなことすっかり忘れて、ところで、それ、どこから出るんですか、などと間抜けな質問をしたものだった。インスクリプトです。

表紙の写真があまりにもすばらしかったので、書影をご紹介。なんと、港千尋の写真だった。

2009年2月24日火曜日

飼い犬に……

しかしそういえば、数年前にはやった韓国のドラマの主人公も「ペ」だった。あまり「ペ」をスキャンダラスに感じることもないな。――昨日の記事を書いてからそう思い直し、では「ペ」の受賞を祝って、何か「ペ」の出た映画を……おお、そうだ、アスセナ・ロドリゲス『捕らわれた唇』(スペイン、1994)などはどうだろう。

そう思って近づいたら、なんと! となりには、カルロス・サウラ『カラスの飼育』(スペイン、1975)があるではないか! これがDVDになっていると知らず、つい最近気づき、手に入れたまま見ていないのだった。当初の目的からはずれるが、これにしよう。

両親を相次いで亡くして叔母に面倒を見てもらうことになった3人姉妹の次女アナ(アナ・トレント)が、優しかった母(ジェラルディン・チャプリン)と彼女を裏切った父を思い出し、叔母の暴君ぶりに馴染まず、耐えきれず、殺人を計画するというもの。回想と現在とが混在するその手法がなかなかいい。

これを見るのは実に20年ぶりくらいで、ストーリーもおぼろげだったのだが、挿入歌ジャネットの「だってあなたがいないから」"Porque te vas"は鮮明に覚えていたものだ。

原題はCría cuervos 。これは"Cría cuervos, y te sacarán los ojos"(カラスを育ててみろ、目をくり抜かれるぞ)ということわざの前半部。「飼い犬に手をかまれる」というやつだな。「犬」ではなく「カラス」であるところなどは、もっと教訓的な意味合いが強いというべきか? 「だから言わんこっちゃない。カラスなんざ飼わないことだ」という意味か? しかも目をくり抜かれるなんて!

カラスを演じるのが『ミツバチのささやき』から2年後のアナ・トレント。目のくり抜き方がいい。

2009年2月23日月曜日

おめでとう、ペ!

特にペネロペ・クルスの熱狂的ファンというわけでもないし(もちろん、嫌いではないのよ)、アカデミー賞に権威を感じているわけでもないが、まあ、ともかく、ペネロペ・クルス、アカデミー賞助演女優賞受賞。めでたい。ぼくの大好きなウディ・アレンの映画『それでも恋するバルセロナ』Vicky Christina Barcelonaでの受賞というのだから、ますますめでたい。

で、数時間後には別のニュースに張り替えられるのだろうが、とりあえず、このリンク先のニュース。ここでは"Pe"がオスカーを受賞と書かれている。(ペネロペのスピーチ映像は右上の"And the Oscar goes to..." というやつの方がたっぷり……この記事をアップした翌日、チェックしたら、案の定、もうだいぶ様変わりしていた。TVEのニュースのサイトだ)

"Pe"だ。Penélopeだから"Pe"だ。たぶん。

……「ペ」

「ペ」で良いのか? ペネロペはそれで承知しているのか? 

そりゃあね、"Pene"なんてやったひにゃあ、もっと哀れなものだし(peneはつまり、ペニス)、"Lope"じゃあ男みたいだ。でもなあ、いくらなんでも「ペ」はないだろう、「ペ」は。「カトちゃん、ペ」の「ペ」だぜ……

2009年2月22日日曜日

永続的締め切り恐怖

忘れないように言っておくと、先日のシンポジウム終了後も、ある原稿と他の原稿を仕上げ、送り、そのひとつは校正さえもしている。それ以外に試験を採点したり、ぼくの勤める大学の風物詩として、その答案返却要請に応じたり、ある人々に連絡を取ったり、というようなことをしている。

そういうことをしているかたわら、片目で「二十世紀の造形芸術が最終的にたどりついた状態は、〈永続的美的革命〉と名づけられよう」(ヴィーリ・ミリマノフ『ロシア・アヴァンギャルドと20世紀の美的革命』桑野隆訳、未来社、2001)なんてパッセージを読むと、「21世紀の大学教員が最終的にたどりついた状態は、〈永続的締め切り恐怖〉と名づけられよう」と言い換えては自虐的にほくそ笑むことになる。ふふふふ……

