2010年9月6日月曜日

チュルブスコの思い出

チュルブスコと言えば、言いたいことはふたつ。

まずひとつめ:メキシコ市にはリオRíoと名のつく通りが少なからずある。ぼくがメキシコ在住時に住んでいた家はリオ・ミスコアックとインスルヘンテス通りが交わるあたりだった。リオとは川だ。6月くらいから12月くらいにかけての雨季には、ほぼ毎日午後になると雨が降る。水はけが悪いので、通りには水たまりができる。リオ・ミスコアックは文字通り川となった。

メキシコ市はかつてテスココ湖という湖上に浮かぶ水上都市テノチティトランで、植民地期を通じて灌漑工事が重ねられた。実に1900年までだ。この途中で、水も捌けられず、埋め立てもされないまま、運河のように使われていたから、これらの道路を川と呼ぶのじゃないのだろうか? というのが、ぼくがぼんやりと考えていること。(裏付けはとれていない)

ミスコアック川はイスルヘンテス通りと交差すると、その先(以東ということ)リオ・チュルブスコと名を変える。チュルブスコ川。

このチュルブスコ川、しばらく東に進むと、コヨアカン保養地などを抜け、やがて北にカーヴし、かつてF1メキシコグランプリが開催されていたロドリゲス兄弟サーキットのあるスポーツ施設の横を抜ける。つまりは、環状線になっている。環状内回り(?)Circuito Interiorだ。この環状線が北に大きく曲がるあたりの先には(今ではあまり機能していないのかもしれない)運河がある。チュルブスコ川は本当にかつて川だったのだろうと思わせる状況証拠だ。

ふたつめは映画のことだ:メキシコやその周辺国(合衆国も、ちもろん、含む)の映画をエンドロールまで粘って観ていると、撮影所や現像所、編集スタジオとしてチュルブスコ・スタジオEstudio Churubuscoまたはチュルブスコ・アステカスタジオ株式会社Estudios Churubusco Azteca S. A.の名を目にする確率が高い。インスルヘンテスを渡り終え、ミスコアック川がチュルブスコ川と名を変えてから、15分ばかりも歩けば、左手に国立フィルムライブラリー、そしてそれと同じくらいの時間歩き続ければ(もちろん、車で行ったっていいわけだが……)、カントリー・クラブの手前に、それに負けないくらいの広さ5.3ヘクタールを誇る撮影所が姿を現す。チュルブスコ・スタジオだ。現在では公教育省SEP文化庁Conaculta配下にある施設だ。ラテンアメリカの映画のメッカにして、「映画界」の代名詞となった地名だ。

このチュルブスコ・スタジオを巡る何か面白い話がないかな、と嗅ぎ回っているのが、最近のぼく。いや、もちろん、概略とか略年譜とかでなく。

こうしたところを巡るメキシコ人たちの記憶というか、心象風景というか、そういうのを1冊にまとめられたら、と考えている次第。