2010年8月19日木曜日

理不尽の夏

千野帽子がちょっとした災難に遭ってそのことを嘆いている。大変でしたね、と同情するばかり。

要するにこの編集者の人というのは自分可愛さに嘘をついたということなのよね。愚図なぼくなんかも、こんなこと(とはつまり、糊塗)してしまいそうだから怖い。自分が怖い。

でも一方で、そういえば、確かに受注したと思ったので始めて、終わらせまでしたのに、編集者とのディスコミュニケーションのせいでいまだに印刷に回っていない翻訳がまるまる一冊分あるなあ、と思いだし、ぼくも我が身を哀れんだりしている。あれを優先させるという義理を働いたおかげで、本当は今ごろ出ていてもおかしくない別の翻訳の催促をうけたりしているんだよな、とますます我が身を哀れむ。このことに関して、ぼくは正当性を主張していいのかな? 

あ、つまり、こういうこと。翻訳A、B、Cがある。B、Cは同一出版社の企画。翻訳Aに取りかかろうかというころ、翻訳Bの話が持ち上がった。場合によってはある人との共訳になるかもしれない。そんなわけもあって、当然、Aを優先させた。終わって送った。さて、Bに取りかかろうとしたら、こんどはぼくの参加する予定のなかったCに参加してくれという。しかも、優先的に。共訳だ。そしてそれは無事、出た。つまり、Cというのは『野生の探偵たち』だ。で、今、2度までも先送りされたBをやっているということ。翻訳Aは、そして、いまだ本になっていないということ。連絡不足で。ぼくからの連絡不足らしい。B、Cの順序の逆転は、今、問題ではない。Aがいまだに出版されていないことに対して、ぼくはどういう態度をとればいいのだろう、ということ。Cの後には翻訳Dや翻訳Eが控えているのだけどな。そしてAとついでに約束した、同じ叢書から翻訳Fを出すという企画、あれも没になったということなのかな? 翻訳Eとの関連でどうしてもこれもやりたいのだけどな。

そんなあれやこれやに追い立てられているというのに、ところで、ぼくがこのところ何をしているかというと、さる方の蔵書整理みたいなもの。もちろん、これだってぼくが今のように愚図でなければ、ここまで長引くこともなかったかもしれない。一方で、ぼくが本当にここまでする必要があるのか、との根源的疑問も湧かないではない。まあゆっくりと、1日3時間くらいずつ、息抜きみたいにしてやっているので、さして嘆くほどでもないのだが、ましてやこの問題に関して、ぼくはそのくだんの編集者のような嘘はつかなかったまでも、100%誠実で潔白であったわけでもないから。

さ、採点やら翻訳Bやら講演の準備やらに取りかかろう。

でもなあ、翻訳A、本当に出ないのかな? これが19世紀スペインの小説でなければ、少しは話が違っていたのかな?