金曜の授業が捌けてから箱根に行ったのは、夏休みにおこなうはずだったゼミの学生たちとの旅行が色々あってずれ込んだということ。ともかく、箱根に行った。行った晩は軽く宴会をして、翌朝、ポーラ美術館を訪ね、「アンリ・ルソー バリの空の下で:ルソーとその仲間たち」を堪能する。ルソーが世紀転換期の変遷するパリを描いていること、そしてその時代のパリを覆う想像力が飛行機や飛行船と熱帯の猛獣にあったこと、ルソーの想像力がここに依拠していること(彼のジャングルはパリの植物園のジャングルだ)などが明示され、ついで、ルソーの同時代人や信奉者、ルソーが産み出した息子たちまで並べることによって、今度はその想像力の広がり、展開を示してみせた。ジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』(1901)が流れていた。
常設展というか、ポーラ美術館の収蔵品もなかなかのもの。セザンヌ、ドガ、モネ、モジリアニ、ローランサン、トゥールーズ=ロートレック、ピカソ、フジタ、東山魁夷に岸田劉生まで。
とって返して高円寺。座・高円寺で燐光群『3分間の女の一生』坂手洋二作・演出。袖すり合うも多生の縁ということか、ご招待いただいたので、お言葉に甘えて。
30ばかりの場面がすべて3分間から成り立つ、というのが宣伝文句。しかし、ストーリーも3分という時間を巡って展開されるもので、実に発想の勝利というか、コンセプトが際立っていて面白い。1972年、カップヌードル発売の年に、ぴったり3分時計なしに計れる自分の能力に気づいた主人公くりた(竹下景子)が、同じくらい3分という時間にとりつかれたかおる(円城寺あや)と組んで「3分間研究所」というものを旗揚げ、「3分叢書」というシリーズの本ですっかり有名になるが、かおるは父親から暴力を受け、我が子を手放した記憶から、やがて怪しげなセクトのような活動を始め……という話。
クイア、家庭内暴力、幼児虐待、セクトのようなコミューン、代理母、普天間基地、等々、現代的なモチーフがこれでもかと贅沢に込められているけれども、それが嫌味にならないのは、人生において大切なものの持続時間は3分間、という前提条件にインパクトがあり、かつ説得力があるからだ。嘘か本当かわからないが、ナチスのガス室がガスを流している時間(つまり人を殺すのに要する時間)も、ジャンヌ・ダルクが火あぶりにされて死ぬまでも3分間、などと最初の方で吹き込まれれば、それも信じてしまいそうになる。本当なのだろうか?
余談ながら、時代を反映した冗談などが散りばめられていて、もう少し笑いが起こってもよかったかなという気がしないでもない。だって、竹下景子に向かって「3分の女王」だぜ! あの三択の女王に。竹下景子と言えば、ぼくは舞台で見るのは初めてなのだが、生で聞くと声が思っていたよりずっと良いという印象。ヴェテラン女優は伊達ではない。
そういえば、カップヌードルも3分。ということで、初日の特典としてカップヌードルをいただいた。腹が減ったのでこれを夜食にでも食べよう。