2010年9月28日火曜日

怒れるぞ

法政のゼミでは、多民族、多文化の視点を提供してくれそうな映画を観るということをやっている。そういったら、今日学生が持ってきたのが、ニキータ・ミハルコフ『12人の怒れる男』(2007)。

もちろん、シドニー・ルメットのあの映画の翻案なわけだが、裁判で罪が問われているのが、チェチェンからモスクワに養子にもらわれてきた少年という設定であることが問題なのだな。

陪審員ものだから罪が立証されるかという論理が問題になるのだが、その論理を感情にすり替え、あげくに「ロシア人は感情がないと動かない」「法律は死んだ」などと登場人物に言わせているのだから、そんな「ロシア人」を口実に、変な風に作られちゃったかな、と思っていたのだが、そのうち何だか様子が変わってきた。陪審員ひとりひとりが論理を考える代わりに自らの人生を語り、それがまた必ずしも切羽詰まったものでなかったりして、……うーん、これをしてアネクドートと言うのだろうか、と唸りながら観ていた次第。最後はミハルコフ自身が演じる陪審員2が目の覚めるような主張をし、彼のその主張の裏にある感情を示唆するようなシークエンスが入り、……疑問点も多々うまれてくる。

外国人恐怖のタクシー運転手やハーヴァードを出たというマザコンのボンボンやらと、ステロタイプに堕しているかと思われた人物がその人に用意された見せ場の後に態度を変更するという論理(?)の展開などは、そのうち、奇妙に面白く感じられる。