2010年11月11日木曜日

親とつき合うのも楽じゃない?

昨日の続き、昨日、その学生とメールでやりとりしていたというのは教授会の最中で、その教授会などで近年の受験生の動向、その行動規範などを統計から分析した話などを拝聴していたわけだ。入試科目が変わると受験者数が減る、とか、後期日程合格者は辞退者が多いとか、

……これが何のためになされた分析なのかは、今はどうでもいい。機密に関係することだし、多くは語らない。でもともかく、こういう分析、解釈を聞いていると何かが忘れられているような気がしてならない。学生……受験生たちの行動規範を理解するのに重要なひとつの因子が、すっぽり抜け落ちているように思うのだ。

親だ。

この人たちは、おそらく、ぼくたちが常識的に考えている以上に親に人生を左右されている。親の意見をあまりにも素直に受け入れすぎている。

本当は○○先生のゼミに行きたいんだけど、そんな世間不要の学を学んでいたのでは就職に不利だと親に言われるから、あんまり面白いとは思わないのだけど▲▽学の☆★先生のゼミに行かなければならない、というような主張をぼくは何度聞かされてきたことだろう。就職で内定を取ったのだけど、そんな名前も知らないところで大丈夫なの? と親が言うから、もう少しがんばる、とか……。オープンキャンパスでも、あまりにも漠然としたことしか質問できない高校生や受験生(それが当然のあり方なのだと思う)に対して、どれだけの親がいわばしっかりとした、しかし紋切り型で実際には杞憂に過ぎない質問をしてくるだろう? 

親が子を思う気持ちは、当然のものだ。それを否定はしない。だが、最大の問題は親たちは大学を、大学の学問を、会社を、会社の仕事を、たいていの場合、ほとんど知らないということだ。親だって大学を出ているかもしれないが、子供の行きたがっている大学のことを知っているとは限らない。子供の行きたがっている大学を知っていたとしても、その実情を知らない。知っているつもりであったとしても、それは親が学生だったころの実情であって、現在を知らない。親だって働いているだろうが、同じ業種、同じ職種とは限らない。人ひとりが生きてきて経験できたことなんて、自分の子供に対してすら当てはまらない程度の小さなものだ。

もちろん、ぼくが知り得た例もあまりにも少数の例だ。すべての受験生、すべての大学生にあてはまるかどうかはわからない。でも、それにしても学生たちの決断に際して親が引き合いに出されることが多いような気がする。それが気になる。親は敬った方がいい。でも親の意見は尊重する必要なんかない。意見を異にしても子供を認めてくれるのが親なのだから。