2010年8月15日日曜日

司法ってどんなものか、わかるさ

最近のぼくの大きな情報源のひとつとなってしまったツイッターでまたしても知らされて、観てきた。

フワン・ホセ・カンパネラ『瞳の奥の秘密』(スペイン、アルゼンチン、2009)

アカデミー賞外国映画賞受賞作品。なるほど、いかにもハリウッド好み。というのは、決して悪く言っているのではない。洗練されたカメラワークと編集、音楽などがただひたすらショッキングなストーリーを見せるために与しているという意味だ。面白い。とても面白い。そしてそれ以上かどうかはわからない、ということ。でも面白いのだから、いい。

裁判所書記官の仕事を定年で辞したベンハミン・エスポシト(リカルド・ダリン)が、25年前(というのは、1974年だ)の担当事件の思い出を小説に書こうとする話。その事件で彼は恋(のチャンス)と友だちと首都での仕事を失ったのだ。

当の事件は新婚の妻が強姦されて殺されたというもの。担当するはずでなかったのにベンハミンにお鉢が回ってきて、冤罪で済ませようとする裁判所の方針に納得がいかず、アル中の部下パブロ・サンドーバル(ギジェルモ・フランチェラ)をうまく手なずけ、ともに独自に捜査を続けることになった。同時期にやってきた直属の上司、判事補のイレーネ(ソレダ・ビジャル)とはお互いに惹かれ合っているようだが、言い出せない。イレーネはやがて婚約する。

このレイプ殺人の犯人捜しは、しかし、メインプロットではない。犯人が捕まったはいいが、刑務所内の取引によって恩赦に紛れて出獄し、報復を恐れたベンハミンが地方(フフイ)に転勤することによってイレーネとの仲は終わりを告げる。そして25年の空白を隔てて小説が書かれるというわけだ。小説を仕上げるために、ベンハミンが納得のいかない点を関係者に確かめて回るというのがもうひとつの大切なプロット。ここで犯人や被害者の後日譚が語られ、ベンハミンとイレーネの結ばれなかった恋のその後が模索される。

エドワルド・サチェリの小説を原作として、サチェリ自身が脚本に加わっているこのストーリーは、この第2のプロットの展開を第1のプロットにおけるいくつかのセリフが暗示する形になっている。このセリフをどう聞かせるか、それがこの映画の最大の難関だったのだろうなと思う。それもうまくできていて、面白かった。

死刑のないアルゼンチンで実際死刑など望まないと言っていた被害者の夫リカルド・モラレス(パブロ・ラゴ)のセリフの真意などが25年後に明かされる。深刻に考えるなら、司法システムへの問題提起とも取り得るだろう。「司法ってどんなものか、わかるさ」というのも、映画のセリフのひとつ。

帰りにデッキモカシンを買った。これだ。