2010年10月20日水曜日

悪魔も人間を支配などできない

これまでも何度か書いているが(それとも、毎年の話題か?)、ぼくが勤務する東京外国語大学には通称「語劇」と呼ばれるものがある。秋の学園祭(外語祭)で、学生たちが専攻語による劇を上演するのだ。スペイン語の学生ならば、スベイン語による劇。

なんだか大げさなホールができて最初の記念すべき今年は、カルロス・ソロルサノCarlos Solórzanoの『神の手』Las manos de Dios(1956)に決まった。パンフに何か書けというので、読んだ。佐竹謙一編訳『ラテンアメリカ現代演劇集』(水声社、2004)pp. 159-210. に翻訳が掲載されている。ソロルサノ自身が編んだEl teatro hispanoamericano contemporáneo (México, FCE: 1964), pp. 301-358.にも掲載。

ページ数からわかろうが、長い作品ではない。時間制限のある学祭にはちょうどいいかもしれない。

『神の手』と言いながら、悪魔が出てくる話。悪魔が人間に自由をそそのかす。領主が強大な権力を持っている共同体で、領主を悪く言ったために投獄された弟を助けたいと願う少女ベアトリスが、悪魔にそそのかされて看守に賄賂を渡すが、それでお気に入りの娼婦を身請けしたいと願う看守は要求額をつり上げ、ベアトリスは教会に忍び込み……という話。

台詞の分量など、あっさりとした小品だが、人間の自由と信仰、権利を扱い、なかなか難しい。しかも台詞を補うかのように無言の人物のパントマイムが要求され、幻影まで登場するのだから、これは演出の腕の見せ所。さて、学生たちはこれをどのように舞台に掛けるのか?