このところ評判になっているのが、佐々木中『切りとれ、あの祈る手を:〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』(河出書房新社、2010)。で、まあぼくも手に入れて読んでみた(と言っても、まだ1/5だが)。
まだ途中だが、いきなりそんなぼくのスケベ心が批判されていた。『夜戦と永遠:フーコー、ラカン、ルジャンドル』(以文社、2008)で話題になった著者が、河出の編集者に語った五回のインタビューというか独り語りというか、そうしたものをまとめたもの。第一夜は「文学の勝利」。
どんな分野のどんなことがらについてもそつなく、しかしある種のパターン化された言辞を弄して語ってしまう「批評家」と他のことはからっきしわからないが、あるひとつのことについては何でも知っている「専門家」とをともにファロス的な欲望と切り捨て、自分のやってきたことはただ読むことなのだと、そしてその読む行為に、望むらくは少ないものを何度も何度も読む行為こそが重要なのだと説いた夜。
レイェスだってルルフォだって、メキシコ映画だって論じられるばかりか、佐々木中だってよく知ってるぞ、というような態度を取ろうとするぼくは、こうして、その当の佐々木中に批判されているという次第。とほほ、である。てへへ、である。
さて、そんなことより注意を喚起したいのは、今、佐々木が、この「批評家」的態度の由来、というか、少なくとも同年代の者にはびこるこの「批評家」的態度の蔓延の理由を、彼が学生時代を過ごした東大の教養部の改革後の雰囲気に求めていることだ。彼が大学に入学した当時、「上からの大学改革の嵐が吹き荒れていた。それが可能にしたある種の教育の典型的なものに触れ、それに反撥した」(15ページ)のが彼だという。
90年頃から教養部の解体が叫ばれ、いや、命じられ、東大がその改編に打って出た。とはいえそこは教養学部が存続を勝ち得た数少ない例なのだが、というのも、おそらく、専門課程としての教養学部の強化によって勝ち残ったのだろう。『知の技法』やThe Universe of English などのシリーズでいち早くリメディアル教育ののろしを上げ、表象文化などの新しい分野を作った。そのころ学生として東大に入った73年生まれの佐々木中が、その時代の大学改革の弊害を唱え(「大学の教養学部のカリキュラムが最も貧しい意味で「批評家」を生み出すようなシステムになっていた」同ページ)、そこへの反撥から自身の批評活動が出発したと言っているのだ。
ぼくたちは好むと好まざるとにかかわらず、その「上からの大学改革」後の大学に勤めている。この指摘には耳を貸した方がいい。