2009年2月20日金曜日

記憶について考える


昨日は成績の一部を提出し、学生の面接、一年の答案の返却、等々の業務をこなし、その後、3年のゼミの連中とともに新年会(!)。いまさらながら。


場所は国分寺のメキシコ料理店。意外な穴場であった。なかなか良い。写真はデザートのブニュエロ。

彼らが1年のころのスペイン語の教材に、このブニュエロを題材にした読み物があったようで、この品名を見た瞬間に、何人かがこれを頼むことを決意した次第。

途中、店内のBGMで「グワンタナメラ」や「ベサメ・ムーチョ」がかかり、他の学生がぼくの地域基礎の授業でこれを聴いたときの衝撃を語っていた。

つまり、学生たちは意外に授業の内容に衝撃を受け、その衝撃によってある種の事象を記憶している。

きっとこれも他の授業で聴いて記憶したことを書いているんだろうなと、他のあるリレー講義の試験の採点をしながら、共通するトピックの多さに辟易する(どうせならこの授業で聴いたことを取り上げてくれよ)と同時に、そう予想している。

2009年2月19日木曜日

作家の家

17日火曜日は修士論文の面接審査。3つほどこなす。今日は朝から会議。大学院教授会が終わったのは7時半ちかかった。


うーむ。相変わらず殺人的だ。

昨日いただいたのが、これ。

F・プレモリ=ドルーレ文、E・レナード写真、M・デュラス、プロローグ『作家の家――創作の現場を訪ねて』鹿島茂監訳、博多かおる訳(西村書店、2009)

何度か書いていることと思うが、何しろ人の書斎をのぞくのが好きだ。のぞき見趣味だ。だからヴァージニア・ウルフ(これが「わたしだけの部屋」だろうか?)とかマルグリット・ユルスナールの家などの写真は見飽きない。

2009年2月16日月曜日

終わった

14、15日と、シンポジウム「トランスナショナル/トランスカルチュラルな比較地域研究」を開催。終わった。疲れた。ぼくは時々、メキシコから参加のホルヘ・ドゥランの通訳すらしたのだが(発表者だというのに!)、こういうことをしていると、訳しやすい発言と訳しにくい発言があることがはっきりわかる。訳しにくい発言というのは、要するに、非論理的な発言ということだ。

ぼくの発言は訳しにくいだろうか……?

ぼくの発表自体はスペイン中世からの民衆詩ロマンセのメキシコおよび米墨国境地帯における変種としてのコリードのある重要な一篇にかかわる態度をルイス・バルデス『ズート・スーツ』(少なくともその映画版、1981)が取り込んでいるのではないかとの仮説の提示。

2009年2月12日木曜日

時間について考える

昨日愚痴を言った仕事は終わった。やれやれ。

それで、別の仕事のために、やはりこの分野を扱うなら古典的な1冊だし、読んでおくべきだろうと思って取り寄せたのが、

シュテファン・ツヴァイク『昨日の世界 I 』原田義人訳(みすず書房、1999)

これは原田訳で1952年に出たものが、彼の死後、幾人かの手によって改訂され、まず1961年、ツヴァイク全集第一次第17巻として出され、73年、同全集第二次第19巻になった。全集とは別個に出されたのが1999年ということ。

しかも! 2006年に第2刷が出ている!

うーむ。7年かけて2刷が出るなんてことがあるんだな、こんな硬派な本でも。ぼくも希望を捨てないでおこう、などと思うのだった。ちなみに、今、机の上でその隣に置いた、日本のある学者の本は1993年発行で95年に2刷が出ている。

学者の本でも2刷が出るのだな。ぼくも希望を捨てないでおこう。

ツヴァイクの『昨日の世界』は、そういえば、最近出たジャン・クレール『クリムトとピカソ、一九〇七年――裸体と規範』松浦寿夫訳(水声社、2009)にも言及されていたな。「一九〇五年から一九一五年にかけての十年間のあいだに、シゥテファン・ツヴァイクが「昨日の世界」として思い出すこの古きヨーロッパのあらゆる国々で、ほとんど同時に出現した深い変容」……(11ページ)と。

2009年2月11日水曜日

外国語教育の難しさを思う

「外国語教育の難しさを思う」というほど深刻な話でもない。あるシンポジウムに出なければならない。発表しなければならないのだ。それだけでも重荷だというのに、それに呼ぶメキシコ人社会学者との連絡係をしたり、彼のペーパーの翻訳のチェックをしたりしている。どっちかに集中させてくれ、と叫びたい。

で、そのペーパーの訳。スペイン語版と英語版がある。英語版をバイト学生に訳してもらったので、チェックしてくれと言われた。一行読んでやれやれとため息をついた。またか。結局一からぼくがやるようなものだ。

