2011年11月1日火曜日

マハはかつてマヤと言った


歯医者と仕事の合間に行ってきた。ゴヤ展@国立西洋美術館。火曜の昼ごろだというのに、人はだいぶいて、ゆっくり観てもいられなかった。まあ、ちょっと慌ててもいたのだが。で、西洋美術館の外。空の青がとても鮮やかだったので。

さて、このゴヤ展。いちばんの目玉は「着衣のマハ」ということになるのだろうか。大きな絵は数えるくらいしかなかった(ちなみに、「プラド美術館展」のときに来ていた「魔女の飛翔」は今回もあった。今回も、「ちゃちゃいな」と叫びそうになった)。むしろ版画の数々の充実に注目した方がいいのかもしれない。

版画なら大量生産可能な技術だから、美術館で観る必要もないだろう……というのは、間違い。そのための素描などを並べて版画制作の過程をうかがい知ることのできる仕組みになっている。

それにしても、人は多かったな。これはゴヤだからなのか、東京には芸術を愛する人がこれだけいるということなのか? 途中の電車で読んでいた論文などに影響されて、ガルシア=カンクリーニなどを思い出したのだった。メキシコの国立近代美術館で開かれたピカソ展に集まる人々、という話。

ところで、もうひとつ思い出したこと。ゴヤ展に寄せてシンポジウムなどが開かれるのだが、ある席上で同僚のスペイン史家、立石博高さんが、話す予定だとのこと。その原稿というか、メモのようなものをFacebookで公開していたのだが、そこに、彼がはじめてスペインに行った当時、1970年代、ゴヤの題材としてたびたび出てくる「マハ」の語は、日本では「マヤ」とされていた、との記述があった。こういう証言というのは貴重だな、と思う。