2010年11月14日日曜日

中世にいく前に現代世界について考える

今日の『朝日新聞』には奥泉光によるウンベルト・エーコ『バウドリーノ』堤康徳訳(岩波書店、2010)の書評が掲載されていた。

ぼくは奥泉光はわりと好きな作家なので、彼のツイッターもフォローしているのだが、そこで彼が書いていたから、この小説のパイロット版を発売前から読んで書評を書いたらしいことは知っている。でもこの小説、奥付の発行日は11月10日。同じ紙面にはこれの広告が掲載されていたが、それ自体初めてではなかったか? いずれにしろ、異例の速さだ。異例の速さを作るシステムはわかったとして、あらかじめパイロット版を読ませてまでの素早い書評掲載は、異例だ。

いや、ぼくは『朝日新聞』の書評のシステムがどうなっているかわからないので、語の正確な意味で「異例」かどうかはわからない。少なくとも、一読者として見たとき、これはいつにない反応のように思われる。『朝日』の外国文学の書評に関する不満は、20年ほど前からこの方、多くの口から聞いてきたし、ぼく自身、この大新聞の書評欄には今ではほとんど期待を抱かなくなっている。ちょっと前に池上彰がバルガス=リョサの受賞を巡る言説を批判して読ませるための努力を怠っていると「ラテンアメリカ文学者」たちに苦言を呈した記事を話題にしたが、なあに、それを掲載している新聞自体が、この人の邦訳新刊などをことごとく無視して普及に貢献しようとしなかったのだぜ、と言ってやりたい。

そんな思いがあるものだから、ともかく驚いた。で、数日前に書店に並んだことは知ってはいたが、慌てて買いにいった次第。

でも、その前に、いっしょに買った『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集III-06 短編コレクションII』(河出書房新社、2010)。これに所収のミシェル・ウェルベック「ランサローテ」野崎歓訳(455-511)。これはウェルベックのエッセンスが詰まった一編。

冬休みを利用してカナリア諸島ランサローテ島に旅したフランス人の「私」がレズビアン(バイセクシュアル)のドイツ人カップルやベルギー人警官と知り合い、お互いに不自由な英語で会話したり一緒に島を巡ったり、セックスしたりしているのだが、モロッコ人の妻に家出されたベルギー人警官リュディは他の三人の作る輪に溶け込めず、先に帰国、ラエリアン・ムーヴメントに参加することに決めたとの書き置きを主人公宛に残す。そしてやがて、このセクトが起こしたある事件が話題になる、という内容。

フランス人の「私」がノルウェー人やイギリス人やドイツ人やベルギー人に対する悪態を心の中で呟くのはいかにもウェルベックらしい。小気味よい。ただし、そうした悪態は国民国家を前提にした外国人嫌悪というよりは、移民やEUの統合、グローバル化を前提として、その裏で、国というよりもむしろ、それより小さな社会という単位が成り立っていないとの不安を白人たちが感じているところから来るのだとの視点がそこにはある。典型的に現代的なのだ。次のような独白は、外国人嫌悪だと思うと痛快だし、現代的不安だと思うととてつもなく悲痛だ。

いずれにせよ私たちは、アメリカ合衆国が支配し、英語を共通語とする世界連邦という観念に向かってすみやかに前進しつつあるのだった。もちろん、馬鹿な連中によって統治されるという未来図には漠然と不快なものがある。しかしながら結局、そういうのはみな、これが初めてではなかった。(475)

そして、ラエリアン・ムーヴメントがランサローテに地球外生命体とのコンタクトのための基地を計画していると聞いた主人公の観測。

実際、もしいつの日か地球外生命体が登場するならば、ここはCNNのルポルタージュにぴったりの場所となるだろう。(484)

この現代社会の薄っぺらさ! その自覚がこの人の面白さのひとつだ。