英語版とスペイン語版の齟齬なんて問題ではない。そりゃあ英語版の方が舌足らずになっている箇所はあるし、1、2カ所明らかな間違いもある。でも、それは1、2カ所だ。舌足らずな箇所というのも、理解するには問題ない。形容詞が一個足りないくらいのものだ。そういった点とは無関係な場所で、どうもいただけない訳なのだ。

時々、とんでもなくとんちんかんな訳をしている。どうしてだろうと原因を探ってみると、要するにその段落で言われていることを把握せず、枝葉末節で微妙な誤解を重ねたあげく、そこにたどり着いているという次第。結局この人は、わからない箇所をわかろうとして何度も何度も文章を読み返したり、一字一句辞書を引いてみたりという作業をしていないのだろうなと予想する。これではテクストをわかったと思う瞬間の快楽を感じていないのだろうな。

何よりもいけないのは、どうせチェックが入るだろうからと思っているのか、わからないところをわからないままに放って置いていること。スペイン語の読みがわからないからとアルファベット表記のままにしたり(そのくせ、いくつかはカタカナにしようとして間違えていたり)、文意のくみ取れない箇所に下線を引くだけであなた任せにしたり(いや、でもね、下線の引いていない部分にとんでもない間違いがあるのだよ)……で、あげくに、橋渡しの人に伝えたメッセージが、「プロテスタントとカトリックの文脈の差というのがわからなくて、しっくり来ない箇所が……」だと。

いや、そんな大げさな話じゃないよ。君がわかっていないのは "would" のニュアンスなのよね。

……あ、いかんいかん。知らない学生に対する愚痴を言っている。個人攻撃というよりは一般的な教訓だと取っていただきたい。

つまり、辞書を引こうね、というお話。

早いところ作業の続きに取りかからねば、危機だ。とんでもない危機だ。まったく時間がない!

2009年2月6日金曜日

メモ

NHKのBSで放送中の『モーターサイクル・ダイアリーズ』を見ながら、そういえばこれは、若きエルネスト・ゲバラがダンスが下手だということを描いた映画なのだなと納得する。

1限が1年生の試験。これで今年度残すは月曜日の博士後期課程の最後の授業のみとなった。

このところ更新を怠っていたのは、以前告知したシンポジウムの準備などで忙しかったから。次から次へとやるべきことが出てきて困る。

2009年2月2日月曜日

知らなかった



これがDVDになっていることを知ったのは昨日のこと。急いで注文したら、もう来た。
カルロス・サウラ『ブニュエル――ソロモン王の秘宝――』(スペイン・メキシコ・ドイツ、2001/ギャガ)

ブニュエル生誕100年を記念して作られた作品で、日本では未公開のはず。脚本に『ブニュエル、ロルカ、ダリ』のアウグスティン・サンチェス=ビダルが参加している。ぼくはこれをカラカスで見たのだった。
さらに知らなかったのだが、これはスペインのアカデミー賞などとたとえられるゴヤ賞を受賞しているとか。

ゴヤといえば、授業が終わってぼんやり眺めていたTVEのニュースの報じるところによれば、今年のゴヤはハビエル・フェセール『道』Caminoに決まったとか。主演女優賞がペネロペ・クルスで主演男優賞はベニシオ・デル・トロ。

作品賞にはギジェルモ・マルティネスの『オックスフォード連続殺人』を映画化したアレックス・デ・ラ・イグレシア『オックスフォード事件』もノミネートされていたらしい。

さて、ではサウラのブニュエルへのオマージュを……と思ったが、残念! ともかく今日は急ぎの仕事がある。

2009年2月1日日曜日

本当に1月は終わったのだな

昨夜、まだ深夜にならないうちにAOLダイアリーは閉鎖され、リンクも新AOLページに飛ぶようになった。

今朝、独自ドメイン "Criollismo.net"すらつながらなくなった。相関関係はないと思うが。

あ、そういえばそうだよな、と思いだし、海野弘『アール・ヌーボーの世界――モダン・アートの源泉』(中公文庫、改版:2003)なんてのをぱらぱらと読んでいた。目下、一番遠い締め切りのためになるかならないかわからない、という程度の文献。でもまあ、牽強付会に役立たせてしまえ。

……その前に、あれをやって、それからあれを仕上げて、あれも……といろいろあるのだけどな。

あ、そういえば、『イスパニア図書』(行路社)の最新号に自著『ラテンアメリカ主義のレトリック』について書いた文章を載せた。それが届いたのだけど、大学に向かう時にポストから抜き出し、そのまま大学に持って行ったので、詳しい書誌情報などは、忘れた。

ともかく、最新号だ。よかったらどうぞ。