昨日教えていただいて気づいた。奄美大島での雨が激しく、甚大な被害をもたらしているという。とりわけ、奄美市住用や龍郷町というところでは死者も出たとか。
奄美市というのは、例の「平成の大合併」で名瀬市、笠利町、住用村が合併してできた市。今回の被害の甚大だった場所は旧住用村。土砂崩れがあったというのは名瀬市と笠利町の間にある龍郷町(合併に応じなかった共同体)。ぼくが生まれたのは名瀬市。現在の実家は笠利町。名瀬からは間に龍郷を置いて分断された、北の外れだ。
住用村(ぼくの感覚では、やはりこれがしっくりくる)はマングローブの原生林などで有名な名瀬の南の共同体。水が近くにある感じだ。奄美は日本本土を小さくしたように、山がちの地形、海沿いにわずかな平地がへばりついている、その平地に集落が点在する島だ。各集落を島(シマ)と呼ぶけれども、そのようにシマとシマが連なってできたような島だ。つまり島はひとつにして群島なのだ。今回、土砂崩れで道路が分断されたというが、ほんの半世紀ほど前、戦後、いや、復帰後の1950年代にバスが通るまでは「てんま」とよばれるはしけの回船が存在していた。それがシマとシマを海伝いにつないでいたのだ。そうした交通のなくなった今、陸の交通が水にしっぺ返しされている。
今し方、ニュース映像で見たところによれば、懸念されたとおり、旧・笠利町の中心地からぼくの実家のある集落に向かう道路が不通になっているらしい。ぼくの実家の集落(屋仁という)は比較的川とそれが作る平野(河岸段丘、というほどではない)がゆったりしているし、通常は川の水位が低い(昔は一部でとても高かったけど)。ぼくの実家は川からも海からも山からも遠い、集落の中心あたりで、避難勧告が出たとしても、避難所になるはずの公民館のすぐ隣だ。だからさして心配はしていない。たとえ79歳になる母が独りで住む実家に、電話が繋がらなくても。