2010年11月29日月曜日

疲弊

昨日、ちょっとTVをつけた。どこかの民放局で自局の番組の宣伝を流していた。木村拓哉がいた。木村拓哉は言った。「やべぇ、ホームセンター、ちょー楽しい」

何かが切れた。

ぼくは特に木村拓哉に含むところはない。好きではないが嫌いでもない。どうでもいい。ぼくたちの世代の女性には彼のファンが多く、いろいろ聞かされていて、そんなファンからの話を聞く限り、なるほど、尊敬に値する人物だろうとは思う。かっこいいとも思う。でもぼくにはまったく無縁の人だから、まあ、どうでもいい人物なのだ。彼が主演する『ヤマト』も、とりあえず、どうでもいい。空気のようなものだ。どうでもいい人物に対しては、恨みも抱きようがない。やっかみすら感じない。だから木村拓哉に切れたのではない。でも、確かに、何かが切れたのだ。

もういい加減にしないか? その木村拓哉みたいな発話。「ちょー」とか「まじ」とか「がち」(「がち」は木村拓哉的ではないが)とか「やべぇ」とか、どちらかというと北関東的な、似非北関東的な平坦イントネーションとか。その種の語り口に、もういい加減、彼らより下の世代は軽蔑の眼差しを向け始めてはいないのか? いないのなら、そろそろ向け始めないか? 

木村拓哉ももう30代半ばだ。たぶん。30代半ばで「やべぇ、ちょー楽しい」でいいのか? と思うのだ。18歳ならまだそれも許されただろう。あまりいい気もしないが、まあ若い連中というのはそうしたものだ。それが20年近く経ってもまだ同じ口調でいるのなら、それではいくら何でも社会性に欠けるだろうと思うのだ。「やべぇ」と思うのだ。語の正当な意味(元来俗語である「やばい」に「正当」な意味があるとすればの話だ)において。

「おやまあ、なんということでしょう、ホームセンターというのはずいぶんと楽しゅうございますね」

とそこまで言うのも、今となっては冗談みたいだが。でもともかく、いい大人が「やべっ」なんて言うのを聞くのは、ぼくはもう疲れたな。